①問題点の発見
ただ漠然と知識を集めるのではなく、それらのうちどこが問題点となりうるのか考えつつ作業を進行していくことが大切だとつくづく実感しました。そういった、姿勢は論文だけでなく全ての場面において有効なことだと思います。例えば、前回のゼミでは黄さんへの質問を僕がした後に、その内容を踏まえて戸高さんがさらに質問をされました。僕の話を理解し、さらにその質問では足りなかったものを自分が次の質問としてぶつけるという姿勢を持たれているのだなと思いました。ただ漠然と人の発言を聞いているだけでは、そういった相乗効果は生まれません。
また、金先生が日頃から仰っていることですが、どんな初歩的な質問であっても恥じたり遠慮せずに相手にぶつけることが必要だ、ということも改めて実感しました。僕自身の質問はかなり簡単なものでしたが、それをキッカケに戸高さんの質問を呼び込めたという意味では、相手へのFBという点に加えて場に対して更なる議論の要素を提供できるという意味で価値を生んだと思いました。それに加えて、僕が「たしかに、それもそうだけど、こんな考えもあるよね。」と三重に被せていけたらゼミの雰囲気も他者の発言を聞き逃すまいという緊張感が生まれると思います。
②発言に責任を持つ
言葉が口から出た瞬間にそれに対して責任を負わなければならない。これはゼミ生全員にたいする先生のアドバイスだとおもいました。それは、どこかの情報源で裏付けされたものだけを発しなさいということではないと思います。先に述べた事とも重なるのですが、自分の発言に意味を持たせなさいということなのではないかと解釈しました。何故、そのように発言するに至ったのかそのプロセスを大切にしたいなと感じました。プロセスとは、場の一連の議論の流れ、それまでの議論で感じたこと、日頃からの問題意識など様々に定義づけられます。プロセスを少しだけでも大切にすれば、ぐんと発言の質は向上できるし、その余地が自分にはまだまだあるはずです。
話は少し脇道にそれてしまうのですが、最近ある講演会でとても美しい言葉を使う方に出会いました。慣用表現や四字熟語などもその場に適したものを選びわけて使っていました。やはり、日本人ならではの表現を使いこなす人は魅力的に見えます。僕自身はメール等で笑いの感情を”w”で表現してしまいますが、そういった表現を完全に辞める必要は無いにせよ、引き出しとして使える言葉や表現をもっと増やしたいと思います。
③覚悟
OBOG会で感じた事なのですが、社会で働いている先輩方はどこかしら僕たちを含めた世間一般の学生よりも目が輝いていました。他のゼミ生のブログでも”キラキラ”と表現してありましたが、まさに同感です。何故輝いて見えたのか、何故キラキラしていたのかを少し考えてみました。僕が思うに、先輩方と僕の決定的な違いは覚悟があるかないかということです。大変な事もたくさんあるけれども自分が選んだ仕事なんだから、そこで精一杯やるしかないといった覚悟です。反対に僕は、これから自分がどういった生き方をするのか、どんな職に就くのかという大きなテーマに惑わされてしまい覚悟が決まっていません。腹をくくるという言葉がありますが、そういった潔さを先輩方はもっているように感じました。今、自分がすべき事はどんな大学生活を送りたいのか、今できる事は何かをハッキリさせる事ではないかと思いした。
2010年11月30日火曜日
1126ゼミの感想【山本】
①SNS
5期の方々のプレゼンを伺っていると、SNS関連のテーマが多い印象を受けました。
最近、幾つかの業種の方々とお話する際にSNSに関する話を振ると、“もうSNS市場は飽和状態でしょ。”といった意見を度々耳にします。飽和状態なのか否かは一先ず置いておいて、そこまで言わせしめるSNSの存在感はすごいなあと感じつつ、一方で“消費材などの海外製品はそれぞれの国にローカライズする際かなり時間や資金コストがかかるのに、海外で出来たSNSはこうも容易に私たちの生活に溶け込むのか”といった疑問がありました。例えば潜在などの日用品は、欧米の企業がアジアにローカライズさせるためにはかなりのコストをかけ、その土地の人々の嗜好に合わせた再開発している例が多いようです。
しかしSNSなどの場合は、言語の問題くらいしか障壁がなく、他の産業よりも海外商品が入ってき易い状態にあります。そんな中で、日本製SNSのメリットはあるのか。
それに対するひとつの意見として、興味深い記事が載っていました。
http://jp.techcrunch.com/archives/20080803taking-social-networks-abroad-why-myspace-and-facebook-are-failing-in-japan/
②メンターから
テーマを決める際の選び方に関して少し議論がありましたが、今一度頭の中のアイデアを書き出してみるといいんじゃないかなと思いました。
頭の中で考えているだけだと、意外に抽象度の全くことなる二者を比較してしまっていることや、本質的でない部分を深堀りしてしまっていることが多々あります。
ぜひ、テーマに関していくつかのキーセンテンスをマッピングしてみるといかもしれません。
5期の方々のプレゼンを伺っていると、SNS関連のテーマが多い印象を受けました。
最近、幾つかの業種の方々とお話する際にSNSに関する話を振ると、“もうSNS市場は飽和状態でしょ。”といった意見を度々耳にします。飽和状態なのか否かは一先ず置いておいて、そこまで言わせしめるSNSの存在感はすごいなあと感じつつ、一方で“消費材などの海外製品はそれぞれの国にローカライズする際かなり時間や資金コストがかかるのに、海外で出来たSNSはこうも容易に私たちの生活に溶け込むのか”といった疑問がありました。例えば潜在などの日用品は、欧米の企業がアジアにローカライズさせるためにはかなりのコストをかけ、その土地の人々の嗜好に合わせた再開発している例が多いようです。
しかしSNSなどの場合は、言語の問題くらいしか障壁がなく、他の産業よりも海外商品が入ってき易い状態にあります。そんな中で、日本製SNSのメリットはあるのか。
それに対するひとつの意見として、興味深い記事が載っていました。
http://jp.techcrunch.com/archives/20080803taking-social-networks-abroad-why-myspace-and-facebook-are-failing-in-japan/
②メンターから
テーマを決める際の選び方に関して少し議論がありましたが、今一度頭の中のアイデアを書き出してみるといいんじゃないかなと思いました。
頭の中で考えているだけだと、意外に抽象度の全くことなる二者を比較してしまっていることや、本質的でない部分を深堀りしてしまっていることが多々あります。
ぜひ、テーマに関していくつかのキーセンテンスをマッピングしてみるといかもしれません。
2010年11月29日月曜日
ゼミの感想<矢野>
<論文中間発表>
最近はもっぱら「論文やらなきゃなー」となにか重いものがのっている感じです。
実際に本を読んだり情報収集している時は自分の興味に沿ってやっているから楽しいのだけれど、
調べるほどに「こっちの知識も欲しいな」というのがどんどん出てきて、「いや、でもここまで広げたらあと半月じゃまとまらないだろう」「あれ、なんかテーマとずれてきてないか?」みたいな葛藤があります。
そしてこれをまとめることが上手くできるのかという漠然とした不安が怖いです。
プレゼンでも話したとおり、つい先日まで「フラッシュマーケティング×地域活性化」でやろうとしていたのですが、フラッシュマーケティング企業の社長さんに一掃されてしまいましたFMが地域活性化に効く、という意見はよくあるらしいのですが、実際その地方に行ったりリピートするインセンティブにはならないようで、それだったら位置ゲーの方が俄然効果があるそうです。
金先生のおっしゃっていたように、より良いFMのビジネスモデルを考えてみたいと思います。
今、消費者行動についての本を読んでいるのですが、行動経済についても知識がほしいところです。
ただ、論文テーマをこれに据えてからインターンバイトを始めて実際にFMに触れて、かなり知識がついたなとは思いました。この調子で金ゼミの中でFMだったら矢野に聞け、みたいな存在になりたいです。
あと、まとまりがないんですが、論文について考えていて感じることは、自分がろくに数字を扱えないなということ。完全に文系脳と自負(?)している私ですが、やはり数字がないと、定量的に示せなくて、ふわふわしたものになってしまう。今思えば電子書籍論文はその意味で大変にふわっふわ(表現が難しいのですが、仮想ベースで話が進んでいるような感じ)だった気がします。ということで、来年商学部のゼミに入るとしたら頑張って数字を扱えるようなところに行きたいなと思いました。
ゼミの話が若干少ない気がしますが、最後に、
「仮説をブラッシュアップしていくとどんどん質の高いものにしていく」
という金先生の言葉が印象的でした。
最近はもっぱら「論文やらなきゃなー」となにか重いものがのっている感じです。
実際に本を読んだり情報収集している時は自分の興味に沿ってやっているから楽しいのだけれど、
調べるほどに「こっちの知識も欲しいな」というのがどんどん出てきて、「いや、でもここまで広げたらあと半月じゃまとまらないだろう」「あれ、なんかテーマとずれてきてないか?」みたいな葛藤があります。
そしてこれをまとめることが上手くできるのかという漠然とした不安が怖いです。
プレゼンでも話したとおり、つい先日まで「フラッシュマーケティング×地域活性化」でやろうとしていたのですが、フラッシュマーケティング企業の社長さんに一掃されてしまいましたFMが地域活性化に効く、という意見はよくあるらしいのですが、実際その地方に行ったりリピートするインセンティブにはならないようで、それだったら位置ゲーの方が俄然効果があるそうです。
金先生のおっしゃっていたように、より良いFMのビジネスモデルを考えてみたいと思います。
今、消費者行動についての本を読んでいるのですが、行動経済についても知識がほしいところです。
ただ、論文テーマをこれに据えてからインターンバイトを始めて実際にFMに触れて、かなり知識がついたなとは思いました。この調子で金ゼミの中でFMだったら矢野に聞け、みたいな存在になりたいです。
あと、まとまりがないんですが、論文について考えていて感じることは、自分がろくに数字を扱えないなということ。完全に文系脳と自負(?)している私ですが、やはり数字がないと、定量的に示せなくて、ふわふわしたものになってしまう。今思えば電子書籍論文はその意味で大変にふわっふわ(表現が難しいのですが、仮想ベースで話が進んでいるような感じ)だった気がします。ということで、来年商学部のゼミに入るとしたら頑張って数字を扱えるようなところに行きたいなと思いました。
ゼミの話が若干少ない気がしますが、最後に、
「仮説をブラッシュアップしていくとどんどん質の高いものにしていく」
という金先生の言葉が印象的でした。
101126 ゼミの感想【村山】
【三田論個人論文】
今回は三田論のフィードバック会とい事なので、自分の論文に対してと、メンターをさせて頂いている高橋さんの論文に対する感想を書かせて頂きたいと思います。
まず、高橋さんの論文について。
内容については、高橋さん自身が「納得のいくテーマ」、「やりたいと思えるテーマ」をじっくり考えた上で決定してくれた様なので、安心しました。内容自体は僕らがあれこれ言うより、自分の興味のあるテーマを選択して欲しいと思っていましたし、個人論文であるので、そうあるべきだと考えていたからです。僕らメンターがやるべきは最初から最後まで一緒に考えてあげるというより、まず自分の頭で考えてもらいある程度の形にした答えを出してもらってから、それに対して方向性を修正してあげたり別の切り口を加えてあげる事だと、僕個人は思っています。自分の頭で一度思考した方が内容が残るのはもちろん、グループ論文ではなく個人論文という体で行われているからです。「好きを追求できる個人論文」を選択したからには、最後まで自分の納得のいくまで頑張って欲しいと思いますし、責任も感じて欲しいと思います。このことは他の5期生にも当てはまりますし、同時に個人論文を選択した自分にも当てはまる事です。そのため、5期生はメンターとしての4期を最大限活用するにはどうすれば良いのかを、真剣に考えてみる事をお勧めします。4期とどういう関係性の中で論文を完成させていくのか、という事です。自分は高橋さんとどのように論文を進めていくかの確認を最初にしたので、他の5期生もそのような確認が出来ていなければ、一度確認をしてみると良いかなと思います。意外と意志の疎通が出来ていない事があると思うので。その上で高橋さんからの質問には、どんな質問であっても少しでも疑問に思う事があれば微力ながらお答えさせて頂くので、遠慮なくご連絡して下さい。お互い頑張りましょう!
次に、自分の論文について。
自分の中で考えがまとまって無かったというか、あえてフィードバックをもらいたい部分をぼかして説明した所、ピンポイントでそこに対する指摘を戸高さんにして頂けたので、流石だなと改めて感じました。最後のプレゼンだったので中々フィードバックを貰うことが出来ませんでしたが、金先生を始め何とか戸高さん、岸本さん、かこいなどの方々に頂く事が出来ました。ありがとうございます。これらを基に、自分が立てた仮説であっても変更するべき所は変更すなど、柔軟に対応していきたいと思っています。
また、論文の提出までもう1ヶ月位しか無いので、それまで全力で各サービスを使い倒して納得のいく論文を完成させたいと思います。戸高さんには色々とご迷惑をおかけする事になるかと思いますが、最後まで宜しくお願い致します。
今回は三田論のフィードバック会とい事なので、自分の論文に対してと、メンターをさせて頂いている高橋さんの論文に対する感想を書かせて頂きたいと思います。
まず、高橋さんの論文について。
内容については、高橋さん自身が「納得のいくテーマ」、「やりたいと思えるテーマ」をじっくり考えた上で決定してくれた様なので、安心しました。内容自体は僕らがあれこれ言うより、自分の興味のあるテーマを選択して欲しいと思っていましたし、個人論文であるので、そうあるべきだと考えていたからです。僕らメンターがやるべきは最初から最後まで一緒に考えてあげるというより、まず自分の頭で考えてもらいある程度の形にした答えを出してもらってから、それに対して方向性を修正してあげたり別の切り口を加えてあげる事だと、僕個人は思っています。自分の頭で一度思考した方が内容が残るのはもちろん、グループ論文ではなく個人論文という体で行われているからです。「好きを追求できる個人論文」を選択したからには、最後まで自分の納得のいくまで頑張って欲しいと思いますし、責任も感じて欲しいと思います。このことは他の5期生にも当てはまりますし、同時に個人論文を選択した自分にも当てはまる事です。そのため、5期生はメンターとしての4期を最大限活用するにはどうすれば良いのかを、真剣に考えてみる事をお勧めします。4期とどういう関係性の中で論文を完成させていくのか、という事です。自分は高橋さんとどのように論文を進めていくかの確認を最初にしたので、他の5期生もそのような確認が出来ていなければ、一度確認をしてみると良いかなと思います。意外と意志の疎通が出来ていない事があると思うので。その上で高橋さんからの質問には、どんな質問であっても少しでも疑問に思う事があれば微力ながらお答えさせて頂くので、遠慮なくご連絡して下さい。お互い頑張りましょう!
次に、自分の論文について。
自分の中で考えがまとまって無かったというか、あえてフィードバックをもらいたい部分をぼかして説明した所、ピンポイントでそこに対する指摘を戸高さんにして頂けたので、流石だなと改めて感じました。最後のプレゼンだったので中々フィードバックを貰うことが出来ませんでしたが、金先生を始め何とか戸高さん、岸本さん、かこいなどの方々に頂く事が出来ました。ありがとうございます。これらを基に、自分が立てた仮説であっても変更するべき所は変更すなど、柔軟に対応していきたいと思っています。
また、論文の提出までもう1ヶ月位しか無いので、それまで全力で各サービスを使い倒して納得のいく論文を完成させたいと思います。戸高さんには色々とご迷惑をおかけする事になるかと思いますが、最後まで宜しくお願い致します。
1126ゼミ[矢部]
個人論文
金先生やゼミ生の方から僕の心を揺れ動かすようなフィードバック、レスポンスを頂いて、とてもありがたく思っています。あのような重要なことで中身が詰まっている熱いものは金ゼミだからこそ得られるものと思っています。自分の言動、態度へ責任を負うこと、イージーゴーイングに表面のことばかりで核心を突かないこと、うまく自分の中に折り合いをつけながら消化していきます。
OB・OG会
やはり金ゼミの先輩というだけあって、1人1人が熱さを持って社会でも活躍されているのだなと思いました。みなさん会話している時の姿がキラキラされておりました。学生時代に頑張ってきたからこそ、あのようなバイタリティが社会人になってもキープされているのだろうな思いました。とても楽しい会であり、貴重でゼミでは得られないものを得られる会でした。ありがとうございました。
金先生やゼミ生の方から僕の心を揺れ動かすようなフィードバック、レスポンスを頂いて、とてもありがたく思っています。あのような重要なことで中身が詰まっている熱いものは金ゼミだからこそ得られるものと思っています。自分の言動、態度へ責任を負うこと、イージーゴーイングに表面のことばかりで核心を突かないこと、うまく自分の中に折り合いをつけながら消化していきます。
OB・OG会
やはり金ゼミの先輩というだけあって、1人1人が熱さを持って社会でも活躍されているのだなと思いました。みなさん会話している時の姿がキラキラされておりました。学生時代に頑張ってきたからこそ、あのようなバイタリティが社会人になってもキープされているのだろうな思いました。とても楽しい会であり、貴重でゼミでは得られないものを得られる会でした。ありがとうございました。
1126ゼミの感想 田島
・三田祭について
三田祭を主に進めてくれた5期生、特に三田祭係のジプト、本当にお疲れ様でした!予想問題集や電子書籍論文など来てくれた人が楽しめるものがとても豊富で、みんながたくさんいいアイディアを出し合ったんだなと思いました。来年度の自分のゼミを楽しくするために、頑張ってこれからもどんどん勧誘イベントしたいなと思いました。
・個人論文FB
グループ論文班2班が調査したことを踏まえて次の段階の仮説を提言していたのに対し、個人論文の進み具合はテーマ設定のあたりでとまってしまっていたかなという印象を受けました。(もちろん、自分のアドバイスの不足によるものも大きく・・・)準備期間が少ないことももちろんですが、毎回資料にあたるたびに常に自分の中の仮説を更新するイメージでいくとより時間が短縮できるのではないかと思いました。金先生も「聞いてから質問を考えるのでなく、質問を考えながら話を聞く」とおしゃっていますがそれと似たようなことで、粗削りでも自分の中でしっかりと核となる意見をもっておけば、調査と分析が一体になり効率的だと思います。
また、「自分なりの問題意識がどこにあるのか?」という部分を追及することが最もいいと思います。自分なりの問題意識の軸、例えば、「いいコンテンツをたくさん生み出したい」「日本の若者に政治的活動ができる場を与えたい」などがはっきりしていれば、多彩な切り口を生み出していくことができます。「○○について知りたい」という漠然とした興味の中から、上手く問題意識の形を探し出していってほしいなと思います。
・OBOG会
社会人の先輩方とたくさんお話しして、「働くこと」のイメージが前より少し掴めた気がします。理想と現実についても(笑)組織に所属しながらもやっぱり個性的な部分を失っていない先輩たちの姿を見て、私もこういう風に社会に出てからも自分を表現できるようにもっと成長したいなと思いました。来ていただいたOBGのみなさま本当にありがとうございました!そして素敵な会を作ってくれた係のみなさん+ことえもお疲れ様でした。クイズ等とても楽しかったです!
三田祭を主に進めてくれた5期生、特に三田祭係のジプト、本当にお疲れ様でした!予想問題集や電子書籍論文など来てくれた人が楽しめるものがとても豊富で、みんながたくさんいいアイディアを出し合ったんだなと思いました。来年度の自分のゼミを楽しくするために、頑張ってこれからもどんどん勧誘イベントしたいなと思いました。
・個人論文FB
グループ論文班2班が調査したことを踏まえて次の段階の仮説を提言していたのに対し、個人論文の進み具合はテーマ設定のあたりでとまってしまっていたかなという印象を受けました。(もちろん、自分のアドバイスの不足によるものも大きく・・・)準備期間が少ないことももちろんですが、毎回資料にあたるたびに常に自分の中の仮説を更新するイメージでいくとより時間が短縮できるのではないかと思いました。金先生も「聞いてから質問を考えるのでなく、質問を考えながら話を聞く」とおしゃっていますがそれと似たようなことで、粗削りでも自分の中でしっかりと核となる意見をもっておけば、調査と分析が一体になり効率的だと思います。
また、「自分なりの問題意識がどこにあるのか?」という部分を追及することが最もいいと思います。自分なりの問題意識の軸、例えば、「いいコンテンツをたくさん生み出したい」「日本の若者に政治的活動ができる場を与えたい」などがはっきりしていれば、多彩な切り口を生み出していくことができます。「○○について知りたい」という漠然とした興味の中から、上手く問題意識の形を探し出していってほしいなと思います。
・OBOG会
社会人の先輩方とたくさんお話しして、「働くこと」のイメージが前より少し掴めた気がします。理想と現実についても(笑)組織に所属しながらもやっぱり個性的な部分を失っていない先輩たちの姿を見て、私もこういう風に社会に出てからも自分を表現できるようにもっと成長したいなと思いました。来ていただいたOBGのみなさま本当にありがとうございました!そして素敵な会を作ってくれた係のみなさん+ことえもお疲れ様でした。クイズ等とても楽しかったです!
1126ゼミの感想
①吉田班三田論中間発表
今日論文発表では、多くのアドヴァイスを頂き、ゴールへのビジョンをある程度明確に持つことができました。
選挙のようなカラパゴス化したフィールドへのITの応用は、まさに金ゼミの強みを活かせるところだと思います。他のゼミ生からもアイデアをもらいたいです。
①他班の発表
みんなの発表を聞いていて、アイデアをいろいろもらうことができました。特に戸高さんがおっしゃていた、UGCの手法を用いてみんなで選挙キャンペーン作り上げるやり方とても面白いと感じました。これからはSGC(Supporter Generated Campaign)が流行ると思います。
③OB・OG会
土曜日の会では多くの先輩方と素晴らしい先輩方と出会いました。これからもぜひさらに多くの先輩方にゼミに来ていただき、お話を伺いたいです。
今日論文発表では、多くのアドヴァイスを頂き、ゴールへのビジョンをある程度明確に持つことができました。
選挙のようなカラパゴス化したフィールドへのITの応用は、まさに金ゼミの強みを活かせるところだと思います。他のゼミ生からもアイデアをもらいたいです。
①他班の発表
みんなの発表を聞いていて、アイデアをいろいろもらうことができました。特に戸高さんがおっしゃていた、UGCの手法を用いてみんなで選挙キャンペーン作り上げるやり方とても面白いと感じました。これからはSGC(Supporter Generated Campaign)が流行ると思います。
③OB・OG会
土曜日の会では多くの先輩方と素晴らしい先輩方と出会いました。これからもぜひさらに多くの先輩方にゼミに来ていただき、お話を伺いたいです。
2010年11月28日日曜日
【ホンヨミ1126】ネット帝国主義と日本の敗北【田島】
ネット帝国主義と日本の敗北
インターネットの発展とともに爆発的に増えたもの、それは無料のサービスである。何かを調べるとき、人は辞書や事典を購入する必要はなくなった。ウェブに関するサービスなら、パッケージソフトを買わなくても世界のどこかにフリーソフトが落ちているだろう。無料モデルを完全に確立させた企業はまだ数少ないが、ウェブサービス事業者は無料で価値を提供し、ひとまずどんどん人を集めようとする。結果起こることは消費者の購買感覚のデフレーションである。モバゲーが、アメーバピグが有料だったとしたら消費者は見向きもしないだろう。コンテンツ制作者はアイテム課金やプレミアム課金など、無料の敷居を保ったまま別の方法で稼ぐことを余儀なくされる。このビジネスのパラダイムシフトにおいて動揺するのが、コンテンツホルダーである。違法アップロードが当たり前の現在、DVDなどのパッケージ売上による収入以外にどのようにお金を稼ぐ必要があるのか?「フリー」は無料モデルを世界に紹介したが、それに伴い業界に漂う危機感を書籍にしたものは本書以外にはまだ少ない。米企業グーグルの独占を始め、新しい技術の楽しさに惹かれるばかりの日本人に「本当にこのままで大丈夫なの?」と警鐘をならす新書である。コンテンツの多いプラットフォームに人が集まり、さらに人が集まるスパイラルなど、シェア格差が開きやすいウェブ産業であるが、いったいどこの国のどの法律がその均衡をとっていくか考えていく必要があるだろう。
インターネットの発展とともに爆発的に増えたもの、それは無料のサービスである。何かを調べるとき、人は辞書や事典を購入する必要はなくなった。ウェブに関するサービスなら、パッケージソフトを買わなくても世界のどこかにフリーソフトが落ちているだろう。無料モデルを完全に確立させた企業はまだ数少ないが、ウェブサービス事業者は無料で価値を提供し、ひとまずどんどん人を集めようとする。結果起こることは消費者の購買感覚のデフレーションである。モバゲーが、アメーバピグが有料だったとしたら消費者は見向きもしないだろう。コンテンツ制作者はアイテム課金やプレミアム課金など、無料の敷居を保ったまま別の方法で稼ぐことを余儀なくされる。このビジネスのパラダイムシフトにおいて動揺するのが、コンテンツホルダーである。違法アップロードが当たり前の現在、DVDなどのパッケージ売上による収入以外にどのようにお金を稼ぐ必要があるのか?「フリー」は無料モデルを世界に紹介したが、それに伴い業界に漂う危機感を書籍にしたものは本書以外にはまだ少ない。米企業グーグルの独占を始め、新しい技術の楽しさに惹かれるばかりの日本人に「本当にこのままで大丈夫なの?」と警鐘をならす新書である。コンテンツの多いプラットフォームに人が集まり、さらに人が集まるスパイラルなど、シェア格差が開きやすいウェブ産業であるが、いったいどこの国のどの法律がその均衡をとっていくか考えていく必要があるだろう。
論文発表&OBOG会
↑↑昨日のOBOG会 の写真です。
5年目の金ゼミの1期2期の7人のOBOGの方々にお集まり頂きました。
先輩方はお仕事からプライベートまで生活が充実されているご様子でした。また、社会人になっても同期同士がとても仲が良くて、金ゼミで過ごす時間が濃かったからこそのつながりだなと感じました。
先輩方と年が近いこともあって、現役生にも気さくに話してくださってとても楽しかったです。
ありがとうございました。
※速報※ 金ゼミブログのトップ画像も変更しました!
論文の中間発表
個人論文は集合論文よりも奥が深いように感じました。
題材も調べ方も執筆も、人のせいにはできず自己責任です。だからこそ、自分の興味は何だろう、自分の問題意識は何だろう、と真摯に取り組む人ほど悩んでしまうものだな、と黄ちゃんと話をしていて思いました。
〆切が近いこともあるので、一通り悩んで考えて向き合ったらとりあえず発進してみて軌道修正していけばいいと思います。最初は自分の興味とは違う方向に見えても、もしかしたら自分の新たなフィールドの開拓になるかもしれません。好きになれなくても自分の不得意分野がわかっただけでも収穫です。そして自分が決めたことをぐいぐい調べて完成までこぎつけることがまた大きな達成だと思います。
”始めた瞬間から、目的意識と計画を立てて作業を開始すること”
を意識しながら進んで、わからなくなったら4期や3期にいつでも声をかけてください。一緒に悩みたいと思います。
1126ゼミ感想【高橋】
<論文中間発表>
胃痛が深刻になるくらい緊張感がある雰囲気で臨めました。やはりオンオフは大事です。
そもそも発表する際に自分の問題意識は軸がブレてしまったいないか不安だったのですが、実際に口に出して発表したり、Feedbackで突っ込んで頂いたときに自分の中で整理できて自信が持てました。調べて考えれば考えるほど他の視点が生まれて迷走してしまっているのではないかと感じ、テーマ設定を変えなくてはならないのかとさえ感じていました。しかし、自分の思いの丈を発表して自分の中で整理できることができてよかったです。
また、当然のことながら改めてFeedbackの重要性を実感しました。SNSの収益の構造理解から始まってリサーチしたものの、大事なお金の具体的な流れや数値が抜け落ちていることに気付きました。何か発表に薄っぺらさというか、情報に重みが足りないと感じていたものがまさにそれで、説得力を裏付ける要素をもっと調べなくてはならないと感じました。
日米比較を視野にいれてさらに知識を増やして、その過程で感じた問題意識とそれに対する仮説を論文の中で展開していくことができたらと思います。
胃痛が深刻になるくらい緊張感がある雰囲気で臨めました。やはりオンオフは大事です。
そもそも発表する際に自分の問題意識は軸がブレてしまったいないか不安だったのですが、実際に口に出して発表したり、Feedbackで突っ込んで頂いたときに自分の中で整理できて自信が持てました。調べて考えれば考えるほど他の視点が生まれて迷走してしまっているのではないかと感じ、テーマ設定を変えなくてはならないのかとさえ感じていました。しかし、自分の思いの丈を発表して自分の中で整理できることができてよかったです。
また、当然のことながら改めてFeedbackの重要性を実感しました。SNSの収益の構造理解から始まってリサーチしたものの、大事なお金の具体的な流れや数値が抜け落ちていることに気付きました。何か発表に薄っぺらさというか、情報に重みが足りないと感じていたものがまさにそれで、説得力を裏付ける要素をもっと調べなくてはならないと感じました。
日米比較を視野にいれてさらに知識を増やして、その過程で感じた問題意識とそれに対する仮説を論文の中で展開していくことができたらと思います。
2010年11月26日金曜日
【1126】ゼミの感想【栫井】
一週間の三田祭休み明け、久しぶりのゼミ・久しぶりの金先生。
緩みかけの身を引締める良い時間でした。
- 興味→問題意識
まだまだうまく仮説に落とし切れていないものが多いな、というのが今日の印象でした。
自分自身、仮説を言葉に落とすまでのきつさは解るので、漸進しつつ方向性を定められると良いのではないかなと思います。
金先生のお話にもありましたが、仮説はどんどん更新していって出来上がるものだと思います。
調べて分析して熟考して、だんだん精度の高い仮説が出来上がるのだろうなと。
- 成長!
