2010年7月8日木曜日

【ホンヨミ!0709②】客観報道【高橋】

客観報道~隠されるニュースソース~ 浅野健一(著)

まず最初に、本著はまだ裁判員制度が日本に導入されることを前提としていない時に出版されたため、少しだけ話題が古いとはいえ、報道の在り方について重要な視点で論じてあったのでそれを前提に書評を書きたいと思う。
現在日本では裁判員制度が導入され、新聞などを読んでも非常に言い回しに気をつけていることがわかる。「○○によると、~」という表現がしっかりとなされ、その取材の情報源はどこからなのかを明示するようにしている。しかしながら、少し前までは大変曖昧で、誰がいつ発表した情報なのかがとてもわかりにくかった。また、女性に纏わる事件には性差別ともとれる表現で報道されることもあったり、実名・匿名の基準が現在よりも曖昧で特に未成年報道では配慮に欠いていた。そうした問題点を本著では提起していて、少し前まではメディアの報道の仕方が今とはこんなにも違ったのかと、その歴然とした違いに本著を読んでいて驚いた。ほんの15年ほど前に執筆された著者もこのメディアの動きには驚かれたのではないだろうか。情報源を明かさずライバル社の記事でもそのまま引用している記事が存在していたなど、今では考えられないことであり、いかに報道する側が責任を自覚して改革を行ったのかがわかる。人々にある事柄について知ってもらって啓蒙することが報道する側の役割ならば、責任もってニュースソースを明かし、情報の受け手が間違った解釈をしないよう心がける責任がある。メディアの影響力や権力は言うまでもなく強く、「客観報道」という信念を貫いてほしい。しかしながら、尺やスペースの都合上、割愛せざるを得ない情報は必ず存在するのであり、そうすることで視点のバランスなどを保つのは困難なことである。ならば情報の受け手である私たちが客観的に報道を受け止め、自分の中で自分の視点を築くことが今後も重要となるのではないだろうかと私は考える。

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