2010年6月10日木曜日

【ホンヨミ!】社会学の名著30【戸高】

竹内洋著『社会学の名著30』

 社会学でこれだけは読んどけ!といった名著の解説本である。これをだらだらと書評を書いても意味がないので以下雑感。

 「社会学は断定と絶対とはほど遠い。」本著の中で筆者が言っていた言葉だ。僕はこの言葉に違和感を抱いた。
 むしろ様々な社会学者の言説を読んでいて、かなり断定的な印象を受けるからだ。
 断定的であるからこそ時代によって矛盾、また整合性がとれ議論が盛り上がり、次の社会学の発展するのではなかろうか。

 この名著30の中で、デイヴィッド・リースマン『孤独な群衆』がおもしろかった。
 群衆の中にいるのに孤独を感じるとはいったいどのようなことなのか。社会的性格という切り口でリースマンはこの議論を進めて行く。
 社会的性格とは同一の階級や地域、集団、国家に属する人々が共有する性格だ。例えば官僚体質、国民性、男らしさなどがある。
 ではこういった社会的性格はどういったタイプで身に付くのか。その類型は3つある。

①伝統志向型
 過去に共有される慣習等の伝統に同調することで行為をする
②内部志向型
 工業化社会により、伝統志向型が不適になる。選択の幅が広がるので、慣習が通じなくなるから。
 幼年期に年長者によって植え付けられた一般的な目標(職業に献身、世の中でひとかどのものになる)が内面の声という羅針盤となって行きていく。(ウェーバーもこれを提唱)
③他人志向型
 他者との付き合いが協調される時代に(第三次産業の増加)。他者とは友人や同輩、そしてマスメディア。
 
 このタイプの人間が目指す目標は「他者からの信号に絶えず細心の注意を払う。」
 レーダーを内蔵しているかのように例えられ、外見だけでなく、他人の気持ちを細かく斟酌しようとする。恥(伝統志向型で感じるもの、習慣を破ることは恥ずかしい。)、罪(内部志向型で感じること。みなが職業的献身を行うのに働かないことは罪だ。)よりも不安が伴う。

 こうした他者からの信号に絶えず細心の注意を払うことで、我々は群衆の中にいても孤独を感じる様になる。つまりは常に他者を意識することで監視される立場にもなるのだ。
 総監視社会が叫ばれて久しいが、SNSなどにより、確かに幅広い自己表現、自己実現、自己開示などができる様になったかもしれない。
 しかし一方で、常に他者の目を気にし、自分を自由に表現できないことも増えていると感じている人がいるのも確かだ。
 技術の恩恵を受けずに振り回されるのではなく、ちょうどいい距離の取り方をもちながら技術と接して行かねば、人が作り出した技術に人が食われることとなるだろう。

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