2010年7月2日金曜日

【ホンヨミ!0702②】客観報道の裏側【高橋】

客観報道の裏側  飯室勝彦(著)

「客観的に報道する」とはどういう意味なのだろうか。その意味を知りたいと思い、読んでみることにした。マスコミが提供する情報を通して「今」を知ることができている私たちだが、当たり前を疑う、ということをしなくなっているんじゃないかなと感じたことがあり、ジャーナリズムで叫ばれている「客観報道」について考えてみた。
そもそも人間がつくるものに客観性を持たせるのはなかなか難しいと思う。TVの報道番組にでてくるコメンテーターによる発言、あるトピックに対して意見する専門家は一つの立場しかとらない人など、報道番組でさえ、各自の放送規定に反するような構成になってしまっているように思う。
かといって、すべての番組が客観的にのみ報道することは観ている方からしたらどれも一様で、TV局関係なく退屈になってしまう。ならば、「客観」という言葉を取り除いて「うちの会社は○○といったイデオロギーの下報道します」と公表した方が視聴者にとっても比較しやすくなるのではないだろうかと思った。
「報道の自由」も「取材の自由」も私たちの「知る権利」の一部であり、侵害されるべきでない。しかし、権利ばかりを主張し、彼らの伝える義務を果たすことも非常に大事なものである。客観的に報道することが義務であるならばイデオロギーを前面にだすべきではないし、イデオロギーを大事にするのであればそれをもっと視聴者なり読者にわかりやすくすべきなのではないだろうか。
客観報道といわれているものの裏側について考察された本著は、マスコミの裏側を知るのに大変興味深い内容だった。

0 件のコメント:

コメントを投稿