2010年5月27日木曜日

【ホンヨミ!0528①】著作権の世紀【高橋】

著作権の世紀 ― 変わる「情報の独占制度」 福井健策(著)

技術が発展していくばかりでそれに伴う法改正が追い付いていない現状。著作権をもつ権利者の利益を保障しつつ、技術とそれに伴う社会の変化に対応した法整備の必要性に深く考えさせられた本著であった。
私が特に感じた部分は著作権の変容についてで、「標準型著作権像」、「強い著作権像」、「弱い著作権像」、それぞれについて熟考するきっかけとなった。著作物に応じて著作権の捉え方を変えることができるのであれば、その媒体それぞれに適した形や方法を考えることも可能かもしれないが、ほとんどの著作物がネットを介して画像や音楽ファイルとして流通してしまう問題もあって、線引きはおろか一律に決めることも難しい。そしてそれとともに感じたのは、私たちは学校などで論文やプレゼンをする機会はあったとはいえ、著作物に対する権利そのものについて習うことがなかったのが問題だと思った。ネットにふれる機会が多い現代だからこそ早い段階から著作権について知る必要があるのではないだろうか。
また、著作権とその他の知的財産権についての違いについて感じたことは、例えばボールペンであれば実用的なので著作権は発生しなくても申請すれば実用新案権や特許権が発生して保護されるが、著作権は唯一自動的に権利が発生するとされていても、その対象となる情報が「広く創作的な表現」であるという点で、「創作的」とは具体的にどういったものであればいいのか、その裁量は誰が決めるのか、という部分に考えさせられた。「創作的」、もしくは「実用的」という定義はどうしても主観的になってしまうと考えたからだ。しかしここで公平性をもたらすのが「薄い著作権」だというが、デッドコピーでなければいいという考えは少し危険な気がする。独占することを強く認めてしまうと、少しでも類似していたら著作権に縛られて人々の創造行為に制限をかけてしまいかねないし、かといってアイデアを無断で用いてデッドコピーではないからいいだろうと作品を発表するのも元々のアイディアを思いついた人の権利を侵害することになる。そのバランスが難しい上明確化することは困難で難しい課題である。

福井さんに質問したいのは以下の点です。
1.グレー領域は明確化されていくべきだがその領域はまったくなくなるべきでないと福井さんは主張しておられますが、グレー領域に対するある種の共通認識が私たちの中にないと成立しないのではないかと私は思うのですが、そのグレー領域の明確化は一般に伝わるとお考えですか。
2.「創造」と「実用」は人によって感じ方が違うと思うのですが、それらは明確に定義づけられるべきだと思われますか。それともリベラルに、(その創造者や組織の考えの下などで)広く認められるべきだと思われますか。

宜しくお願い致します。

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