2010年12月30日木曜日
2010年の抱負【吉田】
これが自分の2010年の抱負を表す四字熟語です。
「我より古を作す」と読み、元代に編纂された中国の史書『宋史』に出てくる言葉です。「これから自分がなさんとする事は前人未到の新しい分野であるけれども、予想される困難や試練に耐えて開拓に当たる」という意味があります。福澤先生が慶應4年に著した『慶應義塾之記』の中でも、杉田玄白らによるオランダ医学書の翻訳事業を「只管自我作古の業にのみ心を委ね」新しい学問を興したと称え、塾生が模範にすべきものとしています。
来年は留学や学部ゼミ、福澤記念文明塾など新しいことに挑戦していくつもりですが、その枠組みの中に囚われるのではなく、金ゼミ含め様々な資源を組み合わせて新しいものを作り出せる1年にしていきたいと思います。
2010年12月26日日曜日
最後に。
2010年12月24日金曜日
【1217】ゼミの感想【田島】
このゼミに入ったときから、私たちは常に先輩たちから「先輩を闇雲に尊敬するな」と言われてきました。私自身も、仲が良いことは必要ですが、上下関係があるそれだけで盲目的になることは、組織全体としてダメになってしまう危険性があると思っています。しかし、3期の先輩方はゼミの関係性を抜きにしても、人間として尊敬せざるをえない方々ばかりです。どこのコミュニティを見ても、先輩方のように自分に与えた使命を長期的に守り続けたり、とんでもない行動力を持っている人にはなかなか出会えませんでした。本当にいろいろなことを学ばせて頂きました。
・5期所信表明
自分がホワイトボードの前で所信表明をしたのがもう一年前なんだなととても懐かしい気持ちになりました。あの時「自分の中でこのゼミはなんのためにやっているのか?」「どうして続けるのか?」と考えたことが今の自分にとって本当の財産になっています。みんなにとってもこの機会がかけがえのないものになればいいと思います。映像も残ったみたいなので是非見返してみてください。
みんなが話したことをメモにとりましたが、それぞれの話すことが多様で、改めて5期生はそれぞれ自分をもっていて、流されないなと思いました。そのエネルギッシュさが5期生の大きな武器です。さらにそのパワーのままみんなで一つの目標に向かって一丸となれる機会があれば(飲み会以外にも!笑)、どんなにすごいことが起きるんだろうとドキドキします。
「自分がこのゼミからいなくなったらどうなるか?」という質問に「何も変わらない。自分が影響を与えていると言うなんておこがましい」と答えた人もいました。もしかしたら去年の私もそう答えていたかもしれません。けれど5期生には、是非来年はもっと色んな答えを出してくれることを期待したいと思います!ちなみに私も4期に同じ質問をしたんですが、「軌道修正をする人がいなくなる」という答えが返ってきました。私は「周りに影響を与えよう」と思って行動してきたわけじゃなかったけれど、日々「もっとこうしてみたら実はもっとうまくいいくんじゃないか?」とか「忘れてたけどこれについてもう一回話してみよう」と考えていてやっていたことを、ゼミにとって影響を与えていると認めてもらえていたんだと嬉しくなりました。それとは逆に、締切から遅れたりして悪い影響を周りに与えてしまったこともありました。そしてまた、私自身も金光の有言実行する力に影響を受けたり、それ以外のみんなにも大きく影響を受けています。つまり、真摯に向き合っていけば、人は必ず周りに影響を与えるものだと思います。だからこそ、もし自分が組織に何も影響を与えていないと今思っているなら、もっともっと真摯になれる余地があるということだと思います。周りに影響を与えることを恐れず、是非切磋琢磨していってほしいです。
・金光さんプレゼン
本当に金光さんらしいプレゼンだなと思いました。「ベクトルがみんな自分に向いている」「積極的意味と消極的意味」「結果がすべて?」などなど、金光さんは「今までのまとめ」ではなく、今考えていることをプレゼンにしていました。金光さんが金ゼミに入った時、自己紹介には「頭を使ってしわしわの脳みそになりたい」と書いてありました。毎日毎日身の回りのことを目いっぱい集中して自分の頭をアップデートしていっている金光さんは、まさに有言実行と言えると思います。金光さんや高橋さんが凄いのはただ「課題をこなしている」からではなく、「自分でやると決めたことをやる」からではないでしょうか。これが出来る人は実はそう多くはないのではないかと最近思います。このゼミに入って心から尊敬できる友人たちに出会えてよかったです。金光さん、一年間代表本当にお疲れ様でした。
2010年12月21日火曜日
1217ゼミの感想
まず、3期生のプレゼンスキルには最後といえ改めて感心させられました。
皆個性的で1つ1つ違ったテレビ番組を見ているような感覚でした。
「今年は4年生の先輩がたくさんゼミに来て下さった」とよく聞きますが、
去年を経験していない私にとっては4年生の先輩がいらっしゃるのが当たり前のことのようで、ゼミでの役割が3年生はゼミの統括、4年生は膨大な知識の持ち主でありそれをゼミに供給してくださる、というイメージがありました。議論を組み立てる力や学ぶ姿勢・システムは頑張れば私たちでも作れるかも知れないけれど、その議論や学びの質を上げていくにはどうしても膨大な知識や経験が必要です。特にそのソフトの面で4年生の先輩方は本当にゼミに貢献してくださっていた(言い回しが上から目線だったらごめんなさい…)と思いますし、4年生あっての今年の金ゼミだったのではないかと思います。
本当にありがとうございました。
<所信表明>
一人も似通ったようなことや、前の人の二番煎じのようなプレゼンがなく(正論を並べがちなプレゼンではよくあることだと思うのですが)、さすが5期生、と思いました。自分のゼミにおけるアイデンティティーの部分で「若さ」と話しましたが、もう一度その言葉を反芻してみた時に、2年生に若さは求められていたかもしれないけれど、3年生にはもはや求められるべきものではない、と考えました。私の意図したいた「若さ」から未熟さや思考の浅さなどというマイナス面を引き算すると何が残るのか…おそらく「イノベーティブであること」「面白そうなことにパッと飛びつける敏捷性」「柔軟性」…そんなところだと思います。夢は大きいですが、まずは自分自身に余裕を作るところからはじめていきたいと思います。
5期全体に話を戻せば、こういった緊張感の中で一人一人が想いを話す貴重な機会でした。気づいたこととしては、私を初めとして皆わりとベクトルを自分に向けてのプレゼンだったかなと思います。特に所信表明の内容が規定されていたわけではなかったからこそ、「金ゼミ」という組織の視点に立った思考というのが(無論私を含めてですが)今の5期生にはもっと必要なのではないかと考えました。ただ、こんなに個性的で自分のこと、想いをきちんと語れる人たちならばきっと“I”を“We”に変えて考えることは容易だと思います。今後今までの4代の先輩方が作ってきてくださった「金ゼミ」に5期生がどんな付加価値を乗せていくことができるのか、今はまだ不安よりワクワクの方が大きいです。
ひとまず2010年のゼミは終わりますが、金光さんをはじめ、ゼミを統括してくださった4期生の先輩、「金ゼミのロールモデル」だった3期生の先輩、いつも楽しい5期の同期、李先生、金先生本当にありがとうございました。先輩方にはは引き続きゼミに足を運んで(よい意味で)ゼミをかき回して頂きたいのでぜひぜひよろしくお願いいたします。
2010年12月20日月曜日
1217ゼミの感想【山本】
1年前、手に汗をかきながら自分の順番を待っていたなということを思い出していました。良い意味でも悪い意味でも、自分が立てた目標に固執しすぎず1年間やってきた気がします。1年前も今も共通して、目一杯好きな事ができて目一杯悩むことができる金ゼミという地盤に心から感謝しています。
“今ある地盤を当たり前のことと思うな”と去年の今頃金先生がおっしゃっていた言葉は、2年生だけでなく3年生であっても当然考えなくてはならないことですが、やはり一番選択肢の幅があるのは2年生のこの時期だと最近改めて実感しています。
5期生のプレゼンを聞いていると、皆さん銘々のスペシャリティを探そうする意気込みが感じられ素晴らしいなと思いますが、3年の秋になると自ずと収束しなくてはいけなくなってしまうので、今はあえて思いっきり興味の幅を拡散してみると良いのじゃないかな、と思ったりもします。組織の中の立ち位置や役割は、自ずと後から付いてくるものだと思います。
来年5期生手動の金ゼミがどうなっていくのか、私はすごく楽しみです。
1217ゼミ感想【斎藤】
皆さんそれぞれが自分自信の飾らない言葉でゼミ生に語りかける姿が今回は強く感じられました。それだけ、聞き手もそのメッセージを受け止めようと真剣でした。
僕自身、何を話そうかということを一週間くらい考えていていて、そこからまとめた内容をどういった形で話そうかとなったときに今回はスライドを使わずに口頭にて伝えることにしました。スライドと内容をうまく一致させられなければ、内容がかえって軽くなってしまう可能性があると思ったからです。
その点、三期生の方々は、スライドの使い方がうまかったと思いました。例えば、大賀さんのスライドでの雲の画像の使い方などです。話し手のイメージを聞き手に誤解されることなく理解する手助けの為にスライドがあるのだと再認識しました。また、どなたもスライドを送りつつも聞き手を意識しており2〜3年かけてゼミで培ったプレゼンの技術、つまり、聴衆に語りかける力はさすがだと思います。
話す内容、方法、間の取り方、笑いの入れ方…その一つ一つに個性が現れ、また、その一つ一つが聴衆にとって意味を持つのだと思います。意識して行う動作もあれば、無意識に出てしまう表情、癖もまた個性となっていました。
自分自身について振り返ると、4月に比べて相手に伝える力は確実に付いていると実感しました。今回も、話し始める前には手のひらが汗ばむほど緊張していたのですが、話し始めると何回も聞き手の人と目が合うことがあり、無言の対話となっていた気がして嬉しかったです。
それもひとえに、今年金ゼミで与えられた”人”との出会いによるものだと思います。
始めて会う方に本気で意見をぶつける経験の積み重ねがあってこそ、次第に余裕を身につけられるようになったのだと感じました。
来年度からは後輩が入ってきます。今年はとにかく発言をする事だけを意識していましたが、内容も求められてきます。所信表明では自信の姿勢について話しているひとがほとんどでしたが、研究分野として極めていきたい方向性も述べるべきだったのかなと反省しました。今年はコンテンツ産業についてのテーマを扱うことが多かった気がするのですが、僕自身のひとまずの方向性としては、春休みの間はウィキリークスに関連づけた様々な問題について考えていきたいです。この人はこの分野について語る事ができるという、それぞれの強みを持たなければゼミの中身が薄くなってしまう可能性があるからです。
最後に。
金光さんが代表としての最後のゼミとなりましたが、1年間おつかれさまでした。そして他の4期生の先輩方もおつかれさまでした。
大学のゼミの性質上、リーダーとなった人達が独裁的にものごとを決定することができず、うまく全体を調和させつつ舵取りをするといった点が苦労されたのではないかと思いました。
来年度にむけて考えなければならないのは調和とは何だろうかということではないでしょうか。うまく全員が平均的にまとまっている状態が必ずしもそれを指さないことは言わずもがなです。むしろ、関心、考え方、価値観はバラバラだけど全体として捉えた時にそれなりにまとまっている状態が理想だと感じました。来年は5期個人個人の活動もそれぞれ広がって行くようなので、誰かや何かに依存するのでなくゼミは日常で抱いた関心に関する知識、問題点をアウトプットする場としてゼミを活用したいです。
1217ゼミ感想【岡本】
伝えたいこと、伝える方法、見せ方。すべてが画一的でなく、それぞれの色が強く出ていながらもどれも見ている側を飽きさせない内容で、それは金ゼミの中で自分が思う「正解」をトコトン磨いてきた3期の方々の月日を感じさせるものでした。個人的に一番真似したい生き方と感じたのは菱木さんです。どんな予想外の不幸に出くわしてもそれを「好機」と捉える…文字で書いてしまうとどうも感動が薄れますが、実際のエピソードとともに聞くととてもハードルが高く、またすごく魅力的な生き方だなと感じました。「真似したい」とは書きましたが、これを自分の歩んできた人生と照らして自分なりに内面化したら、どんな化学反応を起こすのかなとワクワクしています。
②所信表明
来年に向けたことだけでなく、今年1年の総括・今考えていること含め発表している人が多く、「綺麗事」に終始しないあたり(所信表明というと得てしてそうなりがちですが)自分が所属する代ながら、さすがと感じました。普段話していても、ゼミに対する考え方についてあそこまで本気で語ることってあまりないので(ゼミについて話すことはもちろん多いのですが、程度問題として)良い機会だったと思います。自分が言ったことを来年のいまごろ「嘘」にしていないためにも、金ゼミに対する取り組み方を見直していこうと改めて感じました。
③金光さんのメッセージ
「金ゼミでしかできないこと」には積極的理由・消極的理由があり、積極的理由にあたることをどんどん考えていってほしい、ということ。来年は5期が6期の範となっていくのだからやるべきことはきちっとやらなければいけないということ、5期生に向けたメッセージ。どれもずっしりと重みのある言葉でした。三田祭でさんざん言われてきた「5期生主導」というのを日々のゼミ運営の中でやっていくんだな、というのを改めて実感した次第です。
「4期生とは違う」とよく言われる5期生。それは5期生の目から見てもなんとなく感じる部分です。4期生の良い部分はもちろん積極的に盗んでいくべきだけれども、では、そんな5期生だからこそ、「4期生とは違ったどんな面白いことを生み出せるのか」。金ゼミの「当たり前」を5期生なりに咀嚼して、それに意味があると感じれば続ければいい、そうでなければ無くせばいい、座りが悪ければ変えればいい。その裁量を握ることの責任の重さ。何が正解か分からないけど、それでも手探りでやっていかなければいけない。4期生も3期生も含め、歴代のどの代でもそこに「恐さ」と同時に「楽しさ」を感じていたのだと思います。と言っても自分自身まだ「恐さ」はなく、受け継がれてきた魅力的なバトンをさらに魅力的なものにして6期生に渡せるよう、「5期生だからこその付加価値」を生み出していくことにひたすらワクワクを感じているのですが。
101217 ゼミの感想【村山】
先輩たちのお話はどれも魅力的でしたが、その中でも岸本さんのお言葉が一番心に残っています。
「後悔しない人生を送る」
刺さりました。失敗を恐れて、中途半端な事をするくらいなら、失敗してもいいからそのリスクをとって自分の納得できる、満足のできる決断をしていきたい、そう思わされました。これから半年間、色んな決断を迫られることになると思います。それが、自分にとって良い決断であれ、悪い決断であれ。その時に、「あぁ、あの瞬間、こうしとけば良かったな」と思わないで済むような人生を送りたいと思います。後悔するかもしれない位なら、常に全力で、自分のやりたいことを。これは忘れません。
また、後輩達の所信表明もとても心に残っています。それぞれ皆の心に残った言葉をメモしていました。ここでは誰がどうとかの発言は差し控えたいと思いますので、自分の表明をどう思ったのかとか聞きたい人がいれば聞きにきて下さい。ありのままをお話します。
何はともあれ、今年の金ゼミは終わるわけですが、来年また皆さんと笑顔でお会い出来る日を楽しみにしています。
最後に、みな!!代表お疲れ!!!みなの想いは皆に届いていたと思います。またいつでもゼミに来ると良いと思います。院に行っても持ち前の根性と愛嬌でがんばれ^^
2010年12月19日日曜日
ゼミ感想【黄】
皆さんそれぞれの個性を持っている3期生の先輩方!今週のゼミは皆さんどんなプレゼンするのかなー、とかなりワクワクして来ました。そんなワクワクを裏切らないプレゼンでしたね!笑いあり、メッセージあり、学術的内容あり、仏教?ありな時間をありがとうございました。もちろんたくさんメモりましたよ。菱木さんからは、「逆境をチャンスに変えること」、藤田さんからは「空」wwと独特なプレゼン法、大賀さんからは何事も真摯に向かい合う姿勢、小宮さんからは「自分の将来ビジョンを具体的にイメージすること」、岸本さんからは「後悔のない選択」などなど。もちろん他にもたくさんありましたが・・・。本来金ゼミでは4年生はあまり参加されないのが通例と聞いていたので、今年は本当にラッキーだったな、と思います。プレゼン、お疲れ様でした!!
②所信表明
今回の所信表明はすごく悩みました。何をどう言えばいいのか。自分の中でまだ完全にまとまっていない分、皆さんの前で話したとき、予想以上にあたたかく受け止めてくださってすごく有り難かったです。
所信表明でも言いましたが、本当にやってみたい事を見つけました。
それを考えるとワクワクする自分がいます。これを見つけられたのは、金ゼミの土台があったからこそです。今後自分がどうしたいのか、真剣に考えた後決断しようと思います。
③金光さんプレゼン
金光さん、お疲れ様でした!プレゼンを聞きながら代表という役目の大きさ、そしてその責任感と働きに支えられてきたんだな、という事をしみじみ感じました。組織を動かすと言うことは、自分ひとりで動かすこともできないけど、皆の意見ばかり聞いてても先に進まないもの。そのバランスが要になってきますよね。それを金光さんは見事にこなしていたと思います。最後の締めにこうしてプレゼンをする、というスタイルも金ゼミならではのスタイルですよね。でもいいと思います。これからもこういう風に引継ぎが続きますように!!!
