はじめまして。金ゼミ5期生の岡本直人と申します。ブログをご訪問いただき、ありがとうございます。折しも日本中が大変なことになっている週にブログ担当と相成りました…
ではまず最初に、他ゼミと金ゼミで迷っている新入所生にごく主観的な判断基準を提示しようと思います。
◎他ゼミで扱う「○○」という分野が…(「○○」内は「新聞」・「通信」・「出版」など、何でも)
A.今後、大きく変わっていく必要があると感じている→金ゼミへ!(以下に理由を明記)
B.このままであり続けると思っている→他ゼミへ(これ以降読まなくていいですよ笑)
金ゼミの扱うテーマや雰囲気については既にいくつかエントリがあるようなので、今日は敢えて「金ゼミで新聞を学ぶ意義」という各論について考えてみたいと思います。その中で金先生の考え方についても触れていくつもりなので、新聞については特段の興味のない方にも参考になれば幸いです。
自分は元々は新聞記者志望で、ジャーナリズムや新聞そのものについて学びたくてメディコムに入ったようなクチですが、大石ゼミも山腰ゼミも回避したような、金ゼミの想定するターゲットとしては恐らくやや異色の人だと思います。ですが、この選択について一度も後悔したことはありません。むしろ、このゼミに入ってみて、温故知新的なジャーナリズム論のアプローチはあまりに時代遅れのような気がしています。
もちろん犯罪被害者への配慮のあり方だったり、冤罪を助長しない取材の手だてだったり、過去の歴史から学べることはたくさんありますし、それは確かに学ぶべきことと思います(ジャーナリズム論では、この辺はかなりアツいテーマですよね)。ただ思うに、と言うよりは明らかに、昨今の新聞が抱える問題の根は、過去を辿れば解決策が見つかるほど浅くありません。
その証拠に、新聞は業界全体として自らの失敗に学び、修正するというプロセスを数多く経てきています。集団的過熱取材に業界として一定のルールを設け、署名記事を拡大し、若者向けの企画紙面を増強(読売の文化面や朝日の『GLOBE』など)し、ニュースソースを明示するなど、細かい点とはいえ過去に問題視されていたような項目に一つ一つ決着をつけてきました。にもかかわらず読者は離れるばかり。
加えて、新聞を含めた全てのメディアは「情報の統制が破られる」というかつてない事態に直面しています。Twitterはじめ動画サイト(CGMサイト)、あるいはウィキリークスや自由報道協会(上杉隆の例のアレ)といったような、「権威付けられたマスメディア以外の媒体」による情報発信が明らかに流行しています。
つまり、過去何年かに渡って自らの改善だけを考えていればよかったマスメディアはかつてない障害によってその存在すら脅かされている。
そこにきて従来的な「改善」のためのアプローチは言わば、敵が眼前に迫って筋トレを始めるようなもので、そんな呑気なことで大丈夫かということになります。
眼前に迫った強敵には、がむしゃらにでも武器を持って戦わないと。そしてその武器こそが「イノベーション」なのではないか、と僕は思うんですね。
改善をいくら積み重ねたところでそれは「大きな改善」でしかなくて、事実「大きな改善」を持ってして新聞業界はどん詰まっているわけです。「新聞に何かしら悪いところがあって、それを改善しさえすれば読者はどんどん増える」、それが確かな前提であるとすれば、従来的なジャーナリズム論にも大いに意味はあるでしょう。そういったものを洗い出しては改善策を考えることを主軸としたような学問のようなので。
ただ現状残念ながらそうではなくて、これから本当に新聞が訴求していかなければならない層は「新聞の紙面が改善しようがしまいが、そもそも読まないからその変化に気付かない層」なわけですよね。皮肉なことに。新聞を読まない層に、「いかにして読ませるか」を考えていく必要がある。これは「ジャーナリズム」一辺倒ではあまりにも手に余る問題というのは誰の目にも明らかです。
だからこその変革。だからこそのイノベーション。だからこその金ゼミじゃないですか。
金ゼミは「新しいこと」を学ぶゼミです。先生は「人と違う山を登れ」を信条とされています。だから手垢のつきまくったようなジャーナリズム論を学ぶことはこのゼミの本旨とは外れますが、「新聞に代わる新しいメディア」や「来る未来の新聞の在り方」について最新の事情から考察することは立派にゼミで扱うテーマとなり得ます。
もちろんこの金ゼミ、新聞についてだけ学ぶゼミでは全くありません。それどころかガッツリ「新聞について」学ぶことなど年に2回あるかないか位のものです。それでも僕が「新聞について」も様々な洞察を得られたのは、個人的に色々と情報収集していたことももちろんありますが、情報という「コンテンツ」の最先端に日々のゼミで触れることで、未来の新聞の在り方を垣間見たからかもしれません。
「未来の『○○』について洞察を得られる」というのは『新聞』に限らず言えることで、『テレビ』にしろ『出版』にしろ『通信』にしろ、メディコムで想定している入所生の興味分野には必ずやリーチすることと思います。新聞の歴史、テレビの歴史、出版の歴史。それぞれの軌跡を学ぶことは確かに大切なことかもしれませんが、たとえばそれがいつまでも「今」という時系列と出会わなければ、結局この瞬間の現実を相手にできないじゃないですか。
先にも挙げたTwitter、ウィキリークス、自由報道協会、CGM。Web2.0、あるいは来たる3.0時代に覇を唱えるべく、イノベーションの種はかつてないほど「そこら中に」転がっています。あるいは一発逆転、イノベーションは旧来のメディアから起こるかも知れません。
多くのメディアがそんなかつてなく流動的で興味深い情勢の渦中にあるにもかかわらず、まだ「改善」を旨とした、古臭い内省的な視点にこだわる理由が一体どこにあるでしょうか?
人はなぜ戦国時代にロマンを感じ、明治維新に現を抜かすのでしょう?思うにそれは、かつてその時代が持ち得たであろう、変革を期する膨大な熱量にあてられたからではないでしょうか。
そして時はまさにメディア戦国。この熱気を金ゼミという場で共に味わってみませんか?
2011年3月13日日曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