『上達の法則 効率のよい努力を科学する』岡本浩一
一つのことをただひたすらに無心で、一心不乱に打ち込む…本書を読むと、そのような体育会系の根性論が必ずしも「効率的」ではないことが分かる。もちろん一つのことを極めるのに手間と努力と時間が必要なのは認めるが、努力の効率化によって、根性論で一つのことを極めるのと「同じ時間で」2つのことを極めることも出来る。決して多くはない時間の中で、努力もまた「頭を使って」すれば、より多くのことに精通できるのであり、本書は主として脳科学・心理学の観点からその仕組みと方法を教えるハウツー本である。効率の悪い努力を費やした時間の長さで補完するのか、効率の良い努力で余った時間を他のことを究めるのに費やすのか。もちろんそれは人それぞれだが、時間はやはり有限だ。
①一芸に秀でることは多芸に秀でること
同じ時間を費やせば誰しもが同じ域に到達するわけではない。自分の身の回りにも、何年やっても一向に上達しない人がいると思えば、少しやっただけで何でも器用にこなしてしまう人がいる。ではそのように人を分ける要因とは何か。本書の冒頭で筆者はその要因を「上達の法則にかなっていたかどうか」と分析する。具体的な方法論についてはぜひ本書を一読して頂きたいのだが、本書に書かれているような上達の法則を体得するには「まずは一芸に秀でること」が肝要となる。多芸に秀でる人というのは、中でも特に一芸に秀で、それを体得したノウハウを一般論に昇華し、上達を必要とする様々な場面に実践できている場合が多い。
②自分なりの「好き」を見つける
楽器の上達なりスポーツの上達なり、どんなことでも初期の段階で自分が「好きだ」と思える「特定の何かにこだわりを持つ」ということが重要だと筆者は語る。たとえば音楽なら速い曲が好きだとか遅い曲が好きだとか、あるいは特定のコード進行が好きだとかそういう細かい部分も含めて。「好き」というのは脳の認知プロセスの中でその部分が「意味あるものとして処理(有意味処理)」されている証拠であり、それにこだわりを持つことは、あらゆることの上達に不可欠な「全体を有意味処理すること」の端緒となるからである。
③後退しなければ前進している
技術の修得には、時として多大なる忍耐を必要とする時期が存在する。いわゆるスランプというものだ。これは初級者が中級者になるときよりも、中級者が上級者になる、あるいは上級者がさらに技術を高次に磨いている間に起こりやすく、かつその期間が長期に渡りやすい。成長がピタリと止まってしまうために大きな不安を感じるこの停滞期間は学問的に「プラトー」と呼ばれるのだが、これはどんな技術の修得にも当然に見受けられる現象なのだそうだ。筆者が提唱する、そんな時期に有効な呪文が「後退しなければ前進している」というもの。一番やってはいけないことがその時点で努力を放棄することであり、現状の実力を維持できる程度の努力を続けていれば、どれほど先になるかはケースバイケースだが(10年以上かかることもあるという)その先の飛躍が期待できる。誰しもがおそらく経験し、思い悩んだことのあるだろうこの停滞期も、来たる上昇の前触れと思えれば気持ちも楽になるというものだ。
2011年1月7日金曜日
冬休みホンヨミ① 『グーグルに異議あり!』 【岡本】
『グーグルに意義あり!』明石昇二郎
「グーグルブック検索和解事件」…金ゼミ生にはなじみ深いと思われるこの問題。Googleが著作権者に対して持ちかけた「和議」を彼らの多くがなすすべもなく受け入れる一方で、果敢にもGoogleを相手取って訴訟を起こしたあるルポライターの話。誰もが文句をいいながらもGoogleという大企業による横暴に目をつぶる中で、実際に「個人で」行動を起こした人は極めて珍しいということで読んでみた。
①狡猾なGoogle
なぜGoogleは「図書館プロジェクト」という形で、賛同してくれる図書館の蔵書をスキャンさせてもらう代わりに図書館にもスキャンしたデータを渡すなどという、些かまどろっこしい方法を取ったのだろうか。Googleほどの大企業なら市販の本を根こそぎ買い漁ればいいではないか―。その答えが、ゼミでも扱った「フェアユース」に関わってくる。要は図書館は「経済的事由に関わらず出来るだけ多くの人に本を読んでもらう」という社会的責務を負った公共施設であり、その蔵書であればいくら世に出回ろうと「公正な使用」の範囲を出ないという主張をGoogleがあらかじめ考えていたからなのだそうだ。複製権の明らかな侵害を無茶な理論で乗り越えようとする、また訴訟が予想される案件に事前に手を打っておくGoogleの狡猾さが伺える。
②事業が第一、被害者はゴミ以下?
