2010年5月21日金曜日

【ホンヨミ!】0521②新世紀メディア論 新聞・雑誌が死ぬ前に【斎藤】

 次回の論文テーマが新聞の電子化だということもあり参考にする部分が多かった。
本書では、雑誌はかなりの割合で電子化するとされるのに対して、新聞には紙媒体として生き残る部分もあるとされる。その場合の特性として考えられるのは、小規模な発行部数でローカルな情報を扱うということだ。独自の編集方針、記事内容と現地コミュニティーとの強力な結びつきがあれば他のメディアとの差別化ができる。このようにコンテンツ面において独自性を発揮することができれば媒体はどのようなものであっても需要に影響はない。また、全ての人々がネットにアクセスする環境にある訳ではないため、そのような人々を紙媒体のままで囲い込んでいくことも必要だが、発行部数が減少すると一部あたりに対するコストは高くなってくるため現在の紙面数や質を維持できるのかという問題も考えられる。こういった点は公告費で補っていくしかないのだが、広告費による収入が主流になっていくとそもそも紙媒体である必要がなくなってくるという逆説的な状況になってしまうだろう。そういった、紙とデジタルのコンテンツをうまく共存させていくことは新聞社の経営的な問題となる。
 ところで、記事が優れておりそれが紙媒体でしか入手できないから仕方なくそれを利用するということはあり得ると思う。逆に、紙媒体でしか実現できないコンテンツとはどのようなものであるか考えてみる。そうするとほとんど思いつかなかった。もちろん論文作成に向けてこれからも思案していきたいが、現状においては、紙媒体の独自性は読み易やなどの利用方法に関する主観的な嗜好に終始してしまいコンテンツ面において紙面でしか実現できないものはほとんどない。故に新聞においても電子版の普及というのはかなりの確立で普及していくと思われる。
 一方で利便性が高いからといってそれが簡単に普及するとは思えない。人間にとって、紙に対する安心感は非常に高いものであるし、そのような主観的な要素が大きな消費者の行動決定の要因であったりもする。このような、楽観主義が従来からのメディア業界の蔓延しているらしいが、それはそれでまずいだろう。急激なデジタル化は、業界側と消費者側の双方にとってもすぐに受け入れられないと思うが、まずは紙媒体とデジタルの両立を探っていき各媒体のターゲットを明確にすることで需要にあうように多様なコンテンツ供給をすべきだと感じた。

 

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