2011年1月16日日曜日

0114ゼミ感想【栫井】

- デジタル化したくないもの

途中からの参加なので、既出のことを書いてしまうかもしれません。あしからず。

山本さんの言っていた「デジタルとは数字」ということを聞いて、考えたのが言語はデジタルか否かということ。

デジタルとは、数字で区分された表現のことで、アナログは、連続的に繋がった表現のことですね。
じゃあ【言語】はデジタルでしょうか?アナログでしょうか?
言語化とは身体を切断する行為である。言語学ではこう云います。なので、言語はデジタルなのだとわたしは考えています。
みなさん考えてるとき、喋ってるとき、ほとんど言語を使っていませんか。ということは、言語を習得した瞬間、わたしの思考はデジタル化される訳です。
誰かを思う気持ちも、「ああ、会いたいなあ」と思考した瞬間に定義上はデジタル化されるのです。
でも、誰かを思う気持ちは、「ああ、会いたいなあ」だけで構成されている訳ではないですよね。言葉に表せないもやもや感。ベッドの上をどったんばったんするような感覚。それは言語で区切ることの出来ない、連続的な【感覚】なのです。
しかしながら、感覚はアナログと呼べるのでしょうか。もう一度アナログの定義に立ち返ると、「連続的に変化する物理量による表現」とあります。(参照:goo辞書)
感覚は人間の内部にあるもので、表現ではありません。なので、アナログと呼べるかどうかという点で疑問が沸きます。

では、人間は感覚をどうアナログに表出するのか。
わたしは【行為】であると考えます。
もやもや感が溜まってベッドの上をのたうったり、「言いようの無い」嬉しさで相好が崩れたり。
人間の行為は全て繋がっていて、基本的には、生まれてから死ぬまで止まることは無いし終わりも無い。なおかつ物理的に世界に表出されたものです。
ゆえに、行為はアナログなのだと思います。(ちなみに行為を切り取る写真・映像は行為のデジタル化)

わたしは、本当に自分の思考を相手に伝えるためであれば、自分の思考から生まれ来る行為は、ひとつひとつを区切りたくない。
相手の思っていることも、全部知りたいから、行為を区切って欲しくない。
だから会いたいし、一緒に居たいとか思うのではないだろうか。

他人から見た自分というのは、どうしても区切られてしまう。一緒に居る時間は限られてるし、瞬きだってしてしまうから、行為が連続性を失ってしまう。
「思っていることは言わなきゃ伝わらない」とよく云う。それはきっと、切断された行為で表現しきれない思考を補完する役割として、デジタルツールとしての言語が適しているからなのだろう。

ライフログという発想は、他人から見たわたしの行為をアナログ(連続的なもの)に変換することなのではないかと思う。
TwitterやTumblr、Skype、Mail、Blog、YouTube、ナカマップ経由でiPhoneから検出される位置情報、etc...全部オープンIDにして結びつけて、わたしという人間を構築する行為全てを繋いでしまうと、本来の連続性を取り戻すのではないか。
因みに、わたしはこういう行為の中身はどうでも良いと思っている。
Twitterで何を書き込もうと、Mailで何を言おうと、それは結局区切られた思考=言語であってアナログじゃない。「書き込む」という行為そのものが重要なのだ。
記録の仕方はデジタルでも、結果はアナログだとは、逆説的であるけれど。

自分の行為を全部繋いで表現すること、が気持ち悪いことだと思われる人も多いだろう。もちろんわたしも全面公開にすることや勝手な商業利用には疑問を覚える。
しかし、アナログとはそういうことなのだと思う。

メールの返信が来ないのにSkypeはずっとオンライン、だったらそういう気持ちなのだろうし、
タスク終わってないのにmixiのログイン時間は常に5分以内の人は、タスクを重視していないのだろう。

そういう機微を知るのが怖いから、人間はデジタルに頼るのかもしれないな、と思ったり。
もちろん逆のパターンも大いにあり得るので、わたしはアナログに、生きたいな、と思います。

- 三田論発表会
【UGCサイトにおけるコメントの有用性】
個人的な振り返りとして、割と質問に対してさらっと答えが用意出来たな、という感覚がありました。ずっとプレゼンの質疑応答の時間が苦手で、すぐに返答することが出来ないでいたので、今回落ち着いて質問に対して「こういうことかな」と考えられるようになっていたのが、個人的な成長箇所でした。

「共有された文化」に頼っているのが現状のUGCモデルであると思います。
それが今後より発展し、多様な価値観の人が入ってきた際、如何に調整出来るか、ということももう少し掘り下げたら面白かったかなと思います。
人的な解決策の一つが、コメントではありますが。

来年度も継続してUGCモデルについて研究する予定なので、指摘された権利関係の問題も含め、今回学んだことを次回論文に活かしていきたいと思います。

【ソーシャルメディアを使った選挙活動】
2年生だけのグループとは思えない出来で素晴らしかったです。
現実性と理想を踏まえ、例示することでわかりやすいものになっていました。
個人的には、政治家を通す必要がいまいちわからなかった。政治への関心を高めること=政治家のファンになること、が頭の中でいまいち結びつかなかった。

主体が政治家なのであれば、活動ももっと政治家が中心に据わっていても良かったのではないかと思う。
例えば、SNS上のディスカッションも一政治家が主催するものであれば、ファシリテーターもその政治家がやった方が面白そう。
学生がやる場合、公平性は出るが、ならば最初から政治家の応援という背景は無しで学生主体の政治への関心を高める啓蒙活動でも良かったような気がする。

とはいえ、メンバーの実際の議員インターン体験、普段使うメディアの用例を踏まえた内容となっており、諸処にもっと根拠があったのだろうと思う。
もっともっとメンバーの頭の中の考えが知りたくなるような論文とプレゼンでした。
ディスカッションの時間がもっと取れたら良かったね!わたしプレゼン伸びてすみませんでした。

1 件のコメント:

  1. ライフログのくだりは、なるほどなーって思いました。
    じゃあ次はライフログを取り続けた結果の「集合知の限界はどこなんだろう?」という疑問に行き着きました。

    おそらく、身体情報の提供あたりがギリギリだと思うんですが、身体情報に紐づいた広告の提供と、本の購入履歴に基づいた本のレコメンデーションの違いは?

    身体情報に基づいたコミュニティはOKでも、広告が来るのは嫌な理由は?の違いが、午前5時の頭では上手く表現できません。

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