2010年6月28日月曜日
0625ゼミの感想【矢野】
私たちの班は、「このようなアウトラインで」「このような意図で」という周りの部分を塗り固めてそこに最終的に核(いわゆるwhat)を入れようとしていたが、金先生にも言われた通り、この企画では核から考えていかねばならない、ということに自分自身非常に納得した。もしこれが何らかの研究であれば、最終的に考えつめて“what”がなかったとしてもその「無かったこと」自体が答えともなりうる。核以外の過程を詳しく提示し、この過程で考えると答えが出ないのだ、という結論でも問題はない。しかし今回の商品企画にあたっては核となる答えが存在しない、というのはあり得ないことなのである。「核」自体がその発表の価値である。当然と言えばそれまでであるが、今回求められているものによって思考プロセスも変えていかねばならないということを学んだ。
しかし、商品開発のアイディアを出すのはここまで難しいのかと驚くばかりである。どんなに考えても、つまらないか、一回やれば十分でリピートしようとは思えない、すでに商品化されている、のどれかである。最近科学技術によって「やりたいけどできない」ことが少なくなっている。そんな今人々の欲をどう満たすのか、そもそも欲なんてあるのか、考えさせられる。
<猪子さんのお話>
チームラボのHPを見て予習に代えていた私は、一ベンチャー企業の社長さん、としか予想できていなかったのだが、本当にいろいろな意味で面白い人で、自分にとってはとても新しいタイプの方であった。情報はほとんど入れない、字を読むのが苦手、卒業を目前にして何としても就職したくなかった、などなど驚くような発言ばかりであった。しかし、そんな中でも、善悪をはっきり分けない日本のコンテンツ(もののけ姫を例に取っていました)が世界で受ける理由などは非常に説得力があった。また、「俺の辞書に『不可能』はない」というセリフがよくありますが、これはまさに猪子さんが使うセリフなのだろうと思う。目の前に可能性や機会があった時、多くの人は「現実的に…」を考え篩にかけた上で自分の前に選択肢を並べるが、猪子さんはその「現実的に…」といういわゆる能力的、時間的、常識的、倫理的(?)制約を一度取っ払ってその選択肢をすべて並べて俯瞰し、取っていくことができるのだと思う。これはなかなか人が持つことのできない能力であろう。だからこそ、チームラボのようなユニークな会社を作りサービスを提供し、結果的に猪子さん自身も社会に大きなプレゼンスを発揮(もちろんそれが目的ではないだろが)できるのではないかと思う。
また、そんな猪子さんが人間にクリエイティビティーの差はほとんどない、と言っていたのが印象的であった。バンナムの案にも猪子さん的思考が活かせればいいなと思った。
0625ゼミ感想【斎藤】
【0625ゼミの感想】社会への挑戦!【田島】
この一週間を通してのグループワークは、意見を発散・集約する勉強になったり、新たな視点を与えてもらったり、大変実りの多いものであった。それを1週間で具体的プランに落とすことは出来なかったが、意味のある種をまくことが出来たのではないだろうか。
他チームの発表を聞いていると、どのアイディアも「面白そう」とは思ったが、事業化の見通しがつきやすいものとつきにくいものがあった。コンペティションの中にも、斬新な発想が求められるものや、現実的な可能性まで求められるものなど様々ある。今回の企画がどこまで求められているか、しっかり意識しながら考えていかなければいけないと思った。
【ゲスト・スピーカー 猪子さん】
唯一無二の、自由な人!という衝撃を受けました。「情報をほとんど入れない」という猪子さんの発言には驚かされました。この情報洪水社会で情報を入れないなんて!けれど実際にお話を伺うと、知るべき情報はしっかり持っているし、何よりその情報を活かして自分なりの考察を持っている。猪子さんより知識を持っている人のなかで、猪子さんより「考えて」いる人はどれだけいるだろう?猪子さんが起業するとき、「これから社会はどうなるか考え、そのなかで自分がとるべきポジションを考えた」という。また、今回のプレゼンも、日本の競争力を上げるための考察と提言だった。破天荒な発言にばかり目が行くが、これからの社会の姿を考え変えようとする、猪子さんこそ「社会人」ではないのか?
いいアイディアが生まれるには「間違いの多い場所」が必要だ、という意見がとても説得力があった。間違いを許す寛容さを残しつつ方向付けがしっかりできれば、いいブレストが出来るのだと教わった。
【0625ゼミの感想】バンダイ、ナムコ&チームラボ【岸本】
0625ゼミの感想【吉田】
今日のグループ発表はまだアイデアについての報告であり、未完成のものですが収穫も多くありました。企業の方と共同で行っている以上、必要なのは抽象的な意見ではなく収益まで考慮したビジネスプランであると改めて感じました。今回のフィードバックも踏まえて次回の発表までに以下の2点を行いたいと思います。
①「なんとなく行けそう」なアイデアではなく「衝撃的に良い」アイデアになるようにブラッシュアップする。
②市場環境やニーズ、黒字化までのスパーンも考慮して、具体的なビジネスプランを提示する。
バンダイナムコ社の方から大変貴重な機会を頂いていることを忘れずに、最高のものを作り上げていきたいと思います。
【猪子ゼミ】
今日の猪子さんのお話は、非常に面白く印象的でした。その中でも特に印象に残ったことが2点あります。
一点目は、技術と文化についてです技術と文化は表裏一体であり、それが国際競争力の源泉になるというお話はとても衝撃的でした。大量生産や単純技術における優位性では、固定費用が高い日本は競争に勝てない。日本に求められるのは、技術に新しい付加価値を提供するクリエイティブインダストリーであるというお話は新しい視点を開かせてくれるものでした。客観的な(絶対的な)ものを設定せずに、妥協点を探すことを秩序の源泉とする日本文化は、絶対的正義を求める西洋社会と比較して情報化社会に適しているという話も非常に考えさせられました。
二点目は、創造性と寛容性についてのお話です。創造的になるためには失敗も認める環境である必要があり、間違いかもしれない意見から新しいアイデアが生まれる。そして、自分の倫理では絶対に許せないことでも許せないまま認める「寛容性」が「創造性」に繋がっていくという意見については自分も同感であり、今後のバンダイナムコプロジェクトにおいてもこのような創造的な環境にしていきたいと感じました。
多くのことを考えさせられるお話をありがとうございました。
100625ゼミの感想
4・5期合同の初めての本格的なワークショップということで、それぞれの班が試行錯誤を繰り返したことと思います。しかし、どの班もwhat・why・howに対する言及が甘いという指摘を先生から頂きました。自分たちの班で考えると、自分たちの中ではwhatを明確にしていたつもりでした。しかし、実際には、どのような分野を対象にするかに留まる言及しか出来ておらず、「これ!」という一つの商品としての提示が出来ていなかった。これは、次のプレゼンへの反省としなければならない。
ただ、個人的には、whatの部分が確固たる商品としての形を持っていなかっただけで、考えを詰めれば一つの商品としての価値を見い出すことが出来るのではないかとも考えている。だからといってRPGに依存する訳ではないが、一つのアイディアとして継続して考えを構築する価値はあると思う。
また、特に次の三点を考慮してアイディアを構築するようにとの指摘も頂いた。
1) what(どんな商品・サービスなのか)
2) その仕組み
3) 3年以内の収益モデル
の三つである。リアルプロジェクトだからこそ、三田論で行う様な問題意識の共有や基礎知識の共有はせず、一気に具体的な商品を提案するという体を取るため、求められるハードルも当然高くなる。それだからこその面白さもあるし、三田論とはまた異なる進め方を学べるという点でも、とても勉強になると思う。この何台をポジティブに捉えて、来週のプレゼンに取り組みたいと思う。
【チームラボ猪子寿之社長】
【サイコー】。この一言に尽きると思う。個人的に非常に楽しみにしていたので、色んな話を伺えるだけでなく、”素”の猪子さんを見れてとても楽しかった。
また、コンテンツ産業の講義の中で、情報化社会に移行したことで、コンテンツの価値に変化が起きたと説明して下さった。確かに、これまでの時代はメディアやデバイスが制限されていたので、情報を発信することが出来るのは、メディアを所有する組織だけであった。そのため、私たちは、限られたメディアを通して限定的な情報(コンテンツ)しか享受することが出来なかった。しかし、インターネットが普及して情報化社会に移行したことで、一個人でも情報の発信が可能となるだけでなく同時にこれまで以上の情報(コンテンツ)を獲得できるようになった。その結果、今のデジタルネイティブ世代と従来の世代(デジタルイミグラント)との間にはモノの価値に対するズレが生じ、これまで価値のあったモノの価値が減少し、逆に今生まれてきたモノの価値が大きくなったのである。その点、和田アキ子と初音ミクの例えは非常に分かりやすかった。
また、【クリエイティブとは?】という問いに対して、【創造的で面白いとかテンションが上がるモノ】というお答えを下さった。一見、面白ければいいのではないかという印象を受ける。しかし、チームラボが社会に提供している商品やサービスは、人々の生活を支えたり、より便利にしたりと、単に面白いだけでなく、社会に発表することに意味のある付加価値を提供できていると感じた。もちろん、視覚的な面白さも大事だが、それと同じくらい提供するモノに生活者視点の【意味付け】を行うことがクリエイティブには重要なのかなと感じた。チームラボには、この生活者視点でのアイディア構築が自然に出来ているといった印象を受けた。
最後に、お忙しい中、時間を割いて金ゼミに来て下さってありがとうございました。猪子さんのお話は聞いているだけで自然と笑ってしまうような面白いものばかりでした。また、猪子さんの招待に尽力して下さった金先生にもお礼申し上げたいと思います。ありがとうございました。
新しい風<金光>
2010年6月27日日曜日
【栫井】0625ゼミの感想
ぼっこぼこにされたなあ、と感じました。
自分自身、そのことに納得はいっているので、これを糧にしなければと思います。
まずゼミ生の前で自分の企画をプレゼンしフィードバックをもらえる機会を軽んじていたこと、そして一週間という期間の中でやれることはたかが知れているだろうという思い込みがあったことが今回の反省点です。
日常を洗う視点を身につけ、問題意識を哲学の形に変えて、ターゲットを明確にし、フィールドワークを行い、プロトタイピングをする。
2ヶ月という短いスパンをどれだけ有効に使えるかを考えたときに、私が想定していた流れは金先生の考えているような出来の企画を作るには甘かったと感じます。
本当は一週間でダーティでもプロトタイプを作るところまでいかなくちゃならなかったのに、それをしようともしていませんでした。
それが出来なかったことの損失は、わたしたちのグループのプレゼンFBと3期生のプレゼンFBの様子を見れば明らかです。
KMDの奥出先生の仰るところに、「とにかく手を動かすべし」というものがあります。頭でばかり考えないで、とにかく作ってみて、目の前にモノを置いた上で語り合い、振り返ってみる。そしてもう一度作り直す。
トライ&エラーの精神ともいえるこのこの部分が抜けていたなあと反省しきりです。
来週もう一度プレゼンをする機会をいただけたので、それに向けて迅速に行動するまでです。
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用事が入ってしまったため、猪子さんのお話が聞けなかったことが残念で残念で仕方ありません。
TwitterのTLを追ったりゼミ感想を読む度に悔しさいっぱいです。
自分が2人いればいいのに!!
【ホンヨミ!0625①】経済ってそういうことだったのか会議【カコイ】
クリエイターでSFCの教授でもある佐藤氏と、言わずと知れた小泉改革の立役者で同じくSFCの教授、竹中氏の対談集。
おカネはなぜあるのか?株ってなんの為にあるのか?
取っ付きにくい印象の強い経済学を、易しいところから本書が著された2000年の経済状況までを網羅して解説している。
競争について、印象的な話がされていた。
市場において競争は不可欠である。寡占市場よりも、各社が凌ぎを削って競争する市場の方が、強い魅力を持った製品が生まれてくることは歴史を見れば明らかだ。
しかし、今の市場の競争は、果たして本当に必要なものなのか?増えるテレビのリモコンのボタン数を見て、果たして全てが必要な機能だったのか、考えてしまうことがある。
本書に拠ると、競争には健全なものと不要のものがある。
製品の本質を高め、切磋琢磨するものと、製品の本質を見失い、どうでも良いところで争うもの。
競争とは、本来市場に溢れる製品を洗練し、本当に良いモノを残すためのものだと思う。
とにかく他社と争うことが目的化するのではなく、製品を高めていく過程で競争が生まれるものではないだろうか。
経済を表す"エコノミクス"の語源はギリシャの"オイコノミクス"つまり共同体の在り方、だそうだ。
人びとの集まりである共同体も、それぞれが競争を目的として不要に疲弊し合うのではなく、自分自身を高めていく中で他人との比較であったり競争が生まれるものだと思う。
これからの人生、いわゆる競争と呼ばれるような場に直面することは多いだろう。しかし、それに踊らされて自分を見失うのではなく、自分自身を見つめ直し、成長していくことで競争市場に対峙したいと思った。
【0625ゼミの感想】クリエイティブ【長澤】
どのグループも個性的でユニークな案だったと思います。
私のグループで提案したものは、想い出を写真という視覚のみの形で残すのではなく、匂いや音楽などの嗅覚や聴覚も取り入れて、より鮮明に想い出を残したいという思いから出来上がったものでした。グループ内ではいい案だと思って提案したのですが、具体性に欠け、かなり抽象的になってしまっていました。
他のグループはかなり具体的に商品・サービスを提案していたので、想像もしやすかったです。
次回までに1人3分で個人プレゼンをしなければならないので、今週1週間はいつもより注意深く周囲を見回して、少しでもいい案が出せればと思います。
【猪子さん】
お忙しい中、貴重なお話を聞かせて下さってありがとうございました。
もともと猪子さんには「少し変わった面白い方」というイメージがあったのですが、お話を聞いてもそのイメージはほとんどそのまま変わりませんでした。また、とても想像力の豊かな方なんだろうと感じました。
チームラボで開発したハンガーや美術館の展示、ボタンの部分まで画面になっている携帯電話など、とても面白いものを沢山見せて頂けましたが、それらを見た時に感じた「すごい!」とか「面白い!」という気持ちを、自分も他人に感じさせられるようになりたいと思いました。
「おもろハイテク」や「おしゃれハイテク」という言葉も面白い表現だなと思いましたが、猪子さんのお話の中で特に印象に残ったのは、「周囲に間違いが沢山あることによって、人も間違えることが出来る。」という言葉です。この言葉はとても納得がいくというか、自分にもよく当てはまる言葉だと思いました。
そして、これからは「技術・才能・寛容さ」を持って生きたいと思います!