今回は5期生が中心のプレゼン時間でしたが、頼もしいプレゼンをしている人が以前よりも増えたように感じました。
自分の興味のあること、好きなことを思いっきり調べて、「わたしはこう思うんです!」と言えるのは結構気持ちいいものだと思います。
折角の機会なので、がんがんインプットして、頭をどんどん動かして、聞いている側ももっとわくわくするような、未来像を描いてみてください!
- Social Media?
ほぼ全部の班に共通しているのが「Social Media」という切り口のように感じました。
ソーシャルってなんだ?というのが最近凄くよく思うことです。
例えば今日の村山君のプレゼンにあったように、ソーシャルメディア=SNSではないけれど、大抵ソーシャルメディアって何?と聞かれたときにSNSの特徴を挙げてしまう。
曖昧な言葉に流されず、自分が興味を持つことに忠実に、言葉を定義して口にしたい。
緩みかけの身を引締める良い時間でした。
- 興味→問題意識
まだまだうまく仮説に落とし切れていないものが多いな、というのが今日の印象でした。
自分自身、仮説を言葉に落とすまでのきつさは解るので、漸進しつつ方向性を定められると良いのではないかなと思います。
金先生のお話にもありましたが、仮説はどんどん更新していって出来上がるものだと思います。
調べて分析して熟考して、だんだん精度の高い仮説が出来上がるのだろうなと。
- 成長!
今回は5期生が中心のプレゼン時間でしたが、頼もしいプレゼンをしている人が以前よりも増えたように感じました。
自分の興味のあること、好きなことを思いっきり調べて、「わたしはこう思うんです!」と言えるのは結構気持ちいいものだと思います。
折角の機会なので、がんがんインプットして、頭をどんどん動かして、聞いている側ももっとわくわくするような、未来像を描いてみてください!
- Social Media?
ほぼ全部の班に共通しているのが「Social Media」という切り口のように感じました。
ソーシャルってなんだ?というのが最近凄くよく思うことです。
例えば今日の村山君のプレゼンにあったように、ソーシャルメディア=SNSではないけれど、大抵ソーシャルメディアって何?と聞かれたときにSNSの特徴を挙げてしまう。
曖昧な言葉に流されず、自分が興味を持つことに忠実に、言葉を定義して口にしたい。
ホンヨミ!1126あなたの話はなぜ「通じない」のか【金光】
あなたの話はなぜ「通じない」のか
山田ズーニー
口語調で書かれているので読みやすい。しかし筆者も途中で書いていたが「きれいごと」のように感じてしまった。
ただ、本の最後にあった「自分が何者か」をどう伝えるか、という箇所は自分自身が問題意識を持っていたことだったため興味を持って読んだ。
自分のことを初対面の人に伝えるとき、時間と人のつながりを意識することで相手に伝わりやすく、信頼を得やすいそうだ。そして筆者は、優れたコミュニケーション能力として「理解力」を挙げている。理解力についていろいろと具体例が挙げてあったが、「理解力」として磨くものではないのだろうなとと感じた。
私は先日、部活の先輩と久しぶりにお会いして近況を話し合った。半年振りほどの再会だったにもかかわらず、先輩は話をすべて言いきらないうちに私の話を深く理解してしまった。表面的な事象の把握にとどまらず、その経験をした自分の感情までもを理解してしまう先輩との話は、同じ話を他の人にしているときとは違う満足感を得られたのが印象的だった。
その「理解力」は単なる「聞く力」は大前提として、人としての引き出しの多さ、誠実さ、懐の深さなどいろいろな経験をつんできた人が、身に付けられるものだと思う。
私も「理解力」ある人になりたいと思う。
山田ズーニー
口語調で書かれているので読みやすい。しかし筆者も途中で書いていたが「きれいごと」のように感じてしまった。
ただ、本の最後にあった「自分が何者か」をどう伝えるか、という箇所は自分自身が問題意識を持っていたことだったため興味を持って読んだ。
自分のことを初対面の人に伝えるとき、時間と人のつながりを意識することで相手に伝わりやすく、信頼を得やすいそうだ。そして筆者は、優れたコミュニケーション能力として「理解力」を挙げている。理解力についていろいろと具体例が挙げてあったが、「理解力」として磨くものではないのだろうなとと感じた。
私は先日、部活の先輩と久しぶりにお会いして近況を話し合った。半年振りほどの再会だったにもかかわらず、先輩は話をすべて言いきらないうちに私の話を深く理解してしまった。表面的な事象の把握にとどまらず、その経験をした自分の感情までもを理解してしまう先輩との話は、同じ話を他の人にしているときとは違う満足感を得られたのが印象的だった。
その「理解力」は単なる「聞く力」は大前提として、人としての引き出しの多さ、誠実さ、懐の深さなどいろいろな経験をつんできた人が、身に付けられるものだと思う。
私も「理解力」ある人になりたいと思う。
2010年11月22日月曜日
2010年11月15日月曜日
1112ゼミ感想【高橋】
①NC<21世紀型の日本のidentity~今後の文化発信のあり方>
Public Diplomacy、 Soft Power外交などは去年の国際政治学基礎で学んだ用語だったので、その事柄について実践的なグループワークが行えてとても興味深かったです。
「メディア力」を一国に当てはめたとき、brandingをするのがグローバル社会で埋もれないためにも必要なわけで、教育・メディア・文化活動の三本柱で形作っていく考えに共感しました。
Public Diplomacyの手法を考えるグループワークは新鮮で、スケールの大きい「国」を扱う広報は新鮮で、どこをとがらせて「セールスポイント」にして効果的に届けるか。とても悩みました。
現代社会の風潮はもはやpassiveではなく、interactiveに変わっていて、それは政治も例外ではなくなっている。企業がもつノウハウを国にも活かして、国内のみならず海外の国との文化発信・交流のあり方はまだまだ模索段階で、特に日本では未開拓だからこそとても大きな可能性を感じた。
②Presentation Kim(+論文について)
『何を発信するのか』軸をしっかり定める。
軸がぶれたら論文でもプレゼンでも崩壊する。だからこそ『何を伝えたいのか』をつきつめる。
相関図やフローを考え、図式化することは改めて大事だと思った。もちろん自分の考えを整理するためもあるが、他人がみたときも文章や口頭でいうだけよりも図があった方が視覚的にも理解しやすいものとなるからだ。人間に備わっている感覚器官をふんだんに使って伝えていく。やる方も聴く方も楽しいプレゼンになる、そんな理想の形を模索していきたいと感じた。
また、言葉を定義しておくことの重要性を改めて思いました。人間たるものまったく同じ価値観を共有しているわけではないし、微妙なニュアンスの差異が大きな違いを生み出すことがあることに気をつけなくてはならない。
③阿久津さん(1期生)
実際に入社してみないとわからないような生の声をお聞きすることができて参考になりました。社内の風潮は純・日本的だとしつつも、企業のグローバル化というものは実際に起きているんだなと実感しました。伝統とグローバル化がどのように融合されていくのか興味を持ちました。
----------------------
個人論文
当初Twitterを用いるとしていましたが、調べるうちにTwitter広告には種類が既にたくさんあるので新鮮味が薄れるなーと思い、Facebook広告における分析・今後の可能性(考えられる「理想」の形?)を研究しようと思います。認知・広報活動にフォーカスしたいです。より多くの関連ユーザーに認知してもらって、結果的に売り上げに繋がるという流れの効果的な手法。まだまだ軸がしっかりしていないので、もっとリサーチを進めて固定させていきたいです。
リサーチをしていて面白いと思った関連記事があったので載せます。
http://blog.livedoor.jp/ikiradio/archives/51529599.html
Public Diplomacy、 Soft Power外交などは去年の国際政治学基礎で学んだ用語だったので、その事柄について実践的なグループワークが行えてとても興味深かったです。
「メディア力」を一国に当てはめたとき、brandingをするのがグローバル社会で埋もれないためにも必要なわけで、教育・メディア・文化活動の三本柱で形作っていく考えに共感しました。
Public Diplomacyの手法を考えるグループワークは新鮮で、スケールの大きい「国」を扱う広報は新鮮で、どこをとがらせて「セールスポイント」にして効果的に届けるか。とても悩みました。
現代社会の風潮はもはやpassiveではなく、interactiveに変わっていて、それは政治も例外ではなくなっている。企業がもつノウハウを国にも活かして、国内のみならず海外の国との文化発信・交流のあり方はまだまだ模索段階で、特に日本では未開拓だからこそとても大きな可能性を感じた。
②Presentation Kim(+論文について)
『何を発信するのか』軸をしっかり定める。
軸がぶれたら論文でもプレゼンでも崩壊する。だからこそ『何を伝えたいのか』をつきつめる。
相関図やフローを考え、図式化することは改めて大事だと思った。もちろん自分の考えを整理するためもあるが、他人がみたときも文章や口頭でいうだけよりも図があった方が視覚的にも理解しやすいものとなるからだ。人間に備わっている感覚器官をふんだんに使って伝えていく。やる方も聴く方も楽しいプレゼンになる、そんな理想の形を模索していきたいと感じた。
また、言葉を定義しておくことの重要性を改めて思いました。人間たるものまったく同じ価値観を共有しているわけではないし、微妙なニュアンスの差異が大きな違いを生み出すことがあることに気をつけなくてはならない。
③阿久津さん(1期生)
実際に入社してみないとわからないような生の声をお聞きすることができて参考になりました。社内の風潮は純・日本的だとしつつも、企業のグローバル化というものは実際に起きているんだなと実感しました。伝統とグローバル化がどのように融合されていくのか興味を持ちました。
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個人論文
当初Twitterを用いるとしていましたが、調べるうちにTwitter広告には種類が既にたくさんあるので新鮮味が薄れるなーと思い、Facebook広告における分析・今後の可能性(考えられる「理想」の形?)を研究しようと思います。認知・広報活動にフォーカスしたいです。より多くの関連ユーザーに認知してもらって、結果的に売り上げに繋がるという流れの効果的な手法。まだまだ軸がしっかりしていないので、もっとリサーチを進めて固定させていきたいです。
リサーチをしていて面白いと思った関連記事があったので載せます。
http://blog.livedoor.jp/ikiradio/archives/51529599.html
【1112ホンヨミ】人はなぜ形のないものを買うのか【栫井】
形の無いモノを売る。ここでは特にデジタルの娯楽コンテンツについて言及されている。
どうしてDeNAがあんなに収益を得ているのか?疑問に思ったことがあることだろう。(図を参照)
本書は2008年に書かれたものだが、当時よりもデジタルコンテンツが世の中に及ぼす影響は限りなく増大している。どうしたら売れるのか。お金を出してしまうのか。
- 価値分析
形の無いものは、普通に我々が購入する形有るもの(食べ物然り文房具然り)に比べて、価値の在り方が見えにくい。価値発生の流れを従来とは全く異なるやり方で捉える必要がある。
今までならば財務表を見ればわかった商品価値の変遷(図を参照)ではなく、商品にまつわる全体の中で、どう価値が連鎖していくかを見ていかねばならない。
デジタルの娯楽コンテンツに含まれる価値は、
・新規性
・コミュニティ性
・UGC(創造性の発揮)
・利便性
が挙げられる。効用の中でも、より人間の感情部分・生理部分に迫る価値が重要になることがわかる。
例えばコミュニティ性。リアルでは欠かすことの出来ない「社会性:ソーシャル性」を取り入れたことで、facebookやmixiのアプリは流行している。みんなでやっている感覚・自分の居場所を得る感覚は、現実世界ではとっくに当たり前になっていた。これを新しくバーチャルの世界に取り入れることで、新しい価値が生まれる。
- 時間軸の見直し
従来の商品のライフサイクルとデジタルコンテンツのライフサイクルは違う。価値連鎖が起こることで、従来とは関連要素の数が違うのだから当然だ。
より人間の感情部分・生理部分に迫る価値は、その形成のされ具合によって全く異なる効用を生み出す。例えばコミュニティ性は、使い初めの動機としては優秀だが、その後人間関係が複雑になるにつれ、柵にもなりかねない。mixi疲れと呼ばれる現象もその一つだ。そのとき、コミュニティ性を一番に押し出していては、顧客は離れてしまう。
デジタルコンテンツの価値連鎖は刻一刻と変化していく。その変化にキャッチアップし、その都度その顧客に合ったコンテンツを提供することが求められる。
- 人間中心設計
デジタルコンテンツを売るためには、実は人間中心設計がアナログコンテンツよりも重要になってくるのではないかと思った。消費者の「主観」という目で見えない部分をどう設計していくのか。
今までよりも顧客に迫り、彼らの感情の機微を追い、何が彼らを駆り立てるのかをきちんと理解する必要が求められている。
どうしてDeNAがあんなに収益を得ているのか?疑問に思ったことがあることだろう。(図を参照)

本書は2008年に書かれたものだが、当時よりもデジタルコンテンツが世の中に及ぼす影響は限りなく増大している。どうしたら売れるのか。お金を出してしまうのか。
- 価値分析
形の無いものは、普通に我々が購入する形有るもの(食べ物然り文房具然り)に比べて、価値の在り方が見えにくい。価値発生の流れを従来とは全く異なるやり方で捉える必要がある。
今までならば財務表を見ればわかった商品価値の変遷(図を参照)ではなく、商品にまつわる全体の中で、どう価値が連鎖していくかを見ていかねばならない。

デジタルの娯楽コンテンツに含まれる価値は、
・新規性
・コミュニティ性
・UGC(創造性の発揮)
・利便性
が挙げられる。効用の中でも、より人間の感情部分・生理部分に迫る価値が重要になることがわかる。
例えばコミュニティ性。リアルでは欠かすことの出来ない「社会性:ソーシャル性」を取り入れたことで、facebookやmixiのアプリは流行している。みんなでやっている感覚・自分の居場所を得る感覚は、現実世界ではとっくに当たり前になっていた。これを新しくバーチャルの世界に取り入れることで、新しい価値が生まれる。
- 時間軸の見直し
従来の商品のライフサイクルとデジタルコンテンツのライフサイクルは違う。価値連鎖が起こることで、従来とは関連要素の数が違うのだから当然だ。
より人間の感情部分・生理部分に迫る価値は、その形成のされ具合によって全く異なる効用を生み出す。例えばコミュニティ性は、使い初めの動機としては優秀だが、その後人間関係が複雑になるにつれ、柵にもなりかねない。mixi疲れと呼ばれる現象もその一つだ。そのとき、コミュニティ性を一番に押し出していては、顧客は離れてしまう。
デジタルコンテンツの価値連鎖は刻一刻と変化していく。その変化にキャッチアップし、その都度その顧客に合ったコンテンツを提供することが求められる。
- 人間中心設計
デジタルコンテンツを売るためには、実は人間中心設計がアナログコンテンツよりも重要になってくるのではないかと思った。消費者の「主観」という目で見えない部分をどう設計していくのか。
今までよりも顧客に迫り、彼らの感情の機微を追い、何が彼らを駆り立てるのかをきちんと理解する必要が求められている。
【1112ゼミ】日本のクリエイティブな力【田島】
・PK
投票NO.1、NO.2のお二人なだけあり、非常に学ぶところが多かった。特にかこいさんは、自分なりのプレゼン哲学が図を使ってすっきりと説明されていて、とてもオリジナリティーがあった。Presentaion Zenなどのように、色んな人の参考にもなると思うので、是非HPなどでも公開してほしい。また、自分に正直に軸を構成しているところに好感をもった。「プレイフルシンキング」という本にも、自分の目標と目の前の課題を一致させることの大切さが述べられている。「常に自分の興味のあることにアンテナを貼っているから、課題を急にふられても困らない」という部分はなるほどなと納得し、見習いたいと感じた。
Presentation Kimという企画について。「毎年恒例行事」にはしないでほしい。そもそもこの企画の発足が、「プレゼンの上手い人がたくさんいるので、是非その秘訣を知りたい」という欲求があってそこから組み立てられたものであり、来年何をしたいかは来年のメンバーで考えるべきだと思う。'あの人のグルワ術を知りたい!'「Group Work Kim」でもいいし、'あの人のノートの取り方を知りたい!'「Note Taking Kim」でも、とにかくみんなのニーズにあった企画を是非考えてほしいと思う。
・NC
久しぶりにメンバーの一員としてNCとして参加したが、3人それぞれが意見を出し合い、対等なバランスで相乗効果を生み出したいいチームだったと思う。特に大関さんの問題意識がはっきりとしていたことが良かった。また、自分の体験と絡めたりグルワのテーマを設定したり、吉田君の常に積極的な姿勢も良かった。二人ともお疲れ様でした。
グループワークについては反応がまちまちだったので、反省点ではあると思う。もっと時間を多くとったり、もしくはミニマムな話題を設定した方が議論する側のフラストレーションを軽減できたかもしれない。しかし、あえて「日本はこれから何で対外アピールしていくべきか?」という目標から設定したことはこちらの意図だった。(というより、私がそれで話し合ってほしかった。)瞬間的なグループワークの結果よりも、これからの日本の将来を若者である我々がどう考えるか?その姿勢が大切であると思うからだ。課題のために、短い時間の中でみんな一生懸命「日本の将来には何が必要か?」ということを考えたと思う。そのような議論を、今後とも続けていきたい。ただ、確かにテーマの設定はもっと工夫するべきだったと思う。「次世代の日本の姿をアピールするためのキャッチフレーズ作り」などの方が混乱がなかったかな?
確かに、サブカルチャーはサブカルチャーに過ぎない。しかしそれを日本ブランドにして、付加価値や観光収入につなげることは出来ないだろうか?たとえばNYやパリのように、東京もまたポップカルチャーの先端の場所としてアピールする。そのような人材の集積地になるには日本にはまだ、自らのカルチャーを理解し、外国人に対し門戸を開こうとする体制がそろってはいない。日本国内にまだクリエーターを育成する十分な体制が整っていないし、業界自体も閉じていて日本人以外を受け入れない。パリのメゾンのような、NYのスクールやギャラリーのような、世界中から人材を集め育成する拠点が必要である。「日本」のブランドイメージアップをデザイン製品の購買や観光につなげていきたい。
・戸高さんプレゼンと阿久津さんのお話
お忙しい中渾身のプレゼン、本当にありがとうございました。軸のある姿勢は説得力を増すばかりか、常にモチベーションの向上に効果的だと私も思います。
アニメの動画マンの現状については初めて知りましたが、色々と驚かされました。アニメに対する認知度は国際的にも高まっているのに、なぜ逆にクリエーターの収入は下がっているのでしょうか?国際的認知度を収入につなげる方法、それこそPDのような方法がやはり必要なのではないでしょうか?
阿久津さんのお話では、商社のグローバルな環境が伝わり、とても参考になりました。社会で組織の体系に馴染んでいくことがあっても、常に自分の視野で考えることを忘れないようにしたいと思いました。
・三田祭論文
黄ちゃんと相談して今後の予定等を決めました。精一杯サポートしていきたいなと思います。
投票NO.1、NO.2のお二人なだけあり、非常に学ぶところが多かった。特にかこいさんは、自分なりのプレゼン哲学が図を使ってすっきりと説明されていて、とてもオリジナリティーがあった。Presentaion Zenなどのように、色んな人の参考にもなると思うので、是非HPなどでも公開してほしい。また、自分に正直に軸を構成しているところに好感をもった。「プレイフルシンキング」という本にも、自分の目標と目の前の課題を一致させることの大切さが述べられている。「常に自分の興味のあることにアンテナを貼っているから、課題を急にふられても困らない」という部分はなるほどなと納得し、見習いたいと感じた。
Presentation Kimという企画について。「毎年恒例行事」にはしないでほしい。そもそもこの企画の発足が、「プレゼンの上手い人がたくさんいるので、是非その秘訣を知りたい」という欲求があってそこから組み立てられたものであり、来年何をしたいかは来年のメンバーで考えるべきだと思う。'あの人のグルワ術を知りたい!'「Group Work Kim」でもいいし、'あの人のノートの取り方を知りたい!'「Note Taking Kim」でも、とにかくみんなのニーズにあった企画を是非考えてほしいと思う。
・NC
久しぶりにメンバーの一員としてNCとして参加したが、3人それぞれが意見を出し合い、対等なバランスで相乗効果を生み出したいいチームだったと思う。特に大関さんの問題意識がはっきりとしていたことが良かった。また、自分の体験と絡めたりグルワのテーマを設定したり、吉田君の常に積極的な姿勢も良かった。二人ともお疲れ様でした。
グループワークについては反応がまちまちだったので、反省点ではあると思う。もっと時間を多くとったり、もしくはミニマムな話題を設定した方が議論する側のフラストレーションを軽減できたかもしれない。しかし、あえて「日本はこれから何で対外アピールしていくべきか?」という目標から設定したことはこちらの意図だった。(というより、私がそれで話し合ってほしかった。)瞬間的なグループワークの結果よりも、これからの日本の将来を若者である我々がどう考えるか?その姿勢が大切であると思うからだ。課題のために、短い時間の中でみんな一生懸命「日本の将来には何が必要か?」ということを考えたと思う。そのような議論を、今後とも続けていきたい。ただ、確かにテーマの設定はもっと工夫するべきだったと思う。「次世代の日本の姿をアピールするためのキャッチフレーズ作り」などの方が混乱がなかったかな?
確かに、サブカルチャーはサブカルチャーに過ぎない。しかしそれを日本ブランドにして、付加価値や観光収入につなげることは出来ないだろうか?たとえばNYやパリのように、東京もまたポップカルチャーの先端の場所としてアピールする。そのような人材の集積地になるには日本にはまだ、自らのカルチャーを理解し、外国人に対し門戸を開こうとする体制がそろってはいない。日本国内にまだクリエーターを育成する十分な体制が整っていないし、業界自体も閉じていて日本人以外を受け入れない。パリのメゾンのような、NYのスクールやギャラリーのような、世界中から人材を集め育成する拠点が必要である。「日本」のブランドイメージアップをデザイン製品の購買や観光につなげていきたい。
・戸高さんプレゼンと阿久津さんのお話
お忙しい中渾身のプレゼン、本当にありがとうございました。軸のある姿勢は説得力を増すばかりか、常にモチベーションの向上に効果的だと私も思います。
アニメの動画マンの現状については初めて知りましたが、色々と驚かされました。アニメに対する認知度は国際的にも高まっているのに、なぜ逆にクリエーターの収入は下がっているのでしょうか?国際的認知度を収入につなげる方法、それこそPDのような方法がやはり必要なのではないでしょうか?
