・新聞のポジションとは?
新聞離れが叫ばれているが、その原因には、情報収集のための手段として「ネット」という選択肢が影響力を増していることが大きいと考えられる。確かにネット上の情報は玉石混合で信憑性に乏しいものも多く、質は新聞より遥か劣ることは目に見えて明らかである。しかし、それでも自分の欲しい情報を得る(それも新聞より自由に)手段としてインターネットが認識されるようになった以上、人は新聞の契約を更新する際躊躇することになる。「新聞をとらなくても、必要なときネットで無料で見ればいいんじゃないか?」いくら新聞社や知識人がこの選択を間違っていると批判しようとも、消費者の頭の中にそんな考えがよぎるようになった瞬間、新聞の購入率は下がってしまうだろう。議論の中でも意見が出たが、これからの新聞には「これを読み続けることで、(ネットで情報を集めるよりも)こう差がつく」という「コンセプト」を打ち出していくことが必要であると考える。社内の記者や情報網の資産を活かして、「どんな独自的な視点で切り込むか?」で勝負していくべきであると思う。
・発言について
後期になっても、ゼミ内で発言を活発にする人としない人の差がまだかなりあるような気がする。去年一年で実感したことだが、発言はすればするほど良くなる。発言することによって、①発言したという経験が自分の自信につながって、次はもっと発言しやすくなる。②アウトプットすることで客観的に自分の発言を顧みることができる。③相手からのリアクションももらえて、「次はこう質問してみたら伝わりやすいかな」と考えられるため、いいことづくしなのである。一年の時から私は自分なりに発言の目標を持っていて、①同期の誰よりも発言する→②ゼミの時間が増えるよう、同じ内容をより短い時間で簡潔に言えるようにする→③ファシリテーターが進めやすいよう、感想だけでなく、「自分だったらこうする」という提案を必ず入れるという風に移行していて、今は④細部ではなく、話題の根本について質問できるようにするということを目標にしている。
とにかく、たくさん発言すれば発言しやすくなると思うので、指す側も
「2回目の人が挙げはじめたら、まだしゃべってない人に無理やり当てる」なんてやり方にしてもいいのではないかと思った。
2010年10月19日火曜日
1015ゼミ感想【斎藤】
ブログアップ遅れてしまい大変もうしわけありません。気のゆるみがありました。
前回のゼミ感想を書く前に、最近の自分自身について振り返ってみたいと思います。私事ですが、この場をお借りします。
前期は自分の生活は金曜日を中心に回っており、それは負担感が大きい一方でゼミに対する緊張感が非常に高かったです。しかし、最近は金曜日に対する緊張感が低下しておりました。その原因は思い当たる点が多々あり、それはゼミとは別の僕自身の生活におけることが原因であるので改善するようにもう一度自分を見つめ直したいと思います。
もちろん全てのゼミ生にとって金ゼミは数ある活動の場の一つでしか無い訳ですが、金ゼミに入ってもう久しいですしそろそろ最下級生である事への甘えを捨てなければと思います。その上でなにか自分がゼミに貢献できる部分を見つけなければなりません。前回のゼミでは何も発言できませんでした。反省すべきです。
さらに、ゼミとは関係ない話ですが、10月18日は浪人時代にお世話になり僕が最も尊敬する先生の命日でした。その先生に教わった、努力すること、自分を信じることの大切さをもう一度思い出して生活して行きたいです。
ここでキレイ事をいっても何も始まらない訳ですが、ある意味で宣言の場として活用させていただきました。
NCに関して。
反対賛成の立場を明確に分けずに議論するのは今回が初めての試みであり新鮮でした。
新聞というテーマは様々な切り口があり、どのように扱うかによって議論の方向性は全く別のものになります。その中で割と自由な立場からの発言が許されていたことでかえって難しさを感じました。そのなかで一貫して感じていたのは、新聞そしてジャーナリズムに関して考えるときには、記者クラブをはじめとする制度に焦点を当てる必要があるのではないかということです。これは日本独自の悪習と言われていますが、それを無視して日本と米国等の新聞比較や、ツイッターをはじめとするソーシャルメディアによる様々な事象の発信がジャーナリズムに代わりうるのかといった問題は考えられないと思いました。もちろんゼミ生の中ではそういった制度上の問題点は認識されたうえで今後の新聞社のあり方について考えていたと思いますがそこについては自分自身で発言をして確認をとっていくべきでした。もしくは、そういった制度はあってもソーシャルメディア等によって切り開かれるジャーナリズム新時代では新聞は廃れてしまうのでしょうか。政治家等へのアクセスが制限されている限り、新しいジャーナリズムは従来のものには代替しないように思われます。
新聞社とポータルサイトという結構大きい枠組みの中での議論でしたが、そのなかで問題に対する焦点の当て方が各自違っており興味深かったです。議題の本筋をとらえる力と枝葉の部分からもテーマに絡めることができる力が重要なんだなと感じました。
今回のNCを踏まえて今度大石ゼミ生と話したら面白いだろうなと思います。
1015ゼミの感想
大変遅くなりました・・・
・結論→事例→説明
今回のプレゼンは、通したいロジックはあったものの、うまく配置が出来ずに伝えにくかったという反省点がありました。
もっとずばっと結論を先に言ってしまい、その裏付けのための数値・事例を出し、説明に繋げられたら、もっと伝えやすかったのではないかと思います。
意図的に、偏向的なプレゼンを仕上げてきたのですが、そのせいでむりやり感も醸してしまったようにも思います。伝えたいことをむりなく伝えて印象づける方法を考えるべきでした。
・議論の展開
今回のプレゼンターは矢野さんでした。
夏合宿で出た意見、テーマの深め方や議論の進め方をきちんと取り入れていて、よく練られたNCだったと思いました。テーマの選び方がよくわからない、と発言していた場面もありましたが、今回は三田論のテーマにも沿った上で班では扱っていない分野をカバーしていて、主旨にきちんと合ったものになっていました。
二者の立場に立って、発言・議論してもらう場面を多く設けることで、偏った議論を避ける工夫をしていましたが、特にジャーナリズムという言葉を使うとき、スライドを1枚使ったりして、どんなものをジャーナリズムと定義しているのか、関係図を示してみるとわかりやすかったかもですね。プレゼン側では、ジャーナリズムの捉え方を共有していた分、もったいなかったです。
