はじめまして、法学部法律学科二年の斎藤拓也です。
今回は新入所生に向けたメッセージを金ゼミ五期生が書いていくという企画の第二弾です。
メディアコムにはたくさんの人との出会いがあり、いろんな可能性がありますが、その活動の中心はゼミになる事は言うまでもありません。そこで今回はゼミを選ぶにあたってのアドバイスについて書こうと思います。以下に三点を挙げます。
①できるだけ多くのゼミのオープンゼミに行ってみる
とても基本的なことですが、この事を僕は強くお勧めします。僕はメディアコム、学部共にゼミに関する説明会にはほとんど行きませんでした。最初に関心を持った数個にしぼって、その他には目もくれないという決め方です。このやり方では自分の先入観が大きく影響するので、後で実際はこんなイメージじゃなかったのにと後悔する可能性があります。もちろん、金ゼミに関して後悔したというではありませんよ! 笑
実際にゼミ生と話すことで、研究分野に関心が湧いたり、自分のフィーリングに合うかどうかも判断できます。こればっかりはゼミに足を運んでみないと分からない。僕自身がそれをしなかったことの反省から、皆さんにはそうして欲しいです。
②1年後をイメージしてみる
2〜3年間と入所時の学年によって期間は違いますが、ゼミに所属する期間は案外長いものです。ゼミを選ぶ際に漠然と決定するのではなく、少なくとも1年後の自分をイメージすると良いかもしれません。
僕自身は金ゼミでの活動を通じて、1年前よりは明らかに成長できたと感じています。その程度や基準はさておき、確かな成長を実感しています。それは、ゼミにゲストとして来てくださる社会人の方達と接するたびに刺激を受け、そういった社会で活躍されている方達に対して自分の意見を発言することを繰り返したからだと思います。当然、他のゼミにも様々な形で自分が成長するためのチャンスはあると思います。そういった事を具体的に思い浮かべて、1年後に自分がどうなっているかをイメージすれば結果的に自分が入るべきゼミは決まるのではないでしょうか。
③研究テーマを自分がやってみたいか
一言でメディアコムといっても、ゼミによって研究しているテーマは異なります。ゼミでは誰とドコで学ぶという事も大事ですが、自分が”何を”学ぶかと言う事がより重要だと最近はつくづく感じています。結局、自分が真に関心を抱けるテーマでないと、活き活きと研究に打ち込むことはできません。例えば、新聞記者になりたいとおもうのであれば、その道を研究しているゼミに入るのがベストだと思っています。逆に、これまでは全く関心がなくても、視野を広げる為に敢えて日々の関心とは違うことを研究テーマするゼミに入ることもありですが、その場合には自分が主体的に関心を持って取り組めるかどうかを基準に選ぶと良いと思います。ただ単に、人との出会いがあるからとかゼミの雰囲気が明るいから等の理由で選択をすると本当の意味での研究成果を出す事は難しいです。
以上がアドバイスですが、これは僕自身の実践から言っていることだけではなく、周りのメディアコムの人達を見て気づいた事も含んでいます。
それと、ゼミ選びは重要と言いましたが、メディアコムでは授業や、部署(研究生はメディアコムの運営の為に各部署に所属することができる)、飲み会などで他ゼミの人達と広く交流することができます。色んな人と出会えるので刺激を受けます。ゼミは重要ですが、それだけが全てではありません。あまり堅く考えすぎずに色んな選択肢をもって柔軟にゼミを決めて欲しいです。
次回は矢野ようこちゃん、お願いします〜!
2011年2月20日日曜日
2011年1月14日金曜日
【ホンヨミ!】0114①ヒット商品が教えてくれる人の「ホンネ」をつかむ技術 並木裕太著【斎藤】
以前、菱木さんにぜひ読んだ方がいいよと推薦されたので、アマゾンで本書を購入してみた。
筆者はマッキンゼー・アンド・カンパニーでブランドマーケティングを担当し、09年以降はフィールドマネジメントを設立しコンサルティングサービスを提供している。
本書の目的はヒット商品の成功からデータでは読み取ることのできない、人々のホンネをつかむことの重要性を示す事である。しかし、ホンネをいかにして導きだすかという方法論に関しては丁寧に示されていないので、その点は注意しなければならない。
まず、ホンネを引き出すにあたって直接的に質問をむけても、相手は答えてくれない。他者に対する建前が邪魔をするからだ。相手にかっこうよく見られたい、逆にカッコ悪く見られたくない等の人の心の部分がホンネを伝える事を妨げる。
それを前提として、人々のホンネの部分にアプローチする為にはうまく逃げ道を作ってあげることが必要だ。
例えば育毛剤を売る際に、従来のデータでは、消費者が求めるものは効果であったが、薄毛に対する効果をプロモーションで全面に押してしまうと、かえって薄毛の人が購入するのを恥ずかしがり遠ざかってしまう。そこで、彼らが購入し易い逃げ道を設けておく事が求められる。
データのにとらわれてしまうことで一方通行に商品押し付けてはだめなのだ。
こういった事を踏まえて、人が持つ欲求としてが筆者が提示しているのは
①自分の恥ずかしい部分を隠したい
②自分の理解してほしい部分をアピールしたい
③他人の隠したい恥ずかしい部分を知りたい
という三つのことである。
これらの欲求をうまく捉えているのがヒット商品の要因であると筆者は述べている。
実際の商品例を引き合いにしながら本書では解説されているので、一読されたい。
筆者はマッキンゼー・アンド・カンパニーでブランドマーケティングを担当し、09年以降はフィールドマネジメントを設立しコンサルティングサービスを提供している。
本書の目的はヒット商品の成功からデータでは読み取ることのできない、人々のホンネをつかむことの重要性を示す事である。しかし、ホンネをいかにして導きだすかという方法論に関しては丁寧に示されていないので、その点は注意しなければならない。
まず、ホンネを引き出すにあたって直接的に質問をむけても、相手は答えてくれない。他者に対する建前が邪魔をするからだ。相手にかっこうよく見られたい、逆にカッコ悪く見られたくない等の人の心の部分がホンネを伝える事を妨げる。
それを前提として、人々のホンネの部分にアプローチする為にはうまく逃げ道を作ってあげることが必要だ。
例えば育毛剤を売る際に、従来のデータでは、消費者が求めるものは効果であったが、薄毛に対する効果をプロモーションで全面に押してしまうと、かえって薄毛の人が購入するのを恥ずかしがり遠ざかってしまう。そこで、彼らが購入し易い逃げ道を設けておく事が求められる。
データのにとらわれてしまうことで一方通行に商品押し付けてはだめなのだ。
こういった事を踏まえて、人が持つ欲求としてが筆者が提示しているのは
①自分の恥ずかしい部分を隠したい
②自分の理解してほしい部分をアピールしたい
③他人の隠したい恥ずかしい部分を知りたい
という三つのことである。
これらの欲求をうまく捉えているのがヒット商品の要因であると筆者は述べている。
実際の商品例を引き合いにしながら本書では解説されているので、一読されたい。
2011年1月7日金曜日
ホンヨミ0107②プロフェッショナル達の脳活用法【斎藤】
『プロフェッショナル達の脳活用法』(著)茂木健一郎
本書で関心を持ったのは、制約とのつきあい方について描かれた章だった。
では、制約とはなにか。本書では、現代にみられる多重文脈性によって人がそれぞれの文脈において、それぞれの役を果たさなければならなくなり、結果的にこの役ではこのようにあるべきだと自らに制約をかけてしまっている状況のことを表す。
はたして、昔の時代では本当に制約が存在しなかったのかという議論が十分になされていない感は否めないが、現代におけるIT技術によって一人の人間が関わることができる領域が広がり、かえって多分化を引き起こし人間の脳にストレスを与えていると分析されている。そもそも、脳科学的には人間の脳は一つの事に集中して全エネルギーを傾注することを得意とするらしい。
また、生物の脳には一定の状態を保とうとするホメオスタシス(恒常性)の働きがあり、それにより体温、脈拍等の変化を元に戻そうとするらしい。つまり、生物の脳は本質的に固定概念にとらわれがちなのだが、人間は例外的にそれからダイナミックにはみ出すこともできるため、その能力に長けた人物達が開拓者と呼ばれるようになるのだろうと述べてある。そして、固定概念にとらわれないことが結果的に先に述べた文脈にとらわれないことにもつながる。
具体的な考え方をあげると
-専門性を高めることは仕事を分割することでなく、むしろ全体を見失わずにバランスを とるために専門だからこれだけしかしないと思わない。
-ずっと同じところにいたらそれが当たり前と感じるので、絶えず新鮮な目で問題意識を持つ。
などがあるが、そのなかでも自分自身のなかで確固たる軸を持つ事の重要性を示している。人間の脳は確かなことと不確かなことの間でバランスをとるので、ある軸がなければ不確かな事にチャレンジできないのだ。
以上のような事柄が本章には述べられている。
私自身は個人的に活用法など〜法とつく本を読むのが大嫌いなのだが、受験時代に参考にしようと思い本書を買った。そして、今回帰省したときに再度読んでみたのだが、あとがきの部分で茂木さんが述べている頭がよくなりたいという願望は太古の昔から人類が抱きつづけ、その方法論が貧欲に追い求められてきたという部分に共感できた。
太古の時代でも、その時代のさまざま制約のなかで、文明を発展させてきたのだから人間は制約のなかであってもさらに何かを進化させる、あるいは自身が進化する能力を持っているのだと思った。
本書で関心を持ったのは、制約とのつきあい方について描かれた章だった。
では、制約とはなにか。本書では、現代にみられる多重文脈性によって人がそれぞれの文脈において、それぞれの役を果たさなければならなくなり、結果的にこの役ではこのようにあるべきだと自らに制約をかけてしまっている状況のことを表す。
はたして、昔の時代では本当に制約が存在しなかったのかという議論が十分になされていない感は否めないが、現代におけるIT技術によって一人の人間が関わることができる領域が広がり、かえって多分化を引き起こし人間の脳にストレスを与えていると分析されている。そもそも、脳科学的には人間の脳は一つの事に集中して全エネルギーを傾注することを得意とするらしい。
また、生物の脳には一定の状態を保とうとするホメオスタシス(恒常性)の働きがあり、それにより体温、脈拍等の変化を元に戻そうとするらしい。つまり、生物の脳は本質的に固定概念にとらわれがちなのだが、人間は例外的にそれからダイナミックにはみ出すこともできるため、その能力に長けた人物達が開拓者と呼ばれるようになるのだろうと述べてある。そして、固定概念にとらわれないことが結果的に先に述べた文脈にとらわれないことにもつながる。
具体的な考え方をあげると
-専門性を高めることは仕事を分割することでなく、むしろ全体を見失わずにバランスを とるために専門だからこれだけしかしないと思わない。