2010年6月26日土曜日
【ホンヨミ!0625②】電子書籍の衝撃【長澤】
iPadが発売された今、世間ではiPadの知名度が急に上がったように思う。しかし、キンドルはiPadに先行して発売されているわけだし、iPadはキンドルとの差別化が出来ない限り販売量を上回ることは出来ないだろう。では、両者にどのような違いがあるのか?私は正直キンドルもiPadもどのようなものなのか知らなかった。また、電子書籍など無くとも、紙媒体の本で良いではないかと思っていた。
「本を読む」という点では、キンドルの方が使い勝手が良さそうである。しかし、iPadには有利な点が3つあるという。まずは、多用途のデバイスであるということ。次に、iPhoneOSを使用しているため、iPhoneとまったく同じ画面デザインであるということ。そして、日本でも都心部を中心に普及しているiPhoneであるため、ユーザーにとってはiPadも使い勝手が良いということ。
一方でiPadには不利な点も3つある。まず、サイズ・重量・バッテリー持続時間などのスペック。次に、目が疲れやすいということ。そして、価格がキンドルに比べて高いということ。
このように一長一短であるため、決め手はプラットフォームになるという。
そして、プラットフォームとして市場を支配するために、以下の3つの要件が必要であると筆者はいう。
①多様なコンテンツが安く豊富にそろっていること。
②使い勝手が良いこと。
③アンビエントであること。
この3つの要件を揃えたアップルが、圧倒的なプラットフォームを確立したのだ。
そして、このプラットフォームのお陰で、プロ・アマチュアを問わず誰でも自分の書いた本を出版出来るようになった。手続きも簡単で、出版社を介さずとも個人が本を出せるようになったのだ。これによって出版業界が衰退してしまうのではないか、という危惧もある。しかし、これはとても画期的で素晴らしいことだと思う。個人的に執筆をして出版社に持って行っても、そう簡単に出版することは出来ない。本を誰かに読んでもらいたいと思っても、同人雑誌として売り出すしかなかっただろう。しかし、電子書籍として個人出版が出来るようになれば、今まで世の中に出て来ることの出来なかった才能のある人を見つけることが出来るかもしれない。このように、電子書籍にはただ本が読みやすくなるというだけでない利点があるということが分かった。
【ホンヨミ!0625①】新聞社【長澤】
この本を読んで私が感じたことは、安定した経営状態を保てていると思っていた新聞社の経営状態がとても不安定であるということです。
まずは購読者の獲得手段についてです。確かに日本では新聞を取る人が少なくなっていると言われていますが、それでも新聞を購読する人は沢山います。しかし、新聞社の数も地方紙まで含めると相当数になります。これらの新聞社がいかにして購読者を獲得するか、そのためなら手段を選ばないという事実に驚きました。特に購読者獲得のために新聞社各社が必死に行なっている「拡張団」の行為です。今の時代にもそのような手段が行なわれているのかと。洗剤や美術館のチケットをプレゼントする等の手法は良く聞きますが、脅して購読させるというのはあまりにもショックでした。
次に折り込み広告との関係についてです。販売店が本社からの補償と新聞代と折り込み広告で得られる収入の利害を計算して、その結果残紙が出たとしても折り込み広告からの収入を得るために多めの新聞を本社から仕入れるという事実にも驚かされました。確かに、普段新聞に挟まれている折り込み広告に宣伝効果は大いにあると思います。しかし、そのようにして出てくる残紙の量は莫大で、木材資源の無駄ではないでしょうか。これまで工業や産業が発達するとそれに比例するように環境に影響が出てきました。このままでは今回の新聞の問題もこれまでと同じ道を歩んでしまうのではないかと思います。まずは根本的に経営体制を改めるべきだと思います。
では、どのような経営体制をとればよいのでしょうか。活字離れが進んでいると言われており、インターネットの普及率も非常に高い現在であるからこそ、インターネットで新聞の情報を提供すれば良いのではないでしょうか。インターネットで情報を提供するのであれば、前の段落で述べたような残紙の存在もなくすことが出来て、木材の消費もせずに済みます。また、携帯でも読むことが出来るようにすれば、持ち運びも可能で軽量化にもなります。ただ、インターネットでの情報提供にも短所がいくつかあります。たとえば、既にインターネットではヤフーやGoogleのように情報を提供するサイトが新聞以外にも存在します。ということは、新聞をインターネットに移行した時に購読者が減る可能性があります。
新聞をインターネットに移行するにしても、紙媒体のまま存続させるにしても、経営体制を変えていかないことにはいずれ新聞社は破綻してしまうのではないでしょうか。これから新聞がどのように生き残っていくのか、新聞社から一方的に私たちに情報を提供するのではなく、私たち一般市民と相互関係を築き、購読者と共に経営体制について考えていけば良いのではないかと思います。
0625ゼミ[矢部]
各グループのプレゼンを聞き、どのグループもおもしろさのある内容であったのは間違いないと思います。ただ、軸と方針に確固たるものを頭に置きながら、アイディアの発想からの仕組みを考える過程ができなっかたため、的を得たものができなかったのかなと思っています。what,why,howを入れて、具体性をより明確化させたプレゼンの重要性が多少理解はできたと思います。そして、市場原理や市場構造を数字として統計的に説明する必要があることもわかりました。万人ウケ、”売れる”ということを念頭に置かなくても、100人のうち2、3人の市場をとることができれば、それは大規模な市場となる規模の経済性を考えれば、わかることでした。来週のゼミではそのあたりしっかりと考えながらやっていきたいと思う次第です。
[ゲストスピーカー]
今回は、チームラボ社長、猪子さんにお越しいただきお話をしてもらいました。とても一般の型にははまらない異質な考え方にとても感動しました。creativitiyに人間の差はないという言葉はとても面白いと思いました。creativityというのは生まれもった天賦なものと思われがちな考えにはとても矢を射すような言葉でした。やはりこの部分は金ゼミでも言われてましたが、とにかく考えることが重要なのかなと思いました。始めからできないのではなく、ちょっとしたことにも何かヒントが含まれていることが確実にあることを回顧することができました。実際に僕も思っているというかしていることなのですが、何事においても、おもしろさ・楽しさを見出してるからこそ、そのようなことが原動力となり起業することも一念発起でできてしまうのかなと思いました。
猪子さん、今回はお忙しい中ありがとうございました。このような機会のあるゼミにも感謝です。
[ホンヨミ!]視聴率の正しい使い方[矢部]
視聴率について、今現在の問題点から基本的なその調査方法、そしてこれからどうあるべきかを多様なテレビ番組の視聴率の例を用いて説明しているのでとてもわかりやすい本であった。
実際、調査方法に、こんなにも偏りがあり、正確性に欠けるものだとは思わなかった。サンプルの数は統計学的に見てとても少ないし、世帯や地域によっての偏りは絶対起こっている。
しかし、テレビ局のどこの壁を見ても、視聴率の%が書かれていることをみると、もはや各民法の視聴率主義の蔓延やNHKでさえ、不適切な商業性のある発言をしてしまうことで、放送界の未来の暗黒時代を見るようでとても悲しくなる。どうにかして私は未来のある放送界にしたいと思うばかりである。
[ホンヨミ!]テレビの教科書[矢部]
本書は、テレビの歴史からはじまり、テレビビジネスの構造を解き明かし、いろいろと問題を指摘されることが多くなった視聴率の問題、さらにはドキュメンタリー番組の製作プロセスまで書かれていて、とてもテレビ好きの私にとっては楽しい本でした。
近年は、情報は受け取るもしくはそれに対して批判をしながら読み進めていくものではない。自らもメディアを通して、情報発信することができるのだ。ただ情報を鵜呑みにしていては、何も意味はない。賢く判別できる人こそこの情報社会でさまざまなメディアと触れる私たちにとっては重要なものではないのかと思う。まさにここにメディアリテラシーなるものの必要性を強く感じる。
0625ゼミの感想 【黄】
【ホンヨミ!】②【黄】バナナの皮はなぜすべるのか?
ホンヨミ① 【黄】What I wish I knew when I was 20
0625ゼミ感想【高橋】
3期生のプレゼンはとても具体的でWhat?Why?How?がしっかり明示されていてわかりやすく、さすがだと思いました。数的データが盛り込まれていて、消費者のニーズや収益に着眼しているのがはっきりとしていました。「万人ウケするものでなくていい」という、少しでもニーズがありそうなものに焦点を当て、そこから市場を切り開こうとしている小宮さんのアイディアに感心しました。
肝心の自分のグループのプレゼンでしたが、What?の部分が詰め切れてなかったというか、パンチが弱くて、「digital nativeの提案が欲しい」といわれたあまりdigitalにこだわりすぎていたところがありました。digitalであることが先行し、商品・サービスの軸がブレてしまっていたのが反省点です。How?を煮詰めて考えてしまい、一番大切なWhat?がありきたりなものとなってしまっていたのが否めないかと思います。コンテンツ自体は今までに新しいものでしたが、ただ「新しい」だけでは収益は見込めないし、たとえ市場に流通したとしても世間に知られることもなく、一過性のものとなって「つまらない」ものとなってしまうことを痛感しました。
今までにない新しいものであると同時に、消費者のニーズが少なからずあって収益の見込めるものを再検討する必要があることを思い知りました。そして何より「面白い」、人を楽しませるものであるということを大事に再度考え直したいです。
<Guest Speaker: 猪子寿之さん>
チームラボ株式会社代表取締役の猪子さんにお越し頂きました。正直、奇抜な発言を臆することなくなさる、とてもフランクな方だという印象を受けました。独自の世界観をもっていて、まさに「我が道を行く」、という方でした。猪子さんの考えは、普段私たちが考えもつかないようなことで、それはとても大事な視点であり、ありきたりで統一された考えを共有しがちな私たちに警笛を鳴らしているかのようでした。今まで思いもしなかったり、あまり触れたことの考えを今回たくさん取り込むことができました。
特に印象に残っているのは、日本の社会や風潮の分析力の高さでした。日本社会は妥協点を探して秩序を得る、客観的思想が存在しないという点。これが情報化社会にはよく合うから日本のコンテンツは海外でニーズがあること。そして、日本の社会全体の非寛容性、合理性の欠如についても言及なさっていて、制限がどんどん課されていく風潮にあることを挙げられていました。
たしかに、例えば昨今では児童ポルノ問題であったりで猥褻表現を含むものに規制をかけるか否かで審議がなされていて、社会全体が寛容ではなくなったきていると感じました。表現の自由から生まれるcreativeな発想に制限をかけることは、今後の日本の産業にも影響しかねない上、過剰な制限がかけられていってしまう可能性さえも含んでいます。「制限がかかるか・かからないかというだけで、人のcreativityの差は根本的にない」という考えが示している通り、日本の技術や良さを生かしたcreativeなものを寛容さをもって共有すべきだと思いました。
普段あまり接することのない考えをお持ちの猪子さんのお話は大変貴重なものでした。
お忙しいところ本当にありがとうございました。
2010年6月25日金曜日
【0625ゼミの感想】自分像【戸高】
【バンナムプレゼン】
自分の班以外の4班について書きます。
①ミクロラ21/「五感で思い出を記憶する」
はい、僕の大好物です、思い出。黄さんが指摘していたことがすごく印象に残りました。
「嗅覚と思い出をマッチングさせても、その時の思い出と、今出てくるその香りと果たして感じる印象は同じなのか?」
知識社会学的観点からすると、自分の記憶や思い出というものは一定のものじゃないんですね。
「思い出はその場で再構成されるもの」
という様に、自分が思い出や記憶を意識したとき、まさにその瞬間に作り替えられるというのです。
どういうことかというと、例えば自分が修学旅行に行った時、京都の鴨川で告白をしたことが深く記憶に残っているとします。
でもいくら深く記憶に残っていても、普段から頭の中にとどめているわけではなく、ふとした時に思い出すものであったりします。
ある日、家でテレビを見ていると京都を舞台とした青春ドラマがやっていたとしましょう。するとその青春ドラマで鴨川が映りました。
はい、そこです。まさしくこの瞬間にあなたは修学旅行での告白のことを思い出すわけです。
しかし、そのシチュエーションは数年前の鴨川と、テレビで今見る鴨川とよく似ているようであって全く違うものです。
だからその時の記憶はそのテレビを見た瞬間に再構成されるので、ただ同じ記憶というものは1つもなく、イメージするならば「記憶は積み重なって行く」感じです。
そのときそのとき思い出した記憶がかつての記憶の上に積み重なって行き、新たな記憶、思い出になって行くといった感じですね。
だから嗅覚とその時の思い出がそんなに感情的にマッチしなければならないということもないと思います。むしろいろんなオプションがあってもいいくらいなのかもしれません。
あと、ネガティブなイメージのタバコも僕にとっては思い出を呼び起こすスイッチになっています。ピシェの匂いを嗅ぐと◯◯を思い出したり、マルボロだと■■だったりと、タバコの銘柄はけっこうその人の個性を表しているものではないでしょうか。
②もえもえ☆ましゅまろ
今日コメントで言ったpixivのdrawrのことを書いておきます。
drawr:http://drawr.net/
これはほんとにこのサイトに行くだけでお絵描きをできるというものです。CGやペンタブ等がなくても誰でも簡単にお絵描きをすることができるという、ハードルの低さがポイント。
台詞無しでリレーマンガを描くスレ:http://drawr.net/show.php?id=1490567
このように、(ログインしないと見れないかもですが)みんなでマンガを書いて行くことも可能です。自分では思いもしないような展開で話が進んで行く、まさしくソーシャルな感覚を感じることが可能かと。
やっぱりdrawrの革命的な所は専用のペン等なしで、そのままマウスで(指で)描くことができる点だと思います。
もしペンタブ的なものを有償で提供するのならば、どうしてもそれが欲しいと思わせるような気持ちを抱かせる必要があるのではないかと、それだけで参入障壁をあげてしまうことになるので。
③ぶっとびDAI
位置ゲーだと真っ先に思いついたのは「コロプラ」でした。(参考記事)
コロプラの中にはコロニー内の人口やお金、慕われているかどうか等の軸で競争心も芽生えていれば、自然と助け合う仕組みができていたり、さらには東京メトロとの提携もあったりなど、かなり先を越されている感はあります。
これに勝つためにはやはりRPG性という「冒険」「成長」「協力」といった面を強く打ち出して行かねばならないのでしょうがデジタルサイネージと掛け合わすといった手法で日常をアドベンチャーにするといった発想で差別化はいくらかは可能なんじゃないかとも思いました。
しかし、栫井さんの指摘にもあったように、なかなかQRコードなどを読み取らせるための仕掛けは難しいので、QRコード周りをバンナムのリソースを使って面白楽しいものにしたり、もしくはARGのようにデジタルゲーム外のリアルの世界にもこちら側が物語を付け足してやる等の工夫が絶対的に必要だと思います。
④難題、Bam!Co.
