2010年12月30日木曜日

2010年の抱負【吉田】

自我作古

これが自分の2010年の抱負を表す四字熟語です。

「我より古を作す」と読み、元代に編纂された中国の史書『宋史』に出てくる言葉です。「これから自分がなさんとする事は前人未到の新しい分野であるけれども、予想される困難や試練に耐えて開拓に当たる」という意味があります。福澤先生が慶應4年に著した『慶應義塾之記』の中でも、杉田玄白らによるオランダ医学書の翻訳事業を「只管自我作古の業にのみ心を委ね」新しい学問を興したと称え、塾生が模範にすべきものとしています。

来年は留学や学部ゼミ、福澤記念文明塾など新しいことに挑戦していくつもりですが、その枠組みの中に囚われるのではなく、金ゼミ含め様々な資源を組み合わせて新しいものを作り出せる1年にしていきたいと思います。

2010年12月26日日曜日

最後に。

先ほど新代表、副代表がメーリスで発表されました。
高橋さん、齋藤くん、二人の一年間の姿勢があっての結果です。
精一杯、そして楽しんで一年間かけぬけてください。
そして5期生のみんなもそんな二人と一緒に切磋琢磨して新体制のゼミを作っていってください!

2010年最後の、そして4期生最後のゼミを終えてから少しぼーっとしていました。
最後のブログも何度も書こうと思いましたがなかなか何を書いていいものやら、言葉を続けられずにいました。

3期生のプレゼン、それぞれのカラーがばっちり現れたプレゼンでした。長く金ゼミと接してくださった先輩が多い分、ゼミへの愛情と、みなさんそれぞれから良い意味で「自分は金ゼミにこんな跡を残したんだ!」というゼミ生であることの自負が伝わってくる内容でした。常にエゴイスティックでありながら、4年生ということを常に強く自覚されていた先輩方だったなぁと思いました。

5期生の所信表明の時の緊張感。
あの雰囲気は必ず一度は経験するべきものなんだろうなと思いました。
去る挨拶ではなく、自己紹介でもなく、ただただ節目に言葉を述べること。でも、そんなただの中間地点の意思表明にも見えるこの数分をどう使って自分の声で何を伝えるか? ということはとっても大きな意味があると思います。話す2年生は自分の一年間を振り返り、来年のポジションを明確にイメージし、宣言することで自分を戒めたりやる気を奮い立たせたり。そしてそれを受け止める側は、言葉や姿勢や表情全てからその人の本質を見よう!と真剣に耳を傾けます。
自分が聞く側で見ているとそんな”儀式”のようにも見えました。3,4期生はそれをなんとなく肌で感じているからこそ、緊張感ある雰囲気が生まれたのだと思います。形式としてではなくこんな空気は5期生以後も続いていってほしいなと思いました。


そしてそして、最後になりましたが、一年間金ゼミに携わった全てのみなさまにお礼を言いたいです!
ありがとうございました。
目標を立て、リクルーティングをして、5期生を迎え、合宿をして…駆け抜けた一年間でした。
金ゼミは大学の中でも特殊なゼミのような気がします。こんなに自由なゼミはなかなかありません。
だからこそ、いろんなゼミ生が言っていたように金ゼミはどんなカラーにも染まります。
今年一年の金ゼミが何色だったのかみんなのイメージにお任せしますが、一人ひとりが「金ゼミで勉強して良かった! 金ゼミだからこそ良かった! 」と思う瞬間がいっぱいあれば嬉しいです。


最後のプレゼンではごちゃごちゃとメッセージを一方的に伝えてしまいました。
懲りずに今もう一つ追加するなら、「毎回の積み重ね!」という言葉です。これから新体制がスタートします。期間は泣いても笑っても一年間限りです。一年間のゼミ活動も、毎週毎週の積み重ねです。毎週と書くとそれは安定した存在に見えますが、一回一回同じゼミは一つとしてありません。扱う内容はもちろんメンバーそれぞれのやる気も日によって違います。今年のように途中で先生がいなくなることだって、メンバーが辞めてしまうこともあります。だから、当たり前のものだって思わずに一回一回を大切に過ごせるといいな、と思います。(もちろんあまり深く考えなくても一生懸命ベストを尽くせばそれが一番です!)「今度やろう!」ではなくて、「今回やる!」など。言葉で言うほどたやすくないと思うし、私の個人的な来年の目標でもあります。個人の生活にもゼミに向けた姿勢にも共通することだと思ったので、口うるさいことは承知で書かせて頂きました。


最後に、忘年会の写真を載せておきます!
楽しいひと時でした。
最後の写真は、世界にひとつだけの卒業証書と卒業アルバムです。
みんなからのサプライズ企画とメッセージ、本当に本当に嬉しかったです。
今でも一人で眺めてにやにやしています。元気がなくなったときは必ずこれを見るようにします。
あ、お花も部屋のベストポジションに鎮座しています!
ありがとうございました。
メールの返信、少しずつ、でも必ず返します!



4期代表 金光美奈





2010年12月24日金曜日

【1217】ゼミの感想【田島】

・3期生のプレゼン
このゼミに入ったときから、私たちは常に先輩たちから「先輩を闇雲に尊敬するな」と言われてきました。私自身も、仲が良いことは必要ですが、上下関係があるそれだけで盲目的になることは、組織全体としてダメになってしまう危険性があると思っています。しかし、3期の先輩方はゼミの関係性を抜きにしても、人間として尊敬せざるをえない方々ばかりです。どこのコミュニティを見ても、先輩方のように自分に与えた使命を長期的に守り続けたり、とんでもない行動力を持っている人にはなかなか出会えませんでした。本当にいろいろなことを学ばせて頂きました。

・5期所信表明
自分がホワイトボードの前で所信表明をしたのがもう一年前なんだなととても懐かしい気持ちになりました。あの時「自分の中でこのゼミはなんのためにやっているのか?」「どうして続けるのか?」と考えたことが今の自分にとって本当の財産になっています。みんなにとってもこの機会がかけがえのないものになればいいと思います。映像も残ったみたいなので是非見返してみてください。
みんなが話したことをメモにとりましたが、それぞれの話すことが多様で、改めて5期生はそれぞれ自分をもっていて、流されないなと思いました。そのエネルギッシュさが5期生の大きな武器です。さらにそのパワーのままみんなで一つの目標に向かって一丸となれる機会があれば(飲み会以外にも!笑)、どんなにすごいことが起きるんだろうとドキドキします。
「自分がこのゼミからいなくなったらどうなるか?」という質問に「何も変わらない。自分が影響を与えていると言うなんておこがましい」と答えた人もいました。もしかしたら去年の私もそう答えていたかもしれません。けれど5期生には、是非来年はもっと色んな答えを出してくれることを期待したいと思います!ちなみに私も4期に同じ質問をしたんですが、「軌道修正をする人がいなくなる」という答えが返ってきました。私は「周りに影響を与えよう」と思って行動してきたわけじゃなかったけれど、日々「もっとこうしてみたら実はもっとうまくいいくんじゃないか?」とか「忘れてたけどこれについてもう一回話してみよう」と考えていてやっていたことを、ゼミにとって影響を与えていると認めてもらえていたんだと嬉しくなりました。それとは逆に、締切から遅れたりして悪い影響を周りに与えてしまったこともありました。そしてまた、私自身も金光の有言実行する力に影響を受けたり、それ以外のみんなにも大きく影響を受けています。つまり、真摯に向き合っていけば、人は必ず周りに影響を与えるものだと思います。だからこそ、もし自分が組織に何も影響を与えていないと今思っているなら、もっともっと真摯になれる余地があるということだと思います。周りに影響を与えることを恐れず、是非切磋琢磨していってほしいです。

・金光さんプレゼン
本当に金光さんらしいプレゼンだなと思いました。「ベクトルがみんな自分に向いている」「積極的意味と消極的意味」「結果がすべて?」などなど、金光さんは「今までのまとめ」ではなく、今考えていることをプレゼンにしていました。金光さんが金ゼミに入った時、自己紹介には「頭を使ってしわしわの脳みそになりたい」と書いてありました。毎日毎日身の回りのことを目いっぱい集中して自分の頭をアップデートしていっている金光さんは、まさに有言実行と言えると思います。金光さんや高橋さんが凄いのはただ「課題をこなしている」からではなく、「自分でやると決めたことをやる」からではないでしょうか。これが出来る人は実はそう多くはないのではないかと最近思います。このゼミに入って心から尊敬できる友人たちに出会えてよかったです。金光さん、一年間代表本当にお疲れ様でした。

2010年12月21日火曜日

1217ゼミの感想

<3期生プレゼン>
まず、3期生のプレゼンスキルには最後といえ改めて感心させられました。
皆個性的で1つ1つ違ったテレビ番組を見ているような感覚でした。
「今年は4年生の先輩がたくさんゼミに来て下さった」とよく聞きますが、
去年を経験していない私にとっては4年生の先輩がいらっしゃるのが当たり前のことのようで、ゼミでの役割が3年生はゼミの統括、4年生は膨大な知識の持ち主でありそれをゼミに供給してくださる、というイメージがありました。議論を組み立てる力や学ぶ姿勢・システムは頑張れば私たちでも作れるかも知れないけれど、その議論や学びの質を上げていくにはどうしても膨大な知識や経験が必要です。特にそのソフトの面で4年生の先輩方は本当にゼミに貢献してくださっていた(言い回しが上から目線だったらごめんなさい…)と思いますし、4年生あっての今年の金ゼミだったのではないかと思います。
本当にありがとうございました。

<所信表明>
一人も似通ったようなことや、前の人の二番煎じのようなプレゼンがなく(正論を並べがちなプレゼンではよくあることだと思うのですが)、さすが5期生、と思いました。自分のゼミにおけるアイデンティティーの部分で「若さ」と話しましたが、もう一度その言葉を反芻してみた時に、2年生に若さは求められていたかもしれないけれど、3年生にはもはや求められるべきものではない、と考えました。私の意図したいた「若さ」から未熟さや思考の浅さなどというマイナス面を引き算すると何が残るのか…おそらく「イノベーティブであること」「面白そうなことにパッと飛びつける敏捷性」「柔軟性」…そんなところだと思います。夢は大きいですが、まずは自分自身に余裕を作るところからはじめていきたいと思います。
5期全体に話を戻せば、こういった緊張感の中で一人一人が想いを話す貴重な機会でした。気づいたこととしては、私を初めとして皆わりとベクトルを自分に向けてのプレゼンだったかなと思います。特に所信表明の内容が規定されていたわけではなかったからこそ、「金ゼミ」という組織の視点に立った思考というのが(無論私を含めてですが)今の5期生にはもっと必要なのではないかと考えました。ただ、こんなに個性的で自分のこと、想いをきちんと語れる人たちならばきっと“I”を“We”に変えて考えることは容易だと思います。今後今までの4代の先輩方が作ってきてくださった「金ゼミ」に5期生がどんな付加価値を乗せていくことができるのか、今はまだ不安よりワクワクの方が大きいです。

ひとまず2010年のゼミは終わりますが、金光さんをはじめ、ゼミを統括してくださった4期生の先輩、「金ゼミのロールモデル」だった3期生の先輩、いつも楽しい5期の同期、李先生、金先生本当にありがとうございました。先輩方にはは引き続きゼミに足を運んで(よい意味で)ゼミをかき回して頂きたいのでぜひぜひよろしくお願いいたします。