2010年12月18日土曜日
今年最後1217ゼミ感想【高橋】
先輩方が赤裸々にご自身のことについてプレゼンしてくださって、人生経験を踏まえた上でのメッセージはとても心に響きました。頭ではわかっていてもしっくりこない言葉ってあると思うのですが、それが一歩踏み込んだ実体験を絡めて伝えてくださることで「なぜ」という部分がとてもよく伝わりました。まさに磨かれた「伝達力」を感じたのと同時に、先輩方の温かい言葉に励まされました。
機会と変化を大切に、後悔せず、人生のビジョンは明確に持って、臆せず何でも挑戦していく精神。それでも誇りは持っても過信して奢ってはならない。
たくさんのメッセージを受けとることができて、今後の励みになりました。常に肝に銘じていきたいと思うような言葉が盛りだくさんで、今後何かで迷うことがあったときは今一度頂いた言葉を思い出したいと強く思いました。
②5期生所信表明
『仲良いだけは、もう終わり』。まさにそうです。矢野さんも言ってましたが、仲が良いからこそもっと刺激し合ってプラスのスパイラルを築けるポテンシャルはすごくあると思っています。ただのじゃれあいで終わったら負のスパイラルしか生まなくて、せっかく尊敬できる仲間が集まっている場なのにもったいないことになってしまいます。この1年で築き上げた信頼関係を今後もつなげていき、時にはぶつかりながらも上へと向かっていくような関係を一緒に築いていきたいです。その中で未来の後輩6期生も巻き込んで大きな力を育めたらこの上ないと思います。
私は利己の上に利他が成り立っていると思います。「あの人が喜んでくれるなら自分を犠牲にしてもする」というのは一見利他的に思えますが、そうすることで自分が一種の満足感を得ているなら結局は利己でしかなくて、人間は自分がまずあって他人に目を向けることができると思います。あくまで持論ではありますが…。なので、自由と責任の下、私は利己的でありたいと思います。その利己性が結果的に利他性に繋がると信じているからです。
③金光さんによるプレゼン
「理解という名の愛が欲しい。」人にほめられたくて何かを一生懸命やる素直な子ども時代があった一方でいまだにそういう姿勢である自分がいます。それがいいことなのかはさておき、陰ながらの努力って大事だと思います。以前金先生のツイートで、「努力の過程を人に評価してもらおいとは思うな。努力は人に気付かれないように。そして見せるのは結果だけ」という言葉がありました。まさにそうだなと私は思って、高校時代に「ガリ勉」そうに見えない子が学年でトップの点数とっていて天才なのかと思ったら陰ながら見えない努力をすごくしている子だと知る機会があって自分もそうなりたいと憧れたことを思い出しました。過程を評価してもらうのではなくて、結果を評価してもらえる人間でありたいです。
ブログアップは過程でしかなく、結果はゼミの中で現れるもの。褒めて頂けて嬉しかった半面、自分が思う結果にまだ繋げられていないことに改めて自分の甘さを感じました。
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忘年会!+どっきり卒業式
開かれた雰囲気で和やかに、時に激しく行われた忘年会でとても楽しかったです!金光さんが「本当は卒業したかった、袴きたかった」と仰ってる姿に思わず涙がこみ上げてしまいました。それを察しての先輩方のサプライズ企画ぶり、とてもわくわくしました!ゼミという少人数の組織で、楽しいことのみではなくつらいことも共有してきた仲間だからこそできるとても温かいゼミを実感できて、その一員でいられることを嬉しく思いました。
来年からはいよいよ5期生主導になりますが、自分たちが金ゼミにいてよかった!と思うところをしっかりと引き継いでいき、さらなる発展を目指して共に成長していきたいと強く思いました。
1207 ゼミの感想【栫井】
去年も今年もぐちゃぐちゃ悩むとき、岸本さんにお話させてもらうことが多かったのですが、よく仰ることが綺麗にまとまっていて、思わずメモりまくってしまいました。
分野を絞らず、いろんな方向に興味を伸ばして、それらをメタな視点から臨む。
さりげなく深くて面白いスライドを挟んでくる菱木さん、愛情溢れる大賀さん、教養あるユーモアをふんだんに使う藤田さん、野心たっぷりで語れるビジョンをしっかり持った小宮さん、何事も妥協しないで本気でぶつかる戸高さん、4年生は本当にキャラが立った人ばかりで、どのプレゼンも飽きずに聞き入りました。
【5期生所信表明】
仲良いだけは、もう終わり。
良い決意の言葉だなあと聞いていました。
しっかり関係を構築出来ている5期生なら、それぞれの強みを活かしたゼミ作りが出来るのではないかと思います。
わたしたちが作ってきた体制の続き、ではなく、新しいゼミをもう一つ作る気持ちで取り組んでください。
【論文完成!】
やっと、論文が書き上がりました。
いろんな方向に振り切りまくって、やっとまとまった論文。
今年はほとんどゼミでの発表が無かったので、代わりに論文ブログを。
http://mitakim.wordpress.com/ (編集者の方のお話など載っているので、そちらに興味がある人にも良いかも)
竹内さんと戸高さんと一緒にやれて、本当に良かったな、と思います。
去年中途半端で放ゼミ気味だったわたしが変わるきっかけになったのが二人だったので。
とはいえ、理解力も知識も努力も足りてなくて、たくさんたくさん迷惑をかけてしまいました。
でも、気づけたこともたくさんあったので、成長のきっかけは数知れずいただきました。
やっぱり戸高さんはすんごく勤勉で周りへの配慮がきちんと出来ていて、竹内さんはわたしの論理崩壊をすぐに見抜いてきっちり指摘して自分なりの考えをはっきり主張出来る。
9月頃から3ヶ月、やってきた中じゃないと得られないものがたくさんありました。
3人で毎週戸高家合宿するのもなくなくと思うと、少し淋しいような。
去年と一昨年と中期論文をやってきて、二つの方法論を経験出来たのかな、と思います。
1.事例をたっくさん見て、とことん分析→フレームワーク
2.本をたくさん読んで、いろんな人の話を聞いて、現状分析と合わせて着目点を絞る→提言
大雑把に分けるとこんな具合。1がぱぴこで2が今年。
今年痛感出来たのが、文献を読むことの大切さ。引用のため・現状分析のためだけではなく、トピックの根底に流れるマインドを理解して身につけるためにも、どれだけたくさん文献を読むかが決め手になる。
マインドを身につけることは本当に大事!それを理解出来ないと設計論は全く手が出せない。だから、作れる人は強い。マインドを理解するのではなくて、元々持っているから。
来年はもう一歩踏み込んだ修論を書きたい。そのためにも、普段からもっともっと文献に触れよう。
2010年12月14日火曜日
ホンヨミ!1217①理解という名の愛がほしい【金光】
この本を読んで思ったことは二つ。
”ベクトルが自分に向いているかそうでないか”と、
”自分の心が感動すること”。
一つ目のベクトルの話。
謝っているはずなのにその人の言葉は自分の言い訳になっていたり自己分析を並べた言葉になっている…とか、
仕事であっても”自分のため”にこなしてしまう人…などの例をあげて、ベクトルが自分のため!!!に向いている人の多いことを指摘していた。
そこではっとした。
””自分のことを理解してほしい!””というエゴを全面に出す自分の中の自分に気付いたから。でもそれは自覚すべきことだけれど恥ずべきことではないと思う。なぜなら誰もがそんな気持ちを持っているから。その証拠に「この話し合いの目標地点は…」とまず明確に決めておく。 「ターゲットは誰なのか」を説くドラッカーの本が売れる。これと自分のゼミでの二年間を振り返ってリンクさせられる!と思ったが、詳しくは今週金曜日のゼミでプレゼンに盛り込みたいと思う。
二つ目の、自分の感動ポイント。
学校に行く電車で読んでいたら思わず涙してしまった。たぶんこの本の伝えようとしている要旨とはずれているが、内容は親子の愛だった。親は子の吐瀉物も汚いと思わない、でも子は親のそれを見て汚いと思う。親から子への愛は子から親へは返せないからこそ、子が大人になって親になり子を育てることで愛をつないでいく。という流れだった。しばらく学生生活が続くことになり、実家で暮らしていて毎日顔を合わせているのにこの個所を読んで涙が出るとは思わなかった。それほど毎日無意識にたっぷりの愛情をもらって生活しているんだな、と思った。感謝しています。
101210 ホンヨミ【ハーバードからの贈り物】【村山】
今回紹介させてもらった内容は、沢山ある章の内の一つである「サラの物語」でした。皆さんはいま日常生活を送っていることを当たり前だと思っていませんか。自分は高尚な人間ではないので、自分達が快適な生活を送っている裏で戦争や飢餓で苦しんでいる沢山の人たちがいる、なんて事は言いません。ただ、目の前に居る、あるいは自分の後ろで自分の人生を支えてくれている人たちの存在を当たり前だと思って、居ないものと感じてしまっていませんか。今回、自分がこの章を取り上げた理由は、そういうとても大事だけど中々意識の外に行ってしまう、「他者への感謝の気持ち」を思い出して欲しかったからです。
「夢やプライドなど、可能性にあふれた人生を犠牲にしてまで自分を支えてくれる人がいる」。言葉で言うのもそうですが、文字に起こすと改めて考えさせられるというか、重いなと感じます。幸せを感じながらも、裏切れない、期待に応えたいという感覚でしょうか。確かに、人生を犠牲にとまではいかなくても、私達の生活は知っている人以外にも本当にたくさんの知らない人たちに支えられていると感じる事が最近多いです。駅員さん、郵便局員さん、工事作業をしているおじさんたちなど、挙げたらきりがないですよね。自分はそういう人たちに心の底から「ありがとう」を伝えています。それは、自分の人生を何かしらの形で助けてくれていることに気付いているし、実際に感謝しているからです。そういう風に、色んな人に感謝の気持ちを感じられる様になってから今までよりも人生が楽しくなったというか、明るくなった気がします。
沢山の人へのありがとう=多くの人との出会い。
だからです。全部の章をそのまま吸収する必要はないと思います。ただ、必ず自分の心に刺さる章があるはずです。それを見つけられただけでも、この一冊を読む価値はあるのではないかと思います。
101210 ゼミの感想【村山】
その中で興味を抱いた本は、ゼミの時間中にメディアに取り寄せを行い、今日「本が届きましたよ〜」って連絡を頂いたので、早速明日から読みたいと思います。
その借りた本は、「詭弁論理学」、「だから人は本を読む」の二冊です。
「詭弁論理学」。実は、先週の火曜日に行った学部ゼミの入ゼミ面接で、面接に来た2年生が「最近読んだ本」として挙げていました。その時に、「どんな本なんだろう」と、興味を持って読もうと思っていた矢先に再び出会ったので、さりげなく一瞬、何となくある種の運命を感じていました。議論をしている中で、「何か話が噛み合ないなぁ」とか「相手の言ってる事と、自分が求めている答えが違う」ってことが日常生活の中で結構あるように感じます。もしかしたら、それらが詭弁だったのかな、と思うと妙に納得が出来てしまいました。
次に、「だから人は本を読む」。純粋に読みたい!と思わされた一冊でした。みなが紹介してくれた引用箇所はとても刺激的でありながら、説得力もあったと思います。「本を読まなくても生きていけるけど、人生の質が全く違う。」。その通りだと思います。本当に。自分が読んだ本は、それがどのようなジャンルであれ、いつかどこかで思わぬ形で生きてくる事があります。それは、これまでに読んだ本の知識が自分の中で横断的に結びついたり。はたまた、たまたま出会って話した人と共通の本を読んでいて、事の他話が弾んだりと。本を読むことで自分の人生は大きく変えられると思いました。
余談ですが、自分は以前からどことなく「金光すごい!!」と思っていました。でも最近、そのすごさの源泉というか、根本を目の当たりにした気がして、「なるほど、やはり自分を進化させてくれるのは環境なんだな」と強く感じたことがあります。他にもお勧めの一冊があったら、教えて下さい!
2010年12月13日月曜日
【1210ゼミの感想】自分にとって本とは何か?【田島】
多種多様のおススメ本が揃いとても興味深かった。読みたいと思う本がたくさん増えた。新刊は話題になるが、昔に発売された良い本を知ることが出来る機会は多くはないので、とても有意義であったと思う。本はなんのために読むのだろう?先人の蓄えた知識に触れ好奇心の世界に飛び込めるものでもあるし、思考力をつけるためのものでもあると思う。「本」と「経験」どちらが大事なのかと比べたがる人も多いが、どちらも大切なのではないかと思う。人生を進んでいくとき、必ず様々な未知の壁があらわれる。「あの子にチームにもっと積極的に参加してもらうためにはどうしたらいいんだろう?」「自分の考えた企画をもっと上手くプレゼンするにはどうしたらいいんだろう?」「日本の少子高齢化の問題を解決するにはどうしたらいいんだろう?」それは必ずしも悪いものではなく、よりよいものを作り出すために必要な壁であると思う。自分とは異なる考え方や価値観文化、人の思い通りにならない自然や運の力が存在するからこそ、その裏面として壁になるのだ。その壁を自らで乗り越えることが「経験」である。一方「本」には、少なからず著者の考え方が含まれている。「自分のまだ見ぬ思想・知識」である「本」を乗り越える訓練を積むことで、現実においても問題を打開できるのではないだろうか。私は本にはよく書き込みをする。内容の難しい部分は要約して書き残しておいたりするし、「この部分には反対。」「根拠がよくわからない」など批判・疑問も書く。私にとって本とはドリルのような存在である。
おすすめの本プレゼン
2010年12月12日日曜日
1210ゼミの感想【吉田】
『ハーバードからの贈り物』
プレゼンの中で村山先輩が紹介したサラの話の中の「自分のために犠牲になってくれた人がいる。」という一節は、忘れていた周りへの感謝の気持ちを思い出させてくれました。このような素敵な話をもっと読みたいと感じました。まさにクリスマスの贈り物最適な一冊です。
『詭弁論理学』
「健全な判断力を養う」「言葉の意味に注意する」「数字に惑わされない」どれもが今身につけたい力です。金ゼミで「正しい議論」のためにもぜひ読もうと思いました。月曜日早速仮に行きます。
『だから人は本を読む』
「本を読む理由、定義を明確にする本」と金光先輩がおっしゃっていましたが、ホンヨミをさぼり気味の自分に必要な本だと感じました。「人生を厚く深くするために本を読む」。この言葉を胸にホンヨミ来年はもっとホンヨミ頑張ります。
【ホンヨミ1210】経済統計でみる世界経済2000年史【田島】
経済力を図る指標の一つとしてGDPという概念がある。実際に統計としてGDPが算出されるようになったのは1950年代にOECDが初めて以降のことであり、それより以前はGDPのデータは残ってない。(もちろん50年代以後でも東側陣営などのように必要な統計を提出しなかった国もあるし、統計手法も現在よりは劣っていたので、全て確からしい数字が出ているとは言えないが。)数々の学者が50年以前のGDPの推定を行っているが、その中で偉大な功績を遺したと言われているのがアンガス・マディソンである。なんと彼はあらゆる資料を一生をかけて読み漁り、西暦1年から現在までのGDPを推測して算出してしまったのだ。もちろん彼の出した数字は無茶な推測の域を出ないかもしれないが、2000年の人類の発展の様子をイメージするものとして非常に興味深い本である。
特徴的であったポイントをいくつか挙げる。
一つ目は、19世紀から現代にかけての人類の発展は歴史的に見ても特別であったということだ。二つ目は昨今におけるアジアの台頭の目覚ましさである。終戦直後のアジア諸国のGDPは限りなく低く(アフリカ人の中には「昔は日本よりうちの国の方が経済がよかったのに」とぼやく者もいるという)、その後の日本、さらに韓国台湾などのアジアNIESの発展は世界を驚かせた。同じNIESのなかでも、南ヨーロッパや南米諸国がその発展曲線が途中で落ち込んだのに比べ、なぜアジアが発展を遂げたのか、書籍を読んで調べたいと思った。
長期的視野で見ると、経済的支配力を持つ地域、国は時代ごとに次々と移り変わっている。現代においてグローバル化・技術移転等が進みそのスピードはますます加速しているといってよい。目先だけでなく、長期的な視野をもって経済を見る視野を与えてくれる(若干長期的すぎるかもしれないが・・・)学術書の中でも特徴的な本である。
ゼミの感想【栫井】
それぞれの選び方・推し方に各自の特徴が顕われていて面白かった。
自分の好きな本をプレゼンするというのは、思ったよりも難しい作業で、自分が読みながら飲み込んだ著者の思いを客観的にプレゼンするのか、それとも主観的に語るのかだけでも大きな違いだ。
わたしはなるべく前者であろうとして、スライド技法もいつもと変えてみたりしたのだが、もっと自分自身の思いを込めてみた方が伝わったかも、とも思ったり。
DAWNもぐっと来た本当にオススメな本なのですが、本当にぼろぼろになるまで読みたい本は、別にあったりします。
不適切かなあと思ったのでさすがに止めましたが;
「春の雪」/三島由紀夫
「豊饒の海」シリーズごと読むと良いと思うのですが、、実に深くて難しくて哲学的な一冊です。中高生の頃から何度も読んでも、全然飲み込めません。計算され尽くした言葉を隅々まで血肉にしてやりたい、と思わされるんですけどね。
本当にぼろぼろになるまで読みたいのは、一生かかって読み解きたい本なのかな、と感じます。
それでいくと、すんごく読みづらい原典たちは、死ぬまでに、出来たら大学生のうちに、目を通しておかなくちゃなりません。
【三田論】
あと一週間、辛いことが多いかと思います。
でももう自分たちの仮説を信じ切るしかないので、突っ走らないと。
「書き切る」体験は、自信になります。たとえ後悔が残っても、それが来年に繋がるように。
【私事】
ただの私事なのですが、ゼミ中にものすごくショックなメールを受け取りました。
そのことで、ゼミの後半気分が優れず態度が悪くなってしまっていました。
誰かの人生は、意外なところでわたしに影響を与えていることは、思ったよりも多いこと、誰かの表現に感動したときは、きちんと伝えないと、後悔すること、痛感しました。
2010年12月11日土曜日
1210ゼミの感想<矢野>
李先生のコメントを聞いて初めに思ったのですが、「お勧めの1冊」を一人ずつ紹介していくと、そのコミュニティーがどんなことに関心のあってどんな方面のことを考えている(または考えていない)人の集まりなのかというのがわかるんですね。面白いなと思いました。他のコミュニティーでもやったらまた全然違うものが出てきてそのコミュニティーってものを客観的に見れるんじゃないかと思います。
皆さんが紹介していた本どれも読んでみたくなりました。特に栫井さんの紹介していたDAWNは早く読みたいと思います。dividualismが深そうです。自分が高校生の頃、色々なことを頭だけでうにうにと考えていた時にそういえばこんなことを考えていたなあと思い出したからです。
本を読んだ記録をきちんとつけておくことの大切さも今回のプレゼンで改めて学んだ気がします。最近はブクログなどの便利なツールも増えてきたので活用していこうと思いました。
「国富論」「進化論」原典を読んだことがない大学生(しかも慶應生!)ってなんだか恥ずかしいな、と李先生の話を聞いていてふと思ってしまいました。50年前くらいの大学生だったら当たり前のように読んでいたんじゃないかと思います。春休みなど長期休暇にトライしてみたいです。つまるところ、もしドラを読んで「へぇ」と思うのではなくて、「もしドラはここはいいけどこの部分は本書の良さをもう少し出した方が良かったよね」と言える人間になりたいです。
個人論文
論文の概要として、首尾一貫した道筋、方向性が定まりました。
かなり遅めのペースですが、骨子はしっかり決まったと思うので、これからブレたり立ち戻ったりすることはなさそうです。1週間切りましたが、追い込み頑張りたいと思います。
1210①モードとエロスと資本 金光
最新の事象を扱っており内容も身近で重くなく、一気に読めるので是非読んでほしいと思った。
1210ゼミ[矢部]
プレゼンされた本全てに個性があって、面白い本ばかりだなと思いました。金光さんのように本を読んだ後軽くメモしていることはとても良いことだなと思ったのと同時に、なぜ人は本を読むのかという本を読んだ去年からつけ始めたというエピソードを聞いて、とても説得力がありました。メモをつける前にまず、なぜ人は本を読むのかという本を読んでから、本の内容、著者の言いたいことを自分の中にしっかりと落とし込んで、著者の考えているメモをつける理由や意味などすっきりした状態で取り入れていければと思います。
李先生がおっしゃっていたことにもありましたが、確かに学生のうちということもそうですし、ある分野の本質を理解するということは、何においても重要だと思います。李先生の考えている本質である進化論や国富論などの起源にあたるものや様々な時間軸における社会問題(過去、今、未来において自分の周りで何が起きているかということ)を考えるという意味での本質も重要だと思います。
岸本さんのおっしゃってた「過去から見た未来」という発想は、共感すると共に興味深いと感じました。
2010年12月10日金曜日
1210ゼミの感想【高橋】
オススメの本はどれも面白そうなものばかりで、取り寄せたりメディアで借りるのが楽しみです。本貸出争奪戦に負けないようにしたいところです。口コミをよく参考にする性質なので今回このようにオススメ本を教えて頂けて助かりました。「あたり」本のにおいがぷんぷんしてます。
個人的にプレゼン中一番印象に残ったのが、岸本さんがいってらした「昔の人が抱いた未来に興味がある」という言葉。昔の人が技術の発達をみこして描いた未来像はどのようなものなのか。果たして現代と比べてどう違っていて、どう的中しているのか。それを考えることで新しいヒントが隠されているかもしれないし、逆に先人たちから学ぶ新たな視点を養うことが出来ると思い共感しました。
そして、大関さんの『二十歳のころ』について。今年の初めに二十歳になった私はまさに今がその「二十歳のころ」で、もし仮に自分が数十年後同じようにインタビューされたらどう答えることができるか考えるきっかけになりました。自分のやりたいことに打ち込める大事な時期、もっと貪欲により充実した日々を過ごすことによってさらなる自分の成長につなげたいと身の引きしまる思いがしました。
【1210ゼミの感想】読書の冬~春【長澤】
早退してしまったので途中までしか聞くことが出来ませんでしたが、それぞれ紹介する本が全く異なったジャンルのもので、聞いていてとても興味深かったです。
ホンヨミ!以外では小説やエッセー、歴史・考古関係の本くらいしか読まないので、みなさんが紹介して下さったような本は私にとっては新鮮でした。
どうしても好きなものにばかり手を出してしまうので、この機会にみなさんが紹介して下さった本を読んでみようと思います。
冬休みは2週間しかありませんが、学校が始まってもすぐに春休みになるので、“向上心を持って”長期のお休みの間に様々なジャンルの本を読むようにしたいです。
【ホンヨミ!1210①】儲かる会社の作り方【吉田】
本書を初めて読んだのは中学生の時で、その時はただの起業本として捉えていました。最近読み返してみると、組織のあり方について考えさせられる本だと感じました。同著者の本を数多く読んできたのですが、その考え方が最も良く表れている本だと思います。
本書の中でも特に印象に残っているフレーズは以下の3つです。
①新しいマーケットについて
無人の荒野を見て
「ここには誰もいないから商売にならない」
と思ってしまうのか。それとも、
「誰もいないからこそ、無限の可能性がある」
と考えるのか。その違いは大きいと思う。
②営業について
営業のメリットは、顧客やユーザーが
自社製品の対してどんな感想を持ち、
どの部分に不満を感じているのか
といった反応がダイレクトに返ってくること
②仲間について
社長と創業メンバーは一心同体ではない。
大学のサークル風に会社を始めると(中略)失敗の元になる。
また本書を読んで、堀江貴文さん本人に対する考察をしました。そこで感じたのは、堀江さんは素晴らしい「起業家」ですが、「経営者」としては起業家としての良さが逆にマイナスに働いたのではないかと感じました。
起業家として良さである「鋭い洞察」「冷静な判断」「挑戦への情熱」が、経営者としては「才能への自惚れ」「思いやりのなさ」「認識の甘さ」になって現れたのではないかと考えました。
詳しくは本日のプレゼンで。
いろいろな意味で起業に興味を持つ人におすすめしたい一冊です。
【ホンヨミ!1210①】誰がテレビをつまらなくしたのか【長澤】
インターネットを利用する人が増える一方で、テレビの視聴時間が減ってきている。
原因は“テレビがつまらないから”だろうか?
そうだとしたら、何故つまらなくなったのだろうか?