-ずっと同じところにいたらそれが当たり前と感じるので、絶えず新鮮な目で問題意識を持つ。
などがあるが、そのなかでも自分自身のなかで確固たる軸を持つ事の重要性を示している。人間の脳は確かなことと不確かなことの間でバランスをとるので、ある軸がなければ不確かな事にチャレンジできないのだ。
以上のような事柄が本章には述べられている。
私自身は個人的に活用法など〜法とつく本を読むのが大嫌いなのだが、受験時代に参考にしようと思い本書を買った。そして、今回帰省したときに再度読んでみたのだが、あとがきの部分で茂木さんが述べている頭がよくなりたいという願望は太古の昔から人類が抱きつづけ、その方法論が貧欲に追い求められてきたという部分に共感できた。
太古の時代でも、その時代のさまざま制約のなかで、文明を発展させてきたのだから人間は制約のなかであってもさらに何かを進化させる、あるいは自身が進化する能力を持っているのだと思った。
ホンヨミ0107①プロ弁護士の思考術【斎藤】
『プロ弁護士の思考術』(著)矢野正秋
本書では思考することの重要性を説いている。その際のポイントとして
一、抽象的ではなく具体的に考える
二、計画、思考の手順をたてる
三、行動は思考を弱める
以上の点をあげている。
まず抽象的に思考することの弊害は個々の事例を一般化してしまい、機械的にものごとを判断してしまうことである。当然のことながら社会の出来事はどれもが個別の具体的な事例であり、それぞれが異なる事実である。この事実をどこまで詳細に把握できるかが思考する上で重要となる。にもかかわらず、詳細を正確に把握しないまま、情報の不足を棚上げして事実を一般化してしまえば、後に決定的な誤解を生み出してしまう。ここではできるだけ、個別具体的に事実を認識し、情報がもしも不足しているならば不足しているという事実を認識した上で思考することがポイントとなる。
また、本書で引用されている数学者であり哲学者でもあるゴットフリート・ライプニッツのが定義した連続律の考え方も重要だ。自然は飛躍することがない、つまり、あらゆる存在は独立した単独の個々ではなく連続しているのだと筆者は理解している。この理解の助けとしては死について考えてみると良い。人間はいきなり生から死の状態になるのではなく、ある過程を経て生から死に至るのだ。これは、全ての事象が対極に位置する二項の対立によっては表しきれない事を示す。
これは先に述べた具体的に思考することにも関連する。状況が完全に把握できたか、できていないかの極論によって思考するのではなく、なるべく完全な状況に近づける姿勢を維持する必要があるのだ。人間は足りない情報を補完して一般化してしまう傾向があるのでその点について注意しなければならない。
また、感情に流されない思考をするために、物事を順序だてることも求められる。突発的な感情に突き動かされてしまえば具体的な事実について思考することができなくなるからだ。感情による思考を排除することの意義は無理な精神論に至る事を防げる点にある。やればできるといった精神論にもとづく思考は、最初は勢いがあっても最終的には脆いものだ。
本書では思考することの重要性を説いている。その際のポイントとして
一、抽象的ではなく具体的に考える
二、計画、思考の手順をたてる
三、行動は思考を弱める
以上の点をあげている。
まず抽象的に思考することの弊害は個々の事例を一般化してしまい、機械的にものごとを判断してしまうことである。当然のことながら社会の出来事はどれもが個別の具体的な事例であり、それぞれが異なる事実である。この事実をどこまで詳細に把握できるかが思考する上で重要となる。にもかかわらず、詳細を正確に把握しないまま、情報の不足を棚上げして事実を一般化してしまえば、後に決定的な誤解を生み出してしまう。ここではできるだけ、個別具体的に事実を認識し、情報がもしも不足しているならば不足しているという事実を認識した上で思考することがポイントとなる。
また、本書で引用されている数学者であり哲学者でもあるゴットフリート・ライプニッツのが定義した連続律の考え方も重要だ。自然は飛躍することがない、つまり、あらゆる存在は独立した単独の個々ではなく連続しているのだと筆者は理解している。この理解の助けとしては死について考えてみると良い。人間はいきなり生から死の状態になるのではなく、ある過程を経て生から死に至るのだ。これは、全ての事象が対極に位置する二項の対立によっては表しきれない事を示す。
これは先に述べた具体的に思考することにも関連する。状況が完全に把握できたか、できていないかの極論によって思考するのではなく、なるべく完全な状況に近づける姿勢を維持する必要があるのだ。人間は足りない情報を補完して一般化してしまう傾向があるのでその点について注意しなければならない。
また、感情に流されない思考をするために、物事を順序だてることも求められる。突発的な感情に突き動かされてしまえば具体的な事実について思考することができなくなるからだ。感情による思考を排除することの意義は無理な精神論に至る事を防げる点にある。やればできるといった精神論にもとづく思考は、最初は勢いがあっても最終的には脆いものだ。
2010年12月20日月曜日
1217ゼミ感想【斎藤】
今年最後のゼミでしたが、それぞれにとって節目となったと思います。
皆さんそれぞれが自分自信の飾らない言葉でゼミ生に語りかける姿が今回は強く感じられました。それだけ、聞き手もそのメッセージを受け止めようと真剣でした。
僕自身、何を話そうかということを一週間くらい考えていていて、そこからまとめた内容をどういった形で話そうかとなったときに今回はスライドを使わずに口頭にて伝えることにしました。スライドと内容をうまく一致させられなければ、内容がかえって軽くなってしまう可能性があると思ったからです。
その点、三期生の方々は、スライドの使い方がうまかったと思いました。例えば、大賀さんのスライドでの雲の画像の使い方などです。話し手のイメージを聞き手に誤解されることなく理解する手助けの為にスライドがあるのだと再認識しました。また、どなたもスライドを送りつつも聞き手を意識しており2〜3年かけてゼミで培ったプレゼンの技術、つまり、聴衆に語りかける力はさすがだと思います。
話す内容、方法、間の取り方、笑いの入れ方…その一つ一つに個性が現れ、また、その一つ一つが聴衆にとって意味を持つのだと思います。意識して行う動作もあれば、無意識に出てしまう表情、癖もまた個性となっていました。
自分自身について振り返ると、4月に比べて相手に伝える力は確実に付いていると実感しました。今回も、話し始める前には手のひらが汗ばむほど緊張していたのですが、話し始めると何回も聞き手の人と目が合うことがあり、無言の対話となっていた気がして嬉しかったです。
それもひとえに、今年金ゼミで与えられた”人”との出会いによるものだと思います。
始めて会う方に本気で意見をぶつける経験の積み重ねがあってこそ、次第に余裕を身につけられるようになったのだと感じました。
来年度からは後輩が入ってきます。今年はとにかく発言をする事だけを意識していましたが、内容も求められてきます。所信表明では自信の姿勢について話しているひとがほとんどでしたが、研究分野として極めていきたい方向性も述べるべきだったのかなと反省しました。今年はコンテンツ産業についてのテーマを扱うことが多かった気がするのですが、僕自身のひとまずの方向性としては、春休みの間はウィキリークスに関連づけた様々な問題について考えていきたいです。この人はこの分野について語る事ができるという、それぞれの強みを持たなければゼミの中身が薄くなってしまう可能性があるからです。
最後に。
金光さんが代表としての最後のゼミとなりましたが、1年間おつかれさまでした。そして他の4期生の先輩方もおつかれさまでした。
大学のゼミの性質上、リーダーとなった人達が独裁的にものごとを決定することができず、うまく全体を調和させつつ舵取りをするといった点が苦労されたのではないかと思いました。
来年度にむけて考えなければならないのは調和とは何だろうかということではないでしょうか。うまく全員が平均的にまとまっている状態が必ずしもそれを指さないことは言わずもがなです。むしろ、関心、考え方、価値観はバラバラだけど全体として捉えた時にそれなりにまとまっている状態が理想だと感じました。来年は5期個人個人の活動もそれぞれ広がって行くようなので、誰かや何かに依存するのでなくゼミは日常で抱いた関心に関する知識、問題点をアウトプットする場としてゼミを活用したいです。
皆さんそれぞれが自分自信の飾らない言葉でゼミ生に語りかける姿が今回は強く感じられました。それだけ、聞き手もそのメッセージを受け止めようと真剣でした。
僕自身、何を話そうかということを一週間くらい考えていていて、そこからまとめた内容をどういった形で話そうかとなったときに今回はスライドを使わずに口頭にて伝えることにしました。スライドと内容をうまく一致させられなければ、内容がかえって軽くなってしまう可能性があると思ったからです。
その点、三期生の方々は、スライドの使い方がうまかったと思いました。例えば、大賀さんのスライドでの雲の画像の使い方などです。話し手のイメージを聞き手に誤解されることなく理解する手助けの為にスライドがあるのだと再認識しました。また、どなたもスライドを送りつつも聞き手を意識しており2〜3年かけてゼミで培ったプレゼンの技術、つまり、聴衆に語りかける力はさすがだと思います。
話す内容、方法、間の取り方、笑いの入れ方…その一つ一つに個性が現れ、また、その一つ一つが聴衆にとって意味を持つのだと思います。意識して行う動作もあれば、無意識に出てしまう表情、癖もまた個性となっていました。
自分自身について振り返ると、4月に比べて相手に伝える力は確実に付いていると実感しました。今回も、話し始める前には手のひらが汗ばむほど緊張していたのですが、話し始めると何回も聞き手の人と目が合うことがあり、無言の対話となっていた気がして嬉しかったです。
それもひとえに、今年金ゼミで与えられた”人”との出会いによるものだと思います。
始めて会う方に本気で意見をぶつける経験の積み重ねがあってこそ、次第に余裕を身につけられるようになったのだと感じました。
来年度からは後輩が入ってきます。今年はとにかく発言をする事だけを意識していましたが、内容も求められてきます。所信表明では自信の姿勢について話しているひとがほとんどでしたが、研究分野として極めていきたい方向性も述べるべきだったのかなと反省しました。今年はコンテンツ産業についてのテーマを扱うことが多かった気がするのですが、僕自身のひとまずの方向性としては、春休みの間はウィキリークスに関連づけた様々な問題について考えていきたいです。この人はこの分野について語る事ができるという、それぞれの強みを持たなければゼミの中身が薄くなってしまう可能性があるからです。
最後に。
金光さんが代表としての最後のゼミとなりましたが、1年間おつかれさまでした。そして他の4期生の先輩方もおつかれさまでした。