・記録ってむずかしい
今回初めて書記の役割をやってみて、いつもこれをやっている人を改めて尊敬しました。
人の話を要約して関係性を示すのを同時進行でやる、というのはかなり難しく、疲れる作業でした。
どうしてもひとつの言葉に意見を集約させてしまいたく、しかしそれでは喋っている側の意図を汲み取れていないこともある。
しかも、今回は意見をつらつらと書いてるだけで、議論に上手く活用出来ませんでした。せっかく記録するのなら、「先ほどのあの意見と関連させて〜」と言ってもらえるようなホワイトボードを作って、議論の軌跡を示せるようにしたいです。
- それから
再来週は一年振りのプレゼンテーション金。
何の仕掛けか今年もやらせていただくことになり、嬉しいながらプレッシャーです。
特に最近、良くない慣れが出てきてしまったようで、元々の一生懸命さや緊張感に欠けるプレゼンを繰り返しているので、初心に立ち返ってプレゼンとは何かを考え直してみます。
・結論→事例→説明
今回のプレゼンは、通したいロジックはあったものの、うまく配置が出来ずに伝えにくかったという反省点がありました。
もっとずばっと結論を先に言ってしまい、その裏付けのための数値・事例を出し、説明に繋げられたら、もっと伝えやすかったのではないかと思います。
意図的に、偏向的なプレゼンを仕上げてきたのですが、そのせいでむりやり感も醸してしまったようにも思います。伝えたいことをむりなく伝えて印象づける方法を考えるべきでした。
・議論の展開
今回のプレゼンターは矢野さんでした。
夏合宿で出た意見、テーマの深め方や議論の進め方をきちんと取り入れていて、よく練られたNCだったと思いました。テーマの選び方がよくわからない、と発言していた場面もありましたが、今回は三田論のテーマにも沿った上で班では扱っていない分野をカバーしていて、主旨にきちんと合ったものになっていました。
二者の立場に立って、発言・議論してもらう場面を多く設けることで、偏った議論を避ける工夫をしていましたが、特にジャーナリズムという言葉を使うとき、スライドを1枚使ったりして、どんなものをジャーナリズムと定義しているのか、関係図を示してみるとわかりやすかったかもですね。プレゼン側では、ジャーナリズムの捉え方を共有していた分、もったいなかったです。
・記録ってむずかしい
今回初めて書記の役割をやってみて、いつもこれをやっている人を改めて尊敬しました。
人の話を要約して関係性を示すのを同時進行でやる、というのはかなり難しく、疲れる作業でした。
どうしてもひとつの言葉に意見を集約させてしまいたく、しかしそれでは喋っている側の意図を汲み取れていないこともある。
しかも、今回は意見をつらつらと書いてるだけで、議論に上手く活用出来ませんでした。せっかく記録するのなら、「先ほどのあの意見と関連させて〜」と言ってもらえるようなホワイトボードを作って、議論の軌跡を示せるようにしたいです。
- それから
再来週は一年振りのプレゼンテーション金。
何の仕掛けか今年もやらせていただくことになり、嬉しいながらプレッシャーです。
特に最近、良くない慣れが出てきてしまったようで、元々の一生懸命さや緊張感に欠けるプレゼンを繰り返しているので、初心に立ち返ってプレゼンとは何かを考え直してみます。
2010年10月18日月曜日
1015ゼミの感想【山本】
【NC】
“ジャーナリズムはなくなるのか”という話があったが、そもそもジャーナリズムって何なのだろう、と改めて思った。ジャーナリズムが仮に“時事的な事象の報道の仕方”という意味だとしたら、ジャーナリズムはなくなるのではなく、形を変えているように私は思う。経験測だが、現在新聞は単に毎日の時事ネタを知るための手段であり、その時事ネタを議論する、あるいは他者の意見を知る場をインターネットが担っている。いくら“議論の場”であるインターネットが繁栄したとしても、そもそもの情報を得る手段である新聞がなくなってしまうことはないように思う。その意味で、新聞(紙媒体)の今後の理想的な姿は綿密な客観報道を日々伝えること、という極めてシンプルなことのように思う。
また、新聞社の財務状況はどうなのかという話が出たが、アメリカの新聞社に比べて日本の広告費と販売費の比率の販売費の高さに驚いた。日本はインターネットが出現する以前から広告費に比べて販売費の方が圧倒的に高かったようだ。また、販売費の中でも圧倒的に定期購読者が多数を占めている。
他の多くのBtoCメーカーに比べて、ここまで定期購入者が多いということは、顧客情報を持っているという点で考えても、かなりのメリットであるように思う。
“ジャーナリズムはなくなるのか”という話があったが、そもそもジャーナリズムって何なのだろう、と改めて思った。ジャーナリズムが仮に“時事的な事象の報道の仕方”という意味だとしたら、ジャーナリズムはなくなるのではなく、形を変えているように私は思う。経験測だが、現在新聞は単に毎日の時事ネタを知るための手段であり、その時事ネタを議論する、あるいは他者の意見を知る場をインターネットが担っている。いくら“議論の場”であるインターネットが繁栄したとしても、そもそもの情報を得る手段である新聞がなくなってしまうことはないように思う。その意味で、新聞(紙媒体)の今後の理想的な姿は綿密な客観報道を日々伝えること、という極めてシンプルなことのように思う。
また、新聞社の財務状況はどうなのかという話が出たが、アメリカの新聞社に比べて日本の広告費と販売費の比率の販売費の高さに驚いた。日本はインターネットが出現する以前から広告費に比べて販売費の方が圧倒的に高かったようだ。また、販売費の中でも圧倒的に定期購読者が多数を占めている。
他の多くのBtoCメーカーに比べて、ここまで定期購入者が多いということは、顧客情報を持っているという点で考えても、かなりのメリットであるように思う。
101015ゼミの感想【村山】
遅くなってしまい申し訳ありません。以後、気をつけます。
【NC】
李先生を迎えて初めてのNCでしたが、先生も交えながら学生間で積極的に議論を行うことが出来たNCだったと思います。
テーマも、新聞社(コンテンツホルダー)とポータルサイト(プラットフォーマー)の関係性とおうことで、括弧内の切り口からの議論はこれまでも成されてきましたが、新聞という媒体自体は金ゼミでは中々扱う機会がないので、とても新鮮でした。