この著書は初版が2005年なので、過去から今現在を未来として予測した本である。
確かに、私も昔に比べてテレビを見なくなった。
もともとテレビをそれほど見ない家庭で育ったが、それにしても小さい頃はアニメやNHK教育テレビなどを見ていた。
最近では、1日に30分もテレビを見ない。
私がテレビを見ない理由としては、“面白いと思わない”というのが一番だ。
また毎日チャンネルを回してみても、同じような番組ばかりであると感じてしまうからだ。
同じようなタレントや芸人が出てきて、騒いでいるようなイメージである。
この著書でも「テレビと品性」の問題が取り上げられている。
お笑い番組や大食い番組のような、品性の無い番組が増えているのではないか。
最近では食べ物を粗末にしてはいけない、というところから大食い番組はかなり少なくなった。
また、テレビを見ている人に「感動」や「面白さ」を押しつけているようにも感じる。
視聴者よりも出演者が楽しんでいるのではないか。
出演者たちが楽しそうにわいわい騒いでいるが、見ている側としては、何が面白いのか全く伝わってこない。
この著書に掲載されている視聴者の声にこんなものがあった。
「かつてNHKは、私にとって信頼であり、感動であり、安らぎであった。正しい日本語で、確かな情報源で届くニュース。静かで感動的なドラマ。淡々と描くドキュメンタリー。押しつけがましくない娯楽番組。どれも余計な演出がなく安心して見られた。全分野の番組に品格があったのだ」
私もまさしく同じことを感じていた。
騒がしく品の無い民放の番組に比べて、NHKは安心して見ることが出来る。
だが、そのNHKまでもが最近では民放化してきているように感じられる。
どんどんテレビを見る人が減ってきている中、このようなテレビ番組の質の低下・マンネリ化が進めば、より一層視聴者は減るだろう。
視聴者のテレビ離れを防ぐためには、新たな技術を導入することも大切かも知れないが、まずは番組の質の向上・多様化を考えるべきではないだろうか。
もし私がテレビ局の職員だったら、少なくともそこから手をつけるだろう。
ホンヨミ② 「話を聞かない男、地図が読めない女」
ホンヨミ①【黄】「ダイヤモンドより平和が欲しい」
2010年12月9日木曜日
【ホンヨミ!1210②】トリプルメディアマーケティング【高橋】
読みやすい、面白い、わりと新しい(2010年7月刊行)。おすすめです。
①トリプルメディア
買うメディア、所有する(自社)メディア、ソーシャルメディアの3つを指すことば。これらを巧みに連携させてマーケティング活動全体をデザインすることが求められている。消費者インサイトが重要となるなか、特にソーシャルメディアの出現によって「関わり」「絆」「評判」というサイクルが出来上がった。より身近に消費者を感じられるシステムになっている一方で、広告というものにもはや見向きもしなくなってきているのが現状としてある。その課題を解決するために広告をだす側はいかにして消費者を巻き込んで「おしつけがましくない」宣伝活動を行うことができるかが試されている。
②行動ターゲティングとリターゲティング
ユーザーの興味関心を特定し、対象者だけに広告を配信する仕組み。関連情報しか得られないのではないかと思う一方で、COACHのPOPPYがブレイクしたきっかけがCOACHファン限定先行配信情報があったことが一つの要因だとされていることに気付き、ファンだけが得られる「優越感」を敢えて味わせるということも手段となりうるのかと思った。そこでリターゲティング(再訪問)を促す手法)につなげることも十分に考えられるだろう。
③自分事化・仲間事化・社会事化
自分のための情報だと思わせることが「自分事化」、社会の一員である、あるいは属したいと思わせるのが「社会事化」、自分たちのための情報であったりその仲間に入りたいと思わせのが「仲間事化」。
すべての項目をクリアしてはじめてソーシャル性を生む大きな印象を与えることができ、メッセージ性の強いものにすることができる。そのアイディアたる解決策はまだまだ発展途上の段階である。しかし、そうやって社会が連携していく流れの手助けを企業を利益と併せて追求できたら面白いと思った。
【ホンヨミ!1210①】Webマーケティング/広告戦略のセオリー【高橋】
Webプロフェッショナルのための黄金則
SEO・ソーシャルメディアやブログからメールアフェリエイト・PPC・コミュニティ・のビジネス活用
タイトルの惹かれて借りたら結構技術的なことがかかれていて後ずさりしてしまいそうになりましたが、企業側のWebマーケティングについて読めて新鮮でした。デジタル展開する経営者が読むのに最適な本だと思います。
①コーズマーケティング
コーズマーケティングとは、営利企業が非営利団体を何らかの形で支え、そのような活動を支持していることをマーケティング上の優位点とするもの。コミュニティに参加するため、そしてマーケターがコミュニティに貢献するための方法としてとられる。
これはCSR(企業の社会的責任)に通ずるものがあると思った。非営利団体は財政的支援を受けられる一方で、営利企業は社会貢献といったプラスイメージを消費者にもってもらうことができて、認知度・好感度に繋げることができる。企業イメージが高ければ、競合他社に差をつけることができる可能性が高い。Web上では十分にまだ行われていないとされているコーズマーケティング。Web進出がどんどん進んでより消費者とのインタラクションが活かせる日が来るのではないだろうか。
②行動ターゲティング
行動ターゲティングとは、Web上での行動の履歴に基づいて広告を表示すること。
プラス面:関連情報を探していた人々に対して、その内容とは関係のないサイトまたはブログにいる時にも広告を表示できること。
マイナス面:潜在的な不正確さとプライバシーに対する懸念。
まさに個人論文に通ずるとこだが、読んでいて考えたことは関連情報だけで私たちは満足するのだろうか、ということ。まったく関係ない広告だけど目にしたとき気になるきっかけづくりになることだってある。また、関連情報を探していると予見することはその正確さに疑問を抱かずにはいられない。
行動ターゲティングは一見win-winのように見えて、いくら広告といえども視野を狭めてしまいことを誘因しかねないだろうか。
③偶発的なマーケティングの可能性
カスタマーレビューは検索結果での見つけやすさに貢献し得る。検索エンジンが見つけ、Web世界全体に露出することを想定した上でレビューを書くとこで間接的に宣伝につなげることができ、口コミの先駆けとなれるかもしれない。自己宣伝はすべきではないが、上手く実行できたら一つの宣伝の機会にすることができる。マーケティングを意図してレビューを書いたわけではなくても結果的にマーケティングに繋がればそれは「偶発的なマーケティング」なのである。
1203ゼミの感想 【吉田】
加藤さんのお話を聞いて考えたことは以下の通りです。
①日本は中国より閉鎖的か
今回のゼミの中で、加藤さんが冒頭におっしゃっていた日中両国の閉鎖性の問題が特に印象に残った。加藤さんの「日本の方が中国より閉鎖的」という発言に対してゼミ生や金先生から多くの意見や反論が出たが、私は「閉鎖的」という言葉の定義が両者の間で異なると感じた。「閉鎖的」という言葉で、ゼミ生・先生が「政府による抑圧」がある状態(言論統制や官製ナショナリズム)をさしたのに対し、加藤さんは「空気」に代表される目に見えない「慣習による抑圧」をさしていた。それは単純な言葉の行き違いではなく、生活している環境から来る着眼点の違いであるのではないかと考えた。
②着眼点の違い
私たちが住む日本は、世界基準で見れば「自由」と「民主主義」が一応最も進んでいる国の部類に入る。生まれてからずっとこのような環境にいる人にとって、「自由」と「民主」は最も「基本的」な権利であり、それがないところは暗黒な世界であると考えている人も多い。しかし、そのような「基本的」な権利ですら「政府による制限」を受けている国は、決して絶望が支配するような暗黒の世界ではなく、人々は制限の中での最大限自由でいようと努力している。抑圧的のある国にいるからこそ、人々は可能な限り自身の境遇を変えるようなりふり構わず努力している。そして、自分たちが持っていない外部のものを進んで受け入れようとする、そのことを加藤さんは「オープン」と表現したのではないだろうか。逆に加藤さんみたいに「政府による抑圧」のある国に住んでいる人だからこそ、そのような物理的な障壁がない日本において、人々が積極的に行動しないという現状に強い違和感を感じたのではないだろうか。そして、「慣習による抑圧」という潜在的な障壁の存在のだろう。
コミュニケーションを行うには相手の住む世界を想像する力が必要なのだと改めて感じた出来事であった。
③肉食であれ
加藤さんのお話を聞いて一番強く感じたの自分がまだまだ「肉食」ではないこと。帰り道加藤さんから人脈
構築術について教えてもらったが、自分からもっと攻めて行けば、新しい世界が開ける改めて感じた。
これを機に自分の日々の姿勢について改めて考えさせられた。
●インタビュー
ゼミの後、以前インターンをしていた議員事務所の学生勉強会の忘年会に取材に行きました。
代議士本人や秘書にインタビューを行ったところ以下のことが分かりました。
①選挙期間中のインターネット利用の解禁について
解禁については既に民主党内及び与野党間の合意ができており、来年の4月の統一地方選に間に合うような形で公職選挙法の改正が行われる可能性が高いとのお話を伺った。その一方で、現在のねじれ国会の中で公選法改正が取引材料として使われる可能性が高く、また予算や不信任案などより重要度の高い事案の審理のために、公選法改正が時間切れで審議されない可能性もあるとの指摘も受けた。
②議員事務所のソーシャルメディアキャンペーンへの関心度
関心はあるようだったが、情報の伝わり方を完全に管理できないことへの心配もあって導入にはあまり積極的出ない印象を受けた。双方向のソーシャルメディアの有用性に対する認識がまだ低く、情報の内容を管理できるホームページなどの一方通行のメディアで十分という意識が強いように感じられた。2008年大統領選挙でオバマが行ったようなようなキャンペーンは、政治関心が低く、地域的団体のパックアップによって選挙活動を行う日本では厳しいとの指摘を受けた。
③若い世代の政治的関心について
若い世代の政治的関心が低いとの指摘を受けることが多いが、一議員の勉強会に30人を超える学生が集まったことなどをみると政治関心を持つ学生は世間の認識よりも多いように感じられた。若い世代が政治参加する方法を提示することができれば、より多くの人が参加すると思う。
2010年12月7日火曜日
1203ゼミの感想 田島
常にぐるぐる頭を回すことが必要とされ、大変刺激になりました。中国(外国)と日本、本当はどっちが閉塞的か?というテーマは特に興味深かったです。私は、日本は組織的であることがいいことだという強迫観念が強すぎるのではないかと思います。だからみな和を尊んで行動し、企業に就職しにくくなった今、学生は失敗すればまるでこの世の終わりを向かえるかのような焦燥感に苛まれています。組織に頼らず個人として自立した成功モデルがもっと一般化することで、日本人の閉塞感は変わっていくのではないでしょうか?
来て頂き本当にありがとうございました!!
(NC)
議論をするとき、課題設定を厳格にし、それをしっかり示すことができるともっと良かったかなと思いました。長澤さんは今回声も出なくて悔しい思いをしたと思うので、是非これからもっと良いものを目指してほしいなと思いました。
次世代テレビに関してですが、私にはやはりテレビがアマチュアコンテンツの集積地になるという未来は考えにくいと思いました。テレビ放送には規制のもとに公共性が保たれており、アマチュアも入れてしまうとテレビという視聴スタイルのブランドが地盤沈下してしまうのではないでしょうか?
2010年12月6日月曜日
【1203】ゼミの感想【山本】
次世代テレビに関して、今まで気になってはいたものの全く知識がなかったのでとても勉強になりました。
今回は、「次世代テレビは普及するのか」といったフェーズに終止してしまいましたが、実際どのようなコンテンツが適切であるかなどの議論もいつかしてみたいなと思いました。
テレビやカーナビなど様々なソーシャル家電が普及していますが、家電はどこまでソーシャル化するのかといったことも気になります。
また、議論の仕方ですが、今回の議論では“既存のコンテンツか、アマチュア作品なのか”“課金なのか無料なのか”“現在の状況なのか理想の状況なのか”といった様々な要素が曖昧に議論されている節がありました。より構造化して議論することで、より生産的に様々な議論を繰り広げることができるのではないかな、と思いました。
2010年12月5日日曜日
あと3回を過ぎ…
カウントダウンができる数になってから気合を入れなおすのではなく、毎回毎回を新たな気持ちで緊張感を持って臨もう、と心に思ってはや約一年。
残り二回もさらなる充実を求めたいと思います。
タイムプレッシャー
ゲストに加藤嘉一さんをお迎えしました。
事前情報と実際の印象がこんなにギャップがある人は初めて、というくらいの驚きを感じました。それほど、自分の考えを”生きた”言葉としてエネルギッシュに全身を使って発信をしているような印象を受けました。でも自分だけ話し続けるのではなくて周りも巻き込み、話も聞き、ゼミ全体が”加藤ムード”に巻き込まれました。戸惑うゼミ生もいるように見えましたが、私は、この雰囲気にのってみよう!と思わされました。早口でどんどん次へ話題が転換するのでいつもの何倍もの速さで自分の考えや疑問点をまとめました。大変にも思いましたがそれでも必死に食らいつこうとすることで疑問がどんどん生まれました。タイムプレッシャーによってかえって集中して思考できたし、発言しようと積極的になれたし、はやい 分同じ時間でも物理的に多くの情報に触れることができました。のらりくらりとやるよりも集中して自分を追い込むことのパワーを知りました。
知識関心の幅
加藤さんはどんな質問でもいい、どんな内容の意見でもいいとゼミ生に話しかけました。何に対しても広く関心を持ちそれらに対して自分オリジナルな意見を持つこと。私の今の課題でもあります。
面接とは・・・
余談ですが、今日はメディアコムの面接官をしました。
受験者のみなさん、運営に携わったみなさま、お疲れ様でした。
面接で評価する側の経験は、とても勉強になりました。面接をしながら自分が感じた点はメモしました。ここに書くことは控えますが、興味のある人は声をかけてください。
【1203】ゼミの感想【栫井】
非常にエネルギッシュな方で、その場その場を勝負として捉えていらっしゃるように感じた。
ゼミの場に対し、招待客のお話ではなくフラットなディスカッションを求めてくださっていて、良い緊張感が生まれていた。
中国の学生は、政治に興味を持っている訳ではないけれど、政治について熱く議論する。しかもTwitterなどインターネットサービス上で。
基本的に議論の場とはなりにくいと云われるインターネット。正直、Twitterでまで興味の無いジャンルで議論するとは、中国の学生はよほど議論好きなのだろうなと感じました。
わたし自身、Twitterでは選択同期的に好きな話題に対してゆるくレスポンスすることを好みますが、それを議論とは呼べないですよね。
政治に関しては、わたしの無知ぶりは度を越えているので議論は出来ません。でも、研究分野や興味範囲に関しては、顔を合わせればずっと議論し続けるような コミュニティは持っています。日本の学生は恥ずかしくて議論を口にしないのではなく、興味があることに対してはとことん議論出来る人は多いんじゃないかと 感じます。特に興味がニッチに細分化している今、議論も狭く濃いものになっているのではないかと。議論は手段なので、それで良いんじゃないかなと思ってい ます。
更に言うと、政治も手段な訳で。管さんありきで考えるから、下らない発言問題がクローズアップされる。自分の関わる分野があって、それに関する政策について議論するのが健全なんじゃないかと思います。だからトピックで語るニコ生などの姿は好きです。
もし日本の若者が議論出来ないなら、それはそもそも、強い興味を持っていないことが問題なのではないかと思います。例えば、しゅーかつに追われて好きな研究が出来なかったり。安定思考で必要最低限のことだけを望んでいたり。
その上で、他国に負けないような議論力を付けられたら、国際社会でも日本は生き抜けるのではないでしょうか。とは言っても、他国・自国とか政治的に考えるのは好きではないのですけれど。
【NC・次世代テレビ】
ウェブ時代において、既存のメディアがどのように形を変えていくのか。
とても面白いテーマ設定だったと思います。
今は分離しているパソコンとテレビが融合するとき何が起こるのか。
興味のある分野とリンクしている話だったので、場の空気を読まずに向かいました。
ただ、個人的に次世代放送の在り方について考えてしまっていたので、少しずれてしまったのかなと反省です。
今回強く感じたのは、議論をファシリテーションするときに大事なことは、「何について、議論しているのか」を明確にしてやること。
そしてそれを、自分の言葉で説明すること。
当たり前のようでなかなか難しいことだと思います。
今回のNCは、人数が少なかったり先生がいらっしゃらないこともあってか、全員が参加しているNCだったように感じました。このくらいカオスな方が面白いのかもな、と思ったり。
【メディアコム試験】
今日は入所試験でした。わたしは先生の下で金光さんと一緒に面接官をやらせていただいたのですが、とても面白くて貴重な経験でした。
人に自分の思いを伝えるということ。
抽象的な話は綺麗だけれど、響かない。
就職活動を前に、自分の問題意識をもっと明確に、具体的に語れるようにならなくてはと実が引き締まる思いでした。
2010年12月4日土曜日
【ホンヨミ1203】シティズンシップの教育思想【田島】
あなたは、「学校の先生」という存在をどうとらえますか?先生には何が必要だと思いますか?