阿久津さんのお話では、商社のグローバルな環境が伝わり、とても参考になりました。社会で組織の体系に馴染んでいくことがあっても、常に自分の視野で考えることを忘れないようにしたいと思いました。
・三田祭論文
黄ちゃんと相談して今後の予定等を決めました。精一杯サポートしていきたいなと思います。
1112ゼミの感想【山本】
①売れる物を創るか、好きな物を創るか
私は、どんなジャンルであっても編集者の仕事は“ビジネスとアートの架け橋”だと思っています。作品への愛情と造詣が深く、かつ商品への理解を持っていることが必要とされている中で、“売れる作品を創るのか、好きな作品を創るのか”という問題は永遠のテーマなのだなと思います。昨日出版社の方とお話をしたのですが、「作家の方に、題材を売れるものに変えてもらう交渉をするときが本当に大変」とおっしゃっていました。一方以前NHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』でジブリの敏腕ディレクター鈴木敏夫さんが「自分たちは徹底して自分が好きだと思うものを創っている。そうでないといい物はできない」とおっしゃっていたことを思い出しました。売り上げに対する計り知れない重圧を背負っているであろう彼からそんな言葉が出たことに私はすごく驚きました。また一方で、先週お会いした化粧品のマーケティングをしている女性は「結局は自分の欲しいものに忠実に、すごく感覚的なものを尊重して商品を作っている」とおっしゃっていました。
こんな色々なひとの言葉や、戸高さん栫井さんのプレゼンを見て“売れる作品”って、なんなんだろうなと思いました。よくあるマーケティングの手法で市場を分析した結果にのっとって作ったものが売れるものなのか、それとももっと感覚的な、自分の今までの人生やセンスを駆使して作ったものなのか。多分両方なのでしょうね。膨大な消費者データとにらめっこしつつ、最後は自分の感覚を信じて沢山の汗水を流して作られた結晶が世に出回っている作品であり、商品なのでしょうね。そう考えると、世の中にある全ての消費材がいとおしく思えます。そして購入することが、私たちが彼らに“イイネ!”とメッセージを送れる唯一の手段なんだなと思うと、お菓子ひとつ買うことにもなんだか責任を感じたりする最近です。
また、こんなクリエイターや編集者の苦悩や苦労は、電子書籍などが普及して参入障壁が下がろうと、変わらず彼らにまとわりつく壮大なテーマなんだと思います。
②阿久津さんのお話
お忙しいなか、お越しくださりありがとうございました。
阿久津さんのお話を聞くことで、商社のお仕事を以前よりもリアルに思い描くことができるようになりました。
投資や買収のお話が出ていましたが、面白い記事を見つけたので貼っておきます。
http://www.toyokeizai.net/business/strategy/detail/AC/3a86d85127c04b32da119a5db4a1a462/page/1/
③個人論文【矢部くん】
今週から、大変恐縮ですが個人論文に関するフィードバックをここに記していきます。
私はメンターという立場にあるわけですが、何かを教えようとか伝授しようみたいな烏滸がましいことはしようと思っていません。むしろ、矢部くんが個人論文を作って行く中で、なにか立ち止まったりしたときに、一緒に悩む作業をできたらなと思っています。よく言う“1+1=∞”という言葉を心から実感したのは、私は金ゼミでの作業においてでした。
“悩む”っていいことだなあと最近痛感することが多いです。
そんなわけで、これからよろしくお願いします。
私は、どんなジャンルであっても編集者の仕事は“ビジネスとアートの架け橋”だと思っています。作品への愛情と造詣が深く、かつ商品への理解を持っていることが必要とされている中で、“売れる作品を創るのか、好きな作品を創るのか”という問題は永遠のテーマなのだなと思います。昨日出版社の方とお話をしたのですが、「作家の方に、題材を売れるものに変えてもらう交渉をするときが本当に大変」とおっしゃっていました。一方以前NHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』でジブリの敏腕ディレクター鈴木敏夫さんが「自分たちは徹底して自分が好きだと思うものを創っている。そうでないといい物はできない」とおっしゃっていたことを思い出しました。売り上げに対する計り知れない重圧を背負っているであろう彼からそんな言葉が出たことに私はすごく驚きました。また一方で、先週お会いした化粧品のマーケティングをしている女性は「結局は自分の欲しいものに忠実に、すごく感覚的なものを尊重して商品を作っている」とおっしゃっていました。
こんな色々なひとの言葉や、戸高さん栫井さんのプレゼンを見て“売れる作品”って、なんなんだろうなと思いました。よくあるマーケティングの手法で市場を分析した結果にのっとって作ったものが売れるものなのか、それとももっと感覚的な、自分の今までの人生やセンスを駆使して作ったものなのか。多分両方なのでしょうね。膨大な消費者データとにらめっこしつつ、最後は自分の感覚を信じて沢山の汗水を流して作られた結晶が世に出回っている作品であり、商品なのでしょうね。そう考えると、世の中にある全ての消費材がいとおしく思えます。そして購入することが、私たちが彼らに“イイネ!”とメッセージを送れる唯一の手段なんだなと思うと、お菓子ひとつ買うことにもなんだか責任を感じたりする最近です。
また、こんなクリエイターや編集者の苦悩や苦労は、電子書籍などが普及して参入障壁が下がろうと、変わらず彼らにまとわりつく壮大なテーマなんだと思います。
②阿久津さんのお話
お忙しいなか、お越しくださりありがとうございました。
阿久津さんのお話を聞くことで、商社のお仕事を以前よりもリアルに思い描くことができるようになりました。
投資や買収のお話が出ていましたが、面白い記事を見つけたので貼っておきます。
http://www.toyokeizai.net/business/strategy/detail/AC/3a86d85127c04b32da119a5db4a1a462/page/1/
③個人論文【矢部くん】
今週から、大変恐縮ですが個人論文に関するフィードバックをここに記していきます。
私はメンターという立場にあるわけですが、何かを教えようとか伝授しようみたいな烏滸がましいことはしようと思っていません。むしろ、矢部くんが個人論文を作って行く中で、なにか立ち止まったりしたときに、一緒に悩む作業をできたらなと思っています。よく言う“1+1=∞”という言葉を心から実感したのは、私は金ゼミでの作業においてでした。
“悩む”っていいことだなあと最近痛感することが多いです。
そんなわけで、これからよろしくお願いします。
1112ゼミ感想【斎藤】
【NC】
久々にNCをやった気がするのですが、とても楽しくてニヤニヤしました。クールパワーで日本文化を海外に発信するためにはというテーマでしたが、それを担うのは官に限らず民間、個人であると思いました。それを活かして、結果的に国益に結びつけるバブリックディプロマシーの理念も面白かったです。現在の時事問題だと尖閣問題での日中関係がありますが、政治、経済、軍事などのハードパワーは官主導になりがちです。そうではなく、音楽、マンガ、映画、教育…など様々な分野で僕ら自身が自国と他国をつなぐ主役になりうる要素がたくさんあるのがソフトパワー、クールパワーの魅力で夢のある点だと思います。従来の政治交渉のように、自国の利益を追求したり、表向きでは主張を押し付け合って水面下で妥協点を探るような暗いイメージではなく、純粋に相手の文化への共感を抱くことができるのも、こういったソフトパワーを活かした対外発信のメリットだと思います。といいつつ、在日米軍の萌え漫画は彼らのしたたかさが露呈して若干不愉快でしたが。その点では岸本さんの文化的侵略感というキーワードが印象的でした。
以前、歌舞伎座が取り壊され現代的な建物になるに当たって中村勘三郎氏が仰っていたことで印象に残っている事があるので紹介します。テレビで見たものなので一言一句完璧ではないのですが、演じる器は関係なく、自分達これまでどおり演じるだけだという内容でした。歌舞伎という伝統にこだわる世界に生きながらも、環境が変わることを恐れない姿に感動しました。ここから、文化を担っているのは他でもなく人間なのだということを感じました。元麻生首相が打ち出した”漫画の殿堂”が批判されたのは、そういった理念が欠けており、器だけを作ってしまえという安直なビジョンしか伝わってこなかったからなのかなと感じました。
NCに関してはもっと時間があれば良かったというのが率直な意見ですが、限られた時間を活用する力も大事なので、テーマ設定、目標設定、概念の共有などはきっちりやるべきだなとグループワークを通じて感じました。ハード面ではなく、それを担うソフト面でのテーマ設定は非常に面白かったです。担当者の方おつかれさまでした。
【戸高さんプレゼン】
好きなことテーマにする。OGの阿久津さんも仰ったように学生時代しか好きなことができないという意見もありましたし、好きという事実こそ最大のモチベーションになる気がしました。また、テーマが変わっても最初の事が後に生きてくる。言葉の定義づけをしっかりするなど論文作成にあったて参考になりました。
【三田論】
進捗状況としましては、ウェブ上で構築した人の関係性をリアルに移行させる為の(例:候補者のツイッターでの単なるフォロワーを投票所にに行かせる。ネットでのコニュニティーを実際に活動する支援団体にするなど)ツールとしてどういったものがあるか考えている状況です。三田祭ではそれらを簡単な形式にまとめて、中間発表、展示とする予定です。
久々にNCをやった気がするのですが、とても楽しくてニヤニヤしました。クールパワーで日本文化を海外に発信するためにはというテーマでしたが、それを担うのは官に限らず民間、個人であると思いました。それを活かして、結果的に国益に結びつけるバブリックディプロマシーの理念も面白かったです。現在の時事問題だと尖閣問題での日中関係がありますが、政治、経済、軍事などのハードパワーは官主導になりがちです。そうではなく、音楽、マンガ、映画、教育…など様々な分野で僕ら自身が自国と他国をつなぐ主役になりうる要素がたくさんあるのがソフトパワー、クールパワーの魅力で夢のある点だと思います。従来の政治交渉のように、自国の利益を追求したり、表向きでは主張を押し付け合って水面下で妥協点を探るような暗いイメージではなく、純粋に相手の文化への共感を抱くことができるのも、こういったソフトパワーを活かした対外発信のメリットだと思います。といいつつ、在日米軍の萌え漫画は彼らのしたたかさが露呈して若干不愉快でしたが。その点では岸本さんの文化的侵略感というキーワードが印象的でした。
以前、歌舞伎座が取り壊され現代的な建物になるに当たって中村勘三郎氏が仰っていたことで印象に残っている事があるので紹介します。テレビで見たものなので一言一句完璧ではないのですが、演じる器は関係なく、自分達これまでどおり演じるだけだという内容でした。歌舞伎という伝統にこだわる世界に生きながらも、環境が変わることを恐れない姿に感動しました。ここから、文化を担っているのは他でもなく人間なのだということを感じました。元麻生首相が打ち出した”漫画の殿堂”が批判されたのは、そういった理念が欠けており、器だけを作ってしまえという安直なビジョンしか伝わってこなかったからなのかなと感じました。
NCに関してはもっと時間があれば良かったというのが率直な意見ですが、限られた時間を活用する力も大事なので、テーマ設定、目標設定、概念の共有などはきっちりやるべきだなとグループワークを通じて感じました。ハード面ではなく、それを担うソフト面でのテーマ設定は非常に面白かったです。担当者の方おつかれさまでした。
【戸高さんプレゼン】
好きなことテーマにする。OGの阿久津さんも仰ったように学生時代しか好きなことができないという意見もありましたし、好きという事実こそ最大のモチベーションになる気がしました。また、テーマが変わっても最初の事が後に生きてくる。言葉の定義づけをしっかりするなど論文作成にあったて参考になりました。
【三田論】
進捗状況としましては、ウェブ上で構築した人の関係性をリアルに移行させる為の(例:候補者のツイッターでの単なるフォロワーを投票所にに行かせる。ネットでのコニュニティーを実際に活動する支援団体にするなど)ツールとしてどういったものがあるか考えている状況です。三田祭ではそれらを簡単な形式にまとめて、中間発表、展示とする予定です。
1112 ゼミ感想<矢野>
Presentation KIM
図で表せる能力ってすごいな、と最近感じている。
今週栫井さんに個人論文のミーティングをしてもらった時に図示することについて話した。確かに栫井さんがよくプレゼンで色々な事象や関係性を図で表現しているのは度々見ていた。今回個人論文のテーマを掘り下げて考えるときに、文章では表せなくてただただ白い紙にmind mapのような形に書き連ねていたのだが、なかなかそれをすっきりと辻褄の合うように、整合性の取れた図にするのは意外にも難しかった。こういう作業ってそれこそ「才能」だと思った、いや実際そうかもしれない。けれど、栫井さんもプレゼンの中で岸本さんと宮村さんという師がいる、と言っていた。つまり私も3人を(一人多くてラッキーと捉える笑。)師として少し頑張ってみよう、ということだ。ということで、今後私のプレゼンの中に少しおかしな図が出てきても、成長過程ということで見守って頂きたいです。。。。
NC
日本の何を推して豊かにしていくのがいいのか、というかなりマスな視点から入ってしまったのでその分考えることも多かった。50年後、第2次産業で食べていける日本人がどれくらいいるのか・・・、日本は第3次産業でやっていくべきだという人もいるが、では果たして第3次産業でふんだんに儲けることなどできるのか・・・阿久津さんも商社がコンテンツを扱わない理由として、コンテンツはもうからないと言っていた。もちろんコンテンツだけが第3次産業ではないが。これに関して知識が少なく仮想ベースでの意見しか出せなかったのでもっと勉強しなければと思いました。ただ、Public Diplomacyに関しては日本は積極的介入が少ない、というかそこまで手が回っていない感があるので、どの領域であれ、介入という行為はすべきではないのかなと思います。
戸高さんプレゼン
言葉の定義の大切さ、というのが印象的でした。特に私たちのゼミでは不可欠、と戸高さんもおっしゃっていましたが、その通りだと思います。私的には今までの中で、「プラットフォーム」という言葉について前期金先生が説明してくださったのを良く覚えています。「言ってしまえばかなりプラットフォームというのは広い意味を持った言葉になってしまう」とおっしゃっていて、頷くところがありました。広い概念的な言葉(それが外来語だと更に)というのは扱いが難しく、きちんと定義してあげないと後で言うことがばらばらになってしまう、ある意味では厄介。けれど自分でその定義を変えてみたら、全然違う方向や切り口から物事が見えて興味深いある時はワクワクさえするような「複雑さ」が生まれるのかな、とも思いました。
5期話し合い
仲がいいなと思います。というのがアウトプットではないんですが・・・もっともっと話したいです!!
<論文>
テーマを掘り下げ中です。
フラッシュマーケティングの概要は電子書籍を読んで大方理解しました。
図で表せる能力ってすごいな、と最近感じている。
今週栫井さんに個人論文のミーティングをしてもらった時に図示することについて話した。確かに栫井さんがよくプレゼンで色々な事象や関係性を図で表現しているのは度々見ていた。今回個人論文のテーマを掘り下げて考えるときに、文章では表せなくてただただ白い紙にmind mapのような形に書き連ねていたのだが、なかなかそれをすっきりと辻褄の合うように、整合性の取れた図にするのは意外にも難しかった。こういう作業ってそれこそ「才能」だと思った、いや実際そうかもしれない。けれど、栫井さんもプレゼンの中で岸本さんと宮村さんという師がいる、と言っていた。つまり私も3人を(一人多くてラッキーと捉える笑。)師として少し頑張ってみよう、ということだ。ということで、今後私のプレゼンの中に少しおかしな図が出てきても、成長過程ということで見守って頂きたいです。。。。
NC
日本の何を推して豊かにしていくのがいいのか、というかなりマスな視点から入ってしまったのでその分考えることも多かった。50年後、第2次産業で食べていける日本人がどれくらいいるのか・・・、日本は第3次産業でやっていくべきだという人もいるが、では果たして第3次産業でふんだんに儲けることなどできるのか・・・阿久津さんも商社がコンテンツを扱わない理由として、コンテンツはもうからないと言っていた。もちろんコンテンツだけが第3次産業ではないが。これに関して知識が少なく仮想ベースでの意見しか出せなかったのでもっと勉強しなければと思いました。ただ、Public Diplomacyに関しては日本は積極的介入が少ない、というかそこまで手が回っていない感があるので、どの領域であれ、介入という行為はすべきではないのかなと思います。
戸高さんプレゼン
言葉の定義の大切さ、というのが印象的でした。特に私たちのゼミでは不可欠、と戸高さんもおっしゃっていましたが、その通りだと思います。私的には今までの中で、「プラットフォーム」という言葉について前期金先生が説明してくださったのを良く覚えています。「言ってしまえばかなりプラットフォームというのは広い意味を持った言葉になってしまう」とおっしゃっていて、頷くところがありました。広い概念的な言葉(それが外来語だと更に)というのは扱いが難しく、きちんと定義してあげないと後で言うことがばらばらになってしまう、ある意味では厄介。けれど自分でその定義を変えてみたら、全然違う方向や切り口から物事が見えて興味深いある時はワクワクさえするような「複雑さ」が生まれるのかな、とも思いました。
5期話し合い
仲がいいなと思います。というのがアウトプットではないんですが・・・もっともっと話したいです!!
<論文>
テーマを掘り下げ中です。
フラッシュマーケティングの概要は電子書籍を読んで大方理解しました。
【ホンヨミ!1115②】ハーバードからの贈り物【斎藤】
ハーバードビジネススクールでは卒業生に向けて、最後の授業で教授からメッセージを送るのが恒例となっており、そのはなしこそハーバードビジネススクールの神髄と言われものを書籍化したものだ。これから社会にでていく世界一のエリート達に向けられたメッセージは意外にも難しい話ではなく、人生をどういきるかという温かい内容のものである。各話の内容については本書で実際に読んでもらうのが良いと思うので、教授達の人生観、話術から気になった点をピックアップして紹介する。
①人生から学ぶ
ハーバードと言えば世界最高学府であるが、本書に登場する教授の多くは学問の分野ばかりでなく人間的にも豊かな人が多い。学問を離れた人生経験こそが、自分の価値観を形成するのだという至極当たり前のことに気づかされた。そういった価値観をもとに学問を活かして社会に貢献するのだと思う。例えば、ジャイ・ジャイクマイという製造科学を専門にする教授は登山家でもあるのだが、ヒマラヤにアタックした際に生死をさまよった。それによって、自分の境遇に感謝すること、人生における使命を見つけた。転落事故を期に人間的にはさらなる高見に昇ることができたのだ。やはり、学問だけでは人間的につまらないと思う。それをハーバードのエリート達に向けて言っているのだから一層説得力がある。
②人に伝えるために
世界一頭の良い生徒達に話すからといって、けっして難しい言葉を使っている訳ではない。人生の中で自分が感じた事を、具体的なエピソードを交えて伝えている。相手を納得させるだけの完璧な論理を組み立てることももちろん重要だが、それ以上に自分自身が何を感じて、そう思ったのか丁寧に言葉にすることが相手の共感を生むのだろう。例えば就職活動などで、真面目になりすぎて志望動機などで堅い意見しか言わなくなる人がいるが、結局のところ人の心を動かすのは何だろうかという大事な事が書いてあると思う。
③肩の力を抜く
エリートとしての道を歩みつつけなければならないというプレッシャーがハーバードビジネススクールの卒業生には大きくのしかかるだろうが、そのプレッシャに惑わされることなく人間として豊かな人生を送るためのヒントがある。例えば、鏡のまえに立って自分の目を見つめ、何年後に環境が大きく変わっても、もう一度鏡の前に立っている人間は自分自身でしか無い事を確認することがあげられる。ほかにも、ある分野で挫折した教授の話があったが、その教授は挫折を乗り越えて、今自分にできることを見つけた。通常だとこれまで培ってきたものが崩れてしまったと考えがちだが、柔軟に自分の適正を見極めてつぎの選択をした。多くの教授に通じるのは物事を白か黒かで考えずに、つまり結果だけではなく何故その思考におちいったのか過程を重視していることも印象に残った。
①人生から学ぶ
ハーバードと言えば世界最高学府であるが、本書に登場する教授の多くは学問の分野ばかりでなく人間的にも豊かな人が多い。学問を離れた人生経験こそが、自分の価値観を形成するのだという至極当たり前のことに気づかされた。そういった価値観をもとに学問を活かして社会に貢献するのだと思う。例えば、ジャイ・ジャイクマイという製造科学を専門にする教授は登山家でもあるのだが、ヒマラヤにアタックした際に生死をさまよった。それによって、自分の境遇に感謝すること、人生における使命を見つけた。転落事故を期に人間的にはさらなる高見に昇ることができたのだ。やはり、学問だけでは人間的につまらないと思う。それをハーバードのエリート達に向けて言っているのだから一層説得力がある。
②人に伝えるために
世界一頭の良い生徒達に話すからといって、けっして難しい言葉を使っている訳ではない。人生の中で自分が感じた事を、具体的なエピソードを交えて伝えている。相手を納得させるだけの完璧な論理を組み立てることももちろん重要だが、それ以上に自分自身が何を感じて、そう思ったのか丁寧に言葉にすることが相手の共感を生むのだろう。例えば就職活動などで、真面目になりすぎて志望動機などで堅い意見しか言わなくなる人がいるが、結局のところ人の心を動かすのは何だろうかという大事な事が書いてあると思う。
③肩の力を抜く
エリートとしての道を歩みつつけなければならないというプレッシャーがハーバードビジネススクールの卒業生には大きくのしかかるだろうが、そのプレッシャに惑わされることなく人間として豊かな人生を送るためのヒントがある。例えば、鏡のまえに立って自分の目を見つめ、何年後に環境が大きく変わっても、もう一度鏡の前に立っている人間は自分自身でしか無い事を確認することがあげられる。ほかにも、ある分野で挫折した教授の話があったが、その教授は挫折を乗り越えて、今自分にできることを見つけた。通常だとこれまで培ってきたものが崩れてしまったと考えがちだが、柔軟に自分の適正を見極めてつぎの選択をした。多くの教授に通じるのは物事を白か黒かで考えずに、つまり結果だけではなく何故その思考におちいったのか過程を重視していることも印象に残った。
11月12日ゼミの感想
①NC
今回は久々のNCでしたが、改めてNCというものの重要性について考えさせられました。
ざっくりと「良かった点」と「良くなかった点」に分けて書きます。
【良かった点】
・国際関係とメディア・コンテンツの関係性を紹介できたこと
・金ゼミの力を金ゼミの得意分野(クリエイティブ産業)以外に応用する試みができたこと
・日本の特色・アイデンティティとは何かということを考えてもらえたこと
【良くなかった点】
・前提となる知識の共有が不十分だったこともあり、NCの趣旨を完全に理解してもらえなかった部分があったこと
・議論をする時間が短すぎたために、解決のための「手段」を考える時間が十分になかったこと
・扱う範囲が広過ぎたために論点が不明確になってしまったこと
議論や感想の中では、パブリックディプロマシーよりもクリエーターの育成や産業(製造業含む)の強化の方が大事だという意見が多くみられました。「出る杭たれ」の金ゼミ精神からあえて反対意見を言わせて頂きます。グローバル社会が各分野に及ぶ現代、「沈黙は金。雄弁は銀。」的な「いいものを作れば自然に尊敬される」時代は終わったと思います。これからは文化背景が全く異なる相手に対して日本の考えを伝えることが求められます。パブリック・ディプロマシーが文化侵略に繋がるからしない方が良いというのは、相手に嫌われるのが怖いから意見を言わないのと同じではないでしょうか。相手国民にうまく日本の意見を伝えるためには、コンテンツやサブカルチャーなど使える力は全て使って行くべきではないでしょうか。
内容については賛否両論分かれるものになりましたが、大関さん、田島先輩、本当にお疲れさまでした。いろいろ助けていただきありがとうございました。
②戸高さんのプレゼンと阿久津さんのお話
まず戸高さんのお話を聞いて、論文を書く手法の部分で多くのことを学べたと共にクリエーターの現状に改めて驚かされました。現在の状況を見ていると、既に成り立たなくなっているクリエーターの雇用形態をなんとか立て直すよりも、専門性の低い作業を中国やタイなど低賃金の国に外注して、ストーリーなどのコアな部分だけ日本に残すという考え方もあるのではないかと思いました。ピクサーが作業の一部を外注しているというニュースも見たことがありますし。産業としてこれからも残っていくためには、選択と集中が求められていくと感じました。
阿久津のお話では、商社での仕事の現場についてお話を聞くことができて、商社での仕事についてよりイメージを深めることができました。今回は少ししかお話しすることができませんでしたが、今度機会がありましたらまた改めてお話を聞きたいです。
お二人のお話を聞いて、素晴らしい先輩が多くいらっしゃる金ゼミで勉強することができて本当に幸せだなということです。この環境を活かしてさらに自分を成長させていきたいと思いました。
③三田祭企画・グループ論文について
ゼミの後、5期生で発表の大枠を決めました。詳しくはメールの確認をお願いします。
グループ論文に関しては、中間発表としてインターネットツールによって選挙活動を変えるアイデアを48個紹介したいと思います。12月の論文では、これらのツールの特性を要素に分けて分類し、選挙のタイプごとの有用性を考えていきたいと思います。
今回は久々のNCでしたが、改めてNCというものの重要性について考えさせられました。
ざっくりと「良かった点」と「良くなかった点」に分けて書きます。
【良かった点】
・国際関係とメディア・コンテンツの関係性を紹介できたこと
・金ゼミの力を金ゼミの得意分野(クリエイティブ産業)以外に応用する試みができたこと
・日本の特色・アイデンティティとは何かということを考えてもらえたこと
【良くなかった点】
・前提となる知識の共有が不十分だったこともあり、NCの趣旨を完全に理解してもらえなかった部分があったこと
・議論をする時間が短すぎたために、解決のための「手段」を考える時間が十分になかったこと
・扱う範囲が広過ぎたために論点が不明確になってしまったこと
議論や感想の中では、パブリックディプロマシーよりもクリエーターの育成や産業(製造業含む)の強化の方が大事だという意見が多くみられました。「出る杭たれ」の金ゼミ精神からあえて反対意見を言わせて頂きます。グローバル社会が各分野に及ぶ現代、「沈黙は金。雄弁は銀。」的な「いいものを作れば自然に尊敬される」時代は終わったと思います。これからは文化背景が全く異なる相手に対して日本の考えを伝えることが求められます。パブリック・ディプロマシーが文化侵略に繋がるからしない方が良いというのは、相手に嫌われるのが怖いから意見を言わないのと同じではないでしょうか。相手国民にうまく日本の意見を伝えるためには、コンテンツやサブカルチャーなど使える力は全て使って行くべきではないでしょうか。
内容については賛否両論分かれるものになりましたが、大関さん、田島先輩、本当にお疲れさまでした。いろいろ助けていただきありがとうございました。
②戸高さんのプレゼンと阿久津さんのお話
まず戸高さんのお話を聞いて、論文を書く手法の部分で多くのことを学べたと共にクリエーターの現状に改めて驚かされました。現在の状況を見ていると、既に成り立たなくなっているクリエーターの雇用形態をなんとか立て直すよりも、専門性の低い作業を中国やタイなど低賃金の国に外注して、ストーリーなどのコアな部分だけ日本に残すという考え方もあるのではないかと思いました。ピクサーが作業の一部を外注しているというニュースも見たことがありますし。産業としてこれからも残っていくためには、選択と集中が求められていくと感じました。
阿久津のお話では、商社での仕事の現場についてお話を聞くことができて、商社での仕事についてよりイメージを深めることができました。今回は少ししかお話しすることができませんでしたが、今度機会がありましたらまた改めてお話を聞きたいです。
お二人のお話を聞いて、素晴らしい先輩が多くいらっしゃる金ゼミで勉強することができて本当に幸せだなということです。この環境を活かしてさらに自分を成長させていきたいと思いました。
③三田祭企画・グループ論文について
ゼミの後、5期生で発表の大枠を決めました。詳しくはメールの確認をお願いします。
グループ論文に関しては、中間発表としてインターネットツールによって選挙活動を変えるアイデアを48個紹介したいと思います。12月の論文では、これらのツールの特性を要素に分けて分類し、選挙のタイプごとの有用性を考えていきたいと思います。
2010年11月14日日曜日
[1112ホンヨミ!②]テレビ進化論[矢部]
テレビ進化論 映像ビジネス覇権のゆくえ 境 真良(著)
これから、テレビが二つの側面で進化を遂げると筆者は云う。
①次のテレビ
コンテンツそのものは変わらず、ただ視聴方法が変わるという変化が起きるということ。次のテレビというのは、単にコンテンツのためのメディアにとどまらず、マッチング技術と個人情報ビジネスという二つの面で広大な情報ビジネスの一部として機能し始めるのだ。しかしテレビ局の中で行われる仕事の在り方は、さほど変わらない。つまりテレビ局の番組編成プロデュース作業は残る。変わるのはそれを取り巻くステイクホルダーの広告代理店や金融機関であろう。とはいえ、結局コンテンツはあらゆる機器と連動しながら、その奥で動く巨大な情報データベースによって価値が再測定されるわけである。そこにコンテンツを支えるクリエイター達が好奇心、野心、才能を輝かせながら関わり、新たなコンテンツが生まれるのだ。それを②で述べる。
②テレビの次
コンテンツそのものが私たちの創造力によって変化するということ。それを実現するためには、法技術的な面で3つ、政府の積極的な対応が求められるのである。1つ目は著作権法上の同一性保持権の取り扱いを明確化すること。2つ目はコンテンツの保護対象、単位をはっきり決めること。3つ目が個人情報の利用の範囲を明確にすることである。本当のことを言えば、政府がやらなくてもメディア産業群が主導となってルールの構築に取りかかればよいのだが、そのような議論をしていたのでは、先に進まないのである。その早い解決口として、力を持つ政府が一助してみても良いのではないのかということである。
これから、テレビが二つの側面で進化を遂げると筆者は云う。
①次のテレビ
コンテンツそのものは変わらず、ただ視聴方法が変わるという変化が起きるということ。次のテレビというのは、単にコンテンツのためのメディアにとどまらず、マッチング技術と個人情報ビジネスという二つの面で広大な情報ビジネスの一部として機能し始めるのだ。しかしテレビ局の中で行われる仕事の在り方は、さほど変わらない。つまりテレビ局の番組編成プロデュース作業は残る。変わるのはそれを取り巻くステイクホルダーの広告代理店や金融機関であろう。とはいえ、結局コンテンツはあらゆる機器と連動しながら、その奥で動く巨大な情報データベースによって価値が再測定されるわけである。そこにコンテンツを支えるクリエイター達が好奇心、野心、才能を輝かせながら関わり、新たなコンテンツが生まれるのだ。それを②で述べる。
②テレビの次
コンテンツそのものが私たちの創造力によって変化するということ。それを実現するためには、法技術的な面で3つ、政府の積極的な対応が求められるのである。1つ目は著作権法上の同一性保持権の取り扱いを明確化すること。2つ目はコンテンツの保護対象、単位をはっきり決めること。3つ目が個人情報の利用の範囲を明確にすることである。本当のことを言えば、政府がやらなくてもメディア産業群が主導となってルールの構築に取りかかればよいのだが、そのような議論をしていたのでは、先に進まないのである。その早い解決口として、力を持つ政府が一助してみても良いのではないのかということである。
1112ゼミ[矢部]
①NC
グループでのディスカッションはとても面白かったです。雇用促進のため、コンテンツに目を向けずマクロな視点で製造業の復興を支援するということは、確かにだと思いました。サブカルチャーでパブリックディプロマシーは政府自体がやらないであろう、当てにしないという先見の考えは、日本人として悲しくもあり、納得する部分もありました。かこいさんとクリエイターについて少し意見を交わしたことで、自分が述べた意見がうまくまとまり、しっかり落とし込む事ができて、次に考える土台を固められたと思いました。僕は、ポップカルチャーを海外に伝えるためには、国家的・文化的アイデンティティを理解した上での翻訳が重要であると思っています。目標は翻訳スキルの向上です。やはり、これからもずっと国同士がやり取りをするときには、必ず言語間の問題は出てくると思っています。クリエイターの質は高める、もしくはある一定程度の水準で維持されなければならないはずです。そこで翻訳などの言語上の問題やそこから出てくる契約・著作権などの問題で、事が複雑化して質が下がることは避けなければなりません。これを今よく言われる政府主導の民間がやるべきではないかと思います。利益最大化に走られては、この政策の意味はないからです。ファンサブなどを例にしていたので、その流れからクランチロールがテレビ東京と提携したことを考えて、つまり一元化して全てを集約しながらも、政府の目を行き届かせうまくコントロールするという手段を選びました。テレビ局・出版社・レコード会社・映画会社などのメディア産業と提携する、諸外国のアイデンティティと日本のアイデンティティに精通した人とクリエイターを所属させる会社を作れば良いのではないかと思いました。
②戸高さんプレゼン
「言葉の定義をしっかりやる。好きって言う気持ちを大事にして、その軸を貫く。問題意識を常に根底に持ち続ける。」
以上3つ論文でのアドバイスとして確と受け止めました。ありがとうございます。
③ゲスト阿久津さん
お忙しい中ありがとうございました。シュウカツなどは考える事が少ないですが、商社の断片は分かりました。先日チリのAguas Nuevasを丸紅が株買して水事業でも海外進出した件を知っていて、そして軽くお話を聞いてやはり中南米はホットなんだなと思いました。中国はもう色々な意味で荒らされているし(どの企業も進出)、所詮中国という一カ国なので(中国語は地方によって様々。)別の地域をリーチしたいとはずっと思っていたので納得しました。アラビア・フランス圏は外して、スペイン・(ポルトガル)・ロシア圏のホットさを知る事ができてよかったです。
グループでのディスカッションはとても面白かったです。雇用促進のため、コンテンツに目を向けずマクロな視点で製造業の復興を支援するということは、確かにだと思いました。サブカルチャーでパブリックディプロマシーは政府自体がやらないであろう、当てにしないという先見の考えは、日本人として悲しくもあり、納得する部分もありました。かこいさんとクリエイターについて少し意見を交わしたことで、自分が述べた意見がうまくまとまり、しっかり落とし込む事ができて、次に考える土台を固められたと思いました。僕は、ポップカルチャーを海外に伝えるためには、国家的・文化的アイデンティティを理解した上での翻訳が重要であると思っています。目標は翻訳スキルの向上です。やはり、これからもずっと国同士がやり取りをするときには、必ず言語間の問題は出てくると思っています。クリエイターの質は高める、もしくはある一定程度の水準で維持されなければならないはずです。そこで翻訳などの言語上の問題やそこから出てくる契約・著作権などの問題で、事が複雑化して質が下がることは避けなければなりません。これを今よく言われる政府主導の民間がやるべきではないかと思います。利益最大化に走られては、この政策の意味はないからです。ファンサブなどを例にしていたので、その流れからクランチロールがテレビ東京と提携したことを考えて、つまり一元化して全てを集約しながらも、政府の目を行き届かせうまくコントロールするという手段を選びました。テレビ局・出版社・レコード会社・映画会社などのメディア産業と提携する、諸外国のアイデンティティと日本のアイデンティティに精通した人とクリエイターを所属させる会社を作れば良いのではないかと思いました。
②戸高さんプレゼン
「言葉の定義をしっかりやる。好きって言う気持ちを大事にして、その軸を貫く。問題意識を常に根底に持ち続ける。」
以上3つ論文でのアドバイスとして確と受け止めました。ありがとうございます。
③ゲスト阿久津さん
お忙しい中ありがとうございました。シュウカツなどは考える事が少ないですが、商社の断片は分かりました。先日チリのAguas Nuevasを丸紅が株買して水事業でも海外進出した件を知っていて、そして軽くお話を聞いてやはり中南米はホットなんだなと思いました。中国はもう色々な意味で荒らされているし(どの企業も進出)、所詮中国という一カ国なので(中国語は地方によって様々。)別の地域をリーチしたいとはずっと思っていたので納得しました。アラビア・フランス圏は外して、スペイン・(ポルトガル)・ロシア圏のホットさを知る事ができてよかったです。
[1112ホンヨミ!①]捨てて強くなる[矢部]
捨てて強くなる 桜木健古(著)
この世の中には様々な「価値観」というものがある。私たちに影響を与えるとても強力な価値観としてあげられるのが、人間の価値観と社会の価値観である。優劣やヒエラルキーなどは一切捨てるべきなのではないかと云っている。変なプライドを持っていては捨てないことによって前進・向上するという目標が、逆にそれを難しくしていると思う。負けたものにしか捨てるというオケーションは訪れないのだ。常勝してるような者などなかなかこの世の中にはいない。とにかく「無」の状態で生きる事の大切さを述べている。ヒエラルキーのトップにいる人ほど、競争や優劣に固執して肩書きだけに囚われた卑小な人ではないだろうか。もっと立派さや平穏なあたたかい心をもったほうがよいとも思う。価値観という考えが無の状態で生きる事ことこそ、真の成長や安心、得るものがあるのではないかと思うのである。
著者はとても過度の考えを持っている人だが、一つの意見としてこういう意見もあるんだなと捉えました。
この世の中には様々な「価値観」というものがある。私たちに影響を与えるとても強力な価値観としてあげられるのが、人間の価値観と社会の価値観である。優劣やヒエラルキーなどは一切捨てるべきなのではないかと云っている。変なプライドを持っていては捨てないことによって前進・向上するという目標が、逆にそれを難しくしていると思う。負けたものにしか捨てるというオケーションは訪れないのだ。常勝してるような者などなかなかこの世の中にはいない。とにかく「無」の状態で生きる事の大切さを述べている。ヒエラルキーのトップにいる人ほど、競争や優劣に固執して肩書きだけに囚われた卑小な人ではないだろうか。もっと立派さや平穏なあたたかい心をもったほうがよいとも思う。価値観という考えが無の状態で生きる事ことこそ、真の成長や安心、得るものがあるのではないかと思うのである。
著者はとても過度の考えを持っている人だが、一つの意見としてこういう意見もあるんだなと捉えました。
残り5回 【金光】
what & why
かこいさんがPresentation Kimで、心がけていると何度も言っていたフレーズ。彼女はwhat&whyプレゼンするか?と、プレゼンの中でwhat&why重要なのか?と問いかけて作っていると言っていた。
つい昨日、妹に部活の先輩へのメールの添削を頼まれて読んでいたら、「なぜ、その仕事をやるのか、どうして怒られているのか、が分かると納得できる」という内容があった。相手がたとえ高校生だとしても、whyを伝えることで、本当に伝えたいwhatを納得することができるんだ、という当たり前のことに気付かされた。
製造業?コンテンツ??