グループ名、好きです。
パソコンの整理整頓はそこまでニーズはあるのかとか疑問に思ったりもするけども、面白い発想だと思いました。
遥か昔にはバーコードバトラー、少し前にはモンスターファームだったり、バーコードやCDがキャラクターやモンスターになるといったものはありました。今回はいらないファイルということで、どこかバーコードバトラー、モンスターファーム世代としてはわくわくする所があります。
個人的に整理に困っているのはサイフの中のレシートだったり、映画の半券、観光チケットなど思い出なので捨てるに捨てられないもの達だったりします。レシートバトル!とかできませんかね、アイデアベースですが。
ジョジョ立ちプリクラはとったことがない(むしろプリクラとほとんど縁がない)ですが、大学1年の冬の制服ディズニーシーをやった時に、なんかのオブジェの前でジョジョ立ち写真を撮った記憶はあります。
なんなんでしょう。ジョジョの面白さってもちろんジョジョ立ちとかもあるかもですが、プリクラを撮る際に、「時よ止まれ!世界(ザワールド)!」とか言ってくれるとテンション上がったりするかもですよね。
バンダイの本社のエレベーターってすごく変わっていて、エレベーターのアナウンスがアムロ・レイの声だったり、バンダイ関係のキャラが喋ってくれるんですよね。それだけでテンション上がりました。
バンドアプリに関しては、任天堂DSのバンドブラザーズといかに差別化を行うのか、スポーツクラブ×アーケードに関してはいまいちよく見えてこなかったですが、脱ゲームながらも楽しみながらガチ運動っていうところが肝だったのでしょうか。
【猪子さん】
僕もかくありたいなーと思う所がある人でした。
僕はふだん、あまり真面目な話をすることが好きではありません。馬鹿な話をしてた方が楽しいですし、気持ちいいもんです。もちろん必要に応じては真面目な話もしますし、相談とかもバンバン乗るタイプなんですが、自分から話しかける時はとにかく馬鹿な話をしておきたいのです。
でも馬鹿なことしか考えてないわけではなく、いざ頼られた時には相手の目線に立って、なんにでも答えることができたり、自分なりの言葉で説明することができる様に日々努力をしていたい。とも思っています。
猪子さんはまさしく能ある鷹は爪を隠すというか、ところどころ適当じゃないのか?と思わせながらも、言葉の節々に学生である僕らにもわかりやすい話し方と目線が入っていて、シャープな意見が入ってくる。まさしく理想の象でした。
その域に立つにはもちろん天性の才能や、生まれ持った人柄等様々あるとは思いますが、今日ご飯の際に金先生がおっしゃっていた「頭のよさは鍛えることができる」という言葉にあった様、今自分の頭が社会で全く通じないレベルであっても、日々様々なことを考え、検証し、実行するということを意識的に繰り返していれば、いくらでも鍛えることは可能なんじゃないかと思うんで、常に何かを考えていたいと思います。
【ホンヨミ!】0625①シリコンバレー精神【吉田】
今週も先週に続いて梅田望夫さんの著作を読んだ。本書はシリコンバレーでコンサルタントとし働いている筆者が、関係者の視点から毎年のように新しいITトレンドを生み出すシリコンバレーという場所について書かれている
本書は、私が高校に入ったころに手にした本である。当時ちょうどライブドア事件の後であり、社会には若者が出しゃばることを否定するような風潮があった。そんな中読んだ本書は当時の自分に大きな衝撃を与えた。シリコンバレーというフィールドで年齢や人種に関係なく自分の能力から価値を創造できる場は自分にとって非常に魅力的であった。
4年の歳月が過ぎ改めて本書を読み返すと、情報が古く感じられたりシリコンバレーを美化しすぎていたりなど気になる点もありますが、筆者の視点は今でも非常に新鮮に感じられました。
ITの歴史について考えるうえでも興味深い本であると思います。
【ホンヨミ!】0625①電子書籍の基本からカラクリまでわかる本【吉田】
本書は、今話題の電子書籍について様々な視点からまとめている本である。この類の本は多く発売されているが、本書はテーマごとに細分化して論じている。各項目が完結しているため自分が調べたい分野を簡単に探すことができ、電子書籍論文を書く上で大変役に立った本であった。
しかし、本書の優れている点は、知識が体系的に整理されているだけではない。実際に電子出版を行っている作家による対談も面白かった。本書は、出版のシステム的な問題について論じているだけでなく電子出版するまでの過程も記録しており、大変勉強になった。本書で著作者・出版社の立場について考え、さらに読者としての自分の立場も加えることで電子書籍市場について詳しく知ることができた。
電子書籍について考えさせられる良書であると感じた。
【ホンヨミ】0625①すべては一杯のコーヒーから【村山】
著者が一番言いたいことは、【情熱をもって物事に取り組むべし】ということであると思う。自分がやると一度決心したら、最後まで諦めずに情熱を持って取り組まなければならない、ということである。情熱・やる気があるから、自然と行動にも移す事が出来る。フットワークも軽くなる。自分がやると決めたことなのだから。でも、それはすごく難しいことだとも思う。何かをやると決心した数日間はやる気に満ちあふれていて、それを行動に表出させることが出来るだろう。しかし、その情熱を維持し続けることは思った以上に難しい。これまでの経験から、多くの人がこのことに納得できるのではないだろうか。
だからこそ、「タリーズ」を日本に進出させるという目標を達成することに情熱を持って行動し、時にはアポなしで突撃する根性と覚悟を併せ持つ著者に大きな感銘を受けた。自分もそんな人間になりたいと。情熱を絶やす事無く物事に取り組める人間になりたいと。
当然、自分がやろうとしていること・やりたいことの前には様々な困難が押し寄せてくることもあるだろう。でも、人生は一度きり。何もやらないで後悔するより、自分が出来るところまでやった上で、その結果を受け入れる方が納得できるのではないだろうか。だから、自分も挑戦し続けて最後まで諦めない生き方をしたいと思わされた。
先日、偶然、参院選に出馬する松田さんに遭遇し、1分程声を交わす機会があった。本書を読んで、感銘を受けたことを伝えると、松田さんは「ありがとう。大概のことはやる気・情熱があれば出来るものだよ」と言って握手をしてくれた。その信念を持って行動し、結果を残してきた人物の言葉には重みがあるし、彼の大きな手の握手はとても力強かった。
【ホンヨミ0625①】グローバル・ジハード【田島】
政治学科の勉強のために読みました。
本書は警察庁で国際テロリズム対策課長を勤め現在も公安課の幹部である著者が、アルカイダなどのイスラム過激派と彼らの持つ「グローバル・ジハード」とも呼ばれる思想についてまとめた本である。私は今年の夏アメリカのNYに行く予定があり、「9・11テロ」を引き起こしたイスラーム過激派の思想的実態を知りたいと思い、本書を手にした。
日本はグローバル・ジハードの主敵である米国と緊密な関係を結んでおり、イラク開戦後、ビンラディンが列挙した攻撃対象のなかに含まれるに至った。中東問題を思想的に馴染みが薄いからと軽視するのではなく、しっかりとした対策を講ずることが必要である。
連日ニュースで報道されていながら、なかなか理解することが出来ずにいたイスラーム過激派の思想とそのバックグラウンドを知ることが出来、非常に有意義な本であった。過激派は暴力的手段を厭わないなど非常に特殊な面を持つとはいえ、その根はやはり一般的なムスリムと同じところから発していることが理解できた。むしろ、一般的なムスリムよりもイスラームに対して純粋である、とももしかしたら言えるのかもしれない。イスラーム過激派は、イスラームという宗教の持つ限界をあらわしている気がする。イスラームは「神の唯一絶対性」を重んじているが、このような一元論的考え方は、迎合しないものとの闘争を引き起こす可能性を常にはらんでいる。ジハード主義者は「イスラームが人類唯一の生き方である」とするが、個人主義・民主主義が発達し思想の自由や信教の自由が明文化した西欧型社会にこの一元的な思想を定着させることは非常に困難である。また、マウドゥーディーなどのイスラーム主義者は、議会制などのような「人が人を支配するシステム」は神の唯一絶対性を侵していると主張するが、現実的に考えて、完全なフラットな状態では社会が機能することは困難だ。そこでウラマーなど神の意思を理解していると思われる存在が神の代わりに「指導者」となり、政治的な舵取りをすることになると考えられるが、その主張がやがて「腐敗したウラマーが神の権利を侵している」という主張に転化することは想像に難くない。
イスラーム過激派のテロ組織を解体させるためにはどのような手段をとるべきか。武力行使でリーダーたちを殺害することは短期的には効果的かもしれないが、その死はイスラーム世界では「殉教」とみなされ、さらに反米イデオロギーに火に油を注ぐ結果になりかねない。「真のイスラーム世界と西側のジャーヒリーヤ世界」という二項対立がジハードとテロリズムを生み出すため、長期的にはそれを緩和することが必要ではないだろうか。アメリカは中東に議会制民主主義など自分たちの「正義」を根付かせようと苦心しているが、それはイスラーム世界を無視し対立を深めることでもある。西側諸国が本当にすべきことはイスラームの世界観を理解し尊重することだと、本書を通じて考えた。
【ホンヨミ!】0625②プレイフル・シンキング【斎藤】
2010年6月24日木曜日
【ホンヨミ!】0625①国産はじめて物語Part2【斎藤】
2010年6月23日水曜日
【ホンヨミ!0625②】オトナのメディア・リテラシー【高橋】
私たちが普段当たり前だと思ってしまっていることに「本当にそれ当り前だと思ってていいの?」と疑問を投げかける内容となっている。
テレビが視聴者の考えを操作する危険性を孕んでいるように、広告にもその危険性は十分にある。大衆向け=常に責任と隣合わせであることをもっと自覚しなくてはならない、と感じた。
ジェンダーについて事細かに述べられていて、少々「女尊男卑」なところも感じられたが、メディアが女性に対してどう接しているか、改めて考え直すことができた。
私はメディアの客観性に着目し、真の意味で客観報道とは何なのか、を考えた。そして行き着いた考えは、「客観報道など存在しない」、というものだ。
テレビにせよ新聞にせよ、それぞれにイデオロギーが存在し、それがあることにより差別化をしている。同じニュースでも差別化されているということは、そこに主観性が入っていることは否定できない事実である。「客観報道」と掲げるのではなく、潔くそれぞれにイデオロギーを明示して消費者が自分たちで考え客観性を持たせていくプロセスこそ、消費者ありきの「客観報道」だと私は考える。加工された情報をたくさん知ることで多面的に考えることを可能にし、自分の力である事柄に向きあうことができるのである。
本書はマスコミ関係に進むのであればそうしたメディアの権力ゆえに気をつけなければならない「マナー」について述べられていると感じた。
【ホンヨミ!0625①】クラウドソーシング【高橋】
"crowdsourcing"=「インターネットを通じて社外の不特定多数の人々に対してoutsourcingを行うこと」と本書は定義していて、実際に企業が行った成功例が列挙されていた。事例が並べられていて、格言なども書いてありとても読みやすい内容であり構成であった。