2010年12月20日月曜日

1217ゼミの感想【山本】

・所信表明
1年前、手に汗をかきながら自分の順番を待っていたなということを思い出していました。良い意味でも悪い意味でも、自分が立てた目標に固執しすぎず1年間やってきた気がします。1年前も今も共通して、目一杯好きな事ができて目一杯悩むことができる金ゼミという地盤に心から感謝しています。
“今ある地盤を当たり前のことと思うな”と去年の今頃金先生がおっしゃっていた言葉は、2年生だけでなく3年生であっても当然考えなくてはならないことですが、やはり一番選択肢の幅があるのは2年生のこの時期だと最近改めて実感しています。
5期生のプレゼンを聞いていると、皆さん銘々のスペシャリティを探そうする意気込みが感じられ素晴らしいなと思いますが、3年の秋になると自ずと収束しなくてはいけなくなってしまうので、今はあえて思いっきり興味の幅を拡散してみると良いのじゃないかな、と思ったりもします。組織の中の立ち位置や役割は、自ずと後から付いてくるものだと思います。
来年5期生手動の金ゼミがどうなっていくのか、私はすごく楽しみです。

1217ゼミ感想【斎藤】

今年最後のゼミでしたが、それぞれにとって節目となったと思います。
皆さんそれぞれが自分自信の飾らない言葉でゼミ生に語りかける姿が今回は強く感じられました。それだけ、聞き手もそのメッセージを受け止めようと真剣でした。

僕自身、何を話そうかということを一週間くらい考えていていて、そこからまとめた内容をどういった形で話そうかとなったときに今回はスライドを使わずに口頭にて伝えることにしました。スライドと内容をうまく一致させられなければ、内容がかえって軽くなってしまう可能性があると思ったからです。

その点、三期生の方々は、スライドの使い方がうまかったと思いました。例えば、大賀さんのスライドでの雲の画像の使い方などです。話し手のイメージを聞き手に誤解されることなく理解する手助けの為にスライドがあるのだと再認識しました。また、どなたもスライドを送りつつも聞き手を意識しており2〜3年かけてゼミで培ったプレゼンの技術、つまり、聴衆に語りかける力はさすがだと思います。

話す内容、方法、間の取り方、笑いの入れ方…その一つ一つに個性が現れ、また、その一つ一つが聴衆にとって意味を持つのだと思います。意識して行う動作もあれば、無意識に出てしまう表情、癖もまた個性となっていました。

自分自身について振り返ると、4月に比べて相手に伝える力は確実に付いていると実感しました。今回も、話し始める前には手のひらが汗ばむほど緊張していたのですが、話し始めると何回も聞き手の人と目が合うことがあり、無言の対話となっていた気がして嬉しかったです。

それもひとえに、今年金ゼミで与えられた”人”との出会いによるものだと思います。
始めて会う方に本気で意見をぶつける経験の積み重ねがあってこそ、次第に余裕を身につけられるようになったのだと感じました。

来年度からは後輩が入ってきます。今年はとにかく発言をする事だけを意識していましたが、内容も求められてきます。所信表明では自信の姿勢について話しているひとがほとんどでしたが、研究分野として極めていきたい方向性も述べるべきだったのかなと反省しました。今年はコンテンツ産業についてのテーマを扱うことが多かった気がするのですが、僕自身のひとまずの方向性としては、春休みの間はウィキリークスに関連づけた様々な問題について考えていきたいです。この人はこの分野について語る事ができるという、それぞれの強みを持たなければゼミの中身が薄くなってしまう可能性があるからです。

最後に。
金光さんが代表としての最後のゼミとなりましたが、1年間おつかれさまでした。そして他の4期生の先輩方もおつかれさまでした。
大学のゼミの性質上、リーダーとなった人達が独裁的にものごとを決定することができず、うまく全体を調和させつつ舵取りをするといった点が苦労されたのではないかと思いました。

来年度にむけて考えなければならないのは調和とは何だろうかということではないでしょうか。うまく全員が平均的にまとまっている状態が必ずしもそれを指さないことは言わずもがなです。むしろ、関心、考え方、価値観はバラバラだけど全体として捉えた時にそれなりにまとまっている状態が理想だと感じました。来年は5期個人個人の活動もそれぞれ広がって行くようなので、誰かや何かに依存するのでなくゼミは日常で抱いた関心に関する知識、問題点をアウトプットする場としてゼミを活用したいです。

1217ゼミ感想【岡本】

①3期生によるプレゼン

伝えたいこと、伝える方法、見せ方。すべてが画一的でなく、それぞれの色が強く出ていながらもどれも見ている側を飽きさせない内容で、それは金ゼミの中で自分が思う「正解」をトコトン磨いてきた3期の方々の月日を感じさせるものでした。個人的に一番真似したい生き方と感じたのは菱木さんです。どんな予想外の不幸に出くわしてもそれを「好機」と捉える…文字で書いてしまうとどうも感動が薄れますが、実際のエピソードとともに聞くととてもハードルが高く、またすごく魅力的な生き方だなと感じました。「真似したい」とは書きましたが、これを自分の歩んできた人生と照らして自分なりに内面化したら、どんな化学反応を起こすのかなとワクワクしています。

②所信表明

来年に向けたことだけでなく、今年1年の総括・今考えていること含め発表している人が多く、「綺麗事」に終始しないあたり(所信表明というと得てしてそうなりがちですが)自分が所属する代ながら、さすがと感じました。普段話していても、ゼミに対する考え方についてあそこまで本気で語ることってあまりないので(ゼミについて話すことはもちろん多いのですが、程度問題として)良い機会だったと思います。自分が言ったことを来年のいまごろ「嘘」にしていないためにも、金ゼミに対する取り組み方を見直していこうと改めて感じました。

③金光さんのメッセージ

「金ゼミでしかできないこと」には積極的理由・消極的理由があり、積極的理由にあたることをどんどん考えていってほしい、ということ。来年は5期が6期の範となっていくのだからやるべきことはきちっとやらなければいけないということ、5期生に向けたメッセージ。どれもずっしりと重みのある言葉でした。三田祭でさんざん言われてきた「5期生主導」というのを日々のゼミ運営の中でやっていくんだな、というのを改めて実感した次第です。

「4期生とは違う」とよく言われる5期生。それは5期生の目から見てもなんとなく感じる部分です。4期生の良い部分はもちろん積極的に盗んでいくべきだけれども、では、そんな5期生だからこそ、「4期生とは違ったどんな面白いことを生み出せるのか」。金ゼミの「当たり前」を5期生なりに咀嚼して、それに意味があると感じれば続ければいい、そうでなければ無くせばいい、座りが悪ければ変えればいい。その裁量を握ることの責任の重さ。何が正解か分からないけど、それでも手探りでやっていかなければいけない。4期生も3期生も含め、歴代のどの代でもそこに「恐さ」と同時に「楽しさ」を感じていたのだと思います。と言っても自分自身まだ「恐さ」はなく、受け継がれてきた魅力的なバトンをさらに魅力的なものにして6期生に渡せるよう、「5期生だからこその付加価値」を生み出していくことにひたすらワクワクを感じているのですが。

101217 ゼミの感想【村山】

今回のゼミが今期最後のゼミだと思うと何か感慨深いものがあります。それは、自分がゼミに参加できるのも、もう数えるほどになってしまったからです。その上で、今回のゼミでは先輩達の想いや後輩たちの所信表明を自分の耳で聞く事が出来て、とても嬉しかったです。金ゼミに入ったことは間違いではなかったと確信できました。

先輩たちのお話はどれも魅力的でしたが、その中でも岸本さんのお言葉が一番心に残っています。

「後悔しない人生を送る」

刺さりました。失敗を恐れて、中途半端な事をするくらいなら、失敗してもいいからそのリスクをとって自分の納得できる、満足のできる決断をしていきたい、そう思わされました。これから半年間、色んな決断を迫られることになると思います。それが、自分にとって良い決断であれ、悪い決断であれ。その時に、「あぁ、あの瞬間、こうしとけば良かったな」と思わないで済むような人生を送りたいと思います。後悔するかもしれない位なら、常に全力で、自分のやりたいことを。これは忘れません。

また、後輩達の所信表明もとても心に残っています。それぞれ皆の心に残った言葉をメモしていました。ここでは誰がどうとかの発言は差し控えたいと思いますので、自分の表明をどう思ったのかとか聞きたい人がいれば聞きにきて下さい。ありのままをお話します。

何はともあれ、今年の金ゼミは終わるわけですが、来年また皆さんと笑顔でお会い出来る日を楽しみにしています。

最後に、みな!!代表お疲れ!!!みなの想いは皆に届いていたと思います。またいつでもゼミに来ると良いと思います。院に行っても持ち前の根性と愛嬌でがんばれ^^

2010年12月19日日曜日

ゼミ感想【黄】

①3期生によるプレゼン

皆さんそれぞれの個性を持っている3期生の先輩方!今週のゼミは皆さんどんなプレゼンするのかなー、とかなりワクワクして来ました。そんなワクワクを裏切らないプレゼンでしたね!笑いあり、メッセージあり、学術的内容あり、仏教?ありな時間をありがとうございました。もちろんたくさんメモりましたよ。菱木さんからは、「逆境をチャンスに変えること」、藤田さんからは「空」wwと独特なプレゼン法、大賀さんからは何事も真摯に向かい合う姿勢、小宮さんからは「自分の将来ビジョンを具体的にイメージすること」、岸本さんからは「後悔のない選択」などなど。もちろん他にもたくさんありましたが・・・。本来金ゼミでは4年生はあまり参加されないのが通例と聞いていたので、今年は本当にラッキーだったな、と思います。プレゼン、お疲れ様でした!!

②所信表明
今回の所信表明はすごく悩みました。何をどう言えばいいのか。自分の中でまだ完全にまとまっていない分、皆さんの前で話したとき、予想以上にあたたかく受け止めてくださってすごく有り難かったです。
所信表明でも言いましたが、本当にやってみたい事を見つけました。
それを考えるとワクワクする自分がいます。これを見つけられたのは、金ゼミの土台があったからこそです。今後自分がどうしたいのか、真剣に考えた後決断しようと思います。

③金光さんプレゼン
金光さん、お疲れ様でした!プレゼンを聞きながら代表という役目の大きさ、そしてその責任感と働きに支えられてきたんだな、という事をしみじみ感じました。組織を動かすと言うことは、自分ひとりで動かすこともできないけど、皆の意見ばかり聞いてても先に進まないもの。そのバランスが要になってきますよね。それを金光さんは見事にこなしていたと思います。最後の締めにこうしてプレゼンをする、というスタイルも金ゼミならではのスタイルですよね。でもいいと思います。これからもこういう風に引継ぎが続きますように!!!