本文中で筆者の電話での質問に対して、答えが分からないのか面倒くさい案件と感じたのか、Google日本法人が他の出版社を「ここが窓口だ」と言い張って、全く関係のない出版社を紹介するような場面がある。さらには、埒があかないと感じた筆者がメールにて問い合わせしても、回答はついぞ返ってこない。一企業の対応として、これはどうなのか。この一連の対応といい、出版社ではなく飽くまで個人を相手に意思決定を求める姿勢など、ところどころにGoogleの「大きいものは相手をするが、小さいものは無視」という企業としての強い傲慢さが伺える。Googleの打ち出す数々の新しい事業の裏で、いかに「力なきマイノリティ」が辛酸をなめさせられているのか。一事が万事ではないかもしれないが、この手馴れた手法にそんな舞台裏を垣間見たような気がした。
③決着?
フランスやドイツの国家ぐるみの抗議もあり、多くの国の書籍がGoogleブックスによる不当なスキャンを免れるよう、Googleが和解案を出している。しかしながらアメリカ、カナダ、オーストラリアの文献は依然としてスキャンの対象を外れておらず、和解案は依然として承認されていない。本書で語られる時系列のその後を語る文献が見つからずなんとも歯がゆいことこの上ないのだが、現時点でGoogleブックスを使ってかなりの日本の文献が閲覧できるのはどういった理由からなのだろうか?和解案が通っていないからと、日本の書籍もスキャン対象にした旧和解案のスタイルを取って平然としている?あまり適当なことも言えないので控えるが、なんにしろ決着はまだ先の話のようだ。
「グーグルブック検索和解事件」…金ゼミ生にはなじみ深いと思われるこの問題。Googleが著作権者に対して持ちかけた「和議」を彼らの多くがなすすべもなく受け入れる一方で、果敢にもGoogleを相手取って訴訟を起こしたあるルポライターの話。誰もが文句をいいながらもGoogleという大企業による横暴に目をつぶる中で、実際に「個人で」行動を起こした人は極めて珍しいということで読んでみた。
①狡猾なGoogle
なぜGoogleは「図書館プロジェクト」という形で、賛同してくれる図書館の蔵書をスキャンさせてもらう代わりに図書館にもスキャンしたデータを渡すなどという、些かまどろっこしい方法を取ったのだろうか。Googleほどの大企業なら市販の本を根こそぎ買い漁ればいいではないか―。その答えが、ゼミでも扱った「フェアユース」に関わってくる。要は図書館は「経済的事由に関わらず出来るだけ多くの人に本を読んでもらう」という社会的責務を負った公共施設であり、その蔵書であればいくら世に出回ろうと「公正な使用」の範囲を出ないという主張をGoogleがあらかじめ考えていたからなのだそうだ。複製権の明らかな侵害を無茶な理論で乗り越えようとする、また訴訟が予想される案件に事前に手を打っておくGoogleの狡猾さが伺える。
②事業が第一、被害者はゴミ以下?
