2010年5月29日土曜日

0528ゼミ[矢部]

[NC]

 私たちの身近のことだけど、実際に深く捉える機会はあまりなかった「メディアリテラシー」についてであった。今はdigital nativeとdigital immigrantでは相当の溝があると思う。~22歳までの私たちは生まれたときから周囲に情報を操るツールがたくさんあって、情報とともに成長してきたので、この環境を普通のように感じてしまう。教育として、技術的なインターネットを教わるのは意味がないと思う。教育課程を作る文科省のお役人たちは、自分たちを主体にして考えないで、ギャップがあることを感じて欲しい。インターネットの技術ではなく、それを使っての道徳心や倫理観を教育するべきだと思う。しかし、果たしてそのような教育がされれば、メディアリテラシーが身につくものだろうか。現在高校生で情報という科目が設置され学んでる状況はどうだろうか。高校生という年齢では、やってはいけないと言われたら、年齢的にある程度は生きているので、知見や好奇心も広がり、逆効果を生む可能性が高いのではないかと思う。加えて、高校生という多感な時期には、個人的欲求というのを学校の先生からの教育で全てが抑えられるはずがない。ゆえに、正統的に高校生に情報を教育したところで意味ないと思う。(まず今は、インターネット技術を教えてるだけなので、このレベルにすら達していないが。)だからといって、小学生か教育を施すことに意味があるかといえば、そうでもないと思う。小学生ならまだ無垢であろうと思うかもしれないが、それが逆にまた、ウィークポイントであろう。ゼミでも例のでた、追体験を小学生にやらせてみても、おそらくさっぱり理解不能であろう。僕も、メディアリテラシーは実際の現場を操作しながら見たり、実践してこそ分かるものではないかと思っている。ゆえにdigital immigrantにはdigital native世代というのを味わってないからどう対処すればよいかやその現状は分からないであろう。そんな年代の人には託すことなどできない。そう考えるとメディアリテラシー教育体制は大学生から中学生への流れが良いのではないかと思った。

[ゲストスピーカー]

著作権について、詳しい福井健策さんがゼミにいらっしゃって、ゼミをしてくださった。とても分かりやすい話であり、とてもすばらしい時間であった。ゼミ生全員、福井さんの著書お読んで挑んだため、知識を取得していたことが、有意義なものを生んだのだと少なくとも自分に対しては言える。予習って大事!一番勉強になったと思う箇所は、大量生産品と美術工芸品について。まず実用品には意匠権でも守られている。しかし、実用品に創作性があっても意匠権だけなのだろうか。それは実用品は機能と密接に結びついているからだ。機能ひとつを70年もの間、制限してしまうと社会的に不都合が生じることが理由である。しかし実用品=量産品ととらえるのは間違っている。量産されるかに実用品という点で著作権問題があるのではなく、機能的に社会的恐れがあるかという点d実用品と呼ばれるのである。一品美術には著作権は発生する。量産品だからといって、著作権がないということはないのである。このあたりの境界グレーゾーンの線引きはとても難しいが、これが解決されないを現状を考え抜いて、楽しむことがこれからの未来、著作権を考えるうえにおいての、明快な線引きがひかれるべきところであろう。

この場をお借りして、福井さん本当にありがとうございました。

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