大学のゼミの性質上、リーダーとなった人達が独裁的にものごとを決定することができず、うまく全体を調和させつつ舵取りをするといった点が苦労されたのではないかと思いました。
来年度にむけて考えなければならないのは調和とは何だろうかということではないでしょうか。うまく全員が平均的にまとまっている状態が必ずしもそれを指さないことは言わずもがなです。むしろ、関心、考え方、価値観はバラバラだけど全体として捉えた時にそれなりにまとまっている状態が理想だと感じました。来年は5期個人個人の活動もそれぞれ広がって行くようなので、誰かや何かに依存するのでなくゼミは日常で抱いた関心に関する知識、問題点をアウトプットする場としてゼミを活用したいです。
2010年11月30日火曜日
1126ゼミ感想【斎藤】
①問題点の発見
ただ漠然と知識を集めるのではなく、それらのうちどこが問題点となりうるのか考えつつ作業を進行していくことが大切だとつくづく実感しました。そういった、姿勢は論文だけでなく全ての場面において有効なことだと思います。例えば、前回のゼミでは黄さんへの質問を僕がした後に、その内容を踏まえて戸高さんがさらに質問をされました。僕の話を理解し、さらにその質問では足りなかったものを自分が次の質問としてぶつけるという姿勢を持たれているのだなと思いました。ただ漠然と人の発言を聞いているだけでは、そういった相乗効果は生まれません。
また、金先生が日頃から仰っていることですが、どんな初歩的な質問であっても恥じたり遠慮せずに相手にぶつけることが必要だ、ということも改めて実感しました。僕自身の質問はかなり簡単なものでしたが、それをキッカケに戸高さんの質問を呼び込めたという意味では、相手へのFBという点に加えて場に対して更なる議論の要素を提供できるという意味で価値を生んだと思いました。それに加えて、僕が「たしかに、それもそうだけど、こんな考えもあるよね。」と三重に被せていけたらゼミの雰囲気も他者の発言を聞き逃すまいという緊張感が生まれると思います。
②発言に責任を持つ
言葉が口から出た瞬間にそれに対して責任を負わなければならない。これはゼミ生全員にたいする先生のアドバイスだとおもいました。それは、どこかの情報源で裏付けされたものだけを発しなさいということではないと思います。先に述べた事とも重なるのですが、自分の発言に意味を持たせなさいということなのではないかと解釈しました。何故、そのように発言するに至ったのかそのプロセスを大切にしたいなと感じました。プロセスとは、場の一連の議論の流れ、それまでの議論で感じたこと、日頃からの問題意識など様々に定義づけられます。プロセスを少しだけでも大切にすれば、ぐんと発言の質は向上できるし、その余地が自分にはまだまだあるはずです。
話は少し脇道にそれてしまうのですが、最近ある講演会でとても美しい言葉を使う方に出会いました。慣用表現や四字熟語などもその場に適したものを選びわけて使っていました。やはり、日本人ならではの表現を使いこなす人は魅力的に見えます。僕自身はメール等で笑いの感情を”w”で表現してしまいますが、そういった表現を完全に辞める必要は無いにせよ、引き出しとして使える言葉や表現をもっと増やしたいと思います。
③覚悟
OBOG会で感じた事なのですが、社会で働いている先輩方はどこかしら僕たちを含めた世間一般の学生よりも目が輝いていました。他のゼミ生のブログでも”キラキラ”と表現してありましたが、まさに同感です。何故輝いて見えたのか、何故キラキラしていたのかを少し考えてみました。僕が思うに、先輩方と僕の決定的な違いは覚悟があるかないかということです。大変な事もたくさんあるけれども自分が選んだ仕事なんだから、そこで精一杯やるしかないといった覚悟です。反対に僕は、これから自分がどういった生き方をするのか、どんな職に就くのかという大きなテーマに惑わされてしまい覚悟が決まっていません。腹をくくるという言葉がありますが、そういった潔さを先輩方はもっているように感じました。今、自分がすべき事はどんな大学生活を送りたいのか、今できる事は何かをハッキリさせる事ではないかと思いした。
ただ漠然と知識を集めるのではなく、それらのうちどこが問題点となりうるのか考えつつ作業を進行していくことが大切だとつくづく実感しました。そういった、姿勢は論文だけでなく全ての場面において有効なことだと思います。例えば、前回のゼミでは黄さんへの質問を僕がした後に、その内容を踏まえて戸高さんがさらに質問をされました。僕の話を理解し、さらにその質問では足りなかったものを自分が次の質問としてぶつけるという姿勢を持たれているのだなと思いました。ただ漠然と人の発言を聞いているだけでは、そういった相乗効果は生まれません。
また、金先生が日頃から仰っていることですが、どんな初歩的な質問であっても恥じたり遠慮せずに相手にぶつけることが必要だ、ということも改めて実感しました。僕自身の質問はかなり簡単なものでしたが、それをキッカケに戸高さんの質問を呼び込めたという意味では、相手へのFBという点に加えて場に対して更なる議論の要素を提供できるという意味で価値を生んだと思いました。それに加えて、僕が「たしかに、それもそうだけど、こんな考えもあるよね。」と三重に被せていけたらゼミの雰囲気も他者の発言を聞き逃すまいという緊張感が生まれると思います。
②発言に責任を持つ
言葉が口から出た瞬間にそれに対して責任を負わなければならない。これはゼミ生全員にたいする先生のアドバイスだとおもいました。それは、どこかの情報源で裏付けされたものだけを発しなさいということではないと思います。先に述べた事とも重なるのですが、自分の発言に意味を持たせなさいということなのではないかと解釈しました。何故、そのように発言するに至ったのかそのプロセスを大切にしたいなと感じました。プロセスとは、場の一連の議論の流れ、それまでの議論で感じたこと、日頃からの問題意識など様々に定義づけられます。プロセスを少しだけでも大切にすれば、ぐんと発言の質は向上できるし、その余地が自分にはまだまだあるはずです。
話は少し脇道にそれてしまうのですが、最近ある講演会でとても美しい言葉を使う方に出会いました。慣用表現や四字熟語などもその場に適したものを選びわけて使っていました。やはり、日本人ならではの表現を使いこなす人は魅力的に見えます。僕自身はメール等で笑いの感情を”w”で表現してしまいますが、そういった表現を完全に辞める必要は無いにせよ、引き出しとして使える言葉や表現をもっと増やしたいと思います。
③覚悟
OBOG会で感じた事なのですが、社会で働いている先輩方はどこかしら僕たちを含めた世間一般の学生よりも目が輝いていました。他のゼミ生のブログでも”キラキラ”と表現してありましたが、まさに同感です。何故輝いて見えたのか、何故キラキラしていたのかを少し考えてみました。僕が思うに、先輩方と僕の決定的な違いは覚悟があるかないかということです。大変な事もたくさんあるけれども自分が選んだ仕事なんだから、そこで精一杯やるしかないといった覚悟です。反対に僕は、これから自分がどういった生き方をするのか、どんな職に就くのかという大きなテーマに惑わされてしまい覚悟が決まっていません。腹をくくるという言葉がありますが、そういった潔さを先輩方はもっているように感じました。今、自分がすべき事はどんな大学生活を送りたいのか、今できる事は何かをハッキリさせる事ではないかと思いした。
2010年11月15日月曜日
1112ゼミ感想【斎藤】
【NC】
久々にNCをやった気がするのですが、とても楽しくてニヤニヤしました。クールパワーで日本文化を海外に発信するためにはというテーマでしたが、それを担うのは官に限らず民間、個人であると思いました。それを活かして、結果的に国益に結びつけるバブリックディプロマシーの理念も面白かったです。現在の時事問題だと尖閣問題での日中関係がありますが、政治、経済、軍事などのハードパワーは官主導になりがちです。そうではなく、音楽、マンガ、映画、教育…など様々な分野で僕ら自身が自国と他国をつなぐ主役になりうる要素がたくさんあるのがソフトパワー、クールパワーの魅力で夢のある点だと思います。従来の政治交渉のように、自国の利益を追求したり、表向きでは主張を押し付け合って水面下で妥協点を探るような暗いイメージではなく、純粋に相手の文化への共感を抱くことができるのも、こういったソフトパワーを活かした対外発信のメリットだと思います。といいつつ、在日米軍の萌え漫画は彼らのしたたかさが露呈して若干不愉快でしたが。その点では岸本さんの文化的侵略感というキーワードが印象的でした。
以前、歌舞伎座が取り壊され現代的な建物になるに当たって中村勘三郎氏が仰っていたことで印象に残っている事があるので紹介します。テレビで見たものなので一言一句完璧ではないのですが、演じる器は関係なく、自分達これまでどおり演じるだけだという内容でした。歌舞伎という伝統にこだわる世界に生きながらも、環境が変わることを恐れない姿に感動しました。ここから、文化を担っているのは他でもなく人間なのだということを感じました。元麻生首相が打ち出した”漫画の殿堂”が批判されたのは、そういった理念が欠けており、器だけを作ってしまえという安直なビジョンしか伝わってこなかったからなのかなと感じました。
NCに関してはもっと時間があれば良かったというのが率直な意見ですが、限られた時間を活用する力も大事なので、テーマ設定、目標設定、概念の共有などはきっちりやるべきだなとグループワークを通じて感じました。ハード面ではなく、それを担うソフト面でのテーマ設定は非常に面白かったです。担当者の方おつかれさまでした。
【戸高さんプレゼン】
好きなことテーマにする。OGの阿久津さんも仰ったように学生時代しか好きなことができないという意見もありましたし、好きという事実こそ最大のモチベーションになる気がしました。また、テーマが変わっても最初の事が後に生きてくる。言葉の定義づけをしっかりするなど論文作成にあったて参考になりました。
【三田論】
進捗状況としましては、ウェブ上で構築した人の関係性をリアルに移行させる為の(例:候補者のツイッターでの単なるフォロワーを投票所にに行かせる。ネットでのコニュニティーを実際に活動する支援団体にするなど)ツールとしてどういったものがあるか考えている状況です。三田祭ではそれらを簡単な形式にまとめて、中間発表、展示とする予定です。
久々にNCをやった気がするのですが、とても楽しくてニヤニヤしました。クールパワーで日本文化を海外に発信するためにはというテーマでしたが、それを担うのは官に限らず民間、個人であると思いました。それを活かして、結果的に国益に結びつけるバブリックディプロマシーの理念も面白かったです。現在の時事問題だと尖閣問題での日中関係がありますが、政治、経済、軍事などのハードパワーは官主導になりがちです。そうではなく、音楽、マンガ、映画、教育…など様々な分野で僕ら自身が自国と他国をつなぐ主役になりうる要素がたくさんあるのがソフトパワー、クールパワーの魅力で夢のある点だと思います。従来の政治交渉のように、自国の利益を追求したり、表向きでは主張を押し付け合って水面下で妥協点を探るような暗いイメージではなく、純粋に相手の文化への共感を抱くことができるのも、こういったソフトパワーを活かした対外発信のメリットだと思います。といいつつ、在日米軍の萌え漫画は彼らのしたたかさが露呈して若干不愉快でしたが。その点では岸本さんの文化的侵略感というキーワードが印象的でした。