2010年12月18日土曜日

今年最後1217ゼミ感想【高橋】

①3期生によるメッセージプレゼンテーション
先輩方が赤裸々にご自身のことについてプレゼンしてくださって、人生経験を踏まえた上でのメッセージはとても心に響きました。頭ではわかっていてもしっくりこない言葉ってあると思うのですが、それが一歩踏み込んだ実体験を絡めて伝えてくださることで「なぜ」という部分がとてもよく伝わりました。まさに磨かれた「伝達力」を感じたのと同時に、先輩方の温かい言葉に励まされました。
機会と変化を大切に、後悔せず、人生のビジョンは明確に持って、臆せず何でも挑戦していく精神。それでも誇りは持っても過信して奢ってはならない。
たくさんのメッセージを受けとることができて、今後の励みになりました。常に肝に銘じていきたいと思うような言葉が盛りだくさんで、今後何かで迷うことがあったときは今一度頂いた言葉を思い出したいと強く思いました。

②5期生所信表明
『仲良いだけは、もう終わり』。まさにそうです。矢野さんも言ってましたが、仲が良いからこそもっと刺激し合ってプラスのスパイラルを築けるポテンシャルはすごくあると思っています。ただのじゃれあいで終わったら負のスパイラルしか生まなくて、せっかく尊敬できる仲間が集まっている場なのにもったいないことになってしまいます。この1年で築き上げた信頼関係を今後もつなげていき、時にはぶつかりながらも上へと向かっていくような関係を一緒に築いていきたいです。その中で未来の後輩6期生も巻き込んで大きな力を育めたらこの上ないと思います。
私は利己の上に利他が成り立っていると思います。「あの人が喜んでくれるなら自分を犠牲にしてもする」というのは一見利他的に思えますが、そうすることで自分が一種の満足感を得ているなら結局は利己でしかなくて、人間は自分がまずあって他人に目を向けることができると思います。あくまで持論ではありますが…。なので、自由と責任の下、私は利己的でありたいと思います。その利己性が結果的に利他性に繋がると信じているからです。

③金光さんによるプレゼン
「理解という名の愛が欲しい。」人にほめられたくて何かを一生懸命やる素直な子ども時代があった一方でいまだにそういう姿勢である自分がいます。それがいいことなのかはさておき、陰ながらの努力って大事だと思います。以前金先生のツイートで、「努力の過程を人に評価してもらおいとは思うな。努力は人に気付かれないように。そして見せるのは結果だけ」という言葉がありました。まさにそうだなと私は思って、高校時代に「ガリ勉」そうに見えない子が学年でトップの点数とっていて天才なのかと思ったら陰ながら見えない努力をすごくしている子だと知る機会があって自分もそうなりたいと憧れたことを思い出しました。過程を評価してもらうのではなくて、結果を評価してもらえる人間でありたいです。
ブログアップは過程でしかなく、結果はゼミの中で現れるもの。褒めて頂けて嬉しかった半面、自分が思う結果にまだ繋げられていないことに改めて自分の甘さを感じました。

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忘年会!+どっきり卒業式
開かれた雰囲気で和やかに、時に激しく行われた忘年会でとても楽しかったです!金光さんが「本当は卒業したかった、袴きたかった」と仰ってる姿に思わず涙がこみ上げてしまいました。それを察しての先輩方のサプライズ企画ぶり、とてもわくわくしました!ゼミという少人数の組織で、楽しいことのみではなくつらいことも共有してきた仲間だからこそできるとても温かいゼミを実感できて、その一員でいられることを嬉しく思いました。
来年からはいよいよ5期生主導になりますが、自分たちが金ゼミにいてよかった!と思うところをしっかりと引き継いでいき、さらなる発展を目指して共に成長していきたいと強く思いました。

1207 ゼミの感想【栫井】

【3期生プレゼン】
去年も今年もぐちゃぐちゃ悩むとき、岸本さんにお話させてもらうことが多かったのですが、よく仰ることが綺麗にまとまっていて、思わずメモりまくってしまいました。
分野を絞らず、いろんな方向に興味を伸ばして、それらをメタな視点から臨む。

さりげなく深くて面白いスライドを挟んでくる菱木さん、愛情溢れる大賀さん、教養あるユーモアをふんだんに使う藤田さん、野心たっぷりで語れるビジョンをしっかり持った小宮さん、何事も妥協しないで本気でぶつかる戸高さん、4年生は本当にキャラが立った人ばかりで、どのプレゼンも飽きずに聞き入りました。

【5期生所信表明】
仲良いだけは、もう終わり。
良い決意の言葉だなあと聞いていました。
しっかり関係を構築出来ている5期生なら、それぞれの強みを活かしたゼミ作りが出来るのではないかと思います。
わたしたちが作ってきた体制の続き、ではなく、新しいゼミをもう一つ作る気持ちで取り組んでください。

【論文完成!】
やっと、論文が書き上がりました。
いろんな方向に振り切りまくって、やっとまとまった論文。
今年はほとんどゼミでの発表が無かったので、代わりに論文ブログを。
http://mitakim.wordpress.com/ (編集者の方のお話など載っているので、そちらに興味がある人にも良いかも)

竹内さんと戸高さんと一緒にやれて、本当に良かったな、と思います。
去年中途半端で放ゼミ気味だったわたしが変わるきっかけになったのが二人だったので。
とはいえ、理解力も知識も努力も足りてなくて、たくさんたくさん迷惑をかけてしまいました。
でも、気づけたこともたくさんあったので、成長のきっかけは数知れずいただきました。
やっぱり戸高さんはすんごく勤勉で周りへの配慮がきちんと出来ていて、竹内さんはわたしの論理崩壊をすぐに見抜いてきっちり指摘して自分なりの考えをはっきり主張出来る。
9月頃から3ヶ月、やってきた中じゃないと得られないものがたくさんありました。
3人で毎週戸高家合宿するのもなくなくと思うと、少し淋しいような。

去年と一昨年と中期論文をやってきて、二つの方法論を経験出来たのかな、と思います。

1.事例をたっくさん見て、とことん分析→フレームワーク
2.本をたくさん読んで、いろんな人の話を聞いて、現状分析と合わせて着目点を絞る→提言

大雑把に分けるとこんな具合。1がぱぴこで2が今年。
今年痛感出来たのが、文献を読むことの大切さ。引用のため・現状分析のためだけではなく、トピックの根底に流れるマインドを理解して身につけるためにも、どれだけたくさん文献を読むかが決め手になる。
マインドを身につけることは本当に大事!それを理解出来ないと設計論は全く手が出せない。だから、作れる人は強い。マインドを理解するのではなくて、元々持っているから。

来年はもう一歩踏み込んだ修論を書きたい。そのためにも、普段からもっともっと文献に触れよう。

2010年12月14日火曜日

ホンヨミ!1217①理解という名の愛がほしい【金光】

『理解という名の愛がほしい』山田ズーニー

この本を読んで思ったことは二つ。
”ベクトルが自分に向いているかそうでないか”と、
”自分の心が感動すること”。

一つ目のベクトルの話。
謝っているはずなのにその人の言葉は自分の言い訳になっていたり自己分析を並べた言葉になっている…とか、
仕事であっても”自分のため”にこなしてしまう人…などの例をあげて、ベクトルが自分のため!!!に向いている人の多いことを指摘していた。
そこではっとした。
””自分のことを理解してほしい!””というエゴを全面に出す自分の中の自分に気付いたから。でもそれは自覚すべきことだけれど恥ずべきことではないと思う。なぜなら誰もがそんな気持ちを持っているから。その証拠に「この話し合いの目標地点は…」とまず明確に決めておく。 「ターゲットは誰なのか」を説くドラッカーの本が売れる。これと自分のゼミでの二年間を振り返ってリンクさせられる!と思ったが、詳しくは今週金曜日のゼミでプレゼンに盛り込みたいと思う。


二つ目の、自分の感動ポイント。
学校に行く電車で読んでいたら思わず涙してしまった。たぶんこの本の伝えようとしている要旨とはずれているが、内容は親子の愛だった。親は子の吐瀉物も汚いと思わない、でも子は親のそれを見て汚いと思う。親から子への愛は子から親へは返せないからこそ、子が大人になって親になり子を育てることで愛をつないでいく。という流れだった。しばらく学生生活が続くことになり、実家で暮らしていて毎日顔を合わせているのにこの個所を読んで涙が出るとは思わなかった。それほど毎日無意識にたっぷりの愛情をもらって生活しているんだな、と思った。感謝しています。

101210 ホンヨミ【ハーバードからの贈り物】【村山】

この本を「お勧めの一冊」に選んだ理由は、ゼミでも言いましたが「人生の教訓を聞く事で読んだ後、幸せな気持ちになれるから」です。これが最大の理由です。少なくとも自分は読了後、「なんて素晴らしい本だったんだろう」と、何度もその内容を反芻していました。

今回紹介させてもらった内容は、沢山ある章の内の一つである「サラの物語」でした。皆さんはいま日常生活を送っていることを当たり前だと思っていませんか。自分は高尚な人間ではないので、自分達が快適な生活を送っている裏で戦争や飢餓で苦しんでいる沢山の人たちがいる、なんて事は言いません。ただ、目の前に居る、あるいは自分の後ろで自分の人生を支えてくれている人たちの存在を当たり前だと思って、居ないものと感じてしまっていませんか。今回、自分がこの章を取り上げた理由は、そういうとても大事だけど中々意識の外に行ってしまう、「他者への感謝の気持ち」を思い出して欲しかったからです。

「夢やプライドなど、可能性にあふれた人生を犠牲にしてまで自分を支えてくれる人がいる」。言葉で言うのもそうですが、文字に起こすと改めて考えさせられるというか、重いなと感じます。幸せを感じながらも、裏切れない、期待に応えたいという感覚でしょうか。確かに、人生を犠牲にとまではいかなくても、私達の生活は知っている人以外にも本当にたくさんの知らない人たちに支えられていると感じる事が最近多いです。駅員さん、郵便局員さん、工事作業をしているおじさんたちなど、挙げたらきりがないですよね。自分はそういう人たちに心の底から「ありがとう」を伝えています。それは、自分の人生を何かしらの形で助けてくれていることに気付いているし、実際に感謝しているからです。そういう風に、色んな人に感謝の気持ちを感じられる様になってから今までよりも人生が楽しくなったというか、明るくなった気がします。

沢山の人へのありがとう=多くの人との出会い。

だからです。全部の章をそのまま吸収する必要はないと思います。ただ、必ず自分の心に刺さる章があるはずです。それを見つけられただけでも、この一冊を読む価値はあるのではないかと思います。

101210 ゼミの感想【村山】

みんな色々と自分の知らない本を紹介してくれたので、とても楽しかったです。

その中で興味を抱いた本は、ゼミの時間中にメディアに取り寄せを行い、今日「本が届きましたよ〜」って連絡を頂いたので、早速明日から読みたいと思います。

その借りた本は、「詭弁論理学」、「だから人は本を読む」の二冊です。

「詭弁論理学」。実は、先週の火曜日に行った学部ゼミの入ゼミ面接で、面接に来た2年生が「最近読んだ本」として挙げていました。その時に、「どんな本なんだろう」と、興味を持って読もうと思っていた矢先に再び出会ったので、さりげなく一瞬、何となくある種の運命を感じていました。議論をしている中で、「何か話が噛み合ないなぁ」とか「相手の言ってる事と、自分が求めている答えが違う」ってことが日常生活の中で結構あるように感じます。もしかしたら、それらが詭弁だったのかな、と思うと妙に納得が出来てしまいました。


次に、「だから人は本を読む」。純粋に読みたい!と思わされた一冊でした。みなが紹介してくれた引用箇所はとても刺激的でありながら、説得力もあったと思います。「本を読まなくても生きていけるけど、人生の質が全く違う。」。その通りだと思います。本当に。自分が読んだ本は、それがどのようなジャンルであれ、いつかどこかで思わぬ形で生きてくる事があります。それは、これまでに読んだ本の知識が自分の中で横断的に結びついたり。はたまた、たまたま出会って話した人と共通の本を読んでいて、事の他話が弾んだりと。本を読むことで自分の人生は大きく変えられると思いました。

余談ですが、自分は以前からどことなく「金光すごい!!」と思っていました。でも最近、そのすごさの源泉というか、根本を目の当たりにした気がして、「なるほど、やはり自分を進化させてくれるのは環境なんだな」と強く感じたことがあります。他にもお勧めの一冊があったら、教えて下さい!