グループワークになったとき岸本さんが「正直public deplomacyははやらないと思う」とおっしゃっていたが、私も自分のチーム議論の時にあえて「コンテンツばっかりで本当にいいの?」という疑問をぶつけた。
実はこれは私もある方から教えていただいた視点でした。今、アニメなどのコンテンツがサブカルチャーとして注目を浴びている。日本のOTAKU文化が市民権を得て、クールジャパンの売り込みの重要部分を担っている。しかし、日本全体で考えた時に、そこだけに注目するのは正しいのだろうか?語弊を恐れずに言えば、サブカルチャーは所詮サブカルチャーなのではないか?
アニメや若手クリエイターの支援をしても、そこで動くのは数人の有能と言われるクリエイターとその下で働く数多くの低賃金労働者。しかし、例えば製造業を活性化することで、その製品の部品製造、開発、流通、販売と一つの製品が出来上がるまでにより多くの人々に雇用の場を生むことが出来る。
次に視点を海外に移してみよう。韓国に去年海外に行ったときにYAMAHAのバイクを見たりSONY液晶を見たりして、海外で日本の製品が使用されていることに嬉しくなった。例えば、日本の電化製品が、性能が良くて丈夫という理由で日常的に海外で使われていたら自然とその海外の人々にとっての日本のイメージは先進的なものになると思う。一方、海外で日常的にMade in Japanとして認識されるものがマンガ、アニメだけだったらどうだろうか。たとえそれがなくなったとしても生活に支障はきたさない。だとしたら、海外の中の日本の重要度はあまり上がらないと思う。極端な例で反論も多いと思う。しかし、娯楽である以上は娯楽にお金を割くことのできる金銭的精神的余裕を国民に与えること、が国としてまず!行うべきことだと思う。
かくいう私も将来は知的財産分野、コンテンツの関わる分野に進みたいと思っているので正反対のことを言ってしまったが、今回のように国レベルでどうすべきか?という議題を与えられた時は、今自分達が勉強している”コンテンツ産業”に固執せずにもっと広い視野で考えるべきなのではないか、と思った。
みたろん
戸高さんの夜を徹してのプレゼンで思ったこと。
1、言葉の定義の大切さ
2、Editについて話していらっしゃたが、
プレゼンのEdit として考えてみると
↓
普通に検索しても表示されないような知識を自分の頭の中の引き出しから発見してそれをつなげて構成すること
だと思った。戸高さんのプレゼンにはそのようなちょっとひねった具体例や説明がちりばめられていた。
吉田班は三田祭で経過発表をするということで、あと一週間で発表形態に持っていかなければいけません。頑張りましょう!
1期OG 阿久津さん
印象的だったのは、
違う年代・環境で生きてきた人にもクリアに伝えるにはどうするのか。
勉強をやめてしまったことが一番後悔している。
という言葉です。
また、話を通じて、将来自分が“自分自身を社会の中で売って生きていくのか”それとも”会社に属する自分として生きるのか”を考えるべきなのかなぁと思いました。そして先日も思ったことですが、○○会社に勤務する、と言ってもその中には本当に多くの立場があります。○○会社、○○グループといった固有名詞で想像を止めないで、自分がどんな立場で何をすることになるのかを具体的にイメージする必要があると思いました。(就職に限らず)
【1112】ゼミの感想【栫井】
正直なところ、国には全く期待していない。
なぜなら、彼らには危機感が無いし当事者意識も見えないからだ。
だから私は、文化発信とは民間が主導すべきだと思う。
それも”文化発信”という甘い意識でやるべきでも無いと思う。
自立出来ない文化は所詮それまでのもの。
歌舞伎も能も唄も、残るべくして残った文化だし、コミケ思想も在るべくして在るもの。
そしてそれらは民間が、危機意識を持ち自分がご飯を食べるために広げていったもの。
国に頼るのではなく、自らが解決策を考えだしていくべきだと思う。
去年も今年もある程度似た問題意識で論文を書いてヒヤリングをして、面白い考えを持っている人が業界にはたくさんいることを知った。
麻生さんじゃ言えないこと、官僚の人が出来ないと言ってること。
それを実践しているのが、角川であり講談社でありピクシブでありニコニコ動画であると思う。
彼らに共通しているのは、自分が好きなものを在るべき姿に持っていきたいという問題意識だ。
凄く良いものを作るクリエイターの賃金が低すぎる、海外にコンテンツを持ち込むのに効率が悪すぎる、技術の潮流とコンテンツの潮流がマッチしていない。
日本/世界の区別は、実のところ長い目で見たら問題ではないと思う。
要は素晴らしいものを作る環境が伸びるか、絶えるか。
素晴らしいと本気で思う人にしか施策は打てない。
【論文進捗】
みたろん
私はここやりたいの!と思っても、相手にきちんと伝えなくては意味がないんだなあと常々痛感する。
強い軸を自分の中に持てていないから、その都度のインパクトに振り回されがち。
出た意見をまとめて図示化することは出来ても、理由だったり重要度の振り分けが出来ない。
容赦なく指摘されて説明を求められる環境だから気づけて良かった。
きつい方が成長出来る。多分。
こじんろんぶん【やのちゃん】
論文は、自分の思いを伝えるもの。だと思う。
私はこのトピックについてこう考えてて、こういうソリューションだったり切り口があると思うんです。を、データや事例の分析を使いながら論証して示していく。
がちがちに考え過ぎず、自分の好きなことを上手く繋いでいく方が面白いしモチベーションも維持出来る。
なぜなら、彼らには危機感が無いし当事者意識も見えないからだ。
だから私は、文化発信とは民間が主導すべきだと思う。
それも”文化発信”という甘い意識でやるべきでも無いと思う。
自立出来ない文化は所詮それまでのもの。
歌舞伎も能も唄も、残るべくして残った文化だし、コミケ思想も在るべくして在るもの。
そしてそれらは民間が、危機意識を持ち自分がご飯を食べるために広げていったもの。
国に頼るのではなく、自らが解決策を考えだしていくべきだと思う。
去年も今年もある程度似た問題意識で論文を書いてヒヤリングをして、面白い考えを持っている人が業界にはたくさんいることを知った。
麻生さんじゃ言えないこと、官僚の人が出来ないと言ってること。
それを実践しているのが、角川であり講談社でありピクシブでありニコニコ動画であると思う。
彼らに共通しているのは、自分が好きなものを在るべき姿に持っていきたいという問題意識だ。
凄く良いものを作るクリエイターの賃金が低すぎる、海外にコンテンツを持ち込むのに効率が悪すぎる、技術の潮流とコンテンツの潮流がマッチしていない。
日本/世界の区別は、実のところ長い目で見たら問題ではないと思う。
要は素晴らしいものを作る環境が伸びるか、絶えるか。
素晴らしいと本気で思う人にしか施策は打てない。
【論文進捗】
みたろん
私はここやりたいの!と思っても、相手にきちんと伝えなくては意味がないんだなあと常々痛感する。
強い軸を自分の中に持てていないから、その都度のインパクトに振り回されがち。
出た意見をまとめて図示化することは出来ても、理由だったり重要度の振り分けが出来ない。
容赦なく指摘されて説明を求められる環境だから気づけて良かった。
きつい方が成長出来る。多分。
こじんろんぶん【やのちゃん】
論文は、自分の思いを伝えるもの。だと思う。
私はこのトピックについてこう考えてて、こういうソリューションだったり切り口があると思うんです。を、データや事例の分析を使いながら論証して示していく。
がちがちに考え過ぎず、自分の好きなことを上手く繋いでいく方が面白いしモチベーションも維持出来る。
2010年11月13日土曜日
【1112ゼミの感想】アイデンティティの喪失【長澤】
〈NC〉
今回の文化発信というテーマはとても興味深かったです。
もともと日本の文化が好きで、日本の文化やコンテンツを海外に輸出してもっと海外の人々に知ってもらいたい、と思っていました。なので、ディスカッションの際には、「いかにして文化やコンテンツを海外に出していくか」についてしか考えていませんでした。雇用に関する問題も日本では非常に深刻で、ただ文化やコンテンツを輸出するだけでなく、それと同時に雇用の問題の解決にもつながる案を考えなければならないのだということは考え付きもしませんでした。
日本とアメリカの政策の違いについても興味があったので、それぞれについて詳しくプレゼンで説明してもらえてよかったです。
〈戸高さんプレゼン〉
論文を書くコツや大事なポイントを教えて頂けたので、今後是非活かしていこうと思いました。
クリエーターがあまりお金を貰えていないという事実自体は知っているつもりでしたが、あそこまで悲惨な状況に追い込まれているとは予想外でした。デジタル化が進めば楽になるものだと思っていたら、デジタル化による弊害も多いようで驚きました。また、日本にとっての強みであるアニメや漫画というコンテンツが、衰退していってしまうのではないかととても不安になりました。
〈阿久津さん〉
お忙しい中、金ゼミに来て下さってありがとうございました!
1期生の先輩のお話を聞くことが出来て、嬉しかったです。また、商社についての知識が全く無かったので、商社というものについて知ることが出来て良かったです。
今回の文化発信というテーマはとても興味深かったです。
もともと日本の文化が好きで、日本の文化やコンテンツを海外に輸出してもっと海外の人々に知ってもらいたい、と思っていました。なので、ディスカッションの際には、「いかにして文化やコンテンツを海外に出していくか」についてしか考えていませんでした。雇用に関する問題も日本では非常に深刻で、ただ文化やコンテンツを輸出するだけでなく、それと同時に雇用の問題の解決にもつながる案を考えなければならないのだということは考え付きもしませんでした。
日本とアメリカの政策の違いについても興味があったので、それぞれについて詳しくプレゼンで説明してもらえてよかったです。
〈戸高さんプレゼン〉
論文を書くコツや大事なポイントを教えて頂けたので、今後是非活かしていこうと思いました。
クリエーターがあまりお金を貰えていないという事実自体は知っているつもりでしたが、あそこまで悲惨な状況に追い込まれているとは予想外でした。デジタル化が進めば楽になるものだと思っていたら、デジタル化による弊害も多いようで驚きました。また、日本にとっての強みであるアニメや漫画というコンテンツが、衰退していってしまうのではないかととても不安になりました。
〈阿久津さん〉
お忙しい中、金ゼミに来て下さってありがとうございました!
1期生の先輩のお話を聞くことが出来て、嬉しかったです。また、商社についての知識が全く無かったので、商社というものについて知ることが出来て良かったです。
1112 ゼミ感想【黄】
①文化発信
今回のNCのテーマは文化発信。そもそも文化発信というのは優れた文化あってこそ成り立つものである。戸高さんも触れていたが、日本は以前のようなコンテンツがでなくなってきて久しい。
ゲームにしたってそうだ。スーパーマリオから始まり数々のヒットを飛ばしてきたが、現在、日本のゲーム人気は縮小傾向にある。Wiiが珍しくヒットを飛ばしたな、という感じなのだ。
世界各国では、自身の国のクリエイター育成に躍起になっているご時勢。
フランスは日本の半分の人口に2倍以上の予算を投資。カナダは、自国のクリエイターに向け優遇政策を実地。アメリカは政府のみならず民間からのサポートを行政と連結させ、草の根サポートを実地。それに比べて考えてみると、今の日本の現状に危機感が募る。文化発信ももちろん大事だが、誇るべき文化あってこその発信だということを肝に銘じておきたいものである。
②戸高さんプレゼン
アニメ界は今後どうなっていくのか。プレゼンが終わった後、漠然とした不安が残った。正解はないし、これが正しい道だというのもない。クリエイターを守るため、じゃあ予算をガバガバつぎ込むのか、と言ったらそれにも首をかしげる。じゃあ今までつぎ込んだからこそ日本のアニメは成長したのか、と考えたらそうではないと思うからだ。悲鳴が聞こえる現場に救いの手を差し伸べると同時に、自分の足で歩けるようにさせること。それが今後の日本政府、そして国民すべての腕の見せ所だと私は思うのだ。
③個人論文
とりあえず、メンターの田島さんにアドバイスをもらいながら、文献の洗い出し、それから予定を立てました。今後は、この分野に携わっている方にヒアリングに行けたらとも思っています。今はこんな感じです。来週にはもっと具体的に進んでいるはず!!頑張ります!!
今回のNCのテーマは文化発信。そもそも文化発信というのは優れた文化あってこそ成り立つものである。戸高さんも触れていたが、日本は以前のようなコンテンツがでなくなってきて久しい。
ゲームにしたってそうだ。スーパーマリオから始まり数々のヒットを飛ばしてきたが、現在、日本のゲーム人気は縮小傾向にある。Wiiが珍しくヒットを飛ばしたな、という感じなのだ。
世界各国では、自身の国のクリエイター育成に躍起になっているご時勢。
フランスは日本の半分の人口に2倍以上の予算を投資。カナダは、自国のクリエイターに向け優遇政策を実地。アメリカは政府のみならず民間からのサポートを行政と連結させ、草の根サポートを実地。それに比べて考えてみると、今の日本の現状に危機感が募る。文化発信ももちろん大事だが、誇るべき文化あってこその発信だということを肝に銘じておきたいものである。
②戸高さんプレゼン
アニメ界は今後どうなっていくのか。プレゼンが終わった後、漠然とした不安が残った。正解はないし、これが正しい道だというのもない。クリエイターを守るため、じゃあ予算をガバガバつぎ込むのか、と言ったらそれにも首をかしげる。じゃあ今までつぎ込んだからこそ日本のアニメは成長したのか、と考えたらそうではないと思うからだ。悲鳴が聞こえる現場に救いの手を差し伸べると同時に、自分の足で歩けるようにさせること。それが今後の日本政府、そして国民すべての腕の見せ所だと私は思うのだ。
③個人論文
とりあえず、メンターの田島さんにアドバイスをもらいながら、文献の洗い出し、それから予定を立てました。今後は、この分野に携わっている方にヒアリングに行けたらとも思っています。今はこんな感じです。来週にはもっと具体的に進んでいるはず!!頑張ります!!
101112ゼミの感想【村山】
【NC】
ソフトパワーに似た概念を持つ「Public Diplomacy」。政府が他国の市民や団体に働きかける事で、「特定の政策目標」を達成しようとする考えのことである。
ソフトパワーを高める事で、マンガ・アニメ・音楽・映画などの日本が誇る優良コンテンツを海外に発信し、それによる収益を上げよう、という考えは去年の論文の候補に上がっていたテーマだったので、とても分かりやすかった。その代表格として、日本のメディア文化発信の拠点として建設された「マンガの殿堂」というワードも懐かしかったです。
今回はディスカッションを行った後、チーム毎の発表でしたが、チーム内での議論がとても楽しかった。テーマは、「ネットワーク社会において効率よく日本の文化発信を行えるPD手法」の提案。この場合、まずチーム内での目標を定義し、共有することが重要になる。その際、このテーマは「いかにして日本の優良コンテンツを海外に発信するか」という手段に話が集中しがちだと思う。しかし、私達のチームはその前提として、そもそもそれらのコンテンツを作成する(アマチュア)クリエイターの育成基盤が不十分なのではないか、という問題意識から発信した。クリエイターがいなければ、コンテンツは作られず、日本文化を海外に伝達することすら出来ないのだから。このような問題意識から、WEBメディアを中心とした、pixiv×日本政府主催のコンテストをアマチュアクリエイターを対象に行うという手段を提案した。アマチュアクリエイターの作品をインターネットを利用する一般ユーザーに投票してもらう、という形式である。そして、その選ばれた作品を全世界を飛び回る飛行機にプリントすることで、同コンテストと参加したクリエイターの認知度向上に繫げるという提案である。
他のチームの発表も面白い提案だったが、自分達のチームも含め、やっぱり単に「どうやったら課題を解決するための提案を考えられるか」だけではなく、本当にその提案を行動に移したい気持ちで一杯だった。発表、お疲れさまです。
【戸高さん・かこいプレゼンツ】
NCの内容を補足する様な発表だったので、とても理解しやすかったです。途中でyoutubeの動画を使う等、飽きさせない仕組みも良かったと思います。自分もそのうちプレゼンで映像を使おうと思っていたので参考になりました。
また、突然の発表になってしまい申し訳ありませんでしたが、限られた時間であそこまでプレゼンの質を高める能力は流石だなと思わされました。発表の内容だけでなく、見せ方などのインプットも楽しかったです。
【阿久津さん講演】
突然のお願いにも関わらず、お忙しい中、わざわざ金ゼミに来て下さって、本当にありがとうございます。1期生の先輩方とは、前回のOBOG会でお会いさせて頂いてから全く面識が無かったので、このような機会にお会いすることが出来、とても嬉しかったです。
ありがとうございました!
ソフトパワーに似た概念を持つ「Public Diplomacy」。政府が他国の市民や団体に働きかける事で、「特定の政策目標」を達成しようとする考えのことである。
ソフトパワーを高める事で、マンガ・アニメ・音楽・映画などの日本が誇る優良コンテンツを海外に発信し、それによる収益を上げよう、という考えは去年の論文の候補に上がっていたテーマだったので、とても分かりやすかった。その代表格として、日本のメディア文化発信の拠点として建設された「マンガの殿堂」というワードも懐かしかったです。
今回はディスカッションを行った後、チーム毎の発表でしたが、チーム内での議論がとても楽しかった。テーマは、「ネットワーク社会において効率よく日本の文化発信を行えるPD手法」の提案。この場合、まずチーム内での目標を定義し、共有することが重要になる。その際、このテーマは「いかにして日本の優良コンテンツを海外に発信するか」という手段に話が集中しがちだと思う。しかし、私達のチームはその前提として、そもそもそれらのコンテンツを作成する(アマチュア)クリエイターの育成基盤が不十分なのではないか、という問題意識から発信した。クリエイターがいなければ、コンテンツは作られず、日本文化を海外に伝達することすら出来ないのだから。このような問題意識から、WEBメディアを中心とした、pixiv×日本政府主催のコンテストをアマチュアクリエイターを対象に行うという手段を提案した。アマチュアクリエイターの作品をインターネットを利用する一般ユーザーに投票してもらう、という形式である。そして、その選ばれた作品を全世界を飛び回る飛行機にプリントすることで、同コンテストと参加したクリエイターの認知度向上に繫げるという提案である。
他のチームの発表も面白い提案だったが、自分達のチームも含め、やっぱり単に「どうやったら課題を解決するための提案を考えられるか」だけではなく、本当にその提案を行動に移したい気持ちで一杯だった。発表、お疲れさまです。
【戸高さん・かこいプレゼンツ】
NCの内容を補足する様な発表だったので、とても理解しやすかったです。途中でyoutubeの動画を使う等、飽きさせない仕組みも良かったと思います。自分もそのうちプレゼンで映像を使おうと思っていたので参考になりました。
また、突然の発表になってしまい申し訳ありませんでしたが、限られた時間であそこまでプレゼンの質を高める能力は流石だなと思わされました。発表の内容だけでなく、見せ方などのインプットも楽しかったです。
【阿久津さん講演】
突然のお願いにも関わらず、お忙しい中、わざわざ金ゼミに来て下さって、本当にありがとうございます。1期生の先輩方とは、前回のOBOG会でお会いさせて頂いてから全く面識が無かったので、このような機会にお会いすることが出来、とても嬉しかったです。
ありがとうございました!