技術の目覚ましい発展や、digital native・digital immigrantなどと区別される昨今、もはや企業内だけであらゆる可能性を模索して創造していくのは難しくなってきているのかもしれない。企業に長い間属していると、実現可能性にしばられてしまい、ときに行き詰ってしまうことがおきる。それを打破すべく、本書であげられたクラウドソーシングを用いれば、一見無謀に思えるものでも、それが消費者側からの生の声でニーズが多ければ実現したとき必ずヒットする。企業側でみても考え付かないことが、消費者側からみるとヒットするアイディアが見つけ出せると思う。「こんなのあったらいーな~」という感情からふと浮かぶもの。そうした考えを、いかに企業側の"下心"を前回にせず消費者と上手に関係性を築いてニーズを引き出すかがクラウドソーシングを成功させる秘訣になるのではないだろうか。
「専門知識がすべてではない」。あらゆるバックグラウンドをもった人々が集まり、色々な価値観を共有して新たなものを作りだす。繋がりそうにない関係性でもネットなら繋がることができる。ネット社会を制するものが利益を制する、といっても過言ではないと感じた。
0618ゼミの感想【大賀】
【NC―テレビ広告費と視聴率の現状とこれから】
プレゼンターの矢部君。コメンテータの黄さんと長澤さん、お疲れ様でした!5期生だけでおこなうNCを見たのは初めてだったので、ワクワクしていました。3人共、しっかり準備をしてきていて、またそれぞれの意見の共有もきちんとできていて、とても素晴らしいものだったと思います。
以前(大学2年の時)に、金先生のお知り合いである佐藤耕太郎さんのご紹介で、テレビ朝日を訪問させていただいたときのことを思い出しました。社内の壁一面に、番組名と視聴率を記した紙が貼られていたことを知り、衝撃を受けました。「視聴率至上主義」という言葉は耳で聞いて理解していたものの、実際にテレビ局に赴いてその様子を目の当たりにした時は、どうしようもないやるせなさを抱かずには居られませんでした。視聴率欲しさの番組作りが、はたして本当に視聴者にとって「面白い」ものになっているのか。最近ではワールドカップ中継が盛んですが、アナウンサーや実況者だけでは物足りずに、有名ミュージシャンや芸能人までスタジオに呼び込みサッカーを応援しています。これも「視聴率至上主義」を表す良い例なのだろうと感じ、悲しくなりました。「視聴率」に縛られずに自由な番組作りをしている(することができる)NHKは、やはりどの番組も面白く、期待に答えられているように思います。「視聴率」というエサを求めていがみ合う各テレビ局の生存競争によって、テレビ番組本来の求めるべきもの、視聴者のことを考えた上での番組作りのノウハウといった基本的な事柄が失われてしまっていうように思えてなりません。
ただ、(槇さんにお伝えさせていただいた通り)テレビは、その「面白さ」をいかに視聴者に共有してもらうか、という点で、Twitterやmixiボイス等の「ミニブログ」による迅速な情報共有は非常に画期的だと考えます。先述したワールドカップにしても、私の好きな大河ドラマにしても、それぞれの「ハッシュタグ」(Twitterの場合)があり、リアルタイムで番組を見ながら感想を言い合っている人々の様子が見られます。まるでお茶の間で見ているような感覚を取り戻せるのではないでしょうか?テレビ制作者側がこの現象を今後どのように利用していくのか、興味深いです。
【ゲストスピーカー槇さんのお話】
金ゼミ初?!の元女子アナであるゲストの話、ということで、ゼミ生(特に男性陣!)の様子が浮足立って見えたのは気のせいでしょうか?笑 と、冗談はさておき…。お忙しい中いらしてくださった槇さんには本当に、感謝をしてもしきれません。テレビ局の裏話から、アナウンサーの実態、そして、若い世代に何を求めるか…などなど、赤裸々なお話を聞くことができ、非常に勉強になりました。
私は就職活動中にテレビ局受験をしませんでした。テレビの未来に限界を感じたからという理由も少なからずありますが、「視聴率至上主義」の番組作りを担わされることに違和感を覚えたからです。その選択が間違っていたか正しかったか、それはわかりません。私の周りには、テレビ局に入社する予定の友人もいます。テレビの未来を、テレビ局に入社するであろう若い世代に任せておくだけでは駄目だ。槇さんのお言葉からはそんな「想い」を感じました。視聴者としての私たちも、そして、若い世代としての私たちも。しっかりと向き合うべき問題だと思います。
個人的には「新聞の未来」についても興味があります。かつては代表格として名を馳せていた媒体が、今後どのような変化を遂げ、生き残っていくのか。是非、取り組みたいテーマです。
【戸高君・吉田君お誕生日会】
企画してくれた菱木さん、そして、映像やケーキなどを用意してくれた4・5期の皆さん、本当にありがとうございました!そして二人ともおめでとう!!金ゼミは本当に居心地が良くて、温かい場所だなあと再確認です^^*
2010年6月22日火曜日
0618ゼミ[矢部]
【ホンヨミ!】0625①「図解思考」の技術【金光】
2010年6月21日月曜日
【ホンヨミ!】0618②ウェブ進化論【吉田】
本書はウェブ2.0によるイノベーションが世界にもたらす変化という切り口からウェブの新しい形に迫った本書は大変興味深い著作であった。
筆者は、こちら側(物)とあちら側(概念)という二極を対立させることでネットの世界の新しいトレンドについて分かりやすく説明している。また、new economy 対old economyという前著『シリコンバレー精神に続く』構図もグーグルについて語っていることで改めて新鮮に感じられた。
しかし、本書の中で「Googleが「ウェブ上での民主主義」を導入したと宣言する。」と述べたりするなど、Googleに対する手放しの賞賛には強い違和感を覚えた。Googleがウェブ2.0を代表する偉大な企業であることは事実であるが、同時多くの問題も抱えている。現在のインターネット業界を俯瞰的に論じている本書であるからこそ、Googleも一企業としてより中立的な視点で見ていくべきであると感じた。
【ホンヨミ!】0618①電波利権【吉田】
本書の主張を端的にまとめると、テレビ局が政治と深く関わって「電波利権」を独占してきたので、改善すべきということです。
政治家が自らの権力を行使して一つの地域に限られた放送局にだけ免許を与え、その対価としてテレビ局に自分に好都合な報道をさせる構図には強い衝撃を受けました。
また筆者は地上デジタル放送についても、無理やり作りだされた電波利権でおると述べている。
本書は書かれた2007年当時に日本に1億3000万台あると言われているテレビはほぼ全てがアナログのものであり、それが2011年までに全てデジタル変わるのは現実的に不可能であると述べている。そのような中でアナログ放送の停止が強行されることによって廃棄せざるを得なくなる家庭のブラウン管テレビの数は多く、多くの無駄と高齢者や低所得層の不便を生んでいると述べられている。
アナログ放送の廃止については私も個人的に強く疑問に思っており、先に結論ありきの議論の怖さを改めて実感した。
【0618ゼミの感想】テレビ!テレビ!テレビ!【岸本】
0618ゼミの感想【吉田】
視聴率については、私たちの生活の中に深く入り込んでいるものでありながら、その仕組みについて意外と知らなかったと改めて感じました。視聴率という不確実なものとらわれるのではなく、真に良いコンテンツを作るインセンティブになる基準が必要だと思いました。また、ネットコンテンツの視聴率という基準は非常に面白いと思いました。新しい形の評価基準を考えていかなければいけないと思います。
【槇さんのお話】
槇さんのお話、内容がとても興味深いだけでなく、プレゼンの仕方などでも勉強になることが多くありました。槇さんのお話から、テレビも華やかなでモダンなイメージに変化を迫られていると改めて感じました。
また、今回は人気番組の裏側など多くのことを聞くことができ、大変勉強になりました。本当にありがとうございました。
ホンヨミ!②【黄】 スピードシンキング 頭に9つの「劇的ショック」が起きる!
鷲田 小弥太著
著者の頭の回転が高速すぎて、ついていくのにやっとだった。いや、ついていけなかった。
もしよんで完全に理解した、と思えた人。私に説明してください。
この本には、高速思考になれるためのアドバイスが多く広く示されている。
鷲田さんは本当に高速思考を実現してるんだろうな、と本書を読めば誰でも実感できるだろう。
鷲田さんはまず、A→Cというふうに瞬時に問題から結論をはじき出す。
その結論を出した後に、じっくりBを追及していく。
個人的に思ったことをいくつか。
まず最初から結論を決めてかかってしまうと、逆に結論の可能性が狭まるのでは?
たしかに結論が分かっているとそれをサポートする過程、根拠を抽出すればいいから、結論が分からないよりは格段とやりやすいだろうが、果たしてそれが効果的なのか。単に効率的なだけじゃないかなと思った。
またBという過程の追及過程の説明は、文芸的要素がつよく抽象的なところが多い。つまり説明がお世辞にも上手とは言えない部分が目立っていた。
各章のコピーは興味をそそる非常にキャッチーなものばかりなのに実際読み進めると、表題とずれているものばかり。おまけにとても曖昧。
と思ったら「風が吹けば桶屋が儲かる」的な、突然発生する意味不明な文章内容の飛躍がちらほら…。
結局何が言いたいのだろう、と悶々と考えながら読み進めた。
あえて言うならば小出しに出てくる彼女独特の哲学論は面白く、哲学科出身の底力が光ってはいたが・・。
年間3500枚も原稿を書いているという鷲田さん。
この本も彼女のスピードシンキングを経て書かれたのだろうか。
そうなら、スピードシンキングなるものがそこまで魅力的に思えないのは私だけだろうか。
【ホンヨミ!】①思考の整理学
さまざまな本屋でよく「東大生、京大生に最も読まれている本!」とか「もっと若い時に読んでいればよかった」などのポップカードとともにひときわ目を引く本である。
実はこの本、過去に何度かブームが来ていたらしく累計100万部をとうに超えているというから驚きである。最近では帯に既に書いた「東大・京大で一番読まれた本」というキャッチフレーズによって一気に売り上げ部数が伸びたということも興味深い。
外山氏は人間の能力を「グライダー能力」と「飛行機能力」に分類する。前者は、人に教えてもらったことを身につける能力のことであり、これに対して、後者は自分で、研究や発明を行っていく能力のことを指す。もちろん一人の人間の中にこの能力は双方とも内在しているのだが、要は教えられたことだけを確実に、正確に、こなすことにだけ優秀なグライダー人間の養成所に今の教育はなってしまっていると筆者は指摘する。しかし今、コンピューターというグライダー人間よりさらに優秀なものが登場した。
つまりこれからはどう飛行機人間になるかを模索すべきなのである。
ではどうすれば飛行機人間になれるのか、そのヒントが本書にはいたるところに記述されている。
知的行動をどう実践していけばいいのかなど様々な事がが書かれているわけだが、ここでストップ。
このまま書かれていた通りにやったらやはりパラグライダー人間のままなのでは?
面白いなと思ったのは二つ!
一つは「つんどく法」、もう一つは「メタノート」というもの!
実践しながら自分のものにしようと思う。あなたも飛行機人間になってみては・・・?
