2010年5月26日水曜日

【ホンヨミ!】著作権の世紀【田島】

昨年度google book searchについて三田祭論文を執筆した過程で、福井さんのコラムは何度も拝見することとなった。福井さんの著作を読むのは「著作権とは何か」に続き2作目だが、法学に関する話題を私たちにも非常にわかりやすい言葉で書いてくださるところが好きだ。ウェブの発達により個人の情報発信がエンパワーされている時代、私たちが容易に著作権を侵してしまう危険性もまた高まっている。これから私たちもより著作権を理解する必要性があり、福井さんのような法学のテクニカルな部分を翻訳し、橋渡しをしてくださる人の重要性はより高まっていくのだと思う。

情報は自ずと流れる力を持っており、それを創作振興のために一時的にせき止めて利益を生み出す仕組みが著作権であるという説明は、想像しやすく腑に落ちるものであった。この「利益」という部分が著作権を考える上で大きなキーワードになっていることを本書は教えてくれる。最近「フリー」という本が話題であるが、現在インターネットには、「youtubeのアーティスト専用チャンネルによるPV公開」など、「著作権を放棄しているのか?」と心配になるくらい、著作物の無料公開が行われている。しかしそれは、フリー戦略をとることによって得られる広告効果からつながる「利益」が、それを行わなかった場合の「利益」を上回ると考えるから行われるのだ。企業側が著作権を主張するかしないかは、利益に左右される部分が大きい。
しかし、報酬請求権化のような「本質は「利益」なのだから、利益さえあればOKなはずだ」という論調は少し合理的すぎるように感じてしまう。そのやり方はgoogle book searchに似ている。「google book search」は書籍を「勝手に」スキャンし(この言い方にgoogleサイドは反発するだろう。しかし私の考えではオプトアウトとオプトインではイニシアチブをとるアクターが違うので、あえてこの表現を使いたい。)自身のウェブサービスに用いる。しかしgoogleはGBSを通じた電子書籍ビジネスをサポートしてくれる。つまり、著作権者の「利益」の部分をしっかりおさえているのだ。そしておさえているからこそ、権利者はgoogleのやり方になんだか腑に落ちないものを感じながらも、その流れに乗らざるをえない。
権利者は著作権をどんな時に主張するのか?そこには「利益の損失」という経済的側面とともに、「作品への敬意の欠如」「作品の同一性の侵害」といった感情的な側面も大きい。著作物は権利者の自己表現としての側面があるためである。後者は法律によって解決される問題というよりも、当人の姿勢が最も大事であると感じた。私は教職課程をとっているが、今の子供たちに、メディアリテラシーとともに「著作権リテラシー」といったものを教えることも大事なのではないか?

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