個人的には、岡本君が紹介してくれた海外の新聞という媒体に関する調査に興味を持ちました。紙媒体が売れなくなった今、海外ではどのようにして、その危機を乗り越えて収益を上げているのか。それが電子化という判断ならば、どのような形で電子化が進められ、その決断は紙媒体としての新聞を購読しているユーザーに受け入れられているのか。などなど、とても興味深かったです。
一方で、最近のNCは聞き手側同士の議論を促進する傾向にあると思いますが、それは各自のプレゼンターへの質問を解決することが前提だと思います。今回は、質問の時間がなかったのではないかと思います。ただ投げるだけでなく、まずは聞き手の意見・質問を募り、それを解決してからの議論の方がより良い議論を実現できるのではないかと思います。
【今後の進め方】
今後のNCの進め方や、その他諸々の情報共有を図る時間だったと思います。その中で、5期生が積極的に自分の意志を表明していたことは、とても良いことだと思います。思っていても、思っているだけでは、相手に想いは伝わりません。その点、今回の5期生はほとんど皆が自分の気持ちを表現できていたのではないでしょうか。
もちろん、自分の意見を発信することは非常に重要です。ですが、発信するだけで、実行しなければ何の意味もありません。周りからの信用もなくなります。それは僕自身、今回のブログアップの期限を守れなかったため、強く感じていることです。自戒の念も込めて書きましたが、気をつけなければと思います。
どんなに優秀な人間であっても、他者からの信用を得ることが出来なければ、決定的な状況で仕事を任せてもらうことは出来ません。それは、自分の手で自身の成長を阻害していることと同義だと思っています。これから社会人になるに当たり、一層強く意識っしなければならないと、心に刻んでいます。
村山良太
【NC】
李先生を迎えて初めてのNCでしたが、先生も交えながら学生間で積極的に議論を行うことが出来たNCだったと思います。
テーマも、新聞社(コンテンツホルダー)とポータルサイト(プラットフォーマー)の関係性とおうことで、括弧内の切り口からの議論はこれまでも成されてきましたが、新聞という媒体自体は金ゼミでは中々扱う機会がないので、とても新鮮でした。
個人的には、岡本君が紹介してくれた海外の新聞という媒体に関する調査に興味を持ちました。紙媒体が売れなくなった今、海外ではどのようにして、その危機を乗り越えて収益を上げているのか。それが電子化という判断ならば、どのような形で電子化が進められ、その決断は紙媒体としての新聞を購読しているユーザーに受け入れられているのか。などなど、とても興味深かったです。
一方で、最近のNCは聞き手側同士の議論を促進する傾向にあると思いますが、それは各自のプレゼンターへの質問を解決することが前提だと思います。今回は、質問の時間がなかったのではないかと思います。ただ投げるだけでなく、まずは聞き手の意見・質問を募り、それを解決してからの議論の方がより良い議論を実現できるのではないかと思います。
【今後の進め方】
今後のNCの進め方や、その他諸々の情報共有を図る時間だったと思います。その中で、5期生が積極的に自分の意志を表明していたことは、とても良いことだと思います。思っていても、思っているだけでは、相手に想いは伝わりません。その点、今回の5期生はほとんど皆が自分の気持ちを表現できていたのではないでしょうか。
もちろん、自分の意見を発信することは非常に重要です。ですが、発信するだけで、実行しなければ何の意味もありません。周りからの信用もなくなります。それは僕自身、今回のブログアップの期限を守れなかったため、強く感じていることです。自戒の念も込めて書きましたが、気をつけなければと思います。
どんなに優秀な人間であっても、他者からの信用を得ることが出来なければ、決定的な状況で仕事を任せてもらうことは出来ません。それは、自分の手で自身の成長を阻害していることと同義だと思っています。これから社会人になるに当たり、一層強く意識っしなければならないと、心に刻んでいます。
村山良太
2010年10月17日日曜日
いろいろ考えさせられたゼミ。【矢野】
①NC
初めてメインのプレゼンターをやりました。
準備期間が5日間ほどあったわけですが一番苦労したのは、議論の運び方でした。
前期の反省で、議論で議題を議論する、いわばきちんと議題設定がなされていない、というのがあったり意見が出しづらい議題があったと思ったので、工夫しようと思ったのですが、なかなかやはり難しかったです。
意見が二項対立しているときに、自分と同じ側の意見はいくらでも考えれば出てくるけれど、反対側の意見って考えようとしないから意外に入ってくると深く考えさせられる。そしてよりその問題全体への包括的な理解が深まるのでは、と自分自身も参考文献を読んでいて感じたため、今回のような議論の形式をとりました。これを評価してくださる人もいてうれしかったです。ただ、今回の議論設定で失敗してしまった点としては2つあって、一つは、議題に使う言葉を抽象的にしないということです。これは自分の言葉のすみ分けというか理解不足が原因だったと思います。今回のものを例にとれば、ジャーナリズム=新聞では決してないから、新聞(ジャーナリズム)のような書き方は避けるべきだったと思いました。また、2つ目としては、最初に議論の方向性、発表全体の流れを提示しておくということです。最初に、「次はこの議論が出る」ということが分かっていればもっと発表全体を「プレゼンテーターとオーディエンスで作っていく」ようなことができるのだと思います。ただ、バンダイナムコの時にも非常に悩ましかったのですが、方向性を見せるというのはある意味のネタばれであり、難しいところです。事前に資料を配ったり、議論の中で先に意見の例を出したりという塩梅もまた然りです。ネタばれでプレゼンにいい意味での驚きがない、というのと、全体としてプレゼン・議論が丸く収まりオーディエンスの理解度も高い、というののどこで均衡をとるか・・・難しいと思いました。
いい経験になったと思います。
②今後のNCとかもろもろについて
NCの議題って迷うんですよね。今回は三田論のテーマ、ということでよかったんですが。
自分の興味はこれ!そしてこの範囲の知識量なら負けないぜ!という意気でテーマ設定できるようになるといいなと思いました。
あと、いろいろ思ったことがあったので、ちょっと書きます。
メーリスで3期生の先輩がNCについての資料を送ってくださいました。