【カコイ】0618ゼミ感想
今後の視聴率を測るとき、"誰が"、"誰のために"、"どんなメリットを持って"測るのかを明確にするべきなのかなと感じました。
コンテンツの権利者だけでなく、プラットフォーマーや製作者、二次製作者など、コンテンツに関わるステークホルダーがどんどん広がっているのがデジタルコンテンツの現状だと思います。
その点で、今回従来のマスメディア(テレビ)とデジタルメディア(インターネット)を比較してみたのは、違いを明確にし可能性の広がりを探る上でとても良い手段であったと思います。
ある対象について議論し、ひとつ抽象化したフェーズで議論する流れは、議論も停滞しにくいし頭をフルに使ったものになったのではないかと思います。
久しぶりのグルワやディベートでないNCでしたが、個人的にはこの方が各人の意見を全部聞けるし、なんか発言しなきゃ!って頭も使うので形式としては好きです。
【ゲストスピーカー:槇さん】
テレビの未来は?と考えたときに、真っ先に思い浮かんだのが、メディアを統括する存在としてのテレビでした。
日本のコンテンツ産業の今後の未来に、あるコンテンツを様々なメディアへ派生させていく手法は欠かせません。今までは、DVD化・書籍化やグッズの展開などのメディアミックスが主でしたが、今後はクロスメディアな展開をしていくべきかと考えています。
メディアミックスとクロスメディアをどう使い分けているのかを先に述べると、両者に共通するのは他メディアでの展開、相違するのはそこに一貫したストーリーが語られているのか否かです。
クロスメディア展開の一例として、金曜に挙げたARG(代替現実ゲーミング)があります。ざっくりと言うと、あるストーリーに基づいて、プレイヤーを複数のメディアを横断させる手法のことです。
私がテレビがそのハブになれば良いと思ったのは、テレビはある程度安定した影響力と財力を持つと思うからです。
このような、人々がただの視聴者に徹せず、自らプレイヤーとしてコンテンツに参加していくような手法は、コンテンツ産業全体に進行しつつある双方向性の流れにも沿っていると考えられます。
テレビの持つコンテンツ界随一のクリエイター力を以て、ぜひ企画してもらいたいなと思いました。
【ホンヨミ!】0618②ジャーナリズム崩壊【岡本】
『ジャーナリズム崩壊』 上杉隆
何がしかを批判する場として全く新聞が機能していないかというと、全くそうだというわけではない。紙面全体に占める割合は確かに低いが、「社説」あるいは「提言報道」や「コラム」という形では機能している(尤も、社説については「新聞社の保身のための文章しか書かれていない」というのが著者の主張だが)。中でも社説を例にとってみると、これがまこと不人気だと読売のデスクが言っていた。速報重視の報道に慣れきってしまった日本人が意見発信の場としての新聞を受け入れるには、案外と時間がかかるのかもしれない。
新聞記者と言えば、業界に成長に陰りの見える今でさえ押すに押されぬ人気職種。だが本書の中で克明に描かれているとおり、相当の倍率を勝ち抜いて入社した記者が、企業ジャーナリストとしてのしがらみと日本の報道慣習の中でどんどんと「考えない記者」になっていく現状は、見ていて痛々しい。
日本の新聞業界には、優れた記者ほど生き残りにくく、「考えない記者」ほどのうのうと生きていくという現実がある。だからこそ、ジャーナリズムを学んで頭でっかちになったような大学生よりは、言われたことを言われたままにやる、「上下関係こそ絶対」という世界で育ってきた体育会系の大学生のほうが好んで採用される。そうして、権力への阿諛追従というか、潜在的癒着体質の負の連鎖は続いていく。
だがいくら現実がそうであろうと、ジャーナリストは権力との距離感を忘れてはならない。本書で諸悪の根源と称される記者クラブだが(実際にその通りだと思う)、残念ながら、その開放は近い将来には起こらないだろう。企業ジャーナリストとして辛酸をなめつつも、個人としてはあくまで気概を持ち続けなければならない。自分も記者を志望する一人として、その気概は持ち続けたいと強く感じた。
本書に書かれていることはいちいち正しいし、日本の報道機関には改善すべき問題が山ほどある。ただ、本書でよく日本の報道の比較対象となるNYTの報道姿勢が一から十まで正しいのかといえば、必ずしもそうは言い切れない部分があると思う。
例えば黒田あゆみ事件に関する著者の取材姿勢には少々の疑問を持った。
原寿雄著『ジャーナリズムの思想』を読んでその思想の深遠さに圧倒された身としては、ジャーナリズムが「市民の協力の上に成り立っているもの」という考え方をどうしても捨てきれない。取材先には別に取材を受けることのインセンティブがあるわけではないし、ジャーナリストには警察のような強制捜査権だってない。飽くまでボランティアで取材を受けてもらっている以上、ある程度向こうの意見を飲むのは当然だと思うのだが、これも日本的な考え方なのだろうか。少なくとも著者の言説を見る限り、きっとそうなのだろうと思えてしまう。だがこういった考え方を全面的に否定してしまうというのは少々無理があるように感じたし、そうあってほしくはないと感じた。日本だけに「記者クラブ」なんて悪名高いシステムがあるのも、日本という国の固有の文化と何ら無関係ではあるまい。
その意味でも、「正しい」ジャーナリズムが果たしてどこまで日本に馴染むのかは正直言ってよくわからないし、極端な話、日本のジャーナリズムが100%NYTのようになるべきではないと感じる。
右寄りの論説も左寄りの論説もまとめて紙面に載せて、そういった両論併記的な姿勢が結果として一種の「客観報道」を生んでいるかのように見えるNYT。ではそれを実際に日本でやられたとして、その中から自分にとってより腑に落ちる記事を選択していく「審美眼」が我々に備わっているのだろうか。いろいろな意見がありすぎてどれが「正しい」のかわからない、そんな事態にはならないだろうか。日本の報道姿勢には悪いところが山ほどあるが、飽くまでそこは「日本という土地柄に沿うように」改革を推し進めていかねばなるまい。
また、ここに関して言えば何も考えずに読めば「NHKって変な会社だな」なんてことを筆者と同じ論調で思うのだろうが、自分としてはこの大上段に構えた物言いも少々「ん?」と思った。確かにNYTの理念や報道姿勢は評価されるべきものであると思う。また日本の報道機関はあまりにも駄目だ。ただ、その前者に勤めていたという優越感的なもの(本人がそう思って書いていなくとも、読者がそう感じたらそれは優越感に他ならない)が表現の端々にいちいちチラついて、あまり気持ちのいいものではなかった。読者に不快感を催させるものの書き方については少々改める余地があるように思う。本筋とは直接関係のない議論だが、「書き方」は本筋を生かしも殺しもする。本筋の魅力を余さず伝えるために、書き方にもある程度気を払わなければならない。尤も、遠慮のない物言いは如何にもアメリカナイズされて見え、著者らしいといえば著者らしいのだが…
【ホンヨミ!】0618①日本辺境論【岡本】
本書では日本人固有の思考や行動を「辺境性」という地政学的観点から説明を試みている。もっともこのアプローチ自体は決して新しいものではない、ということは筆者自身が断言している。要は言説としての目新しさに価値があるのではなく、過去に書かれた日本人論をすぐに忘れてしまう日本人には日本人論の定期的な復習が必要であって、本書はその使用には十分に耐える本であるのだと。実際に本書に書かれたことはどこかで見たような言説が多く、新しい事項は少ないかもしれない。
ただ自分としては日本人論的な本を本格的に読むのが初めてだったから、新鮮な事項も多かった。
印象に残った、というか本書を通して言及されていて、著者もおそらくかなりの力点を置いて書いていた点について。外国(取り分けて欧米)から来た文化は大歓迎の日本なのに、なぜ世界に誇れる文化を自分たちの手によっては作り出せないのか。「これはいいよ」という形で積極的に発信していく世界的ムーブメントの例がなぜ日本には見受けられないのか。
いわゆる「オタク文化」は外国でも受け入れられているではないか、という声があるかもしれないが、これは一部の層によって支持されていた文化がコンテンツ業界の活躍によって海外の一部で流行しただけで、そもそも日本人の中でも賛否両論がはっきり分かれる文化だ。
対照的に、ゼミ的にもタイムリーな話題で言えば、電子書籍などはアメリカ国民がその良さを真っ先に認めて、日本でもその良さが認められようとしている。だが過去の失敗例を見れば、そのムーブメントは日本発にすることだって十分にできたはずだ。確かに日本で早期に出た電子書籍端末は現行の電子書籍端末に比して劣る点が多い。そしてそれがしばしば日本で電子書籍が流行しなかった最大の要因であるように言われている。
だが、本当にそれだけだろうか?
画面上で本を読むという異質な体験を日本人が受け入れられなかった。「だって周りを見ても誰もそんなことしていないから」。そういった日本人気質としての排他性の問題を看過して、電子書籍端末としての未熟さだけを、当時の電子書籍端末が流行しなかった理由としてあげつらうのは果たして正しいのだろうか?今となっては検証のしようがない問題ではあるけれども。
今までになかった新しい製品あるいは体験が「アリ」か「ナシ」か。電子書籍の例は、その基準を自ら(個人、あるいは国家)の外にしか求められない哀しき辺境性を表す例として、面白いほどに適当だろう。そしてそんな辺境性は自分にも確かに思い当るところが確かにあり、耳が痛かった。
「日本を覆う一種の陰のような文化的劣等感」。個人レベルでの払拭は可能かもしれないが、総体としての日本人は、これをこの先もずっと背負っていく宿命なのだろうと、何となく感じた。著者はその宿命を必ずしも悲観すべきものではないと述べているが、全く今のままでいいとも書いていない。だが、「日本人性=辺境性=悪」とする日本人論が今まで多かったとすれば、そういった性質の中にも活かすべきポイントを見出している著者の慧眼は新しく、そして恐らく正しい。現状の「辺境性」が、日本人が長い伝統の中で見出した一つの答えなのだとすれば、それを全否定するのはナンセンスに過ぎる。
日本人論的な本にからきし興味がなかったのでこの本が初めての日本人論だったが、様々な優れた日本人論を引用し俯瞰した上で事項の一つ一つについて説明を加えていて、特定の一日本人論に極端にインスパイアされていないバランスのよさを感じた。過去になされた言説の、その中でも特に優れた部分を著者の優れた感受性で切り取って提示しているということが、本書の最大の魅力ではないだろうか。
0618 ゼミの感想【黄】
今回は2回目のNC。前回とはまた異なった立場でNCをやりました。今後の改善点としては、
早口をなおす!(すなわち言いたい内容をもっと絞る!!)
そしてスライドのさらなるレベルアップ
の2点だと思います。正直、視聴率は調べれば調べるほど、芋づる式に言いたいトピックが増え、詰め込みすぎた感があったと反省しています。
現在、テレビを取り巻く状況は刻一刻と変化しており、矢部っちが言うように多メディア化している事実は否めません。そのような状況下で今後、視聴率もより効果的な数字測定を目指して動かなくてはならないと思います。例えば視聴質。
2003年の日本テレビ視聴率買収事件の後から登場し始めたと言われており、テレビ番組そのものの質、視聴者の質、視聴の質を表す数字として実現が期待されています。まだ正確な定義付けがされていない点、何を持ってその質を判断するのかなどがいまだに問題点として残っていますが、新たな、テレビメディアとの関わりを測る数値として期待できる部分も大きいと思います。
ゲストスピーカー槇さんの話
メディアが置かれている現状の話、アナウンサー時代のお話など色々な話が聞け、とても興味深かったです。特に私は、テレビ局=全ての情報、最先端のあらゆるイシューが集約されている場所、というイメージが強かったので、ある意味そうでありある意味そうでないという槇さんの話に目から鱗でした。今後のテレビの行く先はどこにあるのかを話しながら、漠然と今思ってることって本当にそうなりますよ!というお話聞き、自問してみました。正直なところ、まだこれからのテレビの未来図が想像もつきません。これから自分のなかでじっくり考える疑問が増えました。
笑顔が尽きず、槇さんの生き生きとした笑い声がとても素敵でした!ありがとうございました!
0618ゼミの感想【岡本】
身近な話題でありながら今まであまり視聴率について真面目に考えたことはなかったので、視聴率ひとつ取って色々な論点があることがわかり、興味深かった。
視聴率。民放はいつでもこの数字を争って躍起になってきた。数字をとれる番組こそが正しく、どんなに社会的に意味のある番組であっても数字をとれない番組は悪い。そうして意味のある、だが数字のとれない番組を放送枠から外して言った結果、有象無象のバラエティ番組の乱立が起こった。もちろんバラエティやお笑いが乱立したということはすなわち視聴者がそれを求めたということであり、そのニーズにテレビ業界が迎合していくのは決しておかしいことではない。綺麗事ばかりでビジネスはやっていけない。
それ自体は決して悪いことではないのだが、そうやって高視聴率狙いで売れ線ばかりを狙っていく番組作りは「とりあえずこういう系統さえ作っておけば安全」という逃げの姿勢を生む。NCで述べられたところの「オリジナリティの欠如」である。最近でいえばNHKで特集していた「無縁死」というトピックが多大な反響を巻き起こしたが、思わぬ話題が思わぬ注目を集めることもある。そういった「冒険」が民放にほとんど期待できないというのは、なかなかそういった「冒険」が難しいとは言え哀しい。その「冒険」が本当に難しいことについては、この後の槇さんのお話で確信を強めることになるのだが。
広告の価値算定について、GRPなどという単位で計算がなされていることも思い切り初耳だったし、視聴率の未来についての矢部君の分析も面白かった。テレビの現場で働く人々の、自分の作りたい番組とは裏腹に売れ線ばかりを要求される苦悩が何となく透けて見えるようなNCだった。
【槇さんのお話】
アナウンサーといえばテレビ業界の中でも花形中の花形で、常にライトの当たる場所にいるスターのような気がしていましたが、輝かしさの裏で何度も辛酸を舐めている実態を知り驚きました。テレビ東京のようなキー局でさえ家内制手工業のような有様なら、ローカル局は果たして産業として成立しているのか不安でなりません。
特に印象に残った部分について。アナウンサーがしゃべる部分は予めすべて台本(?)に書かれていて、「自分の言葉」が思っていたよりも無い職業でガッカリした、という部分には自分自身非常に感じ入るものがありました。というのも自分は記者職志望なのですが、日本のメディアは「自分の言葉」を発信できる風土などでは全くないことが、上杉隆氏はじめ多くのマスコミ関連本によって暴かれてきました。それらの本を読むにつれ、面接時に志望理由を語るアナウンサー志望ではないですが、大変目の覚める思いがしております。そのような事実を知るのがその業界に入ってからか否かでどちらがより不幸なのでしょうか。槇さんはおそらく前者とおっしゃると思いますが、「夢も持てない」後者もなかなか辛いものがあります。
…まぁ尤も、だからと言って自分としては記者職をあきらめたつもりは毛頭ないわけですが。日本にこだわる必要もないし、新聞にこだわる必要もないし…ということで考えると、やっぱりそういった情報を事前に知ることができるのは幸せなのかなとも思ったり。