専門的で思想的な偏りのない知識と言う人もいるし、金八先生のような大人の見本としての道徳観や指導能力を求める人もいる。あるいは、その両方だろうか。「教育とは家庭・学校・地域の三つの場で行われるもの」とされているが、核家族化や地域のつながりの消滅によって、学校が子どもの経験するほぼ唯一の集団生活の場になりつつある。「知識の教授」に加えて「社会人の育成」など、教員は社会に多くの役割を期待されている。
本書は、なんと古くは古代ギリシャのソクラテスから現代に至るまで、「先生のポジション」がどう変遷していったかをまとめた本である。非常にわかりやすい文章でするする面白く読めるようにまとめてあるので、教育学に興味がない人でもまったく問題ないだろう。
特に興味深い部分は高度経済成長期→バブル崩壊→現代に至るまでのポジションの変遷の分析である。教育には生徒のモチベーションを上げるために「勉強した先にあるもの」が必要となってくる。具体的には、「勉強したらいい就職ができる」といったようなユートピアである。しかしバブルがはじけて日本の雇用が悪化するとそのユートピアが消失し、教員は「学校教育の無力さを自覚しながらも、生徒の前ではその正統性を主張しなければいけない」というシニシズムに陥ることになる。経済状況と学校教育の在り方は、関連ない風を装っているが実は深い相関関係にあるということがとても興味深かった。最近議論されている「就活長期化問題」もそれが顕在化した一例であると言っていいだろう。
1203 ゼミの感想 【矢野】
議論の仕方についてだが、次から次へと目まぐるしく話題が変わり話者が変わり抑揚もついて面白い議論だった。(吉田君の仕切りも非常にナイスでしたが)加藤さんはこれがもはやグローバルスタンダード的なことをおっしゃっていた。とにかく他人を差し置いてでも自分の主張ができなければダメ、これぞ本当にvoice or die の世界だ。私はこういうマシンガン的に自分の考えていることをどんどん口に出すのは性格的にも得意な方なのだが、最近は議題に対して逸れたこと、論理性に欠けることまで平気で垂れ流すのならば黙っていようという思考が強かったので、今日は少し困ってしまった。あのスピードで論理性のあり、かつ皆が発言する中で人の頭に残るような質問や発言ができなければこれからのグローバル社会の中でだめなんだな、と感じた。去年自分が参加した国際会議で中国の学生がガンガン手を挙げて発言していたことを思い出した。
また、若者と政治の件については非常に考えさせられた。ここまで個人的な情報発信(しかもある程度の母体数にアプローチできる)が許容され、ツールが誰の身近にも転がっている時代なのに、日本人は意見交換の場所としてはあまりそれらを活用できていない感があった。また、政治に傾倒することが完全に怪しい、変な人、分かり得ない人のようなイメージが先行していている。これだけ政治と若者を繋ぐインフラ(Twitter)はできているのだから、お互いに歩み寄る工夫が必要だと思った。
<次世代テレビ>
結局テレビとPCの違いはハード面なのでは?と感じてしまった。見え方とか画質とか。
ただ、テレビという少しOfficilaなところに持っていくだけで課金が変わるかもしれないというのは非常に魅力的だと思った。
ゼミ感想 1203 【黄】
エネルギッシュ、気さく、目力!これが私が加藤さんに対して抱いた第一印象だった。めまぐるしく変わる論点と、鋭い指摘ににつつまれたディスカッションの場には、普段とまた一味違うワクワクがあった。
「中国とは・・・」と一味でくくるのが何故ナンセンスなのか。日本で放送されている姿と中国の本当の姿はどれくらいギャップがあるのか。また、日本のほうがよっぽど閉塞感があるという話。話を聞きながら、ふと、自分が日韓関係で感じているギャップと似ていると思った。
「韓国人は・・・・」とくくる事はできないし、日韓の中でたくさんのギャップを感じる。結局、日韓、日中、そのどの国においても他国の人がその国を完全なギャップなしに理解するのは不可能なんだろう。じゃあ、それはそのまま放置していいのか?それは違う。加藤さんがおっしゃっていたように積極的に海外に出て、様々な価値観に触れ、自身の母国を客観的に見つめながら、そのギャップは縮めていくべきだろう。
それからもうひとつ。改めて再確認したのは、自分のやりたいものが見えている人はキラキラしているという事。自分の道を見つけよう!自分の好きなことを・・・
②次世代テレビ
結局インターネットとテレビが融合されるもの。たしかにハード面において、パソコンの画像がテレビのきれいな画面で見れるというメリットは大きいのかも・・・。でも、どうなんだろうな?と思う。なぜなら自分が欲しくて買う姿が想像がつかないからだ。これからの課題をどう解決していくのか注目していきたい。
1203ゼミの感想【高橋】
中国語もできない、中国に知り合いもいない、中国の通貨さえ持っていない。そういったまさに0からのスタートで未知の世界に飛び込んだ加藤さんのバイタリティーは並大抵のものではないと思っていたが、実際にお会いしてお話を伺ってまさに中国色に染まっている感じがし、ものすごい努力をされたことと感じた。私の知る限り、中国人の友達はみんなまさにアグレッシブで自分の意見をしっかり持っている人たちで、加藤さんの言う北京大学での質疑応答の光景がとてもよくわかった。ただ単に国民性・文化の違いという言葉だけでわかった気になって、なぜそもそもこんなにも日本と違うのか考えたこともなかったが、その発言力の違いは、情報規制がある中で何が本当なのかを常に問い続ける姿勢から起因していることが一つの要因だと知ることができた。日本ではメディアが第4の権力と称されるほど強大な影響力をもっているとされている。私たちは日ごろその情報を鵜呑みにしがちだ。しかし、中国は違う。与えられた情報だけがすべてではないことを理解していて、それに対して疑いの目を常に持っている。それが当たり前になっているからこそ全体的にみてこれほどの違いがあるのではないだろうかと思った。
日本を一歩出たらいくらでも自分を「日本人」と自覚せざるを得ない機会がたくさんあって、そこでは必ず自分の意見が求められる。そしてそれはしばしば「私個人の意見」というよりは「一日本人としての意見」と受け止められることが多い。日本のことをもっと知りたい、それでから世界に目を向けたい。自分が日本の大学で政治学を学ぶ目的を思い出すことができた良い機会でした。
お忙しい中お越し頂きありがとうございました。
②NC:次世代TV
スカパー!などケーブルチャンネルに月額料金払って利用していることを考えれば、クリエイターと視聴者の間でinteractionがあってそこに報酬として料金が支払われるのはキー局独占状態のTVの改革に繋がる可能性があるのかもしれないと思った。しかしながら、一口にクリエイターといってもプロとアマの差は歴然で、ケーブルに流れるものはあくまでプロが創ったものであるから料金が支払われているのであり、アマチュアが創った政策物を果たしてネットでは無料のものをTVの高画質・大画面という利点だけで視聴者側から料金を徴収するかは微妙なとこだと思った。ニコニコ動画は個人の嗜好に合わせて楽しむ、YouTubeはPVなど比較的Officialなものをみるときなど使い分けることが多いと思うが、それをわざわざTVで他者(多くは家族だろう)と共有することを本当に私たちは好んでするだろうか。
技術的には可能なことだと思うが、課金システムなどお金の流れに若干の疑問を持たざるを得なかった。それでも、時代は進化していて、「絶対にありえない」ということは絶対にありえない。一見実現しないように思えるものでも、人々が受け入れてそれが当たり前になればそれは爆発的にヒットしてしまうものである。どう人々の間で伝播して、明確な料金システムが構築されるか。2008年のフォーラムからまだ2年の現在。2015年までのあと5年。一体どう進化しているのだろうか。25歳になった自分が新しいTVの在り方に順応しているのか考えるとなんだかわくわくした。
2010年12月3日金曜日
【1203ゼミの感想】プレゼンター【長澤】
最近よく中国や韓国・北朝鮮関係のニュースを新聞やニュースで目にしますが、それらの与えられた情報を鵜呑みにしてしまっていました。
加藤さんが仰っていた北京大学の学生のように、まずは与えられた情報を疑うように心がけたいです。
それからもう1つ見習いたいのが、勉学に対する貪欲な姿勢です。
「質問する」というのは金ゼミでもずっと言われてきていることですが、どうしても私は昔から出来ませんでした。
「空気を読む」ということと「質問をしない」ということは別の問題だと思うので、これからは少しでも積極的に質問をするようにしようと思いました。
【NC】
初めてのプレゼンターということで、テーマ設定の段階でかなり悩んでしまいました。
今回の「次世代テレビ」は一番興味がある題材だったので、今回のテーマに設定しました。
ですが、NCの流れやディスカッションの論点を考えていく上で、結局自分が最終的に何を発表したいのか、知りたいのか、ということが自分でも分からなくなってしまいました。
そのために、最後のディスカッションでは皆さんを混乱させてしまって、申し訳ありませんでした。
私自身も若干混乱してしまっていたのですが、そんな中皆さんが沢山意見を出して下さったので、とても助かりました。
ありがとうございました。
自分にとって新鮮な考えを沢山伺うことが出来るとてもいい機会になりました。
今回のNCをきっかけに、もう少し今回のテーマについて自分で考え直してみようと思います。
【ホンヨミ!1203】ウィキノミクス【栫井】
【ウィキノミクスの効果】
ソフトウェア(コンテンツ)の作成・エラー修正・口コミなど全てをユーザーが担ってくれる
→ 広告も自分たちで担う
手軽に新しい試みを行える。反応を見てブラッシュアップ出来る。
→ WEBのβ版文化に則っている。この過程を経て作品が大衆に最適化していく。
定性調査とプロトタイプマーケティングを安価に手軽に行える。
問題解決のスピードが上がる
参加人数が増えるので、問題解決の断片の数も増える。
全く違う観点からの問題解決
コラボレーションのパートナーを幅広く捉える。
【知的財産権・金銭関係】
ピアプロダクションは、知的財産権を解放している。
最初のプロダクトは知財権を解放して、集合知の中に置いた方が発展が早い。これはウィキノミクスの基本。
ピアで作ったものを核として、周辺に経済効果をもたらしている。ベースとされて派生コンテンツが作られたり、整理されてパッケージ化されたり。その過程でお金がとれる。
トーバルズ「オープンソースは公共財」「基礎が全て存在する状態で、付加価値をどうつけるかで競争が生まれる」
少し違うけど、クリエイティブ・コモンズでも似たようなことを言っていた。基本となる公開があった上で、アートは売れるし普及すると。
ニコ動の作家が、作品をオープンに公開して派生作品などが生まれて認知度が上がった結果、新曲をCDパッケージ化したら売れる、とか。
【リミックス文化の条件】
P2Pネットワークの整備、デジタル機器の価格低下、オープンソースのソフトウェアの発達、手軽な編集ツールが作られた、記憶容量の価格低下、手頃な帯域価格、が揃ったこと
→
この中で育ったデジタルネイティブは、創作の楽しさを知っている。
ネット世代にとっては創作は当たり前。
バーチャルなコミュニティの中で育ってきたため、何かを発信することに慣れている。
放っておいても創作活動を行う。
【ウィキノミクスの難点】
- 長期的なインセンティブがない
E★も、コアに創り続けている層は少ないという話があった。
プロの作家が創り続けるようにマネジメントしているのは編集者。
だが、作品がオープンで作家の数の多いネット上だったら創作の持続がされるべきなのは、クリエイター個人というよりもコンテンツ自体。
仲俣様のお話にもあったが、クリエイティブは動きが止まったらそこで終わってしまう。いかにして創作が持続的に行われるか、次の創作に結びつける橋渡しをするのも編集の仕事ではないだろうか。
データ保持者が保護されない
「オリジナル」とは何か、ということについて触れておいた方が良いように思う。
権利の話について触れるとしたら、一番最初のものを創った人の権利なわけで。
フリーライダー
UGEの概念を深めると、フリーライダーという概念はなくなるのではないか。
プラットフォーム内にいれば、様々な形で作品に貢献できるようになる。
閲覧して簡単なコメントを残すこと・気に入った作品をふぁぼること、それも編集としてアーキテクチャ内で位置づけることで、直接作品を創作せずとも「ただ乗り」という考え方が変わる。
ホンヨミ!1203①ぼくの複線人生
私が好きな本、『だから人は本を読む』の筆者が自分のこれまでの人生を自伝的に描いた作品。
ちなみに幼稚舎から慶應で学ばれた方で、私たちの先輩にあたる。
プレジデント2010.8.30号”自分が変わったこの一冊”の特集で、筆者は、「お忙しいのによくそんなに多くの本を読めますね」というインタビューに対して「いくら忙しくても顔を洗う時間があるのと同じように本を読む時間がある」と答えていらっしゃる。
自分は本を読む時間がないと言い訳をすることができないと恥ずかしくなり、同時にそんなに本がお好きなんだなということを感じてとても印象的だった。
複線人生というのは、多くの関心を持ち、それらが相互にかかわって良い結果を生むこととして書かれている。多くの本を読み本を通じて多方面な知識を蓄えたり疑似体験をするだけでなく実際にご自身が多くの趣味を持ちそれを行動されていることがとてもよく分かった。
常に新しいことにもオープンで、周りの目を気にするよりも自分の信念を信じて多くのことに取り組まれる姿勢が貫かれていた。
一冊を通じて、一人切りで思考する時間(読書でも可)を持つ、そしてやるときはがむしゃらに取り組む ことが大切なのだなと感じた。私の毎日なんて筆者に比較すれば全く忙しくない。毎日活き活きとメリハリのある毎日を送ろうと思わされた。
ホンヨミ②【黄】メディアを教える レン・マスターマン
【ホンヨミ!1203②】クリティーク多文化、異文化【高橋】
①市場の社会的深化
Globalization=「すべての国に自由市場資本主義経済の浸透」だと定義されている。つまり、経済的な影響からGlobalizationがおこり、市場が社会的に浸透することで文化と経済の相互浸透がおこるとしている。国家と市場が新しく複合的な方法で絡みあうこと。人の移動に経済が深く関わっていて、その範囲が広がることで多文化がもたらされ、ゆえにGlobalizationたる現象がおきる。
②「日本人論」
「日本人は勤勉で控えめで平和主義で○○○…。」などといった「日本人論」という勝手な決めつけは繰り返されることによって再認識され再強化されどんどん根付いていく。これこそが「エピソードに基づく一般化」なのである。この理論が持ち出される度に悪循環を招いているのである。これは決して日本人に限ったことではない。どんな集団に所属していても、個人を大きな枠組みに当てはめて一般化することは固定観念へ繋がり、やがてそれは偏見になってしまう危険性が大いにある。私はなるべく偏った見方をしたくない。特に人に対してはより強くそう思う。一般化を安易にしてしまわないように自ら気をつける重要性を知った。
③文化的統合と社会的統合
文化的に統合されていても、雇用などの面において社会的にはまだ統合しきれていない部分がある。たとえばフランス。アフリカ系やトルコ系などの移民が多い中、雇用の面でまだ統合しきれていない問題が深刻になっている。社会的に統合するためには、自分意外の誰かに想像を及ぼすことが人間である上で最も重要であるし、共生の大きな一歩に繋がることとなる。
2010年12月2日木曜日
ホンヨミ①【黄】メディアリテラシー・ワークショップ
1126 ゼミ感想
【ホンヨミ!1203①】環状島【高橋】
①外側・内側
環状島モデルを用いて、その構造の内側と外側で区分けして当事者と非当事者を分けて分析している。例えば移民や先住民族など、国内では「よそ者」扱いされる人々を内側にしたとき、内側にいる人たちはどうしたって逃れられない状況にあるが、外側の人たちは支援者であれ傍観者であれ自ら簡単に手を引くことができる。傍観者で無関心でいることが一番危険なことで、「相手にしなければよい」「関わったらロクなことがない」という言葉は両者の溝をさらに深めてしまうだけになる。しかしながら、支援者は勝手に当事者のことを決めつけている可能性もある。例えば人権団体がアフリカの女子割礼を人権侵害だとして廃止を「支援」する動きがあったとき、割礼されている側のアフリカ女性たちは「名誉ある行為」であるのに勝手なことをするな、と「支援されている」側であるはずの方から反発を受けた事例がある。おしつけがましい「支援」となってしまっていて、勝手に当事者のことを決めつける自己満足に他ならない場合もあるのである。しかしながら、彼らがいることでissue化されて世間に問題提起をすることを可能にしているのも事実である。傍観者にせよ支援者にせよ、自分次第ですぐに手を引くができるのが当事者と決定的に違うところであり、その立ち位置たるpositionalityを私たちは自覚する必要があるのだ。まったくの無知無関心はパターナリズムを生みやすいのである。
②グレーゾーン
当事者・非当事者を併せ持つのが「グレーゾーン」の人々である。個人的に自分はここに属する人間なのかなと思った。生まれと育ちが一致するようで微妙にしない、どこで育ったかといわれると返答に少し困ってしまう、いわば根なし草だからこそ日本では異質者とみられたこともあり、外国でも異国からきた人ということで良い意味でも悪い意味でも差別された経験があるからだ。ただ日本国内にいると細かい話までしない限り「傍観者」であることが多い。どちら側にも立てるゆえに簡単にどちら側にも転ぶことができる。このゾーンに属するからこそ両者の橋渡しに貢献できる可能性があるのではないかと本書を読んで思った。
③投企的同一化
しかしながらグレーゾーンだからといってすべてを理解できているわけではない。投企的同一化をすることによって当事者の思いまで理解できる場合もあれば、自分の経験と照らし合わせて考えて、支援者同様勝手に自分に置き換えて決めつけてしまう危険性も孕んでいる。本当に被害者・当事者の位置に立てているのだろうか?自分のフィルターを通して決めつけていないか?これを常に問い続けなくては見失ってしまうだろう。
多文化共生、社会的統合。本当の意味での相互理解とは何か。
2010年11月30日火曜日
1126ゼミ感想【斎藤】
ただ漠然と知識を集めるのではなく、それらのうちどこが問題点となりうるのか考えつつ作業を進行していくことが大切だとつくづく実感しました。そういった、姿勢は論文だけでなく全ての場面において有効なことだと思います。例えば、前回のゼミでは黄さんへの質問を僕がした後に、その内容を踏まえて戸高さんがさらに質問をされました。僕の話を理解し、さらにその質問では足りなかったものを自分が次の質問としてぶつけるという姿勢を持たれているのだなと思いました。ただ漠然と人の発言を聞いているだけでは、そういった相乗効果は生まれません。
また、金先生が日頃から仰っていることですが、どんな初歩的な質問であっても恥じたり遠慮せずに相手にぶつけることが必要だ、ということも改めて実感しました。僕自身の質問はかなり簡単なものでしたが、それをキッカケに戸高さんの質問を呼び込めたという意味では、相手へのFBという点に加えて場に対して更なる議論の要素を提供できるという意味で価値を生んだと思いました。それに加えて、僕が「たしかに、それもそうだけど、こんな考えもあるよね。」と三重に被せていけたらゼミの雰囲気も他者の発言を聞き逃すまいという緊張感が生まれると思います。
②発言に責任を持つ
言葉が口から出た瞬間にそれに対して責任を負わなければならない。これはゼミ生全員にたいする先生のアドバイスだとおもいました。それは、どこかの情報源で裏付けされたものだけを発しなさいということではないと思います。先に述べた事とも重なるのですが、自分の発言に意味を持たせなさいということなのではないかと解釈しました。何故、そのように発言するに至ったのかそのプロセスを大切にしたいなと感じました。プロセスとは、場の一連の議論の流れ、それまでの議論で感じたこと、日頃からの問題意識など様々に定義づけられます。プロセスを少しだけでも大切にすれば、ぐんと発言の質は向上できるし、その余地が自分にはまだまだあるはずです。
話は少し脇道にそれてしまうのですが、最近ある講演会でとても美しい言葉を使う方に出会いました。慣用表現や四字熟語などもその場に適したものを選びわけて使っていました。やはり、日本人ならではの表現を使いこなす人は魅力的に見えます。僕自身はメール等で笑いの感情を”w”で表現してしまいますが、そういった表現を完全に辞める必要は無いにせよ、引き出しとして使える言葉や表現をもっと増やしたいと思います。
③覚悟
OBOG会で感じた事なのですが、社会で働いている先輩方はどこかしら僕たちを含めた世間一般の学生よりも目が輝いていました。他のゼミ生のブログでも”キラキラ”と表現してありましたが、まさに同感です。何故輝いて見えたのか、何故キラキラしていたのかを少し考えてみました。僕が思うに、先輩方と僕の決定的な違いは覚悟があるかないかということです。大変な事もたくさんあるけれども自分が選んだ仕事なんだから、そこで精一杯やるしかないといった覚悟です。反対に僕は、これから自分がどういった生き方をするのか、どんな職に就くのかという大きなテーマに惑わされてしまい覚悟が決まっていません。腹をくくるという言葉がありますが、そういった潔さを先輩方はもっているように感じました。今、自分がすべき事はどんな大学生活を送りたいのか、今できる事は何かをハッキリさせる事ではないかと思いした。
1126ゼミの感想【山本】
5期の方々のプレゼンを伺っていると、SNS関連のテーマが多い印象を受けました。
最近、幾つかの業種の方々とお話する際にSNSに関する話を振ると、“もうSNS市場は飽和状態でしょ。”といった意見を度々耳にします。飽和状態なのか否かは一先ず置いておいて、そこまで言わせしめるSNSの存在感はすごいなあと感じつつ、一方で“消費材などの海外製品はそれぞれの国にローカライズする際かなり時間や資金コストがかかるのに、海外で出来たSNSはこうも容易に私たちの生活に溶け込むのか”といった疑問がありました。例えば潜在などの日用品は、欧米の企業がアジアにローカライズさせるためにはかなりのコストをかけ、その土地の人々の嗜好に合わせた再開発している例が多いようです。
しかしSNSなどの場合は、言語の問題くらいしか障壁がなく、他の産業よりも海外商品が入ってき易い状態にあります。そんな中で、日本製SNSのメリットはあるのか。
それに対するひとつの意見として、興味深い記事が載っていました。
http://jp.techcrunch.com/archives/20080803taking-social-networks-abroad-why-myspace-and-facebook-are-failing-in-japan/
②メンターから
テーマを決める際の選び方に関して少し議論がありましたが、今一度頭の中のアイデアを書き出してみるといいんじゃないかなと思いました。
頭の中で考えているだけだと、意外に抽象度の全くことなる二者を比較してしまっていることや、本質的でない部分を深堀りしてしまっていることが多々あります。
ぜひ、テーマに関していくつかのキーセンテンスをマッピングしてみるといかもしれません。
2010年11月29日月曜日
ゼミの感想<矢野>
最近はもっぱら「論文やらなきゃなー」となにか重いものがのっている感じです。
実際に本を読んだり情報収集している時は自分の興味に沿ってやっているから楽しいのだけれど、
調べるほどに「こっちの知識も欲しいな」というのがどんどん出てきて、「いや、でもここまで広げたらあと半月じゃまとまらないだろう」「あれ、なんかテーマとずれてきてないか?」みたいな葛藤があります。
そしてこれをまとめることが上手くできるのかという漠然とした不安が怖いです。
プレゼンでも話したとおり、つい先日まで「フラッシュマーケティング×地域活性化」でやろうとしていたのですが、フラッシュマーケティング企業の社長さんに一掃されてしまいましたFMが地域活性化に効く、という意見はよくあるらしいのですが、実際その地方に行ったりリピートするインセンティブにはならないようで、それだったら位置ゲーの方が俄然効果があるそうです。
金先生のおっしゃっていたように、より良いFMのビジネスモデルを考えてみたいと思います。
今、消費者行動についての本を読んでいるのですが、行動経済についても知識がほしいところです。
ただ、論文テーマをこれに据えてからインターンバイトを始めて実際にFMに触れて、かなり知識がついたなとは思いました。この調子で金ゼミの中でFMだったら矢野に聞け、みたいな存在になりたいです。
あと、まとまりがないんですが、論文について考えていて感じることは、自分がろくに数字を扱えないなということ。完全に文系脳と自負(?)している私ですが、やはり数字がないと、定量的に示せなくて、ふわふわしたものになってしまう。今思えば電子書籍論文はその意味で大変にふわっふわ(表現が難しいのですが、仮想ベースで話が進んでいるような感じ)だった気がします。ということで、来年商学部のゼミに入るとしたら頑張って数字を扱えるようなところに行きたいなと思いました。
ゼミの話が若干少ない気がしますが、最後に、
「仮説をブラッシュアップしていくとどんどん質の高いものにしていく」
という金先生の言葉が印象的でした。
101126 ゼミの感想【村山】
今回は三田論のフィードバック会とい事なので、自分の論文に対してと、メンターをさせて頂いている高橋さんの論文に対する感想を書かせて頂きたいと思います。
まず、高橋さんの論文について。
内容については、高橋さん自身が「納得のいくテーマ」、「やりたいと思えるテーマ」をじっくり考えた上で決定してくれた様なので、安心しました。内容自体は僕らがあれこれ言うより、自分の興味のあるテーマを選択して欲しいと思っていましたし、個人論文であるので、そうあるべきだと考えていたからです。僕らメンターがやるべきは最初から最後まで一緒に考えてあげるというより、まず自分の頭で考えてもらいある程度の形にした答えを出してもらってから、それに対して方向性を修正してあげたり別の切り口を加えてあげる事だと、僕個人は思っています。自分の頭で一度思考した方が内容が残るのはもちろん、グループ論文ではなく個人論文という体で行われているからです。「好きを追求できる個人論文」を選択したからには、最後まで自分の納得のいくまで頑張って欲しいと思いますし、責任も感じて欲しいと思います。このことは他の5期生にも当てはまりますし、同時に個人論文を選択した自分にも当てはまる事です。そのため、5期生はメンターとしての4期を最大限活用するにはどうすれば良いのかを、真剣に考えてみる事をお勧めします。4期とどういう関係性の中で論文を完成させていくのか、という事です。自分は高橋さんとどのように論文を進めていくかの確認を最初にしたので、他の5期生もそのような確認が出来ていなければ、一度確認をしてみると良いかなと思います。意外と意志の疎通が出来ていない事があると思うので。その上で高橋さんからの質問には、どんな質問であっても少しでも疑問に思う事があれば微力ながらお答えさせて頂くので、遠慮なくご連絡して下さい。お互い頑張りましょう!
