2010年5月16日日曜日

【ホンヨミ!】マクルーハン【戸高】

 4年ですが自身の思考の整理の為に読んだ本を不定期で掲載して行きます。

W・テレンス・ゴードン著、宮澤淳一訳『マクルーハン』

 マクルーハンは1950年から70年くらいまでにかけて活躍した、メディア学者です。
 彼のメディア論を簡単に要約するとこのようなものになるでしょうか。

マクルーハンのメディア論
1「我々は自分が見つめるものになる」
2「私たちは道具を形作り、その後、道具が私たちを形作る」
メディアはなにかを気付かせる媒介物ではなく、「何かを起こす媒介物」だと考えた。
つまり、芸術作品や行動モデルではなく、道路や運河に遥か近いシステムである。
そして、メディアとは、「私たちの身体、精神、存在そのもの、あらゆる意味を拡張した。
例えば服は肌の拡張、家は体温調節機能の拡張、パソコンは中枢神経の拡張

 つまり、彼にとっては我々が考える、新聞や雑誌、テレビやラジオといったものをメディアももちろんメディアだけれども、人間の行動や五感を拡張させたもの全てをメディアと呼んだのです。
 また、道路や運河に遥か近いシステムであると言ってる様に、どちらかというとインフラ的な役割を果たすのがメディアだと考えていたのではないでしょうか。

 我々の感覚を拡張したものをメディアと言うならば、まさしく「人生のコンテンツ化」が起こるのではないのでしょうか。
 例えばtwitter。これは結局の所、本来話し言葉で伝えているような気軽な話題や、しっかりとした書き言葉で伝えている真面目な話題、はたまた頭の中にうかんでくるしょうもないギャグなどを垂れ流しているメディアであると、私は思います。
 そのような言葉は頭からひねり出されるものなので、twitterは脳の機能の拡張したメディア。もしくは自分の口を拡張したメディアではないでしょうか。

 また、マクルーハンは言語というものが一番最初のメディアであると考えています。まさしく先述した自分の思考を拡張して外へと放り出すからです。
 するとメタファーというものもメディアとなるのです。マクルーハンはこのように言っています。

「人は自分の手の届く範囲に甘んじてはならない。そうでなければ何の為にメタファーは存在するのだ」
言語においてメタファーとは意識の拡張だから、メタファー自体も広義のメディアである。
あらゆるメディアは能動的なメタファーに、すなわち人間の経験を変形させるテクノロジーになる。

 人間の経験を変形させるテクノロジーになる、これはメディアが人間の行動に与える影響そのものを言ってるのだと思いますが、それに加えて人間の経験を、誰もが伝えることができる様になるという風に捉えると、これもまた「人生のコンテンツ化」というものにつながってくるのではないでしょうか。

 また、メディアの法則というものを彼は述べており、

何を拡張するか?
何を衰退させるか?
何を回復させるか?
何に反転するか?

 の4つがテトラッドを組ながら回っているのだと主張しています。
 ここでもtwitterを例に考えてみたいと思います。

1拡張
これはまさしく自分自身の生活を世の中に伝えると言ったことで、人生を拡張しているのではないかと思います。
2衰退
twitterというメディアで自分の人生を垂れ流すことが可能になった。すると衰退するのは他のメディアなのではないでしょうか。
多くの人が口を揃えて言うのは、「twitterをする様になって寝る前の読書の時間が、twitterを見る行為に置き換わった。」ということです。もちろんこれだけが要因ではないにせよ、メディアに溢れる様になった世の中だからこそ、1つのメディアが多くのメディアが占めていた位置を奪ってしまうこともあります。
3回復
これは自信がないのですが、ジャーナリズムを扱うメディアがもっていた「速報性」という機能を回復させたのではないでしょうか。もちろん、これはネットの登場である程度回復されたものでしたが、「誰も」が「気軽に」「つぶやく」ことができるtwitterというメディアの特性のため、ある事件の目撃者がつぶやくことで「本当の速報性」を回復したのではないでしょうか。
4反転
自分の人生を拡張させてくれるtwitterですが、フォロワーが増えてくるとその目を気にするがあまり、気軽につぶやくことができない。といったことも出てきます。本来自分の人生を拡張していたにもかかわらず、そこで自分の人生が制限されてしまうといった反転現象が生じるのではないでしょうか。


 マクルーハンが生きていたのはもう30年以上も昔です。我々はメディアというものを勉強する以上、再定義する必要がある時代にきてるのではないでしょうか。

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