2010年12月2日木曜日

【ホンヨミ!1203①】環状島【高橋】

『環状島―トラウマの地政学』 宮地尚子(著)

①外側・内側
環状島モデルを用いて、その構造の内側と外側で区分けして当事者と非当事者を分けて分析している。例えば移民や先住民族など、国内では「よそ者」扱いされる人々を内側にしたとき、内側にいる人たちはどうしたって逃れられない状況にあるが、外側の人たちは支援者であれ傍観者であれ自ら簡単に手を引くことができる。傍観者で無関心でいることが一番危険なことで、「相手にしなければよい」「関わったらロクなことがない」という言葉は両者の溝をさらに深めてしまうだけになる。しかしながら、支援者は勝手に当事者のことを決めつけている可能性もある。例えば人権団体がアフリカの女子割礼を人権侵害だとして廃止を「支援」する動きがあったとき、割礼されている側のアフリカ女性たちは「名誉ある行為」であるのに勝手なことをするな、と「支援されている」側であるはずの方から反発を受けた事例がある。おしつけがましい「支援」となってしまっていて、勝手に当事者のことを決めつける自己満足に他ならない場合もあるのである。しかしながら、彼らがいることでissue化されて世間に問題提起をすることを可能にしているのも事実である。傍観者にせよ支援者にせよ、自分次第ですぐに手を引くができるのが当事者と決定的に違うところであり、その立ち位置たるpositionalityを私たちは自覚する必要があるのだ。まったくの無知無関心はパターナリズムを生みやすいのである。

②グレーゾーン
当事者・非当事者を併せ持つのが「グレーゾーン」の人々である。個人的に自分はここに属する人間なのかなと思った。生まれと育ちが一致するようで微妙にしない、どこで育ったかといわれると返答に少し困ってしまう、いわば根なし草だからこそ日本では異質者とみられたこともあり、外国でも異国からきた人ということで良い意味でも悪い意味でも差別された経験があるからだ。ただ日本国内にいると細かい話までしない限り「傍観者」であることが多い。どちら側にも立てるゆえに簡単にどちら側にも転ぶことができる。このゾーンに属するからこそ両者の橋渡しに貢献できる可能性があるのではないかと本書を読んで思った。

③投企的同一化
しかしながらグレーゾーンだからといってすべてを理解できているわけではない。投企的同一化をすることによって当事者の思いまで理解できる場合もあれば、自分の経験と照らし合わせて考えて、支援者同様勝手に自分に置き換えて決めつけてしまう危険性も孕んでいる。本当に被害者・当事者の位置に立てているのだろうか?自分のフィルターを通して決めつけていないか?これを常に問い続けなくては見失ってしまうだろう。

多文化共生、社会的統合。本当の意味での相互理解とは何か。

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