次に、自分の論文について。
自分の中で考えがまとまって無かったというか、あえてフィードバックをもらいたい部分をぼかして説明した所、ピンポイントでそこに対する指摘を戸高さんにして頂けたので、流石だなと改めて感じました。最後のプレゼンだったので中々フィードバックを貰うことが出来ませんでしたが、金先生を始め何とか戸高さん、岸本さん、かこいなどの方々に頂く事が出来ました。ありがとうございます。これらを基に、自分が立てた仮説であっても変更するべき所は変更すなど、柔軟に対応していきたいと思っています。
また、論文の提出までもう1ヶ月位しか無いので、それまで全力で各サービスを使い倒して納得のいく論文を完成させたいと思います。戸高さんには色々とご迷惑をおかけする事になるかと思いますが、最後まで宜しくお願い致します。
1126ゼミ[矢部]
金先生やゼミ生の方から僕の心を揺れ動かすようなフィードバック、レスポンスを頂いて、とてもありがたく思っています。あのような重要なことで中身が詰まっている熱いものは金ゼミだからこそ得られるものと思っています。自分の言動、態度へ責任を負うこと、イージーゴーイングに表面のことばかりで核心を突かないこと、うまく自分の中に折り合いをつけながら消化していきます。
OB・OG会
やはり金ゼミの先輩というだけあって、1人1人が熱さを持って社会でも活躍されているのだなと思いました。みなさん会話している時の姿がキラキラされておりました。学生時代に頑張ってきたからこそ、あのようなバイタリティが社会人になってもキープされているのだろうな思いました。とても楽しい会であり、貴重でゼミでは得られないものを得られる会でした。ありがとうございました。
1126ゼミの感想 田島
三田祭を主に進めてくれた5期生、特に三田祭係のジプト、本当にお疲れ様でした!予想問題集や電子書籍論文など来てくれた人が楽しめるものがとても豊富で、みんながたくさんいいアイディアを出し合ったんだなと思いました。来年度の自分のゼミを楽しくするために、頑張ってこれからもどんどん勧誘イベントしたいなと思いました。
・個人論文FB
グループ論文班2班が調査したことを踏まえて次の段階の仮説を提言していたのに対し、個人論文の進み具合はテーマ設定のあたりでとまってしまっていたかなという印象を受けました。(もちろん、自分のアドバイスの不足によるものも大きく・・・)準備期間が少ないことももちろんですが、毎回資料にあたるたびに常に自分の中の仮説を更新するイメージでいくとより時間が短縮できるのではないかと思いました。金先生も「聞いてから質問を考えるのでなく、質問を考えながら話を聞く」とおしゃっていますがそれと似たようなことで、粗削りでも自分の中でしっかりと核となる意見をもっておけば、調査と分析が一体になり効率的だと思います。
また、「自分なりの問題意識がどこにあるのか?」という部分を追及することが最もいいと思います。自分なりの問題意識の軸、例えば、「いいコンテンツをたくさん生み出したい」「日本の若者に政治的活動ができる場を与えたい」などがはっきりしていれば、多彩な切り口を生み出していくことができます。「○○について知りたい」という漠然とした興味の中から、上手く問題意識の形を探し出していってほしいなと思います。
・OBOG会
社会人の先輩方とたくさんお話しして、「働くこと」のイメージが前より少し掴めた気がします。理想と現実についても(笑)組織に所属しながらもやっぱり個性的な部分を失っていない先輩たちの姿を見て、私もこういう風に社会に出てからも自分を表現できるようにもっと成長したいなと思いました。来ていただいたOBGのみなさま本当にありがとうございました!そして素敵な会を作ってくれた係のみなさん+ことえもお疲れ様でした。クイズ等とても楽しかったです!
1126ゼミの感想
今日論文発表では、多くのアドヴァイスを頂き、ゴールへのビジョンをある程度明確に持つことができました。
選挙のようなカラパゴス化したフィールドへのITの応用は、まさに金ゼミの強みを活かせるところだと思います。他のゼミ生からもアイデアをもらいたいです。
①他班の発表
みんなの発表を聞いていて、アイデアをいろいろもらうことができました。特に戸高さんがおっしゃていた、UGCの手法を用いてみんなで選挙キャンペーン作り上げるやり方とても面白いと感じました。これからはSGC(Supporter Generated Campaign)が流行ると思います。
③OB・OG会
土曜日の会では多くの先輩方と素晴らしい先輩方と出会いました。これからもぜひさらに多くの先輩方にゼミに来ていただき、お話を伺いたいです。
2010年11月28日日曜日
【ホンヨミ1126】ネット帝国主義と日本の敗北【田島】
インターネットの発展とともに爆発的に増えたもの、それは無料のサービスである。何かを調べるとき、人は辞書や事典を購入する必要はなくなった。ウェブに関するサービスなら、パッケージソフトを買わなくても世界のどこかにフリーソフトが落ちているだろう。無料モデルを完全に確立させた企業はまだ数少ないが、ウェブサービス事業者は無料で価値を提供し、ひとまずどんどん人を集めようとする。結果起こることは消費者の購買感覚のデフレーションである。モバゲーが、アメーバピグが有料だったとしたら消費者は見向きもしないだろう。コンテンツ制作者はアイテム課金やプレミアム課金など、無料の敷居を保ったまま別の方法で稼ぐことを余儀なくされる。このビジネスのパラダイムシフトにおいて動揺するのが、コンテンツホルダーである。違法アップロードが当たり前の現在、DVDなどのパッケージ売上による収入以外にどのようにお金を稼ぐ必要があるのか?「フリー」は無料モデルを世界に紹介したが、それに伴い業界に漂う危機感を書籍にしたものは本書以外にはまだ少ない。米企業グーグルの独占を始め、新しい技術の楽しさに惹かれるばかりの日本人に「本当にこのままで大丈夫なの?」と警鐘をならす新書である。コンテンツの多いプラットフォームに人が集まり、さらに人が集まるスパイラルなど、シェア格差が開きやすいウェブ産業であるが、いったいどこの国のどの法律がその均衡をとっていくか考えていく必要があるだろう。
論文発表&OBOG会
↑↑昨日のOBOG会 の写真です。
1126ゼミ感想【高橋】
胃痛が深刻になるくらい緊張感がある雰囲気で臨めました。やはりオンオフは大事です。
そもそも発表する際に自分の問題意識は軸がブレてしまったいないか不安だったのですが、実際に口に出して発表したり、Feedbackで突っ込んで頂いたときに自分の中で整理できて自信が持てました。調べて考えれば考えるほど他の視点が生まれて迷走してしまっているのではないかと感じ、テーマ設定を変えなくてはならないのかとさえ感じていました。しかし、自分の思いの丈を発表して自分の中で整理できることができてよかったです。
また、当然のことながら改めてFeedbackの重要性を実感しました。SNSの収益の構造理解から始まってリサーチしたものの、大事なお金の具体的な流れや数値が抜け落ちていることに気付きました。何か発表に薄っぺらさというか、情報に重みが足りないと感じていたものがまさにそれで、説得力を裏付ける要素をもっと調べなくてはならないと感じました。
日米比較を視野にいれてさらに知識を増やして、その過程で感じた問題意識とそれに対する仮説を論文の中で展開していくことができたらと思います。
2010年11月26日金曜日
【1126】ゼミの感想【栫井】
緩みかけの身を引締める良い時間でした。
- 興味→問題意識
まだまだうまく仮説に落とし切れていないものが多いな、というのが今日の印象でした。
自分自身、仮説を言葉に落とすまでのきつさは解るので、漸進しつつ方向性を定められると良いのではないかなと思います。
金先生のお話にもありましたが、仮説はどんどん更新していって出来上がるものだと思います。
調べて分析して熟考して、だんだん精度の高い仮説が出来上がるのだろうなと。
- 成長!
今回は5期生が中心のプレゼン時間でしたが、頼もしいプレゼンをしている人が以前よりも増えたように感じました。
自分の興味のあること、好きなことを思いっきり調べて、「わたしはこう思うんです!」と言えるのは結構気持ちいいものだと思います。
折角の機会なので、がんがんインプットして、頭をどんどん動かして、聞いている側ももっとわくわくするような、未来像を描いてみてください!
- Social Media?
ほぼ全部の班に共通しているのが「Social Media」という切り口のように感じました。
ソーシャルってなんだ?というのが最近凄くよく思うことです。
例えば今日の村山君のプレゼンにあったように、ソーシャルメディア=SNSではないけれど、大抵ソーシャルメディアって何?と聞かれたときにSNSの特徴を挙げてしまう。
曖昧な言葉に流されず、自分が興味を持つことに忠実に、言葉を定義して口にしたい。
ホンヨミ!1126あなたの話はなぜ「通じない」のか【金光】
山田ズーニー
口語調で書かれているので読みやすい。しかし筆者も途中で書いていたが「きれいごと」のように感じてしまった。
ただ、本の最後にあった「自分が何者か」をどう伝えるか、という箇所は自分自身が問題意識を持っていたことだったため興味を持って読んだ。
自分のことを初対面の人に伝えるとき、時間と人のつながりを意識することで相手に伝わりやすく、信頼を得やすいそうだ。そして筆者は、優れたコミュニケーション能力として「理解力」を挙げている。理解力についていろいろと具体例が挙げてあったが、「理解力」として磨くものではないのだろうなとと感じた。
私は先日、部活の先輩と久しぶりにお会いして近況を話し合った。半年振りほどの再会だったにもかかわらず、先輩は話をすべて言いきらないうちに私の話を深く理解してしまった。表面的な事象の把握にとどまらず、その経験をした自分の感情までもを理解してしまう先輩との話は、同じ話を他の人にしているときとは違う満足感を得られたのが印象的だった。
その「理解力」は単なる「聞く力」は大前提として、人としての引き出しの多さ、誠実さ、懐の深さなどいろいろな経験をつんできた人が、身に付けられるものだと思う。
私も「理解力」ある人になりたいと思う。
2010年11月22日月曜日
2010年11月15日月曜日
1112ゼミ感想【高橋】
Public Diplomacy、 Soft Power外交などは去年の国際政治学基礎で学んだ用語だったので、その事柄について実践的なグループワークが行えてとても興味深かったです。
「メディア力」を一国に当てはめたとき、brandingをするのがグローバル社会で埋もれないためにも必要なわけで、教育・メディア・文化活動の三本柱で形作っていく考えに共感しました。
Public Diplomacyの手法を考えるグループワークは新鮮で、スケールの大きい「国」を扱う広報は新鮮で、どこをとがらせて「セールスポイント」にして効果的に届けるか。とても悩みました。
現代社会の風潮はもはやpassiveではなく、interactiveに変わっていて、それは政治も例外ではなくなっている。企業がもつノウハウを国にも活かして、国内のみならず海外の国との文化発信・交流のあり方はまだまだ模索段階で、特に日本では未開拓だからこそとても大きな可能性を感じた。
②Presentation Kim(+論文について)
『何を発信するのか』軸をしっかり定める。
軸がぶれたら論文でもプレゼンでも崩壊する。だからこそ『何を伝えたいのか』をつきつめる。
相関図やフローを考え、図式化することは改めて大事だと思った。もちろん自分の考えを整理するためもあるが、他人がみたときも文章や口頭でいうだけよりも図があった方が視覚的にも理解しやすいものとなるからだ。人間に備わっている感覚器官をふんだんに使って伝えていく。やる方も聴く方も楽しいプレゼンになる、そんな理想の形を模索していきたいと感じた。
また、言葉を定義しておくことの重要性を改めて思いました。人間たるものまったく同じ価値観を共有しているわけではないし、微妙なニュアンスの差異が大きな違いを生み出すことがあることに気をつけなくてはならない。
③阿久津さん(1期生)
実際に入社してみないとわからないような生の声をお聞きすることができて参考になりました。社内の風潮は純・日本的だとしつつも、企業のグローバル化というものは実際に起きているんだなと実感しました。伝統とグローバル化がどのように融合されていくのか興味を持ちました。
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個人論文
当初Twitterを用いるとしていましたが、調べるうちにTwitter広告には種類が既にたくさんあるので新鮮味が薄れるなーと思い、Facebook広告における分析・今後の可能性(考えられる「理想」の形?)を研究しようと思います。認知・広報活動にフォーカスしたいです。より多くの関連ユーザーに認知してもらって、結果的に売り上げに繋がるという流れの効果的な手法。まだまだ軸がしっかりしていないので、もっとリサーチを進めて固定させていきたいです。
リサーチをしていて面白いと思った関連記事があったので載せます。
http://blog.livedoor.jp/ikiradio/archives/51529599.html
【1112ホンヨミ】人はなぜ形のないものを買うのか【栫井】
どうしてDeNAがあんなに収益を得ているのか?疑問に思ったことがあることだろう。(図を参照)

本書は2008年に書かれたものだが、当時よりもデジタルコンテンツが世の中に及ぼす影響は限りなく増大している。どうしたら売れるのか。お金を出してしまうのか。
- 価値分析
形の無いものは、普通に我々が購入する形有るもの(食べ物然り文房具然り)に比べて、価値の在り方が見えにくい。価値発生の流れを従来とは全く異なるやり方で捉える必要がある。
今までならば財務表を見ればわかった商品価値の変遷(図を参照)ではなく、商品にまつわる全体の中で、どう価値が連鎖していくかを見ていかねばならない。

デジタルの娯楽コンテンツに含まれる価値は、
・新規性
・コミュニティ性
・UGC(創造性の発揮)
・利便性
が挙げられる。効用の中でも、より人間の感情部分・生理部分に迫る価値が重要になることがわかる。
例えばコミュニティ性。リアルでは欠かすことの出来ない「社会性:ソーシャル性」を取り入れたことで、facebookやmixiのアプリは流行している。みんなでやっている感覚・自分の居場所を得る感覚は、現実世界ではとっくに当たり前になっていた。これを新しくバーチャルの世界に取り入れることで、新しい価値が生まれる。
- 時間軸の見直し
従来の商品のライフサイクルとデジタルコンテンツのライフサイクルは違う。価値連鎖が起こることで、従来とは関連要素の数が違うのだから当然だ。
より人間の感情部分・生理部分に迫る価値は、その形成のされ具合によって全く異なる効用を生み出す。例えばコミュニティ性は、使い初めの動機としては優秀だが、その後人間関係が複雑になるにつれ、柵にもなりかねない。mixi疲れと呼ばれる現象もその一つだ。そのとき、コミュニティ性を一番に押し出していては、顧客は離れてしまう。
デジタルコンテンツの価値連鎖は刻一刻と変化していく。その変化にキャッチアップし、その都度その顧客に合ったコンテンツを提供することが求められる。
- 人間中心設計
デジタルコンテンツを売るためには、実は人間中心設計がアナログコンテンツよりも重要になってくるのではないかと思った。消費者の「主観」という目で見えない部分をどう設計していくのか。
今までよりも顧客に迫り、彼らの感情の機微を追い、何が彼らを駆り立てるのかをきちんと理解する必要が求められている。
【1112ゼミ】日本のクリエイティブな力【田島】
投票NO.1、NO.2のお二人なだけあり、非常に学ぶところが多かった。特にかこいさんは、自分なりのプレゼン哲学が図を使ってすっきりと説明されていて、とてもオリジナリティーがあった。Presentaion Zenなどのように、色んな人の参考にもなると思うので、是非HPなどでも公開してほしい。また、自分に正直に軸を構成しているところに好感をもった。「プレイフルシンキング」という本にも、自分の目標と目の前の課題を一致させることの大切さが述べられている。「常に自分の興味のあることにアンテナを貼っているから、課題を急にふられても困らない」という部分はなるほどなと納得し、見習いたいと感じた。
Presentation Kimという企画について。「毎年恒例行事」にはしないでほしい。そもそもこの企画の発足が、「プレゼンの上手い人がたくさんいるので、是非その秘訣を知りたい」という欲求があってそこから組み立てられたものであり、来年何をしたいかは来年のメンバーで考えるべきだと思う。'あの人のグルワ術を知りたい!'「Group Work Kim」でもいいし、'あの人のノートの取り方を知りたい!'「Note Taking Kim」でも、とにかくみんなのニーズにあった企画を是非考えてほしいと思う。
・NC
久しぶりにメンバーの一員としてNCとして参加したが、3人それぞれが意見を出し合い、対等なバランスで相乗効果を生み出したいいチームだったと思う。特に大関さんの問題意識がはっきりとしていたことが良かった。また、自分の体験と絡めたりグルワのテーマを設定したり、吉田君の常に積極的な姿勢も良かった。二人ともお疲れ様でした。
グループワークについては反応がまちまちだったので、反省点ではあると思う。もっと時間を多くとったり、もしくはミニマムな話題を設定した方が議論する側のフラストレーションを軽減できたかもしれない。しかし、あえて「日本はこれから何で対外アピールしていくべきか?」という目標から設定したことはこちらの意図だった。(というより、私がそれで話し合ってほしかった。)瞬間的なグループワークの結果よりも、これからの日本の将来を若者である我々がどう考えるか?その姿勢が大切であると思うからだ。課題のために、短い時間の中でみんな一生懸命「日本の将来には何が必要か?」ということを考えたと思う。そのような議論を、今後とも続けていきたい。ただ、確かにテーマの設定はもっと工夫するべきだったと思う。「次世代の日本の姿をアピールするためのキャッチフレーズ作り」などの方が混乱がなかったかな?
確かに、サブカルチャーはサブカルチャーに過ぎない。しかしそれを日本ブランドにして、付加価値や観光収入につなげることは出来ないだろうか?たとえばNYやパリのように、東京もまたポップカルチャーの先端の場所としてアピールする。そのような人材の集積地になるには日本にはまだ、自らのカルチャーを理解し、外国人に対し門戸を開こうとする体制がそろってはいない。日本国内にまだクリエーターを育成する十分な体制が整っていないし、業界自体も閉じていて日本人以外を受け入れない。パリのメゾンのような、NYのスクールやギャラリーのような、世界中から人材を集め育成する拠点が必要である。「日本」のブランドイメージアップをデザイン製品の購買や観光につなげていきたい。
・戸高さんプレゼンと阿久津さんのお話
お忙しい中渾身のプレゼン、本当にありがとうございました。軸のある姿勢は説得力を増すばかりか、常にモチベーションの向上に効果的だと私も思います。
アニメの動画マンの現状については初めて知りましたが、色々と驚かされました。アニメに対する認知度は国際的にも高まっているのに、なぜ逆にクリエーターの収入は下がっているのでしょうか?国際的認知度を収入につなげる方法、それこそPDのような方法がやはり必要なのではないでしょうか?