まず、あの資料を見て思ったことは「自分は本当に与えられたことしかやってないなあ」ということでした。どちらかというと自分のためにやるのが精いっぱいで、全体のアウトプットの質を高めようというところまで考えたことがあまりなかったです。もっとコミットすればするほどいいものが出せる環境なのに随分自分はもったいないことしてるなあ、と思いました。確かに学生団体とかサークルも掛け持ちしてるしバイトもしてるし忙しい理由はいっぱいあるけれど、今自分がやってることって、高校生と同じじゃないか、課題を出している人が先生か先輩かの違いだけじゃないか・・・?そう思いました。とりあえず今のままでは時間がない、作ろう、と思いました。
二つ目、NCとは何かと明確にした文書があったと思います。これをもっと早く知りたかった!と思いました。それで、ゼミでやること一つ一つにもっと共通認識、想定されるアウトプット・目標を決めてもいいんじゃないかと思いました。たとえば、このブログ。ドラッカーの言葉を借りれば「顧客はだれか?」というやつです。自分の備忘録なのか、ゼミ生に意見を共有するためなのか、金ゼミの外部発信なのか・・・。全部!という答えが一番ありえそうですが、それならそれで、どれを一番重視するのか、顧客はだれなのか、決めた方がいいと思います。その方が一つのブログに載せるのにまとまりがあるし、ターゲットが明確化しているものの方が読者側も楽しいと思います。そして書く側も顧客に合わせた書き方ができると思います。今も私だれに向けて書いているんだろうという状態なので。
三つ目、これは単純に提案なんですが、送ってくださったような資料をSkydriveなどのファイルにアップロードするのはどうでしょうか?アーカイブはSkydriveに、つかうものはDropboxに、みたいなすみ分けでやったらどうかなと思いました。もうそういうのあるよ、って感じだったらすごめんなさい。
長々と思っていることを書いてしまいました。あまり外部発信できるような代物じゃなくてすみません。
初めてメインのプレゼンターをやりました。
準備期間が5日間ほどあったわけですが一番苦労したのは、議論の運び方でした。
前期の反省で、議論で議題を議論する、いわばきちんと議題設定がなされていない、というのがあったり意見が出しづらい議題があったと思ったので、工夫しようと思ったのですが、なかなかやはり難しかったです。
意見が二項対立しているときに、自分と同じ側の意見はいくらでも考えれば出てくるけれど、反対側の意見って考えようとしないから意外に入ってくると深く考えさせられる。そしてよりその問題全体への包括的な理解が深まるのでは、と自分自身も参考文献を読んでいて感じたため、今回のような議論の形式をとりました。これを評価してくださる人もいてうれしかったです。ただ、今回の議論設定で失敗してしまった点としては2つあって、一つは、議題に使う言葉を抽象的にしないということです。これは自分の言葉のすみ分けというか理解不足が原因だったと思います。今回のものを例にとれば、ジャーナリズム=新聞では決してないから、新聞(ジャーナリズム)のような書き方は避けるべきだったと思いました。また、2つ目としては、最初に議論の方向性、発表全体の流れを提示しておくということです。最初に、「次はこの議論が出る」ということが分かっていればもっと発表全体を「プレゼンテーターとオーディエンスで作っていく」ようなことができるのだと思います。ただ、バンダイナムコの時にも非常に悩ましかったのですが、方向性を見せるというのはある意味のネタばれであり、難しいところです。事前に資料を配ったり、議論の中で先に意見の例を出したりという塩梅もまた然りです。ネタばれでプレゼンにいい意味での驚きがない、というのと、全体としてプレゼン・議論が丸く収まりオーディエンスの理解度も高い、というののどこで均衡をとるか・・・難しいと思いました。
いい経験になったと思います。
②今後のNCとかもろもろについて
NCの議題って迷うんですよね。今回は三田論のテーマ、ということでよかったんですが。
自分の興味はこれ!そしてこの範囲の知識量なら負けないぜ!という意気でテーマ設定できるようになるといいなと思いました。
あと、いろいろ思ったことがあったので、ちょっと書きます。
メーリスで3期生の先輩がNCについての資料を送ってくださいました。
まず、あの資料を見て思ったことは「自分は本当に与えられたことしかやってないなあ」ということでした。どちらかというと自分のためにやるのが精いっぱいで、全体のアウトプットの質を高めようというところまで考えたことがあまりなかったです。もっとコミットすればするほどいいものが出せる環境なのに随分自分はもったいないことしてるなあ、と思いました。確かに学生団体とかサークルも掛け持ちしてるしバイトもしてるし忙しい理由はいっぱいあるけれど、今自分がやってることって、高校生と同じじゃないか、課題を出している人が先生か先輩かの違いだけじゃないか・・・?そう思いました。とりあえず今のままでは時間がない、作ろう、と思いました。
二つ目、NCとは何かと明確にした文書があったと思います。これをもっと早く知りたかった!と思いました。それで、ゼミでやること一つ一つにもっと共通認識、想定されるアウトプット・目標を決めてもいいんじゃないかと思いました。たとえば、このブログ。ドラッカーの言葉を借りれば「顧客はだれか?」というやつです。自分の備忘録なのか、ゼミ生に意見を共有するためなのか、金ゼミの外部発信なのか・・・。全部!という答えが一番ありえそうですが、それならそれで、どれを一番重視するのか、顧客はだれなのか、決めた方がいいと思います。その方が一つのブログに載せるのにまとまりがあるし、ターゲットが明確化しているものの方が読者側も楽しいと思います。そして書く側も顧客に合わせた書き方ができると思います。今も私だれに向けて書いているんだろうという状態なので。
三つ目、これは単純に提案なんですが、送ってくださったような資料をSkydriveなどのファイルにアップロードするのはどうでしょうか?アーカイブはSkydriveに、つかうものはDropboxに、みたいなすみ分けでやったらどうかなと思いました。もうそういうのあるよ、って感じだったらすごめんなさい。
長々と思っていることを書いてしまいました。あまり外部発信できるような代物じゃなくてすみません。
2010年10月16日土曜日
新聞はどこへ行く?