【ホンヨミ1112①】バイオエタノールと世界の食糧需給【田島】
小泉達冶『バイオエタノールと世界の食糧需給』
バイオエタノールという燃料については、誰でも一度は耳にしたことがあるだろう。サトウキビやトウモロコシを原料とし、ガソリンと混合した燃料であり、原料が植物であるため石油のような枯渇資源とは違い、半永久的に利用できる再生可能エネルギーとして注目されている。(石油よりも)CO2削減、農業雇用拡大効果もあり、ブラジルを始め、特にアメリカがバイオエタノールの導入を国策的に推し進めている。日本でも「バイオマス・ニッポン戦略」として目下普及が進んでいる。石油が100年以内に枯渇することが考える中、次世代エネルギーの一端としてバイオ・エタノールには今後もさらなる注目が集まるだろう。本書は冒頭においてバイオエタノールの説明や、長所と短所等、国家ごとの取り組みについての記述が具体的データを用いて丁寧になされており、バイオ・エタノールを知る入門書としてふさわしいと言えるだろう。
さて本書のメインテーマは、「食糧及び飼料用作物であるサトウキビとトウモロコシの燃料利用は、食糧需給にどのような影響を与えるか?」である。経済学の手法を用いて国際価格上昇の予想が丁寧に検証されており、「トウモロコシ・ショック訪れる!?」などど過激な表現で読者を煽る類の本ではない。
米がバイオエタノール推進を声高に主張した際、南米ではデモが発生した。南米における主食であるトルティーヤはトウモロコシを原料としており、「米のバイオエタノール政策が主食の価格上昇を招いた」と彼らは主張した。実際バイオエタノールに使われるトウモロコシとトルティーヤに使われるトウモロコシの種類は別物であり、その根拠の正しさは眉唾ものである。しかし、とうもろこしの消費を輸入に依存していたり、とうもろこしによる食糧援助を受けている開発途上国にとっては、今後深刻な問題になりえることは間違いがない。そして、とうもろこしの9割を輸入に依存する日本にとっても他人事ではない。
資源のあるなしは国の命運を大きく左右する。歴史上、資源の争奪のために多くの戦争が引き起こされた。資源の無い国は生産において大きく不利であり、原料の調達のために頭を捻らなくてはいけない。石油輸入のコストを非石油産出国がバイオエタノール生産で補おうとすれば、食糧不足の国が価格上昇で苦しむこととなる。資源・燃料問題は、世界がゼロサムゲームであることを映し出す。
資源に注目すると、関係諸国のパワーバランスはその地理的条件でほぼ決定されてしまうと言ってもよい。だからこそ資源を持たぬ日本にとって、資源を必要とせず人間の想像力が生み出す付加価値によって利益を生み出すコンテンツ産業は重要であると言える。
バイオエタノールという燃料については、誰でも一度は耳にしたことがあるだろう。サトウキビやトウモロコシを原料とし、ガソリンと混合した燃料であり、原料が植物であるため石油のような枯渇資源とは違い、半永久的に利用できる再生可能エネルギーとして注目されている。(石油よりも)CO2削減、農業雇用拡大効果もあり、ブラジルを始め、特にアメリカがバイオエタノールの導入を国策的に推し進めている。日本でも「バイオマス・ニッポン戦略」として目下普及が進んでいる。石油が100年以内に枯渇することが考える中、次世代エネルギーの一端としてバイオ・エタノールには今後もさらなる注目が集まるだろう。本書は冒頭においてバイオエタノールの説明や、長所と短所等、国家ごとの取り組みについての記述が具体的データを用いて丁寧になされており、バイオ・エタノールを知る入門書としてふさわしいと言えるだろう。
さて本書のメインテーマは、「食糧及び飼料用作物であるサトウキビとトウモロコシの燃料利用は、食糧需給にどのような影響を与えるか?」である。経済学の手法を用いて国際価格上昇の予想が丁寧に検証されており、「トウモロコシ・ショック訪れる!?」などど過激な表現で読者を煽る類の本ではない。
米がバイオエタノール推進を声高に主張した際、南米ではデモが発生した。南米における主食であるトルティーヤはトウモロコシを原料としており、「米のバイオエタノール政策が主食の価格上昇を招いた」と彼らは主張した。実際バイオエタノールに使われるトウモロコシとトルティーヤに使われるトウモロコシの種類は別物であり、その根拠の正しさは眉唾ものである。しかし、とうもろこしの消費を輸入に依存していたり、とうもろこしによる食糧援助を受けている開発途上国にとっては、今後深刻な問題になりえることは間違いがない。そして、とうもろこしの9割を輸入に依存する日本にとっても他人事ではない。
資源のあるなしは国の命運を大きく左右する。歴史上、資源の争奪のために多くの戦争が引き起こされた。資源の無い国は生産において大きく不利であり、原料の調達のために頭を捻らなくてはいけない。石油輸入のコストを非石油産出国がバイオエタノール生産で補おうとすれば、食糧不足の国が価格上昇で苦しむこととなる。資源・燃料問題は、世界がゼロサムゲームであることを映し出す。
資源に注目すると、関係諸国のパワーバランスはその地理的条件でほぼ決定されてしまうと言ってもよい。だからこそ資源を持たぬ日本にとって、資源を必要とせず人間の想像力が生み出す付加価値によって利益を生み出すコンテンツ産業は重要であると言える。
2010年11月12日金曜日
ホンヨミ!1112①指導者の条件【金光】
指導者の条件 松下幸之助
指導者の条件とはあるが、指導者に限らず人間として心得ておくことで人生を豊かできる言葉のように感じた。またすべての言葉が武士や学者など歴史上の人物の行動から抽出したものなので、歴史を学びながら普遍的な法則を読むことができた。
以下、自分が印象的だったことをいくつか。
落ち着き
人間だから時に不安を感じ思案に余るのは当然だが、内心で感じても軽々に態度に出すべきではなく日頃から事にあったって冷静さを失わないように自ら心をきたえるとともに、どんな難局でも落ち着いた態度でそれに対処すること。
冷静さ、落ち着きを保つことは自分の能力を100から120にすることではなく、100を100のままでいられるかということ。落ち着きを求められる局面は多くはないからこそ、いざという時に思い出したいことだと思った。
誠実である
誠実な人はありのままの自分というものをいつもさらけだしているから、心にやましいところがない。心にやましいところがなければ、よけいな心配したり、おそれたりすることなく、いつも正々堂々と生きることができる。うしろめたさがあるから力強い信念にみちた活動もできにくくなる。
いくら駆け引きの場面であっても誠実にあること。誰に対して、ではなく真実を率直に訴えていくこと。誠実という言葉をありのまま、と言い換えてあるところがとてもわかりやすく、そこから始まるスパイラルの根本にあることなんだと気付いた。実行はたやすくないが、普遍の言葉だと思った。
指導者の条件とはあるが、指導者に限らず人間として心得ておくことで人生を豊かできる言葉のように感じた。またすべての言葉が武士や学者など歴史上の人物の行動から抽出したものなので、歴史を学びながら普遍的な法則を読むことができた。
以下、自分が印象的だったことをいくつか。
落ち着き
人間だから時に不安を感じ思案に余るのは当然だが、内心で感じても軽々に態度に出すべきではなく日頃から事にあったって冷静さを失わないように自ら心をきたえるとともに、どんな難局でも落ち着いた態度でそれに対処すること。
冷静さ、落ち着きを保つことは自分の能力を100から120にすることではなく、100を100のままでいられるかということ。落ち着きを求められる局面は多くはないからこそ、いざという時に思い出したいことだと思った。
誠実である
誠実な人はありのままの自分というものをいつもさらけだしているから、心にやましいところがない。心にやましいところがなければ、よけいな心配したり、おそれたりすることなく、いつも正々堂々と生きることができる。うしろめたさがあるから力強い信念にみちた活動もできにくくなる。
いくら駆け引きの場面であっても誠実にあること。誰に対して、ではなく真実を率直に訴えていくこと。誠実という言葉をありのまま、と言い換えてあるところがとてもわかりやすく、そこから始まるスパイラルの根本にあることなんだと気付いた。実行はたやすくないが、普遍の言葉だと思った。
ホンヨミ② 国際貢献のウソ【黄】
国際貢献のウソ
伊勢崎 賢治著
①社会経験
著者はインド留学から始まり様々な国際協力に携わってきた。そんな彼が「国際協力」関連の仕事を夢に持つ若者に言いたいアドバイスは「まず普通の会社に行き、経験を積め」とのこと。
NGO、NPOと聞くと素晴らしい志を持った人々が、収入なんて気にせずにボランティア活動するものだと我々は思いがちだ。しかし現実はそうではない。そこには競合や縄張り争い、過酷なリストラまでもが存在するという。それが悪だと言っている訳ではない。だからこそ筆者は、社会経験を積んで嫌な上司、言う事を聞かない部下など、人が思い通りにならないという経験を積んでから飛び込むべきだと言っているのだ。
②日本NGO
日本のNGOは人道的だが効率が悪い。というのも、日本の場合、国際NGOと異なりまとまった支援金が一旦政府に入っていく仕組みがとられているからだ。つまり、政府にあるお金をいかにして使いきるかに主眼が置かれてしまう。一方国際NGOの場合、彼らに直接資金が入るため、最大限有効に使おうという空気になるし、それによって利益が生まれれば、さらにそれを新たなプロジェクトに投入する。著者は、日本においても、市場原理を適用した合理的で効率性を求めた援助法が確立されるべきだと主張する。そしてそれにより日本が独自に「国際貢献」できる道筋を作るべきだと。
【ホンヨミ!1115①】感情/ディラン・エヴァンズ 著 遠藤利彦 訳・解説【斎藤】
面白かったのはコンピューターも情動を持ちうるかというテーマだった。
2001年宇宙の旅、マトリックス、A.I.など多くの映画で人間的な感情を持つコンピューターが登場しており、誰しも少しくらいはそんな未来がやってくるのだろうかと想像したことがあるはずだ。なにより、ドラえもんという国民的人気キャラクターも情動を持つコンピューターロボットだ。現在、私たちの多くが触れるコンピューターは無機質なものであるが、将来的には人間のように情動を持つコンピューターが登場すると主張する科学者もいる。そういった主張を哲学者をはじめとする人々は様々な根拠をあげて否定する。
コンピューターが人間に近づくことができるかというこのような議論は私たちに情動とは何かについて考えるキッカケを与えてくれる。
人間とコンピューターの違いとはなんだろうか。本書ではそれこそが情動であるとしている。そこでさらに問題となるのは情動とは何かという事だ。
本書で提示されているのは神経生物学的根拠によるもの、行動に表出するもの、機能的な基準によるものなどである。一つ一つを検証することは割愛するが、こういった定義の一つにだけとらわれてしまうことは、情動について考察するに当たってふさわしくないとされる。心理学者、哲学者の間でも多くの相互関連を持つ側面から総合的にとらえる必要があるとのコンセンサスが形成されている。安直ではあるが、こういった様々な基準よりも私たちにとって一番納得ができるのは、私たちが感じとる感情の根源が情動の最も主要な定義ではないかと思った。
ロボットが障害物を避けるようにプログラミングされたり、カメラに映った人間の表情、行動に応じて何らかのアクションを示したりなど、あたかもコンピューター側が主体的に判断をしているような錯覚に陥ることを体験した事があるだろう。しかし、それはあくまでもプログラミング通りの動きをしているにすぎない。本書では、情動の条件として不確実性があげられているのだが、プログラミングされているという事実は不確実性とは正反対の性質を持つのでコンピューターには情動を持つ素質がはなから無いと言えるかもしれない。
ここで面白いのが、コンピューターに不確実性を加えることで、人間にとって大きな利益を与えるということであった。例えば、惑星を探索するロボットは人間が地上から常にリモートコントロールしなければならない。これは大きなコストである。もしくは、はじめから行動をプログラミングしたとしたら、不慮のアクシデントに対して全く無抵抗になってしまう。コンピューターが自ら、状況を判断して次のアクションを起こせるならば、そういった危険を回避できる。こういった不確実性によって惑星探索ロボットの稼働効率は上がる。同じように様々な分野で応用できる。コンピューターは二つ以上の目的をこなさなければならないというジレンマを抱えているが、人間が指示をしなくとも自ら効率的な方法を判断することができればその利便性を増す。あくまでも人間のプログラミングに反することのない範囲でという制約はついてしまうが。しかし、その制約を超そうとするのが情動であるのだが、といったエンドレスな思考に陥ってしまうのも面白いと思った。
本書は一冊で感情、情動について理解できるとされるものだが、正直いって完全に理解はできなかった。ただ、足がかりにはなったので今後も続けて情動とは何か考えてみたいと思った。
2001年宇宙の旅、マトリックス、A.I.など多くの映画で人間的な感情を持つコンピューターが登場しており、誰しも少しくらいはそんな未来がやってくるのだろうかと想像したことがあるはずだ。なにより、ドラえもんという国民的人気キャラクターも情動を持つコンピューターロボットだ。現在、私たちの多くが触れるコンピューターは無機質なものであるが、将来的には人間のように情動を持つコンピューターが登場すると主張する科学者もいる。そういった主張を哲学者をはじめとする人々は様々な根拠をあげて否定する。
コンピューターが人間に近づくことができるかというこのような議論は私たちに情動とは何かについて考えるキッカケを与えてくれる。
人間とコンピューターの違いとはなんだろうか。本書ではそれこそが情動であるとしている。そこでさらに問題となるのは情動とは何かという事だ。
本書で提示されているのは神経生物学的根拠によるもの、行動に表出するもの、機能的な基準によるものなどである。一つ一つを検証することは割愛するが、こういった定義の一つにだけとらわれてしまうことは、情動について考察するに当たってふさわしくないとされる。心理学者、哲学者の間でも多くの相互関連を持つ側面から総合的にとらえる必要があるとのコンセンサスが形成されている。安直ではあるが、こういった様々な基準よりも私たちにとって一番納得ができるのは、私たちが感じとる感情の根源が情動の最も主要な定義ではないかと思った。
ロボットが障害物を避けるようにプログラミングされたり、カメラに映った人間の表情、行動に応じて何らかのアクションを示したりなど、あたかもコンピューター側が主体的に判断をしているような錯覚に陥ることを体験した事があるだろう。しかし、それはあくまでもプログラミング通りの動きをしているにすぎない。本書では、情動の条件として不確実性があげられているのだが、プログラミングされているという事実は不確実性とは正反対の性質を持つのでコンピューターには情動を持つ素質がはなから無いと言えるかもしれない。
ここで面白いのが、コンピューターに不確実性を加えることで、人間にとって大きな利益を与えるということであった。例えば、惑星を探索するロボットは人間が地上から常にリモートコントロールしなければならない。これは大きなコストである。もしくは、はじめから行動をプログラミングしたとしたら、不慮のアクシデントに対して全く無抵抗になってしまう。コンピューターが自ら、状況を判断して次のアクションを起こせるならば、そういった危険を回避できる。こういった不確実性によって惑星探索ロボットの稼働効率は上がる。同じように様々な分野で応用できる。コンピューターは二つ以上の目的をこなさなければならないというジレンマを抱えているが、人間が指示をしなくとも自ら効率的な方法を判断することができればその利便性を増す。あくまでも人間のプログラミングに反することのない範囲でという制約はついてしまうが。しかし、その制約を超そうとするのが情動であるのだが、といったエンドレスな思考に陥ってしまうのも面白いと思った。
本書は一冊で感情、情動について理解できるとされるものだが、正直いって完全に理解はできなかった。ただ、足がかりにはなったので今後も続けて情動とは何か考えてみたいと思った。
【ホンヨミ!1112②】JUSTICE【高橋】
『JUSTICE~What's the Right Thing To Do?』 Michael J. Sandel(著)
夜な夜なちょびちょび読み進めてようやく読み終えました。
Podcastの動画(無料)も一緒にみるとより理解が深まって面白かったです。
①Affirmative Action
ここで扱われたのは大学入学に関して。民族多様性促進を優先すべきか、それとも「出来る」順で順当に入学者を認めるべきか。それぞれに側に立ってみて考えると、どちらの言い分も理解できるが、そのバランスをどこで決めるかが本当い難しいと思った。逆差別の問題もあるが、現状のままでいいわけでもない。賛否両論のトピックを多く扱う本著のなかでも特に考えさせられた章の一つであった。結局は見本となるべき大学という教育機関の役割上、民族多様性をとったわけだが、逆差別的視点でみたら自分より点数が低いのに社会的minorityということで選ばれて自分は落ちるというのは理不尽だと感じてしまうだろう。どちらにしたって当人たちに一切の問題があるのではない。社会そのものの問題であり、生まれてくるとき自分の人種やstatusを選ぶことが出来ないだけに一筋縄でいかない難しいトピックだと感じた。
②The Runaway Trolley
トロッコを例に、人の命の重さについて議論している。より多くの命を助けるために一人の命を犠牲にすることは本当に「正しい」ことなのか?命の重さは数の問題で完結できるものなのか?例えば5人の作業員の命を救うために路線変更して1人の命を犠牲にするとする。理由はより多くの命を救うためにやむなくやったとなるだろう。ならば今度は自分が運転手ではなくてトロッコが走るのを橋の上から見る傍観者の場合。5人の作業員が轢かれそうな状況で、隣の身体の大きな男性を付き落とせばトロッコを止めることができる場合、自分は隣の人一人の命を犠牲にして5人の命を救うだろうか。ここでは多くの人はそんなことはせず、ただ5人が轢かれてしまうのを張り裂けそうな思いでみているしかないのだろう。しかし、もし一つ目のケースの理由が命の数を天秤にかけて選らんだというならば2つ目のケースで矛盾してしまうことになる。当たり前に思っていた自分の価値観に風穴をあけられたような気分になって深く考えてしまったことだった。自分ならどうするか…。その理由までつきつめると答えを出せずにいる。偽善を口にするのは簡単だが、「正当」な根拠づけは難しい。
③Pregnancy for Pay
妊娠することができない夫婦が代理出産を頼んでのケース。一つのビジネスとして代理出産する女性と代金を支払う夫婦を取り持つ業者がある。そこに自主的に応募して代理出産をした女性が、実際に子どもを産んだあとになって子どもを引き取りたいと申し出て引き渡さないことから夫婦が訴訟を起こした問題。契約金は支払われているのにも関わらず母としての情から子どもを手放せずにいる女性。ここで触れられていた部分で印象に残ったのが、「自主的」に応募したというとこに疑問を投げかけている箇所。契約金欲しさに社会的に恵まれていない貧困層の人が生きていくために応募したという状況は本当に「自主的」だといえるのか。ある意味では社会に強要された、残された道でしかないのではないかという視点。「自主性」の定義を安易に考えてしまっていたのではないかと考えさせられた。社会からある種「強要」される「自主性」。社会的minorityに実際にならないといくら正論を吐いてもわからない内面の問題で、一見代理出産した女性が全面的に悪いと思いがちだが、その経緯や背景についてもじっくりと考える必要があると思った。それが社会全体をより良くしていくものに繋がるはずなのだから。
夜な夜なちょびちょび読み進めてようやく読み終えました。
Podcastの動画(無料)も一緒にみるとより理解が深まって面白かったです。
①Affirmative Action
ここで扱われたのは大学入学に関して。民族多様性促進を優先すべきか、それとも「出来る」順で順当に入学者を認めるべきか。それぞれに側に立ってみて考えると、どちらの言い分も理解できるが、そのバランスをどこで決めるかが本当い難しいと思った。逆差別の問題もあるが、現状のままでいいわけでもない。賛否両論のトピックを多く扱う本著のなかでも特に考えさせられた章の一つであった。結局は見本となるべき大学という教育機関の役割上、民族多様性をとったわけだが、逆差別的視点でみたら自分より点数が低いのに社会的minorityということで選ばれて自分は落ちるというのは理不尽だと感じてしまうだろう。どちらにしたって当人たちに一切の問題があるのではない。社会そのものの問題であり、生まれてくるとき自分の人種やstatusを選ぶことが出来ないだけに一筋縄でいかない難しいトピックだと感じた。
②The Runaway Trolley
トロッコを例に、人の命の重さについて議論している。より多くの命を助けるために一人の命を犠牲にすることは本当に「正しい」ことなのか?命の重さは数の問題で完結できるものなのか?例えば5人の作業員の命を救うために路線変更して1人の命を犠牲にするとする。理由はより多くの命を救うためにやむなくやったとなるだろう。ならば今度は自分が運転手ではなくてトロッコが走るのを橋の上から見る傍観者の場合。5人の作業員が轢かれそうな状況で、隣の身体の大きな男性を付き落とせばトロッコを止めることができる場合、自分は隣の人一人の命を犠牲にして5人の命を救うだろうか。ここでは多くの人はそんなことはせず、ただ5人が轢かれてしまうのを張り裂けそうな思いでみているしかないのだろう。しかし、もし一つ目のケースの理由が命の数を天秤にかけて選らんだというならば2つ目のケースで矛盾してしまうことになる。当たり前に思っていた自分の価値観に風穴をあけられたような気分になって深く考えてしまったことだった。自分ならどうするか…。その理由までつきつめると答えを出せずにいる。偽善を口にするのは簡単だが、「正当」な根拠づけは難しい。
③Pregnancy for Pay
妊娠することができない夫婦が代理出産を頼んでのケース。一つのビジネスとして代理出産する女性と代金を支払う夫婦を取り持つ業者がある。そこに自主的に応募して代理出産をした女性が、実際に子どもを産んだあとになって子どもを引き取りたいと申し出て引き渡さないことから夫婦が訴訟を起こした問題。契約金は支払われているのにも関わらず母としての情から子どもを手放せずにいる女性。ここで触れられていた部分で印象に残ったのが、「自主的」に応募したというとこに疑問を投げかけている箇所。契約金欲しさに社会的に恵まれていない貧困層の人が生きていくために応募したという状況は本当に「自主的」だといえるのか。ある意味では社会に強要された、残された道でしかないのではないかという視点。「自主性」の定義を安易に考えてしまっていたのではないかと考えさせられた。社会からある種「強要」される「自主性」。社会的minorityに実際にならないといくら正論を吐いてもわからない内面の問題で、一見代理出産した女性が全面的に悪いと思いがちだが、その経緯や背景についてもじっくりと考える必要があると思った。それが社会全体をより良くしていくものに繋がるはずなのだから。
【ホンヨミ!1112①】聴き上手【高橋】
『聴き上手~なぜあの人には話したくなるのか』 永崎一則(著)
聴き下手なとこを克服したいです。そのヒントとなるものをいくつか見つけることができました。
①心を亡ぼす=忙しい
忙しすぎると他人のよさ、人の話の大事な意味がわからなくなり、人の話に耳を傾ける余裕がなくなってしまう。自分に余裕があると人の話もじっくり聴くことができるのに、自分のことで精一杯になると他人の話さえ頭に入ってこなくなってしまう。忙しいときでも変わらず人の話にしっかりと耳を傾けることができる心の余裕も持ちたいと思った。そのためにも物事を合理的に処理しないと余裕たるものは生まれないのだろう。忙しくしているだけでなんだか充実している気分になる。しかしその反面、自分のことにしか頭がいかないことが多くなり、人が話していることの本質を捉えることができなくなってしまうのは非常にもったいないことだ。新しい発見や価値観は、他人から得ることが多いにあるにもかかわらず、その機を自分で逸してしまう。そうならないように忙しいときでも意識して人の話をよく聴ける人になりたい。
②先入観の排除
何においても先入観・偏見をもたない人でいたいと思っているものの、どうしたって人の話を聴くときは自分の頭にある要素と絡ませて考えてしまうため、話し手の意図していないことを考えてしまっていることがあるのかもしれない。まったく白紙にして他人の話を聴くというのは、なかなかできないことである。しかし、意識して自分の中にある価値観に結びつけないようにする努力は必要だと思った。真意をつかめる力を発揮できるように、虚心坦懐に、即ち素直な心をもって、相手の話に耳を傾けることを意識する必要があると感じた。
③対応上手
「聴き上手、すなわち話させ上手は、対応上手」。人の話を正しく理解するために相手の話の真意を知ることが必要で、そのためには人の話をよく聴き、よく訊くようにする態度が大切だ。ただうなずくだけなら聞き流し上手とでもいうのだろう。「聴く」ということは相手の話をしっかり理解して、自分の頭でその内容について何らかの考えをすることができることだと私は感じた。そのために、自分の確認したい内容を話させる、つまり訊く力によってより深い理解をする。深い理解からその後の対応もよりよいものとなる。聴き上手は結局は対応上手ということまで考えることができる。「聴く」という動作一つとっても大変な気配りが大事なんだなと改めて思った。
聴き下手なとこを克服したいです。そのヒントとなるものをいくつか見つけることができました。
①心を亡ぼす=忙しい
忙しすぎると他人のよさ、人の話の大事な意味がわからなくなり、人の話に耳を傾ける余裕がなくなってしまう。自分に余裕があると人の話もじっくり聴くことができるのに、自分のことで精一杯になると他人の話さえ頭に入ってこなくなってしまう。忙しいときでも変わらず人の話にしっかりと耳を傾けることができる心の余裕も持ちたいと思った。そのためにも物事を合理的に処理しないと余裕たるものは生まれないのだろう。忙しくしているだけでなんだか充実している気分になる。しかしその反面、自分のことにしか頭がいかないことが多くなり、人が話していることの本質を捉えることができなくなってしまうのは非常にもったいないことだ。新しい発見や価値観は、他人から得ることが多いにあるにもかかわらず、その機を自分で逸してしまう。そうならないように忙しいときでも意識して人の話をよく聴ける人になりたい。
②先入観の排除
何においても先入観・偏見をもたない人でいたいと思っているものの、どうしたって人の話を聴くときは自分の頭にある要素と絡ませて考えてしまうため、話し手の意図していないことを考えてしまっていることがあるのかもしれない。まったく白紙にして他人の話を聴くというのは、なかなかできないことである。しかし、意識して自分の中にある価値観に結びつけないようにする努力は必要だと思った。真意をつかめる力を発揮できるように、虚心坦懐に、即ち素直な心をもって、相手の話に耳を傾けることを意識する必要があると感じた。
③対応上手
「聴き上手、すなわち話させ上手は、対応上手」。人の話を正しく理解するために相手の話の真意を知ることが必要で、そのためには人の話をよく聴き、よく訊くようにする態度が大切だ。ただうなずくだけなら聞き流し上手とでもいうのだろう。「聴く」ということは相手の話をしっかり理解して、自分の頭でその内容について何らかの考えをすることができることだと私は感じた。そのために、自分の確認したい内容を話させる、つまり訊く力によってより深い理解をする。深い理解からその後の対応もよりよいものとなる。聴き上手は結局は対応上手ということまで考えることができる。「聴く」という動作一つとっても大変な気配りが大事なんだなと改めて思った。
2010年11月11日木曜日
1112ホンヨミ①【黄】デフレの正体
デフレの正体ー経済は「人口の波で動く」
藻谷 浩介著
①日本社会の変化
高齢化問題。少子化現象。
これらが意味するのは何か。それは「消費社人口の減少」であり「労働者人口の減少」である。今、日本において本当に問題なのは不況でもデフレでもなく、2千年に一度と言われる生産年齢人口の低下だと筆者は指摘する。データから見ても、不況、不況と言いながら、ほとんどの諸外国に対して日本は、実は貿易黒字なのだ。例えば日中貿易。買い物をするとメイドインチャイナのモノがかなり目につく今日この頃だ。しかし実は、対中貿易収支は、現在2兆円規模の黒字。意外な結果だと思う人が多いのではないだろうか。このように筆者は統計的データを元にしながら、我々が持っている「思い込み」を気持ちいい程論理的にひっくり返す。
団塊という大きな人口の波が去ろうとするい今、新たな変化を迎えた日本はどこにいくのか。後半部でその展望を展開させている。
②常識を疑え
本書の中で繰り返し強調されている事。それは「常識」を疑う事の重要性だ。「景気が循環する明確な根拠は?」「長期視点で見ると市場は必ず成功する?」これらに大使他の誰でもない自分の頭で数字を考察し掘り下げていく力がなくてはならないのだ。
③処方箋
人口動態に着目した分析を経て日本経済再生の処方箋が本書では出されている。
1、生産年齢人口が減るペースを少しでも弱める
2、生産年齢人口に該当する世代の個人所得の総額を維持し増やす
3、個人消費の総額を維持し増やす
これらをいきなり見ると「ん?」と思うかもしれない。だからこそ本書を読んでほしい。見事なまでに何故筆者がこれを日本再生に向けた処方箋としてあてたかすっきり分かるからだ。筆者はさらに具体的な処方箋にも踏み込むのだが・・・ネタがバレてしまうので残りは直接読んでほしい限りである
2010年11月10日水曜日
【ホンヨミ!1105①】モジュール化の終焉 統合への回帰/田中辰雄【斎藤】
【モジュール化の定義】
まず、本書におけるモジュール化の定義を述べる。簡単に言うと”ユニット間の固定されたインターフェースが公開されている事”である。固定されたインターフェースに従えば誰でもユニットの生産が可能であるということだ。インターフェースとは自動車でいうシャーシにあたり、ユニットはシャーシに組わせるその他の部品となる。つまり、インターフェースとはユニットAとユニットBを連結される媒体となるものと考えてよいと思う。公開されている規格に従えば誰にでもユニットの生産が可能であり、それによって引き起こされる競争による価格低下などがメリットである。それ以上に、突破型革新技術の恩恵を受けられるというのもメリットだ。これまでに無かった新しい製品が生まれたときに、それを組み込む事ができるということである。パソコンとワープロの違いを考えると分かりやすい。パソコンならば、新しいサービス等を後から組み込む事ができる。それはユーザーが自分で設定をしなければならないなどの難点があるが、ワープロのようにはじめから完成された製品と異なり新しい機能を組み込む事ができるという可能性を持つ。こういったモジュール化が情報通信産業では主流であった。
本書ではこのようなモジュール化が終焉するとしているのだが、それは何故だろうか。
まず、留意点として本書ではモジュール化がエンドユーザーの領域において終焉すると述べられているにすぎないことを述べる。つまり、パソコンメーカーのデルは規格を公開して世界中から部品を調達する一方で、パナソニックは統合型の特徴に見られるように専用設計部品として発注しているといった違いについては別の議論、考察が必要としている。ここでのモジュール化の終焉とはAppleのIpodとitunesのような統合型のサービスについて考えるとよいと思う。
【終焉の根拠】
モジュール化終焉の根拠とされるのは、情報通信産業において
(1)突破的革新の頻度が低下した
(2)ユーザーの要望は製品の安定性、使い易さとなった
(3)インターネットにおいて統合型サービスが増加している
以上の三点である。たしかに、音楽のダーウンロードの関して、以前ならば配信事業者、再生ファイル形式、再生ソフト、再生プレイヤー組み合わせを自分で行わなければならなかった。ある程度の知識が無い人間にとっては敷居の高い仕組みである。これに比べて携帯配信やitunesでは以前より機能は限定されるものの、ユーザーは統合されたシステムの中で好きな曲をダウンロードし、そのままプレイヤーで再生するだけである。楽曲の善し悪しもあるだろうが、こういった簡単なシステムによって携帯による音楽配信での100万ダウンロードが簡単に実現しているのだろう。余談になってしまうが、既に成功をおさめているitunesではSNSの機能も組み合わされた。これに関してはネットワーク外部性も関係するだろうが、より簡単にサービスを楽しめて、それらを簡単に友人と共有することができるためには一連のサービスを統合化しなければ実現はできない。
本筋には関係ないが、ネットワーク外部性を定義するならば同じサービス、財の利用者が増えるほどに、その利用者の利便性が高まることである。例えば、電話を使用する人が世の中に一人しかいなければ電話を使う意味が無い。二人以上いて初めて電話による通話が可能になり、電話というサービスの価値が生まれる。それ以降に電話の使用者が順当に増えていけば多くの人と通話できるようになり、電話というサービスの価値もそれに比例して高まる。windowsユーザーが多ければ互換性などの問題から他のユーザーもwindowsを使うといった例も挙げられる。
【モジュール化終焉とガラパゴス日本】
モジュール化の終焉のよって日本企業にも躍進の可能性があるといえる。これまで日本は携帯電話を筆頭に世界基準とは異なる独自の規格を定めてきたことからガラパガスと揶揄されてきた。しかし、消費者が統合化したサービスが求めるようになれば、NCで扱ったSHARPのGARAPAGOSなどにも成功する可能性を見いだせるのではないかと思う。それは、amazonのkindleがアメリカで成功している事実に裏付けられる。統合化したサービスでは、突破型技術革新が起こりにくいとされるが、確かにGARAPAGOSとIpadの違いや改善点は一般消費者に分かりにくい。全く異なる統合されたサービスをまるまる開発・普及することができなければ、既存サービスをまねた統合化されたシステムの安定性、簡易性勝負となってくるのだろうが、消費者の立場からすると異なるデバイス間でもコンテンツ再生は可能であるようにしてくれればありがたいと思う。itunesのコンテンツをGARAPAGOSでも楽しむ事ができれば素晴らしいシステムだろう。そういったことができたのがモジュール化主流時代にあったMP3のメリットだったのだろうと思った。それを捨ててでも簡単なシステムを提供してもらう事は私個人に限って言えば有り余るほどの便利さを感じる。
