2010年5月27日木曜日

【ホンヨミ!】0528①著作権の世紀【岡本】

近年の様々な著作権問題についてしばしば思う疑問点について本書にはクリティカルな指摘があり、まさに「わが意を得たり」の思いでした。特に感じたのは「期せずして」と「つい」を区別するのは非常に難しい、ということです。もしかしたら本人さえ預かり知らぬところで無意識下にインスパイアされている例だってあるかもしれないだけに、非常にシビアな問題だと感じます。司法判断で無意識までは覗けない。その意味で「依拠性」の判断というのは本書にも述べられるとおり非常に難しい。著作権がこれだけ取り沙汰される世の中にあって露骨な盗作を行うような人もいないでしょうから(とは言え最近でも盗作関連のニュースを耳にしないわけではありませんが)、これについては今後更なる議論が必要に思われます。

特に「時間と夢」問題については福井さんの見解に全面的に賛成で、槇原氏の勝訴を歓迎します。これが規制されるとすれば、後世の自由な表現活動を妨げるレベルの規制と考えます。日本の司法が適切な判断(と少なくとも自分には思われます)を下してくれたことに敬意を表したいと思います。

これだけ著作権が取り沙汰されて露骨な盗作を行う人もいないでしょう、と書いておきながらこの例を出すのも難ですが、最近岡本真夜さんの楽曲の、中国人作曲家による盗作疑惑というのがありました。本書を読みながらずっとこのことについて考えていたのですが、この事件の一連の流れがとにかくすごくモヤモヤします。まず整理として、盗作疑惑をかけられた側が原曲の使用を申し出た上で、「じゃああなたの楽曲を使いますよ、それでいいでしょう?」という形で開き直ったようにしか見えないのですが、これで間違いないでしょうか。そしてこの問題に、舐められるにもほどがあると感じるのは自分だけでしょうか。

今回の場合特に国家間の問題も絡んでくるものであり、ましてや使われようとした先が上海万博のPRソングです。事の大小を含めて問題にするのが適切かどうかはおくとして、このような開き直りが容認されるのであれば「ばれなければ盗作し放題、ばれても逃げ道がある」といったような考え方を結果的に容認するようで、著作権問題の軽視にもつながりかねません。楽曲を使いたいのなら最初からその権利者に申し出ればいいのであって、やはり「ばれたんなら仕方ないか」という対処の仕方はどう見たっておかしい。「ちゃんと対価を払うのならいいか」という感じで沈静化した(ように見える)日本の世論にもなんとなく違和感を覚えます。この問題について、ゼミ当日は福井さんのご見解をぜひ伺いたいと考えております。

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