2010年5月23日日曜日

[ホンヨミ!]0521②メディア社会[矢部]

メディア社会 佐藤卓巳(著)

 メディアの役割が増す中どのように私たちが接するべきであるかどうかについて、ライブドア事件や様々なニュースなどの事例を出して説明している。

 この本を読んで思うことは、メディアが錯綜するこの社会では、自ら直接的に経験してないことに関しての文章などを読むときは、その時点で発信する人のバイアスがかかっているのだということだ。意識しようとしなくても確実に潜入感というものはまとわりついてくるであろう。事件というのは、日々のニュース報道でも分かるとおり、日々めまぐるしく情勢変化が起きる。それを時間差がある状態で受信者は読むor聞くわけである。正確には正しい情報とはいえない。常に最先端を求めるということは、現代社会を生きていくうえでとても大切なのかもしれないと思った。
 しかし、日本のメディアが正確な情報を流さないというとても矛盾する問題点がある。日本の報道機関は必要なニュースを取り上げ、不要なニュースを排除するというゲートキーパー機能をしっかり果たせていない。この情報社会でのゲートキーパー機能の不作用が問題である。例としてあ、韓国や中国の反日運動なかなか取り上げないということにある。この報道機関の選択は私たち受信者の視点から見れば確実に誤っているとしか言いようがないと思う。インターネットによって、わたしたちはより多くのニュースをより早く手に入れることができるようになったが、それは必要としているものではないのだ。しっかりとゲートキーパーとしての自覚を持ってしっかりと選別できる眼を養っていかなければならないと思う。
 
 最後に疑問。マクルーハン曰く、メディアはメッセージである。これはメディアをコミュニケーション手段と捉えるべきだといっているのであろうか。双方向の交信ができて、初めてメディアがその間に存在したということになると私は思う。マクルーハンのメッセージとはどのような捉え方をしているのかとても気になった。

1 件のコメント:

  1. マクルーハンの云う「メディアはメッセージ」は、メディアがどんな情報を流しているかに関わらず、そのメディア(媒体)が何かっていうところにも意味を持っている、ってことなはず!
    テレビで流すか、ラジオで流すか、本で出版するか…媒体にはそれぞれ特徴があるから、それを使う時点でそれぞれメッセージが込められるってことだと思う!
    間違ってたらごめんなさい。。

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