2010年6月21日月曜日

【ホンヨミ!】0618①日本辺境論【岡本】

『日本辺境論』 内田樹

本書では日本人固有の思考や行動を「辺境性」という地政学的観点から説明を試みている。もっともこのアプローチ自体は決して新しいものではない、ということは筆者自身が断言している。要は言説としての目新しさに価値があるのではなく、過去に書かれた日本人論をすぐに忘れてしまう日本人には日本人論の定期的な復習が必要であって、本書はその使用には十分に耐える本であるのだと。実際に本書に書かれたことはどこかで見たような言説が多く、新しい事項は少ないかもしれない。

ただ自分としては日本人論的な本を本格的に読むのが初めてだったから、新鮮な事項も多かった。

印象に残った、というか本書を通して言及されていて、著者もおそらくかなりの力点を置いて書いていた点について。外国(取り分けて欧米)から来た文化は大歓迎の日本なのに、なぜ世界に誇れる文化を自分たちの手によっては作り出せないのか。「これはいいよ」という形で積極的に発信していく世界的ムーブメントの例がなぜ日本には見受けられないのか。

いわゆる「オタク文化」は外国でも受け入れられているではないか、という声があるかもしれないが、これは一部の層によって支持されていた文化がコンテンツ業界の活躍によって海外の一部で流行しただけで、そもそも日本人の中でも賛否両論がはっきり分かれる文化だ。

対照的に、ゼミ的にもタイムリーな話題で言えば、電子書籍などはアメリカ国民がその良さを真っ先に認めて、日本でもその良さが認められようとしている。だが過去の失敗例を見れば、そのムーブメントは日本発にすることだって十分にできたはずだ。確かに日本で早期に出た電子書籍端末は現行の電子書籍端末に比して劣る点が多い。そしてそれがしばしば日本で電子書籍が流行しなかった最大の要因であるように言われている。

だが、本当にそれだけだろうか?

画面上で本を読むという異質な体験を日本人が受け入れられなかった。「だって周りを見ても誰もそんなことしていないから」。そういった日本人気質としての排他性の問題を看過して、電子書籍端末としての未熟さだけを、当時の電子書籍端末が流行しなかった理由としてあげつらうのは果たして正しいのだろうか?今となっては検証のしようがない問題ではあるけれども。

今までになかった新しい製品あるいは体験が「アリ」か「ナシ」か。電子書籍の例は、その基準を自ら(個人、あるいは国家)の外にしか求められない哀しき辺境性を表す例として、面白いほどに適当だろう。そしてそんな辺境性は自分にも確かに思い当るところが確かにあり、耳が痛かった。

「日本を覆う一種の陰のような文化的劣等感」。個人レベルでの払拭は可能かもしれないが、総体としての日本人は、これをこの先もずっと背負っていく宿命なのだろうと、何となく感じた。著者はその宿命を必ずしも悲観すべきものではないと述べているが、全く今のままでいいとも書いていない。だが、「日本人性=辺境性=悪」とする日本人論が今まで多かったとすれば、そういった性質の中にも活かすべきポイントを見出している著者の慧眼は新しく、そして恐らく正しい。現状の「辺境性」が、日本人が長い伝統の中で見出した一つの答えなのだとすれば、それを全否定するのはナンセンスに過ぎる。

日本人論的な本にからきし興味がなかったのでこの本が初めての日本人論だったが、様々な優れた日本人論を引用し俯瞰した上で事項の一つ一つについて説明を加えていて、特定の一日本人論に極端にインスパイアされていないバランスのよさを感じた。過去になされた言説の、その中でも特に優れた部分を著者の優れた感受性で切り取って提示しているということが、本書の最大の魅力ではないだろうか。

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