最近勉強するときに赤鉛筆を使い始めました。
久しぶりに使ったので柔らかくてぐりぐり線を書ける感触が懐かしく、すぐに先が丸くなってしまいました。そこで、自然にカッターナイフを出してちょこちょこ削っていると妹に驚かれました。家には電動の鉛筆削りがあるのに! と言うのです。
たしかにそのほうが滑らかで先が尖った出来上がりになるのですが、色鉛筆ということもあってか無意識にカッターナイフを使っていました。
そもそも、怖がりの私がカッターナイフを使えるようになったのは、小学校のときに鉛筆をカッターナイフで削るという決まりがあったからです。その頃はシャーペンは使用禁止なので毎日翌日の用意をするときはゴミ箱を抱えてその上で鉛筆をカッターで削っていました。初めはおそるおそるナイフの刃を鉛筆にあてたものの、思うように力を刃に伝えられず…とひどいものでした。
それが、1か月もたつと怖さは消え、半年もすれば1分で新しい鉛筆を一本きれいに削りあげられるようになりました。
このささやかな習慣から私は多くのことを学びました。
まず第一に、刃物の扱い方です。時にはいきすぎて自分の指を傷つけてしまうことがあってもその痛みを知ることで他人を同じもので傷つけたりはしません。当時はその感覚をクラス全員が共有していました。また、カッターに対しての必要以上の恐怖もなくなり、今でも筆箱に常備して道具として便利に使っています。
次に、手先が器用になったことです。慣れもあるかもしれませんが、鉛筆は失敗しても使えばまた削りなおせるのでどんどん気にせず失敗と練習ができました。
また、自分で削ると具合を調整できるので鉛筆がちびて書きにくくなるまで使うことができました。
最後に、一度コツを身に付けたらしばらくやっていなくても手が覚えていてすぐに復活することです。現に久々に右手にカッター、左手に鉛筆を持ちましたが、昔と同じように削ることができました。
上記のような大切なことを教えてくれた小学校の先生のクラスで、この夏休みに同窓会をしました。中学からばらばらになっていて友人たちとは実に10年ぶりの再会でした、お世話になった先生のもとには何年経っても教え子が慕って集まるんだなぁとしみじみしました。
カッターナイフを常時持たせて使用を義務化するなんて今のモンスターペアレンツに言わせたら危険なのかもしれません。でも、そうやってどんどん危険から遠ざけるばかりでは身をもって危険を習得する場がなくなっていき、テレビゲームやインターネットの中で仮想の暴力で感覚がマヒする一方です。当時、私の先生は「大きな怪我があったら速効中止し、私が全責任をとる」と言って保護者会でナイフの使用を説明したそうです。現在の過剰な危険回避は責任回避の隠れ蓑にもなっているような気がします。自らリスクをとって、教育者として生徒を信頼し大切なことを教えてくれた先生に感謝しています。
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