2010年5月28日金曜日

【0528ゼミの感想】プロフェッショナル【戸高】

 まずは本日ゼミに忙しい中来ていただいた福井健策氏にお礼を述べたいと思います。
 魅力的だと思う大人にまた1人出会うことができたと心から感謝しています。
 福井さんがおっしゃっていた「プロフェッショナルとは実践、言葉ではなく行動で責任を示すことができる。」ということを、自分自身、常に言葉よりもまず行動だと思い、態度を示そうとは心がけていますが、それを再び胸に刻み直したいです。


【NCメディアリテラシー】

 僕が2008年に論文でやったテーマと重なる部分もあったので、自分の意見をまとめ直す機会にもなりました。
 詳しくは以下のリンクから興味があれば見てみてください(http://mwr.mediacom.keio.ac.jp/kim/?cat=3)。

 そもそも、日本でケータイインターネットを通じたメディアリテラシーが注目され始めたのは、学校裏サイト問題、プロフ問題などがあり、そうしたサイトを一律に青少年相手に規制すべきだ!という風潮になりました。
 しかし、そこで国がその規制を一律にしてしまうと、「表現の自由」「知る権利」を侵害するのではないか。という問題にまた発展してしまいます。
 そこで政府ではなく、キャリアや第三者機関によって、フィルタリングの基準や教育施策などを決めるという感じで進んで行きました。

 こうして問題は解決したかの様に思われましたがまだまだ具体的に問題は残っております。
 実際に教育というものも、教科書作りは第三者機関もキャリアも行っておりますが、その足並みがそろってないというのも(共通した教育の軸がない)問題ではないのか。
 はたまた教育の軸がなくとも、逆に受け手側にどこの教育がいいのかと選ばせることができるし、各キャリアが強み等を活かしながら競争が起きていいのかもしれません。
 しかし、根本として地方自治体単位で、中学生や小学生に携帯電話の学校への持ち込みを禁止したり、ケータイインターネットの使用の禁止を打ち出しているような所もあります。
 ケータイインターネットはもちろん悪影響もありますが、自己表現や、自己開示、自己呈示的な側面もあり、使用すべきでもあるという意見があって、フィルタリング問題の話し合いがあったのにも関わらず、それを親のコントロールではなく地方自治体のコントロール下におくというのは時代に逆行してることがおきているのです。
 そういった足並みを揃える為の役割を政府という者が先陣切ってやっていくべきなんじゃないのかなと思います。

【福井健策さんの話】
 著作権は考え続けなければならない。この言葉に僕もはっとしました。
 福井さんは人はずっと考え続けて行かなければならない。思考停止状態になってはいけない。それは政治問題に対しても同じで、「誰かがやってくれる」では何も変わらない。
 法律、特に著作権法はデジタル化という時代の流れによって今最も変化すべき法なんじゃないのかと思います。そこをしっかりと問題意識をもって、ユーザーならばユーザー視点で考えて行く義務があるのでしょう。

 また音楽は著作権の一元管理が行われている。それは音楽は2次利用されやすく、幅広く使われるべき性質を持っている。だからこそいちいち許可を各方面に取るのはめんどくさいのでJASRACが一元管理をしている。
 では出版は無理かもしれないが、動画系コンテンツ権利も一元管理できる、というよりもすべき時代に来てるのではないか。動画編集ソフトが流通し、編集が簡単になり、2次利用されやすいコンテンツになっているのではないか。
 といってもここにはN次創作を認めるかどうか、またN次創作文化がもともとあるのかといって一元管理をすべきではないとの考え方があり、そこでクリエイティブコモンズなどが出てきたのではないかと思います。

 なんにせよ、福井さんには著作権に関して考え直すきっかけを頂けた以上に、人としての接し方や、話し方など対人的魅力も学ぶことができ、本当に充実していたゼミだったと思います。ありがとうございました。

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