①問われる新聞社の在り方
議論2で「ジャーナリズムがなくなってもいいのか」という議題が提示されたが、これについてNCの間に色々考えていたことを少し。
毎日新聞は変態で産経は超保守の自公系広報誌、朝日は売国的で読売は洗脳メディアで…ネット上でのマスコミ評といえば実に惨憺たるものだ。最近では尖閣沖漁船衝突事件での中国の高慢な対応に発起して渋谷で起こった3000人級のデモを完全にスルーする(中国で起こったデモは50人程度でも報道する)など、時として情報隠匿としか思われないことまでするマスコミの姿勢は「マスゴミ」と言われて久しい。
このように土壌としては十分に適した環境でありながら、「草の根ジャーナリズム」という概念はどうも日本には根付き辛いようだ。韓国で大ヒットを飛ばし、満を持して列島に上陸した「オーマイニュース」は失敗し、「市民の市民による市民のためのメディア」をキャッチフレーズに立ち上がったネット新聞「JanJan」もあまり本領発揮できず休刊に追い込まれた。「JanJan」についてもう少し言うと、「麻生元首相の漢字の読み違いが多いことを最初に記事にしたのはこのメディアである」ということをやたら白眉みたいに持ち上げるが、いかにも庶民目線の面白くもない揚げ足取りで「またやった」「またやった」と一国の首相の品位をいたずらに下げるようなあの一連の報道は自分としては見ていてあまり好ましいものではなかった。それに迎合して同じようなことを報道し始めた大手メディアにも問題はモチロンあるが。
市民が報道を担うというところには「物事を必ずしも鳥瞰的に見られず、自分の価値観で瑣末な出来事を『ニュース』にしてしまう」という怖さがある(最終的な価値の有無は読者が決めることではあるが…)。これは象徴的な出来事だったと思う。
話を戻すが、このような市民初のニュースが流行らなかったのは、日本人が「何だかんだ言ってもやはりニュースソースが通信社だったり新聞社であるニュースこそがニュース」というのに慣れきって別段の不自由もしてこなかった結果であり、やはり権威ある報道機関に対する根っこの部分での信頼度は、近年ますますマスコミ嫌いの傾向著しい日本においても高いように思われる。
各報道機関が積み重ねてきた取材や報道のノウハウは世界的に見ても決して遜色のないものであり、ちょくちょくやるヘマがその「表面的な」信頼度を下げてしまってはいるが、やっぱりジャーナリズムは誰もが(少なくとも日本人は)必要としているのだと、先行き暗いこの業界をいまだに就職志望から外しきれない自分は一筋の光明を見出すのであった。
②新聞社はひとつも潰れないのか?
李先生が10年後(20年後?)までに新聞社がいくつか経営破綻するか否か手を上げさせる場面があったが、そこで思ったより「破綻しない」のほうに手が挙がったのが個人的にはかなり意外だった。
自分としては、もちろんジャーナリズム自体はこの先も残っていくし、その中で有力な新聞社もまた残っていくと思う。ただそれが「全ての新聞社(或いは全ての大手新聞社)が健全な経営を続けていけるか」という話になると全く別問題だ。10年後というのは飽くまで「中長期的に」という指標であって、必ず 10年後にそうなるかどうかなんて無論分からないが、少なくとも中長期的に見て大手の一部が破綻するのは無理からぬことだ。
長くなるので詳述は避けるが、なにせ構造的に無理がある。その性質的に国内市場しか相手に出来ないこと、その国内市場は少子化によりシュリンクし続けていくだろうこと。購読者はこの先減りこそすれ増えはしない(他社が潰れて読者が流れてでもこない限り)から、要するに新聞社的にはどうあがいても「ジリ貧」なわけである。新聞社の努力云々とは無関係な部分で既に根本的な無理が生じている。
加えて、これは肌感覚の問題提起として、自分の同世代がたとえば50代くらいになったときに新聞をお金を出して購読して毎朝読んでいるかというと、ちょっと残念ながら想像できない。それくらいに家庭に新聞があることを「当たり前」と感じず「不可欠」とも感じずに、なおかつそれでやれてきた世代が僕達なのだと思う。新聞があることが当たり前の世代、なくてもどうにかなると感じている世代、その隔たりは実はものすごく大きいのではないかと最近思う。当たり前世代が消えていって(書き方が不謹慎だが)、どうにかなる世代が新聞を最も読むくらいの年齢になったとき、果たして新聞は今のまま続いているだろうか?
実際朝日の2期連続赤字転落なんていうのは結構示唆的で、数字的なことを言えば朝日の販売部数はちょっと800万部を割り込んだ程度なので結構余裕があるのだが(相変わらず読売は1000万部堅守でもっと余裕がある)、毎日は300万部強、産経に至っては150万部程度。それで朝日も赤字と言うのだから、競合他社の様相は推して知るべし、といったところか。毎日はついにコスト削減のためと共同通信加盟を発表し、「全国紙」としての御旗さえ降ろした。不可避の構造問題は日々刻々と新聞業界を蝕んでいる。
身も蓋もないことを言うと、「それは新聞社が体質を変えていくことによって解決されうる問題なのか」ということさえ、混迷する現状においては分からない。
議論2で「ジャーナリズムがなくなってもいいのか」という議題が提示されたが、これについてNCの間に色々考えていたことを少し。
毎日新聞は変態で産経は超保守の自公系広報誌、朝日は売国的で読売は洗脳メディアで…ネット上でのマスコミ評といえば実に惨憺たるものだ。最近では尖閣沖漁船衝突事件での中国の高慢な対応に発起して渋谷で起こった3000人級のデモを完全にスルーする(中国で起こったデモは50人程度でも報道する)など、時として情報隠匿としか思われないことまでするマスコミの姿勢は「マスゴミ」と言われて久しい。
このように土壌としては十分に適した環境でありながら、「草の根ジャーナリズム」という概念はどうも日本には根付き辛いようだ。韓国で大ヒットを飛ばし、満を持して列島に上陸した「オーマイニュース」は失敗し、「市民の市民による市民のためのメディア」をキャッチフレーズに立ち上がったネット新聞「JanJan」もあまり本領発揮できず休刊に追い込まれた。「JanJan」についてもう少し言うと、「麻生元首相の漢字の読み違いが多いことを最初に記事にしたのはこのメディアである」ということをやたら白眉みたいに持ち上げるが、いかにも庶民目線の面白くもない揚げ足取りで「またやった」「またやった」と一国の首相の品位をいたずらに下げるようなあの一連の報道は自分としては見ていてあまり好ましいものではなかった。それに迎合して同じようなことを報道し始めた大手メディアにも問題はモチロンあるが。
市民が報道を担うというところには「物事を必ずしも鳥瞰的に見られず、自分の価値観で瑣末な出来事を『ニュース』にしてしまう」という怖さがある(最終的な価値の有無は読者が決めることではあるが…)。これは象徴的な出来事だったと思う。
話を戻すが、このような市民初のニュースが流行らなかったのは、日本人が「何だかんだ言ってもやはりニュースソースが通信社だったり新聞社であるニュースこそがニュース」というのに慣れきって別段の不自由もしてこなかった結果であり、やはり権威ある報道機関に対する根っこの部分での信頼度は、近年ますますマスコミ嫌いの傾向著しい日本においても高いように思われる。
各報道機関が積み重ねてきた取材や報道のノウハウは世界的に見ても決して遜色のないものであり、ちょくちょくやるヘマがその「表面的な」信頼度を下げてしまってはいるが、やっぱりジャーナリズムは誰もが(少なくとも日本人は)必要としているのだと、先行き暗いこの業界をいまだに就職志望から外しきれない自分は一筋の光明を見出すのであった。
②新聞社はひとつも潰れないのか?