ディスカッション・質疑応答についても大変印象に残っていて、いろいろなことを見聞きし考えてこられた人生経験が即座に汲み取れるような返答が多く、また時に機知に富んだ回答には、素直にカッコいいと思ってしまう教養の深さを感じました。
貴重なお話、ありがとうございました。
0618ゼミの感想【矢野】
<NC>
視聴率については、私も以前から色々と思うところがあった。まず、調査方法の正確さである。ビデオリサーチ社の独占市場ということもそうだが、統計の母数が少ないのではないか。今まで「家に視聴率調査の機器がある家」というのを見たことも聞いたこともなく、信憑性に欠ける気がする。これならばなくてもいいのではないかと考えていたが、テレビ番組が広告亮獲得のための「商品」である以上何らかの方法でその価値を数値化しなければならないのだと思えば仕方がないと思う。また、これがテレビ制作者の方々のインセンティブ指標になっているのならば、質の良い番組を期待する我々にとってはこれを応援せねばならないのだと思う。ただ、デジタル化に伴ってより良い正確な調査方法が生まれるのを待つばかりである。ただ、今は視聴率のような定量的な評価だけでなく、ネット上で色々なサイトで感想批評が書き込まれている。これらの書き込みサイトがある程度1つ2つに収束して定性的な評価も充実すればそこからもまた得られるものがあるかもしれない。私は最近のテレビの番組の質が明らかに低下していると感じるので、質向上のためにも頑張ってほしいなと思う。
また、現在は高齢者の増加によって若者のテレビ離れがカバーされているとのことだったが、これはかなり暫定的な過程であって、デジタルネイティブが高齢者ゾーンに入った時にまたテレビの存在が危うくなってしまうと思う。
<槇さんのお話>
20年アナウンサーをやってらしたということで、プレゼンの仕方、声調などとても美しく、聞いていて安心できるような語り口は素敵だと思った。また、今は以前の経験を生かしてコンサルをしていらっしゃると聞き、自分で問題意識を持ち、自分から顧客にソリューションを提示するという姿がかっこいいと思った。槇さんお話の中では「アナウンサーは報道では自分の意見を話せるわけがない」というのが印象的だった。それほど責任のある仕事に就けるということは誇りだと思う。
また、テレビ業界の新しいビジネスモデルを考えたが、私は来年に収束される「TVデジタル化」を上手く使えたら良いと思う。今、デジタルデータ放送を利用しても、実際に役に立つのはワールドカップ時の選手の名前と説明くらいである。これらのデータをもっと利用したり、インターネットにつなぐことでもっと視聴者を巻き込めるような番組作りができると思う。また、私としてはテレビのコンテンツ側がハード面にもっと投資したら良いのにと思う。最近のテレビは液晶は本当に綺麗だと思うが、デザイン・機能においてもう少しハードルを上げることができると思う。
今日はテレビについて深く考えることができてよかった。
100618ゼミの感想【村山】
個人的に興味深かった内容は、【視聴率の働き】についてでした。視聴率の働きとして挙げられていた三つの働きは
①広告枠の価値を決定
②視聴者の関心をどれだけ集めたか
③「皆が見ている」という文化的価値の創出
でした。その中で、現在の番組はお笑い・クイズ・音楽などに偏っており、オリジナリティがなくつまらないという、現在の視聴率至上主義に対して批判的な姿勢が述べられていたと思います。確かに、生活者目線で考えたら、あまり良い状況ではないと言えるかもしれません。
しかし、テレビ局とクライアントの立場から考えると、個人的にはそれでもいいのではないかと思います。なぜなら、そのような番組が乱立するのは、それでもやはり視聴率が稼げる(多くの人が視聴してくれる)からでです。さらに、このことは【視聴率の働き】の三つの側面から考えても、人気ジャンルの番組を放送すれば、それだけ多くの人が視聴してくれて視聴率が稼げるので、テレビ局にとってもクライアントにとっても、win-winの関係を構築できると言うことが出来るのではないでしょうか。
【ゲストスピーカーの槙さん】
実際に社会人として、社会でご活躍されていた方の言葉は一言一言が非常に面白く、かつ重いという印象だった。自分は、就職活動を控えているということもあり、それに関連した質問をさせて頂きましたが、それに対して、【社会人としての使命感】というお答えが返ってきた。
この【使命感】という言葉が自分にはとても刺さった。自分がやらなければ、他の人はやってくれない。むしろ、自分にしか出来ないものなんだという感覚。責任感と似ているけど、どこか違う、という印象だった。
近い将来、自分もそんな社会人の一員として活動していくのだから、このような機会を無駄にすることなく、今後の自分の人生の糧にしていきたいと思う。
最後に、大変お忙しいなか、ゼミに来て下さって、ありがとうございました。是非、またいらして下さい。そして、もっと色んなお話を聞かせて下さい。
0618ゼミ感想【斎藤】
視聴率と広告費の関係するものでした。視聴率は単なる数値でしかなく、それも一団体が独占的に計測しているため信頼性には若干の疑問が残ると言う事が印象的でした。また、視聴率だけでなくYOUTUBEのような動画掲載サイトでどれほどの閲覧があったかの要素もこれからのコンテンツの価値を計る上では必要になってくると思います。テレビにおける視聴率とネットにおける閲覧数は性質のことなるものですが、それぞれの相違点を生かした広告のあり方について考えていかなければならないと思います。
また、一度テレビで放映された番組がオンデマンド形式になった場合に課金になる現状には疑問を抱いてしまいます。確かにテレビ番組の制作資金はスポンサーからの資金によって支払われていますが、その資金は私たちが買う商品の値段に上乗せされて回収されています。つまり、この時点で既に動画を閲覧することの対価を視聴者は支払わっているのにオンデマンドでも再び徴収することは二重課金になるのではないのでしょうか。私たちはテレビドラマ等がDVD化した場合など、番組を二次利用した商品に対して金銭を支払う事への違和感をあまり持っていません。
しかし、同様にしてオンデマンドでも課金されるのは別問題だと思います。ネット広告などを利用して視聴者が無料で閲覧できるビジネスモデルを構築していくべきだと感じました。
【ゲストスピーカー】
今回、槇さんのお話を聞くことができ良い機会になりました。アナウンサーとして現場を観てこられた方の意見はなかなか聴くことができないので参考になりました。
まず、報道に携わっている者に求められる資質について考えてみたいと思います。アナウンサーに限って言えば、ニュースに対して個人的な意見を発することが難しいというのは意外でした。その中で、上手く番組進行をしなければならず、そうして日本中にニュースを発信することに対する責任感を持てることが最も求められるのではないかと思いました。
また、これからのテレビの姿はどのように変遷していくのか。これはテレビ局だけではなく、テレビという媒体を活用してきた諸企業や視聴者である私たちにも影響を持つ問題です。これからネットを介したサービスが行われていくのは必須ですが、そうはいっても現在のテレビのスタイルは残っていくだろうと言うのが個人的な意見です。例えば、僕は祖父母と一緒に生活していますがBSへの変更ですら毎回僕が教えているのが現状です。イノベーションはそれに対応できる人にとっては歓迎できるものですが、そうでない人々にとっては受け入れがたいものであり、むしろ便利さを低下させるものであるようです。
コンテンツ充実は、時代を超えて価値のあることとされ、これからは多チャンネル化やオンデマンドなどその楽しみ方も多岐にわたるようになってきました。しかし、テレビが持つシンプルさだけは失って欲しくないなと改めて思いました。
0618ゼミの感想!【金光】
2010年6月20日日曜日
【0618ゼミの感想】テレビの未来【戸高】
今回tsudaらせていただきましたが(http://twitter.com/kimsemi)、あとで読み返してみるとustで確認しなおすよりも手早く確認できるのでよかったです。ustは臨場感、twitterは手早く内容をさらう感じで上手く住み分けができているのではいかと思います。
個人的には議論の中の、村山君が言っていた「テレビは家族で見ることを前提にしているので家族全体に訴求することができる、ネットは個人で見ることが前提なので、個人に訴求することができる。」と言ってたことが、ただのテレビ視聴スタイル以外の点に着目していたのでおもしろかったです。
かくいうテレビも今や単身世帯が1500万件を増加し、またみなでテレビを囲んで番組を見るといった習慣も薄れているのでテレビが家族に訴求するものといった時代も古くなってきているのかもしれません。
でも個人的にはテレビをみんなで見る行為というものはそれなりに好きなものでもあります。友達とskypeをしながらテレビ番組を見るのとかなかなかおもしろいですよ。
で、こういう風に人と共有しながら見るのがおもしろいテレビ番組には特徴があると思います。
1つは「クイズ番組」。みんなでわいわいとこれはこうだ、あれはああだ、実はこれってこういうことにも繋がってるんだぜ、と言った様にみんなの知を競わせる型の番組は1人よりも大人数で見た方が楽しいです。
知を競わせるということはある種のクラウドソーシングであって、自分になかった知見を皆が発展させて行く感覚に近いのかもしれません。今のクイズ番組でも、クイズを「答えさせる」という点での視聴者参加は行われていますが、もっとその背景知識や、うんちくまでも共有できるような仕組みがあればおもしろいのかもしれません。
もう1つは「スポーツ番組」。パブリックビューイングや、スポーツバーがあれだけ盛り上がっているんだから、もっとテレビでもそういった盛り上がりを起こすしかけをつくることはできるんじゃないかと思います。
全お茶の間が1つに!といった感じで、テレビに光回線がつながればそういった仕掛けを作ることができると思います(もちろんテレビという公共の電波を使っているので、その責任は大きく、倫理的な問題が出てきて難しいとは思いますが)。
twitterでも今回のW杯にちなんで、「未来を書き換えろ(http://nike.jp/football/future/)」などの様々なキャンペーンが行われていますが、もっと広いレベルでお茶の間が繋がるプラットフォームができればいいのではないかと思います。
【槙徳子さんのお話】
アナウンサーは、確かに書かれた原稿やカンペをそのまま読むのがまず第一の仕事かもしれない。しかし、それをただ読むだけでは伝わらない。落ち着きがありながらも抑揚のある声と話し方があってこそのアナウンサーだと思う。
槙さんはプレゼンをしていただいた時以外の話し方も相手が聞きやすいような話し方をされており、驚きました。
自分はいつもプレゼンをする際に早口になる傾向があり、自分のお国柄としてそれが聞き取りやすくいいかなーと思っている自分もいまいたが、やはり皆に聞きやすい話し方をしなければならないのだなと実感しました。
インターネットとテレビの融合のイメージは?と槙さんが最も知りたがっていたことにありましたが、「ユビキタステレビューイング」にあるんじゃないのかなと個人的には思います。
インターネット自体が「ユビキタスコンピューティング」と言われ、いつでもどこでも接続可能なものになろうとしている今、それにテレビが繋がるといつでもどこでもテレビがあるのではないか、といったという安直な発想ですが。
Check out this SlideShare Presentation:
この発想は去年のアクトビラプレゼンを行った際のアイデアに近いものがあります。テレビは家でも、携帯電話で外でも見ることができる時代になった。ならばどこでもアクセス可能なテレビを自分の生活基盤として扱い、1つのプラットフォームになるのではないかという考え方です。
テレビと言うデバイスを通じて、留守番をしている子供の面倒を見たり、オンラインショッピングをしたり、冷蔵庫の中身とテレビが繋がっていて、料理番組のレシピと必要な食材がどれだけ冷蔵庫にあるかわかったりなど、テレビを家電というものとして見る。
そしてその要素はいつでもどこでも携帯電話でチェックすることが可能で、外にいながらもいつでもどこでもテレビと繋がることができる。
そんな未来が来てもいいんじゃないかと、個人的には思います。
2010年6月19日土曜日
【0618】ゼミの感想【田島】
5期生に、自分にとってのゼミの目標や、ゼミへの主体的改善を問う作業が課された。5期生だけでなく、それが自分に課されたら果たして自信を持って答えられるか、自分にも問わなければいけないと思う。一週間において、4時半から8時までの3時間半、そしてタスクに費やす時間というのは本当に大きなものである。特に大学2年生の時間というのは、本当に自分を肥やすために大切であると今振り返って痛感する。(そして大学3年生の時間ももの凄く貴重だと、上の方はきっと思っている!)ゼミに入ると決め、その時間を過ごすならば、最大限に活用しなくては自分がもったいない。そして目標を定めることが、やる気を支え、効果を最大限にしてくれる。自主的に私もやってみようと思いました。
【NC】
視聴率問題は、これからのテレビを考えていくうえで非常に重要なテーマで(広告費がテレビのビジネスを支えているのだから!)、目の付け所がいいなと思った。なので個人的には、視聴率の調査方法などディテールにはそこまで時間を割かず、これからのビジネスモデルの話がもっとあるといいと思った。
・黄さんの範囲について
黄さんは、視聴率主義によって生み出されるテレビ番組について「originalityがないものが乱立している」「sensationalism志向が強い」と批判していたが、大衆受けばかりを狙わない個性的な番組が登場するには何が必要なのだろう?ひとつは「コンテンツ化への期待」である。数字はとれなくても、一部の「濃いファン」のDVDやグッズ購入などから収益が生み出せることが予想できれば、ニッチ向けの個性的なコンテンツを作ることができる。「賞の機能向上」も一つの手かもしれない。アメリカのエミー賞のように、「視聴率」とは別にテレビ番組の質を評価する機関を設けるのだ。日本においても「ギャラクシー賞」があるが、「エミー賞」が授賞式のテレビ中継も行い視聴者に知られているのに対し、知名度は低い。知名度の高い賞をつくれば、その受賞で一見地味だが上質な作品にも注目が集まり、コンテンツのブランドの再生産も行うことができるだろう。
・長澤さんの範囲について
GRPについてや、テレビコマーシャルは全放映時間の18%に制限されていることを知らなかったので、何故テレビ局が視聴率を上げることに躍起になっているかわかってよかった。CMの流し方には、GRPを超えた広告主の意図があるような気がするのだが、そこは別個に広告主が注文をつけているのだろうか?
・矢部君の範囲について
矢部くんはいろんな事実について毎回これから起こることをしっかり分析していて凄いと思う。他局化・他メディア化という視点が面白かった。他局化で番組数が増えれば、各テレビ局としては、「いかに番組の存在を知ってもらうか?」の仕掛けが必要になってくるだろう。知られている番組、もしくは初動で強いヒキを持つ番組でないと、これからはより、内容以前に、まず番組を見てもらえなくなる。
・みんなで整理!