阿久津さんのお話では、商社のグローバルな環境が伝わり、とても参考になりました。社会で組織の体系に馴染んでいくことがあっても、常に自分の視野で考えることを忘れないようにしたいと思いました。
・三田祭論文
黄ちゃんと相談して今後の予定等を決めました。精一杯サポートしていきたいなと思います。
1112ゼミの感想【山本】
私は、どんなジャンルであっても編集者の仕事は“ビジネスとアートの架け橋”だと思っています。作品への愛情と造詣が深く、かつ商品への理解を持っていることが必要とされている中で、“売れる作品を創るのか、好きな作品を創るのか”という問題は永遠のテーマなのだなと思います。昨日出版社の方とお話をしたのですが、「作家の方に、題材を売れるものに変えてもらう交渉をするときが本当に大変」とおっしゃっていました。一方以前NHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』でジブリの敏腕ディレクター鈴木敏夫さんが「自分たちは徹底して自分が好きだと思うものを創っている。そうでないといい物はできない」とおっしゃっていたことを思い出しました。売り上げに対する計り知れない重圧を背負っているであろう彼からそんな言葉が出たことに私はすごく驚きました。また一方で、先週お会いした化粧品のマーケティングをしている女性は「結局は自分の欲しいものに忠実に、すごく感覚的なものを尊重して商品を作っている」とおっしゃっていました。
こんな色々なひとの言葉や、戸高さん栫井さんのプレゼンを見て“売れる作品”って、なんなんだろうなと思いました。よくあるマーケティングの手法で市場を分析した結果にのっとって作ったものが売れるものなのか、それとももっと感覚的な、自分の今までの人生やセンスを駆使して作ったものなのか。多分両方なのでしょうね。膨大な消費者データとにらめっこしつつ、最後は自分の感覚を信じて沢山の汗水を流して作られた結晶が世に出回っている作品であり、商品なのでしょうね。そう考えると、世の中にある全ての消費材がいとおしく思えます。そして購入することが、私たちが彼らに“イイネ!”とメッセージを送れる唯一の手段なんだなと思うと、お菓子ひとつ買うことにもなんだか責任を感じたりする最近です。
また、こんなクリエイターや編集者の苦悩や苦労は、電子書籍などが普及して参入障壁が下がろうと、変わらず彼らにまとわりつく壮大なテーマなんだと思います。
②阿久津さんのお話
お忙しいなか、お越しくださりありがとうございました。
阿久津さんのお話を聞くことで、商社のお仕事を以前よりもリアルに思い描くことができるようになりました。
投資や買収のお話が出ていましたが、面白い記事を見つけたので貼っておきます。
http://www.toyokeizai.net/business/strategy/detail/AC/3a86d85127c04b32da119a5db4a1a462/page/1/
③個人論文【矢部くん】
今週から、大変恐縮ですが個人論文に関するフィードバックをここに記していきます。
私はメンターという立場にあるわけですが、何かを教えようとか伝授しようみたいな烏滸がましいことはしようと思っていません。むしろ、矢部くんが個人論文を作って行く中で、なにか立ち止まったりしたときに、一緒に悩む作業をできたらなと思っています。よく言う“1+1=∞”という言葉を心から実感したのは、私は金ゼミでの作業においてでした。
“悩む”っていいことだなあと最近痛感することが多いです。
そんなわけで、これからよろしくお願いします。
1112ゼミ感想【斎藤】
久々にNCをやった気がするのですが、とても楽しくてニヤニヤしました。クールパワーで日本文化を海外に発信するためにはというテーマでしたが、それを担うのは官に限らず民間、個人であると思いました。それを活かして、結果的に国益に結びつけるバブリックディプロマシーの理念も面白かったです。現在の時事問題だと尖閣問題での日中関係がありますが、政治、経済、軍事などのハードパワーは官主導になりがちです。そうではなく、音楽、マンガ、映画、教育…など様々な分野で僕ら自身が自国と他国をつなぐ主役になりうる要素がたくさんあるのがソフトパワー、クールパワーの魅力で夢のある点だと思います。従来の政治交渉のように、自国の利益を追求したり、表向きでは主張を押し付け合って水面下で妥協点を探るような暗いイメージではなく、純粋に相手の文化への共感を抱くことができるのも、こういったソフトパワーを活かした対外発信のメリットだと思います。といいつつ、在日米軍の萌え漫画は彼らのしたたかさが露呈して若干不愉快でしたが。その点では岸本さんの文化的侵略感というキーワードが印象的でした。
以前、歌舞伎座が取り壊され現代的な建物になるに当たって中村勘三郎氏が仰っていたことで印象に残っている事があるので紹介します。テレビで見たものなので一言一句完璧ではないのですが、演じる器は関係なく、自分達これまでどおり演じるだけだという内容でした。歌舞伎という伝統にこだわる世界に生きながらも、環境が変わることを恐れない姿に感動しました。ここから、文化を担っているのは他でもなく人間なのだということを感じました。元麻生首相が打ち出した”漫画の殿堂”が批判されたのは、そういった理念が欠けており、器だけを作ってしまえという安直なビジョンしか伝わってこなかったからなのかなと感じました。
NCに関してはもっと時間があれば良かったというのが率直な意見ですが、限られた時間を活用する力も大事なので、テーマ設定、目標設定、概念の共有などはきっちりやるべきだなとグループワークを通じて感じました。ハード面ではなく、それを担うソフト面でのテーマ設定は非常に面白かったです。担当者の方おつかれさまでした。
【戸高さんプレゼン】
好きなことテーマにする。OGの阿久津さんも仰ったように学生時代しか好きなことができないという意見もありましたし、好きという事実こそ最大のモチベーションになる気がしました。また、テーマが変わっても最初の事が後に生きてくる。言葉の定義づけをしっかりするなど論文作成にあったて参考になりました。
【三田論】
進捗状況としましては、ウェブ上で構築した人の関係性をリアルに移行させる為の(例:候補者のツイッターでの単なるフォロワーを投票所にに行かせる。ネットでのコニュニティーを実際に活動する支援団体にするなど)ツールとしてどういったものがあるか考えている状況です。三田祭ではそれらを簡単な形式にまとめて、中間発表、展示とする予定です。
1112 ゼミ感想<矢野>
図で表せる能力ってすごいな、と最近感じている。
今週栫井さんに個人論文のミーティングをしてもらった時に図示することについて話した。確かに栫井さんがよくプレゼンで色々な事象や関係性を図で表現しているのは度々見ていた。今回個人論文のテーマを掘り下げて考えるときに、文章では表せなくてただただ白い紙にmind mapのような形に書き連ねていたのだが、なかなかそれをすっきりと辻褄の合うように、整合性の取れた図にするのは意外にも難しかった。こういう作業ってそれこそ「才能」だと思った、いや実際そうかもしれない。けれど、栫井さんもプレゼンの中で岸本さんと宮村さんという師がいる、と言っていた。つまり私も3人を(一人多くてラッキーと捉える笑。)師として少し頑張ってみよう、ということだ。ということで、今後私のプレゼンの中に少しおかしな図が出てきても、成長過程ということで見守って頂きたいです。。。。
NC
日本の何を推して豊かにしていくのがいいのか、というかなりマスな視点から入ってしまったのでその分考えることも多かった。50年後、第2次産業で食べていける日本人がどれくらいいるのか・・・、日本は第3次産業でやっていくべきだという人もいるが、では果たして第3次産業でふんだんに儲けることなどできるのか・・・阿久津さんも商社がコンテンツを扱わない理由として、コンテンツはもうからないと言っていた。もちろんコンテンツだけが第3次産業ではないが。これに関して知識が少なく仮想ベースでの意見しか出せなかったのでもっと勉強しなければと思いました。ただ、Public Diplomacyに関しては日本は積極的介入が少ない、というかそこまで手が回っていない感があるので、どの領域であれ、介入という行為はすべきではないのかなと思います。
戸高さんプレゼン
言葉の定義の大切さ、というのが印象的でした。特に私たちのゼミでは不可欠、と戸高さんもおっしゃっていましたが、その通りだと思います。私的には今までの中で、「プラットフォーム」という言葉について前期金先生が説明してくださったのを良く覚えています。「言ってしまえばかなりプラットフォームというのは広い意味を持った言葉になってしまう」とおっしゃっていて、頷くところがありました。広い概念的な言葉(それが外来語だと更に)というのは扱いが難しく、きちんと定義してあげないと後で言うことがばらばらになってしまう、ある意味では厄介。けれど自分でその定義を変えてみたら、全然違う方向や切り口から物事が見えて興味深いある時はワクワクさえするような「複雑さ」が生まれるのかな、とも思いました。
5期話し合い
仲がいいなと思います。というのがアウトプットではないんですが・・・もっともっと話したいです!!
<論文>
テーマを掘り下げ中です。
フラッシュマーケティングの概要は電子書籍を読んで大方理解しました。
【ホンヨミ!1115②】ハーバードからの贈り物【斎藤】
①人生から学ぶ
ハーバードと言えば世界最高学府であるが、本書に登場する教授の多くは学問の分野ばかりでなく人間的にも豊かな人が多い。学問を離れた人生経験こそが、自分の価値観を形成するのだという至極当たり前のことに気づかされた。そういった価値観をもとに学問を活かして社会に貢献するのだと思う。例えば、ジャイ・ジャイクマイという製造科学を専門にする教授は登山家でもあるのだが、ヒマラヤにアタックした際に生死をさまよった。それによって、自分の境遇に感謝すること、人生における使命を見つけた。転落事故を期に人間的にはさらなる高見に昇ることができたのだ。やはり、学問だけでは人間的につまらないと思う。それをハーバードのエリート達に向けて言っているのだから一層説得力がある。
②人に伝えるために
世界一頭の良い生徒達に話すからといって、けっして難しい言葉を使っている訳ではない。人生の中で自分が感じた事を、具体的なエピソードを交えて伝えている。相手を納得させるだけの完璧な論理を組み立てることももちろん重要だが、それ以上に自分自身が何を感じて、そう思ったのか丁寧に言葉にすることが相手の共感を生むのだろう。例えば就職活動などで、真面目になりすぎて志望動機などで堅い意見しか言わなくなる人がいるが、結局のところ人の心を動かすのは何だろうかという大事な事が書いてあると思う。
③肩の力を抜く
エリートとしての道を歩みつつけなければならないというプレッシャーがハーバードビジネススクールの卒業生には大きくのしかかるだろうが、そのプレッシャに惑わされることなく人間として豊かな人生を送るためのヒントがある。例えば、鏡のまえに立って自分の目を見つめ、何年後に環境が大きく変わっても、もう一度鏡の前に立っている人間は自分自身でしか無い事を確認することがあげられる。ほかにも、ある分野で挫折した教授の話があったが、その教授は挫折を乗り越えて、今自分にできることを見つけた。通常だとこれまで培ってきたものが崩れてしまったと考えがちだが、柔軟に自分の適正を見極めてつぎの選択をした。多くの教授に通じるのは物事を白か黒かで考えずに、つまり結果だけではなく何故その思考におちいったのか過程を重視していることも印象に残った。
11月12日ゼミの感想
今回は久々のNCでしたが、改めてNCというものの重要性について考えさせられました。
ざっくりと「良かった点」と「良くなかった点」に分けて書きます。
【良かった点】
・国際関係とメディア・コンテンツの関係性を紹介できたこと
・金ゼミの力を金ゼミの得意分野(クリエイティブ産業)以外に応用する試みができたこと
・日本の特色・アイデンティティとは何かということを考えてもらえたこと
【良くなかった点】
・前提となる知識の共有が不十分だったこともあり、NCの趣旨を完全に理解してもらえなかった部分があったこと
・議論をする時間が短すぎたために、解決のための「手段」を考える時間が十分になかったこと
・扱う範囲が広過ぎたために論点が不明確になってしまったこと
議論や感想の中では、パブリックディプロマシーよりもクリエーターの育成や産業(製造業含む)の強化の方が大事だという意見が多くみられました。「出る杭たれ」の金ゼミ精神からあえて反対意見を言わせて頂きます。グローバル社会が各分野に及ぶ現代、「沈黙は金。雄弁は銀。」的な「いいものを作れば自然に尊敬される」時代は終わったと思います。これからは文化背景が全く異なる相手に対して日本の考えを伝えることが求められます。パブリック・ディプロマシーが文化侵略に繋がるからしない方が良いというのは、相手に嫌われるのが怖いから意見を言わないのと同じではないでしょうか。相手国民にうまく日本の意見を伝えるためには、コンテンツやサブカルチャーなど使える力は全て使って行くべきではないでしょうか。
内容については賛否両論分かれるものになりましたが、大関さん、田島先輩、本当にお疲れさまでした。いろいろ助けていただきありがとうございました。
②戸高さんのプレゼンと阿久津さんのお話
まず戸高さんのお話を聞いて、論文を書く手法の部分で多くのことを学べたと共にクリエーターの現状に改めて驚かされました。現在の状況を見ていると、既に成り立たなくなっているクリエーターの雇用形態をなんとか立て直すよりも、専門性の低い作業を中国やタイなど低賃金の国に外注して、ストーリーなどのコアな部分だけ日本に残すという考え方もあるのではないかと思いました。ピクサーが作業の一部を外注しているというニュースも見たことがありますし。産業としてこれからも残っていくためには、選択と集中が求められていくと感じました。
阿久津のお話では、商社での仕事の現場についてお話を聞くことができて、商社での仕事についてよりイメージを深めることができました。今回は少ししかお話しすることができませんでしたが、今度機会がありましたらまた改めてお話を聞きたいです。
お二人のお話を聞いて、素晴らしい先輩が多くいらっしゃる金ゼミで勉強することができて本当に幸せだなということです。この環境を活かしてさらに自分を成長させていきたいと思いました。
③三田祭企画・グループ論文について
ゼミの後、5期生で発表の大枠を決めました。詳しくはメールの確認をお願いします。
グループ論文に関しては、中間発表としてインターネットツールによって選挙活動を変えるアイデアを48個紹介したいと思います。12月の論文では、これらのツールの特性を要素に分けて分類し、選挙のタイプごとの有用性を考えていきたいと思います。
2010年11月14日日曜日
[1112ホンヨミ!②]テレビ進化論[矢部]
これから、テレビが二つの側面で進化を遂げると筆者は云う。
①次のテレビ
コンテンツそのものは変わらず、ただ視聴方法が変わるという変化が起きるということ。次のテレビというのは、単にコンテンツのためのメディアにとどまらず、マッチング技術と個人情報ビジネスという二つの面で広大な情報ビジネスの一部として機能し始めるのだ。しかしテレビ局の中で行われる仕事の在り方は、さほど変わらない。つまりテレビ局の番組編成プロデュース作業は残る。変わるのはそれを取り巻くステイクホルダーの広告代理店や金融機関であろう。とはいえ、結局コンテンツはあらゆる機器と連動しながら、その奥で動く巨大な情報データベースによって価値が再測定されるわけである。そこにコンテンツを支えるクリエイター達が好奇心、野心、才能を輝かせながら関わり、新たなコンテンツが生まれるのだ。それを②で述べる。
②テレビの次
コンテンツそのものが私たちの創造力によって変化するということ。それを実現するためには、法技術的な面で3つ、政府の積極的な対応が求められるのである。1つ目は著作権法上の同一性保持権の取り扱いを明確化すること。2つ目はコンテンツの保護対象、単位をはっきり決めること。3つ目が個人情報の利用の範囲を明確にすることである。本当のことを言えば、政府がやらなくてもメディア産業群が主導となってルールの構築に取りかかればよいのだが、そのような議論をしていたのでは、先に進まないのである。その早い解決口として、力を持つ政府が一助してみても良いのではないのかということである。
1112ゼミ[矢部]
グループでのディスカッションはとても面白かったです。雇用促進のため、コンテンツに目を向けずマクロな視点で製造業の復興を支援するということは、確かにだと思いました。サブカルチャーでパブリックディプロマシーは政府自体がやらないであろう、当てにしないという先見の考えは、日本人として悲しくもあり、納得する部分もありました。かこいさんとクリエイターについて少し意見を交わしたことで、自分が述べた意見がうまくまとまり、しっかり落とし込む事ができて、次に考える土台を固められたと思いました。僕は、ポップカルチャーを海外に伝えるためには、国家的・文化的アイデンティティを理解した上での翻訳が重要であると思っています。目標は翻訳スキルの向上です。やはり、これからもずっと国同士がやり取りをするときには、必ず言語間の問題は出てくると思っています。クリエイターの質は高める、もしくはある一定程度の水準で維持されなければならないはずです。そこで翻訳などの言語上の問題やそこから出てくる契約・著作権などの問題で、事が複雑化して質が下がることは避けなければなりません。これを今よく言われる政府主導の民間がやるべきではないかと思います。利益最大化に走られては、この政策の意味はないからです。ファンサブなどを例にしていたので、その流れからクランチロールがテレビ東京と提携したことを考えて、つまり一元化して全てを集約しながらも、政府の目を行き届かせうまくコントロールするという手段を選びました。テレビ局・出版社・レコード会社・映画会社などのメディア産業と提携する、諸外国のアイデンティティと日本のアイデンティティに精通した人とクリエイターを所属させる会社を作れば良いのではないかと思いました。
②戸高さんプレゼン
「言葉の定義をしっかりやる。好きって言う気持ちを大事にして、その軸を貫く。問題意識を常に根底に持ち続ける。」
以上3つ論文でのアドバイスとして確と受け止めました。ありがとうございます。
③ゲスト阿久津さん
お忙しい中ありがとうございました。シュウカツなどは考える事が少ないですが、商社の断片は分かりました。先日チリのAguas Nuevasを丸紅が株買して水事業でも海外進出した件を知っていて、そして軽くお話を聞いてやはり中南米はホットなんだなと思いました。中国はもう色々な意味で荒らされているし(どの企業も進出)、所詮中国という一カ国なので(中国語は地方によって様々。)別の地域をリーチしたいとはずっと思っていたので納得しました。アラビア・フランス圏は外して、スペイン・(ポルトガル)・ロシア圏のホットさを知る事ができてよかったです。
[1112ホンヨミ!①]捨てて強くなる[矢部]
この世の中には様々な「価値観」というものがある。私たちに影響を与えるとても強力な価値観としてあげられるのが、人間の価値観と社会の価値観である。優劣やヒエラルキーなどは一切捨てるべきなのではないかと云っている。変なプライドを持っていては捨てないことによって前進・向上するという目標が、逆にそれを難しくしていると思う。負けたものにしか捨てるというオケーションは訪れないのだ。常勝してるような者などなかなかこの世の中にはいない。とにかく「無」の状態で生きる事の大切さを述べている。ヒエラルキーのトップにいる人ほど、競争や優劣に固執して肩書きだけに囚われた卑小な人ではないだろうか。もっと立派さや平穏なあたたかい心をもったほうがよいとも思う。価値観という考えが無の状態で生きる事ことこそ、真の成長や安心、得るものがあるのではないかと思うのである。
著者はとても過度の考えを持っている人だが、一つの意見としてこういう意見もあるんだなと捉えました。
残り5回 【金光】
【1112】ゼミの感想【栫井】
なぜなら、彼らには危機感が無いし当事者意識も見えないからだ。
だから私は、文化発信とは民間が主導すべきだと思う。
それも”文化発信”という甘い意識でやるべきでも無いと思う。
自立出来ない文化は所詮それまでのもの。
歌舞伎も能も唄も、残るべくして残った文化だし、コミケ思想も在るべくして在るもの。
そしてそれらは民間が、危機意識を持ち自分がご飯を食べるために広げていったもの。
国に頼るのではなく、自らが解決策を考えだしていくべきだと思う。
去年も今年もある程度似た問題意識で論文を書いてヒヤリングをして、面白い考えを持っている人が業界にはたくさんいることを知った。
麻生さんじゃ言えないこと、官僚の人が出来ないと言ってること。
それを実践しているのが、角川であり講談社でありピクシブでありニコニコ動画であると思う。
彼らに共通しているのは、自分が好きなものを在るべき姿に持っていきたいという問題意識だ。
凄く良いものを作るクリエイターの賃金が低すぎる、海外にコンテンツを持ち込むのに効率が悪すぎる、技術の潮流とコンテンツの潮流がマッチしていない。
日本/世界の区別は、実のところ長い目で見たら問題ではないと思う。
要は素晴らしいものを作る環境が伸びるか、絶えるか。
素晴らしいと本気で思う人にしか施策は打てない。
【論文進捗】
みたろん
私はここやりたいの!と思っても、相手にきちんと伝えなくては意味がないんだなあと常々痛感する。
強い軸を自分の中に持てていないから、その都度のインパクトに振り回されがち。
出た意見をまとめて図示化することは出来ても、理由だったり重要度の振り分けが出来ない。
容赦なく指摘されて説明を求められる環境だから気づけて良かった。
きつい方が成長出来る。多分。
こじんろんぶん【やのちゃん】
論文は、自分の思いを伝えるもの。だと思う。
私はこのトピックについてこう考えてて、こういうソリューションだったり切り口があると思うんです。を、データや事例の分析を使いながら論証して示していく。
がちがちに考え過ぎず、自分の好きなことを上手く繋いでいく方が面白いしモチベーションも維持出来る。
2010年11月13日土曜日
【1112ゼミの感想】アイデンティティの喪失【長澤】
今回の文化発信というテーマはとても興味深かったです。
もともと日本の文化が好きで、日本の文化やコンテンツを海外に輸出してもっと海外の人々に知ってもらいたい、と思っていました。なので、ディスカッションの際には、「いかにして文化やコンテンツを海外に出していくか」についてしか考えていませんでした。雇用に関する問題も日本では非常に深刻で、ただ文化やコンテンツを輸出するだけでなく、それと同時に雇用の問題の解決にもつながる案を考えなければならないのだということは考え付きもしませんでした。
日本とアメリカの政策の違いについても興味があったので、それぞれについて詳しくプレゼンで説明してもらえてよかったです。
〈戸高さんプレゼン〉
論文を書くコツや大事なポイントを教えて頂けたので、今後是非活かしていこうと思いました。
クリエーターがあまりお金を貰えていないという事実自体は知っているつもりでしたが、あそこまで悲惨な状況に追い込まれているとは予想外でした。デジタル化が進めば楽になるものだと思っていたら、デジタル化による弊害も多いようで驚きました。また、日本にとっての強みであるアニメや漫画というコンテンツが、衰退していってしまうのではないかととても不安になりました。
〈阿久津さん〉
お忙しい中、金ゼミに来て下さってありがとうございました!