以前、歌舞伎座が取り壊され現代的な建物になるに当たって中村勘三郎氏が仰っていたことで印象に残っている事があるので紹介します。テレビで見たものなので一言一句完璧ではないのですが、演じる器は関係なく、自分達これまでどおり演じるだけだという内容でした。歌舞伎という伝統にこだわる世界に生きながらも、環境が変わることを恐れない姿に感動しました。ここから、文化を担っているのは他でもなく人間なのだということを感じました。元麻生首相が打ち出した”漫画の殿堂”が批判されたのは、そういった理念が欠けており、器だけを作ってしまえという安直なビジョンしか伝わってこなかったからなのかなと感じました。
NCに関してはもっと時間があれば良かったというのが率直な意見ですが、限られた時間を活用する力も大事なので、テーマ設定、目標設定、概念の共有などはきっちりやるべきだなとグループワークを通じて感じました。ハード面ではなく、それを担うソフト面でのテーマ設定は非常に面白かったです。担当者の方おつかれさまでした。
【戸高さんプレゼン】
好きなことテーマにする。OGの阿久津さんも仰ったように学生時代しか好きなことができないという意見もありましたし、好きという事実こそ最大のモチベーションになる気がしました。また、テーマが変わっても最初の事が後に生きてくる。言葉の定義づけをしっかりするなど論文作成にあったて参考になりました。
【三田論】
進捗状況としましては、ウェブ上で構築した人の関係性をリアルに移行させる為の(例:候補者のツイッターでの単なるフォロワーを投票所にに行かせる。ネットでのコニュニティーを実際に活動する支援団体にするなど)ツールとしてどういったものがあるか考えている状況です。三田祭ではそれらを簡単な形式にまとめて、中間発表、展示とする予定です。
【ホンヨミ!1115②】ハーバードからの贈り物【斎藤】
ハーバードビジネススクールでは卒業生に向けて、最後の授業で教授からメッセージを送るのが恒例となっており、そのはなしこそハーバードビジネススクールの神髄と言われものを書籍化したものだ。これから社会にでていく世界一のエリート達に向けられたメッセージは意外にも難しい話ではなく、人生をどういきるかという温かい内容のものである。各話の内容については本書で実際に読んでもらうのが良いと思うので、教授達の人生観、話術から気になった点をピックアップして紹介する。
①人生から学ぶ
ハーバードと言えば世界最高学府であるが、本書に登場する教授の多くは学問の分野ばかりでなく人間的にも豊かな人が多い。学問を離れた人生経験こそが、自分の価値観を形成するのだという至極当たり前のことに気づかされた。そういった価値観をもとに学問を活かして社会に貢献するのだと思う。例えば、ジャイ・ジャイクマイという製造科学を専門にする教授は登山家でもあるのだが、ヒマラヤにアタックした際に生死をさまよった。それによって、自分の境遇に感謝すること、人生における使命を見つけた。転落事故を期に人間的にはさらなる高見に昇ることができたのだ。やはり、学問だけでは人間的につまらないと思う。それをハーバードのエリート達に向けて言っているのだから一層説得力がある。
②人に伝えるために
世界一頭の良い生徒達に話すからといって、けっして難しい言葉を使っている訳ではない。人生の中で自分が感じた事を、具体的なエピソードを交えて伝えている。相手を納得させるだけの完璧な論理を組み立てることももちろん重要だが、それ以上に自分自身が何を感じて、そう思ったのか丁寧に言葉にすることが相手の共感を生むのだろう。例えば就職活動などで、真面目になりすぎて志望動機などで堅い意見しか言わなくなる人がいるが、結局のところ人の心を動かすのは何だろうかという大事な事が書いてあると思う。
③肩の力を抜く
エリートとしての道を歩みつつけなければならないというプレッシャーがハーバードビジネススクールの卒業生には大きくのしかかるだろうが、そのプレッシャに惑わされることなく人間として豊かな人生を送るためのヒントがある。例えば、鏡のまえに立って自分の目を見つめ、何年後に環境が大きく変わっても、もう一度鏡の前に立っている人間は自分自身でしか無い事を確認することがあげられる。ほかにも、ある分野で挫折した教授の話があったが、その教授は挫折を乗り越えて、今自分にできることを見つけた。通常だとこれまで培ってきたものが崩れてしまったと考えがちだが、柔軟に自分の適正を見極めてつぎの選択をした。多くの教授に通じるのは物事を白か黒かで考えずに、つまり結果だけではなく何故その思考におちいったのか過程を重視していることも印象に残った。
①人生から学ぶ
ハーバードと言えば世界最高学府であるが、本書に登場する教授の多くは学問の分野ばかりでなく人間的にも豊かな人が多い。学問を離れた人生経験こそが、自分の価値観を形成するのだという至極当たり前のことに気づかされた。そういった価値観をもとに学問を活かして社会に貢献するのだと思う。例えば、ジャイ・ジャイクマイという製造科学を専門にする教授は登山家でもあるのだが、ヒマラヤにアタックした際に生死をさまよった。それによって、自分の境遇に感謝すること、人生における使命を見つけた。転落事故を期に人間的にはさらなる高見に昇ることができたのだ。やはり、学問だけでは人間的につまらないと思う。それをハーバードのエリート達に向けて言っているのだから一層説得力がある。
②人に伝えるために
世界一頭の良い生徒達に話すからといって、けっして難しい言葉を使っている訳ではない。人生の中で自分が感じた事を、具体的なエピソードを交えて伝えている。相手を納得させるだけの完璧な論理を組み立てることももちろん重要だが、それ以上に自分自身が何を感じて、そう思ったのか丁寧に言葉にすることが相手の共感を生むのだろう。例えば就職活動などで、真面目になりすぎて志望動機などで堅い意見しか言わなくなる人がいるが、結局のところ人の心を動かすのは何だろうかという大事な事が書いてあると思う。
③肩の力を抜く
エリートとしての道を歩みつつけなければならないというプレッシャーがハーバードビジネススクールの卒業生には大きくのしかかるだろうが、そのプレッシャに惑わされることなく人間として豊かな人生を送るためのヒントがある。例えば、鏡のまえに立って自分の目を見つめ、何年後に環境が大きく変わっても、もう一度鏡の前に立っている人間は自分自身でしか無い事を確認することがあげられる。ほかにも、ある分野で挫折した教授の話があったが、その教授は挫折を乗り越えて、今自分にできることを見つけた。通常だとこれまで培ってきたものが崩れてしまったと考えがちだが、柔軟に自分の適正を見極めてつぎの選択をした。多くの教授に通じるのは物事を白か黒かで考えずに、つまり結果だけではなく何故その思考におちいったのか過程を重視していることも印象に残った。
2010年11月12日金曜日
【ホンヨミ!1115①】感情/ディラン・エヴァンズ 著 遠藤利彦 訳・解説【斎藤】
面白かったのはコンピューターも情動を持ちうるかというテーマだった。
2001年宇宙の旅、マトリックス、A.I.など多くの映画で人間的な感情を持つコンピューターが登場しており、誰しも少しくらいはそんな未来がやってくるのだろうかと想像したことがあるはずだ。なにより、ドラえもんという国民的人気キャラクターも情動を持つコンピューターロボットだ。現在、私たちの多くが触れるコンピューターは無機質なものであるが、将来的には人間のように情動を持つコンピューターが登場すると主張する科学者もいる。そういった主張を哲学者をはじめとする人々は様々な根拠をあげて否定する。
コンピューターが人間に近づくことができるかというこのような議論は私たちに情動とは何かについて考えるキッカケを与えてくれる。
人間とコンピューターの違いとはなんだろうか。本書ではそれこそが情動であるとしている。そこでさらに問題となるのは情動とは何かという事だ。
本書で提示されているのは神経生物学的根拠によるもの、行動に表出するもの、機能的な基準によるものなどである。一つ一つを検証することは割愛するが、こういった定義の一つにだけとらわれてしまうことは、情動について考察するに当たってふさわしくないとされる。心理学者、哲学者の間でも多くの相互関連を持つ側面から総合的にとらえる必要があるとのコンセンサスが形成されている。安直ではあるが、こういった様々な基準よりも私たちにとって一番納得ができるのは、私たちが感じとる感情の根源が情動の最も主要な定義ではないかと思った。
ロボットが障害物を避けるようにプログラミングされたり、カメラに映った人間の表情、行動に応じて何らかのアクションを示したりなど、あたかもコンピューター側が主体的に判断をしているような錯覚に陥ることを体験した事があるだろう。しかし、それはあくまでもプログラミング通りの動きをしているにすぎない。本書では、情動の条件として不確実性があげられているのだが、プログラミングされているという事実は不確実性とは正反対の性質を持つのでコンピューターには情動を持つ素質がはなから無いと言えるかもしれない。
ここで面白いのが、コンピューターに不確実性を加えることで、人間にとって大きな利益を与えるということであった。例えば、惑星を探索するロボットは人間が地上から常にリモートコントロールしなければならない。これは大きなコストである。もしくは、はじめから行動をプログラミングしたとしたら、不慮のアクシデントに対して全く無抵抗になってしまう。コンピューターが自ら、状況を判断して次のアクションを起こせるならば、そういった危険を回避できる。こういった不確実性によって惑星探索ロボットの稼働効率は上がる。同じように様々な分野で応用できる。コンピューターは二つ以上の目的をこなさなければならないというジレンマを抱えているが、人間が指示をしなくとも自ら効率的な方法を判断することができればその利便性を増す。あくまでも人間のプログラミングに反することのない範囲でという制約はついてしまうが。しかし、その制約を超そうとするのが情動であるのだが、といったエンドレスな思考に陥ってしまうのも面白いと思った。
本書は一冊で感情、情動について理解できるとされるものだが、正直いって完全に理解はできなかった。ただ、足がかりにはなったので今後も続けて情動とは何か考えてみたいと思った。
2001年宇宙の旅、マトリックス、A.I.など多くの映画で人間的な感情を持つコンピューターが登場しており、誰しも少しくらいはそんな未来がやってくるのだろうかと想像したことがあるはずだ。なにより、ドラえもんという国民的人気キャラクターも情動を持つコンピューターロボットだ。現在、私たちの多くが触れるコンピューターは無機質なものであるが、将来的には人間のように情動を持つコンピューターが登場すると主張する科学者もいる。そういった主張を哲学者をはじめとする人々は様々な根拠をあげて否定する。