李先生が10年後(20年後?)までに新聞社がいくつか経営破綻するか否か手を上げさせる場面があったが、そこで思ったより「破綻しない」のほうに手が挙がったのが個人的にはかなり意外だった。
自分としては、もちろんジャーナリズム自体はこの先も残っていくし、その中で有力な新聞社もまた残っていくと思う。ただそれが「全ての新聞社(或いは全ての大手新聞社)が健全な経営を続けていけるか」という話になると全く別問題だ。10年後というのは飽くまで「中長期的に」という指標であって、必ず 10年後にそうなるかどうかなんて無論分からないが、少なくとも中長期的に見て大手の一部が破綻するのは無理からぬことだ。
長くなるので詳述は避けるが、なにせ構造的に無理がある。その性質的に国内市場しか相手に出来ないこと、その国内市場は少子化によりシュリンクし続けていくだろうこと。購読者はこの先減りこそすれ増えはしない(他社が潰れて読者が流れてでもこない限り)から、要するに新聞社的にはどうあがいても「ジリ貧」なわけである。新聞社の努力云々とは無関係な部分で既に根本的な無理が生じている。
加えて、これは肌感覚の問題提起として、自分の同世代がたとえば50代くらいになったときに新聞をお金を出して購読して毎朝読んでいるかというと、ちょっと残念ながら想像できない。それくらいに家庭に新聞があることを「当たり前」と感じず「不可欠」とも感じずに、なおかつそれでやれてきた世代が僕達なのだと思う。新聞があることが当たり前の世代、なくてもどうにかなると感じている世代、その隔たりは実はものすごく大きいのではないかと最近思う。当たり前世代が消えていって(書き方が不謹慎だが)、どうにかなる世代が新聞を最も読むくらいの年齢になったとき、果たして新聞は今のまま続いているだろうか?
実際朝日の2期連続赤字転落なんていうのは結構示唆的で、数字的なことを言えば朝日の販売部数はちょっと800万部を割り込んだ程度なので結構余裕があるのだが(相変わらず読売は1000万部堅守でもっと余裕がある)、毎日は300万部強、産経に至っては150万部程度。それで朝日も赤字と言うのだから、競合他社の様相は推して知るべし、といったところか。毎日はついにコスト削減のためと共同通信加盟を発表し、「全国紙」としての御旗さえ降ろした。不可避の構造問題は日々刻々と新聞業界を蝕んでいる。
身も蓋もないことを言うと、「それは新聞社が体質を変えていくことによって解決されうる問題なのか」ということさえ、混迷する現状においては分からない。
お疲れ様でした!
”ニュースはステータス”
NCに関連して李先生がおっしゃっていた言葉。
ニュースに関わらず、ステータスや権威付けの存在は私たち消費者がなにかを判断する際の基準として便利だと思った。
また、情報の値段の付け方の難しさ。物理的に目に見えるモノでさえ、需要によって価格が左右されたりする。ましてや目に見えない、そして日々更新されていく情報の値段とは何なのか。情報を入手するために働く人々の労力に対する対価なのか。yahooニュースにコンテンツを提供することで新聞社各社が受け取る料金の不透明さについての議論の時に感じた。
つまり、この社会にはモノ(この場合は情報も含む)を作る人と、それに高付加価値をつける人の分業で成り立っているんだなと改めて感じた。
また、自分の立場を自分で設定して発言することで対立する立場双方の言い分を理解するという新しいスタイルのNCはとても議論が活発になって楽しかった。
”変化!”
最近ブログで変化変化と連呼している気がします。昨日は金先生から李先生への変化!の回でした。
そして、NCについてのルールが議論の末、方向性が定まり、追加されたり現状維持になったりしました。
金ゼミハロウィン企画は日程が変更になるかと思いきや、そのままで実行できるようになりました!
さらに、一番大きな変化を感じたのはNCの方向性決めの時やその他議論で、5期生の意見が多かったことです。また、黄ちゃんのブログにもあったように、ハロウィンを「3,4,5期生がみんなで楽しめる企画にしたいんです!」という5期生みんなの気持ちも聞いていてとてもうれしくなりました。
29日のpresentation kimにも3人の5期生が選ばれました。この3学年が集まれるのも残り半分を切っています。学年を越えて切磋琢磨しあえる関係を深めていきたいです!!!
