2010年11月12日金曜日

【ホンヨミ!1115①】感情/ディラン・エヴァンズ 著 遠藤利彦 訳・解説【斎藤】

面白かったのはコンピューターも情動を持ちうるかというテーマだった。
2001年宇宙の旅、マトリックス、A.I.など多くの映画で人間的な感情を持つコンピューターが登場しており、誰しも少しくらいはそんな未来がやってくるのだろうかと想像したことがあるはずだ。なにより、ドラえもんという国民的人気キャラクターも情動を持つコンピューターロボットだ。現在、私たちの多くが触れるコンピューターは無機質なものであるが、将来的には人間のように情動を持つコンピューターが登場すると主張する科学者もいる。そういった主張を哲学者をはじめとする人々は様々な根拠をあげて否定する。

コンピューターが人間に近づくことができるかというこのような議論は私たちに情動とは何かについて考えるキッカケを与えてくれる。
人間とコンピューターの違いとはなんだろうか。本書ではそれこそが情動であるとしている。そこでさらに問題となるのは情動とは何かという事だ。

本書で提示されているのは神経生物学的根拠によるもの、行動に表出するもの、機能的な基準によるものなどである。一つ一つを検証することは割愛するが、こういった定義の一つにだけとらわれてしまうことは、情動について考察するに当たってふさわしくないとされる。心理学者、哲学者の間でも多くの相互関連を持つ側面から総合的にとらえる必要があるとのコンセンサスが形成されている。安直ではあるが、こういった様々な基準よりも私たちにとって一番納得ができるのは、私たちが感じとる感情の根源が情動の最も主要な定義ではないかと思った。

ロボットが障害物を避けるようにプログラミングされたり、カメラに映った人間の表情、行動に応じて何らかのアクションを示したりなど、あたかもコンピューター側が主体的に判断をしているような錯覚に陥ることを体験した事があるだろう。しかし、それはあくまでもプログラミング通りの動きをしているにすぎない。本書では、情動の条件として不確実性があげられているのだが、プログラミングされているという事実は不確実性とは正反対の性質を持つのでコンピューターには情動を持つ素質がはなから無いと言えるかもしれない。

ここで面白いのが、コンピューターに不確実性を加えることで、人間にとって大きな利益を与えるということであった。例えば、惑星を探索するロボットは人間が地上から常にリモートコントロールしなければならない。これは大きなコストである。もしくは、はじめから行動をプログラミングしたとしたら、不慮のアクシデントに対して全く無抵抗になってしまう。コンピューターが自ら、状況を判断して次のアクションを起こせるならば、そういった危険を回避できる。こういった不確実性によって惑星探索ロボットの稼働効率は上がる。同じように様々な分野で応用できる。コンピューターは二つ以上の目的をこなさなければならないというジレンマを抱えているが、人間が指示をしなくとも自ら効率的な方法を判断することができればその利便性を増す。あくまでも人間のプログラミングに反することのない範囲でという制約はついてしまうが。しかし、その制約を超そうとするのが情動であるのだが、といったエンドレスな思考に陥ってしまうのも面白いと思った。

本書は一冊で感情、情動について理解できるとされるものだが、正直いって完全に理解はできなかった。ただ、足がかりにはなったので今後も続けて情動とは何か考えてみたいと思った。

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