2011年1月6日木曜日

【ホンヨミ!0107③】連帯と承認【高橋】

『連帯と承認 グローバル化と個人化のなかの福祉国家』 武川正吾(著)

①コスモポリタニズムの社会政策
社会政策は元々、社会問題を解決するためのものであったが、グローバル化の今日、社会政策そのもが新たな社会問題となりつつある。第三世界の大量貧困、地球規模での環境破壊など、国民国家の枠組では解決することが困難な問題を抱え込むようになった。国民国家を超えた地域における共通社会政策を策定することは、コスモポリタニズムの社会政策の出発点となる。グローバル社会の中で、市民権をもった国民に対して共通して保障されるべき最低限を示すグローバルミニマムを策定し、先進諸国から第三世界へのグローバルな規模での所得再分配が不可欠だと著者は提唱する。
国内の格差よりも国レベルでの格差の方が当然大きいものの、国内格差を是正せずに第三世界に目を向けるのは時期尚早ではないだろうか。例えば中国国内の格差はとても大きいが、まだ是正されていない状態で、政策的に不備があるとしても国内格差を是正できていない状態で果たして世界レベルで協力して格差是正に努めることができるのであろうか。グローバルミニマムの価値観の照準をどこに合わせるのか、という問題も起こるだろう。

②グローバル化の労働における弊害
グローバル化による国境を越えた労働移動は、同一国内に、市民権の保有者と非保有者が併存するという状況を生む。市民権の有無は、社会政策上の差を生んでしまう。つまり、同じコミュニティで生活していて、社会政策を必要とするという点ではまったく同じであっても、一方は社会政策の適用を受け、他方は社会政策の適用を受けないといった状況が、グローバル化によって生まれるということだ。
日本は市民権を得る基準が比較的高い国の一つで、線引きをすることで排除を生み出してしまうことが多い。しかしかといって市民権を得る基準を下げすぎると移民問題や、今までの政策とかけ離れることで国内から生活を危惧した反発の声が上がるかもしれない。今のままでは貧しい労働移民は苦しい生活を強いられるが、社会政策上は現状のままでいいのか。それとも世界からもっと積極的に人の移動・居住を寛容にし、国内のいわば「ドメスティックミニマム」を充実させた方がいいのか。そのバランスは難しい。

③個人化
核家族したことで家族が個人化し、職域も個人化している。その証拠に多くの国で労働組合の組織率は低下傾向にあるという。そして、地域からの個人の離脱も目立つようになってきた。地縁集団からの個人の離脱は個人の自立を意味する。しかしながら、これまでの福祉国家は地縁型の団体によって編成された地域社会を前提として存在してきたため、個人化によってもたらされた地域社会の変化は、福祉国家にも影響を及ぼせざるを得ない。地域における個人化は社会的排除も個人化するのである。
地域における市民社会の生成は、福祉国家と地域社会の境界面を変えることになり、地縁から排除された個人への対応に今後迫られることになると考えられる。

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