ハロウィン当日は李先生も「行きましょう!」とやる気満々でした。
帰りに夕飯に行った3,4期生は「仮想のネタどうしよう…」とうんうん唸っていましたが。。
1015ゼミ[矢部]
★NC:新聞社のコンテンツサイト(つまりホームページ)とヤフーを例にしたポータルサイトについて
とても構成が分かりやすく、うまく自分の頭の中での整理をしながら、落とし込めたので、率直に学びになったなーという感じです。はじめは、「新聞社」と使っている言葉の意味を、紙媒体の新聞と誤解していて、理解に困りましたが、ネット上の新聞社のコンテンツホームページと分かれば、とても面白かったです。議論が3つあり、そこでじっくりと思考したことが前に、後に生かされたので良かったです。
今日、議論について自分の意見をまとめようと思います。
ポータルサイトにコンテンツを提供すれば、それが元に新聞社側のアクセス数が増え、広告価値も上がっていくので良いのではと思いますが、現に、そのようにしても広告費というのは統計上減少していて、解決策を模索してる最中だと思います。
そこで新聞社はなくなってもいいかというと、そういうわけではないと思います。やはり新聞あっての政治という言葉があるように、新聞はその社会の秩序を保ち、ジャーナリズムや文化を形成するからです。そこには客観報道という原則があり、個人の主観でニュースをリサーチしピックアップして広めるということには、アマチュアなりの限界が出てしまうと思います。事実報道寄りになり、プロフェッショナルの調査報道ができなくなってしまっては、社会が成立しないと思います。プロフェッショナルの特性や特権を最大限に生かしてこそのニュースだと思います。
そうなると新聞社はこれからどうしていくべきかというと、NHKと新聞社各社が連携すれば、面白いのではないかと思います。(果たしてこれが、実際に行われてるかは知らないですが)これは知ってると思いますが、各々の新聞社は、民法のテレビ局と同じ系列傘下として提携しています。テレビ局にも新聞社と同じ肩書きをもつ政治部というのがあります。そこで民放テレビ局の記者の場合は、基本的、絵柄つまり写真や動画などにこだわりを見せて、スクープをとろうとしています。しかし、新聞社の場合は、文字情報が絵柄より先行するため、細かな詳細な中身といった情報の方に偏ります。そこで出てくるのが、NHKであり、NHKの記者は公・国のテレビ局ということもあり、どちらかといえば、後者に近い傾向にあります。しかし、テレビ局なので、絵柄にも多少のこだわりをみせるということもあります。そのような点から、傾向が似ていながらも、新聞社各社が補完的要素を充たすことができるNHKと連携すればよいのではないかと思いました。
新聞社側が、プラットフォームにコンテンツを安く売っているという言い分は分かるが、いくらで売っているかが数字で出ない理由としては、①自分の記事がいくらで売られているか知りたくない②他社とのプライドの問題という二つの理由があると知ったことは、新発見でした。
課金できる経済紙とできない一般紙(はじめ戸惑ったがここでいう課金は、ネット新聞への課金)についてでは、例があり新しく知ることが多かった。課金できる経済紙についての意味は、要するにアメリカ、イギリス、日本にしても、信頼できるちゃんとした経済新聞が一つの国に一つしかないから、競合がいない独占状態があるがゆえに、課金ができるという。これは寡占状態でも駄目である。なぜならば、2つ以上あると、顧客が分散してしまうので安定した収入が見込めないからだ。一方で、一般紙に関しては、日本でみても、4紙も有名な新聞がある。そうすると課金はできない。ここで何で儲かるかということに各社、現在苦戦しており、今の段階では、独自のウェブコンテンツを展開することが最良の方法といわれており、読売新聞のヨミドクターは比較的成功している。
最後に、NCの方向性について議論した。予習のお知らせは重要だなと思った。実際、今回のNCで参考文献を読んで、NCに入ったのだが、本を読んだことがとても理解の促進につながると感じたし、ゼミにも好影響があると思ったからだ。
とても構成が分かりやすく、うまく自分の頭の中での整理をしながら、落とし込めたので、率直に学びになったなーという感じです。はじめは、「新聞社」と使っている言葉の意味を、紙媒体の新聞と誤解していて、理解に困りましたが、ネット上の新聞社のコンテンツホームページと分かれば、とても面白かったです。議論が3つあり、そこでじっくりと思考したことが前に、後に生かされたので良かったです。
今日、議論について自分の意見をまとめようと思います。
ポータルサイトにコンテンツを提供すれば、それが元に新聞社側のアクセス数が増え、広告価値も上がっていくので良いのではと思いますが、現に、そのようにしても広告費というのは統計上減少していて、解決策を模索してる最中だと思います。
そこで新聞社はなくなってもいいかというと、そういうわけではないと思います。やはり新聞あっての政治という言葉があるように、新聞はその社会の秩序を保ち、ジャーナリズムや文化を形成するからです。そこには客観報道という原則があり、個人の主観でニュースをリサーチしピックアップして広めるということには、アマチュアなりの限界が出てしまうと思います。事実報道寄りになり、プロフェッショナルの調査報道ができなくなってしまっては、社会が成立しないと思います。プロフェッショナルの特性や特権を最大限に生かしてこそのニュースだと思います。
そうなると新聞社はこれからどうしていくべきかというと、NHKと新聞社各社が連携すれば、面白いのではないかと思います。(果たしてこれが、実際に行われてるかは知らないですが)これは知ってると思いますが、各々の新聞社は、民法のテレビ局と同じ系列傘下として提携しています。テレビ局にも新聞社と同じ肩書きをもつ政治部というのがあります。そこで民放テレビ局の記者の場合は、基本的、絵柄つまり写真や動画などにこだわりを見せて、スクープをとろうとしています。しかし、新聞社の場合は、文字情報が絵柄より先行するため、細かな詳細な中身といった情報の方に偏ります。そこで出てくるのが、NHKであり、NHKの記者は公・国のテレビ局ということもあり、どちらかといえば、後者に近い傾向にあります。しかし、テレビ局なので、絵柄にも多少のこだわりをみせるということもあります。そのような点から、傾向が似ていながらも、新聞社各社が補完的要素を充たすことができるNHKと連携すればよいのではないかと思いました。
新聞社側が、プラットフォームにコンテンツを安く売っているという言い分は分かるが、いくらで売っているかが数字で出ない理由としては、①自分の記事がいくらで売られているか知りたくない②他社とのプライドの問題という二つの理由があると知ったことは、新発見でした。
課金できる経済紙とできない一般紙(はじめ戸惑ったがここでいう課金は、ネット新聞への課金)についてでは、例があり新しく知ることが多かった。課金できる経済紙についての意味は、要するにアメリカ、イギリス、日本にしても、信頼できるちゃんとした経済新聞が一つの国に一つしかないから、競合がいない独占状態があるがゆえに、課金ができるという。これは寡占状態でも駄目である。なぜならば、2つ以上あると、顧客が分散してしまうので安定した収入が見込めないからだ。一方で、一般紙に関しては、日本でみても、4紙も有名な新聞がある。そうすると課金はできない。ここで何で儲かるかということに各社、現在苦戦しており、今の段階では、独自のウェブコンテンツを展開することが最良の方法といわれており、読売新聞のヨミドクターは比較的成功している。
最後に、NCの方向性について議論した。予習のお知らせは重要だなと思った。実際、今回のNCで参考文献を読んで、NCに入ったのだが、本を読んだことがとても理解の促進につながると感じたし、ゼミにも好影響があると思ったからだ。
1015 ゼミの感想 【黄】
①新聞社は今後どう生き残るのか
私は新聞派だ。正直、今日までは新聞やジャーナリズムが危ういと言われてはいても実感がさほどわかなかった。いや、絶対なくならないだろうという確信があった。
今日の議論の中で双方の立場を改めて認識しなおし、確かに新聞はこのままでは駄目だという言い分に納得ができた。
では、新聞はなくなるべきなのだろうか?
