2010年5月30日日曜日

100528ゼミの感想【村山】

【NC】
メディアコミュニケーション研究所において、メディアに関連したテーマを勉強する上で重要な、メディアリテラシーについて改めて考えることが出来た。メディアリテラシーとは、メディア上に流れる情報が自分にとって必要な情報かどうかを主体的に取捨選択して活用すること、である。
これを聞いた時に真っ先に頭に浮かんできたことは、広告特殊講義の中で、情報過多時代が到来し、それによって広告がスルーされたり、信用されなくなったという、先生の言葉だった。それを裏付けるかの様に、ネット上に流れている情報量が、人間が生涯の内に接する情報の122万倍もある、という事実にはただただ驚いた。このような状況では、情報がスルーされることも当然だし、同時に、自分にとって重要な情報とそうでない情報との区別をする、個々のリテラシーの必要性も納得できた。

メディアリテラシーには二つの性質があると思う。

1) 自分にとって重要な情報を取捨選択できる能力
2) 有害情報から自分の身を守る危機感知能力

1)は、前述にもある通り、個人の問題意識の出所を明確にすることによって解決できると考える。つまり、自分の意志を統制し、自分にとって本当になければ困る情報にだけアンテナを張ることで、情報の取捨選択を可能にするということである。

一方で、2)は、意志の力だけでは不十分である。特定のサイトにアクセスすることが有害かどうかの判断は、意志の力では判別できないからである。そのため、確かに、リテラシーを教育によって育成するという論拠にも納得できる部分はあったが、それだけでは不十分だとも感じた。「百聞は一見に如かず」、大事なことは自分自身で「体験」することだと思う。つまり、人から教えてもらうだけでなく、自分で実践することで、どこまでが無害で、どこからが有害な情報なのかに関する線引きを経験的に理解する、ということである。このように、自分の判断で経験することで、有害な情報に接触する可能性もあるが、世の中に溢れかえった情報に対するリテラシーを向上させられると思う。

また、議論の方法としてグループディスカッション後の発表という流れ自体は問題ないと思いますが、アウトプット後の対応には改善の余地があるのではないかと感じました。単に、各班の意見を発散させただけで終わるのでは勿体ないので、それぞれの班の意見に見られた共通項の要素を抽出し、統合的な解決策を提示するなど、何らかの形で収束させないと、議論の意味が小さくなってしまうのではないかと感じました。何はともあれ、お疲れさまでした。

【福井ゼミ】
「著作権とは何か」を読んでから一度、お会いしたいと思っていた方なので、早速その夢が実現できて非常に満足な2時間でした。
「著作権は、常に考え続けなければならない法律である。それは、時代が常に変化し続けるからである」。このお言葉を聞いてから今回のゼミで思い知らされたことは、個人的には、著作権という特定の法律について考える、というよりも、「考え続ける」という、その姿勢・意識についてであった。つまり、福井さんが、弁護士として著作権を始めとする法律の問題を考え続けているのと同様に、自分自信も自分が直面している問題を納得できるまで考え続けなければならない、と痛感させられたということである。「考える」ことは簡単だが、「考え続ける」ことは難しいと思う。一度意識すれば、瞬間的には思考するが、時間が経つと問題意識が薄れるのが人間だからである。だからこそ、その問題意識を枯らすことなく、意識し続け、考え続けることが、重要になってくると思う。そのため、自分が抱いた問題意識に対して、一定の形でアウトプットが出せるまでは自問し続けるという意味で、「考え続ける」という行為をこれから継続していきたいと、強く感じた。

また、「プロフェッショナルとは」という質問に対して、「時間を守ったり、結果に対して責任を持つこと」というお答えを頂いた。それはつまり、当たり前のことを当たり前に実行することだと思う。当たり前のことを当たり前にするのは、意外と難しい。だからこそ、それが出来たら強い。今の自分は、全ての当たり前のことを当たり前に実行できる段階にいないので、今後の人生において、この言葉は常に念頭に置いておきたいと思う。

最後に、大変お忙しい中、ゼミのために時間を割いて頂いて、本当にありがとうございました。とても充実した有意義な時間を過ごす事ができました。

p.s.1年生は3年生に勝てます!!

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