2010年12月13日月曜日

【1210ゼミの感想】自分にとって本とは何か?【田島】

○おすすめの本
多種多様のおススメ本が揃いとても興味深かった。読みたいと思う本がたくさん増えた。新刊は話題になるが、昔に発売された良い本を知ることが出来る機会は多くはないので、とても有意義であったと思う。本はなんのために読むのだろう?先人の蓄えた知識に触れ好奇心の世界に飛び込めるものでもあるし、思考力をつけるためのものでもあると思う。「本」と「経験」どちらが大事なのかと比べたがる人も多いが、どちらも大切なのではないかと思う。人生を進んでいくとき、必ず様々な未知の壁があらわれる。「あの子にチームにもっと積極的に参加してもらうためにはどうしたらいいんだろう?」「自分の考えた企画をもっと上手くプレゼンするにはどうしたらいいんだろう?」「日本の少子高齢化の問題を解決するにはどうしたらいいんだろう?」それは必ずしも悪いものではなく、よりよいものを作り出すために必要な壁であると思う。自分とは異なる考え方や価値観文化、人の思い通りにならない自然や運の力が存在するからこそ、その裏面として壁になるのだ。その壁を自らで乗り越えることが「経験」である。一方「本」には、少なからず著者の考え方が含まれている。「自分のまだ見ぬ思想・知識」である「本」を乗り越える訓練を積むことで、現実においても問題を打開できるのではないだろうか。私は本にはよく書き込みをする。内容の難しい部分は要約して書き残しておいたりするし、「この部分には反対。」「根拠がよくわからない」など批判・疑問も書く。私にとって本とはドリルのような存在である。

おすすめの本プレゼン

2010年のゼミもついに残すところあと1回となっています。
ブログではこうやって一人で「あと何回…」とカウントして盛りあがっていますが、ゼミ当日は毎回毎回一生懸命やりきって同じ大切さで過ごしていけているような気がします。

久々の全員プレゼン。
金先生がアメリカから、全員プレゼンのテーマは”おすすめの本”はどう?
とアドバイスをくださって今回実現しました。

「最近何の本読んでるのー?」
「近頃お勧めの本あったー?」
という会話が去年、ゼミ内でよく飛び交っていた気がします。
興味のある分野なら自分でどんどん新しい本を見つけて読み深められますが、知らない分野(T字の横棒の部分)は異なる趣味や興味を持つ人のお勧めを知ることで広げられるものだな、と感じていました。
今回のプレゼンがそのきっかけになってくれたら!と思います。

個人的な読書としては去年に比べると今年はコンテンツ産業の具体的な話(ビジネスモデル、現在業界が直面している問題を提起してくる本など)についての本の読書量が少なかったと思います。
ゼミで現役生として勉強するうえでは知識があるのとないのとでは吸収量もアウトプットの質も変わるので、もっと積極的に読むべきだったかな、と今反省しています。
知識については質と量の向上をゼミ時間中に求めるものではなく自分の努力で解決するべきだというのが持論なので、ゼミの構成もアウトプットや議論中心に組み立ててきました。入りたての5期生はその分自分のキャッチアップが大変だったかもしれませんが、この体制は6期に対しても続けてほしいと思います。

2010年12月12日日曜日

1210ゼミの感想【吉田】

ゼミ生のみんなの「ぼろぼろになるまで読みたい一冊」を聞いて読みたい本が多く見つかりました。その中でも特に気になったのが以下の三冊です。


『ハーバードからの贈り物』

プレゼンの中で村山先輩が紹介したサラの話の中の「自分のために犠牲になってくれた人がいる。」という一節は、忘れていた周りへの感謝の気持ちを思い出させてくれました。このような素敵な話をもっと読みたいと感じました。まさにクリスマスの贈り物最適な一冊です。

『詭弁論理学』

「健全な判断力を養う」「言葉の意味に注意する」「数字に惑わされない」どれもが今身につけたい力です。金ゼミで「正しい議論」のためにもぜひ読もうと思いました。月曜日早速仮に行きます。

『だから人は本を読む』

「本を読む理由、定義を明確にする本」と金光先輩がおっしゃっていましたが、ホンヨミをさぼり気味の自分に必要な本だと感じました。「人生を厚く深くするために本を読む」。この言葉を胸にホンヨミ来年はもっとホンヨミ頑張ります。

【ホンヨミ1210】経済統計でみる世界経済2000年史【田島】

アンガス・マディソン『経済統計で見る世界経済2000年史』

経済力を図る指標の一つとしてGDPという概念がある。実際に統計としてGDPが算出されるようになったのは1950年代にOECDが初めて以降のことであり、それより以前はGDPのデータは残ってない。(もちろん50年代以後でも東側陣営などのように必要な統計を提出しなかった国もあるし、統計手法も現在よりは劣っていたので、全て確からしい数字が出ているとは言えないが。)数々の学者が50年以前のGDPの推定を行っているが、その中で偉大な功績を遺したと言われているのがアンガス・マディソンである。なんと彼はあらゆる資料を一生をかけて読み漁り、西暦1年から現在までのGDPを推測して算出してしまったのだ。もちろん彼の出した数字は無茶な推測の域を出ないかもしれないが、2000年の人類の発展の様子をイメージするものとして非常に興味深い本である。

特徴的であったポイントをいくつか挙げる。
一つ目は、19世紀から現代にかけての人類の発展は歴史的に見ても特別であったということだ。二つ目は昨今におけるアジアの台頭の目覚ましさである。終戦直後のアジア諸国のGDPは限りなく低く(アフリカ人の中には「昔は日本よりうちの国の方が経済がよかったのに」とぼやく者もいるという)、その後の日本、さらに韓国台湾などのアジアNIESの発展は世界を驚かせた。同じNIESのなかでも、南ヨーロッパや南米諸国がその発展曲線が途中で落ち込んだのに比べ、なぜアジアが発展を遂げたのか、書籍を読んで調べたいと思った。

長期的視野で見ると、経済的支配力を持つ地域、国は時代ごとに次々と移り変わっている。現代においてグローバル化・技術移転等が進みそのスピードはますます加速しているといってよい。目先だけでなく、長期的な視野をもって経済を見る視野を与えてくれる(若干長期的すぎるかもしれないが・・・)学術書の中でも特徴的な本である。

ゼミの感想【栫井】

【オススメの本】
それぞれの選び方・推し方に各自の特徴が顕われていて面白かった。
自分の好きな本をプレゼンするというのは、思ったよりも難しい作業で、自分が読みながら飲み込んだ著者の思いを客観的にプレゼンするのか、それとも主観的に語るのかだけでも大きな違いだ。
わたしはなるべく前者であろうとして、スライド技法もいつもと変えてみたりしたのだが、もっと自分自身の思いを込めてみた方が伝わったかも、とも思ったり。

DAWNもぐっと来た本当にオススメな本なのですが、本当にぼろぼろになるまで読みたい本は、別にあったりします。
不適切かなあと思ったのでさすがに止めましたが;
「春の雪」/三島由紀夫
「豊饒の海」シリーズごと読むと良いと思うのですが、、実に深くて難しくて哲学的な一冊です。中高生の頃から何度も読んでも、全然飲み込めません。計算され尽くした言葉を隅々まで血肉にしてやりたい、と思わされるんですけどね。
本当にぼろぼろになるまで読みたいのは、一生かかって読み解きたい本なのかな、と感じます。
それでいくと、すんごく読みづらい原典たちは、死ぬまでに、出来たら大学生のうちに、目を通しておかなくちゃなりません。

【三田論】
あと一週間、辛いことが多いかと思います。
でももう自分たちの仮説を信じ切るしかないので、突っ走らないと。
「書き切る」体験は、自信になります。たとえ後悔が残っても、それが来年に繋がるように。

【私事】
ただの私事なのですが、ゼミ中にものすごくショックなメールを受け取りました。
そのことで、ゼミの後半気分が優れず態度が悪くなってしまっていました。

誰かの人生は、意外なところでわたしに影響を与えていることは、思ったよりも多いこと、誰かの表現に感動したときは、きちんと伝えないと、後悔すること、痛感しました。

2010年12月11日土曜日

1210ゼミの感想<矢野>

本の紹介プレゼン

李先生のコメントを聞いて初めに思ったのですが、「お勧めの1冊」を一人ずつ紹介していくと、そのコミュニティーがどんなことに関心のあってどんな方面のことを考えている(または考えていない)人の集まりなのかというのがわかるんですね。面白いなと思いました。他のコミュニティーでもやったらまた全然違うものが出てきてそのコミュニティーってものを客観的に見れるんじゃないかと思います。

皆さんが紹介していた本どれも読んでみたくなりました。特に栫井さんの紹介していたDAWNは早く読みたいと思います。dividualismが深そうです。自分が高校生の頃、色々なことを頭だけでうにうにと考えていた時にそういえばこんなことを考えていたなあと思い出したからです。

本を読んだ記録をきちんとつけておくことの大切さも今回のプレゼンで改めて学んだ気がします。最近はブクログなどの便利なツールも増えてきたので活用していこうと思いました。

「国富論」「進化論」原典を読んだことがない大学生(しかも慶應生!)ってなんだか恥ずかしいな、と李先生の話を聞いていてふと思ってしまいました。50年前くらいの大学生だったら当たり前のように読んでいたんじゃないかと思います。春休みなど長期休暇にトライしてみたいです。つまるところ、もしドラを読んで「へぇ」と思うのではなくて、「もしドラはここはいいけどこの部分は本書の良さをもう少し出した方が良かったよね」と言える人間になりたいです。

個人論文
論文の概要として、首尾一貫した道筋、方向性が定まりました。
かなり遅めのペースですが、骨子はしっかり決まったと思うので、これからブレたり立ち戻ったりすることはなさそうです。1週間切りましたが、追い込み頑張りたいと思います。

1210①モードとエロスと資本 金光

モードとエロスと資本 中野香織

最新の事象を扱っており内容も身近で重くなく、一気に読めるので是非読んでほしいと思った。

なんと世界的に有名な企業、事務所において、女性雇用者に対して”女性らしさをいつくしむよう”にヒールに口紅、スカートを推奨したという。これはセックスアピールではなく相手への信頼感を生むためだそうだ。言われてみれば納得するが、そんなことをわざわざ言われなくてもできる女性でありたい。と、今は”女性らしさをいつくしむ”からは程遠い恰好をしている自分を省みて思った。

ファッション界のモードの原動力となっているのは恋愛、しかも反倫理的な恋愛、というのが定説という点には驚いた。さて、今は”モテ服””愛され服”などという異性にアピールできるかのようなキャッチコピーが雑誌をはじめとして世間をにぎわせている。しかしそのようなテイストを取り入れれば取り入れるほど”モテ”や”愛され”とは逆の方向に向かっていくのが真実らしい。彼女たちは自分たち自身の欲求を満たすためにおしゃれをしているのであってそれは必ずしも異性の好みと一致しないため、らしい。カワイイ、エロイもそうである。

と、ここまで読んでもやはり異性にはもてなくても自分が満足する”かわいさ”を求めてしまう自分がいる。
本文中に、「一般におしゃれをするのは、そこまでしないと異性にもてないという心のあらわれ。」とあったが、やはり一番良いのは何を着ていても好きだよと言ってくれる相手を見つけることなのだろうか。

1210ゼミ[矢部]

おすすめの本紹介プレゼン

プレゼンされた本全てに個性があって、面白い本ばかりだなと思いました。金光さんのように本を読んだ後軽くメモしていることはとても良いことだなと思ったのと同時に、なぜ人は本を読むのかという本を読んだ去年からつけ始めたというエピソードを聞いて、とても説得力がありました。メモをつける前にまず、なぜ人は本を読むのかという本を読んでから、本の内容、著者の言いたいことを自分の中にしっかりと落とし込んで、著者の考えているメモをつける理由や意味などすっきりした状態で取り入れていければと思います。

李先生がおっしゃっていたことにもありましたが、確かに学生のうちということもそうですし、ある分野の本質を理解するということは、何においても重要だと思います。李先生の考えている本質である進化論や国富論などの起源にあたるものや様々な時間軸における社会問題(過去、今、未来において自分の周りで何が起きているかということ)を考えるという意味での本質も重要だと思います。

岸本さんのおっしゃってた「過去から見た未来」という発想は、共感すると共に興味深いと感じました。

2010年12月10日金曜日

1210ゼミの感想【高橋】

各々の嗜好が反映されていてプレゼンを聴いていて楽しかったです。
オススメの本はどれも面白そうなものばかりで、取り寄せたりメディアで借りるのが楽しみです。本貸出争奪戦に負けないようにしたいところです。口コミをよく参考にする性質なので今回このようにオススメ本を教えて頂けて助かりました。「あたり」本のにおいがぷんぷんしてます。