しかしながらやはりそれは違うと、私は思うのだ。
いくらプロアマチュアの存在があると入っても結局彼らはプロフェッショナルではない。李先生がおっしゃていた様に、そこに存在するプロとしての責任と信頼性はジャーナリズムに必須の条件なのだ。このStrengthを生かしつつ、更なるジャーナリズムの飛躍に必要なものは何か、を今後のニュースクリップで扱ってもらえたらいいなぁ、と思った。
②ハロウィン企画
日程の調整に手間取ったりもしたが、無事金曜日に決まり一安心。
日程調整に関して、OBとの兼ね合いもあったはずなのに臨機応変に対応してくださった4期生先輩方に感謝したい。考えてみると、3,4,5期生が一緒にどこかでやるイベントってこれがはじめてではないだろうか。ぜひお互いが腹を割って話し楽しめる場を5期生でプレゼンできれば、と思う。
どんなハロウィンになるかワクワクするのと同時に金ゼミ生の皆様のクリエイティビティ溢れる仮装が本当に楽しみである。
私は新聞派だ。正直、今日までは新聞やジャーナリズムが危ういと言われてはいても実感がさほどわかなかった。いや、絶対なくならないだろうという確信があった。
今日の議論の中で双方の立場を改めて認識しなおし、確かに新聞はこのままでは駄目だという言い分に納得ができた。
では、新聞はなくなるべきなのだろうか?
しかしながらやはりそれは違うと、私は思うのだ。
いくらプロアマチュアの存在があると入っても結局彼らはプロフェッショナルではない。李先生がおっしゃていた様に、そこに存在するプロとしての責任と信頼性はジャーナリズムに必須の条件なのだ。このStrengthを生かしつつ、更なるジャーナリズムの飛躍に必要なものは何か、を今後のニュースクリップで扱ってもらえたらいいなぁ、と思った。
②ハロウィン企画
日程の調整に手間取ったりもしたが、無事金曜日に決まり一安心。
日程調整に関して、OBとの兼ね合いもあったはずなのに臨機応変に対応してくださった4期生先輩方に感謝したい。考えてみると、3,4,5期生が一緒にどこかでやるイベントってこれがはじめてではないだろうか。ぜひお互いが腹を割って話し楽しめる場を5期生でプレゼンできれば、と思う。
どんなハロウィンになるかワクワクするのと同時に金ゼミ生の皆様のクリエイティビティ溢れる仮装が本当に楽しみである。
2010年10月15日金曜日
1015ゼミ感想【高橋】
①NC: 新聞社⇔ポータルサイト
時代の流れに乗らざるを得ない状況で持ちつ持たれつな関係にある両者。
やはり新聞業界が劣勢にある状況に変わりはないとは思うが、絶対になくならないメディアの一つであると個人的には思っています。形態を変化させて時代に合わせていくしかないとはいえ、その歴史や信頼感はちょっとやそっとじゃ崩れないと思います。
ゼミ中新聞社とポータルサイトの両者の言い分を議論し、考えられる主張を挙げ、その解決策としての事業提案という流れは面白かったです。
特にプロ・アマ議論は自分の中で何故新聞社が必要なのかの考えの整理に助かりました。
プロは国民にとっての情報の優先順位(表現が適切かわかりませんが)を提示してくれる、Agendaの提示という役割を担っていて、持続性などを考えるとやはりアマからの情報だけで私たちはニュース情報を信用することはできないと思います。少なくとも今のニュース以上には。
あとは議論で少しでてきた話題ですが、新聞紙がA4になればいいのになぁと切実に思いました。A4サイズなら私は喜んで持ち歩いて時間のあるとき読めるのにと。今のサイズではでかすぎて広げにくい、かさばる、といった難点があって家の中でしか読めない気がします。
②今後のNCの方向性について
出典をもっと明らかにして事前の予習をしてきてもらうためにもURLなどの参考資料を共有することはとても大事だと改めて思いました。徹底していきたいものです。
テーマを自由にするか、縛りアリにするか。とても悩んだ部分でした。
たしかに一環した繋がりがあるテーマがいいと思っていましたが、それが全員三田論をするのであればそれに沿ったテーマで発表していく方法で問題なかったと思います。しかし、今後のやっていく内容もゼミ内で統一していないので軸をどこに決めたらいいのかとても悩みました。BNGなのか三田論なのか…。はたまた自由か…でもそうすると前と変化なしという結論になってしまう…。
結果的に現状維持となりましたが、前期よりは内容がもっと充実したものとなるように個人的に邁進して参りたいと思います。
時代の流れに乗らざるを得ない状況で持ちつ持たれつな関係にある両者。
やはり新聞業界が劣勢にある状況に変わりはないとは思うが、絶対になくならないメディアの一つであると個人的には思っています。形態を変化させて時代に合わせていくしかないとはいえ、その歴史や信頼感はちょっとやそっとじゃ崩れないと思います。
ゼミ中新聞社とポータルサイトの両者の言い分を議論し、考えられる主張を挙げ、その解決策としての事業提案という流れは面白かったです。
特にプロ・アマ議論は自分の中で何故新聞社が必要なのかの考えの整理に助かりました。
プロは国民にとっての情報の優先順位(表現が適切かわかりませんが)を提示してくれる、Agendaの提示という役割を担っていて、持続性などを考えるとやはりアマからの情報だけで私たちはニュース情報を信用することはできないと思います。少なくとも今のニュース以上には。
あとは議論で少しでてきた話題ですが、新聞紙がA4になればいいのになぁと切実に思いました。A4サイズなら私は喜んで持ち歩いて時間のあるとき読めるのにと。今のサイズではでかすぎて広げにくい、かさばる、といった難点があって家の中でしか読めない気がします。
②今後のNCの方向性について
出典をもっと明らかにして事前の予習をしてきてもらうためにもURLなどの参考資料を共有することはとても大事だと改めて思いました。徹底していきたいものです。
テーマを自由にするか、縛りアリにするか。とても悩んだ部分でした。
たしかに一環した繋がりがあるテーマがいいと思っていましたが、それが全員三田論をするのであればそれに沿ったテーマで発表していく方法で問題なかったと思います。しかし、今後のやっていく内容もゼミ内で統一していないので軸をどこに決めたらいいのかとても悩みました。BNGなのか三田論なのか…。はたまた自由か…でもそうすると前と変化なしという結論になってしまう…。
結果的に現状維持となりましたが、前期よりは内容がもっと充実したものとなるように個人的に邁進して参りたいと思います。
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