2010年4月30日金曜日

【ホンヨミ!】0430①ネットがテレビを飲み込む日

『ネットがテレビを飲み込む日』 池田信夫/西和彦/林紘一朗/原淳二郎/山田肇(共著)


がネットに取り込まれるのは必然的であり、技術的にはすでに可能であるが、様々な制度や慣習が両者の融合を阻害している。それらを取り除き、テレビとネットを融合させて、コンテンツを担当するテレビと伝播を担当するネットで役割分担することはテレビ・ネット双方、そして視聴者にとって有益である。

以上が本書の主張の要約である。

本書は、私にとって大変興味深いものであった。なぜなら、ネットとテレビの融合を謳ったライブドアによるニッポン放送・フジテレビ買収劇以来私が持っていた「放送」と「通信」に対する疑問にわかりやすく答えてくれた著作であったからである。

私が最も強く疑問に感じていたのは、そもそも同じ「伝える」ことを事業とする「通信」と「放送」の違いは何であるかということである。本書によれば、放送法第2条の1では「放送とは、公衆によって直接受信されることを目的とする無線通信の送信をいう」と規定されており、「放送」は不特定多数に対して、無線通信を行う「通信」の一種である。同業種であるはずの通信と放送は、その生い立ちや社会的役割の差異から全く異なる性質を持つ業界にそれぞれ成長した。本書はその過程を詳しく検証しており、通信・放送両業界の歴史を知るという意味でも非常に興味深い。

また、両者の融合を阻害しているものが何であるかという疑問に対しても、マルチキャストなどの通信技術の発達によって両者の線引きが限りなく曖昧になっている現状とそれに追いつかない放送や著作権関係の法整備、そして改革を阻害する最大の要因の一つであるメディア業界の古い慣習について分かりやすく説明されており、両業界の総合によって全体の産業規模が拡大する「ウィン・ウィン」の関係なるという主張には同意できる部分も多い。

しかし、広告力の面でも消費者の嗜好を特定して情報を送ることが可能なネット(通信)の方が不特定多数を対象とするテレビ(放送)より優位に立っており、将来的には、テレビ局がコンテンツを制作し、インターネットがそれを他の情報と一緒に流通する形式になるという主張には疑問の余地があると私は考える。

テレビは一度受信機を入手すれば、チャンネルを変えるという作業だけで「受動的」に情報を入手できる。本書は視聴者が「能動的」に情報を選別して受け取るようになることのメリットを強調するが、「受動的」に選別された情報を得る利便性を忘れていないだろうか。たとえば、テレビをつけっ放しにする時に、私達はどのチャンネルをつけてもある程度選別された(大多数の視聴者の嗜好に合った)番組を見ることができる。そして、そのような環境の中で形成された受動的なテレビ文化は、無意識のうちに視聴者にメッセージを刷り込ませることができるという点で広告と非常に高い親和性を持つと私は考えている。そのような無意識での刷り込みは能動的な選別を求めるネットにはできないことであると私は考えている。

ゆえに、私はテレビがネットに取り込まれるのではなく、両者が部分的に融合し、ネットは現在のケーブルテレビや衛星放送のようにロングテールに特化した放送を行うようになるのではないかと考えている。

いずれにせよ、通信と放送の問題に対する興味深い示唆を与えてくれる本書はメディアを理解するための良書であることは間違いない。

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