『本を読む本』 M.J.アドラー, C.V.ドーレン著
「読書なんて人それぞれのやり方があるのだから、誰かに教わるようなものではない」。そういう見方があるかもしれない。それは一面で真実だが、どんな本を読むにもその考えが通用するのかというと、そうではないように思う。読書の意義、読書の方法を今一度問い直したくて読んだ。
本書で紹介されているのは100冊に1冊あるかないかの「名著の読み方」である。その辺に転がっている、たいして時間を割く価値もない本の読み方ではない(もちろん、それにも応用はできる)。
まず基本として、何が「良い読書」かと言えば、その本の内容に対して常に問いを発し続け、読み進める中で自ら答えを見つけていく「積極的な読書」である。ただひたすら読み進めて、読了するころにはぼんやりとしか内容を覚えていない、というようなことではいけない。
本から情報を得るという行為はとかく一方通行でありがちだが、自らも問いを発していくことで疑似的な双方向性を生み出すことが、書かれた本からより多くを得るためには重要であるようだ。
また、読書のタイプ、というかレベルには以下の4段階があるという。
1.初級読書
2.点検読書
3.分析読書
4.シントピカル読書
詳細については本書で詳しく述べられているので割愛するが、各段階は、その前の段階がマスターできていることを前提とし、従ってシントピカル読書は最上級の読書ということになる。そして著者は、このシントピカル読書を「大学卒業までに」習得してほしいと述べる。ところが、自分は「2.点検読書」すら満足にできていなかった。今までいかに「テキトー」に読書をしていたか、思い知らされた。
名著と呼ばれる本には、そうではない本と明らかに区別されるべき、名著と呼ばれるだけの所以がある。そんな本まで、自分が正しいと「信じ込んでいる」不確実な読書習慣にならって読むべきではない。名著からより多くのものを得、得たものを自らの血肉とし、場合によっては著者が言わんとする以上のことを学び取る(シントピカル読書)ためには、それなりのノウハウがある。
ゼミで回ってくる本には特に「名著」或いは「良書」と呼べるものが多い。それだけに、本書に書かれたノウハウには価値がある。
読書観が変わる一冊。
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