1期生の先輩のお話を聞くことが出来て、嬉しかったです。また、商社についての知識が全く無かったので、商社というものについて知ることが出来て良かったです。
1112 ゼミ感想【黄】
今回のNCのテーマは文化発信。そもそも文化発信というのは優れた文化あってこそ成り立つものである。戸高さんも触れていたが、日本は以前のようなコンテンツがでなくなってきて久しい。
ゲームにしたってそうだ。スーパーマリオから始まり数々のヒットを飛ばしてきたが、現在、日本のゲーム人気は縮小傾向にある。Wiiが珍しくヒットを飛ばしたな、という感じなのだ。
世界各国では、自身の国のクリエイター育成に躍起になっているご時勢。
フランスは日本の半分の人口に2倍以上の予算を投資。カナダは、自国のクリエイターに向け優遇政策を実地。アメリカは政府のみならず民間からのサポートを行政と連結させ、草の根サポートを実地。それに比べて考えてみると、今の日本の現状に危機感が募る。文化発信ももちろん大事だが、誇るべき文化あってこその発信だということを肝に銘じておきたいものである。
②戸高さんプレゼン
アニメ界は今後どうなっていくのか。プレゼンが終わった後、漠然とした不安が残った。正解はないし、これが正しい道だというのもない。クリエイターを守るため、じゃあ予算をガバガバつぎ込むのか、と言ったらそれにも首をかしげる。じゃあ今までつぎ込んだからこそ日本のアニメは成長したのか、と考えたらそうではないと思うからだ。悲鳴が聞こえる現場に救いの手を差し伸べると同時に、自分の足で歩けるようにさせること。それが今後の日本政府、そして国民すべての腕の見せ所だと私は思うのだ。
③個人論文
とりあえず、メンターの田島さんにアドバイスをもらいながら、文献の洗い出し、それから予定を立てました。今後は、この分野に携わっている方にヒアリングに行けたらとも思っています。今はこんな感じです。来週にはもっと具体的に進んでいるはず!!頑張ります!!
101112ゼミの感想【村山】
ソフトパワーに似た概念を持つ「Public Diplomacy」。政府が他国の市民や団体に働きかける事で、「特定の政策目標」を達成しようとする考えのことである。
ソフトパワーを高める事で、マンガ・アニメ・音楽・映画などの日本が誇る優良コンテンツを海外に発信し、それによる収益を上げよう、という考えは去年の論文の候補に上がっていたテーマだったので、とても分かりやすかった。その代表格として、日本のメディア文化発信の拠点として建設された「マンガの殿堂」というワードも懐かしかったです。
今回はディスカッションを行った後、チーム毎の発表でしたが、チーム内での議論がとても楽しかった。テーマは、「ネットワーク社会において効率よく日本の文化発信を行えるPD手法」の提案。この場合、まずチーム内での目標を定義し、共有することが重要になる。その際、このテーマは「いかにして日本の優良コンテンツを海外に発信するか」という手段に話が集中しがちだと思う。しかし、私達のチームはその前提として、そもそもそれらのコンテンツを作成する(アマチュア)クリエイターの育成基盤が不十分なのではないか、という問題意識から発信した。クリエイターがいなければ、コンテンツは作られず、日本文化を海外に伝達することすら出来ないのだから。このような問題意識から、WEBメディアを中心とした、pixiv×日本政府主催のコンテストをアマチュアクリエイターを対象に行うという手段を提案した。アマチュアクリエイターの作品をインターネットを利用する一般ユーザーに投票してもらう、という形式である。そして、その選ばれた作品を全世界を飛び回る飛行機にプリントすることで、同コンテストと参加したクリエイターの認知度向上に繫げるという提案である。
他のチームの発表も面白い提案だったが、自分達のチームも含め、やっぱり単に「どうやったら課題を解決するための提案を考えられるか」だけではなく、本当にその提案を行動に移したい気持ちで一杯だった。発表、お疲れさまです。
【戸高さん・かこいプレゼンツ】
NCの内容を補足する様な発表だったので、とても理解しやすかったです。途中でyoutubeの動画を使う等、飽きさせない仕組みも良かったと思います。自分もそのうちプレゼンで映像を使おうと思っていたので参考になりました。
また、突然の発表になってしまい申し訳ありませんでしたが、限られた時間であそこまでプレゼンの質を高める能力は流石だなと思わされました。発表の内容だけでなく、見せ方などのインプットも楽しかったです。
【阿久津さん講演】
突然のお願いにも関わらず、お忙しい中、わざわざ金ゼミに来て下さって、本当にありがとうございます。1期生の先輩方とは、前回のOBOG会でお会いさせて頂いてから全く面識が無かったので、このような機会にお会いすることが出来、とても嬉しかったです。
ありがとうございました!
【ホンヨミ1112①】バイオエタノールと世界の食糧需給【田島】
バイオエタノールという燃料については、誰でも一度は耳にしたことがあるだろう。サトウキビやトウモロコシを原料とし、ガソリンと混合した燃料であり、原料が植物であるため石油のような枯渇資源とは違い、半永久的に利用できる再生可能エネルギーとして注目されている。(石油よりも)CO2削減、農業雇用拡大効果もあり、ブラジルを始め、特にアメリカがバイオエタノールの導入を国策的に推し進めている。日本でも「バイオマス・ニッポン戦略」として目下普及が進んでいる。石油が100年以内に枯渇することが考える中、次世代エネルギーの一端としてバイオ・エタノールには今後もさらなる注目が集まるだろう。本書は冒頭においてバイオエタノールの説明や、長所と短所等、国家ごとの取り組みについての記述が具体的データを用いて丁寧になされており、バイオ・エタノールを知る入門書としてふさわしいと言えるだろう。
さて本書のメインテーマは、「食糧及び飼料用作物であるサトウキビとトウモロコシの燃料利用は、食糧需給にどのような影響を与えるか?」である。経済学の手法を用いて国際価格上昇の予想が丁寧に検証されており、「トウモロコシ・ショック訪れる!?」などど過激な表現で読者を煽る類の本ではない。
米がバイオエタノール推進を声高に主張した際、南米ではデモが発生した。南米における主食であるトルティーヤはトウモロコシを原料としており、「米のバイオエタノール政策が主食の価格上昇を招いた」と彼らは主張した。実際バイオエタノールに使われるトウモロコシとトルティーヤに使われるトウモロコシの種類は別物であり、その根拠の正しさは眉唾ものである。しかし、とうもろこしの消費を輸入に依存していたり、とうもろこしによる食糧援助を受けている開発途上国にとっては、今後深刻な問題になりえることは間違いがない。そして、とうもろこしの9割を輸入に依存する日本にとっても他人事ではない。
資源のあるなしは国の命運を大きく左右する。歴史上、資源の争奪のために多くの戦争が引き起こされた。資源の無い国は生産において大きく不利であり、原料の調達のために頭を捻らなくてはいけない。石油輸入のコストを非石油産出国がバイオエタノール生産で補おうとすれば、食糧不足の国が価格上昇で苦しむこととなる。資源・燃料問題は、世界がゼロサムゲームであることを映し出す。
資源に注目すると、関係諸国のパワーバランスはその地理的条件でほぼ決定されてしまうと言ってもよい。だからこそ資源を持たぬ日本にとって、資源を必要とせず人間の想像力が生み出す付加価値によって利益を生み出すコンテンツ産業は重要であると言える。
2010年11月12日金曜日
ホンヨミ!1112①指導者の条件【金光】
指導者の条件とはあるが、指導者に限らず人間として心得ておくことで人生を豊かできる言葉のように感じた。またすべての言葉が武士や学者など歴史上の人物の行動から抽出したものなので、歴史を学びながら普遍的な法則を読むことができた。
以下、自分が印象的だったことをいくつか。
落ち着き
人間だから時に不安を感じ思案に余るのは当然だが、内心で感じても軽々に態度に出すべきではなく日頃から事にあったって冷静さを失わないように自ら心をきたえるとともに、どんな難局でも落ち着いた態度でそれに対処すること。
冷静さ、落ち着きを保つことは自分の能力を100から120にすることではなく、100を100のままでいられるかということ。落ち着きを求められる局面は多くはないからこそ、いざという時に思い出したいことだと思った。
誠実である
誠実な人はありのままの自分というものをいつもさらけだしているから、心にやましいところがない。心にやましいところがなければ、よけいな心配したり、おそれたりすることなく、いつも正々堂々と生きることができる。うしろめたさがあるから力強い信念にみちた活動もできにくくなる。
いくら駆け引きの場面であっても誠実にあること。誰に対して、ではなく真実を率直に訴えていくこと。誠実という言葉をありのまま、と言い換えてあるところがとてもわかりやすく、そこから始まるスパイラルの根本にあることなんだと気付いた。実行はたやすくないが、普遍の言葉だと思った。
ホンヨミ② 国際貢献のウソ【黄】
【ホンヨミ!1115①】感情/ディラン・エヴァンズ 著 遠藤利彦 訳・解説【斎藤】
2001年宇宙の旅、マトリックス、A.I.など多くの映画で人間的な感情を持つコンピューターが登場しており、誰しも少しくらいはそんな未来がやってくるのだろうかと想像したことがあるはずだ。なにより、ドラえもんという国民的人気キャラクターも情動を持つコンピューターロボットだ。現在、私たちの多くが触れるコンピューターは無機質なものであるが、将来的には人間のように情動を持つコンピューターが登場すると主張する科学者もいる。そういった主張を哲学者をはじめとする人々は様々な根拠をあげて否定する。
コンピューターが人間に近づくことができるかというこのような議論は私たちに情動とは何かについて考えるキッカケを与えてくれる。
人間とコンピューターの違いとはなんだろうか。本書ではそれこそが情動であるとしている。そこでさらに問題となるのは情動とは何かという事だ。
本書で提示されているのは神経生物学的根拠によるもの、行動に表出するもの、機能的な基準によるものなどである。一つ一つを検証することは割愛するが、こういった定義の一つにだけとらわれてしまうことは、情動について考察するに当たってふさわしくないとされる。心理学者、哲学者の間でも多くの相互関連を持つ側面から総合的にとらえる必要があるとのコンセンサスが形成されている。安直ではあるが、こういった様々な基準よりも私たちにとって一番納得ができるのは、私たちが感じとる感情の根源が情動の最も主要な定義ではないかと思った。
ロボットが障害物を避けるようにプログラミングされたり、カメラに映った人間の表情、行動に応じて何らかのアクションを示したりなど、あたかもコンピューター側が主体的に判断をしているような錯覚に陥ることを体験した事があるだろう。しかし、それはあくまでもプログラミング通りの動きをしているにすぎない。本書では、情動の条件として不確実性があげられているのだが、プログラミングされているという事実は不確実性とは正反対の性質を持つのでコンピューターには情動を持つ素質がはなから無いと言えるかもしれない。
ここで面白いのが、コンピューターに不確実性を加えることで、人間にとって大きな利益を与えるということであった。例えば、惑星を探索するロボットは人間が地上から常にリモートコントロールしなければならない。これは大きなコストである。もしくは、はじめから行動をプログラミングしたとしたら、不慮のアクシデントに対して全く無抵抗になってしまう。コンピューターが自ら、状況を判断して次のアクションを起こせるならば、そういった危険を回避できる。こういった不確実性によって惑星探索ロボットの稼働効率は上がる。同じように様々な分野で応用できる。コンピューターは二つ以上の目的をこなさなければならないというジレンマを抱えているが、人間が指示をしなくとも自ら効率的な方法を判断することができればその利便性を増す。あくまでも人間のプログラミングに反することのない範囲でという制約はついてしまうが。しかし、その制約を超そうとするのが情動であるのだが、といったエンドレスな思考に陥ってしまうのも面白いと思った。
本書は一冊で感情、情動について理解できるとされるものだが、正直いって完全に理解はできなかった。ただ、足がかりにはなったので今後も続けて情動とは何か考えてみたいと思った。
【ホンヨミ!1112②】JUSTICE【高橋】
夜な夜なちょびちょび読み進めてようやく読み終えました。
Podcastの動画(無料)も一緒にみるとより理解が深まって面白かったです。
①Affirmative Action
ここで扱われたのは大学入学に関して。民族多様性促進を優先すべきか、それとも「出来る」順で順当に入学者を認めるべきか。それぞれに側に立ってみて考えると、どちらの言い分も理解できるが、そのバランスをどこで決めるかが本当い難しいと思った。逆差別の問題もあるが、現状のままでいいわけでもない。賛否両論のトピックを多く扱う本著のなかでも特に考えさせられた章の一つであった。結局は見本となるべき大学という教育機関の役割上、民族多様性をとったわけだが、逆差別的視点でみたら自分より点数が低いのに社会的minorityということで選ばれて自分は落ちるというのは理不尽だと感じてしまうだろう。どちらにしたって当人たちに一切の問題があるのではない。社会そのものの問題であり、生まれてくるとき自分の人種やstatusを選ぶことが出来ないだけに一筋縄でいかない難しいトピックだと感じた。
②The Runaway Trolley
トロッコを例に、人の命の重さについて議論している。より多くの命を助けるために一人の命を犠牲にすることは本当に「正しい」ことなのか?命の重さは数の問題で完結できるものなのか?例えば5人の作業員の命を救うために路線変更して1人の命を犠牲にするとする。理由はより多くの命を救うためにやむなくやったとなるだろう。ならば今度は自分が運転手ではなくてトロッコが走るのを橋の上から見る傍観者の場合。5人の作業員が轢かれそうな状況で、隣の身体の大きな男性を付き落とせばトロッコを止めることができる場合、自分は隣の人一人の命を犠牲にして5人の命を救うだろうか。ここでは多くの人はそんなことはせず、ただ5人が轢かれてしまうのを張り裂けそうな思いでみているしかないのだろう。しかし、もし一つ目のケースの理由が命の数を天秤にかけて選らんだというならば2つ目のケースで矛盾してしまうことになる。当たり前に思っていた自分の価値観に風穴をあけられたような気分になって深く考えてしまったことだった。自分ならどうするか…。その理由までつきつめると答えを出せずにいる。偽善を口にするのは簡単だが、「正当」な根拠づけは難しい。
③Pregnancy for Pay
妊娠することができない夫婦が代理出産を頼んでのケース。一つのビジネスとして代理出産する女性と代金を支払う夫婦を取り持つ業者がある。そこに自主的に応募して代理出産をした女性が、実際に子どもを産んだあとになって子どもを引き取りたいと申し出て引き渡さないことから夫婦が訴訟を起こした問題。契約金は支払われているのにも関わらず母としての情から子どもを手放せずにいる女性。ここで触れられていた部分で印象に残ったのが、「自主的」に応募したというとこに疑問を投げかけている箇所。契約金欲しさに社会的に恵まれていない貧困層の人が生きていくために応募したという状況は本当に「自主的」だといえるのか。ある意味では社会に強要された、残された道でしかないのではないかという視点。「自主性」の定義を安易に考えてしまっていたのではないかと考えさせられた。社会からある種「強要」される「自主性」。社会的minorityに実際にならないといくら正論を吐いてもわからない内面の問題で、一見代理出産した女性が全面的に悪いと思いがちだが、その経緯や背景についてもじっくりと考える必要があると思った。それが社会全体をより良くしていくものに繋がるはずなのだから。
【ホンヨミ!1112①】聴き上手【高橋】
聴き下手なとこを克服したいです。そのヒントとなるものをいくつか見つけることができました。
①心を亡ぼす=忙しい
忙しすぎると他人のよさ、人の話の大事な意味がわからなくなり、人の話に耳を傾ける余裕がなくなってしまう。自分に余裕があると人の話もじっくり聴くことができるのに、自分のことで精一杯になると他人の話さえ頭に入ってこなくなってしまう。忙しいときでも変わらず人の話にしっかりと耳を傾けることができる心の余裕も持ちたいと思った。そのためにも物事を合理的に処理しないと余裕たるものは生まれないのだろう。忙しくしているだけでなんだか充実している気分になる。しかしその反面、自分のことにしか頭がいかないことが多くなり、人が話していることの本質を捉えることができなくなってしまうのは非常にもったいないことだ。新しい発見や価値観は、他人から得ることが多いにあるにもかかわらず、その機を自分で逸してしまう。そうならないように忙しいときでも意識して人の話をよく聴ける人になりたい。
②先入観の排除
何においても先入観・偏見をもたない人でいたいと思っているものの、どうしたって人の話を聴くときは自分の頭にある要素と絡ませて考えてしまうため、話し手の意図していないことを考えてしまっていることがあるのかもしれない。まったく白紙にして他人の話を聴くというのは、なかなかできないことである。しかし、意識して自分の中にある価値観に結びつけないようにする努力は必要だと思った。真意をつかめる力を発揮できるように、虚心坦懐に、即ち素直な心をもって、相手の話に耳を傾けることを意識する必要があると感じた。
③対応上手
「聴き上手、すなわち話させ上手は、対応上手」。人の話を正しく理解するために相手の話の真意を知ることが必要で、そのためには人の話をよく聴き、よく訊くようにする態度が大切だ。ただうなずくだけなら聞き流し上手とでもいうのだろう。「聴く」ということは相手の話をしっかり理解して、自分の頭でその内容について何らかの考えをすることができることだと私は感じた。そのために、自分の確認したい内容を話させる、つまり訊く力によってより深い理解をする。深い理解からその後の対応もよりよいものとなる。聴き上手は結局は対応上手ということまで考えることができる。「聴く」という動作一つとっても大変な気配りが大事なんだなと改めて思った。
2010年11月11日木曜日
1112ホンヨミ①【黄】デフレの正体
2010年11月10日水曜日
【ホンヨミ!1105①】モジュール化の終焉 統合への回帰/田中辰雄【斎藤】
まず、本書におけるモジュール化の定義を述べる。簡単に言うと”ユニット間の固定されたインターフェースが公開されている事”である。固定されたインターフェースに従えば誰でもユニットの生産が可能であるということだ。インターフェースとは自動車でいうシャーシにあたり、ユニットはシャーシに組わせるその他の部品となる。つまり、インターフェースとはユニットAとユニットBを連結される媒体となるものと考えてよいと思う。公開されている規格に従えば誰にでもユニットの生産が可能であり、それによって引き起こされる競争による価格低下などがメリットである。それ以上に、突破型革新技術の恩恵を受けられるというのもメリットだ。これまでに無かった新しい製品が生まれたときに、それを組み込む事ができるということである。パソコンとワープロの違いを考えると分かりやすい。パソコンならば、新しいサービス等を後から組み込む事ができる。それはユーザーが自分で設定をしなければならないなどの難点があるが、ワープロのようにはじめから完成された製品と異なり新しい機能を組み込む事ができるという可能性を持つ。こういったモジュール化が情報通信産業では主流であった。
本書ではこのようなモジュール化が終焉するとしているのだが、それは何故だろうか。
まず、留意点として本書ではモジュール化がエンドユーザーの領域において終焉すると述べられているにすぎないことを述べる。つまり、パソコンメーカーのデルは規格を公開して世界中から部品を調達する一方で、パナソニックは統合型の特徴に見られるように専用設計部品として発注しているといった違いについては別の議論、考察が必要としている。ここでのモジュール化の終焉とはAppleのIpodとitunesのような統合型のサービスについて考えるとよいと思う。
【終焉の根拠】
モジュール化終焉の根拠とされるのは、情報通信産業において
(1)突破的革新の頻度が低下した
(2)ユーザーの要望は製品の安定性、使い易さとなった
(3)インターネットにおいて統合型サービスが増加している
以上の三点である。たしかに、音楽のダーウンロードの関して、以前ならば配信事業者、再生ファイル形式、再生ソフト、再生プレイヤー組み合わせを自分で行わなければならなかった。ある程度の知識が無い人間にとっては敷居の高い仕組みである。これに比べて携帯配信やitunesでは以前より機能は限定されるものの、ユーザーは統合されたシステムの中で好きな曲をダウンロードし、そのままプレイヤーで再生するだけである。楽曲の善し悪しもあるだろうが、こういった簡単なシステムによって携帯による音楽配信での100万ダウンロードが簡単に実現しているのだろう。余談になってしまうが、既に成功をおさめているitunesではSNSの機能も組み合わされた。これに関してはネットワーク外部性も関係するだろうが、より簡単にサービスを楽しめて、それらを簡単に友人と共有することができるためには一連のサービスを統合化しなければ実現はできない。
本筋には関係ないが、ネットワーク外部性を定義するならば同じサービス、財の利用者が増えるほどに、その利用者の利便性が高まることである。例えば、電話を使用する人が世の中に一人しかいなければ電話を使う意味が無い。二人以上いて初めて電話による通話が可能になり、電話というサービスの価値が生まれる。それ以降に電話の使用者が順当に増えていけば多くの人と通話できるようになり、電話というサービスの価値もそれに比例して高まる。windowsユーザーが多ければ互換性などの問題から他のユーザーもwindowsを使うといった例も挙げられる。
