2010年5月14日金曜日

ホンヨミ!0514①日本辺境論【吉田】

『日本辺境論』 内田 樹


「日本人とは何者なのか」

この問題に対して、筆者は「日本人とは辺境人である」という解を設定して、過去に論じられた日本人論を使いつつ、日本人固有の思考や行動にある辺境性を説明している。

筆者の主張を要約すると、以下のようになる。

 日本人にも自尊心とある種の文化的劣等感が併存いる。それは保有している文化水準の客観的な評価とは無関係に、国民全体の真理を支配しており、本当の文化はどこか他のところでつくられるものであって、日本はなんとなくおとっているという意識を生みだしている。

筆者は、その原因をはじめから自分自身を中心にしてひとつの文明を展開することのできた民族と、その一大文明の辺境民族のひとつとしてスタートした民族との違いに求め、 「成立過程がない」日本のことを「虎の威を借る狐」という言葉で表現している。

そんな意識のせいか、最近「日本はこのままではダメだ」という論調が以前にも増してよく聞かれるにようになった。その議論をよく聞いてみると、「日本がダメ」なのではなく、「○○と比べて日本はダメ」という形で相対化した論調であることが多い。

また、個人に意見を求めた時に、「自分の意見」を答えられない人が多いこともその表れであると言える。「自分の意見」を求めても、新聞の社説やテレビに出ている知識人が言っていることをそのままコピーしたものが帰ってくる。それは、政治や日本の在り方と言うような問題は国の偉い人や頭の良い人が考えれば良く、自分自身に直接関係のある問題ではないと考えているからではないだろうか。

そういった意識が日本の投票率が低い原因となっているのではないだろうか。他の先進国の投票率がおおむね70~80%であるのに対して、日本の投票率は60%代で推移している。しかし、同時に日本人の政治に対する知識は世界的にも高い水準にあるという統計もある。つまり、多くの日本人は政治に対して高い知識をもっているにも関わらず、それに基づいて主観的に判断を行い、自らの意見を投票という形で示すことをしていないということになる。この問題も前述の意識の問題として考えるとうまく説明できるのである。

私が本書に好感を持つ理由は、本書の理論が取り立てて優れているからではない。事実著者は、本書を古来より論じられてきた日本人論を踏まえた「民族誌的奇習の補正」として位置付けている。本書が素晴らしいのは、日本人が特殊であることを踏まえたうえで、「そのままでいいのではないか」と結論付けている点である。多くの日本人論は、「日本は○○の点が特殊である、だから○○を変えなければならない」としており、それ自体が日本という存在を相対化したものとして捉えているからである。

そういった意味でも、本書は「日本人論」という難しいテーマを的確に論じた良書であると言えよう。

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