コンピューターが人間に近づくことができるかというこのような議論は私たちに情動とは何かについて考えるキッカケを与えてくれる。
人間とコンピューターの違いとはなんだろうか。本書ではそれこそが情動であるとしている。そこでさらに問題となるのは情動とは何かという事だ。
本書で提示されているのは神経生物学的根拠によるもの、行動に表出するもの、機能的な基準によるものなどである。一つ一つを検証することは割愛するが、こういった定義の一つにだけとらわれてしまうことは、情動について考察するに当たってふさわしくないとされる。心理学者、哲学者の間でも多くの相互関連を持つ側面から総合的にとらえる必要があるとのコンセンサスが形成されている。安直ではあるが、こういった様々な基準よりも私たちにとって一番納得ができるのは、私たちが感じとる感情の根源が情動の最も主要な定義ではないかと思った。
ロボットが障害物を避けるようにプログラミングされたり、カメラに映った人間の表情、行動に応じて何らかのアクションを示したりなど、あたかもコンピューター側が主体的に判断をしているような錯覚に陥ることを体験した事があるだろう。しかし、それはあくまでもプログラミング通りの動きをしているにすぎない。本書では、情動の条件として不確実性があげられているのだが、プログラミングされているという事実は不確実性とは正反対の性質を持つのでコンピューターには情動を持つ素質がはなから無いと言えるかもしれない。
ここで面白いのが、コンピューターに不確実性を加えることで、人間にとって大きな利益を与えるということであった。例えば、惑星を探索するロボットは人間が地上から常にリモートコントロールしなければならない。これは大きなコストである。もしくは、はじめから行動をプログラミングしたとしたら、不慮のアクシデントに対して全く無抵抗になってしまう。コンピューターが自ら、状況を判断して次のアクションを起こせるならば、そういった危険を回避できる。こういった不確実性によって惑星探索ロボットの稼働効率は上がる。同じように様々な分野で応用できる。コンピューターは二つ以上の目的をこなさなければならないというジレンマを抱えているが、人間が指示をしなくとも自ら効率的な方法を判断することができればその利便性を増す。あくまでも人間のプログラミングに反することのない範囲でという制約はついてしまうが。しかし、その制約を超そうとするのが情動であるのだが、といったエンドレスな思考に陥ってしまうのも面白いと思った。
本書は一冊で感情、情動について理解できるとされるものだが、正直いって完全に理解はできなかった。ただ、足がかりにはなったので今後も続けて情動とは何か考えてみたいと思った。
2010年11月10日水曜日
【ホンヨミ!1105①】モジュール化の終焉 統合への回帰/田中辰雄【斎藤】
【モジュール化の定義】
まず、本書におけるモジュール化の定義を述べる。簡単に言うと”ユニット間の固定されたインターフェースが公開されている事”である。固定されたインターフェースに従えば誰でもユニットの生産が可能であるということだ。インターフェースとは自動車でいうシャーシにあたり、ユニットはシャーシに組わせるその他の部品となる。つまり、インターフェースとはユニットAとユニットBを連結される媒体となるものと考えてよいと思う。公開されている規格に従えば誰にでもユニットの生産が可能であり、それによって引き起こされる競争による価格低下などがメリットである。それ以上に、突破型革新技術の恩恵を受けられるというのもメリットだ。これまでに無かった新しい製品が生まれたときに、それを組み込む事ができるということである。パソコンとワープロの違いを考えると分かりやすい。パソコンならば、新しいサービス等を後から組み込む事ができる。それはユーザーが自分で設定をしなければならないなどの難点があるが、ワープロのようにはじめから完成された製品と異なり新しい機能を組み込む事ができるという可能性を持つ。こういったモジュール化が情報通信産業では主流であった。
本書ではこのようなモジュール化が終焉するとしているのだが、それは何故だろうか。
まず、留意点として本書ではモジュール化がエンドユーザーの領域において終焉すると述べられているにすぎないことを述べる。つまり、パソコンメーカーのデルは規格を公開して世界中から部品を調達する一方で、パナソニックは統合型の特徴に見られるように専用設計部品として発注しているといった違いについては別の議論、考察が必要としている。ここでのモジュール化の終焉とはAppleのIpodとitunesのような統合型のサービスについて考えるとよいと思う。
【終焉の根拠】
モジュール化終焉の根拠とされるのは、情報通信産業において
(1)突破的革新の頻度が低下した
(2)ユーザーの要望は製品の安定性、使い易さとなった
(3)インターネットにおいて統合型サービスが増加している
以上の三点である。たしかに、音楽のダーウンロードの関して、以前ならば配信事業者、再生ファイル形式、再生ソフト、再生プレイヤー組み合わせを自分で行わなければならなかった。ある程度の知識が無い人間にとっては敷居の高い仕組みである。これに比べて携帯配信やitunesでは以前より機能は限定されるものの、ユーザーは統合されたシステムの中で好きな曲をダウンロードし、そのままプレイヤーで再生するだけである。楽曲の善し悪しもあるだろうが、こういった簡単なシステムによって携帯による音楽配信での100万ダウンロードが簡単に実現しているのだろう。余談になってしまうが、既に成功をおさめているitunesではSNSの機能も組み合わされた。これに関してはネットワーク外部性も関係するだろうが、より簡単にサービスを楽しめて、それらを簡単に友人と共有することができるためには一連のサービスを統合化しなければ実現はできない。
本筋には関係ないが、ネットワーク外部性を定義するならば同じサービス、財の利用者が増えるほどに、その利用者の利便性が高まることである。例えば、電話を使用する人が世の中に一人しかいなければ電話を使う意味が無い。二人以上いて初めて電話による通話が可能になり、電話というサービスの価値が生まれる。それ以降に電話の使用者が順当に増えていけば多くの人と通話できるようになり、電話というサービスの価値もそれに比例して高まる。windowsユーザーが多ければ互換性などの問題から他のユーザーもwindowsを使うといった例も挙げられる。
【モジュール化終焉とガラパゴス日本】
モジュール化の終焉のよって日本企業にも躍進の可能性があるといえる。これまで日本は携帯電話を筆頭に世界基準とは異なる独自の規格を定めてきたことからガラパガスと揶揄されてきた。しかし、消費者が統合化したサービスが求めるようになれば、NCで扱ったSHARPのGARAPAGOSなどにも成功する可能性を見いだせるのではないかと思う。それは、amazonのkindleがアメリカで成功している事実に裏付けられる。統合化したサービスでは、突破型技術革新が起こりにくいとされるが、確かにGARAPAGOSとIpadの違いや改善点は一般消費者に分かりにくい。全く異なる統合されたサービスをまるまる開発・普及することができなければ、既存サービスをまねた統合化されたシステムの安定性、簡易性勝負となってくるのだろうが、消費者の立場からすると異なるデバイス間でもコンテンツ再生は可能であるようにしてくれればありがたいと思う。itunesのコンテンツをGARAPAGOSでも楽しむ事ができれば素晴らしいシステムだろう。そういったことができたのがモジュール化主流時代にあったMP3のメリットだったのだろうと思った。それを捨ててでも簡単なシステムを提供してもらう事は私個人に限って言えば有り余るほどの便利さを感じる。
まず、本書におけるモジュール化の定義を述べる。簡単に言うと”ユニット間の固定されたインターフェースが公開されている事”である。固定されたインターフェースに従えば誰でもユニットの生産が可能であるということだ。インターフェースとは自動車でいうシャーシにあたり、ユニットはシャーシに組わせるその他の部品となる。つまり、インターフェースとはユニットAとユニットBを連結される媒体となるものと考えてよいと思う。公開されている規格に従えば誰にでもユニットの生産が可能であり、それによって引き起こされる競争による価格低下などがメリットである。それ以上に、突破型革新技術の恩恵を受けられるというのもメリットだ。これまでに無かった新しい製品が生まれたときに、それを組み込む事ができるということである。パソコンとワープロの違いを考えると分かりやすい。パソコンならば、新しいサービス等を後から組み込む事ができる。それはユーザーが自分で設定をしなければならないなどの難点があるが、ワープロのようにはじめから完成された製品と異なり新しい機能を組み込む事ができるという可能性を持つ。こういったモジュール化が情報通信産業では主流であった。
本書ではこのようなモジュール化が終焉するとしているのだが、それは何故だろうか。
まず、留意点として本書ではモジュール化がエンドユーザーの領域において終焉すると述べられているにすぎないことを述べる。つまり、パソコンメーカーのデルは規格を公開して世界中から部品を調達する一方で、パナソニックは統合型の特徴に見られるように専用設計部品として発注しているといった違いについては別の議論、考察が必要としている。ここでのモジュール化の終焉とはAppleのIpodとitunesのような統合型のサービスについて考えるとよいと思う。
【終焉の根拠】
モジュール化終焉の根拠とされるのは、情報通信産業において
(1)突破的革新の頻度が低下した
(2)ユーザーの要望は製品の安定性、使い易さとなった
(3)インターネットにおいて統合型サービスが増加している
以上の三点である。たしかに、音楽のダーウンロードの関して、以前ならば配信事業者、再生ファイル形式、再生ソフト、再生プレイヤー組み合わせを自分で行わなければならなかった。ある程度の知識が無い人間にとっては敷居の高い仕組みである。これに比べて携帯配信やitunesでは以前より機能は限定されるものの、ユーザーは統合されたシステムの中で好きな曲をダウンロードし、そのままプレイヤーで再生するだけである。楽曲の善し悪しもあるだろうが、こういった簡単なシステムによって携帯による音楽配信での100万ダウンロードが簡単に実現しているのだろう。余談になってしまうが、既に成功をおさめているitunesではSNSの機能も組み合わされた。これに関してはネットワーク外部性も関係するだろうが、より簡単にサービスを楽しめて、それらを簡単に友人と共有することができるためには一連のサービスを統合化しなければ実現はできない。