本文中で筆者の電話での質問に対して、答えが分からないのか面倒くさい案件と感じたのか、Google日本法人が他の出版社を「ここが窓口だ」と言い張って、全く関係のない出版社を紹介するような場面がある。さらには、埒があかないと感じた筆者がメールにて問い合わせしても、回答はついぞ返ってこない。一企業の対応として、これはどうなのか。この一連の対応といい、出版社ではなく飽くまで個人を相手に意思決定を求める姿勢など、ところどころにGoogleの「大きいものは相手をするが、小さいものは無視」という企業としての強い傲慢さが伺える。Googleの打ち出す数々の新しい事業の裏で、いかに「力なきマイノリティ」が辛酸をなめさせられているのか。一事が万事ではないかもしれないが、この手馴れた手法にそんな舞台裏を垣間見たような気がした。
③決着?
フランスやドイツの国家ぐるみの抗議もあり、多くの国の書籍がGoogleブックスによる不当なスキャンを免れるよう、Googleが和解案を出している。しかしながらアメリカ、カナダ、オーストラリアの文献は依然としてスキャンの対象を外れておらず、和解案は依然として承認されていない。本書で語られる時系列のその後を語る文献が見つからずなんとも歯がゆいことこの上ないのだが、現時点でGoogleブックスを使ってかなりの日本の文献が閲覧できるのはどういった理由からなのだろうか?和解案が通っていないからと、日本の書籍もスキャン対象にした旧和解案のスタイルを取って平然としている?あまり適当なことも言えないので控えるが、なんにしろ決着はまだ先の話のようだ。
2011年の抱負【岡本】
2010年の抱負となる四字熟語ということで考えてみました。
今年は「下学上達」でいきたいと思います。
昨年は金ゼミで勉強する中で、割合専門的な知識も含めて多くを取り入れ、各論ではそれなりに詳しい分野も出来つつあるような気がします。ただ、各論で語れるものはあっても、それが属する「学問」という枠で総論的に見たときに、まだまだ専門と呼べそうなものがないなというのが最近の実感です。
闇雲に各論を究めていくのももちろん悪くはないと思いますが、今年はもっと各論ネクサスな勉強を意識し、そのためにゼミでは触れないようなもっと基礎的な部分から学ぶスタイルを取り入れていきたいと思います。
「クリエイティブ産業論」であれば、その系譜を理解し、その中で学ぶ様々な各論がどのあたりに位置づけられるのかを理解すること。様々な関係性のなかで一つのテーマを理解できること。その理解したテーマが他のテーマを理解する手がかりになること。各論ネクサスな勉強スタイルというのは、そういったことを想定しています。
「下学上達」という言葉は「基礎から学ぶ」という意味の「下学」と「その学問の高みに達する」とか「真髄を極める」という意味の「上達」を組み合わせた言葉で、論語が出典とされているようです。
基礎をおろそかにしない謙虚な姿勢で学びつつも、目指すものは高く、そういった抱負をこの四字熟語に込めたいと思います。
今年は「下学上達」でいきたいと思います。
昨年は金ゼミで勉強する中で、割合専門的な知識も含めて多くを取り入れ、各論ではそれなりに詳しい分野も出来つつあるような気がします。ただ、各論で語れるものはあっても、それが属する「学問」という枠で総論的に見たときに、まだまだ専門と呼べそうなものがないなというのが最近の実感です。
闇雲に各論を究めていくのももちろん悪くはないと思いますが、今年はもっと各論ネクサスな勉強を意識し、そのためにゼミでは触れないようなもっと基礎的な部分から学ぶスタイルを取り入れていきたいと思います。
「クリエイティブ産業論」であれば、その系譜を理解し、その中で学ぶ様々な各論がどのあたりに位置づけられるのかを理解すること。様々な関係性のなかで一つのテーマを理解できること。その理解したテーマが他のテーマを理解する手がかりになること。各論ネクサスな勉強スタイルというのは、そういったことを想定しています。