まず、本書におけるモジュール化の定義を述べる。簡単に言うと”ユニット間の固定されたインターフェースが公開されている事”である。固定されたインターフェースに従えば誰でもユニットの生産が可能であるということだ。インターフェースとは自動車でいうシャーシにあたり、ユニットはシャーシに組わせるその他の部品となる。つまり、インターフェースとはユニットAとユニットBを連結される媒体となるものと考えてよいと思う。公開されている規格に従えば誰にでもユニットの生産が可能であり、それによって引き起こされる競争による価格低下などがメリットである。それ以上に、突破型革新技術の恩恵を受けられるというのもメリットだ。これまでに無かった新しい製品が生まれたときに、それを組み込む事ができるということである。パソコンとワープロの違いを考えると分かりやすい。パソコンならば、新しいサービス等を後から組み込む事ができる。それはユーザーが自分で設定をしなければならないなどの難点があるが、ワープロのようにはじめから完成された製品と異なり新しい機能を組み込む事ができるという可能性を持つ。こういったモジュール化が情報通信産業では主流であった。
本書ではこのようなモジュール化が終焉するとしているのだが、それは何故だろうか。
まず、留意点として本書ではモジュール化がエンドユーザーの領域において終焉すると述べられているにすぎないことを述べる。つまり、パソコンメーカーのデルは規格を公開して世界中から部品を調達する一方で、パナソニックは統合型の特徴に見られるように専用設計部品として発注しているといった違いについては別の議論、考察が必要としている。ここでのモジュール化の終焉とはAppleのIpodとitunesのような統合型のサービスについて考えるとよいと思う。
【終焉の根拠】
モジュール化終焉の根拠とされるのは、情報通信産業において
(1)突破的革新の頻度が低下した
(2)ユーザーの要望は製品の安定性、使い易さとなった
(3)インターネットにおいて統合型サービスが増加している
以上の三点である。たしかに、音楽のダーウンロードの関して、以前ならば配信事業者、再生ファイル形式、再生ソフト、再生プレイヤー組み合わせを自分で行わなければならなかった。ある程度の知識が無い人間にとっては敷居の高い仕組みである。これに比べて携帯配信やitunesでは以前より機能は限定されるものの、ユーザーは統合されたシステムの中で好きな曲をダウンロードし、そのままプレイヤーで再生するだけである。楽曲の善し悪しもあるだろうが、こういった簡単なシステムによって携帯による音楽配信での100万ダウンロードが簡単に実現しているのだろう。余談になってしまうが、既に成功をおさめているitunesではSNSの機能も組み合わされた。これに関してはネットワーク外部性も関係するだろうが、より簡単にサービスを楽しめて、それらを簡単に友人と共有することができるためには一連のサービスを統合化しなければ実現はできない。
本筋には関係ないが、ネットワーク外部性を定義するならば同じサービス、財の利用者が増えるほどに、その利用者の利便性が高まることである。例えば、電話を使用する人が世の中に一人しかいなければ電話を使う意味が無い。二人以上いて初めて電話による通話が可能になり、電話というサービスの価値が生まれる。それ以降に電話の使用者が順当に増えていけば多くの人と通話できるようになり、電話というサービスの価値もそれに比例して高まる。windowsユーザーが多ければ互換性などの問題から他のユーザーもwindowsを使うといった例も挙げられる。
【モジュール化終焉とガラパゴス日本】
モジュール化の終焉のよって日本企業にも躍進の可能性があるといえる。これまで日本は携帯電話を筆頭に世界基準とは異なる独自の規格を定めてきたことからガラパガスと揶揄されてきた。しかし、消費者が統合化したサービスが求めるようになれば、NCで扱ったSHARPのGARAPAGOSなどにも成功する可能性を見いだせるのではないかと思う。それは、amazonのkindleがアメリカで成功している事実に裏付けられる。統合化したサービスでは、突破型技術革新が起こりにくいとされるが、確かにGARAPAGOSとIpadの違いや改善点は一般消費者に分かりにくい。全く異なる統合されたサービスをまるまる開発・普及することができなければ、既存サービスをまねた統合化されたシステムの安定性、簡易性勝負となってくるのだろうが、消費者の立場からすると異なるデバイス間でもコンテンツ再生は可能であるようにしてくれればありがたいと思う。itunesのコンテンツをGARAPAGOSでも楽しむ事ができれば素晴らしいシステムだろう。そういったことができたのがモジュール化主流時代にあったMP3のメリットだったのだろうと思った。それを捨ててでも簡単なシステムを提供してもらう事は私個人に限って言えば有り余るほどの便利さを感じる。
1105ゼミ感想
ダイアログインザダーク、暗闇の中で自分がどう感じるか試される空間。それは五感への影響だけでなく、自分自身の価値観を再考させられた。実際に体験したのは小一時間だったが、もし自分が一生あの空間にいたらどうだろう。もしくは、何かの事故、病気で視覚を失ったらどうだろうか。これまでと同じ価値観で生きて行けるだろうか。他者への評価基準はどうなるのだろうか。どんな人を好きになるのだろうか。人生の目標はどうなるだろう。働く意味は。家族とは。一人で生きて行けるのだろうか。そしてなにより、自分とは何だろうか。
体験して数日経ち、改めて考えてみると色んな疑問が湧いてきた。そこで気づくのは、自分はなんと物事の表面的な部分で人、行為、目標…さまざまなことを判断していたのだろうかということだった。
銭谷さんが仰っていた「目が見えなくて好きになった人を、目が見えるようになっても好きでいると思う。」ということはきっと本質だと思う。
僕らの班をリードしてくださったこづえさんという方は目が見えないのだが、話をするときに僕ら一人一人に顔を向けて言葉をかけてくれた。僕は相手の場所を認識する時に視覚主に用いている。もしくは聴覚だ。でも、よくよく考えると特定の物差しでは測れない相手の気配への感性こそ重要なのではないかと思った。
こういった認識論的分野に浅学なのだが、物理的な認識にとどまらず、価値観や生き方といったことにおいても数値化できない部分を大切にしたいと思う。
日々、都会の忙しさの中で生きているとどうしても表面的な出来事に追われてしまい、ついにはそれしか見られなくなってしまいがちだが、本当に自分が大切に思う事を見つめられるようにありたいと思う。それは目や耳では見つける事ができないものなのかもしれない。 最後に銭谷さんから、お前らの目は死んでいるよと言われてしまったが、その通りだと思った。
暗闇の中で活動する機会はもちろんですが、そういった事を考える機会を与えてくださった、銭谷さん、宮村さん、岸本さん、ありがとうございました。
体験して数日経ち、改めて考えてみると色んな疑問が湧いてきた。そこで気づくのは、自分はなんと物事の表面的な部分で人、行為、目標…さまざまなことを判断していたのだろうかということだった。
銭谷さんが仰っていた「目が見えなくて好きになった人を、目が見えるようになっても好きでいると思う。」ということはきっと本質だと思う。
僕らの班をリードしてくださったこづえさんという方は目が見えないのだが、話をするときに僕ら一人一人に顔を向けて言葉をかけてくれた。僕は相手の場所を認識する時に視覚主に用いている。もしくは聴覚だ。でも、よくよく考えると特定の物差しでは測れない相手の気配への感性こそ重要なのではないかと思った。
こういった認識論的分野に浅学なのだが、物理的な認識にとどまらず、価値観や生き方といったことにおいても数値化できない部分を大切にしたいと思う。
日々、都会の忙しさの中で生きているとどうしても表面的な出来事に追われてしまい、ついにはそれしか見られなくなってしまいがちだが、本当に自分が大切に思う事を見つめられるようにありたいと思う。それは目や耳では見つける事ができないものなのかもしれない。 最後に銭谷さんから、お前らの目は死んでいるよと言われてしまったが、その通りだと思った。
暗闇の中で活動する機会はもちろんですが、そういった事を考える機会を与えてくださった、銭谷さん、宮村さん、岸本さん、ありがとうございました。
2010年11月9日火曜日
【1105】スペイン現代史 模索と挑戦の120年【田島】
楠貞義、ラモン・タマメス、戸門一衛、深澤安博『スペイン現代史 模索と挑戦の120年』
太陽の沈まぬ国、闘牛の国、みなさんはスペインという国にどのようなイメージを持っているだろう。先進国としての印象が強い西ヨーロッパにあるスペインが、ほんの30年前、私たちの両親が学生だったころまで独裁的な権威主義体制国家であったことを意識する機会は、今日では少ない。本書は文字通りスペインの現代史を扱ったものであるが、いわゆる物語のような形式ではなく、時代を区切ってそれぞれ「政治体制」「経済」「教育」などテーマごとに書かれているため、何かスペインの現代史で具体的に知りたい部分があるなら非常に役に立つだろう。
スペインが30年間以上独裁体制国家を維持し続けられた事実には、「民主主義をリードする西側陣営」というイメージもあいまって、「時代錯誤感」を感じさせる。はたして国際社会はこれを批判しなかったのか?事実、終戦後以降「元枢軸国寄り」「反共産主義」「独裁国家」というレッテルを持つスペインが、連合国が作る新しい国際社会秩序の中で味方を作ることは困難だった。国連は決議によって、スペインの国連及び関連組織への加入を拒絶し、スペインは事実上国際的孤立期に入った。マーシャルプランからも除外されスペインの経済は困窮を極めたが、最終的にはアメリカがスペインへの経済支援を決定する。東西冷戦が深まる中、米国の対東戦略において、スペインの地理的条件の良さが注目されたのだ。西側諸国は冷戦軍事政策と引き換えに、結果的には「独裁国家」スペインを承認することとなったのである。
マイナーにも思えるフランコ期のスペインの歴史を知る意義は何か。独裁体制・権威主義体制といういわば「化石」のような政体が1970年代まで西ヨーロッパで餌を生き続けたいびつさには、民主主義という国際社会の「正義」より、実態は権力闘争が優先されるという国際政治の事実が表されている。声明などに現れる国家の建前のみを鵜呑みにせず、現在の国際情勢の裏側にどのような権力争いが隠れているのか、常に注目していくべきである。
太陽の沈まぬ国、闘牛の国、みなさんはスペインという国にどのようなイメージを持っているだろう。先進国としての印象が強い西ヨーロッパにあるスペインが、ほんの30年前、私たちの両親が学生だったころまで独裁的な権威主義体制国家であったことを意識する機会は、今日では少ない。本書は文字通りスペインの現代史を扱ったものであるが、いわゆる物語のような形式ではなく、時代を区切ってそれぞれ「政治体制」「経済」「教育」などテーマごとに書かれているため、何かスペインの現代史で具体的に知りたい部分があるなら非常に役に立つだろう。
スペインが30年間以上独裁体制国家を維持し続けられた事実には、「民主主義をリードする西側陣営」というイメージもあいまって、「時代錯誤感」を感じさせる。はたして国際社会はこれを批判しなかったのか?事実、終戦後以降「元枢軸国寄り」「反共産主義」「独裁国家」というレッテルを持つスペインが、連合国が作る新しい国際社会秩序の中で味方を作ることは困難だった。国連は決議によって、スペインの国連及び関連組織への加入を拒絶し、スペインは事実上国際的孤立期に入った。マーシャルプランからも除外されスペインの経済は困窮を極めたが、最終的にはアメリカがスペインへの経済支援を決定する。東西冷戦が深まる中、米国の対東戦略において、スペインの地理的条件の良さが注目されたのだ。西側諸国は冷戦軍事政策と引き換えに、結果的には「独裁国家」スペインを承認することとなったのである。
マイナーにも思えるフランコ期のスペインの歴史を知る意義は何か。独裁体制・権威主義体制といういわば「化石」のような政体が1970年代まで西ヨーロッパで餌を生き続けたいびつさには、民主主義という国際社会の「正義」より、実態は権力闘争が優先されるという国際政治の事実が表されている。声明などに現れる国家の建前のみを鵜呑みにせず、現在の国際情勢の裏側にどのような権力争いが隠れているのか、常に注目していくべきである。
【1029】フランコ スペイン現代史の迷路【田島】
色摩力夫『フランコ スペイン現代史の迷路』中央公論新社
ご存知のようにフランコとは、スペイン内戦に勝利して権力を掌握し、1975年まで個人独裁体制を維持させ続けたスペインの独裁者である。2007年スペインでは「歴史記憶法案」が施行された。スペインでは75年以降でも、フランコについて語ることは避けられる風潮にあった。 いわば一種の「タブー状態」であったと言える。しかし民主化後初めてフランコ体制への批判を盛り込んだ同法案の可決など、近年フランコについて再考しようという試みが行われている。
前述のように情報が公開され始めたのが最近であることもあり、フランコに着目した日本の学術書は少ない。この本はフランコという人物に注目しスペイン現代史を紐解いた珍しい書籍である。また記述が詳細であり、国粋派を中心としたスペイン現代史に関する本としても役に立つだろう。
フランコに関しては、日独伊を中心とする枢軸国と極めて密接な関係にありながら、第二次大戦を通じて中立を標榜し、結果的に戦後も政権を維持できた事実が興味深い。しかしフランコ自身は大戦のゆくえを予期していたわけではなく、内戦後の貧困に苦しみ、参戦を阻止するために連合側が申し出た援助に飛びついただけともいえる。フランコは軍人としての溢れる才能でもって出世し、権力を持つことには執着していたが、高度に知的な理想もイデオロギーも持っていなかったといってよい。「ナチズム」「ファシズム」といった政治思想を持ったヒトラーやムッソリーニが倒れ、イデオロギーに傾倒せず目先の利益にすがりついたフランコ政権が生き残ったことは皮肉ではあるが、それが国際政治の真実であるのかもしれない。フランコは自ら世界秩序に働きかける能力はないものの、バランスをみて波に乗って泳ぎ切る能力はあった。国益を優先し、自国に有利な国際情勢を活かすという外交において必要なことは果たしているが、フランコの外交能力を高評価するかは、個々人の「外交能力」の定義によるだろう。
最近対中国への日本の外交は稚拙であるとの批判の声が上がっている。長い間平和を享受し、国際政治の本質である、パワーの維持、国益の維持のための外交感覚は失われてしまったのかもしれない。もちろん第二次大戦は二度と起こってほしくない惨禍である。しかし限られた時間の中で危機的状況に対応してきた戦中の政治家たちの軌跡を見ることは、リーダーに必要な資質や外交とはなんであるかを再び考える機会を与えてくれるだろう。
ご存知のようにフランコとは、スペイン内戦に勝利して権力を掌握し、1975年まで個人独裁体制を維持させ続けたスペインの独裁者である。2007年スペインでは「歴史記憶法案」が施行された。スペインでは75年以降でも、フランコについて語ることは避けられる風潮にあった。 いわば一種の「タブー状態」であったと言える。しかし民主化後初めてフランコ体制への批判を盛り込んだ同法案の可決など、近年フランコについて再考しようという試みが行われている。
前述のように情報が公開され始めたのが最近であることもあり、フランコに着目した日本の学術書は少ない。この本はフランコという人物に注目しスペイン現代史を紐解いた珍しい書籍である。また記述が詳細であり、国粋派を中心としたスペイン現代史に関する本としても役に立つだろう。
フランコに関しては、日独伊を中心とする枢軸国と極めて密接な関係にありながら、第二次大戦を通じて中立を標榜し、結果的に戦後も政権を維持できた事実が興味深い。しかしフランコ自身は大戦のゆくえを予期していたわけではなく、内戦後の貧困に苦しみ、参戦を阻止するために連合側が申し出た援助に飛びついただけともいえる。フランコは軍人としての溢れる才能でもって出世し、権力を持つことには執着していたが、高度に知的な理想もイデオロギーも持っていなかったといってよい。「ナチズム」「ファシズム」といった政治思想を持ったヒトラーやムッソリーニが倒れ、イデオロギーに傾倒せず目先の利益にすがりついたフランコ政権が生き残ったことは皮肉ではあるが、それが国際政治の真実であるのかもしれない。フランコは自ら世界秩序に働きかける能力はないものの、バランスをみて波に乗って泳ぎ切る能力はあった。国益を優先し、自国に有利な国際情勢を活かすという外交において必要なことは果たしているが、フランコの外交能力を高評価するかは、個々人の「外交能力」の定義によるだろう。
最近対中国への日本の外交は稚拙であるとの批判の声が上がっている。長い間平和を享受し、国際政治の本質である、パワーの維持、国益の維持のための外交感覚は失われてしまったのかもしれない。もちろん第二次大戦は二度と起こってほしくない惨禍である。しかし限られた時間の中で危機的状況に対応してきた戦中の政治家たちの軌跡を見ることは、リーダーに必要な資質や外交とはなんであるかを再び考える機会を与えてくれるだろう。
2010年11月8日月曜日
1105ゼミの感想【山本】
ものつくりWS
今回、お忙しい中企画して下さったものつくりの先輩方、相島さん、本当にありがとうございました。
以前からずっと気になっていたDITDですが、予想以上に沢山のコンテンツがあり、とても楽しかったです。シンポジオンも、私はまだまだ考えを整理できていなかったのですが、とても学ぶことが多かったなと思います。
自分の考えがまとまっていないのと、様々な解釈の可能性を含ませて、あえて箇条書き風に以下感想を書きます。
DITDの暗闇を歩いているときの感覚は、普段の生活でも似たようなことがある気がします。 自分が声を出さないと、他人に存在を認識してもらえない感覚です。 私は去年の夏休み同じような経験をしました。1ヶ月のヨーロッパ旅行から帰国したとき、日本での全てのコミュニティーから自分の存在が消えてしまったような気がしました。次の日私は、炊き出し活動をしていました。無意識のうちに他人に存在を示そうと躍起になっていました。自分から働きかけなければ世の中から取り残されてしまうという焦りも感じていました。ただしこのときの私の行動は少し安直で驕っていたと思います。今でも反省しています。
銭谷さんが下さった言葉がとても素敵だったので、共有します。“give&takeのgiveが先にあるのは何でだと思う?”ということです。
ひとと接する中で、あるいは人にひとに何かを訴える中で、すごく大切なことが疎かになっていたな、ということに今回気付かせていただきました。
ものつくりのみなさん、本当にありがとうございました。
今回、お忙しい中企画して下さったものつくりの先輩方、相島さん、本当にありがとうございました。
以前からずっと気になっていたDITDですが、予想以上に沢山のコンテンツがあり、とても楽しかったです。シンポジオンも、私はまだまだ考えを整理できていなかったのですが、とても学ぶことが多かったなと思います。
自分の考えがまとまっていないのと、様々な解釈の可能性を含ませて、あえて箇条書き風に以下感想を書きます。
DITDの暗闇を歩いているときの感覚は、普段の生活でも似たようなことがある気がします。 自分が声を出さないと、他人に存在を認識してもらえない感覚です。 私は去年の夏休み同じような経験をしました。1ヶ月のヨーロッパ旅行から帰国したとき、日本での全てのコミュニティーから自分の存在が消えてしまったような気がしました。次の日私は、炊き出し活動をしていました。無意識のうちに他人に存在を示そうと躍起になっていました。自分から働きかけなければ世の中から取り残されてしまうという焦りも感じていました。ただしこのときの私の行動は少し安直で驕っていたと思います。今でも反省しています。
銭谷さんが下さった言葉がとても素敵だったので、共有します。“give&takeのgiveが先にあるのは何でだと思う?”ということです。
ひとと接する中で、あるいは人にひとに何かを訴える中で、すごく大切なことが疎かになっていたな、ということに今回気付かせていただきました。
ものつくりのみなさん、本当にありがとうございました。
【ホンヨミ!】職業としての学問【金光】
『職業としての学問』 マックスウェーバー
今から約100年前に活躍したドイツの経済学者マックスウェーバーが、同名の講演会をしたときの原稿を書籍化した作品。
学問を教えることを職業とする教授(先生)についてを中心に書かれていた。
ふとした瞬間の「思いつき」が研究の大きな発見に結びつくこともある。そしてそれは運のように見えるけれども、これが備わっているか否かはその人がたとえ学者以外の職業についたとしても同じように発揮される。という内容は印象的だ。
運に見えて、運ではなく自分で引き寄せているもの。それは俗人から見ると理解できないほどそのことに没頭した結果に現れるもの、だという。
今の世界は未開社会に比べて進んでいると見えてそうでもない。今は遠くに行きたければ電車に乗れる。でも、その電車がどういう仕組みで動いているのか説明できる人は少ない。日々の生活に欠かせない貨幣の役割も。自分の生活条件に関する一般知識を持ち合わせていないという意味では進んているとは言い切れないのである。
私はこの傾向はこれからもどんどん進んでいくと思った。以前Googleについての本を読んだときに感じたのは、一握りの優れた頭脳を持った人がそのほか大半の人の頭脳をますます働かせなくても生活できるような便利さを生んでしまうのだ、と。
マックスウェーバーは、優れた教授は教壇という場で自分の意見や見解を述べるのではなく、聞いている者に自己とは違う考え方の存在を承認させること、と述べている。盲目的にああるものを信じ、頼り切るのではなく、自己と違う他者の存在や考え方を認めること、そしてそのためによく頭を使って考えること、をやっていこうと感じた。
今から約100年前に活躍したドイツの経済学者マックスウェーバーが、同名の講演会をしたときの原稿を書籍化した作品。
学問を教えることを職業とする教授(先生)についてを中心に書かれていた。
ふとした瞬間の「思いつき」が研究の大きな発見に結びつくこともある。そしてそれは運のように見えるけれども、これが備わっているか否かはその人がたとえ学者以外の職業についたとしても同じように発揮される。という内容は印象的だ。
運に見えて、運ではなく自分で引き寄せているもの。それは俗人から見ると理解できないほどそのことに没頭した結果に現れるもの、だという。
今の世界は未開社会に比べて進んでいると見えてそうでもない。今は遠くに行きたければ電車に乗れる。でも、その電車がどういう仕組みで動いているのか説明できる人は少ない。日々の生活に欠かせない貨幣の役割も。自分の生活条件に関する一般知識を持ち合わせていないという意味では進んているとは言い切れないのである。
私はこの傾向はこれからもどんどん進んでいくと思った。以前Googleについての本を読んだときに感じたのは、一握りの優れた頭脳を持った人がそのほか大半の人の頭脳をますます働かせなくても生活できるような便利さを生んでしまうのだ、と。
マックスウェーバーは、優れた教授は教壇という場で自分の意見や見解を述べるのではなく、聞いている者に自己とは違う考え方の存在を承認させること、と述べている。盲目的にああるものを信じ、頼り切るのではなく、自己と違う他者の存在や考え方を認めること、そしてそのためによく頭を使って考えること、をやっていこうと感じた。
1105ゼミ感想【岡本】
【個人論文テーマプレゼン】
自分が問題意識をどのあたりに持っているのか、興味分野が結構色濃く反映された論文テーマが多く、面白かったです。ちょっと個人的な興味関心分野でもあったので、フラッシュマーケティングについてFBします。というか多分自分が個人論文書くとしたらまず間違いなくこのトピックで提出していたので危なかったです笑…そのときに色々調べたのでちょい長々とFBします。
ぶっちゃけて言うとこの間のNC、フラッシュマーケティングと迷った挙句に電子書籍にしました。それで、FBでもあったので参考になるかと思って言いますが、自分自身が何を面白いかと感じたかと言えば、なんといっても「一消費者が必死こいて一商品あるいは一企業の広告塔になるという構図」(もちろんクーポンのためではあるのだけど)の滑稽さ。しかも「結果がでなければ報酬はナシ」という徹底した成果主義、言ってみれば「タダ働きも可」みたいな条件を消費者が何食わぬ顔で了承している、この滑稽さ。場合によっては9割引みたいな価格で商品が買えることでユーザーとしても利益が大きく、懸賞なんかを考えてみると分かるように、利益が大きいものに対しては「ダメで元々」的な感覚も働きます。だから必死に宣伝してダメだった場合でも不満というのは案外と少ない。
かつSNSやTwitterの利用が想定されているということは必定「親しい間柄の中での宣伝」がメインということになり、それは広告としても非常にうまいことリーチします。少なくとも赤の他人からくる訳のわからない宣伝よりは警戒感も少ないでしょう。しかも「お得情報」です。
加えて、情報の伝播がすさまじく速い。現在はより速さを重視するためにクラウドサービスを利用するようなところも出てきているそうです。ちょっと書きすぎな感があるのでこの辺は割愛。
で、日本ではフラッシュマーケティングはまだまだ黎明期で、何が来るかわかりません。本場のGrouponやらリクルートの何とかいう(忘れました)サイトが強いのではないかと噂されていますが、まだまだ予断を許さない状況です。
何が言いたいかというと、このトピックは黎明期の今やるからこそ面白いというような試みが考えられます。雨後の筍のように続出するGroupon系のサイトですが、そこはモチロン各社きちんと差別化を図ってきている。そのなかでフラッシュマーケティングサイトの「核となる性質は一体何か」分析し、また、だからこそ「どのサイトに最も大きな可能性があるのか」考えるのはすごく面白いし、論文全体として抽象的・概念的な方向に偏り過ぎないと思います。覇権を握るサイトが現れる前だからこそ、今後を予見した価値のある論文になるのではないかと。
【ものつくり学部:DITD~シンポジオン】
自分だけでは絶対に出会うことのない、すごく面白いイベントでした。相島さん、ものつくり学部のみなさんには本当に感謝しています。どうもありがとうございました。
正直なところその後のシンポジオンで話されたような「自分自身にフォーカスした視点」というのはあまり持てなくて、「いま自分が体感しているこの世界は目が見えない人にとって紛れもない『日常』で、それはイベントだからこそこうした楽しさに彩られているけれども、決してそんなに楽しい世界じゃないんだろうな」とかそんなことばっかり考えてました。別に正義感みたいなものからそんなことを思ってたわけじゃなくて、暗闇って実際すごく不安で、あのイベントだからみんな声を掛け合ってやっていた(なおかつそれがすごく支えになった)けれども、この日本で目の見えない人にああやって声を掛けてあげられる人がどれだけいるかというと殆どいないな…とかなんとか。暗闇が本当にすごく不安だということを実感を伴って感じたからこそ、そういう部分もすごく際立って感じられたというか、そんな感じです。
で、そんな目線でずっと考えていた自分の率直な感想としては、障がいがあるから「何が出来ない」ではなく逆に障がいがあるからこそ「何が出来る」、そういった肯定的な目線でのアプローチが、今後社会の中でもっと一般化していけばいいなと。こんなごくありきたりな論調でもってイベントの感動を矮小化したくはないのですが、そういった障がい者支援の方向性としても非常に見るべきものがあるイベントだと感じました。
ただこんなことを言うと反感を買うかもしれないのですが、目が見えないということは比較的に肯定的に捉えやすい障がいだとも思います。世の中には、「本当にどうにもならない」(或いはそう感じられる)障がいがあります。具体的に何とは言いませんし言えませんが、そういったものの一つ一つについて「仕方ないね」ではなく「差別しないようにしよう」とかでもなく、今回のイベントのような「抜本的な解決策」を提示してあげられること、或いは考え続けていくことに、今回のイベントで誇らしげに働く人々を見たからこそ強い必要性を感じました。自分自身、金ゼミにの中にあってあらゆる「イノベーション」が組織開発とかウェブサービスとかに向きがちだったものが、「イノベーションにはこういう方向性もあるのか」、気付かされた次第です。
自分が問題意識をどのあたりに持っているのか、興味分野が結構色濃く反映された論文テーマが多く、面白かったです。ちょっと個人的な興味関心分野でもあったので、フラッシュマーケティングについてFBします。というか多分自分が個人論文書くとしたらまず間違いなくこのトピックで提出していたので危なかったです笑…そのときに色々調べたのでちょい長々とFBします。
ぶっちゃけて言うとこの間のNC、フラッシュマーケティングと迷った挙句に電子書籍にしました。それで、FBでもあったので参考になるかと思って言いますが、自分自身が何を面白いかと感じたかと言えば、なんといっても「一消費者が必死こいて一商品あるいは一企業の広告塔になるという構図」(もちろんクーポンのためではあるのだけど)の滑稽さ。しかも「結果がでなければ報酬はナシ」という徹底した成果主義、言ってみれば「タダ働きも可」みたいな条件を消費者が何食わぬ顔で了承している、この滑稽さ。場合によっては9割引みたいな価格で商品が買えることでユーザーとしても利益が大きく、懸賞なんかを考えてみると分かるように、利益が大きいものに対しては「ダメで元々」的な感覚も働きます。だから必死に宣伝してダメだった場合でも不満というのは案外と少ない。
かつSNSやTwitterの利用が想定されているということは必定「親しい間柄の中での宣伝」がメインということになり、それは広告としても非常にうまいことリーチします。少なくとも赤の他人からくる訳のわからない宣伝よりは警戒感も少ないでしょう。しかも「お得情報」です。
加えて、情報の伝播がすさまじく速い。現在はより速さを重視するためにクラウドサービスを利用するようなところも出てきているそうです。ちょっと書きすぎな感があるのでこの辺は割愛。
で、日本ではフラッシュマーケティングはまだまだ黎明期で、何が来るかわかりません。本場のGrouponやらリクルートの何とかいう(忘れました)サイトが強いのではないかと噂されていますが、まだまだ予断を許さない状況です。
何が言いたいかというと、このトピックは黎明期の今やるからこそ面白いというような試みが考えられます。雨後の筍のように続出するGroupon系のサイトですが、そこはモチロン各社きちんと差別化を図ってきている。そのなかでフラッシュマーケティングサイトの「核となる性質は一体何か」分析し、また、だからこそ「どのサイトに最も大きな可能性があるのか」考えるのはすごく面白いし、論文全体として抽象的・概念的な方向に偏り過ぎないと思います。覇権を握るサイトが現れる前だからこそ、今後を予見した価値のある論文になるのではないかと。
【ものつくり学部:DITD~シンポジオン】
自分だけでは絶対に出会うことのない、すごく面白いイベントでした。相島さん、ものつくり学部のみなさんには本当に感謝しています。どうもありがとうございました。
正直なところその後のシンポジオンで話されたような「自分自身にフォーカスした視点」というのはあまり持てなくて、「いま自分が体感しているこの世界は目が見えない人にとって紛れもない『日常』で、それはイベントだからこそこうした楽しさに彩られているけれども、決してそんなに楽しい世界じゃないんだろうな」とかそんなことばっかり考えてました。別に正義感みたいなものからそんなことを思ってたわけじゃなくて、暗闇って実際すごく不安で、あのイベントだからみんな声を掛け合ってやっていた(なおかつそれがすごく支えになった)けれども、この日本で目の見えない人にああやって声を掛けてあげられる人がどれだけいるかというと殆どいないな…とかなんとか。暗闇が本当にすごく不安だということを実感を伴って感じたからこそ、そういう部分もすごく際立って感じられたというか、そんな感じです。
で、そんな目線でずっと考えていた自分の率直な感想としては、障がいがあるから「何が出来ない」ではなく逆に障がいがあるからこそ「何が出来る」、そういった肯定的な目線でのアプローチが、今後社会の中でもっと一般化していけばいいなと。こんなごくありきたりな論調でもってイベントの感動を矮小化したくはないのですが、そういった障がい者支援の方向性としても非常に見るべきものがあるイベントだと感じました。
ただこんなことを言うと反感を買うかもしれないのですが、目が見えないということは比較的に肯定的に捉えやすい障がいだとも思います。世の中には、「本当にどうにもならない」(或いはそう感じられる)障がいがあります。具体的に何とは言いませんし言えませんが、そういったものの一つ一つについて「仕方ないね」ではなく「差別しないようにしよう」とかでもなく、今回のイベントのような「抜本的な解決策」を提示してあげられること、或いは考え続けていくことに、今回のイベントで誇らしげに働く人々を見たからこそ強い必要性を感じました。自分自身、金ゼミにの中にあってあらゆる「イノベーション」が組織開発とかウェブサービスとかに向きがちだったものが、「イノベーションにはこういう方向性もあるのか」、気付かされた次第です。
ゼミの感想
5期生論文
個人論文は今年から始まりました。電子書籍に続き、今回は二回目なのでみなさんなら大丈夫だと思います。
なんとなく全体的にリアルタイムウェブの文脈に収まる話題が多い中で黄さんのプレゼンが印象に残りました。黄さんはゼミに入ったときからウェブと教育というものが根底の問題意識としてあるようです。これから様々メディアが出てくるなかで子供たちがどのように情報に接していくのか、規制はどこまで必要かの議論はとても曖昧で難しいと思います。ですが、よい結論が出ることを期待してます。勉強させてもらいたいです。
ダイアログ・イン・ザ・ダーク
僕の周りで常々話題になったのですが、ようやく参加できました。
機会をくださったものつくりの皆様には非常に感謝いたします。
暗闇の中で自分が消えてしまうというか、ただ意識だけが浮遊しているような不思議な感覚をもらいました。それと同時に他人の存在をとても意識させられました。自分の五感も大事だけれど、他の人との距離感を相対的に把握することで前に進んでいけたような気がします。久しぶりにインスピレーションをもらえた出来事であったので、この気持ちを忘れないうちにアウトプットしたいと思います。ものつくりの方々には重ねて感謝いたします。本当にありがとうございました。
個人論文は今年から始まりました。電子書籍に続き、今回は二回目なのでみなさんなら大丈夫だと思います。