本筋には関係ないが、ネットワーク外部性を定義するならば同じサービス、財の利用者が増えるほどに、その利用者の利便性が高まることである。例えば、電話を使用する人が世の中に一人しかいなければ電話を使う意味が無い。二人以上いて初めて電話による通話が可能になり、電話というサービスの価値が生まれる。それ以降に電話の使用者が順当に増えていけば多くの人と通話できるようになり、電話というサービスの価値もそれに比例して高まる。windowsユーザーが多ければ互換性などの問題から他のユーザーもwindowsを使うといった例も挙げられる。
【モジュール化終焉とガラパゴス日本】
モジュール化の終焉のよって日本企業にも躍進の可能性があるといえる。これまで日本は携帯電話を筆頭に世界基準とは異なる独自の規格を定めてきたことからガラパガスと揶揄されてきた。しかし、消費者が統合化したサービスが求めるようになれば、NCで扱ったSHARPのGARAPAGOSなどにも成功する可能性を見いだせるのではないかと思う。それは、amazonのkindleがアメリカで成功している事実に裏付けられる。統合化したサービスでは、突破型技術革新が起こりにくいとされるが、確かにGARAPAGOSとIpadの違いや改善点は一般消費者に分かりにくい。全く異なる統合されたサービスをまるまる開発・普及することができなければ、既存サービスをまねた統合化されたシステムの安定性、簡易性勝負となってくるのだろうが、消費者の立場からすると異なるデバイス間でもコンテンツ再生は可能であるようにしてくれればありがたいと思う。itunesのコンテンツをGARAPAGOSでも楽しむ事ができれば素晴らしいシステムだろう。そういったことができたのがモジュール化主流時代にあったMP3のメリットだったのだろうと思った。それを捨ててでも簡単なシステムを提供してもらう事は私個人に限って言えば有り余るほどの便利さを感じる。
1105ゼミ感想
ダイアログインザダーク、暗闇の中で自分がどう感じるか試される空間。それは五感への影響だけでなく、自分自身の価値観を再考させられた。実際に体験したのは小一時間だったが、もし自分が一生あの空間にいたらどうだろう。もしくは、何かの事故、病気で視覚を失ったらどうだろうか。これまでと同じ価値観で生きて行けるだろうか。他者への評価基準はどうなるのだろうか。どんな人を好きになるのだろうか。人生の目標はどうなるだろう。働く意味は。家族とは。一人で生きて行けるのだろうか。そしてなにより、自分とは何だろうか。
体験して数日経ち、改めて考えてみると色んな疑問が湧いてきた。そこで気づくのは、自分はなんと物事の表面的な部分で人、行為、目標…さまざまなことを判断していたのだろうかということだった。
銭谷さんが仰っていた「目が見えなくて好きになった人を、目が見えるようになっても好きでいると思う。」ということはきっと本質だと思う。
僕らの班をリードしてくださったこづえさんという方は目が見えないのだが、話をするときに僕ら一人一人に顔を向けて言葉をかけてくれた。僕は相手の場所を認識する時に視覚主に用いている。もしくは聴覚だ。でも、よくよく考えると特定の物差しでは測れない相手の気配への感性こそ重要なのではないかと思った。
こういった認識論的分野に浅学なのだが、物理的な認識にとどまらず、価値観や生き方といったことにおいても数値化できない部分を大切にしたいと思う。
日々、都会の忙しさの中で生きているとどうしても表面的な出来事に追われてしまい、ついにはそれしか見られなくなってしまいがちだが、本当に自分が大切に思う事を見つめられるようにありたいと思う。それは目や耳では見つける事ができないものなのかもしれない。 最後に銭谷さんから、お前らの目は死んでいるよと言われてしまったが、その通りだと思った。
暗闇の中で活動する機会はもちろんですが、そういった事を考える機会を与えてくださった、銭谷さん、宮村さん、岸本さん、ありがとうございました。
体験して数日経ち、改めて考えてみると色んな疑問が湧いてきた。そこで気づくのは、自分はなんと物事の表面的な部分で人、行為、目標…さまざまなことを判断していたのだろうかということだった。
銭谷さんが仰っていた「目が見えなくて好きになった人を、目が見えるようになっても好きでいると思う。」ということはきっと本質だと思う。
僕らの班をリードしてくださったこづえさんという方は目が見えないのだが、話をするときに僕ら一人一人に顔を向けて言葉をかけてくれた。僕は相手の場所を認識する時に視覚主に用いている。もしくは聴覚だ。でも、よくよく考えると特定の物差しでは測れない相手の気配への感性こそ重要なのではないかと思った。
こういった認識論的分野に浅学なのだが、物理的な認識にとどまらず、価値観や生き方といったことにおいても数値化できない部分を大切にしたいと思う。
日々、都会の忙しさの中で生きているとどうしても表面的な出来事に追われてしまい、ついにはそれしか見られなくなってしまいがちだが、本当に自分が大切に思う事を見つめられるようにありたいと思う。それは目や耳では見つける事ができないものなのかもしれない。 最後に銭谷さんから、お前らの目は死んでいるよと言われてしまったが、その通りだと思った。
暗闇の中で活動する機会はもちろんですが、そういった事を考える機会を与えてくださった、銭谷さん、宮村さん、岸本さん、ありがとうございました。
2010年10月31日日曜日
【ホンヨミ!1029①】グーグルが本を殺す/竹内一正著【斎藤】
知識の補完の意味を込めて読みましたが、ほとんどゼミで扱ったテーマばかりだったので復習がメインとなってしまいました。
①グーグルと新聞
先週のNCテーマでした。振り返ってみたいです。グーグルニュースの仕組みは検索エンジンを駆使して新聞社のニュース見出しを集めてまとめ、新聞社のサイトにリンクさせる。つまり、新聞情報のただとり。当初は新聞社側の反発があったもの、グーグルの集客効果に気づき態度が軟化した。その際の記事の売り方であるが、基本的には記事を機械的に並べるだけであり、新聞各社の編集Jという演出は切り捨てられた。その効果として本書であげられている例を紹介する。
海外のグーグルニュースのでは、CNNの記事タイトルもアルジャーらの記事タイトルも一緒に並ぶため右寄り左寄りなど各社の論点にあわせた意図どおりにユーザーが記事を読まなくなる。つまり、イラクで米軍がテロリストの拠点を攻撃して成果を上げたと報じる一方で、アルジャーらは米軍がイラクの村を誤爆と報じる。これを並列することで、ユーザーは自分の関心のあるものだけをクリックする事になり、新聞社側の意図が排除される。逆にグーグル側の意図による介入がされる危険もあるだろうと思う。
②グーグルは盤石か
キャリアの垂直統合型で入り込む余地がない携帯電話分野が弱いとされるグーグルもアンドロイドOSを開発し、携帯をパソコンのようにオープンなビジネスに変換して広告を打てるようにしたいという野心をもつなど、これまで弱いとされていた分野での競争力を高めようとしている。かといってその地位は盤石ではなくかつて真空管がトランジスタにとって代わったように、大きな技術の変換があれば衰退するかもしれない。真空管を極めてもトランジスタには行き着かないのだというノーベル賞学者の江崎玲於奈氏の言葉が印象的である。同様に新しい検索アルゴリズムが生まれれば現在の地位が一転するかもしれない。そのような企業が世界中の情報を統合しようとしていることを認めてよいのか。考えさせられる。
③アナログ的手段
グーグルマップの情報取得に関しても人間が実際に足を使うなど泥臭い部分を持つグーグルであるが、それはコンテンツ制作段階においても同様だと思う。例えば最近NCで扱った電子書籍で考えるとグーグルはコンテンツを提供する場を設けるだけで実際の制作段階は出版社に任せきりである。出版社が販売するものをデジタル化することに優れているだけだ。企画、作家の発掘などこれは売れるという匂いを嗅ぎ取るのはやはり人間にしか不可能な事だ。今後の出版業界は制作に特化して販売などの面ではグーグルと利益を分け合っても良いと思う。もちろん、テレビ局と映像制作会社のようなアンバランスな力関係にならぬような交渉、訴訟は行って行くべきだ。
①グーグルと新聞
先週のNCテーマでした。振り返ってみたいです。グーグルニュースの仕組みは検索エンジンを駆使して新聞社のニュース見出しを集めてまとめ、新聞社のサイトにリンクさせる。つまり、新聞情報のただとり。当初は新聞社側の反発があったもの、グーグルの集客効果に気づき態度が軟化した。その際の記事の売り方であるが、基本的には記事を機械的に並べるだけであり、新聞各社の編集Jという演出は切り捨てられた。その効果として本書であげられている例を紹介する。
海外のグーグルニュースのでは、CNNの記事タイトルもアルジャーらの記事タイトルも一緒に並ぶため右寄り左寄りなど各社の論点にあわせた意図どおりにユーザーが記事を読まなくなる。つまり、イラクで米軍がテロリストの拠点を攻撃して成果を上げたと報じる一方で、アルジャーらは米軍がイラクの村を誤爆と報じる。これを並列することで、ユーザーは自分の関心のあるものだけをクリックする事になり、新聞社側の意図が排除される。逆にグーグル側の意図による介入がされる危険もあるだろうと思う。
②グーグルは盤石か
キャリアの垂直統合型で入り込む余地がない携帯電話分野が弱いとされるグーグルもアンドロイドOSを開発し、携帯をパソコンのようにオープンなビジネスに変換して広告を打てるようにしたいという野心をもつなど、これまで弱いとされていた分野での競争力を高めようとしている。かといってその地位は盤石ではなくかつて真空管がトランジスタにとって代わったように、大きな技術の変換があれば衰退するかもしれない。真空管を極めてもトランジスタには行き着かないのだというノーベル賞学者の江崎玲於奈氏の言葉が印象的である。同様に新しい検索アルゴリズムが生まれれば現在の地位が一転するかもしれない。そのような企業が世界中の情報を統合しようとしていることを認めてよいのか。考えさせられる。
③アナログ的手段
グーグルマップの情報取得に関しても人間が実際に足を使うなど泥臭い部分を持つグーグルであるが、それはコンテンツ制作段階においても同様だと思う。例えば最近NCで扱った電子書籍で考えるとグーグルはコンテンツを提供する場を設けるだけで実際の制作段階は出版社に任せきりである。出版社が販売するものをデジタル化することに優れているだけだ。企画、作家の発掘などこれは売れるという匂いを嗅ぎ取るのはやはり人間にしか不可能な事だ。今後の出版業界は制作に特化して販売などの面ではグーグルと利益を分け合っても良いと思う。もちろん、テレビ局と映像制作会社のようなアンバランスな力関係にならぬような交渉、訴訟は行って行くべきだ。
1029ゼミ感想【斎藤】
*プレゼンテーションキム