【モジュール化終焉とガラパゴス日本】
モジュール化の終焉のよって日本企業にも躍進の可能性があるといえる。これまで日本は携帯電話を筆頭に世界基準とは異なる独自の規格を定めてきたことからガラパガスと揶揄されてきた。しかし、消費者が統合化したサービスが求めるようになれば、NCで扱ったSHARPのGARAPAGOSなどにも成功する可能性を見いだせるのではないかと思う。それは、amazonのkindleがアメリカで成功している事実に裏付けられる。統合化したサービスでは、突破型技術革新が起こりにくいとされるが、確かにGARAPAGOSとIpadの違いや改善点は一般消費者に分かりにくい。全く異なる統合されたサービスをまるまる開発・普及することができなければ、既存サービスをまねた統合化されたシステムの安定性、簡易性勝負となってくるのだろうが、消費者の立場からすると異なるデバイス間でもコンテンツ再生は可能であるようにしてくれればありがたいと思う。itunesのコンテンツをGARAPAGOSでも楽しむ事ができれば素晴らしいシステムだろう。そういったことができたのがモジュール化主流時代にあったMP3のメリットだったのだろうと思った。それを捨ててでも簡単なシステムを提供してもらう事は私個人に限って言えば有り余るほどの便利さを感じる。
1105ゼミ感想
体験して数日経ち、改めて考えてみると色んな疑問が湧いてきた。そこで気づくのは、自分はなんと物事の表面的な部分で人、行為、目標…さまざまなことを判断していたのだろうかということだった。
銭谷さんが仰っていた「目が見えなくて好きになった人を、目が見えるようになっても好きでいると思う。」ということはきっと本質だと思う。
僕らの班をリードしてくださったこづえさんという方は目が見えないのだが、話をするときに僕ら一人一人に顔を向けて言葉をかけてくれた。僕は相手の場所を認識する時に視覚主に用いている。もしくは聴覚だ。でも、よくよく考えると特定の物差しでは測れない相手の気配への感性こそ重要なのではないかと思った。
こういった認識論的分野に浅学なのだが、物理的な認識にとどまらず、価値観や生き方といったことにおいても数値化できない部分を大切にしたいと思う。
日々、都会の忙しさの中で生きているとどうしても表面的な出来事に追われてしまい、ついにはそれしか見られなくなってしまいがちだが、本当に自分が大切に思う事を見つめられるようにありたいと思う。それは目や耳では見つける事ができないものなのかもしれない。 最後に銭谷さんから、お前らの目は死んでいるよと言われてしまったが、その通りだと思った。
暗闇の中で活動する機会はもちろんですが、そういった事を考える機会を与えてくださった、銭谷さん、宮村さん、岸本さん、ありがとうございました。
2010年11月9日火曜日
【1105】スペイン現代史 模索と挑戦の120年【田島】
太陽の沈まぬ国、闘牛の国、みなさんはスペインという国にどのようなイメージを持っているだろう。先進国としての印象が強い西ヨーロッパにあるスペインが、ほんの30年前、私たちの両親が学生だったころまで独裁的な権威主義体制国家であったことを意識する機会は、今日では少ない。本書は文字通りスペインの現代史を扱ったものであるが、いわゆる物語のような形式ではなく、時代を区切ってそれぞれ「政治体制」「経済」「教育」などテーマごとに書かれているため、何かスペインの現代史で具体的に知りたい部分があるなら非常に役に立つだろう。
スペインが30年間以上独裁体制国家を維持し続けられた事実には、「民主主義をリードする西側陣営」というイメージもあいまって、「時代錯誤感」を感じさせる。はたして国際社会はこれを批判しなかったのか?事実、終戦後以降「元枢軸国寄り」「反共産主義」「独裁国家」というレッテルを持つスペインが、連合国が作る新しい国際社会秩序の中で味方を作ることは困難だった。国連は決議によって、スペインの国連及び関連組織への加入を拒絶し、スペインは事実上国際的孤立期に入った。マーシャルプランからも除外されスペインの経済は困窮を極めたが、最終的にはアメリカがスペインへの経済支援を決定する。東西冷戦が深まる中、米国の対東戦略において、スペインの地理的条件の良さが注目されたのだ。西側諸国は冷戦軍事政策と引き換えに、結果的には「独裁国家」スペインを承認することとなったのである。
マイナーにも思えるフランコ期のスペインの歴史を知る意義は何か。独裁体制・権威主義体制といういわば「化石」のような政体が1970年代まで西ヨーロッパで餌を生き続けたいびつさには、民主主義という国際社会の「正義」より、実態は権力闘争が優先されるという国際政治の事実が表されている。声明などに現れる国家の建前のみを鵜呑みにせず、現在の国際情勢の裏側にどのような権力争いが隠れているのか、常に注目していくべきである。
【1029】フランコ スペイン現代史の迷路【田島】
ご存知のようにフランコとは、スペイン内戦に勝利して権力を掌握し、1975年まで個人独裁体制を維持させ続けたスペインの独裁者である。2007年スペインでは「歴史記憶法案」が施行された。スペインでは75年以降でも、フランコについて語ることは避けられる風潮にあった。 いわば一種の「タブー状態」であったと言える。しかし民主化後初めてフランコ体制への批判を盛り込んだ同法案の可決など、近年フランコについて再考しようという試みが行われている。
前述のように情報が公開され始めたのが最近であることもあり、フランコに着目した日本の学術書は少ない。この本はフランコという人物に注目しスペイン現代史を紐解いた珍しい書籍である。また記述が詳細であり、国粋派を中心としたスペイン現代史に関する本としても役に立つだろう。
フランコに関しては、日独伊を中心とする枢軸国と極めて密接な関係にありながら、第二次大戦を通じて中立を標榜し、結果的に戦後も政権を維持できた事実が興味深い。しかしフランコ自身は大戦のゆくえを予期していたわけではなく、内戦後の貧困に苦しみ、参戦を阻止するために連合側が申し出た援助に飛びついただけともいえる。フランコは軍人としての溢れる才能でもって出世し、権力を持つことには執着していたが、高度に知的な理想もイデオロギーも持っていなかったといってよい。「ナチズム」「ファシズム」といった政治思想を持ったヒトラーやムッソリーニが倒れ、イデオロギーに傾倒せず目先の利益にすがりついたフランコ政権が生き残ったことは皮肉ではあるが、それが国際政治の真実であるのかもしれない。フランコは自ら世界秩序に働きかける能力はないものの、バランスをみて波に乗って泳ぎ切る能力はあった。国益を優先し、自国に有利な国際情勢を活かすという外交において必要なことは果たしているが、フランコの外交能力を高評価するかは、個々人の「外交能力」の定義によるだろう。
最近対中国への日本の外交は稚拙であるとの批判の声が上がっている。長い間平和を享受し、国際政治の本質である、パワーの維持、国益の維持のための外交感覚は失われてしまったのかもしれない。もちろん第二次大戦は二度と起こってほしくない惨禍である。しかし限られた時間の中で危機的状況に対応してきた戦中の政治家たちの軌跡を見ることは、リーダーに必要な資質や外交とはなんであるかを再び考える機会を与えてくれるだろう。
2010年11月8日月曜日
1105ゼミの感想【山本】
今回、お忙しい中企画して下さったものつくりの先輩方、相島さん、本当にありがとうございました。
以前からずっと気になっていたDITDですが、予想以上に沢山のコンテンツがあり、とても楽しかったです。シンポジオンも、私はまだまだ考えを整理できていなかったのですが、とても学ぶことが多かったなと思います。
自分の考えがまとまっていないのと、様々な解釈の可能性を含ませて、あえて箇条書き風に以下感想を書きます。
DITDの暗闇を歩いているときの感覚は、普段の生活でも似たようなことがある気がします。 自分が声を出さないと、他人に存在を認識してもらえない感覚です。 私は去年の夏休み同じような経験をしました。1ヶ月のヨーロッパ旅行から帰国したとき、日本での全てのコミュニティーから自分の存在が消えてしまったような気がしました。次の日私は、炊き出し活動をしていました。無意識のうちに他人に存在を示そうと躍起になっていました。自分から働きかけなければ世の中から取り残されてしまうという焦りも感じていました。ただしこのときの私の行動は少し安直で驕っていたと思います。今でも反省しています。
銭谷さんが下さった言葉がとても素敵だったので、共有します。“give&takeのgiveが先にあるのは何でだと思う?”ということです。
ひとと接する中で、あるいは人にひとに何かを訴える中で、すごく大切なことが疎かになっていたな、ということに今回気付かせていただきました。
ものつくりのみなさん、本当にありがとうございました。
【ホンヨミ!】職業としての学問【金光】
今から約100年前に活躍したドイツの経済学者マックスウェーバーが、同名の講演会をしたときの原稿を書籍化した作品。
学問を教えることを職業とする教授(先生)についてを中心に書かれていた。
ふとした瞬間の「思いつき」が研究の大きな発見に結びつくこともある。そしてそれは運のように見えるけれども、これが備わっているか否かはその人がたとえ学者以外の職業についたとしても同じように発揮される。という内容は印象的だ。
運に見えて、運ではなく自分で引き寄せているもの。それは俗人から見ると理解できないほどそのことに没頭した結果に現れるもの、だという。
今の世界は未開社会に比べて進んでいると見えてそうでもない。今は遠くに行きたければ電車に乗れる。でも、その電車がどういう仕組みで動いているのか説明できる人は少ない。日々の生活に欠かせない貨幣の役割も。自分の生活条件に関する一般知識を持ち合わせていないという意味では進んているとは言い切れないのである。
私はこの傾向はこれからもどんどん進んでいくと思った。以前Googleについての本を読んだときに感じたのは、一握りの優れた頭脳を持った人がそのほか大半の人の頭脳をますます働かせなくても生活できるような便利さを生んでしまうのだ、と。
マックスウェーバーは、優れた教授は教壇という場で自分の意見や見解を述べるのではなく、聞いている者に自己とは違う考え方の存在を承認させること、と述べている。盲目的にああるものを信じ、頼り切るのではなく、自己と違う他者の存在や考え方を認めること、そしてそのためによく頭を使って考えること、をやっていこうと感じた。
1105ゼミ感想【岡本】
自分が問題意識をどのあたりに持っているのか、興味分野が結構色濃く反映された論文テーマが多く、面白かったです。ちょっと個人的な興味関心分野でもあったので、フラッシュマーケティングについてFBします。というか多分自分が個人論文書くとしたらまず間違いなくこのトピックで提出していたので危なかったです笑…そのときに色々調べたのでちょい長々とFBします。
ぶっちゃけて言うとこの間のNC、フラッシュマーケティングと迷った挙句に電子書籍にしました。それで、FBでもあったので参考になるかと思って言いますが、自分自身が何を面白いかと感じたかと言えば、なんといっても「一消費者が必死こいて一商品あるいは一企業の広告塔になるという構図」(もちろんクーポンのためではあるのだけど)の滑稽さ。しかも「結果がでなければ報酬はナシ」という徹底した成果主義、言ってみれば「タダ働きも可」みたいな条件を消費者が何食わぬ顔で了承している、この滑稽さ。場合によっては9割引みたいな価格で商品が買えることでユーザーとしても利益が大きく、懸賞なんかを考えてみると分かるように、利益が大きいものに対しては「ダメで元々」的な感覚も働きます。だから必死に宣伝してダメだった場合でも不満というのは案外と少ない。
かつSNSやTwitterの利用が想定されているということは必定「親しい間柄の中での宣伝」がメインということになり、それは広告としても非常にうまいことリーチします。少なくとも赤の他人からくる訳のわからない宣伝よりは警戒感も少ないでしょう。しかも「お得情報」です。
加えて、情報の伝播がすさまじく速い。現在はより速さを重視するためにクラウドサービスを利用するようなところも出てきているそうです。ちょっと書きすぎな感があるのでこの辺は割愛。
で、日本ではフラッシュマーケティングはまだまだ黎明期で、何が来るかわかりません。本場のGrouponやらリクルートの何とかいう(忘れました)サイトが強いのではないかと噂されていますが、まだまだ予断を許さない状況です。
何が言いたいかというと、このトピックは黎明期の今やるからこそ面白いというような試みが考えられます。雨後の筍のように続出するGroupon系のサイトですが、そこはモチロン各社きちんと差別化を図ってきている。そのなかでフラッシュマーケティングサイトの「核となる性質は一体何か」分析し、また、だからこそ「どのサイトに最も大きな可能性があるのか」考えるのはすごく面白いし、論文全体として抽象的・概念的な方向に偏り過ぎないと思います。覇権を握るサイトが現れる前だからこそ、今後を予見した価値のある論文になるのではないかと。
【ものつくり学部:DITD~シンポジオン】
自分だけでは絶対に出会うことのない、すごく面白いイベントでした。相島さん、ものつくり学部のみなさんには本当に感謝しています。どうもありがとうございました。
正直なところその後のシンポジオンで話されたような「自分自身にフォーカスした視点」というのはあまり持てなくて、「いま自分が体感しているこの世界は目が見えない人にとって紛れもない『日常』で、それはイベントだからこそこうした楽しさに彩られているけれども、決してそんなに楽しい世界じゃないんだろうな」とかそんなことばっかり考えてました。別に正義感みたいなものからそんなことを思ってたわけじゃなくて、暗闇って実際すごく不安で、あのイベントだからみんな声を掛け合ってやっていた(なおかつそれがすごく支えになった)けれども、この日本で目の見えない人にああやって声を掛けてあげられる人がどれだけいるかというと殆どいないな…とかなんとか。暗闇が本当にすごく不安だということを実感を伴って感じたからこそ、そういう部分もすごく際立って感じられたというか、そんな感じです。
で、そんな目線でずっと考えていた自分の率直な感想としては、障がいがあるから「何が出来ない」ではなく逆に障がいがあるからこそ「何が出来る」、そういった肯定的な目線でのアプローチが、今後社会の中でもっと一般化していけばいいなと。こんなごくありきたりな論調でもってイベントの感動を矮小化したくはないのですが、そういった障がい者支援の方向性としても非常に見るべきものがあるイベントだと感じました。
ただこんなことを言うと反感を買うかもしれないのですが、目が見えないということは比較的に肯定的に捉えやすい障がいだとも思います。世の中には、「本当にどうにもならない」(或いはそう感じられる)障がいがあります。具体的に何とは言いませんし言えませんが、そういったものの一つ一つについて「仕方ないね」ではなく「差別しないようにしよう」とかでもなく、今回のイベントのような「抜本的な解決策」を提示してあげられること、或いは考え続けていくことに、今回のイベントで誇らしげに働く人々を見たからこそ強い必要性を感じました。自分自身、金ゼミにの中にあってあらゆる「イノベーション」が組織開発とかウェブサービスとかに向きがちだったものが、「イノベーションにはこういう方向性もあるのか」、気付かされた次第です。
ゼミの感想
個人論文は今年から始まりました。電子書籍に続き、今回は二回目なのでみなさんなら大丈夫だと思います。
なんとなく全体的にリアルタイムウェブの文脈に収まる話題が多い中で黄さんのプレゼンが印象に残りました。黄さんはゼミに入ったときからウェブと教育というものが根底の問題意識としてあるようです。これから様々メディアが出てくるなかで子供たちがどのように情報に接していくのか、規制はどこまで必要かの議論はとても曖昧で難しいと思います。ですが、よい結論が出ることを期待してます。勉強させてもらいたいです。
ダイアログ・イン・ザ・ダーク
僕の周りで常々話題になったのですが、ようやく参加できました。
機会をくださったものつくりの皆様には非常に感謝いたします。
暗闇の中で自分が消えてしまうというか、ただ意識だけが浮遊しているような不思議な感覚をもらいました。それと同時に他人の存在をとても意識させられました。自分の五感も大事だけれど、他の人との距離感を相対的に把握することで前に進んでいけたような気がします。久しぶりにインスピレーションをもらえた出来事であったので、この気持ちを忘れないうちにアウトプットしたいと思います。ものつくりの方々には重ねて感謝いたします。本当にありがとうございました。
2010年11月7日日曜日
[1105ホンヨミ!②]The magic of thinking big[矢部]
原著は英語で書かれていてタイトルの通り。
この本は自己軽視することが自分の自信をなくし、それに伴い成功が得られないと云う人生もこの原理に従うということだ。私は幸福であり、自信に満ち、成功するのだと思えば、幸せな結果がついてくる。逆に自信がない、うまくいかないだろう、幸せになる自信がないと思い込むとそのとおりになってしまう。心というのはすでに人生の結果を指示しているものである。未来のヴィジョンなのである。
とても良い考え方である。積極的に前向きに大きく物事を考えると広い開放的な気持ちになれるのであろうと思う。自分を小さく捉えるのは良くない。
私が思うには考え過ぎというのが、自己軽視の行き着く先と合致しているのではないか思う。時には必要だと思うが、集中的に考え過ぎるのではなく、直感とか雰囲気、流れに任せてフィーリングしていくことは大事なのである。真面目にやることは良いが、生真面目にやるとうまくいかないことは多々ある。バランスをとるべきだ。Don't think, feelとも言い換えられる本であるとも捉えられる。
1105ゼミ感想【高橋】
Twitter×広告
SNSはmixi・Facebook・Twitterとやっているが、個人的に最近ではmixiもFacebookも時間惜しさに更新せずつい手軽なTwitterをやってしまう。たしかに外国とも繋がるし、機能が充実して面白いFacebookですが、あまりの多機能ぶりに広告という要素を絡めるには短期間で個人で行う面を考えると収集がつかないと思い、Twitterを選びました。そこで、"Promoted Tweets"と"Twad"に着目したのだが、もしかしたらTwadに特化して考えた方がいいのかもしれないと思いました。Twadはまだあまり認知度が低いと考えられるからこそ分析してみたいと思い、もう少し絞りこんだ内容で論文作成に取り掛かれたらなと。
以前NCで取り上げられたからこそ深めたいと思ったトピックだったので、新しい発見を論文で発表できたらと思いました。
先輩方からのFBを反映させて、軸をしっかり定めた上で取り掛かりたいです。
②Dialog In the Dark
自分は普段あまりに多くのことを視覚に頼っていたんだなぁと改めて実感しました。
若干暗所恐怖症だったのですが、みんながいてくれたおかげでアクティビティも楽しくできて、なんだか見えないのにまるで「見えている」不思議な感覚になりました。また、他の感覚器官が鋭くなったこと、そして「見える」ことがいかに大切なのか実感しました。暗闇のなかで仲間の大切さが身にしみてわかり、自分一人では立ちすくんでしまっていたと思います。
今回体験を終えて感じたのは、恐らく世間一般でいう「ふつう」というのが奇蹟なんじゃないかということでした。五体満足で生まれ、感覚器官も揃っている。そんな恵まれた身体で生まれることができていながら、大切な何かを見過ごして生きているのではないかと…。暗闇の中で目を見開いて1時間経っても目が慣れるどころか何も見えることはないのに、視覚障害者の方々はスムーズに何事をこなしている。それが彼らにとって「ふつう」だからであり、お金を手にとって何の紙幣か・硬貨かがわかること一つとっても自分にとっては新しい発見だった。点字ブロックの話をしているときも「あの黄色いやつですね」と仰っていましたが「黄色」であるということも恐らく私たちにわかるように教えてくれた情報であってどんな色をしているのか知らないであろうに口にされていたのがなんだか印象的だった。わかりやすく伝えようとしてくれている気遣いというか、温かい優しさを感じました。
人の温かさは言うまでもなく体温だけでなく内面からもにじみ出るもので、私は内面からくる温かさを大事にしたいと思いました。
ものつくり学部のみなさん、お忙しい中企画して下さり本当にありがとうございました。
貴重な体験ができたこと、改めて御礼申し上げます。
[1105ホンヨミ!①]高学歴ワーキングプア[矢部]
利他の精神
私の好きな言葉である。この本に関しての内容はタイトルの通りでその最後を締めくくる言葉としてこれが使われていた。本の内容としては、高学歴ワーキングプアというのは、利他の精神を失い、自らが生き延びることだけを最優先した「経営優先志向」を学校法人が選択した結果、必然的に生み出された産物であるということだ。日本社会に閉塞感が漂い始めている今、自らが生きることで精一杯であるかのように見える。しかし、学校はそうなってはならない。なぜなら学校は明るい未来を実現し得る可能性を持つ人材を輩出する場であるからだ。日本の閉塞感を打破できる人材を生み出すのは学校以外ないのである。慈愛の富んだ社会の方が良い。弱肉強食の熾烈な殺伐とした競争社会は悲しい。自分の利益だけに固執するような学校法人は不適切だ。その被害者となる高学歴ワーキングプアは何とも言えない状況である。日本の成熟社会においてのnext societyは知識社会である。サービス業だけでなく、農業、製造業でも最先端の付加価値のある製品やサービスを提供しなければ、未来はない。そのような意味でも高等教育の充実という施策は間違っていない。BRICsやVISTAには負けていられない。そのためにもこれから社会還元できる社会的利益のあるコンセプトをもったものが他を上回るであろう。