個人的にプレゼン中一番印象に残ったのが、岸本さんがいってらした「昔の人が抱いた未来に興味がある」という言葉。昔の人が技術の発達をみこして描いた未来像はどのようなものなのか。果たして現代と比べてどう違っていて、どう的中しているのか。それを考えることで新しいヒントが隠されているかもしれないし、逆に先人たちから学ぶ新たな視点を養うことが出来ると思い共感しました。

そして、大関さんの『二十歳のころ』について。今年の初めに二十歳になった私はまさに今がその「二十歳のころ」で、もし仮に自分が数十年後同じようにインタビューされたらどう答えることができるか考えるきっかけになりました。自分のやりたいことに打ち込める大事な時期、もっと貪欲により充実した日々を過ごすことによってさらなる自分の成長につなげたいと身の引きしまる思いがしました。

【1210ゼミの感想】読書の冬~春【長澤】

【私のおすすめの本】

早退してしまったので途中までしか聞くことが出来ませんでしたが、それぞれ紹介する本が全く異なったジャンルのもので、聞いていてとても興味深かったです。
ホンヨミ!以外では小説やエッセー、歴史・考古関係の本くらいしか読まないので、みなさんが紹介して下さったような本は私にとっては新鮮でした。
どうしても好きなものにばかり手を出してしまうので、この機会にみなさんが紹介して下さった本を読んでみようと思います。
冬休みは2週間しかありませんが、学校が始まってもすぐに春休みになるので、“向上心を持って”長期のお休みの間に様々なジャンルの本を読むようにしたいです。

【ホンヨミ!1210①】儲かる会社の作り方【吉田】

『儲かる会社の作り方』堀江貴文著

本書を初めて読んだのは中学生の時で、その時はただの起業本として捉えていました。最近読み返してみると、組織のあり方について考えさせられる本だと感じました。同著者の本を数多く読んできたのですが、その考え方が最も良く表れている本だと思います。

本書の中でも特に印象に残っているフレーズは以下の3つです。

①新しいマーケットについて

無人の荒野を見て
「ここには誰もいないから商売にならない」
と思ってしまうのか。それとも、
「誰もいないからこそ、無限の可能性がある」
と考えるのか。その違いは大きいと思う。

②営業について

営業のメリットは、顧客やユーザーが
自社製品の対してどんな感想を持ち、
どの部分に不満を感じているのか
といった反応がダイレクトに返ってくること

②仲間について

社長と創業メンバーは一心同体ではない。
大学のサークル風に会社を始めると(中略)失敗の元になる。

また本書を読んで、堀江貴文さん本人に対する考察をしました。そこで感じたのは、堀江さんは素晴らしい「起業家」ですが、「経営者」としては起業家としての良さが逆にマイナスに働いたのではないかと感じました。

起業家として良さである「鋭い洞察」「冷静な判断」「挑戦への情熱」が、経営者としては「才能への自惚れ」「思いやりのなさ」「認識の甘さ」になって現れたのではないかと考えました。

詳しくは本日のプレゼンで。

いろいろな意味で起業に興味を持つ人におすすめしたい一冊です。

【ホンヨミ!1210①】誰がテレビをつまらなくしたのか【長澤】

『誰がテレビをつまらなくしたのか』 立元幸治 PHP新書

インターネットを利用する人が増える一方で、テレビの視聴時間が減ってきている。
原因は“テレビがつまらないから”だろうか?
そうだとしたら、何故つまらなくなったのだろうか?

この著書は初版が2005年なので、過去から今現在を未来として予測した本である。

確かに、私も昔に比べてテレビを見なくなった。
もともとテレビをそれほど見ない家庭で育ったが、それにしても小さい頃はアニメやNHK教育テレビなどを見ていた。
最近では、1日に30分もテレビを見ない。
私がテレビを見ない理由としては、“面白いと思わない”というのが一番だ。
また毎日チャンネルを回してみても、同じような番組ばかりであると感じてしまうからだ。
同じようなタレントや芸人が出てきて、騒いでいるようなイメージである。

この著書でも「テレビと品性」の問題が取り上げられている。
お笑い番組や大食い番組のような、品性の無い番組が増えているのではないか。
最近では食べ物を粗末にしてはいけない、というところから大食い番組はかなり少なくなった。

また、テレビを見ている人に「感動」や「面白さ」を押しつけているようにも感じる。
視聴者よりも出演者が楽しんでいるのではないか。
出演者たちが楽しそうにわいわい騒いでいるが、見ている側としては、何が面白いのか全く伝わってこない。

この著書に掲載されている視聴者の声にこんなものがあった。
「かつてNHKは、私にとって信頼であり、感動であり、安らぎであった。正しい日本語で、確かな情報源で届くニュース。静かで感動的なドラマ。淡々と描くドキュメンタリー。押しつけがましくない娯楽番組。どれも余計な演出がなく安心して見られた。全分野の番組に品格があったのだ」
私もまさしく同じことを感じていた。
騒がしく品の無い民放の番組に比べて、NHKは安心して見ることが出来る。
だが、そのNHKまでもが最近では民放化してきているように感じられる。

どんどんテレビを見る人が減ってきている中、このようなテレビ番組の質の低下・マンネリ化が進めば、より一層視聴者は減るだろう。
視聴者のテレビ離れを防ぐためには、新たな技術を導入することも大切かも知れないが、まずは番組の質の向上・多様化を考えるべきではないだろうか。
もし私がテレビ局の職員だったら、少なくともそこから手をつけるだろう。

ホンヨミ② 「話を聞かない男、地図が読めない女」

「話を聞かない男、地図が読めない女」 男脳・女脳が「謎」を解く/アラン ピーズ

①男と女は脳の中まで全然違う!
例えば、男女が一日に発するコミュニケーションメッセージの回数。
1日平均         女性      男性
発する単語      6000-8000語  2000-4000語
言葉でない声や音   2000-3000語  1000-2000語
ボディランゲージ   8000-一万回  2000-3000回

メッセージ合計    2万回     7000回
数値からしても女性と男性との差がかなり歴然としている。本書では、このように女性の方が3倍もコミュニケーションに熱心である事からこれが男女のすれ違いの主な原因であるらしい。
②メッセージ内容
上記のように、男性と女性ではコミュニケーションの量が明らかに違う。しかし、その内容までもどうやら大きく異なっているらしい。
男性は、主に問題解決の為のメッセージが中心である一方、女性は他者との交流そのものをコミュニケーションの目的としている。だから女性は結論もないような一日の話をダラダラと話すのを好むし、男性はそれを苦手とするのだ。

③科学的根拠
確かに、本書は面白い。しかし、ふと思うのは、これらの科学的根拠があまり明確でない事。よく言えば、よく観察し、男女の違いを説明してるが、一方で、かなりコモンな事例を乱立させ強引に説明している節がなくもない。脳神経にホルモン?をふりかけると男(女)脳になるって・・・えー?みたいな・・・・。 

ホンヨミ①【黄】「ダイヤモンドより平和が欲しい」

「ダイヤモンドより平和が欲しい」後藤健二著

①4つのC
ダイヤモンドの価値を決める4つのCがある。Color(色)、Cut(カット)、Clarity(透明度)、Carat(カラット)・・・・・しかしそこにはもう一つのCがある。Conflict(紛争)だ。シリオネアのダイヤは、国に文明、平和、安定をもたらしたのではなく、紛争、苦痛、恐怖、そして貧困をもたらしたのだった。戦争にはお金が必要不可欠だ。そして、そのお金さえ手に入れば戦争は続く。ダイヤはその大きな供給源として働き、その利潤を奪い合う戦争を長期化させた。

②子供兵士
戦争の長期化は兵士不足を招いた。そこで人数を確保するためにとられた手段。それが子供兵士だった。無力な子供達は誘拐されたり、脅されたりしながら軍人になる事を強要された。武器を持たせずにスパイにしたり、あるいは身体が小さく動きが速い事から戦闘の最前線に送られるなど大人のエゴのコ駒として扱われた。Blood Diamondという映画をご存知だろうか?2007年にレオナルド・ディカプリオ主演で公開された映画だ。この映画もまさにシリオネアの闇のダイヤモンドの実態を再現した映画だった。そこで今も記憶に残るのがつぶらな瞳の幼い子供達が表情一つ変えず行う残虐行為だった事を今でも覚えている。

③復帰
元子供兵士達は戦闘から離れ、社会復帰しようと努力している。社会復帰だけでもそうとう大変なのに、彼らはさらに被害者達からの恨みも一身に背負わなくてはならない身なのだ。底のない暗闇からやっと抜け出したと思った彼らを待ち受けていたのは、先の見えない復帰活動だった。

2010年12月9日木曜日

【ホンヨミ!1210②】トリプルメディアマーケティング【高橋】

『トリプルメディアマーケティング~ソーシャルメディア、自社メディア、広告の連携戦略』 横山隆治(著)

読みやすい、面白い、わりと新しい(2010年7月刊行)。おすすめです。

①トリプルメディア
買うメディア、所有する(自社)メディア、ソーシャルメディアの3つを指すことば。これらを巧みに連携させてマーケティング活動全体をデザインすることが求められている。消費者インサイトが重要となるなか、特にソーシャルメディアの出現によって「関わり」「絆」「評判」というサイクルが出来上がった。より身近に消費者を感じられるシステムになっている一方で、広告というものにもはや見向きもしなくなってきているのが現状としてある。その課題を解決するために広告をだす側はいかにして消費者を巻き込んで「おしつけがましくない」宣伝活動を行うことができるかが試されている。

②行動ターゲティングとリターゲティング
ユーザーの興味関心を特定し、対象者だけに広告を配信する仕組み。関連情報しか得られないのではないかと思う一方で、COACHのPOPPYがブレイクしたきっかけがCOACHファン限定先行配信情報があったことが一つの要因だとされていることに気付き、ファンだけが得られる「優越感」を敢えて味わせるということも手段となりうるのかと思った。そこでリターゲティング(再訪問)を促す手法)につなげることも十分に考えられるだろう。

③自分事化・仲間事化・社会事化
自分のための情報だと思わせることが「自分事化」、社会の一員である、あるいは属したいと思わせるのが「社会事化」、自分たちのための情報であったりその仲間に入りたいと思わせのが「仲間事化」。
すべての項目をクリアしてはじめてソーシャル性を生む大きな印象を与えることができ、メッセージ性の強いものにすることができる。そのアイディアたる解決策はまだまだ発展途上の段階である。しかし、そうやって社会が連携していく流れの手助けを企業を利益と併せて追求できたら面白いと思った。

【ホンヨミ!1210①】Webマーケティング/広告戦略のセオリー【高橋】

『Webマーケティング/広告戦略のセオリー』 Catherine Seda(著)森本 眞吾(訳)住 太陽(監訳)
Webプロフェッショナルのための黄金則
SEO・ソーシャルメディアやブログからメールアフェリエイト・PPC・コミュニティ・のビジネス活用

タイトルの惹かれて借りたら結構技術的なことがかかれていて後ずさりしてしまいそうになりましたが、企業側のWebマーケティングについて読めて新鮮でした。デジタル展開する経営者が読むのに最適な本だと思います。

①コーズマーケティング
コーズマーケティングとは、営利企業が非営利団体を何らかの形で支え、そのような活動を支持していることをマーケティング上の優位点とするもの。コミュニティに参加するため、そしてマーケターがコミュニティに貢献するための方法としてとられる。
これはCSR(企業の社会的責任)に通ずるものがあると思った。非営利団体は財政的支援を受けられる一方で、営利企業は社会貢献といったプラスイメージを消費者にもってもらうことができて、認知度・好感度に繋げることができる。企業イメージが高ければ、競合他社に差をつけることができる可能性が高い。Web上では十分にまだ行われていないとされているコーズマーケティング。Web進出がどんどん進んでより消費者とのインタラクションが活かせる日が来るのではないだろうか。