藤田さんの仰るネガティブに考えることでプレゼンがよくなるという考えは自分にとって新しかったです。また、黄ちゃんのショートスクリプトの活用法も参考になりました。朝食の時間を活かしてTEDでプレゼンを見ているなんて素晴らしいなと思います。僕も朝食をゆっくり食べる時間くらいはちゃんと作ろうと思いました。小さい時間の積み重ねが大きい差を生みそうだと実感しおそろしくなります。世博の情報源の多さにも驚きました。僕もバイト先でビジネス系の様々な雑誌を読める環境にあるので活用したいと思います。
今回各自が作成したスライドには個性がものすごく反映されていました。そこには戸高さんが仰っていた手作り感があらわれていたように思います。スライドのつくり込みを通じて見ている人にとって印象的なプレゼンになるのだと感じました。そして、僕は菱木さんに投票していたので楽しみでしたし、結果的にとても印象的でした。最初のムービーには驚きと何故か笑いが生まれましたがその後に仰った話にも説得力がありました。しかし、最初の白黒の図が何を意味するのか気になりました。そこに何らかの意味があるように暗示させることに卓越した能力をお持ちなの思います。
いろいろな点で参考にするべきことは多いですが、なかでも各自が普段の行為(ここではプレゼン方法)を他者に理解させ実行させる程のマニュアルとしてストックしているという事はすごいと思います。僕はその場しのぎで手探りにスライドを作成しているのですが、その中で見つけた発見を蓄積し自分流のマニュアル本を完成させることが上達、自信に繋がるのだと思いました。
*ハロウィンパーティー
アンケートでのサプライズをはじめとする全ての演出はノンフィクションです。
藤田さんの仰るネガティブに考えることでプレゼンがよくなるという考えは自分にとって新しかったです。また、黄ちゃんのショートスクリプトの活用法も参考になりました。朝食の時間を活かしてTEDでプレゼンを見ているなんて素晴らしいなと思います。僕も朝食をゆっくり食べる時間くらいはちゃんと作ろうと思いました。小さい時間の積み重ねが大きい差を生みそうだと実感しおそろしくなります。世博の情報源の多さにも驚きました。僕もバイト先でビジネス系の様々な雑誌を読める環境にあるので活用したいと思います。
今回各自が作成したスライドには個性がものすごく反映されていました。そこには戸高さんが仰っていた手作り感があらわれていたように思います。スライドのつくり込みを通じて見ている人にとって印象的なプレゼンになるのだと感じました。そして、僕は菱木さんに投票していたので楽しみでしたし、結果的にとても印象的でした。最初のムービーには驚きと何故か笑いが生まれましたがその後に仰った話にも説得力がありました。しかし、最初の白黒の図が何を意味するのか気になりました。そこに何らかの意味があるように暗示させることに卓越した能力をお持ちなの思います。
いろいろな点で参考にするべきことは多いですが、なかでも各自が普段の行為(ここではプレゼン方法)を他者に理解させ実行させる程のマニュアルとしてストックしているという事はすごいと思います。僕はその場しのぎで手探りにスライドを作成しているのですが、その中で見つけた発見を蓄積し自分流のマニュアル本を完成させることが上達、自信に繋がるのだと思いました。
*ハロウィンパーティー
アンケートでのサプライズをはじめとする全ての演出はノンフィクションです。
2010年10月24日日曜日
1022ゼミ感想【斎藤】
NC
ガラパゴスの戦略はAppleのIpodデバイスによるコンテンツの囲い込みというビジネスモデルを日本市場に特化して真似したものに思われる。SHARPがデバイスの開発に踏切り、出版社が相互提携を結ぶなど電子書籍ビジネスの主導権争いが今後も激化すると思われるが、デバイスとコンテンツの組み合わせが限られてしまうのはユーザーにとっては好ましくない。個人的な理想は携帯電話でのダウンロードコンテンツである。音楽、マンガ、ゲームなどコンテンツの種類、販売会社に制限されることなく携帯電話であればキャリア、メーカーに関係なく購入するできるからだ。
また、電子書籍の販売について考える際に、出版社とapple、SHARPなどのメーカーの立場を明確に分けて考えるべきだと思う。appleの例は完全にデバイス及びitunesを開発したappleが主導権を握ったが、日本での電子書籍の販売にあたって出版社が主導権を握る、生き残る為にはどうすれば良いのか。この点について興味を抱いた。
ゲストスピーカー
普段は聴けない他のゼミ生のキャリア、生き方への話を聴く事ができて面白かった。ジョニーさんのストイックを求められるのは好きではないという言葉も印象的だった。まだまだゼミ生の価値観などを知らないなあと思ったので、これから色々話していきたいと思う。就職などまだ先の事という気持ちであるが、受験のように自分が努力すれば必ず合格するといった絶対的なものでなく就職は縁や適正という要素が強いと思うのでどこに入らなければいけないという強迫観念にとらわれることなく自分自身をさらけ出した結果として業界、企業で頑張れば良いのではないかとおもった。
2010年10月22日金曜日
【ホンヨミ!1022②】IT社会における選挙運動・選挙管理【斎藤】
①公職選挙法
ITを利用して選挙活動を行う場合に様々な活用方法が考えられるが、その際に公職選挙法に抵触しないように留意する必要がある。例えば選挙期間中のメールマガジンの発行にあたっては政治活動用のものであれば可能であるが、選挙運動の目的では禁じられているという微妙なラインを見極めなければならない。具体的には自分自身の趣味に関するものなどであれば問題が無いとされるが、それでも候補者の名前が目立つように記載した場合は売名行為となり公選法に抵触する。また、選挙期間中にビラの配布が規制されているのと同様に後援団体発行のメルマガであってもメルマガはビラの類と考えられるため配布不可能となる。ここで言うビラとは紙1枚程度のものと定義されるため、規制対象外ののパンフレットに相当するような長い文章のメルマガならば認められるかという問題だが、候補者の指名類推事項等を記載しなければ認められている。しかし、忙しい選挙期間中に違反がどうかの微妙なラインを見極めなければないことは負担、リスクが高いだろう。以上のようにこれまでの選挙活動同様に公選法を意識したIT技術の利用をしなければならない。そこで民主党で公選法の改正によってブログ、ツイッター、メルマガでの選挙活動を全面解禁しようとする動きがある。それによって今後は各政党がネット上で多くの閲覧者を持つブロガー等を擁立するなどの候補者の変化も見られるのではないかと思う。
②電子投票
電子投票では投票用紙が残らないためどの有権者が投票したのかを確認しつつ、誰に対して投票したのかを分からないようにする為の工夫が必要である。仕組みとしては簡単で、大まかに言えば投票場に行って本人確認をした上でタッチパネルを操作するだけである。これによるメリットは開票コストを大きく削減できることがあげられる。また、自筆が困難な障害者であっても簡単に投票でき、書き間違い及び他事記載による無効票をなくす事もできるだろう。もちろん機械トラブルやハッキングなどにより投票が無効になってしまう危険性は否めないが、導入することによって有権者が得る利益は大きいと考えられる。この制度は日本の地方自治体やアメリカなどで既に実施されている。
③在宅でのインターネット投票
投票所に行かなくても自宅から投票することができれば有権者にとっての利便性は非常に高まり、投票率も向上するだろう。しかし、選挙での投票とは第三者の立ち会いのもとで厳重に管理し、投票の秘密を確保して投票の自由という権利を保証している。もし自宅からの投票を認めたならば他人にブラウザの戻るボタンで誰に投票したのかを閲覧されてしまったり、パスワードを盗むことによるなりすましなどセキュリティー面での課題があることは否めない。しかし、インターネット投票が認められれば身体の不自由な人や、現在では投票権を持たない国外居住者の投票も可能になるかもしない。しかし、ネットへのアクセスを持たない人々の投票権を今後も保証する為に投票所での紙による投票方法も維持するとなるとコストが増加することも考えられる。しかし、この点に関しては国会で議論をした上で予算を割きインターネット投票の為の初期インフラを整備する必要があると思う。
ITを活用した選挙とは、これまで守られてきた厳正な選挙活動・投票行為を緩和してより候補者について有権者が知ることができたり、投票行為の敷居を低くするものだと思う。こういった事が進んだ先には若者がもっと楽しく選挙に臨む事ができるようになる社会が実現するのではないかと考える。例えば各大学に投票用のタッチパネル、またはパソコンを設置して学生が投票できるにして、選挙管理委員会の管理のもとで各大学の選挙盛り上げ委員会(仮)の様なものを立ち上げてイベント的に盛り上げることができれば若者の投票意識を高めることができるのではないか。このくらいフランクな提案も国会でされてもいいのではないか。こういった事を可能にする為にも、低コストで投票の管理が行えるIT技術と選挙の融合は必要だと思う。
ITをつかった選挙活動はアメリカが進んでおり、前回の大統領選でのオバマ陣営の活躍など大きな変革がおこった。その様相にかんしては別書”「オバマ」の作り方 怪物・ソーシャルメディアが世界を変える”(ラハフ・ハーフーシュ著)に詳しいので参考にされたい。
【ホンヨミ!1022①】「オバマ」の作り方【斎藤】
タイトルからも伺われるように、米国大統領オバマは誰かによって作られたということなのだが、その誰かというのがまさに民衆であるというのが本書のスタンスである。大統領選挙ともなれば莫大な資金が必要になり、これまでは大統領当選者の主な支援者は各界の有力者であり資産家及び営利団体などであった。しかし、前回の大統領選挙ではこれまでの常識が覆されて小口の支援をする多くの一般人のてによって彼の当選が実現したと言える。そのキーとなったのがショーシャルメディアであるというのが本書の大きな筋である。オバマ陣営が仕掛けた戦略のうち興味を持った点について触れてみたい。
ソーシャルメディアの利点として、オンライン上で支援者を繋がらせられるということがあげられる。しかし、なかなか困難な点はそれをどうやってオフラインの関係に持ち込むかという事だ。そこで実際に用いられた手法を紹介する。
まず、イベントと称して選挙序盤戦にオバマ陣営は支持者達に、ブログ、SNS、メールを通じて予備戦に向けた決起集会であるホームパーティーを主催するか、それに参加するように呼びかけた。支持者がネット上で自宅の一番近くにあるパーティー会場を簡単に見つけられるようにし、これまで互いを知らなかった支持者同士が顔を合わせられるようにしたのだ。それまで、ネットを中心に戦略をたててきたオバマ陣営にとってオフラインでの基盤を作ることは重要であり、ネットを活用して実世界でも支持者をつなげる、つまり、オンラインとオフラインを結びつけて活用することを意図としていた。
そして、オバマ陣営が支持者に求めた活動の主だったものは、誰にでもできる簡単なものばかりであった。5回だけでいいので勧誘の電話をかけることでは象徴的な例だが、決して何十もの回数を求めるのではなく、5回しか求めない事で支持者にやってみようと思わせた。これによって、過度な負担感を与えずに、自分は役に立ったという満足感を与えることに成功した。それは、支持者達に自分が選挙の為に頑張らなければならないというある種の使命感を抱かせたのだ。ここに当事者意識が生まれた。
