戸高です。未だゼミでどのくらい発言していいのか迷っている状態です。(4年生全体の声でもあるのか・・・?)
【brand yourself】
結構僕は岡本君が行ったbrand yourselfが記憶に残ってます。(矢野さんに対するでしたっけ?間違ってたらすいません)
人の言葉をそのままストレートに受け入れるのではなくて、あくまでも人の言葉はその人が歩んできた人生から出てきたもの。それが自分の人生に合うのかどうかよく考えてから受け取る。
これは僕も普段から心がけていることだったので、とても共感しました。
あまり僕自身、名言とかを信じていないというか、それを出したのは自分じゃないんだから自分の人生で何か教訓になればいいという程度の気概なので。
体制に声を出す、自分の人生なんだから自分をちゃんともつ、すごく大事なことですよね。
【NC】
・議論の回し方
小宮が言ってた通りだと思います。
自分が相手の意見を促す時はまず持論をのべることが重要です。まず自分の意見をもつとそれをフックとして「◯◯と言う点で賛成」「△△だから反対」と議論の幅も広がります。
さらに自分の意見をまず発していれば、「あ、こいつちゃんと持論もってるな。」って感じで相手を引きつけることができます。
なんでも就活の話にするのは嫌なんですが、GDとかでもやっぱりそんな感じで、
「意見を発する→話をふる→まとめる」の黄金パターンができていれば通りますし、社会が求めている力もこれなんでしょう。
また、1本筋を定めておいて、多角的な角度で攻めるのも重要だと思います。
よく「歴史を学ぶのは過去の事例を元に今を考える為だ」とか言いますが、やはり似たような事例に学んで行く必要はあると思いますし、議論の広がりもあると思います。
・内容そのもの
そこで今回、僕が事前になんとなく考えていたのが、「Facebookに学ぶプラットフォーマーの役割」みたいなものでした。
問題意識としては、アクトビラで多様なコンテンツが配信される。またインターネット放送が個人でどこでもいつでも行うことができる様になり、世の中が膨大な量のコンテンツで溢れる時代になりつつあると思います。
アマチュアが作るからこそ、そのコンテンツは使用してみないとそのクオリティはどのようなものかわかりません。「perfumeのCDだから買うか、あたりっしょ」みたいな安心感はないんですから。
そうなると、いいコンテンツを見分ける必要や、いいコンテンツが埋没してしまうのを防ぐにはどうすればいいんでしょうか。そこにFacebookの事例等を見れば何かヒントがあるのではないかと。
Facebookはソーシャルアプリのプラットフォーマートして、日本国内では100万人ですが、世界では4億人のユーザーと、オープンプラットフォームによる、ソーシャルアプリ開発者をつないでいます。
ここでFacebookはただ単に膨大な数のユーザーとデベロッパーをつなぐための場を持ってるだけではなく。つなぎとめる工夫をしている点が大きいです。
そこで1番大きい働きは、友人からの「おすすめ機能」があることなんじゃないのかな、と思います。
デベロッパー自体が、「これおもろいでーやってみー」と声を出して、ユーザーにメッセージを送ってもそれはただ単のスパムメールでしかないでしょう。
でもFacebookやmixiのアプリを友人に勧める時、受けては一種の「安心感」と「義務感」を抱くことになります。
「あ、◯◯ちゃんからのおすすめだ!じゃやってみよう。」みたいなノリで自分の友人がすすめてくれているんだという安心感。そして「◯◯ちゃんがすすめてくれたし、みんなやってるからやっといた方がいいのかな」という義務感。
もちろん友人からのすすめがあってもアプリを利用しない人もいますが、段違いにこの効用はあるでしょう。
さらにインバイト機能以外にも、課金、ギフト、ニュースフィード等さまざまな役割をになうことによってユーザーとデベロッパーをつなぎとめてます。
また黄さんがおっしゃっていたように、アクトビラの情報が見にくい、検索しにくいのは、多くの(動画)情報が載っている場所としてとても問題だと思います。
去年の僕らの論文で、UGCサイト設計論の要素を出した時も、検索容易性がありました。(以下の図参照)
こういうサイト設計の面(アクトビラならどのような配信環境を整えるべきか)を議論できてもよかったのかもしれません。
【おまけ】
またおまけなんですが、先日ICCで行われたシンポジウム、「リアル・タイムウェブの現在とこれから」を栫井さんや岸本君と拝聴してきました。
そこでニコニコ生放送を行っている伊予柑さんが、「人生のコンテンツ化」ということをおっしゃっていたのが印象に残っています。
先週のゼミで「コンテンツの定義とは何か」といった話になり、今日、金先生が「コンテンツとは人間の表現活動の産物」とおっしゃっていました。
人間はこれまで表現活動をし、それをしっかり多くの人間に伝えることができるのは、プロの作家やテレビ局の人間等、限られた人間でした。
でもウェブの進化に伴って、twitterのつぶやき、ustやニコニコ生放送などで生放送など、リアルタイムで自分の存在を表現できる様になりました。
これぞまさに人生のコンテンツ化を表すものなんだなぁと、「コンテンツの定義」がしっかりしてからようやく実感がもてました。
そうした「人生のコンテンツ化」の時代には「感情の賞味期限」が重要になってくる。と話の中では出ていましたが、まさしくその通りです。
リアルタイムウェブの時代とは言え、本当の「リアル」とは数秒の「ディレイ」が生じます。twitterのつぶやきもリアルタイムとは言え、みんなが見るまでのラグはその見る人次第です。その盛り上がりを逃さない為には「常時接続」が重要になってきたり、またはその「ディレイ」をいかに活用して行くかが重要となってきます。
(実際津田さんは、ワンセグでの4秒のディレイを活かして、野球場で野球を見ながらワンセグでリプレイとして利用する。そこにおもしろさが何かあるんじゃなかろうか、とおっしゃっていました。)
以上、おまけです。
0 件のコメント:
コメントを投稿