ネット視聴率の意図はなにか?恥ずかしながらマーケティングへの活用に気づかなかったので、とても参考になった。
矢部君の言う通り、テレビ番組を見れる端末が多メディア化しており、視聴率だけでは広告効果を正確に把握できなくなっている。ながら視聴が多いテレビの視聴率よりも、能動的な意思があって視聴しているネットの視聴率の方が意味があるのではないかとさえ思う。テレビ局も広告主も、もっとネット視聴率を積極的に考えていった方がよい。実践していきながら、ネット視聴率の正確性やその意味について、把握していけると考える。
【ゲストスピーカー槇さん】
アナウンサーは言葉の魔術師である。単に与えられた原稿を読むだけでなく、アナウンサーは言葉のプロとして瞬時に的確なコメントをすることが求められている。私は先日教職の授業で模擬授業をしたのだが、素早く正確に物事を伝えることの難しさをすごく感じた。生徒は先生を「先生の言っていることは正しい知識だ」と思って聞いている。教師の言葉は、クラスの生徒全員分のプレッシャーを背負っているが、アナウンサーの背負うものはそれより遥かに大きいだろう。テレビを通じて、自分の発言ひとつひとつが夥しい数の人に届いてしまうからだ。槇さんは、とっても素敵な会話をする方だった。私たちからのあらゆる質問に対して反応して、いろんなお話を聞かせて下さり、やっぱりプロのアナウンサーはすごい!と感じた。
そして槇さんは、アナウンサーだけでなく、組織に属さずフリーとして生きているところも魅力的だった。フリーで生きていくことには実力が必要だが、自分らしい働き方を探していくことができる。働く女性として必要な「したたかさ」も、槇さんから学びたいと思ったことの一つだ。
【0618ゼミの感想】視聴率【長澤】
槇さんのお話は是非お聞きしたいと思っていたので、残念です。
【NC】
今回のNCではテーマとして「視聴率」を取り上げ、私は「視聴率と広告費」について発表させて頂きました。
視聴率というテーマはとても身近なものなのですが、調べていく中で自分が思っているほど単純なものではないのだと改めて感じました。
違法動画も含めて動画サイト等の番組の視聴率を調査すべきかなど、質疑応答では考えさせられる質問が多かったです。
オンデマンドが普及した時にGRPでの調査が存続するか否かについては、私個人としては存続すると思います。確かにオンデマンドだと調査しやすいかもしれませんが、テレビ放送自体はオンデマンドとは別物です。なので、オンデマンドは広告費、テレビ放送は視聴率、という体制は変わらないと思います。
0618ゼミの感想【高橋】
TVと視聴率・広告についてのNCでした。視聴率、という言葉をよく耳にしますが、実は意外と信用におけない数値である可能性が高いこと、そして現在の地デジ化に伴うTVチャンネルの多様化や媒体の多様化などを知り、TV局がますます厳しい立場に追いやられてしまうのではないかと始めは思った。しかし、ゼミ生の議論を聞いているうちに、ピンチこそがチャンスなのではないか、と考えた。
私の家のTVは地デジ化されていてBSも見れて、さらにケーブル契約もしているので、それこそプロ野球の試合全部映るほど、たくさんのチャンネル数を見ることができる。質疑応答の際、ありすぎていつも見てる番組を見るのでは、という質問があったが、個人的にはたくさんあるうちから自分のお気に入りの番組が何チャンネルか決まっていて、主にそれらをカチャカチャ回して気に入った番組がやってたら観ている感じになっている。つまり、今までNHKと民放の大体6チャンネルほどあったものが、BSやCATVも合わせて自分好みのチャンネルをカスタマイズすることができるという意味で、視聴者の幅広いニーズに合わせることができるようになっていて、これを私はプラスだと考える。TV離れが懸念される昨今、個々人に合わせた番組の選択肢が広がることによってTV離れを引き留めることができるのではないだろうか。
また、TVでは集団視聴率がわかり、ネットでは個別視聴率がわかる、といった点で広告する内容や放送する番組をどの時間帯に組み込むかによって、より精密で適したコンテンツを視聴者に提供できるのではないかと思った。
<ゲストスピーカー:槇徳子さん>
ぶっちゃけ話がたくさん聞けて本当に面白かったです。TV局の裏側を少し知ることができたのではないかな、と思います。
ゼミ生からでた意見で日経のアーカイブが見たい、とありましたが、確かに数週間前のアーカイブが見れるサービスがあったら本当に便利だなと思いました。ニュースで大まかな情報を得て、自分が興味あったもののみ、再度ネットで日経の記事を検索してより詳細な情報を得る。有料コンテンツにすると顧客が限定され、気軽に利用できる感じではなくなってしまうことが懸念材料だと個人的には思っていて、ターゲットをどうするかによって課金の度合いも変わるのではないかと思う。やはり一番いいのは無料ということになるが、それでは企業の慈善活動にしかならなくて、利益は見込めない上、下手したら日経新聞の売上を下げてしまうことに繋がりかねない。リスクをどう克服するか、課題を解決できたら提供者・消費者双方にとってwin-winになると思う。
また、ゼミの最後にでてきた地方局の番組を首都圏でも放送することはとてもいいアイディアだと思った。私がドイツに住んでいたとき、父の会社の人が関西出身で、よく日本の番組をDVDにやいて貸してくれていた。その一つに、「横町へよ~こちょ!」という吉本新喜劇の番組があり、たしかにくだらないのだが、家族でご飯を食べながら笑顔で団らんするのにはもってこいの番組だった。特に、私の母は日本語の番組しか楽しむことができなかったのでJSTVという、日本の限られた番組を有料で受信するサービスに加入していて、NHKニュースやバラエティ番組、ドラマなど2チャンネルほどしかない中観ていた。日本でTVを観たら吉本新喜劇の番組は神奈川ではやっていなくてさみしくなったこともあり、話を聞いていてそういったご当地限定番組、というのも放送する局があったら面白いのではないかと思った。津軽弁を教えてくれる番組を青森出身の友達に教えてもらい、Youtubeで観たときもそうだった。こんなに面白いのになんで神奈川で放送しないんだろう?と思ったほどだ。
首都圏に住んでいる人が新鮮な気持ちで楽しめるし、地方出身ならノスタルジーに浸れるご当地番組。もっと普及する手段がとられたらTV番組の種類も充実するのではないだろうか。
槇さん、面白くて貴重なお話ありがとうございました。
2010年6月18日金曜日
【ホンヨミ】0618①思考の整理学【村山】
世の中には、二種類の人間がいる。【人に言われないと何も出来ない・人に言われるまで行動できない受動的な人間】と、【自ら問題を発見し、どのようにしたら解決できるのかを主体的に思考する能動的な人間】である。本書では、前者をグライダー人間、後者を飛行機人間と称している。
世の中にはグライダー人間がたくさんいる。例えば、学校を想像すると理解しやすいと思う。学校では、先生の言われたことをそのまま実行すれば、先生に評価されるし成績も上がるだろう。それだけで、優秀な学生だと認識される。しかし、このことはつまり、自分では何も考えずに、指示されたことを受身的に行っているだけであることを示唆している。ここでいう所の優秀な学生はグライダー人間(受動的な人間)として優秀なだけであって、必ずしも社会で活躍できるとは限らない。なぜなら、問題意識がないため、主体的に問題を発見し解決することが出来ないからである。本当に求められている能力は、飛行機人間としての自分である。自分が関わっている事象に対して常に問題意識を持つことで、誰に指示された訳ではないのに、より良い状況を構成するにはどうすればいいのか、発生した問題はどのようにしたら解決できるのかなどを考えることが出来る飛行機人間が求められているのである。ただ、指示されたことを受動的にこなすだけならば、コンピュータにも出来る。主体的に考えられるからこそ、人間はコンピュータよりも強いのである。もし、それが出来なければ、コンピュータの代替可能な存在として淘汰されかねない。代替不可能な人間になるためにも、飛行機人間としての意識を常に維持したいと思う。
【ホンヨミ!0618プレイフル•シンキング【田島】
「play」とは直訳すると「遊び」のことであり、「playful thinking」という言葉からは、「とにかく楽しければいい」というような、本質や実現可能性を無視して盛り上がりだけを重視するニュアンスを感じるかもしれない。しかし著者いわく、「playful」が目指すものとはやみくもに楽しさを追及することではなく、「楽しいという感情によって学びを深化させ、困難を乗り越える」ことである。自分が目指すべき目標があって、作業を心から楽しんでいれば、困難を困難とも思わなくなる。
「やる気とは本人の能力ではなく、意味付けによって生まれるものだ」という筆者の考え方は、少し理想主義的でもあるけれど、人と関わりながら仕事をする者(特に教育者)にとって、とてもポジティブなマインドセットであると思う。相手に対して失望せず、常に創意工夫のあるアプローチをとりつづける元気が湧いてくるからだ。うたがう前に、一度プレイフルシンキングを実践して確かめてみるのがいいだろう。
この本を読むと自分はつくづく失敗を恐れるコチコチな心になってしまっていることに気が付けた。と同時に、「自分が本当にわくわくした時っていつだろう?」と考えるきっかけにもなった。忙しいのになんとなくやる気が出ないとき、もっと生活を楽しみたいと思ったとき、この本を是非勧めたい。
【ホンヨミ!】日本辺境論【矢野】
前にも書いたが、アメリカ視点で書かれた海部美和さんの「パラダイス鎖国」と好対照を成しており、面白かった。
【ホンヨミ!0618①】デザイン思考が世界を変える【栫井】
従来のイノベーションの創出方法が技術開発に偏っているとしたら、IDEOが編み出したデザイン思考によるイノベーションは、進歩する技術を人のニーズと結びつけるものである。
デザイン思考では、隅々にまで人間の考え方や行動の仕方、日常の過ごし方が考慮されている。どうしてそれほど人間を重視するかというと、モノとそれを使う人間の行動プロセスは、当たり前ながら密接な関係にあるからである。
モノが行動を呼び、行動がモノを呼ぶ。この繰り返しで人間の生活は成り立っている。どんなモノがより人のより良い行動を生むかをデザイン思考では考える。モノよりも人の行動を中心に考える、正に「名詞より動詞」の思考なのだ。
私がデザイン思考を面白いと考える理由のひとつに、消費者のエンパワーメント性がある。
ウェブ・デジタル化により、今まで生産者でなかった人々が生産プロセスに関わる時代がやってきた。
音楽の例を取り上げてみたい。古くは楽譜しか出回ることがなく、人々は音楽を楽しむ際に自ら楽器を手に取り演奏する必要があった。しかし、レコードなどの録音機器やラジオのようなマスメディアの普及によって、音楽は自分で演奏せずとも勝手に演奏されて聴くことが出来るものに変わった。ここで音の生産者であった一般の人々が、単なる消費者に変わったのである。そして再び、YouTubeの登場・ボーカロイドを始めとする作曲ツールの発達によって、人々が音楽を作る時代がやってきた。
この波は、CGM(消費者生成メディア)やUGC(消費者生成コンテンツ)の隆盛に見て取ることが出来るが、同時にデザイン思考の中にもこの波は顕われている。
デザイン思考は人の行動に着目する。ということはつまり、人の行動が製品の中に組み込まれることである。
これまで消費者は、自分とはかけ離れた工場で生産されるモノを黙って享受することしか出来なかった。しかし、デザイン思考のように、消費者に聞き込み、行動を観察した結果の製品は、消費者にとって全く違う意味合いを持つのではないだろうか。
IDEOの消費者観察メソッドは、作り込まれブラッシュアップされ続けている。
このメソッドによって露にされた消費者行動の中に潜む緻密な感情を組み込んだ製品は、ただの製品改良とは違った意味を持つ。
人とモノの出会い方・付き合い方を変え、人の経験価値を一気に変える、発想の転換だ。
この思考は、もっと多くのものに活かされるはずだ。
これから行うバンナム企画、このようなパラダイムシフトを起こす思考法の可能性を探ることも、私の目標の一つである。
【ホンヨミ!】②ブランドらしさのつくり方【斎藤】
2010年6月17日木曜日
【ホンヨミ!】0618①発想法【斎藤】
0611ゼミの感想【吉田】
今回のバンダイ・ナムコ社への訪問では貴重なお話を多く聞くことができましたが、最も大きな収穫であると感じたのは、社会でどのような人材が求められているのかを知ることができたことです。鵜之澤さんが出された「既存のものをきれいにまとめた案より、荒削りでいいから斬新な案」というリクエストは、自分の現在の姿勢と社会が求めているものの差を感じさせられました。大学に入って2年目になり、短時間で情報を集めて見栄えの良い報告を作る力ことができるようになりましたが、社会(もちろん金ゼミも)が求めているのは、見栄えよりも独創性であることを改めて感じました。
今回のバンダイナムコ社との共同プロジェクトのように、創造性を高めることができる場に身を置いているというアドバンテージを十分に発揮して、もっと真剣に課題に取り組んでいかなければならないと強く感じました。
今回のような成長できる素晴らしい機会を与えて下さったバンダイナムコ社の皆さまに心から感謝致します。
【ホンヨミ!】0618①最高のリーダー、マネジャーがいつも考えているたったひとつのこと【金光】
2010年6月16日水曜日
【ホンヨミ!0618②】FREE【高橋】
「無料」という言葉は誰しもが惹かれる言葉だろう。ネットにあふれる無料体験版や、無料コンテンツは広告費などで利益を生み出したり、体験版から有料コンテンツを購入するように誘導する手法などがある。
自分は昔から、よく店頭でみられる"Buy 1 get 1 FREE!"という販売戦略にまんまとつられてしまう方であった。無料になるなら買うしかない!と思うのだが、処分品であったら1個の値段を実質半額にするのと変わらない手法で、FREEという言葉を用いることで消費者の消費欲をかき立てる構造になっていたんだということを改めて感じた。
個人的には本書にある以下の4つのフリーがこれから経営戦略をたてるのに役立つにではないかと思った。
1.直接的内部相互補助(buy 1 get 1 free戦略など)
2.三者間市場(広告収入など)
3.フリーミアム(基本製品とプレミアム製品)
4.非貨幣市場(ユーザー=労働力など)
ネットの世界を上手く活用したFREE戦略だが、もちろんネット意外でも十分応用できる戦略だ感じた。
人間の心を惹く「無料」という言葉をいかにして活用し、利益へと導くか。
まずは消費者の心を掴んでから勝負する、という戦略は大変効果のあり、経営戦略をたてるならば「無料」をキーワードに据えてビジネスモデルを作り上げるのも有効的だろう。
【ホンヨミ!0618①】報道被害【高橋】
本著では主にジャーナリズムについて論じられていて、普段接している報道について(実名報道・匿名報道など)の問題点が挙げられていた。本著では犯人視報道の具体例などがあげられていて、自分が知っている事件などが多く取り上げられていて、大変興味深かった。
犯人の容疑をかけられただけで報道され、無罪だとわかった途端に警察に責任を押し付けるメディア。メディアの影響力は多大なものであり、身に覚えのない罪をメディアによってきせられた人は立派な報道被害者だ。世間というものは冷たく、一度疑われただけでその人と関わるのを避けたり態度を豹変させてしまう。弁護士である著者が直接新聞社に出向いて報道被害者の現状について訴えた部分にあるように、記者同様、私たちは人生を狂わされた報道被害者のことを認識していなかったように思う。第4の権力と称されるメディアの、世間に情報を送る担い手としての責任の重さを改めて感じた。もし仮に自分が無関係の事件で容疑をかけられたら…考えただけでもぞっとすることである。
今までどちらかというと最先端の技術的な本を読んでいたので、偏らないようにさまざまなジャンルの知識を補いたくてジャーナリズムの本を読んでみた。
メディアは見切り発車を避け、情報の速報性とともに確実性も重視すべきである。真に市民のための報道となるような、その在り方について今一度考える必要があるだろう。
2010年6月15日火曜日
0611ゼミ[矢部]
あまり、バンダイナムコ系のゲームには興味がないのですが、やはり百聞も一見にしかずとでもいうのでしょうか、実際に企業を訪れて、社屋の説明や鵜之澤さんの熱い、芯のぶれないゲームへの想いや一木さんのこれほどにもないサポート、クリエイターさんたちの活気に満ちた笑顔、生で会社に体験するととても刺激を受けます。というのも、社員一人ひとりが自分の好きなことを毎日、仕事としてではなく、一種の楽しみ・娯楽としてやっているからあそこまでの、”本気”が伝わってくるのだと思いました。
学生でこのような機会を与えられることは、滅多にないと思うので、この機会を大切にそして、楽しんでできたらなと思います。
最後に、バンダイナムコの皆様ありがとうございました。そしてよろしくおねがいします。
0611ゼミの感想
遅くなってすみません!;
バンナムに訪問させていただいて、最初に思ったのは、「こんな企業で働きたい!」ということでした。
ポップな色使い、凝ったデザインの椅子、いろんなところに並んだ机、アイディアが広がりそうな開放的空間、どれをとってもクリエイティブな企業を体現していました。
どこでもミーティングが始められそうな企業かどうか、は大事なことだと思います。アイディアを大事にしていて、思い立ったときにチーム活動が出来ることが結果クリエイティブな企画が生まれる要因になると思うからです。(その点三田キャンパスはとても悪い!)