この二つの例は、本書で述べられている内のごくわずかだが、そこから感じたのはオンラインからオフラインに移行させる為にはイベントをはじめとする具体的な催しであるとともに、感動という抽象的なものを共有させられるかどうかということも非常に重要な要素だということだった。
たとえば、ごく普通の和解女性が何故オバマの支援を行おうと思ったかということをサイトに掲載し、誰もがそれを読め、コメントを加えることもできるようにした。それはどんなに偉い人の言葉以上に身近な存在からのメッセージだからこそ心に伝わってくることがある。
ネット上で得た感動から生まれるエネルギーは必ずしもネット上に還元のではなく、人間がそれを押さえきれなくなったら次はリアルな世界に向けて吐き出そうとするのだなと感じた。それを巧みにコントロールしたオバマ陣営からは学ぶことがあった。
2010年10月21日木曜日
【ホンヨミ!1015①】ディズニーランドという聖地【斎藤】
ディズニーランドは決して子供だけの為のものではなく、全ての人間の中に眠る子供性を満たす為の場所としてウォルトディズニーが生み出したテーマパークである。彼が実現しようとしたのは、誰もが子供の頃の好奇心を取り戻し胸をときめかせられる場所であった。その実現の為に様々な工夫をしているのである。
例えば、ディズニーランドの周囲は盛り土で囲まれており中からは外が見えなくなっている。また園内にゴミが落ちている事が無いように徹底されるなど、理念的な部分だけでなく具体的な策が練られている。確かに日本のディズニーランドでも私たちは列に長時間並ぶ事の面倒臭さ以外に不快感を感じる事は無い。むしろ、その点は今後解決して欲しいと思うが…
このように、何か理想を実現するにはその方法論を具合的に示すことが重要だとおもった。まして、ディズニーランドのようにスタッフ数が多くなると理念などの抽象的なものを全員が共有する事が困難になりがちであり経営トップと従業員の考えにギャップが生まれがちである。そこを解消するために具体的マニュアルの作成は有効だと感じた。
また非常に興味深かったのは夢の国としての遊園地を設計したディズニー自身の子供時代は非常に厳格であり体罰を与える事を辞さない人物であった父による厳しい労働を強いられていたということだ。ディズニーは毎朝新聞配達をしており普通の子供がしていたような遊びを行うことができなかったことが後の彼の人生に影響を与えているのだった。
彼自身、子供時代に味わう事のできなかった全てをディズニーランドで実現すると語っている。このように、人間の成功にはそれぞれの人生におけるバックグランドが強く影響しており、その原動力によって偉大な事を成し遂げるのだと思った。
そして、彼の凄いところは他人とは異なる境遇であった子供時代を過ごしたにも関わらず、多くの人が共感することのできるテーマパークを作り上げたことだ。あるコンセプトを抱いてもそれを多くの人間が共感、共有できるようにカタチにする事は難しい。それをジャングル、宇宙、幽霊屋敷、開拓時代のアメリカなど様々な非日常世界として人々に体験させて感動を生み出す才能にディズニーは優れていたのだと感じた。
2010年10月19日火曜日
1015ゼミ感想【斎藤】
ブログアップ遅れてしまい大変もうしわけありません。気のゆるみがありました。
前回のゼミ感想を書く前に、最近の自分自身について振り返ってみたいと思います。私事ですが、この場をお借りします。
前期は自分の生活は金曜日を中心に回っており、それは負担感が大きい一方でゼミに対する緊張感が非常に高かったです。しかし、最近は金曜日に対する緊張感が低下しておりました。その原因は思い当たる点が多々あり、それはゼミとは別の僕自身の生活におけることが原因であるので改善するようにもう一度自分を見つめ直したいと思います。
もちろん全てのゼミ生にとって金ゼミは数ある活動の場の一つでしか無い訳ですが、金ゼミに入ってもう久しいですしそろそろ最下級生である事への甘えを捨てなければと思います。その上でなにか自分がゼミに貢献できる部分を見つけなければなりません。前回のゼミでは何も発言できませんでした。反省すべきです。
さらに、ゼミとは関係ない話ですが、10月18日は浪人時代にお世話になり僕が最も尊敬する先生の命日でした。その先生に教わった、努力すること、自分を信じることの大切さをもう一度思い出して生活して行きたいです。
ここでキレイ事をいっても何も始まらない訳ですが、ある意味で宣言の場として活用させていただきました。
NCに関して。
反対賛成の立場を明確に分けずに議論するのは今回が初めての試みであり新鮮でした。
新聞というテーマは様々な切り口があり、どのように扱うかによって議論の方向性は全く別のものになります。その中で割と自由な立場からの発言が許されていたことでかえって難しさを感じました。そのなかで一貫して感じていたのは、新聞そしてジャーナリズムに関して考えるときには、記者クラブをはじめとする制度に焦点を当てる必要があるのではないかということです。これは日本独自の悪習と言われていますが、それを無視して日本と米国等の新聞比較や、ツイッターをはじめとするソーシャルメディアによる様々な事象の発信がジャーナリズムに代わりうるのかといった問題は考えられないと思いました。もちろんゼミ生の中ではそういった制度上の問題点は認識されたうえで今後の新聞社のあり方について考えていたと思いますがそこについては自分自身で発言をして確認をとっていくべきでした。もしくは、そういった制度はあってもソーシャルメディア等によって切り開かれるジャーナリズム新時代では新聞は廃れてしまうのでしょうか。政治家等へのアクセスが制限されている限り、新しいジャーナリズムは従来のものには代替しないように思われます。
新聞社とポータルサイトという結構大きい枠組みの中での議論でしたが、そのなかで問題に対する焦点の当て方が各自違っており興味深かったです。議題の本筋をとらえる力と枝葉の部分からもテーマに絡めることができる力が重要なんだなと感じました。
今回のNCを踏まえて今度大石ゼミ生と話したら面白いだろうなと思います。
2010年10月11日月曜日
1008ゼミ感想【斎藤】
プレゼンが終わった瞬間、無事達成できたことへの高揚感につつまれました、そして、安堵しました。この機会を経て壁をひとつ越えることができましたし、次に現れてくるであろう壁もまた乗り越えられるという自身につながりました。簡単にではありますが今回のプレゼンを振り返ってみようと思います。
①何を伝えたいのか
プレゼンのスライドを作るに当たって、大きく分けて前半部分と寸劇を五期生メンバーの三人で担当することになりました。本格的に着手してから完成までは約三日だったのですが、そのたたき台の部分の作成に苦心しました。要は何を伝えたいのか、伝えなければならないのかが明確になっていなかったからです。10分間のプレゼンの中で何を聞き手の心に残したいのかを意識して要素を取捨選択しなければならないと役員の方々からもご指摘いただきましたが、それが無ければ筋の通ったストーリーも浮かんでこないのだと痛感しました。今回、その点を実際の体験を通じて学べたのは大きい収穫です。スライド作成も寸劇も核となる部分が決まれば、それ以降はもっとこの点を改善したらいい!といった積極的な意見が話し合いの中で出てくるようになり効率よく完成度が上がっていきました。
②緊張と覚悟
僕にとってこれまで行ってきたどのプレゼンよりも今回が一番ハードルが高かったです。それ故に、本番で失敗を招いてしまう可能性も高かったです。しかし、意外と本番では過度な緊張をせず、思いきって発表をすることができました。もちろん、変な汗はかきましたが…
その理由として2点あげたいと思います。第一に十分な練習をした事。これは大きかったです。言うべき点を何度も暗唱して覚え込んでいた事が、気持ちに余裕をもたらしました。ジプトもナレーションでアドリブを効かせるなど、とっさの判断で応用が効くのだと感じました。第二に、今年ゼミに入ってからの経験が生きているという事です。2年生になって金ゼミに入ってから、ゼミの場でプレゼンをする機会が何度かありました。このことは今回のプレゼンに比べれば慣れ親しんだ場でできることからもハードルが低く感じるかもしれませんが、2年生になってから知り合いも全くいない状態で始まったゼミの場で経験を積んだことこれは自分にとってプラスになっているのだと改めて感じました。また、ゼミ以外の場での様々な人生経験も度胸をつける点では大きくプラスになっています。本番前にはインド旅の事を思い出し、どっちがヤバい状況かを考えたらかなり落ち着けました。このように様々なことの積み重ねが次に繋がるのだと思います。間違いなく今回の経験も次の困難に立ち向かう際の大きな糧になるはずです。
③プロフェッショナル
これまでの流れを振り返ってみると、やはり僕の心は学生気分でした。振り返ってみると恥ずかしくなります。それくらい甘い自分がいました。プレゼンが終わるまではプレッシャーを正面から受け止められず、妥協したい気持ちが蔓延っていました。そういったなかで、サポートしてくださった中野渡さんをはじめとするバンダイナムコゲームスの社員の方々はプロとして僕らのアイディアを引き出してくれました。そもそも、遊びを突き詰めてそれを具体化した商品として世に送り出し、お金を稼ぐ。この事は非常に難しいことだと思います。なぜなら、好奇心、興味、そしてなにより遊び心を保ちつつ、様々な要素に対して分析を加える冷静な頭脳を持っていなければならないからです。楽しい事だけしていてもダメ、難しく考えすぎてもダメ。微妙なバランスのもとに成り立つ感覚をもとに世に受ける企画を考えることは非常に難しいことです。ゲームとは楽しいものですが、それを作りだすのは必ずしも楽しい過程ばかりでない事を教えて頂きました。そういった業界の中で働く社員の方々は僕の目にはまさにプロフェッショナルでした。学生ごときの僕がそう語るのはおこがましい事かもしれませんが、そのように感じます。
最近、自分に対する自信が無いということをよく考えるのですが、今回のプレゼンを通じて野球ボールくらいだった僕の自信の大きさがちょっと厚みをましてソフトボールくらいにはなったと思います。あまり違いがないように思われるかもしれませんが、僕自身にとっては結構な違いです。もっともっと大きくして行きたいと思いますが、それにはやはり緊張とその後の高揚感、あるいは失望感を繰り返して行くことが必要なのだと思います。
そして、今回このような成長の機会を与えてくださったバンダイナムコゲームス様、最後まで僕たちの班をサポートしてくださった中野渡さんに厚く感謝の意を表したいです。ありがとうございました。
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