なんとなく全体的にリアルタイムウェブの文脈に収まる話題が多い中で黄さんのプレゼンが印象に残りました。黄さんはゼミに入ったときからウェブと教育というものが根底の問題意識としてあるようです。これから様々メディアが出てくるなかで子供たちがどのように情報に接していくのか、規制はどこまで必要かの議論はとても曖昧で難しいと思います。ですが、よい結論が出ることを期待してます。勉強させてもらいたいです。
ダイアログ・イン・ザ・ダーク
僕の周りで常々話題になったのですが、ようやく参加できました。
機会をくださったものつくりの皆様には非常に感謝いたします。
暗闇の中で自分が消えてしまうというか、ただ意識だけが浮遊しているような不思議な感覚をもらいました。それと同時に他人の存在をとても意識させられました。自分の五感も大事だけれど、他の人との距離感を相対的に把握することで前に進んでいけたような気がします。久しぶりにインスピレーションをもらえた出来事であったので、この気持ちを忘れないうちにアウトプットしたいと思います。ものつくりの方々には重ねて感謝いたします。本当にありがとうございました。
2010年11月7日日曜日
[1105ホンヨミ!②]The magic of thinking big[矢部]
大きく考えることの魔術 ダビッド・J・シュワルツ(著)
原著は英語で書かれていてタイトルの通り。
この本は自己軽視することが自分の自信をなくし、それに伴い成功が得られないと云う人生もこの原理に従うということだ。私は幸福であり、自信に満ち、成功するのだと思えば、幸せな結果がついてくる。逆に自信がない、うまくいかないだろう、幸せになる自信がないと思い込むとそのとおりになってしまう。心というのはすでに人生の結果を指示しているものである。未来のヴィジョンなのである。
とても良い考え方である。積極的に前向きに大きく物事を考えると広い開放的な気持ちになれるのであろうと思う。自分を小さく捉えるのは良くない。
私が思うには考え過ぎというのが、自己軽視の行き着く先と合致しているのではないか思う。時には必要だと思うが、集中的に考え過ぎるのではなく、直感とか雰囲気、流れに任せてフィーリングしていくことは大事なのである。真面目にやることは良いが、生真面目にやるとうまくいかないことは多々ある。バランスをとるべきだ。Don't think, feelとも言い換えられる本であるとも捉えられる。
原著は英語で書かれていてタイトルの通り。
この本は自己軽視することが自分の自信をなくし、それに伴い成功が得られないと云う人生もこの原理に従うということだ。私は幸福であり、自信に満ち、成功するのだと思えば、幸せな結果がついてくる。逆に自信がない、うまくいかないだろう、幸せになる自信がないと思い込むとそのとおりになってしまう。心というのはすでに人生の結果を指示しているものである。未来のヴィジョンなのである。
とても良い考え方である。積極的に前向きに大きく物事を考えると広い開放的な気持ちになれるのであろうと思う。自分を小さく捉えるのは良くない。
私が思うには考え過ぎというのが、自己軽視の行き着く先と合致しているのではないか思う。時には必要だと思うが、集中的に考え過ぎるのではなく、直感とか雰囲気、流れに任せてフィーリングしていくことは大事なのである。真面目にやることは良いが、生真面目にやるとうまくいかないことは多々ある。バランスをとるべきだ。Don't think, feelとも言い換えられる本であるとも捉えられる。
1105ゼミ感想【高橋】
①個人論文
Twitter×広告
SNSはmixi・Facebook・Twitterとやっているが、個人的に最近ではmixiもFacebookも時間惜しさに更新せずつい手軽なTwitterをやってしまう。たしかに外国とも繋がるし、機能が充実して面白いFacebookですが、あまりの多機能ぶりに広告という要素を絡めるには短期間で個人で行う面を考えると収集がつかないと思い、Twitterを選びました。そこで、"Promoted Tweets"と"Twad"に着目したのだが、もしかしたらTwadに特化して考えた方がいいのかもしれないと思いました。Twadはまだあまり認知度が低いと考えられるからこそ分析してみたいと思い、もう少し絞りこんだ内容で論文作成に取り掛かれたらなと。
以前NCで取り上げられたからこそ深めたいと思ったトピックだったので、新しい発見を論文で発表できたらと思いました。
先輩方からのFBを反映させて、軸をしっかり定めた上で取り掛かりたいです。
②Dialog In the Dark
自分は普段あまりに多くのことを視覚に頼っていたんだなぁと改めて実感しました。
若干暗所恐怖症だったのですが、みんながいてくれたおかげでアクティビティも楽しくできて、なんだか見えないのにまるで「見えている」不思議な感覚になりました。また、他の感覚器官が鋭くなったこと、そして「見える」ことがいかに大切なのか実感しました。暗闇のなかで仲間の大切さが身にしみてわかり、自分一人では立ちすくんでしまっていたと思います。
今回体験を終えて感じたのは、恐らく世間一般でいう「ふつう」というのが奇蹟なんじゃないかということでした。五体満足で生まれ、感覚器官も揃っている。そんな恵まれた身体で生まれることができていながら、大切な何かを見過ごして生きているのではないかと…。暗闇の中で目を見開いて1時間経っても目が慣れるどころか何も見えることはないのに、視覚障害者の方々はスムーズに何事をこなしている。それが彼らにとって「ふつう」だからであり、お金を手にとって何の紙幣か・硬貨かがわかること一つとっても自分にとっては新しい発見だった。点字ブロックの話をしているときも「あの黄色いやつですね」と仰っていましたが「黄色」であるということも恐らく私たちにわかるように教えてくれた情報であってどんな色をしているのか知らないであろうに口にされていたのがなんだか印象的だった。わかりやすく伝えようとしてくれている気遣いというか、温かい優しさを感じました。
人の温かさは言うまでもなく体温だけでなく内面からもにじみ出るもので、私は内面からくる温かさを大事にしたいと思いました。
ものつくり学部のみなさん、お忙しい中企画して下さり本当にありがとうございました。
貴重な体験ができたこと、改めて御礼申し上げます。
Twitter×広告
SNSはmixi・Facebook・Twitterとやっているが、個人的に最近ではmixiもFacebookも時間惜しさに更新せずつい手軽なTwitterをやってしまう。たしかに外国とも繋がるし、機能が充実して面白いFacebookですが、あまりの多機能ぶりに広告という要素を絡めるには短期間で個人で行う面を考えると収集がつかないと思い、Twitterを選びました。そこで、"Promoted Tweets"と"Twad"に着目したのだが、もしかしたらTwadに特化して考えた方がいいのかもしれないと思いました。Twadはまだあまり認知度が低いと考えられるからこそ分析してみたいと思い、もう少し絞りこんだ内容で論文作成に取り掛かれたらなと。
以前NCで取り上げられたからこそ深めたいと思ったトピックだったので、新しい発見を論文で発表できたらと思いました。
先輩方からのFBを反映させて、軸をしっかり定めた上で取り掛かりたいです。
②Dialog In the Dark
自分は普段あまりに多くのことを視覚に頼っていたんだなぁと改めて実感しました。
若干暗所恐怖症だったのですが、みんながいてくれたおかげでアクティビティも楽しくできて、なんだか見えないのにまるで「見えている」不思議な感覚になりました。また、他の感覚器官が鋭くなったこと、そして「見える」ことがいかに大切なのか実感しました。暗闇のなかで仲間の大切さが身にしみてわかり、自分一人では立ちすくんでしまっていたと思います。
今回体験を終えて感じたのは、恐らく世間一般でいう「ふつう」というのが奇蹟なんじゃないかということでした。五体満足で生まれ、感覚器官も揃っている。そんな恵まれた身体で生まれることができていながら、大切な何かを見過ごして生きているのではないかと…。暗闇の中で目を見開いて1時間経っても目が慣れるどころか何も見えることはないのに、視覚障害者の方々はスムーズに何事をこなしている。それが彼らにとって「ふつう」だからであり、お金を手にとって何の紙幣か・硬貨かがわかること一つとっても自分にとっては新しい発見だった。点字ブロックの話をしているときも「あの黄色いやつですね」と仰っていましたが「黄色」であるということも恐らく私たちにわかるように教えてくれた情報であってどんな色をしているのか知らないであろうに口にされていたのがなんだか印象的だった。わかりやすく伝えようとしてくれている気遣いというか、温かい優しさを感じました。
人の温かさは言うまでもなく体温だけでなく内面からもにじみ出るもので、私は内面からくる温かさを大事にしたいと思いました。
ものつくり学部のみなさん、お忙しい中企画して下さり本当にありがとうございました。
貴重な体験ができたこと、改めて御礼申し上げます。
[1105ホンヨミ!①]高学歴ワーキングプア[矢部]
高学歴ワーキングプア フリーター生産工場としての大学院 水月 昭道(著)
利他の精神
私の好きな言葉である。この本に関しての内容はタイトルの通りでその最後を締めくくる言葉としてこれが使われていた。本の内容としては、高学歴ワーキングプアというのは、利他の精神を失い、自らが生き延びることだけを最優先した「経営優先志向」を学校法人が選択した結果、必然的に生み出された産物であるということだ。日本社会に閉塞感が漂い始めている今、自らが生きることで精一杯であるかのように見える。しかし、学校はそうなってはならない。なぜなら学校は明るい未来を実現し得る可能性を持つ人材を輩出する場であるからだ。日本の閉塞感を打破できる人材を生み出すのは学校以外ないのである。慈愛の富んだ社会の方が良い。弱肉強食の熾烈な殺伐とした競争社会は悲しい。自分の利益だけに固執するような学校法人は不適切だ。その被害者となる高学歴ワーキングプアは何とも言えない状況である。日本の成熟社会においてのnext societyは知識社会である。サービス業だけでなく、農業、製造業でも最先端の付加価値のある製品やサービスを提供しなければ、未来はない。そのような意味でも高等教育の充実という施策は間違っていない。BRICsやVISTAには負けていられない。そのためにもこれから社会還元できる社会的利益のあるコンセプトをもったものが他を上回るであろう。
利他の精神
私の好きな言葉である。この本に関しての内容はタイトルの通りでその最後を締めくくる言葉としてこれが使われていた。本の内容としては、高学歴ワーキングプアというのは、利他の精神を失い、自らが生き延びることだけを最優先した「経営優先志向」を学校法人が選択した結果、必然的に生み出された産物であるということだ。日本社会に閉塞感が漂い始めている今、自らが生きることで精一杯であるかのように見える。しかし、学校はそうなってはならない。なぜなら学校は明るい未来を実現し得る可能性を持つ人材を輩出する場であるからだ。日本の閉塞感を打破できる人材を生み出すのは学校以外ないのである。慈愛の富んだ社会の方が良い。弱肉強食の熾烈な殺伐とした競争社会は悲しい。自分の利益だけに固執するような学校法人は不適切だ。その被害者となる高学歴ワーキングプアは何とも言えない状況である。日本の成熟社会においてのnext societyは知識社会である。サービス業だけでなく、農業、製造業でも最先端の付加価値のある製品やサービスを提供しなければ、未来はない。そのような意味でも高等教育の充実という施策は間違っていない。BRICsやVISTAには負けていられない。そのためにもこれから社会還元できる社会的利益のあるコンセプトをもったものが他を上回るであろう。
【ホンヨミ!1105②】質問力【高橋】
『論理的に「考える」ためのトレーニング』 飯久保廣嗣(著)
①4つの「なぜ」
「なぜ」そんなことが起きたのか?
「なぜ」そんなことが起きるのか?
「なぜ」それをやるのか?
「なぜ」そこから手をつけるのか?
これらは効率的かつ合理的にものごとの本質を知るために効果的な質問で、使い分けることができたら論理的思考を養うことに繋がる。二者択一の質問が必ずしも良い質問ではなく、こうしたものごとの本質を捉えるのに非常に役立つ質問というものを常に頭の片隅にいれておくことが大事だと思った。他人の意見に対するフィードバックとしてもそうだが、自分自身の考えにも常にこれらの問いを投げかけることで自分の中でも考えを高めていくことが可能になる。他人に対してもそうだが、自分の考えに対して自問自答できるようになりたい。自問自答ができなくては磨かれた考えを発表することなどできない。
②プロセス
・状況把握の思考プロセス
・原因究明の思考プロセス
・意思決定の思考プロセス
・リスク対応の思考プロセス
そもそも質問力は思考力に比例すると私は捉えた。考えなくては疑問など生まれてこない。ならばその思考力はどう向上していけばいいのか。それが上記のプロセスだ。すべてにおいて共通するのは「具体性」だ。たくさんの要素をまずできるだけ多くだし、広げたら一つ一つ具体的にさせていく。全体像を把握するとともに、個別の要素も枝分かれさせて考える。やはり「なぜ?」と問いかける姿勢が大事で、すぐに答えを求めようとしてはいけない。自分自身でじっくり考えてから吟味していく。その過程は抜かしてはならない大事なプロセスだと改めて思った。
③刺激
問題が複雑であればあるほど、意思決定は分散すべきだ。経営陣は解答を与えることによってではなく、質問をすることによって創造性を刺激することを要請される。絶えず質問されることほど、人を活気づけるものはない。
ワンマン経営者もたしかにいるが、組織として全体が活気づいて成長していくのはこうした経営者のいる会社なのかなとふと思った。答えを常に出せるのが経営者なのではなく、常に問題点や疑問点を周りに投げかけることができ、共に考えていける柔軟性をもった人物。組織や集団をひっぱっていく人物だけではなく、共に発展させていきたいと考えている人皆が共通認識として持てたらいいなと思う考えだった。
①4つの「なぜ」
「なぜ」そんなことが起きたのか?
「なぜ」そんなことが起きるのか?
「なぜ」それをやるのか?
「なぜ」そこから手をつけるのか?
これらは効率的かつ合理的にものごとの本質を知るために効果的な質問で、使い分けることができたら論理的思考を養うことに繋がる。二者択一の質問が必ずしも良い質問ではなく、こうしたものごとの本質を捉えるのに非常に役立つ質問というものを常に頭の片隅にいれておくことが大事だと思った。他人の意見に対するフィードバックとしてもそうだが、自分自身の考えにも常にこれらの問いを投げかけることで自分の中でも考えを高めていくことが可能になる。他人に対してもそうだが、自分の考えに対して自問自答できるようになりたい。自問自答ができなくては磨かれた考えを発表することなどできない。
②プロセス
・状況把握の思考プロセス
・原因究明の思考プロセス
・意思決定の思考プロセス
・リスク対応の思考プロセス
そもそも質問力は思考力に比例すると私は捉えた。考えなくては疑問など生まれてこない。ならばその思考力はどう向上していけばいいのか。それが上記のプロセスだ。すべてにおいて共通するのは「具体性」だ。たくさんの要素をまずできるだけ多くだし、広げたら一つ一つ具体的にさせていく。全体像を把握するとともに、個別の要素も枝分かれさせて考える。やはり「なぜ?」と問いかける姿勢が大事で、すぐに答えを求めようとしてはいけない。自分自身でじっくり考えてから吟味していく。その過程は抜かしてはならない大事なプロセスだと改めて思った。
③刺激
問題が複雑であればあるほど、意思決定は分散すべきだ。経営陣は解答を与えることによってではなく、質問をすることによって創造性を刺激することを要請される。絶えず質問されることほど、人を活気づけるものはない。
ワンマン経営者もたしかにいるが、組織として全体が活気づいて成長していくのはこうした経営者のいる会社なのかなとふと思った。答えを常に出せるのが経営者なのではなく、常に問題点や疑問点を周りに投げかけることができ、共に考えていける柔軟性をもった人物。組織や集団をひっぱっていく人物だけではなく、共に発展させていきたいと考えている人皆が共通認識として持てたらいいなと思う考えだった。
1105ゼミ[矢部]
①個人論文テーマ
興味分野のトピック→問題意識→仮説の流れは考え抜いた結果なので、良かったと思う。ゼミ中もでしたがゼミ後の相島さん、岸本さん、李先生のFBはとてもためになった。特に李先生は、時間と程度についてわざわざ説明して頂いてとても有り難かった。今回のテーマを例にすると、論文ではスマートテレビという分野について100%調べることができれば、とても良いが時間には制限がある。ましてや今回は約1ヵ月である。研究期間が4,5年あればスマートテレビについて100%研究し、それなりの成果は得られるであろう。しかし1ヵ月では、スマートテレビという観点から見て、頑張っても疎らに20~30%ぐらいしかできない。それならば、マクロな視点ではなく、ミクロな視点でスマテの広告料金システムについてやるなどしてスマテという観点から見たら疎らな10%でも、ミクロな分野で集中的な70~80%研究成果をあげた方が良いということだった。
②ものつくり学部、相島さんありがとうございます。
お忙しい中、準備や当日など本当にありがとうございます。とてもすばらしい経験=感じるでした。この経験は文字にできるモノではないので、つまり直接コミュニケーションをする方が伝わると思うので割愛します。そのような意味でシンポジオンはとても良い場でしたし、ゼミに関しての、ものつくり学部の方々などが考えているテーマに関係する議論にも、DITDがつながるということを自分なりの解釈も入りながら”感じる”ことができました。
単純にDITDだけを見ても、とても感動モノでした。人間のいくつもある感覚というものに感謝!な気持ちになりました。是非また行きたいと思いました。
興味分野のトピック→問題意識→仮説の流れは考え抜いた結果なので、良かったと思う。ゼミ中もでしたがゼミ後の相島さん、岸本さん、李先生のFBはとてもためになった。特に李先生は、時間と程度についてわざわざ説明して頂いてとても有り難かった。今回のテーマを例にすると、論文ではスマートテレビという分野について100%調べることができれば、とても良いが時間には制限がある。ましてや今回は約1ヵ月である。研究期間が4,5年あればスマートテレビについて100%研究し、それなりの成果は得られるであろう。しかし1ヵ月では、スマートテレビという観点から見て、頑張っても疎らに20~30%ぐらいしかできない。それならば、マクロな視点ではなく、ミクロな視点でスマテの広告料金システムについてやるなどしてスマテという観点から見たら疎らな10%でも、ミクロな分野で集中的な70~80%研究成果をあげた方が良いということだった。
②ものつくり学部、相島さんありがとうございます。
お忙しい中、準備や当日など本当にありがとうございます。とてもすばらしい経験=感じるでした。この経験は文字にできるモノではないので、つまり直接コミュニケーションをする方が伝わると思うので割愛します。そのような意味でシンポジオンはとても良い場でしたし、ゼミに関しての、ものつくり学部の方々などが考えているテーマに関係する議論にも、DITDがつながるということを自分なりの解釈も入りながら”感じる”ことができました。
単純にDITDだけを見ても、とても感動モノでした。人間のいくつもある感覚というものに感謝!な気持ちになりました。是非また行きたいと思いました。
問題意識
今回のシンポジオンで出ていたお話。
金ゼミの三つの力って、結局何なのか?ということでした。
わたしは、結局のところ、去年のゼミで立てたコンセプトに尽きるかなと思っています。
最終的に目指すものは、「創造力」。
三つの力「思考力」「行動力」「伝達力」は、それを補助するもの。
そして、創造力に向かうものは、「問題意識」。
継続を支えるものが、「当事者意識」。

宮村さんがPKで仰っていた「what i want to say」は、この問題意識に当たる部分ではないかと捉えました。
三つの力はそれだけでは何の意味も持たない。
それだけで突き通そうとしたら、小手先のテクニックになるだけ。
だけど、自分が創造したい何かが出来たとき、三つの力はその手助けになる。
二年生というまだまだ問題意識の定まらない時期(わたし自身はまだ定まり切っていないし、五期生は既に定まっている人もいるかも知れない!)に、金ゼミに在籍して得てもらいたいと思うのは、自分が大事にしたい何か(=問題意識)を見つけたときに、それを形にするための土台となる力です。
その「何か」のとっかかりに、個人論文を使ってもらいたいです。
だからこそ、「何でそれを選んだのか」「どこに惹かれたのか」を突き詰めながら進めてくださいな。
-------
コンセプトの話をするに当たって、去年のブログを読んでたんですが、わたしが書いたこの記事、
http://kimsemiblog2009.blogspot.com/2010/01/0115_4088.html
> 最近、とても話を聞いて議論を進めていくのが上手だと思う人に会いました。
これ、相島さんのことです!
今回のゼミでも、わたしの期待以上のFBを五期生にしてくださってて、わくわくしました。
もっと時間があるときに、改めてもっと散らした議論をしたいなあと思いました。
金ゼミの三つの力って、結局何なのか?ということでした。
わたしは、結局のところ、去年のゼミで立てたコンセプトに尽きるかなと思っています。
最終的に目指すものは、「創造力」。
三つの力「思考力」「行動力」「伝達力」は、それを補助するもの。
そして、創造力に向かうものは、「問題意識」。
継続を支えるものが、「当事者意識」。

宮村さんがPKで仰っていた「what i want to say」は、この問題意識に当たる部分ではないかと捉えました。
三つの力はそれだけでは何の意味も持たない。
それだけで突き通そうとしたら、小手先のテクニックになるだけ。
だけど、自分が創造したい何かが出来たとき、三つの力はその手助けになる。
二年生というまだまだ問題意識の定まらない時期(わたし自身はまだ定まり切っていないし、五期生は既に定まっている人もいるかも知れない!)に、金ゼミに在籍して得てもらいたいと思うのは、自分が大事にしたい何か(=問題意識)を見つけたときに、それを形にするための土台となる力です。
その「何か」のとっかかりに、個人論文を使ってもらいたいです。
だからこそ、「何でそれを選んだのか」「どこに惹かれたのか」を突き詰めながら進めてくださいな。
-------
コンセプトの話をするに当たって、去年のブログを読んでたんですが、わたしが書いたこの記事、
http://kimsemiblog2009.blogspot.com/2010/01/0115_4088.html
> 最近、とても話を聞いて議論を進めていくのが上手だと思う人に会いました。
これ、相島さんのことです!
今回のゼミでも、わたしの期待以上のFBを五期生にしてくださってて、わくわくしました。
もっと時間があるときに、改めてもっと散らした議論をしたいなあと思いました。
1105ゼミ感想【黄】
①個人論文
今回のテーマはギリギリまで決まらなかった。
突然の提案という事もあったが、それよりもある種の危機感を覚えた。
ただいたずらに日々を過ごしてしまったのではないか。自分の中で、何かに絶えず反応するアンテナが張られていなかったのではないか。
ふとした瞬間に心のゆるみはくる。その度に自分を立て直す。しかしゆるんでいる自分に気づかなくなる事程怖いものはない。今回の危機感を改めて自分の中で戒めにしたい。
②ダイアログ・イン・ザ・ダーク
初めての経験。そしてその中であるジレンマを感じた。
前が見えない。誰がどう進んでいるのか分からない。
そんな暗闇の中で、ふと自分の姿が見えた。それは、いつも周りがどう進んでいるか確認しながら、その方向に進もうとする自分の姿だった。そしてそれは、そんな自分の姿を認めようとしない自分でもあった。
自分は自分だ。自分の意志で動いてるんだ。と言い聞かせながらも、誰もいないとふと不安になる自分。誰かを見ながら進む事はある意味すごく簡単だ。着いて行けばいいのだから。誰も見えない中で、自分の足で進むこと。その難しさを実体験しているような感覚だった。
そしてもう一方で、暗闇で感じるあの手の温もりに大きな安心感を覚えた。握るだけであんなにも心強いなんて。人はやはり人の存在があってこそ生きていける存在だと思う。手探りしながら、ぶつかり合いながら・・・・。
誰かに左右されない、自分の足で歩くことの難しさ。でも人は誰かの存在、その温もりなしでは生きていけない。そんな思いを抱きながら暗闇を歩いた。
2010年11月6日土曜日
【1105ゼミの感想】闇のぬくもり【長澤】
〈個人論文〉
忙しかったとはいえ、きちんとしたプレゼンを用意出来ず申し訳ありませんでした。
少しずつでも進めていきたいと思います。
他の5期生のプレゼンは興味深いものばかりでした。
その中でもGROUPONが特に気になったので、帰宅してから早速登録してみました。
自分の個人論文に関しては、もっと具体的に扱うテーマを決め、先輩方から教えて頂いた参考資料をもとに、作成していこうと思います。
〈ダイアログ・イン・ザ・ダーク〉
私は暗いところにいると気持ちが落ち着くので、暗闇は好きです。
なので今回の企画もとても楽しみでした。
部屋に入ってすぐは、自分の掌も見えない様な本当に光の全く無い暗闇の中を、複数の人が杖一本で進んでいくことが出来るのか少し不安になりました。
しかし、暫く暗闇の中にいると、普段一番頼っている視覚が使えないため、聴覚や触覚などが研ぎ澄まされたように感じました。
また、一人で暗闇にいる時とは少し違って、声を掛け合ったり触れ合ったりしながら他人と協力し合って進んでいくのが新鮮でしたが、そこから本当に沢山のことを考えさせられました。
私にとっては良いきっかけになったと思います。
素敵な企画を用意して下さったものつくり学部の銭谷さん・宮村さん・岸本さん、企画に参加して下さった相島さん、本当にありがとうございました。
DITDには是非また参加したいと思います。
忙しかったとはいえ、きちんとしたプレゼンを用意出来ず申し訳ありませんでした。
少しずつでも進めていきたいと思います。
他の5期生のプレゼンは興味深いものばかりでした。
その中でもGROUPONが特に気になったので、帰宅してから早速登録してみました。
自分の個人論文に関しては、もっと具体的に扱うテーマを決め、先輩方から教えて頂いた参考資料をもとに、作成していこうと思います。
〈ダイアログ・イン・ザ・ダーク〉
私は暗いところにいると気持ちが落ち着くので、暗闇は好きです。
なので今回の企画もとても楽しみでした。
部屋に入ってすぐは、自分の掌も見えない様な本当に光の全く無い暗闇の中を、複数の人が杖一本で進んでいくことが出来るのか少し不安になりました。
しかし、暫く暗闇の中にいると、普段一番頼っている視覚が使えないため、聴覚や触覚などが研ぎ澄まされたように感じました。
また、一人で暗闇にいる時とは少し違って、声を掛け合ったり触れ合ったりしながら他人と協力し合って進んでいくのが新鮮でしたが、そこから本当に沢山のことを考えさせられました。
私にとっては良いきっかけになったと思います。
素敵な企画を用意して下さったものつくり学部の銭谷さん・宮村さん・岸本さん、企画に参加して下さった相島さん、本当にありがとうございました。
DITDには是非また参加したいと思います。
”気付き”
まず、金ゼミのために一から企画実行してくださったものつくり学部のみなさま、相島さんありがとうございました。
当たり前のようにうまく進行した今回のゼミの成功は、企画してくださった方の大変な準備があったからということ。当たり前に受け止めちゃいけないなという反省です。
いろいろな情報を持っていて、今のゼミに合ったものを考えて、アレンジして与えてくださったことに感謝しています。
DITDで自分が実際に初めてのことを”体験”してみて、そのあとのシンポジオンで先輩の就職活動の話などを聞きながら、体験することと経験談を聞くことの違いをぼーっと考えていました。
経験を”する”か経験を”聞く”か、という違いです。人の経験を聞くことで想像したり疑似体験はするけれど、他人の経験を他人のフィルターを通して聞くことでは、他人の経験の追随にとどまってしまうんだろうなと思いました。
だから、他人の口から語られる経験談を、頭の中で言葉をイメージ化して終わらせるのではなくて、自分がそこから”何に気付くか”が大切なんだろうなという結論が出ました。
経験談として聞くなら、それはたぶん自分が経験してみてわかる事のほうがはるかに多いし、経験してみたら他人と自分の感じ方が違ったりすることのほうが多いと思います。
という、こんな内容考えるまでもないことで、わざわざ文字化するとかえってわかりにくいことだったかもしれません。
その証拠に、みんな無意識にそう思っているから、例えば「DITDを是非”自分で経験”してみて!」と人に勧めたりするんだと思います。話を聞くよりも体験することで自分の気付きを得られるから。
でも、こんな小さな気付きも自分で気付いたから納得しました。
【1105】くらやみ【田島】
・What I want to say(個人論文、PK宮村さん)
一週間という短い期間でテーマを考えてくるのは大変だったと思う。それぞれのテーマが個性的で面白かったが、だからこそ、「そのトピックのどこを面白いと感じ、何に疑問を持っているのか」という部分をもっと聞きたいかなと感じた。宮村さんのPKでもおっしゃっていた「what I want to say」の部分が伝わるようなプレゼンを心がけるとみんなさらによくなると感じた。なかでも、黄さんのプレゼンは自分がどこに疑問をもっているかのオリジナリティがすごく感じられてよかったと思う。
FB
>高橋さん
twitter×マーケティングはNCで少しやったので参考サイト等あれば共有します。今後に関してはいくつかの方向性があるかなと思いました。
①SNS方面
SNS自体に興味があるなら、なにか最近流行っているSNSのひとつに絞る
②SNS×マーケティング方面
twitterにおけるマーケティング方面は語りつくされた感あり。相島さんの言うようにfacebookとかにシフトしてもいい?
③twitter×マーケティング方面
「twad」などの個別のトピックに絞り、それのどこが従来の広告と違うのか?今後の可能性は?について書く。
もしくは、まだtwitterを始めていない・始めたばかりの層に向けてのマーケティングに絞る?
>矢野さん
どこが従来の広告方法に比べて新しいのか?の分析は必須。広告モデルを図式化したり、グルーポンの広告効果のデータを入手したり。(企業に直接問い合わせて聞くのもあり)新しい広告の形について言及できればなおよしな感じ。
>矢部っち
テレビのビジネスモデルの危機についてはいろんな本がまとめてくれているのである程度少なくし、スマートTVについて追及的にやった方が面白くなると思う。広げすぎると調査に時間がかかるので、ある程度締切を見越して扱う範囲を限定した方がいい。
>黄ちゃん
①メディアリテラシーのブレイクスルー
②日本のメディアリテラシー教育
どちらもそれぞれ論文一本にできる深みがあるトピック。ブレイクスルーの方法を考えることにまずは集中するのがよいのでは。早い段階で完成したら日本への浸透の仕方を考えるといいと思う。論文が完成したら専門家の人に見せてみるといいと思う。
・ものつくり学部、DITD
まず、ものつくり学部と相島さんに対し、この企画を立ててくださったことにお礼をいいたいと思います。あのコンテンツで先輩方が伝えようとなさったことを、今一生懸命自分の中で考えています。ゼミの行方を本気で考えて、行動に移してくださる先輩がいる幸運を当たり前と思わず、しっかりと受け止めたいと思います。当日は以前から先約があり途中で退出してしまい申し訳ありませんでした。
先輩方がゼミに投げかけてくれた問題定義は、これからゼミ全員で考えていきたいです。このブログでは、まずは単純に、DITDの感想を書きたいと思っています。
私がDITDで感じたことは、人との絆についてでした。最初目の前が真っ暗になったときはとにかく不安で、なんだかまいってしまいそうなくらいでした。暗所が怖いというよりも、周りの人の姿が見えなくて、一人置いていかれて誰にももう見つけられないのではないかという不安だった気がします。けれど、その不安はやがて消えました。「ここ、段差あるから気をつけて!」とか、「ボール渡すよ!」とか、「こっち宝物あったよ!」とか周りが見えないというハンデがあったからこそ、自然とみんなが声を出して協力しあったからです。おかしなことに、相手の顔が見える時よりも、暗闇の中にいる方が相手との絆が実感出来たような気がしました。欠点があり、ハンデを抱えているからこそ人は協力しあい、強い絆を結ぶことができるということに暗闇体験を通じて改めて気づかされたのです。「できないから協力する」という人間の本質を理解し、欠点を否定せず互いにコミュニケーションをとって補いあう努力をする、このことを今後の生活でも意識していきたいなと思いました。DITDで実感してように、協力とは負担ではなく、喜びがあって楽しい体験であるはずだからです。
しかしながら、「協力」が「依存」にならないためには、互いに別の部分で相手に貢献する前向きな姿勢が不可欠です。ずっと人の背中の後ろをついてまわって、自分では何もしないようでは、その絆はもっとべたべたして発展性がないものになってしまいます。銭谷さんの、「give&take」にはまず「give」がある、という言葉とつながった気がしました。いろいろと「give」されることに甘えていた自分が情けないです。もっと自分から「give」する人間にならなくてはいけないと思いました。
一週間という短い期間でテーマを考えてくるのは大変だったと思う。それぞれのテーマが個性的で面白かったが、だからこそ、「そのトピックのどこを面白いと感じ、何に疑問を持っているのか」という部分をもっと聞きたいかなと感じた。宮村さんのPKでもおっしゃっていた「what I want to say」の部分が伝わるようなプレゼンを心がけるとみんなさらによくなると感じた。なかでも、黄さんのプレゼンは自分がどこに疑問をもっているかのオリジナリティがすごく感じられてよかったと思う。
FB
>高橋さん
twitter×マーケティングはNCで少しやったので参考サイト等あれば共有します。今後に関してはいくつかの方向性があるかなと思いました。
①SNS方面
SNS自体に興味があるなら、なにか最近流行っているSNSのひとつに絞る
②SNS×マーケティング方面
twitterにおけるマーケティング方面は語りつくされた感あり。相島さんの言うようにfacebookとかにシフトしてもいい?
