4年なので、これからというよりもこれまでどのように自分が金ゼミにいたのかを思い出してみる。
①裏表なし
これは代表(だった)という義務感からかもしれんが、基本自分は裏表なく金ゼミでは人と接するようにしていた。
裏表なく接するということは、本気で、そして嫌われてもいいという思いで人と接するということでもある。
本来の僕はそれなりに裏表がある人間で、属するコミュニティなり、相手にする人によってけっこう性格を変えていた。でもこのゼミではそれをしなかった。
僕が代表だった頃の4期の皆さんはなんやかんやありながらも優秀だったのでそんなに本気でキレた事はない。
でも、全体ではもちろん、個人と1対1とかで話す機会も代表だからかよくあった。そんな時は、けっこう厳しい事を言う相手とかもいた。普段はアホみたいな事を一緒に言っているような相手であっても、裏表なくタテマエ抜きで話をした。
裏表のない、ありのままの自分を出す事によって、その人のことを深く知れたし、知ってもらう事ができた面もあったと思う。
自分が本当の自分であれる、そしてそうあろうと思う事ができる人が集まっている場が金ゼミでした。
②成長
基本的に、世間一般で言う意識の高い学生達が集まる場所ではないコミュニティにしか所属していなかった僕にとって、金ゼミという場は刺激的な場でした。
そこで代表をさせてもらえる機会があったので、もちろん周りのみんな、特に後輩には自分達が作っていく場で存分に成長してほしいと、おこがましいが思っていた。
でも、それ以上に自分が代表として、その場を利用して成長してやるという思いの方が強かった。
なぜそう思う事ができたのかということを考えると、もちろんここにも代表という義務感があったのかもしれないが、自分は裏表なく接する事ができるこのゼミの事が好きだっt。
その自分が好きな場所にいる人相手だからこそ、全力でできるだけサポートしてあげたかったし、自分もそこにいる人たちに最大限の恩返しをできる様に成長しようと思えた。
人の、自分の最大限の成長のために努力をできる場が金ゼミだった。
③自由と責任
これは去年の1つのキーワードだったんですが、本当に何度も言うがこんなに学生が自由にゼミを作る事ができるゼミって全国見渡してもそう簡単にはないと思う。
そんな数少ない珍しいゼミに所属していると、自由なのが当たり前に思えてきますが、その裏にはいつも責任がついて回っている。
自分が自由にできるからこそ、そこで腐ろうが、成長しようが、また周りの人間に悪影響を与えるのか、好影響を与えるのかという責任もいつも背負べきだ。
自由な場があるからこそ、そこに責任を感じ、自分のための投資に全力で取り組む事ができる場、それが金ゼミだった。
この3つに共通してるエッセンスとして、「真剣」というワードがあると思います、「本気」でもいいと思う。
真剣に人と接して、自由と責任を感じながら真剣にその場を作り、真剣に成長すべく努力を行う場。
それが僕にとっての金ゼミです。
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