「下学上達」という言葉は「基礎から学ぶ」という意味の「下学」と「その学問の高みに達する」とか「真髄を極める」という意味の「上達」を組み合わせた言葉で、論語が出典とされているようです。
基礎をおろそかにしない謙虚な姿勢で学びつつも、目指すものは高く、そういった抱負をこの四字熟語に込めたいと思います。
2011年1月6日木曜日
【ホンヨミ!0107③】連帯と承認【高橋】
『連帯と承認 グローバル化と個人化のなかの福祉国家』 武川正吾(著)
①コスモポリタニズムの社会政策
社会政策は元々、社会問題を解決するためのものであったが、グローバル化の今日、社会政策そのもが新たな社会問題となりつつある。第三世界の大量貧困、地球規模での環境破壊など、国民国家の枠組では解決することが困難な問題を抱え込むようになった。国民国家を超えた地域における共通社会政策を策定することは、コスモポリタニズムの社会政策の出発点となる。グローバル社会の中で、市民権をもった国民に対して共通して保障されるべき最低限を示すグローバルミニマムを策定し、先進諸国から第三世界へのグローバルな規模での所得再分配が不可欠だと著者は提唱する。
国内の格差よりも国レベルでの格差の方が当然大きいものの、国内格差を是正せずに第三世界に目を向けるのは時期尚早ではないだろうか。例えば中国国内の格差はとても大きいが、まだ是正されていない状態で、政策的に不備があるとしても国内格差を是正できていない状態で果たして世界レベルで協力して格差是正に努めることができるのであろうか。グローバルミニマムの価値観の照準をどこに合わせるのか、という問題も起こるだろう。
②グローバル化の労働における弊害
グローバル化による国境を越えた労働移動は、同一国内に、市民権の保有者と非保有者が併存するという状況を生む。市民権の有無は、社会政策上の差を生んでしまう。つまり、同じコミュニティで生活していて、社会政策を必要とするという点ではまったく同じであっても、一方は社会政策の適用を受け、他方は社会政策の適用を受けないといった状況が、グローバル化によって生まれるということだ。
日本は市民権を得る基準が比較的高い国の一つで、線引きをすることで排除を生み出してしまうことが多い。しかしかといって市民権を得る基準を下げすぎると移民問題や、今までの政策とかけ離れることで国内から生活を危惧した反発の声が上がるかもしれない。今のままでは貧しい労働移民は苦しい生活を強いられるが、社会政策上は現状のままでいいのか。それとも世界からもっと積極的に人の移動・居住を寛容にし、国内のいわば「ドメスティックミニマム」を充実させた方がいいのか。そのバランスは難しい。
③個人化
核家族したことで家族が個人化し、職域も個人化している。その証拠に多くの国で労働組合の組織率は低下傾向にあるという。そして、地域からの個人の離脱も目立つようになってきた。地縁集団からの個人の離脱は個人の自立を意味する。しかしながら、これまでの福祉国家は地縁型の団体によって編成された地域社会を前提として存在してきたため、個人化によってもたらされた地域社会の変化は、福祉国家にも影響を及ぼせざるを得ない。地域における個人化は社会的排除も個人化するのである。
地域における市民社会の生成は、福祉国家と地域社会の境界面を変えることになり、地縁から排除された個人への対応に今後迫られることになると考えられる。
①コスモポリタニズムの社会政策
社会政策は元々、社会問題を解決するためのものであったが、グローバル化の今日、社会政策そのもが新たな社会問題となりつつある。第三世界の大量貧困、地球規模での環境破壊など、国民国家の枠組では解決することが困難な問題を抱え込むようになった。国民国家を超えた地域における共通社会政策を策定することは、コスモポリタニズムの社会政策の出発点となる。グローバル社会の中で、市民権をもった国民に対して共通して保障されるべき最低限を示すグローバルミニマムを策定し、先進諸国から第三世界へのグローバルな規模での所得再分配が不可欠だと著者は提唱する。
