2010年5月7日金曜日

【ホンヨミ!0507②】カルチュラル・コンピューティング【栫井】

カルチュラル・コンピューティング−文化・無意識・ソフトウェアの創造力−

このジャンルの本を読もうと思ったきっかけは、ロボット工学の教授、大阪大学の石黒先生のお話を聞いたことだった。
ジェミノイドと呼ばれる精巧なアンドロイドをつくった方ということで、さぞかし技術に通じたガチガチの理系の人なのだろうと思っていたが、印象的な言葉を仰っていた。「技術が進んでいくと、哲学の話になる」。技術が進むほど、人間とは何か、一種芸術の分野のことが意識されるようになるというのだ。
本書はどちらかといえば、芸術の分野からのアプローチになるが、技術が進歩し様々なメディアの形が実現されるようになったことで、芸術の可能性も広がったとしている。
技術と芸術の融合をメディアアートと表現しているが、ここでいうアートとは伝えたい感情の可視化のことだ。使われるコンピュータも、従来の計算機としての意味合いから感情や記憶の伝達・保存をサポートするメディアとして捉えられている。
今までの一方向だった感情表現が変容し、インタラクティブなアート表現が可能になった。本書に掲載された例だけでも、面白いものがたくさんある。だが、このまま感情表現のツールが進歩していき、より細やかな感情表現が伝えられるようになったとして、すべての感情を吐露することが果たして”良い”ことなのだろうか?すべてが可視化されることは自然な姿なのだろうか?インタラクティブというのは、必ずしも諸手を上げて歓迎されるべきことではないのではないかとも思う。そこには選択の自由がなくてはならない。
また、本書を読んでいて、技術が距離を越える日は来るのだろうかとふと考えた。ネットワークを介して様々な感情が伝えられるようになった今日、それでも物理的な距離は越えられないと私は思う。
コミュニケーションは人間にとって不可欠な要素である。コミュニケーションとは何か。感情の在り方とは。技術と共にいっそう考えられるべき問題だ。

0 件のコメント:

コメントを投稿