2010年4月28日水曜日

[ホンヨミ!]0430②日本辺境論[矢部]

日本辺境論  内田 樹(著)

日本人とはどういう人か、日本人は世界から見てどういう人物なのだろうか、という疑問に対して、日本人は辺境人であるという視点から、様々な著者の意見をとても明晰に論理が絶妙に組み立てられながら、例を引き出しつつ、分かりやすく述べている。日本人固有の思考や行動はその辺境性によって説明することができるというのが、この著者の考えである。

このような類の、日本文化の辺境性や後進性、周縁性、特殊性について書かれている本は、この世の中にたくさん存在するので、著者は、この本のコンテンツには一切新味がなく、非体系的で、結論がないと言うが、著者はそこに重点を置いていないから、冒頭部分からそこに断りをいれていることに注目できる。筆者は「お掃除」とたとえ、忘れてはいけなく、日本人として、日本人について考えることにおいては、このお掃除と呼ばれる「確認」作業がとても重要と考えているのである。

比較対象を他国や他人など、他のものにおて、自分や日本人を評価することを、よくないことととらえている。例えば、日本はこのままでいくと、未来がないなどよく言われるが。それについて根拠を持って自分の意見を言えてる人など大抵いないと言っているのである。普通ならば、相手の意見を聞いて、柔和に対応でき、相手と議論を交わすことができる。しかし、このようなことができない人というのは、ただただ他人の意見を鵜呑みにしその一つの意見にしか耳を傾けていないから、次の2つの行動をすることしかできないと著者は云う。それは強引に自分の意見を押し通すか、潔く妥協するかの2つだ。

日本人というのはcatch upすることばかりをしていると著者は云う。日本が先導になって世界の各国がついてこいというのは一切ない。日本は世界標準と一般的にいわれるものに追いつこうとするのに精一杯なのである。世界標準を日本は新たに設定することはできないのである。それは個々の日本人においても同じことが言えるのである。何でも他人や周りの環境・状況に合わせることに全身全霊を捧げてるといっても過言ではないかもしれない。この日本人的特質の最大の要因は、その日本(人)の行動や判断が、未来において、実証されておらず、実存してないからであり、それ故に踏み出すことができていなく、自分の行動・判断を担保として差し出すことのできる人のみが世界標準を作り出していくことができるのではないかと思う。

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