2011年1月15日土曜日

0114ゼミの感想<矢野>

★デジタル化したくないものプレゼン
音田さんの「じゃあ、○○ってデジタルでもよくない?そもそも必要?」という歯切れのよい問いかけに、一回一回その○○の存在意義を確かめながら「あぁ、たしかに」と頷いてしまいそうな自分がいた。例えば一番印象にあるのが、お墓参りはデジタル化してもいいか?という問い。お墓参りの意義を「故人に思いを馳せ、定期的に思いだして感謝すること」としてしまえば、デジタル化は問題はなく、むしろハードルの低くなったデジタル墓参りは推奨されるべきだ。Twitterで故人のbotができてしまって、いつでもその人を振り返れるようになればそれでいいのでは、という意見もあった。しかし、私はそうではないと思う。botがあってそれで満足できるのは、憧れや大事な人であっても「面識のない人」までだと思う。私個人の意見だが、お墓参りや故人を顧みるというのは、そこに、自己満足であれ「対話」の要素が含まれていると思うのだ。例えば、悪いことをして反省をした上で墓石に謝る→(生前の故人の酌量ならば)許してもらえる、と自分で判断して許された気分になる。そんな光景をテレビでよく見るが、自己満足であれ、故人と対話するには、その「偶像」と言ったら語弊があるだろうがその重々しい何か(墓石)が必要なのではないかと思った。完全に精神論であるし私の感覚ベースであるが、考えさせるものがあった。私のプレゼンでも話したが、デジタルはあくまでアナログを補うものであってほしい。墓参りや伝統行事など、人の気持ちに深く関わるようなものにデジタル化するのは反対だ。これには先ほども書いた通りはっきりとした理由があるのではない。「効率化」とか「便宜」という言葉で片付けられてしまえばデジタルが勝つに決まっている。そんな感覚ベースの「守りたいこと」だからこそ、個人個人がその日本人らしさ、人間らしさを保っていこうという気持ちが大事になってくるのだと思う。50年後もお墓参りに行きたいし、お正月を今まで通り祝いたいと深く思った。

★三田論発表
UGCの論文を読んでまず感じたのは図の分かりやすさと、図の有意性がすごく感じられること。さすがこの3人の先輩の班だな、と思い自分もこんな風にできたらいいと思った。私は実際にpixivなどのUGCサイトを利用したことがないが、@コスメなどのサイトは利用したことがあり、コメントが評価されたりとコメント側をモチベートすることが大切という点に関してとても共感できた。
ネット選挙の班で考えさせられたことは、提案していたVGP(Voter Generated Policy)の質に関してである。これに左右されすぎる政治家は必ずしも正しいとは限らないと思う。例えば、消費税の増税が争点となっている時、普通多くの市民は反対するだろう。目に見えてすぐに自分の生活が苦しくなるからだ。一方である政治家は、日本の現状を良く把握して長期的発展を考えその上で消費税増税という結論を出したとする。それに対して、短期的スパンでしかも自分の生活しか見えていない市民が意見を押し通すのはどうだろうか。(日本国民を馬鹿にしているみたいだが)そこまで一般市民全員に日本全体を俯瞰する力も思考する力もない気がする。それを鵜呑みにして迎合する政治家も困るし、市民の声が政策に大きく反映することが当然と市民が考えてしまう時代も怖いなと思った。だからVGPのGeneratedは少し危険なのではないかと考えた。しかし、有権者特に今政治活動に巻き込めていない若者の巻き込みという点に関しては素晴らしいなと思う。もしこのような候補が出てきたら自分もSkypeMに参加したいし、そうすれば自分も必死に政治を勉強するだろうなと思った。


最後に、李先生あっという間でしたが本当にお世話になりありがとうございました。
先生から、「金ゼミはイノベーションのゼミなのに、発表の場があんまりイノベーティブでない」というご指摘を受けました。確かに現状だとそうかもしれません!来期、変えていきたいところだなと強く思いました。

1 件のコメント:

  1. 矢野さん

    こんにちは。
    ブログアップ一番乗りですね、おめでとうございます。
    お墓についてですが、昨年話題になった新書がありますので、もし興味があれば春休みにでも読んでみてはいかがでしょうか?

    島田裕巳『葬式は、要らない (幻冬舎新書)』
    一条真也『葬式は必要! (双葉新書)』

    返信削除