1番印象に残ったのは、「日常の中にどんなものを取り入れられるか」というお話でした。
ゲームの要素は、様々な分野に活かすことが出来ます。でも、ゲームという非日常性のものをそのまま日常に持ち込むには、羞恥の壁や利便性との合致の問題で、ユーザーから拒否反応が起きることも考えられます。
日常の中にゲームを持ち込むためには、ユーザーの日常を観察して、どんな身体的動作や心情の動きがあるのかを理解しなくてはなりません。
ユーザーの日常を観察することは、一見今までやりつくされた陳腐なものに注目することのように思えるかもしれません。しかし、コロンブスの卵のように、日常は見方次第でイノベーションの源になりえます。
ゲーム業界にひとつのイノベーションの種を植え付けられるように、チームを進めていきたいと思います。
2010年6月14日月曜日
【0611ゼミの感想】イノベーターとしてのバンナム【岸本】
0611ゼミの感想【岡本】
0611ゼミの感想【大賀】
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今回のゼミは企業訪問ということで、就職活動以来久々のスーツに身を包みました。バンダイナムコゲームスさんには就活中も行ったことがなかったので、5期・4期同様、ワクワクドキドキな気分で行きました。まずは大きく開放的なオフィスに感動しました。「人を楽しませるモノを作るためには、まずは自分たちが楽しい環境で仕事をする」という精神が徹底されていることに驚くと同時に、納得する部分も多々ありました。これは、企業だけではなく、大学や学校、ゼミなどの場にも活かせる精神だと考えます。
バンナムの方々とお話させていただく中でもっとも印象に残ったのは、「楽しみの共有」という言葉です。言葉で表すと簡単なようで、実は難しい。個々人によって違う「楽しさ」「面白さ」を、どうやって万人に共有してもらうべきか?「アフレコ」を例にとったお話は印象的でした。デジタルネイティブといわれる若い世代は、個々人の「楽しみを共有」することで、遊びを思い切り面白いものにしている。だから、「アフレコ」は、「カラオケ」という皆で遊ぶことを目的とした場所に設置することで、若い世代に即したものにした―。非常に面白いお話でした。
これから、私たちの代の考えをフル活用してプロジェクトに挑むということで、どのようなものが生まれるのか楽しみです!
0611ゼミの感想【村山】
そのため、それに応えることが絶対的に出来るという保証はないけれど、その期待に応えようと可能な限り多くのアイディアを絞り出し、時間を使い、議論を重ねなければならない義務が、私たちにはあると思います。ただ、だからといってガチガチに緊張しながら考えるというのは良い事ではないと思います。それよりは、皆とのグループワークを楽しみながら進めていきたいとも考えています。楽しい環境が、必ずしも良いアウトプットを生むとは限りませんが、やはり、楽しい環境の方が、より良いアイディアが生まれる可能性は大きいと考えるからです。その部分は、バンダイナムコゲームスさんも意識していたと思います。クリエイティブな仕事をするのだから、社内の至る所に「わくわく」「ドキドキ」するような仕組みや仕掛けを設置している、と。要は、【オンとオフのバランス】ということです。オフの環境に、頭をフル回転させたオンの自分たちが存在しているという様なイメージです。
また、鵜ノ澤副社長のお話の中で、
「そのアイディアは、本当に日常生活に入り込んだものか」
というお言葉が印象に残っています。消費者にサービスを提供する際に、この視点は常に忘れてはいけないことだと思います。ゲームというモノの特殊性ゆえに、この点はさほど意識しなくてもいいのかとも考えていました。しかし、やはり消費者にいつもの動作以上のアクションを要求するには、それなりの意味付けやインセンティブが必要になると思います。だからこそ、日常的に行っている動作の中に新しく提供するサービスを組み込むことが出来れば、それは消費者にとって何の違和感もない当たり前の動作となるので、非常に強いモノになると思います。
これ以外にも、重要な指摘をいくつもして頂いたので、今の自分たちの限界に挑戦するつもりで、その限界を突破する勢いで、これから頑張っていきたいと思います。
最後に、このような機会を設けて下さった、鵜ノ澤副社長、一木様、クリエイターの皆様、そして金先生、ありがとうございました。
2010年6月13日日曜日
0611ゼミの感想【高橋】バンナム
しかし、個室に入って社員の方々とお会いしてお話を聞いているうちに、これから自分たちが取りかかる事業の重大さを強烈に実感して正直自分が参加することさえ恐ろしく思えてしまうほどでした。
今まで自分が関わってきたことはあまり「ビジネス」というようなものではなく、今回お話を聞いてこれは本当にビジネスであり、ただの研究で終始してはいけない、という引き締まる思いでいます。
今でももちろん不安はあるものの、学生であるうちから参加できるチャンスなんて滅多にないと思いますし、先方の求める「学生だからでる柔軟性のあるアイディア」をだしたいです。
楽しいことが大好きで、自分だけじゃなくて周りも一緒に楽しんでほしい、と私はよく思います。それを今回の企画に最大限生かしていき、グループワークでも遠慮せずガンガン関わっていきたいです。
【ゼミの感想0611】バンダイナムコ株式会社見学【矢野】
私たちを正面エントランスで迎えてくれたのはのはパックマンとガンダムで、後ろには滝のようなオブジェと最上階までの大きな吹き抜けがあった。マネーシャーの一木さん曰く、社員さんが柔軟に素敵なアイディアを出せるように会社の雰囲気作りも大事にしているという。こんなに快適そうなオフィスなら・・・と思わずにはいられなかった。また、社員の皆さんが非常に楽しそうに仕事をしてらっしゃるのが印象的だった。また、今回お手伝い頂く社員さんも非常にバックグラウンドが多様でおもしろそうだと思った。また、ビジネスの最前線にいる方々が「お金になるような提案を」とおっしゃっているのが、学生生活の中では聞きなれていない言葉で新鮮に感じるとともに、何だか重みがあった。このビジネスライクなガツガツ感がいいなあと思った。また一方で一木さんが「企画の段階で『これは絶対に流行る!!』と思ったもの以外は絶対に流行らない」というのを聞いて厳しい世界なのだということを思い知った。しかし、学校教材×ゲームにしても、リハビリテイメントにしても「遊び」の可能性はまだまだ広げられるのだということも知った。
「模範解答らしくないアイディアを。体裁だけ綺麗っぽくまとめたプレゼンは期待してない。」確かに私は最近生活でも学問でも「アイディア」を要求されることはあまりなくて(実際あるのに気付かないだけかもしれないが)、Googleで調べたデータを鵜呑みにしてまとめることが多くなってしまった気がする。またはその鵜呑みにしたもの=ニーズと短絡的に捉えて、その不確実なニーズを表面的にみたすものをソリューションとして書くことが多くなっていた気がする。論旨からは逸れるが、ネット社会は自分の意見を「持つ」ことはあっても「作る・醸成する」必要のなくなる社会なのかもしれない、と思ってしまった。「作る」前から、無数のパターン回答がネット上に既に落ちているからだ。ずいぶん逸脱しまったが、そんな時世の中で、他の誰でもない「自分」のアイディアを練ることのむずかしさを感じた。しかし、、自分たちの提案が大いに期待されていることが分かり、これから1ヶ月半、素晴らしいオリジナルアイディアを出すために、何としてでも頑張りたいと強く思った。こんなに良い機会はめったに与えられないと思う。この環境に感謝する気持ちを忘れず、誠心誠意を以て取り組んでいきたい。
2010年6月12日土曜日
【バンナム!】②【矢野】
「僕らは、ネットに乗り遅れた」――9月24日に開幕した「東京ゲームショウ2009」の基調講演で、大手ゲームメーカー5社のトップが集まり、今後のゲームについて語った。ゲームは近い将来、ネットワーク化・グローバル化していくという方向で意見は一致したが、ネット化に向けて社内体制を変えていくのが難しいという声も出た。 参加したのは、カプコンの辻本春弘社長、コナミデジタルエンタテインメントの北上一三副社長、スクウェア・エニックスの和田洋一社長、ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)の吉田修平ワールドワイド・スタジオプレジデント、バンダイナムコゲームスの鵜之澤伸社長。モデレーターは、日経BPの浅見直樹 電子機械局局長が務めた。 「僕らは、ネットに乗り遅れた」――9月24日に開幕した「東京ゲームショウ2009」の基調講演で、大手ゲームメーカー5社のトップが集まり、今後のゲームについて語った。ゲームは近い将来、ネットワーク化・グローバル化していくという方向で意見は一致したが、ネット化に向けて社内体制を変えていくのが難しいという声も出た。
このまま10年続いたら、業界は壊滅する
僕らはネットに乗り遅れた
【バンナム!】① 【矢野】
2010年05月25日 07時00分 更新
突撃!隣のバンナム!【金光】
【0611ゼミの感想】バンナム【長澤】
学生と企業のコラボという話はニュースでもよく耳にします。ですが、昨日会社を訪問してお話を聞いて、私たち学生の意見を取り入れて新しいものを作り上げるということに会社の方も本気だということがとても伝わってきました。なので、私たちも生半可な思いではなく、自分が社員になったつもりで本気で案を出していかなければいけないと感じました。
また、既にあるデータを切り貼りするな!という言葉もとても印象に残りました。当たり前のことなはずなのに、自分もやってしまっていたと思います。なので、今回はこの点に注意して企画していきたいと思います。
私は普段ゲームをしないのですが、自分でも「これならやってみたい!」と思えるゲームやみんなが「楽しい!」と思えるゲームを目標に頑張ります。
「これは絶対にいける!」と思えるゲームを企画したいです。
8月の合宿で最終的にまとめるようでしたが、合宿に行けなくて申し訳ありません。
0611ゼミの感想【田島】
自分が想像していた以上に、バンナムの方々が私たち学生とのコラボレーションを真剣に考えて下さることが伝わってきて、正直感動しました。願っても得られないこのまたとない機会、私も120%の気持ちで臨んでいきたいと思いました。楽しみたいと思います!
この素晴らしい機会をセッティングして下さった一木さん(理想の女性マネージャーという感じで、とっても素敵でした!)をはじめ、梅田さん以下バンダイ社員のみなさま、そしてお忙しい中貴重なお話を聞かせて頂いた鵜ノ澤副社長に心から感謝したいです。バンナムは素敵な大人がたくさん働いているんだなと思いました。
食堂などの厚生施設の充実度や、インテリアの配色のビビッドさなど、バンナムの会社は歩き回るのが楽しかったです。たのしいものを生み出すための楽しい環境作りが徹底されているんだなと思いました。
お話のなかで特に印象に残っているのは「今の若者は道具を使うことが上手くて、いろんな情報をあつめてきてそれをcoolなプレゼンにまとめる。しかし本当に欲しいのは中身。やってほしいのは情報分析ではなく、ビジネスプランである」という部分でした。去年三田論でもそれ以外でも優等生的であると何度も言われました。このプロジェクトをきっかけに物事の本質に迫る議論が出来るようになりたいと思います。
同じ太鼓の達人でもDSとアプリでは値段がヒトケタ違うという話も興味深かったです。ビット経済における購買心理も研究してみたいです。
【ごはん】
今回のご飯で、3期の先輩方や5期の2人と本気で意見を交換できたのがとてもよかったと思います。全員がPlusの方向にエゴイスティックになれる、そんな金ゼミにしていけたらいいなと思います。