②行動ターゲティング
行動ターゲティングとは、Web上での行動の履歴に基づいて広告を表示すること。
プラス面:関連情報を探していた人々に対して、その内容とは関係のないサイトまたはブログにいる時にも広告を表示できること。
マイナス面:潜在的な不正確さとプライバシーに対する懸念。
まさに個人論文に通ずるとこだが、読んでいて考えたことは関連情報だけで私たちは満足するのだろうか、ということ。まったく関係ない広告だけど目にしたとき気になるきっかけづくりになることだってある。また、関連情報を探していると予見することはその正確さに疑問を抱かずにはいられない。
行動ターゲティングは一見win-winのように見えて、いくら広告といえども視野を狭めてしまいことを誘因しかねないだろうか。

③偶発的なマーケティングの可能性
カスタマーレビューは検索結果での見つけやすさに貢献し得る。検索エンジンが見つけ、Web世界全体に露出することを想定した上でレビューを書くとこで間接的に宣伝につなげることができ、口コミの先駆けとなれるかもしれない。自己宣伝はすべきではないが、上手く実行できたら一つの宣伝の機会にすることができる。マーケティングを意図してレビューを書いたわけではなくても結果的にマーケティングに繋がればそれは「偶発的なマーケティング」なのである。

1203ゼミの感想 【吉田】

●加藤さん来ゼミ
加藤さんのお話を聞いて考えたことは以下の通りです。

①日本は中国より閉鎖的か

今回のゼミの中で、加藤さんが冒頭におっしゃっていた日中両国の閉鎖性の問題が特に印象に残った。加藤さんの「日本の方が中国より閉鎖的」という発言に対してゼミ生や金先生から多くの意見や反論が出たが、私は「閉鎖的」という言葉の定義が両者の間で異なると感じた。「閉鎖的」という言葉で、ゼミ生・先生が「政府による抑圧」がある状態(言論統制や官製ナショナリズム)をさしたのに対し、加藤さんは「空気」に代表される目に見えない「慣習による抑圧」をさしていた。それは単純な言葉の行き違いではなく、生活している環境から来る着眼点の違いであるのではないかと考えた。

②着眼点の違い

私たちが住む日本は、世界基準で見れば「自由」と「民主主義」が一応最も進んでいる国の部類に入る。生まれてからずっとこのような環境にいる人にとって、「自由」と「民主」は最も「基本的」な権利であり、それがないところは暗黒な世界であると考えている人も多い。しかし、そのような「基本的」な権利ですら「政府による制限」を受けている国は、決して絶望が支配するような暗黒の世界ではなく、人々は制限の中での最大限自由でいようと努力している。抑圧的のある国にいるからこそ、人々は可能な限り自身の境遇を変えるようなりふり構わず努力している。そして、自分たちが持っていない外部のものを進んで受け入れようとする、そのことを加藤さんは「オープン」と表現したのではないだろうか。逆に加藤さんみたいに「政府による抑圧」のある国に住んでいる人だからこそ、そのような物理的な障壁がない日本において、人々が積極的に行動しないという現状に強い違和感を感じたのではないだろうか。そして、「慣習による抑圧」という潜在的な障壁の存在のだろう。
コミュニケーションを行うには相手の住む世界を想像する力が必要なのだと改めて感じた出来事であった。

③肉食であれ

加藤さんのお話を聞いて一番強く感じたの自分がまだまだ「肉食」ではないこと。帰り道加藤さんから人脈
構築術について教えてもらったが、自分からもっと攻めて行けば、新しい世界が開ける改めて感じた。
これを機に自分の日々の姿勢について改めて考えさせられた。


●インタビュー
ゼミの後、以前インターンをしていた議員事務所の学生勉強会の忘年会に取材に行きました。
代議士本人や秘書にインタビューを行ったところ以下のことが分かりました。

①選挙期間中のインターネット利用の解禁について

解禁については既に民主党内及び与野党間の合意ができており、来年の4月の統一地方選に間に合うような形で公職選挙法の改正が行われる可能性が高いとのお話を伺った。その一方で、現在のねじれ国会の中で公選法改正が取引材料として使われる可能性が高く、また予算や不信任案などより重要度の高い事案の審理のために、公選法改正が時間切れで審議されない可能性もあるとの指摘も受けた。

②議員事務所のソーシャルメディアキャンペーンへの関心度

関心はあるようだったが、情報の伝わり方を完全に管理できないことへの心配もあって導入にはあまり積極的出ない印象を受けた。双方向のソーシャルメディアの有用性に対する認識がまだ低く、情報の内容を管理できるホームページなどの一方通行のメディアで十分という意識が強いように感じられた。2008年大統領選挙でオバマが行ったようなようなキャンペーンは、政治関心が低く、地域的団体のパックアップによって選挙活動を行う日本では厳しいとの指摘を受けた。

③若い世代の政治的関心について

若い世代の政治的関心が低いとの指摘を受けることが多いが、一議員の勉強会に30人を超える学生が集まったことなどをみると政治関心を持つ学生は世間の認識よりも多いように感じられた。若い世代が政治参加する方法を提示することができれば、より多くの人が参加すると思う。

2010年12月7日火曜日

1203ゼミの感想 田島

(ゲストスピーカー加藤さん)
常にぐるぐる頭を回すことが必要とされ、大変刺激になりました。中国(外国)と日本、本当はどっちが閉塞的か?というテーマは特に興味深かったです。私は、日本は組織的であることがいいことだという強迫観念が強すぎるのではないかと思います。だからみな和を尊んで行動し、企業に就職しにくくなった今、学生は失敗すればまるでこの世の終わりを向かえるかのような焦燥感に苛まれています。組織に頼らず個人として自立した成功モデルがもっと一般化することで、日本人の閉塞感は変わっていくのではないでしょうか?
来て頂き本当にありがとうございました!!

(NC)
議論をするとき、課題設定を厳格にし、それをしっかり示すことができるともっと良かったかなと思いました。長澤さんは今回声も出なくて悔しい思いをしたと思うので、是非これからもっと良いものを目指してほしいなと思いました。
次世代テレビに関してですが、私にはやはりテレビがアマチュアコンテンツの集積地になるという未来は考えにくいと思いました。テレビ放送には規制のもとに公共性が保たれており、アマチュアも入れてしまうとテレビという視聴スタイルのブランドが地盤沈下してしまうのではないでしょうか?

2010年12月6日月曜日

【1203】ゼミの感想【山本】

・NC
次世代テレビに関して、今まで気になってはいたものの全く知識がなかったのでとても勉強になりました。
今回は、「次世代テレビは普及するのか」といったフェーズに終止してしまいましたが、実際どのようなコンテンツが適切であるかなどの議論もいつかしてみたいなと思いました。
テレビやカーナビなど様々なソーシャル家電が普及していますが、家電はどこまでソーシャル化するのかといったことも気になります。
また、議論の仕方ですが、今回の議論では“既存のコンテンツか、アマチュア作品なのか”“課金なのか無料なのか”“現在の状況なのか理想の状況なのか”といった様々な要素が曖昧に議論されている節がありました。より構造化して議論することで、より生産的に様々な議論を繰り広げることができるのではないかな、と思いました。

2010年12月5日日曜日

あと3回を過ぎ…

金ゼミも今回を含めてあと三回です。
カウントダウンができる数になってから気合を入れなおすのではなく、毎回毎回を新たな気持ちで緊張感を持って臨もう、と心に思ってはや約一年。
残り二回もさらなる充実を求めたいと思います。


タイムプレッシャー
ゲストに加藤嘉一さんをお迎えしました。
事前情報と実際の印象がこんなにギャップがある人は初めて、というくらいの驚きを感じました。それほど、自分の考えを”生きた”言葉としてエネルギッシュに全身を使って発信をしているような印象を受けました。でも自分だけ話し続けるのではなくて周りも巻き込み、話も聞き、ゼミ全体が”加藤ムード”に巻き込まれました。戸惑うゼミ生もいるように見えましたが、私は、この雰囲気にのってみよう!と思わされました。早口でどんどん次へ話題が転換するのでいつもの何倍もの速さで自分の考えや疑問点をまとめました。大変にも思いましたがそれでも必死に食らいつこうとすることで疑問がどんどん生まれました。タイムプレッシャーによってかえって集中して思考できたし、発言しようと積極的になれたし、はやい 分同じ時間でも物理的に多くの情報に触れることができました。のらりくらりとやるよりも集中して自分を追い込むことのパワーを知りました。

知識関心の幅
加藤さんはどんな質問でもいい、どんな内容の意見でもいいとゼミ生に話しかけました。何に対しても広く関心を持ちそれらに対して自分オリジナルな意見を持つこと。私の今の課題でもあります。

面接とは・・・
余談ですが、今日はメディアコムの面接官をしました。
受験者のみなさん、運営に携わったみなさま、お疲れ様でした。
面接で評価する側の経験は、とても勉強になりました。面接をしながら自分が感じた点はメモしました。ここに書くことは控えますが、興味のある人は声をかけてください。

【1203】ゼミの感想【栫井】

【ゲストスピーカー・加藤さん】
非常にエネルギッシュな方で、その場その場を勝負として捉えていらっしゃるように感じた。
ゼミの場に対し、招待客のお話ではなくフラットなディスカッションを求めてくださっていて、良い緊張感が生まれていた。

中国の学生は、政治に興味を持っている訳ではないけれど、政治について熱く議論する。しかもTwitterなどインターネットサービス上で。
基本的に議論の場とはなりにくいと云われるインターネット。正直、Twitterでまで興味の無いジャンルで議論するとは、中国の学生はよほど議論好きなのだろうなと感じました。
わたし自身、Twitterでは選択同期的に好きな話題に対してゆるくレスポンスすることを好みますが、それを議論とは呼べないですよね。

政治に関しては、わたしの無知ぶりは度を越えているので議論は出来ません。でも、研究分野や興味範囲に関しては、顔を合わせればずっと議論し続けるような コミュニティは持っています。日本の学生は恥ずかしくて議論を口にしないのではなく、興味があることに対してはとことん議論出来る人は多いんじゃないかと 感じます。特に興味がニッチに細分化している今、議論も狭く濃いものになっているのではないかと。議論は手段なので、それで良いんじゃないかなと思ってい ます。
更に言うと、政治も手段な訳で。管さんありきで考えるから、下らない発言問題がクローズアップされる。自分の関わる分野があって、それに関する政策について議論するのが健全なんじゃないかと思います。だからトピックで語るニコ生などの姿は好きです。
もし日本の若者が議論出来ないなら、それはそもそも、強い興味を持っていないことが問題なのではないかと思います。例えば、しゅーかつに追われて好きな研究が出来なかったり。安定思考で必要最低限のことだけを望んでいたり。
その上で、他国に負けないような議論力を付けられたら、国際社会でも日本は生き抜けるのではないでしょうか。とは言っても、他国・自国とか政治的に考えるのは好きではないのですけれど。

【NC・次世代テレビ】
ウェブ時代において、既存のメディアがどのように形を変えていくのか。
とても面白いテーマ設定だったと思います。
今は分離しているパソコンとテレビが融合するとき何が起こるのか。
興味のある分野とリンクしている話だったので、場の空気を読まずに向かいました。
ただ、個人的に次世代放送の在り方について考えてしまっていたので、少しずれてしまったのかなと反省です。

今回強く感じたのは、議論をファシリテーションするときに大事なことは、「何について、議論しているのか」を明確にしてやること。
そしてそれを、自分の言葉で説明すること。
当たり前のようでなかなか難しいことだと思います。
今回のNCは、人数が少なかったり先生がいらっしゃらないこともあってか、全員が参加しているNCだったように感じました。このくらいカオスな方が面白いのかもな、と思ったり。

【メディアコム試験】
今日は入所試験でした。わたしは先生の下で金光さんと一緒に面接官をやらせていただいたのですが、とても面白くて貴重な経験でした。
人に自分の思いを伝えるということ。
抽象的な話は綺麗だけれど、響かない。
就職活動を前に、自分の問題意識をもっと明確に、具体的に語れるようにならなくてはと実が引き締まる思いでした。

2010年12月4日土曜日

【ホンヨミ1203】シティズンシップの教育思想【田島】

『シティズンシップの教育思想』 小玉重夫

あなたは、「学校の先生」という存在をどうとらえますか?先生には何が必要だと思いますか?

