2010年12月14日火曜日

ホンヨミ!1217①理解という名の愛がほしい【金光】

『理解という名の愛がほしい』山田ズーニー

この本を読んで思ったことは二つ。
”ベクトルが自分に向いているかそうでないか”と、
”自分の心が感動すること”。

一つ目のベクトルの話。
謝っているはずなのにその人の言葉は自分の言い訳になっていたり自己分析を並べた言葉になっている…とか、
仕事であっても”自分のため”にこなしてしまう人…などの例をあげて、ベクトルが自分のため!!!に向いている人の多いことを指摘していた。
そこではっとした。
””自分のことを理解してほしい!””というエゴを全面に出す自分の中の自分に気付いたから。でもそれは自覚すべきことだけれど恥ずべきことではないと思う。なぜなら誰もがそんな気持ちを持っているから。その証拠に「この話し合いの目標地点は…」とまず明確に決めておく。 「ターゲットは誰なのか」を説くドラッカーの本が売れる。これと自分のゼミでの二年間を振り返ってリンクさせられる!と思ったが、詳しくは今週金曜日のゼミでプレゼンに盛り込みたいと思う。


二つ目の、自分の感動ポイント。
学校に行く電車で読んでいたら思わず涙してしまった。たぶんこの本の伝えようとしている要旨とはずれているが、内容は親子の愛だった。親は子の吐瀉物も汚いと思わない、でも子は親のそれを見て汚いと思う。親から子への愛は子から親へは返せないからこそ、子が大人になって親になり子を育てることで愛をつないでいく。という流れだった。しばらく学生生活が続くことになり、実家で暮らしていて毎日顔を合わせているのにこの個所を読んで涙が出るとは思わなかった。それほど毎日無意識にたっぷりの愛情をもらって生活しているんだな、と思った。感謝しています。

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