2010年7月9日金曜日

【ホンヨミ!0709】社会科教育の世界―歴史・理論・実践【田島】

「社会科教育の世界―歴史・理論・実践」森茂岳雄


社会科教育法の考え方は「知識の獲得」と「知識の獲得の仕方を教える」との間を常に揺らいできたとあったが、私個人の考えでは「知識の獲得の仕方を教える」教育法をより支持している。
社会科教育の目的を「既にある事実を前提条件として自分の行動を選択する、考える現代社会人を育成すること」と捉えているためだ。私たちは社会において常に選択を求められている。米軍基地をこれから沖縄で受け入れ続けるか否か?国家財政のために消費税を上げるか否か?現代社会の問題と対峙するとき、「知識を知っているか、暗記しているか。」は本質ではない。「過去の歴史、体系化された理論など、知識をもとにいかに最適と考えられる選択を自ら構築するか」が社会において重要である。そのために、学校教育の段階から、知識を教え込むだけでなく、知識の使い方を知る経験を積ませるべきだと考える。先日アップした『畑村式「わかる」技術』のなかでは、教師は生徒に対し「種(知識)の使い方」を教えてあげるべきだが、完成図としての結論は教えず、生徒自身に構築させることを目指すべきだとしている。完成された知識のみを教える教育の方が確かに効率的であり、より多くのことを教えることができるが、生徒から考える機会を奪ってしまう。しかしもちろん、生徒がしっかりと自分の考えを構築できるように、教師の細かいフォローは必要となってくるだろう。
また、生徒自らに考えさせる教育は、「知識の獲得」の観点からも意味があるのではないだろうか。周りの友人に聞くと、受験時に詰め込んだ世界史や日本史の知識はほとんど忘れてしまったと言う。確かに「知識の獲得」を重要視した教育は、たくさんの知識を生徒に詰め込むことができるが、もしその記憶が短期的であるとしたら、それは本質的に「知識の獲得」と言えるのだろうか?反対に、私が2年時に選択していたスペイン語の授業では、「スペイン内戦をテーマに興味のあることに対し自由にレポートを書きなさい」という課題が出たが、レポートを書く過程で習得した知識は、過去受験で詰め込んだ知識よりも遥かに印象に残っていて、どんな状況でもすぐ思い出すことができる。畑村によれば、人間の脳神経には「髄鞘化」という現象があり、過去その事柄について徹底的に思考した経験がある知識は思い出すのが早く、忘れにくいという。つまり、生徒の一生において通用する知識を獲得させるためには、思考させることが重要なのである。
「知識の獲得の仕方を教える」教育をするためには、ただレポート課題を出せばいいということはない。生徒ひとりひとりが興味を持ち、自ら思考しなければ効果がなく、いかにそういう気持ちに持っていかせるかが、教師の力量として求められるのだろう。

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