2010年5月26日水曜日

【ホンヨミ!】0528①著作権の世紀【斎藤】

 著作権による規制に関して考える際に著作権所有者に対する対価の支払いなどの経済的な面と、作品に対する敬意が感じられるかなどの精神的な面での区別が必要だと思った。例えば、本書で取り上げら得れていた『おふくろさん騒動』の根底にあったのは作詞家、作曲家が歌手が作品を冒涜したと感じるという問題であり、この点においては経済的な手法によっての解決は無理である。この例は有名人同士の問題であったことからマスコミによる注目度も高く、両者とも問題解決に向けた裁判上の手続きなどをはじめとする様々なコストをいとわなかったと考えられる。しかし、一般の消費者に限って考えるとそうはいかない、不特定多数の人々の一人一人が作品に対して尊厳を持っているかどうかを判断することは困難であるし、そもそも作品に対する尊厳というものは、その受け手が個々で判断するものである為、一方的な規定はできない。その場合には、本来の著作権所有者を経済面でどの程度損害を与えたかどうかが問題となり、著作権を侵害した人に対しては何らかの形で罰則を与えるということになる。

 また、どの程度において著作権を侵害したと言えるかの線引きが非常に難しいと感じた。オリジナルのアイディアをそのままの形で無断利用した場合などは明らかな侵害と言えるだろうが、作品の二次利用などかなり曖昧なものがあることは本書中でも示されていた。現時点で考えられる、最も合理的な判断は何らかの形で新たなアイディアを加えた場合は新しい創作物とすることだろうが、例えばミッキーマウスを原型にした新しいキャラクターを考案した際にそこから生まれる利益をアイディアを転用した者が全て獲得するかどうかに関しては疑問があるだろう。全くの無から何かを生み出すことは難しく、既成のものからインセンティブを受けることは多々あると思われる。そういったことを考慮すると著作権の所有者がその権利を侵害されたと感じたら、その都度裁判を起こして対応するといった事後的な対策が現状では最適なのではないかと感じた。法律によっては違法適法の明確なラインを引くことが難しく、その判断にはあくまで主観的な要素を含むため、様々な事例に対する一元的な規定をすることが困難なうちは条文によって明文化するべきではないと考えるからだ。あまりに規制がされてしまうと、新しい創造を阻害してしまう可能性ある。

 その場合、有名な作品などの著作権を抱える者はアイディアの転用などの著作権侵害が相次ぎ、裁判などのコストがかさんでしまい、それらの費用、労力が本来得られるべき利益以上にかさんでしまうことが問題となる。その解決策の一つとして考えられるのが、角川出版がアニメなどのコンテンツをyoutube上にアップすることを認めている例である。コンテンツの二次利用を新たな創造物と認め、そこから得られる公告などのメリットに注目した点で寛大であり、合理的である。ここでは作品に対する尊敬の念も重要とされているが、それ以上にそれらをいちいち規制することのコストよりも、そこから得られるであろう利益を最大化しようとする姿勢が感じられる。
 法律による一元的規制は現状において困難である以上、事後的な対応として既得権者が利益を最大化できるシステムの考案が重要だと感じた。

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