国内の格差よりも国レベルでの格差の方が当然大きいものの、国内格差を是正せずに第三世界に目を向けるのは時期尚早ではないだろうか。例えば中国国内の格差はとても大きいが、まだ是正されていない状態で、政策的に不備があるとしても国内格差を是正できていない状態で果たして世界レベルで協力して格差是正に努めることができるのであろうか。グローバルミニマムの価値観の照準をどこに合わせるのか、という問題も起こるだろう。
②グローバル化の労働における弊害
グローバル化による国境を越えた労働移動は、同一国内に、市民権の保有者と非保有者が併存するという状況を生む。市民権の有無は、社会政策上の差を生んでしまう。つまり、同じコミュニティで生活していて、社会政策を必要とするという点ではまったく同じであっても、一方は社会政策の適用を受け、他方は社会政策の適用を受けないといった状況が、グローバル化によって生まれるということだ。
日本は市民権を得る基準が比較的高い国の一つで、線引きをすることで排除を生み出してしまうことが多い。しかしかといって市民権を得る基準を下げすぎると移民問題や、今までの政策とかけ離れることで国内から生活を危惧した反発の声が上がるかもしれない。今のままでは貧しい労働移民は苦しい生活を強いられるが、社会政策上は現状のままでいいのか。それとも世界からもっと積極的に人の移動・居住を寛容にし、国内のいわば「ドメスティックミニマム」を充実させた方がいいのか。そのバランスは難しい。
③個人化
核家族したことで家族が個人化し、職域も個人化している。その証拠に多くの国で労働組合の組織率は低下傾向にあるという。そして、地域からの個人の離脱も目立つようになってきた。地縁集団からの個人の離脱は個人の自立を意味する。しかしながら、これまでの福祉国家は地縁型の団体によって編成された地域社会を前提として存在してきたため、個人化によってもたらされた地域社会の変化は、福祉国家にも影響を及ぼせざるを得ない。地域における個人化は社会的排除も個人化するのである。
地域における市民社会の生成は、福祉国家と地域社会の境界面を変えることになり、地縁から排除された個人への対応に今後迫られることになると考えられる。
2011年1月5日水曜日
冬休みホンヨミ③【黄】ヒューマニティーズ 教育学
ヒューマニティーズ 教育学
広田 照幸著
①教育の目的
帯の裏にこのような事が書いてある。「ポストモダン的な価値の相対化の地点から『教育の目的』を棚上げにしてしまうのは『教育のシニシズム』を生んでしまう。......誰をも屈服させるような強力な『教育の目的』を、ある社会が持ってしまう事も危ない。2つの極の間で『教育の目的』をどう論じる事ができるのか。これからの教育学に求められているのは、これである。社会が多元的であるにも拘らず、教育はある体系性や統一性をもって組織される必要がある。この難題に教育者がどう取り組むのか、という事である。」まさにこの本のコアとも言えるだろう。近代に入り社会は日々大きな変化を遂げている。経済のグローバル化や次々と浮上する地球規模的な課題。これらは今後の教育のあり方にさらなる変容を迫っているに他ならず、ではどこからどう働きかけていくべきなのかを考える1冊なのである。
②教育が歩んできた軌跡
19世紀末に登場し、20世紀の教育学の本流となった「進歩主義教育運動」。この動きが3の「教育の成功と失敗」で展開されていた。この運動のベースには「子供一人一人が違っているから、それに応じた教育をするという革命的な考え方があった。そしてその主張に応じて登場したのが「全ての子供にバラバラな事をさせ、同時に、どの子も同じ程度の学習レベルに引き上げるという教授技術」であった。これらの動きが公教育制度の登場と相まって教育の形成に大きな影響をもたらしたのは言うまでもない。そしてその後1980年代から始まるポストモダン論によって、それまで積み上げてきた教育体系は無惨に崩されていくのだが・・・。