 専門的で思想的な偏りのない知識と言う人もいるし、金八先生のような大人の見本としての道徳観や指導能力を求める人もいる。あるいは、その両方だろうか。「教育とは家庭・学校・地域の三つの場で行われるもの」とされているが、核家族化や地域のつながりの消滅によって、学校が子どもの経験するほぼ唯一の集団生活の場になりつつある。「知識の教授」に加えて「社会人の育成」など、教員は社会に多くの役割を期待されている。
 本書は、なんと古くは古代ギリシャのソクラテスから現代に至るまで、「先生のポジション」がどう変遷していったかをまとめた本である。非常にわかりやすい文章でするする面白く読めるようにまとめてあるので、教育学に興味がない人でもまったく問題ないだろう。
 特に興味深い部分は高度経済成長期→バブル崩壊→現代に至るまでのポジションの変遷の分析である。教育には生徒のモチベーションを上げるために「勉強した先にあるもの」が必要となってくる。具体的には、「勉強したらいい就職ができる」といったようなユートピアである。しかしバブルがはじけて日本の雇用が悪化するとそのユートピアが消失し、教員は「学校教育の無力さを自覚しながらも、生徒の前ではその正統性を主張しなければいけない」というシニシズムに陥ることになる。経済状況と学校教育の在り方は、関連ない風を装っているが実は深い相関関係にあるということがとても興味深かった。最近議論されている「就活長期化問題」もそれが顕在化した一例であると言っていいだろう。

1203 ゼミの感想 【矢野】

<ゲストスピーカー加藤さん>
議論の仕方についてだが、次から次へと目まぐるしく話題が変わり話者が変わり抑揚もついて面白い議論だった。(吉田君の仕切りも非常にナイスでしたが)加藤さんはこれがもはやグローバルスタンダード的なことをおっしゃっていた。とにかく他人を差し置いてでも自分の主張ができなければダメ、これぞ本当にvoice or die の世界だ。私はこういうマシンガン的に自分の考えていることをどんどん口に出すのは性格的にも得意な方なのだが、最近は議題に対して逸れたこと、論理性に欠けることまで平気で垂れ流すのならば黙っていようという思考が強かったので、今日は少し困ってしまった。あのスピードで論理性のあり、かつ皆が発言する中で人の頭に残るような質問や発言ができなければこれからのグローバル社会の中でだめなんだな、と感じた。去年自分が参加した国際会議で中国の学生がガンガン手を挙げて発言していたことを思い出した。
また、若者と政治の件については非常に考えさせられた。ここまで個人的な情報発信(しかもある程度の母体数にアプローチできる)が許容され、ツールが誰の身近にも転がっている時代なのに、日本人は意見交換の場所としてはあまりそれらを活用できていない感があった。また、政治に傾倒することが完全に怪しい、変な人、分かり得ない人のようなイメージが先行していている。これだけ政治と若者を繋ぐインフラ(Twitter)はできているのだから、お互いに歩み寄る工夫が必要だと思った。


<次世代テレビ>
結局テレビとPCの違いはハード面なのでは?と感じてしまった。見え方とか画質とか。
ただ、テレビという少しOfficilaなところに持っていくだけで課金が変わるかもしれないというのは非常に魅力的だと思った。

ゼミ感想 1203 【黄】

①加藤さん

エネルギッシュ、気さく、目力!これが私が加藤さんに対して抱いた第一印象だった。めまぐるしく変わる論点と、鋭い指摘ににつつまれたディスカッションの場には、普段とまた一味違うワクワクがあった。

「中国とは・・・」と一味でくくるのが何故ナンセンスなのか。日本で放送されている姿と中国の本当の姿はどれくらいギャップがあるのか。また、日本のほうがよっぽど閉塞感があるという話。話を聞きながら、ふと、自分が日韓関係で感じているギャップと似ていると思った。
「韓国人は・・・・」とくくる事はできないし、日韓の中でたくさんのギャップを感じる。結局、日韓、日中、そのどの国においても他国の人がその国を完全なギャップなしに理解するのは不可能なんだろう。じゃあ、それはそのまま放置していいのか?それは違う。加藤さんがおっしゃっていたように積極的に海外に出て、様々な価値観に触れ、自身の母国を客観的に見つめながら、そのギャップは縮めていくべきだろう。

それからもうひとつ。改めて再確認したのは、自分のやりたいものが見えている人はキラキラしているという事。自分の道を見つけよう!自分の好きなことを・・・

②次世代テレビ
結局インターネットとテレビが融合されるもの。たしかにハード面において、パソコンの画像がテレビのきれいな画面で見れるというメリットは大きいのかも・・・。でも、どうなんだろうな?と思う。なぜなら自分が欲しくて買う姿が想像がつかないからだ。これからの課題をどう解決していくのか注目していきたい。

1203ゼミの感想【高橋】

①Guest Speaker: 加藤嘉一氏
中国語もできない、中国に知り合いもいない、中国の通貨さえ持っていない。そういったまさに0からのスタートで未知の世界に飛び込んだ加藤さんのバイタリティーは並大抵のものではないと思っていたが、実際にお会いしてお話を伺ってまさに中国色に染まっている感じがし、ものすごい努力をされたことと感じた。私の知る限り、中国人の友達はみんなまさにアグレッシブで自分の意見をしっかり持っている人たちで、加藤さんの言う北京大学での質疑応答の光景がとてもよくわかった。ただ単に国民性・文化の違いという言葉だけでわかった気になって、なぜそもそもこんなにも日本と違うのか考えたこともなかったが、その発言力の違いは、情報規制がある中で何が本当なのかを常に問い続ける姿勢から起因していることが一つの要因だと知ることができた。日本ではメディアが第4の権力と称されるほど強大な影響力をもっているとされている。私たちは日ごろその情報を鵜呑みにしがちだ。しかし、中国は違う。与えられた情報だけがすべてではないことを理解していて、それに対して疑いの目を常に持っている。それが当たり前になっているからこそ全体的にみてこれほどの違いがあるのではないだろうかと思った。
日本を一歩出たらいくらでも自分を「日本人」と自覚せざるを得ない機会がたくさんあって、そこでは必ず自分の意見が求められる。そしてそれはしばしば「私個人の意見」というよりは「一日本人としての意見」と受け止められることが多い。日本のことをもっと知りたい、それでから世界に目を向けたい。自分が日本の大学で政治学を学ぶ目的を思い出すことができた良い機会でした。
お忙しい中お越し頂きありがとうございました。

②NC:次世代TV
スカパー!などケーブルチャンネルに月額料金払って利用していることを考えれば、クリエイターと視聴者の間でinteractionがあってそこに報酬として料金が支払われるのはキー局独占状態のTVの改革に繋がる可能性があるのかもしれないと思った。しかしながら、一口にクリエイターといってもプロとアマの差は歴然で、ケーブルに流れるものはあくまでプロが創ったものであるから料金が支払われているのであり、アマチュアが創った政策物を果たしてネットでは無料のものをTVの高画質・大画面という利点だけで視聴者側から料金を徴収するかは微妙なとこだと思った。ニコニコ動画は個人の嗜好に合わせて楽しむ、YouTubeはPVなど比較的Officialなものをみるときなど使い分けることが多いと思うが、それをわざわざTVで他者(多くは家族だろう)と共有することを本当に私たちは好んでするだろうか。
技術的には可能なことだと思うが、課金システムなどお金の流れに若干の疑問を持たざるを得なかった。それでも、時代は進化していて、「絶対にありえない」ということは絶対にありえない。一見実現しないように思えるものでも、人々が受け入れてそれが当たり前になればそれは爆発的にヒットしてしまうものである。どう人々の間で伝播して、明確な料金システムが構築されるか。2008年のフォーラムからまだ2年の現在。2015年までのあと5年。一体どう進化しているのだろうか。25歳になった自分が新しいTVの在り方に順応しているのか考えるとなんだかわくわくした。

2010年12月3日金曜日

【1203ゼミの感想】プレゼンター【長澤】

【ゲストスピーカー:加藤嘉一さん】

最近よく中国や韓国・北朝鮮関係のニュースを新聞やニュースで目にしますが、それらの与えられた情報を鵜呑みにしてしまっていました。
加藤さんが仰っていた北京大学の学生のように、まずは与えられた情報を疑うように心がけたいです。
それからもう1つ見習いたいのが、勉学に対する貪欲な姿勢です。
「質問する」というのは金ゼミでもずっと言われてきていることですが、どうしても私は昔から出来ませんでした。
「空気を読む」ということと「質問をしない」ということは別の問題だと思うので、これからは少しでも積極的に質問をするようにしようと思いました。


【NC】

初めてのプレゼンターということで、テーマ設定の段階でかなり悩んでしまいました。
今回の「次世代テレビ」は一番興味がある題材だったので、今回のテーマに設定しました。
ですが、NCの流れやディスカッションの論点を考えていく上で、結局自分が最終的に何を発表したいのか、知りたいのか、ということが自分でも分からなくなってしまいました。
そのために、最後のディスカッションでは皆さんを混乱させてしまって、申し訳ありませんでした。
私自身も若干混乱してしまっていたのですが、そんな中皆さんが沢山意見を出して下さったので、とても助かりました。
ありがとうございました。
自分にとって新鮮な考えを沢山伺うことが出来るとてもいい機会になりました。
今回のNCをきっかけに、もう少し今回のテーマについて自分で考え直してみようと思います。

【ホンヨミ!1203】ウィキノミクス【栫井】

【ウィキノミクスの効果】
ソフトウェア(コンテンツ)の作成・エラー修正・口コミなど全てをユーザーが担ってくれる
→ 広告も自分たちで担う
手軽に新しい試みを行える。反応を見てブラッシュアップ出来る。
→ WEBのβ版文化に則っている。この過程を経て作品が大衆に最適化していく。
定性調査とプロトタイプマーケティングを安価に手軽に行える。

問題解決のスピードが上がる
参加人数が増えるので、問題解決の断片の数も増える。
全く違う観点からの問題解決
コラボレーションのパートナーを幅広く捉える。

【知的財産権・金銭関係】
ピアプロダクションは、知的財産権を解放している。
最初のプロダクトは知財権を解放して、集合知の中に置いた方が発展が早い。これはウィキノミクスの基本。
ピアで作ったものを核として、周辺に経済効果をもたらしている。ベースとされて派生コンテンツが作られたり、整理されてパッケージ化されたり。その過程でお金がとれる。

トーバルズ「オープンソースは公共財」「基礎が全て存在する状態で、付加価値をどうつけるかで競争が生まれる」

少し違うけど、クリエイティブ・コモンズでも似たようなことを言っていた。基本となる公開があった上で、アートは売れるし普及すると。
ニコ動の作家が、作品をオープンに公開して派生作品などが生まれて認知度が上がった結果、新曲をCDパッケージ化したら売れる、とか。