③twitter×マーケティング方面
「twad」などの個別のトピックに絞り、それのどこが従来の広告と違うのか?今後の可能性は?について書く。
もしくは、まだtwitterを始めていない・始めたばかりの層に向けてのマーケティングに絞る?
>矢野さん
どこが従来の広告方法に比べて新しいのか?の分析は必須。広告モデルを図式化したり、グルーポンの広告効果のデータを入手したり。(企業に直接問い合わせて聞くのもあり)新しい広告の形について言及できればなおよしな感じ。
>矢部っち
テレビのビジネスモデルの危機についてはいろんな本がまとめてくれているのである程度少なくし、スマートTVについて追及的にやった方が面白くなると思う。広げすぎると調査に時間がかかるので、ある程度締切を見越して扱う範囲を限定した方がいい。
>黄ちゃん
①メディアリテラシーのブレイクスルー
②日本のメディアリテラシー教育
どちらもそれぞれ論文一本にできる深みがあるトピック。ブレイクスルーの方法を考えることにまずは集中するのがよいのでは。早い段階で完成したら日本への浸透の仕方を考えるといいと思う。論文が完成したら専門家の人に見せてみるといいと思う。
・ものつくり学部、DITD
まず、ものつくり学部と相島さんに対し、この企画を立ててくださったことにお礼をいいたいと思います。あのコンテンツで先輩方が伝えようとなさったことを、今一生懸命自分の中で考えています。ゼミの行方を本気で考えて、行動に移してくださる先輩がいる幸運を当たり前と思わず、しっかりと受け止めたいと思います。当日は以前から先約があり途中で退出してしまい申し訳ありませんでした。
先輩方がゼミに投げかけてくれた問題定義は、これからゼミ全員で考えていきたいです。このブログでは、まずは単純に、DITDの感想を書きたいと思っています。
私がDITDで感じたことは、人との絆についてでした。最初目の前が真っ暗になったときはとにかく不安で、なんだかまいってしまいそうなくらいでした。暗所が怖いというよりも、周りの人の姿が見えなくて、一人置いていかれて誰にももう見つけられないのではないかという不安だった気がします。けれど、その不安はやがて消えました。「ここ、段差あるから気をつけて!」とか、「ボール渡すよ!」とか、「こっち宝物あったよ!」とか周りが見えないというハンデがあったからこそ、自然とみんなが声を出して協力しあったからです。おかしなことに、相手の顔が見える時よりも、暗闇の中にいる方が相手との絆が実感出来たような気がしました。欠点があり、ハンデを抱えているからこそ人は協力しあい、強い絆を結ぶことができるということに暗闇体験を通じて改めて気づかされたのです。「できないから協力する」という人間の本質を理解し、欠点を否定せず互いにコミュニケーションをとって補いあう努力をする、このことを今後の生活でも意識していきたいなと思いました。DITDで実感してように、協力とは負担ではなく、喜びがあって楽しい体験であるはずだからです。
しかしながら、「協力」が「依存」にならないためには、互いに別の部分で相手に貢献する前向きな姿勢が不可欠です。ずっと人の背中の後ろをついてまわって、自分では何もしないようでは、その絆はもっとべたべたして発展性がないものになってしまいます。銭谷さんの、「give&take」にはまず「give」がある、という言葉とつながった気がしました。いろいろと「give」されることに甘えていた自分が情けないです。もっと自分から「give」する人間にならなくてはいけないと思いました。
【1029】presentationとは【田島】
風邪で体調を崩し、ブログアップが遅れてしまいました。
・目標と方法のマッチング
今回のpresentation kimもとても参考になった。プレゼンというのは世の中に必要な力のうちでの一部分にすぎない。けれど、たかがプレゼン、されどプレゼンなのである。どんなに素敵なアイディアでも、上手く伝えられなければ自分の中で完結してしまい、周りの協力を得られない。それを実感したのがBNGの役員の方々の前で行ったプレゼン大会だった。もう3か月以上もアイディアについて考えてきたから、自分たち自身ではその企画の機能も魅力もわかっていた。けれどそれを10分で、そのアイディアを初めて聞く人に伝えなければいけない。「同じアイディアでも、ホントに伝え方によって印象って変わっちゃうんだよね」という担当の中野渡さんの一言には、経験に裏打ちされた重みがあった。本番では、堅苦しい説明だけでなく、アイディアの利用シーンをとりいれた寸劇をとりいれることにした。もうひとつ事業化検討された班も、実際の利用シーンの再現をとりいれたプレゼンをしていて、見ていて飽きなかった。これは、寸劇など目立つものを入れれば成功するということではない。「伝えたいもの」と「伝える方法」がマッチしていて、効果的であることが大切なのだと思う。私たちが熟考を重ねた結果、一番伝えたかったことは「目の前にあって使ってみたときのワクワク感」と「初対面から次の出会いに繋がっていく流れ」であり、それを実感してもらうためには、スライドでの説明より寸劇が最も共感を呼び起こすと考えた。
話がそれたが、今回のpresentation kimで紹介されたことはそのまま自分に使えるものではないと思う。この人がどういう目標をもってどういう方法をとったかを知り、その自由な発想を自分で活かすことが大切なのかなと思った。
・個人論文提案
5期生の反応も前向きなものが多く、提案してよかったと思った。提案したからには、メンターとしてしっかりやっていきたい。
・ハロウィンパーティー
幸せいっぱいの会で楽しかったです。特に質問がとても面白くて、すごく盛り上がったなーと思いました。5期生の楽しませる力はさすがだな、と思いました。是非またこのような会をやりたいと思いました!
ただ一つだけ、5期生のみんながこういう風に楽しませる方向にのみ役割を見出してるようなのがちょっと気になります。確かに金ゼミはもっと楽しいゼミにしていいと思うんだけど、ゼミの内容自体の方にも当事者意識をもって自分で作ろうと思ってる人はいるのかな?代が変わったら、運営はすべて5期に移るので、単なるサークルに陥らず、「勉強も最高・そして遊びも最強な金ゼミ」を是非目指してもらいたいなと思います。
・目標と方法のマッチング
今回のpresentation kimもとても参考になった。プレゼンというのは世の中に必要な力のうちでの一部分にすぎない。けれど、たかがプレゼン、されどプレゼンなのである。どんなに素敵なアイディアでも、上手く伝えられなければ自分の中で完結してしまい、周りの協力を得られない。それを実感したのがBNGの役員の方々の前で行ったプレゼン大会だった。もう3か月以上もアイディアについて考えてきたから、自分たち自身ではその企画の機能も魅力もわかっていた。けれどそれを10分で、そのアイディアを初めて聞く人に伝えなければいけない。「同じアイディアでも、ホントに伝え方によって印象って変わっちゃうんだよね」という担当の中野渡さんの一言には、経験に裏打ちされた重みがあった。本番では、堅苦しい説明だけでなく、アイディアの利用シーンをとりいれた寸劇をとりいれることにした。もうひとつ事業化検討された班も、実際の利用シーンの再現をとりいれたプレゼンをしていて、見ていて飽きなかった。これは、寸劇など目立つものを入れれば成功するということではない。「伝えたいもの」と「伝える方法」がマッチしていて、効果的であることが大切なのだと思う。私たちが熟考を重ねた結果、一番伝えたかったことは「目の前にあって使ってみたときのワクワク感」と「初対面から次の出会いに繋がっていく流れ」であり、それを実感してもらうためには、スライドでの説明より寸劇が最も共感を呼び起こすと考えた。
話がそれたが、今回のpresentation kimで紹介されたことはそのまま自分に使えるものではないと思う。この人がどういう目標をもってどういう方法をとったかを知り、その自由な発想を自分で活かすことが大切なのかなと思った。
・個人論文提案
5期生の反応も前向きなものが多く、提案してよかったと思った。提案したからには、メンターとしてしっかりやっていきたい。
・ハロウィンパーティー
幸せいっぱいの会で楽しかったです。特に質問がとても面白くて、すごく盛り上がったなーと思いました。5期生の楽しませる力はさすがだな、と思いました。是非またこのような会をやりたいと思いました!
ただ一つだけ、5期生のみんながこういう風に楽しませる方向にのみ役割を見出してるようなのがちょっと気になります。確かに金ゼミはもっと楽しいゼミにしていいと思うんだけど、ゼミの内容自体の方にも当事者意識をもって自分で作ろうと思ってる人はいるのかな?代が変わったら、運営はすべて5期に移るので、単なるサークルに陥らず、「勉強も最高・そして遊びも最強な金ゼミ」を是非目指してもらいたいなと思います。
2010年11月5日金曜日
【1105】なぜケータイ小説は売れるのか【栫井】
なぜケータイ小説は売れるのか/本田透
日本の電子書籍といえば、馴染みある人も多いのがケータイ小説だろう。一時はブームとなり、次々にケータイ小説のサイトが立ち上がり、書籍が出版された。
自分の書いた小説をアップロードし、読んでもらう。「魔法のiらんど」など、作者も読者も無料で利用することの出来るプラットフォームから「恋空」「赤い糸」などの人気作品が生まれた。
2億弱PVという多大なアクセス数を誇ったのち、「恋空」(スターツ出版・2006)「赤い糸」(ゴマブックス・2009)は書籍として出版され、瞬く間にベストセラーとなり、映画化・コミックス化とメディアミックスが広がっていく。
1)逆メディアミックスー無料から有料へ
ケータイ小説が成功したと云われるのは、アマチュア作の元々無料のケータイ書籍でありながら、紙書籍としての購買に結びついたからだ。それは、書籍をファンアイテムとして販売し、無料のプラットフォームで既に獲得していた作品のファンを取り込んだことが要因である。ケータイというファン層にとって身近なインフラを使って無料で読ませ、口コミを起こし、充分に読者にとっての価値を高めてから、有料で販売する。従来の書籍が、買わせることを大前提に置いた上で広告を打つことと比べ、ケータイ小説はケータイで行われる無料のプロモーションが前提にある。
2)ターゲットの着眼点
また、ケータイ小説が売れた理由は、それまで簡単には小説を買わなかった層に訴求したことにある。「恋空」を買っていたのは、大部分が女子中高生である。プロの小説は、買うどころか読みもしない層がケータイ小説ならば購入したのだ。
アマチュア作品、特にケータイ小説は、既存の賞制度等で画一化されたプロの作品とは違った毛色を持っている。そのため、既存の作品が取りこぼしている層・既存の作品から離れていった層に新たに訴求する可能性を持つといえる。
3)「小さな物語」の具現化
ケータイ小説の大きな特徴は、自分の体験をベースにしていることだ。この体験が、女子高生にとっての”リアル”感を演出し、彼女たちに中毒的な人気を誇ったと考えられる。
大塚英男らが云うように、戦後「大きな物語」としてのイデオロギーが喪失し、信頼すべき柱が無くなってしまった。次第に人々は信頼出来るものなどないというニヒリズムに陥っていった、というのが現代でしばしば言われることである。
女子高生も例外ではなく、従来の小説などで言われる価値観は、彼女たちにとって信頼に足るものではなく、綺麗事ではないリアリティあるものを求めてきた。
その欲求にフィットしたのが、彼女たちと同じ立場の作者が自身の経験を元に書いたケータイ小説だった。
日本の電子書籍といえば、馴染みある人も多いのがケータイ小説だろう。一時はブームとなり、次々にケータイ小説のサイトが立ち上がり、書籍が出版された。
自分の書いた小説をアップロードし、読んでもらう。「魔法のiらんど」など、作者も読者も無料で利用することの出来るプラットフォームから「恋空」「赤い糸」などの人気作品が生まれた。
2億弱PVという多大なアクセス数を誇ったのち、「恋空」(スターツ出版・2006)「赤い糸」(ゴマブックス・2009)は書籍として出版され、瞬く間にベストセラーとなり、映画化・コミックス化とメディアミックスが広がっていく。
1)逆メディアミックスー無料から有料へ
ケータイ小説が成功したと云われるのは、アマチュア作の元々無料のケータイ書籍でありながら、紙書籍としての購買に結びついたからだ。それは、書籍をファンアイテムとして販売し、無料のプラットフォームで既に獲得していた作品のファンを取り込んだことが要因である。ケータイというファン層にとって身近なインフラを使って無料で読ませ、口コミを起こし、充分に読者にとっての価値を高めてから、有料で販売する。従来の書籍が、買わせることを大前提に置いた上で広告を打つことと比べ、ケータイ小説はケータイで行われる無料のプロモーションが前提にある。
2)ターゲットの着眼点
また、ケータイ小説が売れた理由は、それまで簡単には小説を買わなかった層に訴求したことにある。「恋空」を買っていたのは、大部分が女子中高生である。プロの小説は、買うどころか読みもしない層がケータイ小説ならば購入したのだ。
アマチュア作品、特にケータイ小説は、既存の賞制度等で画一化されたプロの作品とは違った毛色を持っている。そのため、既存の作品が取りこぼしている層・既存の作品から離れていった層に新たに訴求する可能性を持つといえる。
3)「小さな物語」の具現化
ケータイ小説の大きな特徴は、自分の体験をベースにしていることだ。この体験が、女子高生にとっての”リアル”感を演出し、彼女たちに中毒的な人気を誇ったと考えられる。
大塚英男らが云うように、戦後「大きな物語」としてのイデオロギーが喪失し、信頼すべき柱が無くなってしまった。次第に人々は信頼出来るものなどないというニヒリズムに陥っていった、というのが現代でしばしば言われることである。
女子高生も例外ではなく、従来の小説などで言われる価値観は、彼女たちにとって信頼に足るものではなく、綺麗事ではないリアリティあるものを求めてきた。
その欲求にフィットしたのが、彼女たちと同じ立場の作者が自身の経験を元に書いたケータイ小説だった。
【ホンヨミ!1105①】頭のいい人の「質問力」と「返事力」【高橋】
『頭のいい人の「質問力」と「返事力」』 和田秀樹(著)
頭がよくないので向上させる意味で読みました。
①答えを求めるだけでは「問題」は見つからない
思考力は答えを求める力だけではなく、問題を見つける力によって鍛えられるものであり、「なぜそうなるのか」という疑問を持ち続けるべきだと云う。「あとで考えよう」とするのではなく、その場でひらめいた疑問を言葉にしてぶつけることでアクティブで積極的な思考法を見つけることができる。
質問を考え付けないということは、思考力がまだまだ低いことを意味していて、「聞きたいことがあるけどなんだか恥ずかしくて聞けない…」よりも恥ずべきことだと思った。伝達者は自分の言いたいことのを100%相手に伝えることはできないからこそ、聞いている側は確認の意味もこめて、自分が受け取った情報の解釈は合っているのか、そして考えをより発展させていく意味で質問することの重要性はとても高い。ゼミの時間でも積極的に的を得た質問をすることができるようになりたいと思った。
②質問の目的は問題を整理すること
「ほんとうにそうなのか?」「それしかないのか?」「これではダメなのか?」などの仮説や提案が問題を整理させながら新しい発想を引き出すと云う。
こうしたある種「疑う」ことをすることであらゆる可能性について考えることを可能にし、考え自体も膨らんでいき、「ありきたり」なものにならない発展的な考えを作り上げていくことができるのではないだろうか。最善だと思って打ち出した計画でも、こうした疑問を投げかけることで意外と穴がみつかることもあるだろう。緻密さをあげていく、独自性を磨く、そういった意味でも特にグループワークの時に質問を出す役割を担ってチームを脱線させすぎない程度に前進させていく役割を担えたらと思う。
③成熟した依存
「自分の足りないもの、できないところを周りの人に助けてもらうと同時に、自分の得意なところは惜しみなく使ってもらう」と、組織の成長について本田宗一郎が語ったことば。これは私たちの人間関係でもいえることであり、理想の姿だと感じた。
もちろん自分に足りないものは最大限の努力をすることが大前提だが、それでもどうしたって敵わないという部分は出てくる。しかし、自分にだって他の人にはない強みを持っている。突出した部分を併せることでより強い力へと発展し、相乗効果を生む。特に集団を考えた場合、補完し合うことがとても重要になると思った。
頭がよくないので向上させる意味で読みました。
①答えを求めるだけでは「問題」は見つからない
思考力は答えを求める力だけではなく、問題を見つける力によって鍛えられるものであり、「なぜそうなるのか」という疑問を持ち続けるべきだと云う。「あとで考えよう」とするのではなく、その場でひらめいた疑問を言葉にしてぶつけることでアクティブで積極的な思考法を見つけることができる。
質問を考え付けないということは、思考力がまだまだ低いことを意味していて、「聞きたいことがあるけどなんだか恥ずかしくて聞けない…」よりも恥ずべきことだと思った。伝達者は自分の言いたいことのを100%相手に伝えることはできないからこそ、聞いている側は確認の意味もこめて、自分が受け取った情報の解釈は合っているのか、そして考えをより発展させていく意味で質問することの重要性はとても高い。ゼミの時間でも積極的に的を得た質問をすることができるようになりたいと思った。
②質問の目的は問題を整理すること
「ほんとうにそうなのか?」「それしかないのか?」「これではダメなのか?」などの仮説や提案が問題を整理させながら新しい発想を引き出すと云う。
こうしたある種「疑う」ことをすることであらゆる可能性について考えることを可能にし、考え自体も膨らんでいき、「ありきたり」なものにならない発展的な考えを作り上げていくことができるのではないだろうか。最善だと思って打ち出した計画でも、こうした疑問を投げかけることで意外と穴がみつかることもあるだろう。緻密さをあげていく、独自性を磨く、そういった意味でも特にグループワークの時に質問を出す役割を担ってチームを脱線させすぎない程度に前進させていく役割を担えたらと思う。
③成熟した依存
「自分の足りないもの、できないところを周りの人に助けてもらうと同時に、自分の得意なところは惜しみなく使ってもらう」と、組織の成長について本田宗一郎が語ったことば。これは私たちの人間関係でもいえることであり、理想の姿だと感じた。
もちろん自分に足りないものは最大限の努力をすることが大前提だが、それでもどうしたって敵わないという部分は出てくる。しかし、自分にだって他の人にはない強みを持っている。突出した部分を併せることでより強い力へと発展し、相乗効果を生む。特に集団を考えた場合、補完し合うことがとても重要になると思った。
2010年11月3日水曜日
【ホンヨミ!1029②】悩む力【高橋】
『悩む力』 姜尚中(著)
「悩むことは良い。しかし迷うな。」
…じゃあ悩むってどんなこと?ということで読んでみた。
<think と know>
情報通は知性なのか?たしかにたくさんの情報が頭に入っていて知っているのは尊敬すべきことだ。しかし、果たして知っているということ自体が知性なのだろうか。
know=information=情報通 ≠ think=intelligence=知性
本著では以上のように述べられている。
情報化社会でネット上であらゆる情報を簡単に得ることができる。与えられた情報だけを鵜呑みにしてただ「知っている」状態。話題がわかるのは素晴らしいことだし、引き出しはたくさんあるにこしたことはない。しかし、本質を知らなかったり、そこから発展させて自分の中に取り込んで考えを発展させたり応用させる力をもたなければただの「知ってるつもり」もしくは「知ったかぶり」になってしまう。
思考力があるかないかで区別できる、小さいようで大きな違いだとハッとさせられた。
<なぜ働くのか>
安直に「お金のため!」と考えていた私だが、突き詰めると深く、コミュニケーションに通ずるものだった。著者曰く、人が働かなければならない理由は「他者からのアテンション」と「他者へのアテンション」が密接に関係しているという。つまり、見知らぬ人が混在する社会で自分の存在を他者から認めてもらうために人は働くのだという。一生遊べるだけのお金がある、食いっぱぐれる心配はないからといって働くのを辞める人はそういないはずだ。何かしら自分の存在理由を確認したくて、他者から存在を認めてほしくて働く。他者から認められることで安心感を得て、自分に自信が持てる。なるほど深い、と思った箇所だった。
<つながり>
人とのつながり方を考えることで「生」と「死」についても考えることに繋がると著者は説いている。相手の存在を認め、自分の存在を認めてもらう。そうすることで自分が自分として生きていける。
「自由」という言葉が先走りしてしまっている現代、自由とされるからこそ生まれる苦悩や孤独感、見えない閉塞感…。たしかに人との付き合い方も自由、死を選ぶのもその人の自由ともいえるが、それは自分以外のことを一切考えていないエゴな考え方に他ならない。人間誰しも一人で生きれるわけがなく、色んな人の力を借りて成長してきたにも関わらず、他者とのつながりを軽視する傾向にあるように思う。「ゆるい」繋がりに危機感を抱かざるを得ない。私自身たしかに人付き合いの煩わしさを感じたりもするし、自分の殻にこもったら楽なのかな、と思うこともあるが、ふと人生振り返ってみたら自分一人の力で成し遂げたことって何一つないんじゃないかなと思う。周りの配慮や刺激があってこその成長だと思うし、もっともっと他人とのつながりを大切にしたいと思った。
「悩むことは良い。しかし迷うな。」
…じゃあ悩むってどんなこと?ということで読んでみた。
<think と know>
情報通は知性なのか?たしかにたくさんの情報が頭に入っていて知っているのは尊敬すべきことだ。しかし、果たして知っているということ自体が知性なのだろうか。
know=information=情報通 ≠ think=intelligence=知性
本著では以上のように述べられている。
情報化社会でネット上であらゆる情報を簡単に得ることができる。与えられた情報だけを鵜呑みにしてただ「知っている」状態。話題がわかるのは素晴らしいことだし、引き出しはたくさんあるにこしたことはない。しかし、本質を知らなかったり、そこから発展させて自分の中に取り込んで考えを発展させたり応用させる力をもたなければただの「知ってるつもり」もしくは「知ったかぶり」になってしまう。
思考力があるかないかで区別できる、小さいようで大きな違いだとハッとさせられた。
<なぜ働くのか>
安直に「お金のため!」と考えていた私だが、突き詰めると深く、コミュニケーションに通ずるものだった。著者曰く、人が働かなければならない理由は「他者からのアテンション」と「他者へのアテンション」が密接に関係しているという。つまり、見知らぬ人が混在する社会で自分の存在を他者から認めてもらうために人は働くのだという。一生遊べるだけのお金がある、食いっぱぐれる心配はないからといって働くのを辞める人はそういないはずだ。何かしら自分の存在理由を確認したくて、他者から存在を認めてほしくて働く。他者から認められることで安心感を得て、自分に自信が持てる。なるほど深い、と思った箇所だった。
<つながり>
人とのつながり方を考えることで「生」と「死」についても考えることに繋がると著者は説いている。相手の存在を認め、自分の存在を認めてもらう。そうすることで自分が自分として生きていける。
「自由」という言葉が先走りしてしまっている現代、自由とされるからこそ生まれる苦悩や孤独感、見えない閉塞感…。たしかに人との付き合い方も自由、死を選ぶのもその人の自由ともいえるが、それは自分以外のことを一切考えていないエゴな考え方に他ならない。人間誰しも一人で生きれるわけがなく、色んな人の力を借りて成長してきたにも関わらず、他者とのつながりを軽視する傾向にあるように思う。「ゆるい」繋がりに危機感を抱かざるを得ない。私自身たしかに人付き合いの煩わしさを感じたりもするし、自分の殻にこもったら楽なのかな、と思うこともあるが、ふと人生振り返ってみたら自分一人の力で成し遂げたことって何一つないんじゃないかなと思う。周りの配慮や刺激があってこその成長だと思うし、もっともっと他人とのつながりを大切にしたいと思った。
1029 Happy Halloween<矢野>
①Presentation Kim2010
スライドを見たらプレゼンを聞いたら「矢野のだ!」と分かるプレゼンにしたい!
強く思ったことでした。WindowsとMacの違いこそあれ皆作っているのは同じソフト。
テーマによって変わるスライドのイメージ。限られたプレゼン時間・・・
そんな中で印象に残る、個性を出したプレゼンを確立できたらいいなと思いました。
例えば、今はゼミが20人程度だからいいけれども果たして発表者が100人いた時に自分のプレゼンはどのくらいの人に覚えてもらえるのか・・・それはもちろん突飛な発表の仕方という意味ではなくて、中身・構成に関しても充実させるということである。プレゼンというのは、ソフトとハード(と呼んでいいのかわからないが)の部分があると思っていて、ソフトというのは話したいこと・収集したデータ・ネタのこと、ハードというのは話し方・スライドのデザイン・演出などのこと(とする)。この両方があって初めて素晴らしいプレゼンになると思う。私が今回発表したのはハードの部分ばかりだった。この部分はうまい人のを真似しやすいし、意識次第で早く身につけることも可能だと思う。ただソフトの部分は練習を積んでいく必要があると思う。プレゼンについて考えていて気づくところがあったのが、私はプレゼンを作るに際して圧倒的に知識収集量が少ないということ。もっとバンナムで言うところの「聞かれたらさっと答えられるリスト」のようなものを常に作っておく必要があるなと感じた。
プレゼンの作り方ってこんなにも人によって様々に工夫されていることを知り、そのひとつひとつを真似したくなった。吉田君の教えてくれた本も読んでみようと思う。次回も楽しみだ。
②論文
このような機会があることは非常にいいなと思った。
5期のためにこれを考えてくださった先輩に感謝。こういうのを5期生が自発的に言ってやるべきだったんだなあと思った。「自発性」というものが、ゼミという場においては求められるんだなあということに今更気づいた。テーマがいくら考えてもなかなか絞れないので、夜な夜な考えてみようと思う。笑
③Halloween
本当に楽しかった!!もっとあのような場がゼミにあっていいんだ、というか必要、と思いました。
是非X'mas Partyもやりましょう。騒ぐの大好き5期生が企画すると思います、いや、しましょう!!
スライドを見たらプレゼンを聞いたら「矢野のだ!」と分かるプレゼンにしたい!
強く思ったことでした。WindowsとMacの違いこそあれ皆作っているのは同じソフト。
テーマによって変わるスライドのイメージ。限られたプレゼン時間・・・
そんな中で印象に残る、個性を出したプレゼンを確立できたらいいなと思いました。
例えば、今はゼミが20人程度だからいいけれども果たして発表者が100人いた時に自分のプレゼンはどのくらいの人に覚えてもらえるのか・・・それはもちろん突飛な発表の仕方という意味ではなくて、中身・構成に関しても充実させるということである。プレゼンというのは、ソフトとハード(と呼んでいいのかわからないが)の部分があると思っていて、ソフトというのは話したいこと・収集したデータ・ネタのこと、ハードというのは話し方・スライドのデザイン・演出などのこと(とする)。この両方があって初めて素晴らしいプレゼンになると思う。私が今回発表したのはハードの部分ばかりだった。この部分はうまい人のを真似しやすいし、意識次第で早く身につけることも可能だと思う。ただソフトの部分は練習を積んでいく必要があると思う。プレゼンについて考えていて気づくところがあったのが、私はプレゼンを作るに際して圧倒的に知識収集量が少ないということ。もっとバンナムで言うところの「聞かれたらさっと答えられるリスト」のようなものを常に作っておく必要があるなと感じた。
プレゼンの作り方ってこんなにも人によって様々に工夫されていることを知り、そのひとつひとつを真似したくなった。吉田君の教えてくれた本も読んでみようと思う。次回も楽しみだ。
②論文
このような機会があることは非常にいいなと思った。
5期のためにこれを考えてくださった先輩に感謝。こういうのを5期生が自発的に言ってやるべきだったんだなあと思った。「自発性」というものが、ゼミという場においては求められるんだなあということに今更気づいた。テーマがいくら考えてもなかなか絞れないので、夜な夜な考えてみようと思う。笑
③Halloween
本当に楽しかった!!もっとあのような場がゼミにあっていいんだ、というか必要、と思いました。
是非X'mas Partyもやりましょう。騒ぐの大好き5期生が企画すると思います、いや、しましょう!!
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