③教育学に必要な事
そのひとつは当然本をじっくり読む事だ。5ではその更に先を行って「何を読むべきか」そして「どう読むべきか」が言及されている。講義や演習で得る知識は確かに大事なエッセンスの一つだがそれらは断片的であり、かつ限界があるのだ。自分自身で自発的に広い読書を心がける事、基本と言えばそれまでだが、だからこそ胸に刻むべき教訓なのかもしれない。
冬休み ホンヨミ② クラシック音楽はいつ終わったのか【黄】
「クラシック音楽」はいつ終わったのかー音楽史における第一次世界大戦の前後
岡田 暁生著
①音楽を巡る激動
19世紀。それは市民社会が成立された時代だ。そしてその先に待っていたのは何もかもを暴力によって破壊する大戦争だった。それは音楽にも例外なく起きた。「この戦争で生じた社会の根底的な再編成が、18世紀後半の啓蒙の時代以来のインテリ・ブルジョワ文化の没落をもたらし、さらにはファシストとボルシェヴィキ革命の温床のなった」。そして「19世紀市民社会が作り出したクラシック音楽の語法・美学・制度とは決定的に違った音楽」が第一次世界大戦前後に登場することになる。第1章では第1次世界大戦前後に何が起きたのかを大まかに俯瞰できるよう節が設定されている。
②音楽家達の戸惑い
第3章、4章では戦争中の動きにスポットライトが当てられている。その中でも特に印象的なのが戦争が長期化するに従って徐々に戸惑っていく音楽家達の姿だ。「大戦争が勃発したとき最も熱狂したのは、いわゆる知識人たち」で「文化の力で現実政治を動かす事ができる」と固く確信し、音楽が担うべき「精神文化によってこの大戦争を勝利に導く」という役割を果たそうとした。いや、果たせると彼らは確信していた。しかし現実にその愚かさを思い知らされる事に・・・。
③第一次世界大戦とは
第5章では、この第一次世界大戦が音楽史においてはどのような役割を果たしたのかについて検討している。戦争を通して「人々を集団的な死に向かわせる程の力を音楽は持ち得る。ただしそれは国家や軍歌であって、決してオペラや交響曲ではない」という事を人々は学んだ。著者はこの章のまとめとして「この苦い事実に一体どういうスタンスをとるのか。これこそが、音楽と真剣に向き合おうとする人々に対して第一次世界大戦が突きつけた、最大のアポリアであったかもしれない」と結んでいる。ヨーロッパの音楽史はその変貌の壮大さに息をのむ。本書はその一局面を捉えるにおいて大きな助けとなる事は間違いないだろう。
【冬休みホンヨミ!①】犠牲【金光】
『犠牲』柳田邦男
看護医療学部の友人に薦められて読んだ。
作家柳田邦男氏が自身の長男が精神病に苦しみ自ら命を絶ってしまった後、脳死状態になり、第三者ではない立場で脳死と向き合った筆者の記録だ。
精神病、自死、脳死、どれも今まで自分の日常とは遠く感じていたことだっただけに、この本を読んだときにその内容が持つ重い力に困惑してしまった。
文字を適当に選んで感想など書ける内容ではないが、うまくまとまらない。
息子が植物状態になるかもしれないと宣告されたときに「科学知識による自己コントロール」を心がけようとした、ある意味冷静な部分と、だからこそ読み手に伝わってきた極度の衝撃。
医師や看護師の繊細な気配りにどれだけ家族は心救われるか、そしてそれほど敏感になっている家族の精神状態。
家族二人がつらい状況にあり長男がなくなってしまったあと、また自身の活動を始めた筆者を奮いたたせた力。
克明に重みを伝える”文字”をつかさどることのできる人の力。
自分が、家族が脳死になったら? 臓器提供にyesと言えるのか。言いたいのか。
この本は年末から年始にかけて読んだ。
その直後に新しい保険証を渡された。裏には臓器提供意思の欄があった。
この本のおかげで、考えるきっかけとなった。
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