【リミックス文化の条件】
P2Pネットワークの整備、デジタル機器の価格低下、オープンソースのソフトウェアの発達、手軽な編集ツールが作られた、記憶容量の価格低下、手頃な帯域価格、が揃ったこと

この中で育ったデジタルネイティブは、創作の楽しさを知っている。
ネット世代にとっては創作は当たり前。
バーチャルなコミュニティの中で育ってきたため、何かを発信することに慣れている。
放っておいても創作活動を行う。

【ウィキノミクスの難点】
- 長期的なインセンティブがない
E★も、コアに創り続けている層は少ないという話があった。
プロの作家が創り続けるようにマネジメントしているのは編集者。
だが、作品がオープンで作家の数の多いネット上だったら創作の持続がされるべきなのは、クリエイター個人というよりもコンテンツ自体。
仲俣様のお話にもあったが、クリエイティブは動きが止まったらそこで終わってしまう。いかにして創作が持続的に行われるか、次の創作に結びつける橋渡しをするのも編集の仕事ではないだろうか。

データ保持者が保護されない
「オリジナル」とは何か、ということについて触れておいた方が良いように思う。
権利の話について触れるとしたら、一番最初のものを創った人の権利なわけで。

フリーライダー
UGEの概念を深めると、フリーライダーという概念はなくなるのではないか。
プラットフォーム内にいれば、様々な形で作品に貢献できるようになる。
閲覧して簡単なコメントを残すこと・気に入った作品をふぁぼること、それも編集としてアーキテクチャ内で位置づけることで、直接作品を創作せずとも「ただ乗り」という考え方が変わる。

ホンヨミ!1203①ぼくの複線人生

『ぼくの複線人生』 福原義春

私が好きな本、『だから人は本を読む』の筆者が自分のこれまでの人生を自伝的に描いた作品。
ちなみに幼稚舎から慶應で学ばれた方で、私たちの先輩にあたる。

プレジデント2010.8.30号”自分が変わったこの一冊”の特集で、筆者は、「お忙しいのによくそんなに多くの本を読めますね」というインタビューに対して「いくら忙しくても顔を洗う時間があるのと同じように本を読む時間がある」と答えていらっしゃる。
自分は本を読む時間がないと言い訳をすることができないと恥ずかしくなり、同時にそんなに本がお好きなんだなということを感じてとても印象的だった。

複線人生というのは、多くの関心を持ち、それらが相互にかかわって良い結果を生むこととして書かれている。多くの本を読み本を通じて多方面な知識を蓄えたり疑似体験をするだけでなく実際にご自身が多くの趣味を持ちそれを行動されていることがとてもよく分かった。
常に新しいことにもオープンで、周りの目を気にするよりも自分の信念を信じて多くのことに取り組まれる姿勢が貫かれていた。
一冊を通じて、一人切りで思考する時間(読書でも可)を持つ、そしてやるときはがむしゃらに取り組む ことが大切なのだなと感じた。私の毎日なんて筆者に比較すれば全く忙しくない。毎日活き活きとメリハリのある毎日を送ろうと思わされた。

ホンヨミ②【黄】メディアを教える レン・マスターマン

メディアを教える クリティカルなアプローチへ
レン・マスターマン

①なぜ教えるのか

メディアをなぜ教えるのか。これは本書のベースとも言える。そこで筆者はこの教育が必要不可欠である理由を7つ挙げており、それらを以下にまとめてみたいと思う。
1メディア消費の増加とそれらが偏在している現状
2メディアのイデオロギー的重要性とそれに関わる影響力
3民主的プロセス中心へと向かうメディア
4情報管理や情報生産の普及
5あらゆる分野で重要性を高めている視覚的コミュニケーションとその情報
6変化を迎え、未来を担う若者の養成
7情報に対する国内的、国外的圧力

以上のそれぞれに対し、人々の批判的意識を拡大させ、クリティカルな自律性を育成する必要こそがメディアを教えなくてはならない理由だと筆者は指摘する。

②メディアリテラシーの未来

過去50年にわたり、メディアリテラシーはその重要性を認識されてきた。そしてその重要性故に一つのカリキュラムの枠、つまり枠を決定しそれを守るという決定的な思想としては存在し得ない事が自覚されてきた。筆者は指摘する。これからのメディアリテラシーはこの自覚に基づきメディア教育者の領分だけに閉じ込めてはならない、と。教育者のセクターのみでは全く不十分であり、そこで多くの主体や機関や個人がいかに連携するかが要なのだ。これらが連携する事で初めて「包括的な」あるいは「エコロジカルな」メディアリテラシーへのアプローチが実現するだろう。

【ホンヨミ!1203②】クリティーク多文化、異文化【高橋】

『クリティーク多文化、異文化』 馬渕仁(著)

①市場の社会的深化
Globalization=「すべての国に自由市場資本主義経済の浸透」だと定義されている。つまり、経済的な影響からGlobalizationがおこり、市場が社会的に浸透することで文化と経済の相互浸透がおこるとしている。国家と市場が新しく複合的な方法で絡みあうこと。人の移動に経済が深く関わっていて、その範囲が広がることで多文化がもたらされ、ゆえにGlobalizationたる現象がおきる。

②「日本人論」
「日本人は勤勉で控えめで平和主義で○○○…。」などといった「日本人論」という勝手な決めつけは繰り返されることによって再認識され再強化されどんどん根付いていく。これこそが「エピソードに基づく一般化」なのである。この理論が持ち出される度に悪循環を招いているのである。これは決して日本人に限ったことではない。どんな集団に所属していても、個人を大きな枠組みに当てはめて一般化することは固定観念へ繋がり、やがてそれは偏見になってしまう危険性が大いにある。私はなるべく偏った見方をしたくない。特に人に対してはより強くそう思う。一般化を安易にしてしまわないように自ら気をつける重要性を知った。

③文化的統合と社会的統合
文化的に統合されていても、雇用などの面において社会的にはまだ統合しきれていない部分がある。たとえばフランス。アフリカ系やトルコ系などの移民が多い中、雇用の面でまだ統合しきれていない問題が深刻になっている。社会的に統合するためには、自分意外の誰かに想像を及ぼすことが人間である上で最も重要であるし、共生の大きな一歩に繋がることとなる。

2010年12月2日木曜日

ホンヨミ①【黄】メディアリテラシー・ワークショップ

メディアリテラシー・ワークショップ
情報社会を学ぶ・遊ぶ・表現する
水越 伸著

①メルプロジェクト
マスメディアは20世紀初頭から視聴覚メディアの登場と普及によって発達した。1970年代頃からメディア・リテラシーに関する理論と実践が生まれ、1990年代半ば頃を境にデジタル・メディアが登場。ここで大きな転換期を迎える。既存のメディア・リテラシーは主にマスメディアに対しその情報をどう批判的に受信できるかを軸に置いていた。しかしこのデジタルメディア、つまりはインターネットの登場により、受信し、さらには発信するという双方向のリテラシーが必要となってきたのである。この面において、カナダやアメリカなどではいち早く双方向の教育を取り入れようと活動している反面、日本はかなり立ち後れている現実がある。そこで筆者を始めとした多数の人々によって始められたプロジェクトがこのメルプロジェクトなのだ。
②活動内容
上記のような課題の為に立ち上がったメルプロジェクトは要するに、「メディアの仕組みや働き、我々との関わりを理解するだけでなく、その表現や発信を捉えるメディア表現とリテラシーについてのネットワークプロジェクト」なのだ。
その方法の一つとして様々なワークショップが開かれており、本書にもカテゴリー別に多数紹介されている。例えば「メディアを異化する」ワークショップ。粘度アニメのワークショップが開かれている。映像とは何なのか、そのルーツはどこのあるのか、更には映像のコマの仕組みや枠組みを理解させる目的がそこにはあった。他にも多数の個性的なワークショップが開かれており、今度ゼミでできるかも?なんて思ってみた。

1126 ゼミ感想

①自分の好きな事
今回かなり誠意のないプレゼンに終わってしまった自分がいる。改めて思ったのは、与えられたフレームの中で考えるのは楽だということ。まっさらな状態で、自分が何に興味があるのか、それが今回の論文とどう結びつけられるか、がうまくまとまらない。結局、ひねり出せるだけ絞って望んだのが今回の結果だった。
「とりあえず」発表していただけだった。発表しながらも私自身がワクワクしなかった。
金先生や4期生の先輩方と話した結果、再度まっさらな状態から模索することにした。
うまく繋げられるといいんだが・・・・
②OB/OG会
初のOB/OG会。多種多様な業種の中で活躍される先輩方と話せたのは本当に貴重な機会だった。色んな話を聞いたが、どの方にも共通していた事があった。それは「自分が好き」あるいは「楽しい」と思った道を選んでいるという事。
皆迷うし、分かれ道ではどのアドバイスを聞けばいいのか混乱する。
そこでやはり決め手となるのが、「自分がワクワクするかしないか」なのだ。
将来性でもないし、収入でもない。結局それなのだ。
じゃあ自分が何を好きなのか。皆さん、よくそんな簡単に見つけられたなーと思ったけど、これからでも早く見つけよう!と刺激をうけた夜だった。
オーガナイズして下さった4期生の皆さん!お疲れさまでーす。

【ホンヨミ!1203①】環状島【高橋】

『環状島―トラウマの地政学』 宮地尚子(著)

①外側・内側
環状島モデルを用いて、その構造の内側と外側で区分けして当事者と非当事者を分けて分析している。例えば移民や先住民族など、国内では「よそ者」扱いされる人々を内側にしたとき、内側にいる人たちはどうしたって逃れられない状況にあるが、外側の人たちは支援者であれ傍観者であれ自ら簡単に手を引くことができる。傍観者で無関心でいることが一番危険なことで、「相手にしなければよい」「関わったらロクなことがない」という言葉は両者の溝をさらに深めてしまうだけになる。しかしながら、支援者は勝手に当事者のことを決めつけている可能性もある。例えば人権団体がアフリカの女子割礼を人権侵害だとして廃止を「支援」する動きがあったとき、割礼されている側のアフリカ女性たちは「名誉ある行為」であるのに勝手なことをするな、と「支援されている」側であるはずの方から反発を受けた事例がある。おしつけがましい「支援」となってしまっていて、勝手に当事者のことを決めつける自己満足に他ならない場合もあるのである。しかしながら、彼らがいることでissue化されて世間に問題提起をすることを可能にしているのも事実である。傍観者にせよ支援者にせよ、自分次第ですぐに手を引くができるのが当事者と決定的に違うところであり、その立ち位置たるpositionalityを私たちは自覚する必要があるのだ。まったくの無知無関心はパターナリズムを生みやすいのである。

②グレーゾーン
当事者・非当事者を併せ持つのが「グレーゾーン」の人々である。個人的に自分はここに属する人間なのかなと思った。生まれと育ちが一致するようで微妙にしない、どこで育ったかといわれると返答に少し困ってしまう、いわば根なし草だからこそ日本では異質者とみられたこともあり、外国でも異国からきた人ということで良い意味でも悪い意味でも差別された経験があるからだ。ただ日本国内にいると細かい話までしない限り「傍観者」であることが多い。どちら側にも立てるゆえに簡単にどちら側にも転ぶことができる。このゾーンに属するからこそ両者の橋渡しに貢献できる可能性があるのではないかと本書を読んで思った。

③投企的同一化
しかしながらグレーゾーンだからといってすべてを理解できているわけではない。投企的同一化をすることによって当事者の思いまで理解できる場合もあれば、自分の経験と照らし合わせて考えて、支援者同様勝手に自分に置き換えて決めつけてしまう危険性も孕んでいる。本当に被害者・当事者の位置に立てているのだろうか?自分のフィルターを通して決めつけていないか?これを常に問い続けなくては見失ってしまうだろう。

多文化共生、社会的統合。本当の意味での相互理解とは何か。