2010年8月15日日曜日

夏休みブログ①

お久しぶりです。山本です。

今年の合宿は、インターンシップと日程が重なってしまい参加出来ませんでした。皆さんのブログを拝見し、返す返すも残念です。

今年の夏休みは、今のところ学部ゼミの課題とインターンの繰り返しの、非常に地味な毎日を送っています。
なので、今回はそのことについて書きたいと思います。

私は、学部ゼミでバリュエーションというものを学んでいます。簡単に述べると、M&Aをするとき企業の値段がいくらになるのかを算出する方法を学んでいます。
志望している業界の関係上、インターンにおいても上記のことをグループでディスカッションします。例えば、A社がB社を買収するときの買収価格や、買収した際に考えられるシナジー、買収のための資金調達について考えます。上記の事項は全て有価証券報告書に載っている数字を計算すれば簡単に算出することができます。しかし、それらの数字を算出すること自体に価値があるのではなく、それらの数字をどの程度の深さまで理解できるかということにバリュエーションを学ぶことの意義があると、最近つくづく感じています。

例えば、売上高2兆円、利益率10%という数字。これらはただの数字でしかないけれども、この数字の裏では、もしかしたら利益率を上げるために大規模なコスト削減、それに伴う雇用縮小があったかもしれない。もしかしたら、その影響で職を失ったひとがいたかもしれない。その家族は、已む無く働きに出なくてはいけなくなってしまったかもしれない。
ひとつの数字から、限りなく想像に近い妄想が広がります。
このように、表面に出ている数字が全てではなく、その奥には様々な物語を含んでいることに、この分野を学ぶ事の魅力を感じます。

そして、価値算出のような単純作業以上に、目に見えていることから、その奥にある本質的な部分を考える作業の方がずっと難しいことを実感します。

しかし、思えばこれは何も企業価値算定だけに言えることではなく、日常でも言えることかもしれません。

目に見えているものよりも、目に見えないものの方がずっと大事だとよく言いますが、確かに、目に見える事項からどれだけ本質的な部分が想像(時には妄想、かもしれません)出来るかに、人間としての裁量が現れるのではないかな、と私は思います。
そして、その意味での“想像力”の逞しい人間に、私は心から魅力を感じます。

顔は笑っていても、心は泣いていることがよくあることを私達は既に良く知っています。にも関わらず、日々の生活が忙しいと、そんなことにも気付けなくなってしまうことがよくあります。

目の前にいる友人の、些細な表情の変化・選ぶ言葉から、本質的な部分を導ける人間。
将来の社会的な地位はなんであっても、ひととして、そういった部分を想像出来る女性でありたいな、と最近つくづく思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